活気に満ちた街、ケセドニア。

見渡す限りの砂漠を越えた先に、その街はあった。

 

不協和

 

六神将の動きが気になるものの、ザオ遺跡で無事にイオンを奪回できた一行は、ひたすら砂漠を歩き続けた。

そうして漸く目的の街であるケセドニアに到着した一行は、休む間も惜しむように港へと足を向ける。

ここから船でカイツールへ向かい、そこからまた徒歩でアクゼリュスを目指すのだ。

「ここから船でカイツールに向かうんですよね?」

「ええ」

アニスの確認の問いに、ジェイドは簡潔にそう答える。

ここからはマルクト領の海域を渡る為、これまでのような危険はそうはないだろう。

それにホッとしながらも、アニスは心配げな面持ちで隣を歩くイオンの様子を窺った。

「イオン様、どこかで休まれた方がいいですよね」

これから船で移動する為、自分たちはそこでも十分休息は取れるだろうが、イオンの場合は違うのだ。

誘拐され何かを強要されていた上、慣れない砂漠の旅。

船ではなく、もっとちゃんとした場所でゆっくりと休ませてあげたい。―――そんな思いを込めて口にした言葉は、しかし先頭を歩くルークによって即座に却下された。

「休み?んな時間ねーよ」

「むぅ・・・」

ルークの冷たい言い様に、アニスはムッと頬を膨らませる。

相手はお金持ちの坊ちゃんなのだから・・・となんとか自身の気持ちを落ち着けようとするが、これまで積もりに積もった感情は素直に納得してはくれなかった。

「あなたねぇ・・・!」

「なんだよ。親善大使は俺だ。俺が行くって言ったら行くんだ」

その感情に素直に従い口を開きかけたアニスだったが、しかしそれは続けて発せられたルークの声に遮られる。

あまりにも傲慢なその言動にさらに怒りが込み上げてくるが、しかしそれはイオンの柔らかな声と微笑みによって押し留められた。

「僕は休まなくても大丈夫です」

「イオン様・・・」

辛くない筈がないというのに、それでもイオンはそう言って微笑む。

その優しさが、さらにルークを付け上がらせるだけなのに・・・―――そう思ったが、イオンの微笑みを見つめていたアニスはなんとかその文句を飲み込んで、代わりに重いため息を1つ。

イオンがそう言っている以上、ここで自分が騒ぎ立てても仕方がない。

なんとかそう己を納得させようと必死になっているアニスを他所に、彼女たちのやり取りを苦笑と共に見守っていたガイが、話題を変えるように口を開いた。

「で、イオンはこれからどうするんだ?」

「もしご迷惑でなければ、僕も連れて行ってもらえませんか?」

「えぇ!?モース様が怒りますよ!」

イオンの言葉に、アニスが反対の声を上げる。

ただでさえ、イオンはモースに睨まれているのだ。

モースがイオンを軟禁する事自体には異論はあるものの、これ以上勝手に動き回りイオンの立場がさらに悪くなる事は避けたい。

しかしイオンは反対の声に怯む事無く、やんわりと微笑みながら諭すようにアニスへと声を掛けた。

「僕はピオニー陛下から親書を託されました。ですから、アクゼリュスの状況を陛下にお伝えしたいのです」

「でも・・・」

イオンの責任感の強さは尊敬に値するが、だからといってそう簡単に頷けない。

そんなアニスを認めて、助け舟を出すようにジェイドが口を挟んだ。

「まぁ、よろしいのではないですか?アクゼリュスでの救援活動が終わりましたら、私たちと首都へ向かいましょう」

「イオン。グランコクマはとても綺麗。着いたら、綺麗なところ案内してあげる」

「ありがとうございます」

ジェイドに続き、までもがそう申し出る。

こうなれば、アニスに対抗する手段はなく、仕方がないかと小さく息を吐く。

「でも、イオン様。危ない事はしないでくださいね」

それでもこれだけは・・・と念を押せば、イオンはしっかりと頷いた。―――勿論、それらからイオンを守るのがアニスの仕事なのだけれど。

それでもやはり嬉しそうに微笑むイオンを見て、アニスもまた小さく笑みを漏らす。

彼の笑顔を見る事が出来る事は、アニスにとっても嬉しい事なのだ。

出来る事ならば、厄介な事に巻き込まれなければいいのだけれど・・・―――そんな思いを抱くアニスの隣で、ジェイドはふとルークへと視線を移しニヤリと笑む。

「おっと、決めるのはルークでしたね」

「お前な・・・」

わざとらし過ぎるジェイドの態度に、ルークはあからさまに表情を歪めた。

しかしそれに気付いていないはずはないというのに、ジェイドの嫌味は止まらない。

親善大使のルーク様がお決めになっては?とダメ押しのように告げられ、ルークは不機嫌を隠しもせずにそっぽを向いて踵を返した。

「・・・勝手にしろ!」

そう言い捨て先を歩いていくルークの背中を見やり、ジェイドは仕方がないとばかりに肩を竦めてみせる。

「さ、私たちも行きましょうか。親善大使のルーク様に置いて行かれないように」

「・・・あんまりルークを苛めないでやってくれよ、ジェイド」

「肝に銘じておきますよ」

ガイの控えめな要求もさらりと流して、ジェイドは急ぐでもなく足を踏み出す。

その後姿を見て、ガイは深く重いため息を吐き出した。

 

 

アクゼリュスに行く為には、ケセドニアから船でカイツールに向かわなければならない。

その為にマルクトの領事館へと向かった一行は、そこでマルクト軍によって用意された船に乗り込む。

ちょうど、その時だった。

「・・・ぐっ!」

船に乗る直前に、ガイは突然苦しみ出し膝を突く。

そのあまりにも突然の出来事に全員が目を丸くする中、すぐ傍にいたルークが慌ててガイに駆け寄った。

「ガイ!」

彼の名前を呼び、何かに耐えるように蹲るガイに手を差し出す。

しかしルークの差し出した手は、ガイによって思いっきり振り払われた。

「いって〜・・・」

思わずしりもちをついたルークは、驚きに目を見開きながらガイを見つめた。

ガイが、自分を振り払った。

そんな事は、今まで一度だってなかったというのに・・・―――ルークが呆然とする中、その様子を見たナタリアも慌てた様子で駆け寄ってくる。

「どうしたのです、ガイ?」

「わ、解らない。腕が勝手に・・・」

「ちょっと見せてください」

心配そうな面々の中で、真剣な面持ちでそう申し出たイオンがガイに近づく。

一瞬振り払われるかと思われたイオンの手は、けれどルークの時とは違いすんなりとガイへ受け入れられた。

そうしてガイの様子を見ていたイオンは、彼の腕に付けられた傷に気付き訝しげに眉を寄せる。

「これは・・・カースロット」

「カースロットって?」

「ダアト式譜術の1つです。脳に刻まれた記憶を利用して人を操るんですが・・・」

そう言って言葉を切ったイオンは、考え込むように口を噤む。

しかしそれに気付く事無く、イオンの説明を聞いたナタリアは不思議そうに首を傾げた。

「そんなものいつの間にかけられたのかしら」

ナタリアの呟きに、ガイはハッと目を見開く。

「・・・シンクだ。ケセドニアで、シンクにここをやられたんだ」

今回とは違い、キムラスカに向かう為にケセドニアを通った時。

コーラル城で手に入れた解析を奪い返しに来たシンクに付けられた傷。―――今異変が起きているのは、まさしくその傷だ。

「だとすれば、シンクはこの近くにいるのかもしれません」

「なんだと!?」

イオンの言葉に慌てて辺りを見回すも、見える場所にシンクらしき人影はない。

しかしここにはたくさんの人と建物があるのだ。―――自分たちから見えないよう隠れるのは容易いだろう。

「カースロットは、術者が近くにいるほど威力が強くなります。すぐにこの場所を離れましょう」

ならば、取れる方法はひとつしかなかった。

術者が近くにいなければ、カースロットの影響は少ない。

幸いにも船はすぐにでも出れる準備は出来ているのだ。―――こうなれば、早く港を立った方がいいだろう。

そう判断を下した一行は、今もまだ苦しそうに顔を顰めるガイを連れて急いで船へと乗り込んだ。

それを待っていたかのように、船はゆっくりとした動きで港を出発する。

そうしてケセドニアが少しづつ遠くなっていくのと比例して、ガイの顔色も少しづつ良くなっていった。

「ガイ、大丈夫ですか?」

「ああ、痛みが引いてきた」

以前シンクに付けられた傷跡を押さえながら頷いたガイの顔色は、港にいた時と比べると大分いい。

「じゃあ、やっぱりシンクはあそこにいたのね」

一体何が目的であそこにいたのか。

これまでの事を考えれば、イオンを奪還しに来たと考えるのが妥当だが、ならばどうして襲撃してこなかったのか。

疑問は数あれど、こうして出航した今となってはひとまず安心だ。

そう結論を下し、既に見えなくなったケセドニアの港へと視線を向けて、一行はホッと安堵の息を吐き出した。

 

 

ケセドニアから船を使いカイツールに渡った一行は、その足でデオ峠へと向かった。

アクゼリュスへ行くには、この峠を越えなければならない。

船で少しは身体を休めたとはいえ、六神将を相手にしながら砂漠を渡った彼らの身体に、この道程は正直厳しかった。

だからといって、ゆっくりと休んでいる時間などないのだけれど。

「この峠を越えれば、アクゼリュスです」

険しい山道を登りながらそう説明するジェイドに、しかし目的地を前にしているというのにルークの表情は晴れない。

不機嫌そうな面持ちを崩そうとしないルークを認めて、ガイは思わず苦笑を浮かべた。

「おい、ルーク。そうイライラするな。ヴァン謡将だってアクゼリュスでお前を待ってるさ」

一刻も早く、ヴァンと合流したいのだろう。

結局はカイツールで合流する事が叶わなかったルークとしては、明るい気分になれるはずもない。

「・・・砂漠で寄り道なんてしなけりゃよかったんだ」

だからこそ口をついて出た言葉だったのだが、それに反応したのは当事者のイオンではなくアニスだった。

「ちょっと!寄り道ってどういう意味・・・ですか!!」

これまでルークの前では完璧に猫を被っていた彼女も、流石にこのセリフには我慢できなかったらしい。―――思わず表情を歪めそう声を上げるアニスに、しかしルークは特に気にした様子もなく不貞腐れた様子で口を開いた。

「寄り道は寄り道だろ?今はイオンがいなくても、俺がいれば戦争は起きねーんだし」

「あんた・・・バカ?」

ルークの口から出た思いもよらない言葉にアニスは呆気に取られ、直後呆れたように声を上げる。

その普段は向けられた事のない発言に、イライラが募っていたルークもまた即座に反応した。

「バ、バカだと・・・!?」

「ルーク。私も、今のは思い上がった発言だと思うわ」

アニスの棘のある言葉に反論しようと口を開いたルークを遮るように、彼の後方を歩いていたティアもまた加勢するようにそう言葉を放った。

それにはナタリアも同じようで、言い含めるように言葉を引き継ぐ。

「この平和は、お父様とマルクトの皇帝が導師イオンに敬意を払っているから成り立っていますのよ?」

それは決してルークのおかげではないのだと言外にはっきりと告げられ、ルークは不機嫌そうに眉を寄せる。

そんなやり取りをどうしたらいいのかと見守っていたイオンは、しかしナタリアの言葉に控えめに首を振った。

「いえ、両国とも僕に敬意を払っているわけじゃない。ユリアの預言が欲しいだけです」

「そんな事・・・」

キッパリと告げられた言葉に、ティアは戸惑ったように視線を泳がせる。

確かに、そういった意味合いがある事は否定できなかった。

預言を管理するローレライ教団を敵には回せない。

だからこそ、両国は導師に敬意を払うのだ。―――そう告げるイオンにどう答えていいのか解らず口ごもるティアを認めて、ガイはさらりと口を挟んだ。

「そんな考え方には賛成できないな。イオンには抑止力があるんだ。―――それがユリアの預言のおかげでもね」

そう、ガイの言う通り、たとえそれが預言のおかげだとしても、イオンには確かに抑止力がある。

そのおかげで回避できる事もたくさんあるだろう。―――今も彼の抑止力のおかげで、休戦が形となりつつあるのだ。

それを卑下する事はないのだと、ガイは言う。

それもまた、イオンの力なのだと。

ガイの言葉に、イオンは思わず目を丸くする。

そういう考え方もあるのだと、教えられた気がした。

「なるほどなるほど。皆さん、若いですね〜。じゃ、そろそろ行きましょうか」

不意に訪れた静寂に、この状況には場違いなほど明るいジェイドの声が響いた。

思わず視線を向ければ、ジェイドは我関せずといった様子で軽く笑い、全員に口よりも足を動かすようにと促す。

そうして自身もまた足を止める事無く先を行くジェイドを認めて、ガイは呆れたように感心したように苦笑を浮かべた。

「はは、この状況でよくああいう台詞が出るよなぁ〜」

けれど、ジェイドの発言で緊張に満ちた空気が払拭されたのも事実だ。

多少の憤りはあれど、確かにアクゼリュスへ向かうのが先決だと結論を下した面々は、素直に口を噤んで険しい山道を歩き出す。

先ほど反論を遮られたルークも、出鼻をくじかれた事で少し冷静になったのか、不機嫌そうな面持ちは変わらなくとも無言で先を進んでいた。

しかしそんなルークの後姿を見やり、ガイは困ったように小さく笑みを浮かべながら、やれやれと肩を竦めてみせる。

一刻も早く、ヴァンと合流したい彼の気持ちも解るけれど・・・。

先ほどの彼の発言はかなりマズかった。―――旅を同じくする面々をグルリと見回しながら、ガイは心の中でそう独りごちる。

ルークが彼女らの心情に気付いているはずはないだろう。

今の彼には何も見えていないのだ。―――否、それは今に始まった事ではないかもしれないけれど。

「・・・ま、このまま無事にアクゼリュスに着いてくれりゃいいけどな」

ガイの小さな呟きは、幸いな事に誰の耳に届く事もなかった。

 

 

そうして再び峠越えを再開した一行だったが、先ほどの諍いが完全に払拭されたわけではなかった。

どうしても先ほどのルークの発言を聞き流せなかったアニスは、不機嫌そうに頬を膨らませる。

誘拐されたイオンの救出を、よりにもよって寄り道扱いするなんて。

しかもそれをイオンの前で口にするのだから・・・―――どういう神経をしてるんだとアニスは心の中で文句を零す。

「む〜」

「おやおや?流石にアニスも怒っているのか〜?」

玉の輿を狙ってルークに近づきはしたものの、最初と比べてその意欲はそがれつつある。

そんなアニスに目ざとく気付いたガイがからかうようにそう問い掛けるのを前に、アニスはハッと我に返り慌てて笑顔を貼り付けた。

「そ、そんな事ないですよ〜。私はルーク様(の財産)の事大好きですもん。―――まぁ、ちょっと引いちゃいましたけど」

「アニス、聞こえた。今、アニスの本音が聞こえた」

「何か言った、〜?」

だからといって、玉の輿を放棄するにはルークはもったいない。

王族に連なる公爵家の跡取り。

いずれはキムラスカの王になるかもしれない人物なのだ。―――こんな物件、早々出会えるものではない。

まぁ、彼の治める国に不安がないかと問われれば首を縦には振れないけれど。

そんな会話を繰り広げる3人を他所に、足を進めていたジェイドはゆっくりと辺りを見回しながら感心したように呟いた。

「思ったより整備されていますね」

「本当だな。今じゃこの道はあまり使われてないだろうに・・・」

そんなジェイドの言葉に、に文句を言うアニスを宥めていたガイが逃げるようにそう口を挟んだ。

2人の会話に、先頭を歩いていたルークが不思議そうに首を傾げて振り返る。

「なんでだ?」

道が整備されている事くらい、特別不思議な事ではない。

そう言いたげなルークの眼差しに、ガイは丁寧に説明を始めた。

「この道は元々、アクゼリュスがキムラスカ領だった頃に利用されていた道だ」

キムラスカ領だった頃?とルークは訝しげに眉を寄せる。

確か、アクゼリュスはマルクト領だったのではないのか・・・とルークが疑問を口にする前に、嫌に不機嫌そうな様子を見せたナタリアが口を挟んだ。

「マルクトに奪われた今となっては、こちらの道を使う意味がありませんものね」

「ま、次の狙いがアクゼリュスなら、整備しておいた方が得策ですが・・・」

棘を込めて告げたセリフは、しかしジェイドから更に棘を含まれ返される。

それにキッと眦を上げて睨み付けたナタリアは、強い声色で言い放った。

「どういう意味ですの?」

「仮に、ですよ。仮に」

詰問する勢いのナタリアを前に、しかしジェイドは軽く肩を竦めながら笑う。

そんな相手の様子に、ナタリアの怒りは更に上がった。

「どうもあなたは、いちいち癇に障る物の言い方をなさいますわね」

「はっはっはー、確かに。気をつけますよ」

嫌味を込めて放った言葉も、あっさりとジェイドに流される。

この男は、相手をするには性質が悪いのかもしれない。―――それは解っていたけれど、このまま引き下がるのは悔しい。

そんな思いで、ナタリアが密かに唇を噛み締めた時だった。

「イオン様!!」

突如アニスの声が上がり、視界を巡らせるとイオンが今にも倒れそうな様子で地面に膝をついていた。

その顔色は酷く悪い。

砂漠を越えて、海を渡っての強行軍。

元々体が弱いと思われるイオンにとっては、自分たち以上に辛い道のりだっただろう。

それでも愚痴ひとついわずに歩き続けたのだから、こんな状況になっても仕方のない事だった。

「大丈夫ですか?少し休みましょうか」

「・・・いえ、僕は大丈夫です」

「ダメですよ!みんな、ちょっと休憩!!」

ティアの申し出に首を横に振るイオンを無視して、アニスは全員に向かいそう声を張り上げた。

いうまでもなく、こんな状態のイオンに無理をさせるつもりはない。

だというのに、そんなアニスの思いはルークの心無い言葉によって遮られた。

「休む?何言ってんだよ!先生が先に行ってんだぞ?」

「ルーク。よろしいではありませんか」

「そうだぜ。キツイ山道だし、仕方ないだろ」

苛立つルークに、ナタリアとガイもまた助け舟を出すようにそう言い募る。

しかし彼にその言葉を聞くつもりはないらしい。

「親善大使は俺なんだぞ?俺が行くって言えば行くんだよ」

「あ、あんたねぇ・・・!」

キッパリと言い放たれた言葉に、今度こそアニスの顔が怒りで歪む。

いくらなんでも、これは酷すぎる。

これまで我慢してきたすべてが溢れそうになるアニスに、不意にずっと沈黙を守っていたが口を開いた。

「なら、ルークたちは先に行って。私がイオンに付いてる」

静かな・・・抑揚のない声で告げられた言葉には、棘も嫌味もない。

!?」

それに反応したのは、怒りを爆発させそうになっていたアニスだった。

思いもよらない提案。

彼女の顔を見つめるも、そこには特別感情の色はない。

怒りも、呆れも・・・―――そのどれもが感じ取れないの様子に、アニスは僅かに身体を震わせた。

ゾクリ、と肌が粟立つ。

そんなアニスを見下ろして、は促すようにゆっくりと瞬きをひとつ。

「きっと、すぐに追いつく。だから・・・」

「では、少し休みましょう。イオン様、よろしいですね」

先に行って・・・とが言葉を紡ぐ前に、基本的に傍観者の立場を崩さないジェイドがそう口を挟んだ。

これ以上ここで言い合いをしていても仕方がない。

「お、おい!!」

「ルーク。すみません、僕のせいで・・・」

それに思わず抗議の声を上げたルークに、イオンは申し訳なさそうに目を伏せた。

そんなイオンの様子に、少しだけ冷静になったルークは戸惑ったように目を泳がせて。

「解ったよ。少しだけだぞ?」

「ありがとうございます」

それでも素直に了承など出来るはずもなく、ルークは素っ気無くそう言い放つ。―――それに嬉しそうに微笑むイオンに、少しの罪悪感を感じながら。

そうしてなんとか休憩を挟む事になり、アニスはホッと安堵の息を吐き出しながら、チラリとを見やった。

初めて会った時から、変わった子だとは思っていた。

けれどそこには悪意も何もなかったし、素直なその様は年下のアニスにとっても可愛らしく思えたほどだ。

だからこそ意外だったし、逆に恐ろしくも感じたのだ。

は、ルークに感情というものを抱いていない。

完璧な『無』。―――だからこそルークがどんな発言をしても、は少しも動じないのだ。

むしろ自分のように怒りを露わにする方が、まだマシなのではないかとアニスは思う。

無関心とはこんなにも恐ろしいものだったのだと実感する。―――おそらく、ルークはそれに気付いてはいないだろうが。

「・・・どうした、アニス」

「う、ううん。なんでもな・・・」

考え事をしていたアニスに気付き、は不思議そうに首を傾げながら彼女の顔を覗き込む。

それに、まさか先ほど考えていた事をそっくりそのままに話せるわけがない、とアニスが慌てて首を横に振ったその時だった。

高い衝撃音と共に、足元の土が跳ねる。

それに反射的に顔を上げた面々は、そこに立つ女性に気付き思わず目を見開いた。

「リグレット教官!!」

ティアの驚きに染まった声に、しかし名を呼ばれたリグレットは表情1つ変えずに高い崖の上から一行を見下ろす。

まさかこんなに接近されていたとは・・・―――相手の気配にまったく気付けなかった事に思わず眉を顰めるジェイドの隣で、ルークは苛立ちの混じった声色でリグレットへと怒声を上げた。

「テメェ、またイオンを攫いに来たのか!!」

しかし、リグレットはそんなルークを相手にするつもりはないらしい。

視線をヒタリとティアへと向けて、冷たい表情のまま毅然とした様子で口を開いた。

「ティア!何故そんな奴らといつまでも行動を共にしている!」

響いた声に、ティアはハッと我に返り、戸惑いながらもリグレットへ向かい声を上げる。

「教官こそ、どうしてイオン様を攫ってセフィロトを回っているんですか!?」

「人間の意志と自由を勝ち取る為だ」

答えが返ってくる期待は、正直していなかった。

しかし予想外にも返ってきた答えに、全員は訝しげに眉を寄せる。―――人間の意志と自由を勝ち取る為に、イオンを攫ってセフィロトを回っている・・・?

「どういう意味です?」

当然ながらそれだけでリグレットたちの目的が解るはずもなく、ティアはもう一度彼女へ向けて問いかける。

するとリグレットは僅かに表情を歪めて、まるで挑むように声を張り上げた。

「この世界は預言に支配されている。何をするにも預言に従うなど、可笑しいとは思わないか?」

リグレットから投げ掛けられた問い掛けに、全員が目を丸くした。

預言によって支配されている世界。

人々は預言によってもたらされる未来を知り、それに従順に生きている。―――確かに、リグレットの言葉も間違ってはいないかもしれないけれど。

「預言は、人が正しい道を進む為の道具に過ぎません!」

しかしローレライ教団の導師であるイオンは、リグレットの言葉にそう反論した。

すべて、預言に従う必要はないのだ。

そこから正しいと思うものを選択し、生きて行けばいい。

そう話すイオンを見下ろして、しかしリグレットは冷たい面持ちのまま言葉を続けた。

「導師。あなたはそうでも、多くの人々は預言に頼りきっている。酷い者は、夕食の献立すら予言に頼る始末だ。―――お前たちもそうだろう!?」

「そこまで酷くはないけど・・・」

リグレットの言葉に、困ったようにアニスは頬を引きつらせる。

確かに、この世界で預言を詠んでもらっていない者などいないだろう。

預言とは、それほど自分たちの身近にあり、そうして導いてくれる存在なのだ。

正直なところ、教団に所属するアニスはそういった人々を目にする機会も多い。

そんな言い合いに、状況を見定めていたジェイドがからかう様に笑った。

「結局のところ、預言に頼った方が楽なんですよ」

人生の岐路に立たされた時、誰だって迷う。

そんな時に、絶対的な存在が答えをくれたら・・・―――それはなんて楽な事なのだろう。

そうして、それに抗える人間などそうはいない。

暗にそう語るジェイドの言葉に、リグレットは吐き捨てるように叫んだ。

「それが狂っているというのだ。―――ティア、戻ってきなさい」

「それは、兄さんの命令ですか!?」

「そうではない。だが、ヴァン総長も心配しておられる」

どうやらリグレットの目的は、イオンではなくティアのようだ・・・とジェイドは当たりをつける。

ティアがリグレットを教官と呼ぶのだから、彼女にとってリグレットは特別な存在なのだろう。―――そうして、それはリグレットにとっても。

こうしてわざわざ迎えに来るくらいなのだから、それは簡単に推測できた。

そんなリグレットの言葉に一瞬口を噤んだティアは、しかし意を決したようにリグレットを見据える

「今の私があるのは、教官のおかげです。でも・・・私は、まだ兄を疑っています。兄への疑いが晴れるまでは・・・戻れません」

迷いながらも、キッパリと言い切るティア。

彼女が抱く兄への疑いがなんであるかは、彼女自身が語らない為解らない。

けれど実の兄であるヴァンに武器を向け、今こうして同行を拒否している事から見て、それは軽い問題ではないのだと想像できた。

出来れば、その疑いとやらがなんであるかを詳しく聞きたいところだけれど・・・―――そうジェイドが思案していたその時、ティアの言葉を受けたリグレットは怒りの声を上げる。

「ティア!閣下よりもその出来損ないを選ぶというのか!!」

「・・・っ!」

リグレットから発せられた言葉に、ティアは思わず息を飲む。

代わりにそれに反応したのは、矛先を向けられたルークだった。

「で、出来損ないって・・・俺の事か!?」

戸惑いと怒りの混じった声を上げるルークだが、しかしそれは珍しいジェイドの怒声によって遮られた。

「・・・そうか、やはりお前たちか。あの技術を復活させたのは!」

「・・・フォミクリー」

リグレットの言葉に何かを理解したらしいジェイドとの様子に、ルークは戸惑いの表情を浮かべる。

一体、何がどうなっているのか説明して欲しかった。

けれどそれは、イオンの制止によってまたもや遮られる事になる。

「ジェイド、いけません!知らない方がいい事も世の中にはある」

「イオン様・・・。ご存知だったのですか?」

イオンの制止に、ジェイドは驚いたように彼を振り返った。

「な、なんだよ。俺を置いてけぼりにして話を進めるな!」

自分だけをのけ者にして、自分たちだけすべて理解したかのように進む会話に、ルークは溜まりかねて声を上げる。

いつもいつもそうだ。

屋敷の外に飛ばされてから今まで、自分だけをのけ者にして、邪魔者扱いをして。

そんな不満を募らせるルークを他所に、ジェイドは冷たい眼差しをリグレットへと向けた。

「誰の発案だ!ディストか!?」

「フォミクリーの事か?それを知ってどうなる?」

「答えろ!!」

さらりと問いを流すリグレットに、ジェイドは思わず声を張り上げた。

その常にはない様子にアニスが戸惑ったように2人を見つめるのも気付かずに・・・―――しかしリグレットに答えるつもりはないのか、口元に僅かに笑みさえ浮かべて悠然と言い放つ。

「采は投げられたのだ、死霊使い・ジェイド!!」

ティアへの説得は難しいと早々に諦めたのか、リグレットはそう言い残すと現れた時と同じようにさっと姿を消す。

それを認めたジェイドは、湧き上がるすべてを吐き出すように声を張り上げた。

「・・・っく。冗談ではない!!」

「ジェイド!」

今にも飛び出していきそうなジェイドに、思わず彼の名前を呼んだは、怒りに僅かに震えるジェイドの身体にギュッと抱きつく。

その衝撃にハッと我に返ったジェイドは、自分にしがみつくと・・・―――そうして驚いた様子で自分を見つめる面々を認めて、自身を落ち着かせるように深くため息を吐き出した。

「大佐・・・」

「失礼、取り乱しました。もう大丈夫です。―――も」

何と声を掛けて良いのか解らないという様子で自分を見つめるアニスへいつもの笑みを向け、今もまだしがみつくの頭を軽く叩いてやる。

するとは、普段からは考えられないほど不安そうな眼差しをジェイドへと向けた。

「ジェイド・・・」

「アクゼリュスへ急ぎましょう」

そんなへ、まるで大丈夫だとでもいうように軽く笑みを向けて、ジェイドは今もまだ戸惑った様子のガイやナタリアへそう声を掛けた。

色々と聞きたい事はあるものの、今はそんな雰囲気ではないと判断した2人は、素直にその促しに従い歩き出す。

そうして最後まで無視された事に、ルークは癇癪を起こしたように怒鳴り声を上げた。

「なんなんだよ、訳の解んねぇ事ばっかり話しやがって!待てよ、ふざけんな!どいつもこいつも俺を馬鹿にして!ないがしろにして!俺は親善大使なんだぞ!!」

そう怒鳴り声を上げるも、先を行く者たちは振り返らない。

その事実に、ルークが更に声を上げようとしたその時だった。

「いい加減にしなさい。いつまでも子供みたいに」

振り返ったティアが、冷たい声色でそう言い放つ。

向けられる視線は、相変わらず冷たい。

それが馬鹿にされているように思えて、ルークは胸にたまった不満を爆発させた。

「先生は・・・先生はそんな風に俺をバカにしなかった!解らない事は教えてくれた!先生は俺にいつでも優しかった!」

そう、いつだって優しかった。

いつだって、ヴァンは自分の味方だった。

そんなルークの言葉に、しかしティアは突き放すように言い放つ。

「なら、あなたは兄がいなければ何も出来ないお人形さんなのね」

「なんだと?」

「もういいわ。ただ1つ忠告しておくけれど・・・あなた、少しは自分で物を考えないと今に取り返しのつかない事になるわよ」

それだけを言い捨てて、ティアもまた先を行くジェイドたちを追いかけるようにルークに背を向けて歩き出す。

「くっそー・・・」

そんなティアの背中を睨みつけたルークは、苛立ちを吐き出すように強く地面を踏みしめる。

ヴァンだけだ。

自分を解ってくれるのは、ヴァンだけしかいない。

そんな思いが、ルークの胸の中を占める。

早く、早くヴァンに会いたい。

ヴァンに会って、そうして彼の言う通りにすれば、自分はずっとヴァンと一緒にいられる。

「・・・・・・」

そんな思いを胸に、ルークはグッと前を睨みつけ足を踏み出す。

 

アクゼリュスは、もう目前にまで迫っていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

主人公の出番が・・・!(また言ってるし)

最後の方の、ジェイドとリグレットのやり取りが今回のメインです。(そこが?)

本当はそこでもうちょっと主人公を絡ませるつもりだったんですが、意外に主人公の動きが悪くて。

むしろアニスの方がフットワークが軽い気がします、私が書く場合。(笑)

作成日 2008.12.16

更新日 2010.3.14

 

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