敵意をむき出しに向かってくるアリエッタをなんとか退け、無事に整備隊長を救出する事に成功した一行は、カイツールに戻り船の出航を待った。

そうしてすったもんだがありつつも出航を果たした面々は、次なる目的地であるケセドニアに向けて航路を辿る。

そんな今までとは違う穏やかな旅に、はもう何度も目にしているはずの海を目を輝かせながら飽きる事無く眺めていた。

綺麗なものが好きな

彼女の感性は時として人に理解されない事もあったけれど、彼女にとっては見慣れた海であっても見飽きる事などないのだ。

「・・・海は綺麗」

誰に言うでもなくポツリと呟いて、は一心に海を眺め続ける。

「・・・少しよろしいか?」

彼女の背後から声が掛かったのは、ちょうどその時だった。

 

海上の攻防戦

 

不意に掛けられた声に、はパッと振り返った。

「・・・ヴァン=グランツ謡将」

一体いつの間にそこにいたのか。

まったく気配を感じなかったと心の中で独りごちながら、は大好きな海から視線を外してじっとヴァンを見つめ返す。

一体自分に何の用事があるのだろう?

言葉には出さずにそんな疑問を抱くに、ヴァンはにこりと柔らかく微笑んで見せた。

「少しあなたと話がしたいと思ったのだ。―――いいだろうか?」

突然の申し出に面を食らいながらも、幸いな事にの表情にそんな感情が浮かぶ事はない。

彼女のポーカーフェイスは筋金入りなのだ。―――勿論、は意識してそうしているわけではないけれど。

それにしたって、相手の思惑が解らない。

確かにそれなりの地位にあるとはいえ、一介のマルクト軍人に何の話があるのだろう。

そこまで考えて、はふと思い出す。

カイツールで初めて顔を合わせたその時、一瞬だけヴァンが浮かべた動揺の表情。

見間違いかとも思ったけれど、同じくジェイドもそれを見ていたというのだから、気のせいではないのだろう。

けれど今目の前にいるヴァンには、あの時感じた感情の揺れなどどこにもない。

勿論軍人であるのだから感情を隠す事に長けてはいるのだろうが・・・。

「構わない」

静かに自分の答えを待っているだろうヴァンへそう返事を返せば、ヴァンは静かな足取りでへと近づき彼女の前に立つ。

しかしヴァンはの傍に立ったきり、口を噤んだまま動こうとはしなかった。

自分から話がしたいと申し出たにも関わらず、だ。

それを訝しげに思いながらがじっとヴァンを見つめていると、ヴァンは少し楽しそうな面持ちで僅かに眉を上げて見せた。

「私の顔に何かついていますか?」

「・・・なにも」

「だが、何かを探ろうとでもするように私を見ている」

サラリとそう返され、は困ったように眉を寄せた。

確かにはヴァンを見ていた。

あのカイツールでの彼の変化の理由を知りたいと・・・―――それはにとって、あまり良い結果を得られそうではなかったけれど。

「・・・あなたは、私を知っているの?」

何も話さないヴァンに困り果てて、は自分が抱いている疑問を率直に投げ掛けた。

元々談笑するなどという芸当が苦手な彼女の事だ。―――それがほぼ初対面の相手ならば、尚の事。

そんなの言葉に、ヴァンはまたもや楽しそうに口角を上げて。

「・・・ええ、知っていますよ」

またもやさらりと返された言葉に、は僅かに目を瞠る。

彼は自分を知っていると言った。

それはヴァンとに何か接点があるという事に他ならない。

けれどには、ヴァンに関する記憶など欠片もないのだ。

それに加え、はあまりグランコクマを出る事はない。

ヴァンがグランコクマに来る事も、おそらくそうないに違いない。―――彼が来たとなれば、それは軍人であるの耳にも入っているだろうから。

ならば、彼と自分は一体どこで会っているのだろうか?

そんなの疑問を読み取ったのか、ヴァンは軽く肩を竦め、視線をから海へと向けて小さく笑った。

「と言っても、以前ダアトでお見かけしただけですが」

「・・・ダアトで」

「ええ。アッシュと一緒にいたでしょう?あの時私はあいつを迎えに街に降りていたんですが・・・―――あいつが旅人と親しく話をしているなんて珍しいと、印象に残っていたんですよ」

やんわりと人のいい笑みを浮かべて、ヴァンはそう告げる。

「カイツールでお会いした時、どこかで見た事があると思ったのです」

「・・・そう、ですか」

まさしく隙のないヴァンの言葉に、は納得せざるをえない。

自分がダアトに行った時に迷子になったのも事実だったし、その時にアッシュと会い道を教えてもらったのも事実だ。

ダアトに住んでいるヴァンがアッシュを迎えに来る事も不自然ではないし、アッシュのあの性格を考えれば、と話していた彼が印象的だったのも否定できない。

そう思うのに・・・―――なのに、何故だろうか。

隙のない説明だというのに、素直に納得できないのは。

その裏に、何かがあると思えてしまうのは何故なのだろう。

けれどそう思えたとしても、そう思った理由に思い当たらないに、否を唱える理由などない。

そしてそれをジェイドに話す事も出来なかった。

ジェイドに話して・・・この妙にすっきりしない感覚を、どう伝えればいいのか解らないからだ。

それでなくとも、は自分の口下手を自覚している。―――には、今感じている自分の気持ちをしっかりと相手に伝える自信がなかった。

「時に、殿」

もやもやとしたものを抱えて思わず考え込んでしまったに、海に視線を向けたままのヴァンが静かに声をかける。

「出身はどちらかお聞きしても構いませんか?」

「・・・出身?」

「ええ。どちらの国でお生まれになりましたか?」

重ねて問いかけられ、は困惑したように僅かに瞳を揺らす。

出身がどこか。

そんなもの、に答えられるはずもない。―――何故ならば、にはジェイドに拾われる前の記憶がないからだ。

じっと自分を見つめるヴァンを見返して、仕方がないとが素直に答えようとしたその時だった。

「おやおや。マルクトの軍人に出身を尋ねるとは・・・随分と可笑しな質問をなさる」

不意に涼しげな声が響き、はハッと声がした方へと視線を向ける。

するといつからそこにいたのか、ジェイドがいつもの飄々とした様子で立っていた。

ポケットに手を入れたまま、とヴァンという珍しい組み合わせに何かを言うでもなく、悠然とした態度でじっと2人を見つめている。

「ジェイド」

「それにあなたほどの地位にいらっしゃる方なら、マルクトのの姓くらい耳にした事はあるでしょうに」

思わずジェイドの名前を呼んだを無言で制し、ジェイドは更に言葉を続けた。

そこに僅かな棘が感じられたが、けれどヴァンは眉1つ動かす事無くジェイドへと視線を向けて。

「そうだったな。―――これは失礼した」

先ほどまで浮かべていた笑みを消し真剣な表情を浮かべたヴァンは、チラリとへ視線を移し謝罪の言葉を向けた。

確かに、マルクトのといえば昔から有名な名家だ。

そのの姓を名乗るに、出身がどこかなど聞く必要などない。

そもそもキムラスカ出身の人間をマルクト軍が受け入れるはずもないのだ。―――出身がどこかなど、軍人相手に聞くような問いではない。

そんなヴァンの謝罪にフルフルと首を横に振る事で答えたは、なんともいえず重くなった空気に助けを求めるようにジェイドへと視線を向けた。

一体何がどうなっているのかは解らないまでも、この場の空気が一気に変化した事だけは確かだ。

ヴァンの今ジェイドへ向けている視線は、へと向けていた時とは違う。

そしてジェイドもまた、普段とは少しだけ雰囲気が変わっていた。―――少なくとも普段の彼は、初対面の立場ある人間にぶしつけな言葉を投げ掛けた事などない。

「それでは、私はこれで失礼する。そろそろルークがゴネているかもしれないのでね」

がどうしたものかと頭を悩ませていたその時、無言を打ち破りヴァンがそう口を開いた。

そうしてが口を開く前に、ヴァンは颯爽とその場を去っていく。

ジェイドもまた、何も言わずにそれを見送って・・・―――そうして完全にヴァンの気配が消えた事を確認すると、疲れたように小さくため息を吐き出した。

「・・・ジェイド」

「あなたは何も気にする必要はありません。―――それよりも、アニスがあなたの事を探していましたよ」

「・・・うん」

畳み掛けられるようにそう告げられ、は戸惑いながらもコクリと頷き、アニスがいるだろう船室へと足を向ける。

聞きたい事はたくさんあった。

けれど、一体何を聞いていいのか解らなかったのも事実。

は、自分が人の腹の内を読む事に長けていない事を理解している。

だからこそは、素直に口を噤んでジェイドの言うようにアニスの元へと向かう。

必要ならば、きっとジェイドは話してくれるはずだ。

気にする必要はないと、ジェイドは言った。―――それはこの件に深く関わるなというようにも聞こえたから。

そうして素直に船室へと向かったを見送って、ジェイドはもう1度ため息を吐き出すと静かにメガネのブリッジを押し上げた。

今後の事について話しておく為にを探しに来てみれば、なんとも予想外の人物と対峙しているなんて。

ジェイドも、カイツールでのヴァンの変化を忘れてはいない。

そこにどういう意味があるのかは、ジェイドにも解からなかったけれど。

けれど、そこに何の意味もないとは思えない。

ヴァンがに向けていた視線に含まれた、優しさと・・・そしてそれとは違う、別の何か。

一筋縄ではいかない相手だと解っているだけに、そこに含まれる意味も大した意味などないとはとても思えない。

とヴァンの出会いは、本当に彼の言うようにダアトでの迷子事件の時なのだろうか?

疑い出せばきりが無いものの、それを確かめる術はない。

当事者のに、ジェイドと出会う以前の記憶はないのだ。

だからこそジェイドに打てる手は、必要以上に2人を接触させない事くらいだ。

「・・・やれやれ。本当に厄介な事になりそうですね」

今の自分は、親書を届けるという重大な任務を負っているというのに・・・。

どうやらすんなりとは終わらないだろう旅の気配を感じ取り、ジェイドはもう1度小さくため息を吐き出した。

 

 

そして特に何の障害もなく、船は無事にケセドニアへと到着した。

これまでの旅を考えるとあっけない気もするけれど、何事もない事に異論などあろう筈もない面々は、地上に降りたという開放感にそれぞれ表情を綻ばせる。

ここからまた船を乗り換え、今度はキムラスカへと向かうのだ。

何事もなければ、それほど辛い旅でもない。

このまま本当に何事もなくキムラスカへ到着できる事を心の中で願いつつ、一行は船の準備が出来るまでの短い時間に、コーラル城で手に入れた音譜盤を解析する為、アリエッタをダアトの監査官に引き渡すというヴァンと別れ、事実上この街を統治しているアスターという男の屋敷に向かった。

ヴァンと一緒にキムラスカへ行けると思っていたルークはゴネたけれど、それを知ったは心のどこかでホッとしていた。

特に何をされたわけでもない。

なのにどうしてか、彼の傍は落ち着かない。―――ざわざわと胸がざわついて、不意に心細くなる。

それに・・・と、は隣を歩くジェイドを見やる。

ヴァンがいると、ジェイドの様子が可笑しいのだ。

どう可笑しいのかと問われれば答えようもないが、いつもと様子が違う。

怖いくらいの空気を纏い、何かを考えるようにじっとどこかを見つめているのだ。

「・・・ジェイド」

「なんですか、。―――それよりもちゃんと前を見て歩いてください。こんなところで迷子になられては困りますから」

心細くなって声を掛ければ、ジェイドはしっかりと自分を見て返事を返してくれる。―――お小言も忘れてはいなかったけれど。

そんなジェイドを見ると安心し、は黙ってジェイドの軍服の裾を握った。

そんなやり取りの中、一行はこの街では唯一音譜盤の解析機を持っているアスター邸で手に入れた音譜盤を解析してもらい、その足でキムラスカ行きの船を用意してくれているキムラスカ領事館へと向かう。

解析結果は紙面に起こしてもらったのだが、その量はかなりのものになっていた。

勿論あの状況で手に入れたものなのだから、何か重要な内容なのだろう。

そうは思うけれど、これだけの量の資料を読むとなると気が滅入ってしまうのも確かで。

とりあえず船の準備が整ったとルークたちを呼びに来た兵士の言葉に、資料は船に乗ってから目を通そうというジェイドの提案により、一行は呼びに来た兵士に先導されてキムラスカ領事館へと向かう。

ちょうど、その時だった。

人ごみの中から、何かが飛び出してくる。

それが何かを察するよりも前に、その何かは資料を抱えて両手が塞がっているガイへと体当たりをかました。

「うわっ!」

「ガイ!」

ガイの抱えていた資料は宙へと舞い、持っていた音譜盤が地面へと転がる。

それを拾い上げる前に、ガイへと体当たりをした人物・・・―――シンクは音譜盤を奪い取った。

それに気付いたガイが、床に散らばった資料を慌てて集める。

音譜盤を奪われた以上、これだけは渡すわけにはいかない。―――そんなガイの心境を察してか、音譜盤を奪い取ったシンクは尚も攻撃の手を緩めることはなかった。

「そいつも寄越せ!!―――くっ!!」

更に手を伸ばすシンクだったが、しかし不意に飛来したチェーンに思わずその場を飛び退る。

「ここで諍いを起こしては迷惑です!船へ!!」

ジェイドの鋭い声がその場に響き渡る。

その言葉に、ガイはとりあえず手の中にある資料を抱えて走り出した。―――その後を追おうとするシンクを牽制しながら、もまたガイの後を追う。

「ルーク様。出航の準備が完了しており・・・」

「急いで出航しろ!!」

なんとかシンクを牽制しつつ港に辿り着いた面々は、その場にいた兵士に出航を命じると、飛び込むように船へと乗り込んだ。

追われているというルークの言葉に頭を捻りつつも、言われた通りに兵士はすぐさま船を出港させる。

そうして船が港から離れたのを認めて、一行はどっと深いため息を吐き出した。

「なんだってんだよ、あいつら・・・!」

突然の襲撃に苛立ちを隠せないルークだったが、ぐちゃぐちゃになってしまった資料を抱えていたガイは戸惑いがちに豆粒になってしまった港を見やる。

確かにあんな場所で手に入れた音譜盤だ。

それを所有していたのはタルタロスを襲ったオラクル騎士団であり、だからこそそれがただの音譜盤ではないとは思っていたけれど。

まさか街中であんな行動に出るほど、重要なものなのだろうか。

一体、この資料には何が記されているのだろう。

そんな疑問を抱いたガイは、しかし不意に感じた気配に思わずその場を飛び退った。

気がつけば、いつの間にか隣にが立っている。

失礼だとは思うが、思わず背筋に走った悪寒に顔を引き攣らせつつ、ガイは精一杯の笑顔を浮かべてへ視線を向けた。

「ど、どうしたんだ?」

ガイの女性恐怖症を知っているは、不用意にガイに近づいたりはしない。

まずはちゃんと声を掛けてから。―――なのですっかり安心しきってしまっていたガイは、の気配を察するのが遅れてしまったらしい。

そんなガイを見上げて、はコクリと首を傾げた。

「ガイ、大丈夫?」

「え・・・?」

「さっき、シンクに何かされてたみたいだから」

そう言われ、ふと思い出す。

資料を集めることに必死で忘れていたが、確かに自分はシンクに何かをされた。

しかし改めて自分の身体を見てみても、特に変わった場所はない。

気分が悪いわけでも、違和感を感じるわけでもない。

「いや、特になにもない。―――どうやら気のせいだったみたいだ」

「・・・なら、いいけど」

どこか腑に落ちない様子のに苦笑を零して、ガイは資料を抱えなおした。

思わず頭を撫でてやりたい衝動に駆られるが、そんな事を自分が出来るとは思えない。

それを少し残念に思いつつも、ガイは既に見えなくなった港へと目をやる。

色々と不測の事態はあったが、なんとか無事に出航する事は出来たのだ。

後は・・・拾い集めたこの不完全な資料で、何か解る事を祈るしかなかった。

 

 

「・・・くっ、逃したか」

遠ざかる船を見つめながら、シンクは忌々しげに小さく呟く。

なんとか音譜盤は取り戻したものの、既に解析された資料は彼らの手にある。

それは不完全なものではあるけれど、人の目に触れると厄介なものである事に違いはない。―――あの船に乗っているジェイドには、特に。

それを阻止できなかった事が悔やまれるけれど・・・。

「あーっはっはっは!!」

シンクがそう心の中で独りごちたその時、港に耳障りな笑い声が響き渡った。

それに嫌そうに顔を上げると、空飛ぶ椅子に座った男が1人。

その男・・・ディストはさも楽しそうに笑うと、不機嫌そうな表情を浮かべているシンクを見下ろして。

「ドジを踏みましたね、シンク」

「・・・アンタか」

「後はこの私に任せなさい。この超ウルトラハイグレードな私の譜業で、あの陰険なロン毛眼鏡をギッタギタに・・・!」

なんだよ、超ウルトラハイグレードって・・・。

思わず突っ込みを入れそうになったが、シンクとていつまでのディストに付き合っているほど暇ではない。

そこはさらりと流して、今もまだ何かを叫んでいるディストをそのままに踵を返した。

「待てー!待て、待ちなさい!私の話がまだ終わってない・・・」

「あのガイとかいう奴はカースロットで穢してやった。いつでも傀儡に出来る。―――あんたはフォミクリー計画の書類を確実に始末してよね」

尚も背中から追いかけてくるディストの叫びをさらりと無視して、シンクは言うだけ言うと街へと向けて姿を消した。

それを見送る形となったディストは、悔しさに奥歯を噛み締めて。

「ムキー、偉そうに!覚えていなさい!復讐日記につけておきますからね!!」

ディストの子供のような文句が、空しく港に響き渡る。

どうして誰も彼もが、自分を邪険に扱うのだろうか。

きっと天才のこの自分を妬んでいるに違いない。

そう結論付けて、ディストは今は見えなくなった船に乗る少女に想いを馳せる。

そう、彼女だけだ。―――この自分を認めてくれたのは。

「ふふふ。待っていなさい、。すぐに私があなたを迎えに行ってあげますからね」

小さく笑みを零しつつ、ディストは少女との再会を思い描き行動を開始する。

 

一行の危機は、未だ去る気配は見えなかった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

前半のヴァンとのやり取りに、余計なくらい力が入った気がしますが。(笑)

いや、難しいですよね、ヴァン。

彼はどうあってもギャグに走ってくれなさそうですから。

その点で言えば、ディストは本当に書いてて楽しいです。(笑)

その分、ディストらしさを出す難しさは消し去れませんが。

作成日 2008.10.26

更新日 2009.3.11

 

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