「さて、いい感じに夜も更けて来ましたし・・・そろそろ行動に移りましょうか」

ジェイドのその言葉を合図に、泊まっていた宿を引き払い教会へと向かう。

夜明けまで3・4時間くらい・・・というこの時間帯では、街の中にあれほどいた巡礼者の姿も見られない。

幸運にも、月のない夜は闇夜を移動する彼らの姿を隠してくれた。

「それでは、。アニスが必死の思いで書いてくれた見取り図を、しっかりと頭に叩き込みましたね?」

作戦の最終確認に、は無言でコクリと頷く。

それを見て満足そうに微笑んだジェイドは、アニスが一日を丸々費やして作成した『教会内見取り図』に手を掛けて。

無駄に爽やかに、にっこりと微笑んだ。

 

の限り突き進め

〜後編〜

 

「・・・では」

「あー!!」

いっそ気持ち良いくらい、ジェイドは何の躊躇いも無くアニス作成教会内見取り図を一気に破り捨てた。

アニスの非難の声もサラリと無視して、ジェイドは当然だと言わんばかりに笑む。

「いくらイオン様の意思があったとしても、これからする事は立派な犯罪ですからねぇ。証拠はしっかりと隠滅しておかないと」

「それは・・・そうですけどぉ〜」

それでもジェイドにあっさりと何の躊躇いも無く破り捨てられた物は、アニスが今日一日をかけて作成した苦心の作品なのである。

確かに教会内見取り図を一日で全て書く事など出来なかった為、その紙に書かれてあったのはイオンの私室を中心としたごく一部だけだったけれど・・・―――それでも頑張った証の扱いの悪さに、アニスが文句の1つも言いたくなるのは当然の事だ。

その文句が受け入れられるか・・・は、また別の話だけれど。

「う〜・・・」

「さて、お次は・・・と」

案の定、恨みの篭ったアニスの視線もサラリと流して、ジェイドはへと向き直ると、やはりいつもの食えない笑みを浮かべたままキッパリと一言。

、脱いでください」

「はぁ!?」

その台詞に驚愕の声を上げたのは、言われた当人ではなくアニスだった。

「な、な、なに言い出すんですか、大佐!―――って、ちょっと待って、!!」

微かに頬を赤らめて抗議の声を上げかけたアニスは、しかしすぐさま行動を開始したを認めて慌てて止めに入る。

何の躊躇いも無く、まるで着替えをするかのように潔く軍服のコートを脱ぎだしたを何とか押さえ込んで、アニスは訴えるような眼差しでジェイドを見上げた。

「大佐。悪ふざけもいい加減にしてくださいよ」

「別にふざけているつもりなんてこれっぽっちもないんですけどねぇ」

アニスの言いたい事をしっかりと理解しているジェイドは、からかうようにわざとらしく肩を竦めて見せる。

「ま、神託の盾騎士団の騎士達に発見されずに事が済むのが一番なのですが・・・。万が一発見・目撃された場合、今のままの服装では正体を公表しているようなものでしょう?これしか手が無いとはいえ、見つかれば厄介な事になりかねません。マルクトの軍人がダアトに忍び込んだ・・・なんて、国際問題ですからねぇ」

「それはまぁ・・・確かに」

「とりあえずこの軍服のコートさえ脱いでいれば、忍び込んだのがマルクト軍人だと断言できる証拠はありません。証拠が無ければ・・・後はなんとでもなりますし」

サラリとそう言い切る所に、アニスはほんの少し恐怖を感じた。―――本当にジェイドならなんとでもしてしまいそうだと。

どちらにしても、コートの下にはアンダーを着ていますからご安心を・・・と付け足されて、アニスは漸く掴んでいたの身体から手を離した。

漸く何の障害も無くなったは、ジェイドに言われるままに軍服のコートを潔く脱ぎ捨てる。

そうして袖なしのアンダーと手袋・黒の短パン姿になったを見て、こういった事態になれていそうな雰囲気を感じ取り、この2人がいつも何をしているのかと疑問を抱くが、そこはこれ以上追及しない方が良いだろうと賢いアニスはそう判断した。

っていうか、何でミニスカートの下に短パンなんて履いてるのよ。

準備万端なその姿は、ジェイドの言う通り、一目でマルクト軍人だとは思われないだろう。

まさかこんな事態を予測していたのだろうかと疑いの視線をジェイドへと向けるが、勿論イオンが軟禁されているという話はローレライ教団でも機密事項である。―――それをマルクトの軍人が知れるわけはない・・・筈だ。

などという様々な葛藤を内心で繰り返しながら、しかしアニスは全てを吹っ切るように息を吐き出し、何食わぬ顔で教会を見詰めるジェイドとを見上げた。

「それで・・・どうやって教会内に侵入するつもりですか?私は何をすれば良いの?」

先ほどまで戸惑っていた少女の落ち着いた声に、ジェイドは微かに眉を上げる。

まだまだ幼い子供だと言うのに、なかなかどうして・・・肝が据わっている。

下手をすると、そこらの大人よりも賢いかもしれない少女を興味深げに見詰めて、ジェイドは本当に裏の無い笑みをその顔に浮かべた。

「出来ればこっそりとを中へ入れてあげて欲しいのです。こちらとしても、騒ぎにならないに越した事はありませんから」

「・・・こっそりと、ですか」

ジェイドの要求に、アニスはふと考え込む。

教会には様々な抜け道も多くある。

ただ比較的知られている場所には、やはり見張りはついている。―――となれば。

「解りました!このアニスちゃんにまっかせといてください!!」

にやり、と口角を上げて。

漸くいつもの調子を取り戻したアニスは、2人を見詰めて不敵な笑みを浮かべた。

 

 

「大変!大変ですぅ〜!!」

教会前の大扉の前で警備に付いていた2人の兵士は、少女の慌てた声に、引かれるように視線を向けた。

「どうしたんだ、お嬢ちゃん」

「こんな夜遅くに出歩くなんて・・・」

声を揃えてそう言いつつも、走り寄って来たその少女がローレライ教団の関係者だとその服装で察し、ほんの少しだけ発してた警戒心をすぐに収めた。

「もー、それどころじゃないんです!なんかあっちの方に、物凄く怪しい人たちが!」

「怪しい人たち?」

「そうなんです!なんか中を覗こうとしてたりして・・・もしかして忍び込もうとしてるんじゃ・・・」

「なんだって!?」

少女の切羽詰った声に兵士たちはそう驚きの声を上げ、いやにあっさりと少女に指示された通り、その場所へ向かい走り出す。

よくよく考えれば、何故少女が真夜中にこんな所にいるのか・・・とか、話が胡散臭すぎる・・・とか色々突っ込みどころは満載の筈なのだけれど。

疑う事を知らないのか、はたまた少女の演技力が高かったのか・・・―――どちらにしても警備兵としては褒められた行動ではないが、少女の主張する怪しい人物を捕える為に、警備兵たちは自分たちが警護すべき場所からいやにあっさりと立ち去った。

まるで仕込んであったのではないかという疑惑すら浮かび上がってきそうなその状況で、しかし生憎とそれを指摘する者はいない。

この状況は、少女たちにとっては願っても無いものだったので。

という出来事を経て。

「侵入成功〜、と」

会心の笑みを浮かべるアニスと、相変わらずの無表情のままのは、無事教会内への侵入に成功したのである。

ちなみにジェイドは、私のような老体にはスパイのような真似はちょっと・・・という本人の主張と退路の確保の為、協会外で待機・・・である。

そうして薄暗い教会内を見回すと共に柱の影に隠れたアニスは、今更ながらに最終確認とばかりに隣で同じく潜むへと声を掛けた。

「ほんとに・・・大丈夫なの?」

「大丈夫。私はジェイドにやると言った。だから、失敗しない」

キッパリと言い切られた言葉に、アニスは大きくため息を吐いて肩を落とす。

どういう理屈だと突っ込みたいが、こうなってしまってはそれを信じる他ない。

外見年齢から判断して、自分よりも大人だろうだが、しかし明らかにその仕草や口調や動作など幼く見えてしまうのは何故なのだろうか。

ともかくも、ここまで来て今更グダグダとしていても仕方が無い。

時間が経つに連れて危険性は増して行くのだ。―――ならば出来る限り早くイオンと合流し、そうして彼を無事に連れ出さなければ。

それで無くとも、トラブル体質であるイオンという不安要素が待ち構えているのだから。

「さ、それじゃ行くわよ、

「了解」

アニスの声に短く答えて、は己の記憶の中の図面と照らし合わせながら、アニスの先導でイオンの私室を目指す。

途中、特殊な仕掛けもあったが、導師守護役であるアニスのお陰で、何の滞りも無く先へ進む事が出来た。

そうして周りを警戒しながらも出会った少数の巡回兵をあっさりと昏倒させ、特別目立ったトラブルも無く進み続けること数十分・・・―――得意満面なアニスの笑顔と共に、は目的地へと辿り着いたのだと知った。

「ここがイオン様の私室だよ」

物陰に隠れながら、アニスは小声で隣で同じように潜むへと声を掛ける。

何故小声なのかというと、イオンの私室の前には教会の大扉と同じく警備兵の姿があるからだ。―――おそらくは本来のイオン警護と共に、イオンを監視する役目もあるのだろう。

イオンが部屋を出る際には、当然の事のように彼の後を付いて行くらしい。

外出を殊更止められる事はないそうなのだが・・・―――これが監禁ではなく軟禁と言葉を変えた理由なのだろう。

「でもこれからどうするの、?あいつらがいたんじゃ中に入れないよ」

「・・・アニスも中に入れないの?」

「こんな時間じゃ無理だよ。止められる前に怪しまれるって!」

の素朴な疑問に、アニスは呆れたようにため息を吐く。

当たり前だが、部下が上司を・・・と言うよりも前に、気楽に相手を訪ねるような時間ではない。―――アニスの言い分も最もだ。

けれどだからと言って、そうなんだ・・・と納得するわけにもいかない。

入れてもらえないならば、自分たちから入るだけだ。

そう判断したの行動は早かった。

元々即断即決、考えるよりも前に行動に移せタイプである。―――勿論何も考えていないわけではないが、答えが1つしかない場合では考え込む時間すら惜しい。

こんな所でもたもたとしていて気付かれれば、イオンを無事に連れ出すどころの話ではないのだから。

「ちょ、!?」

アニスの制止の声も既に遅かった。

一瞬で物陰から飛び出したは、警備兵が自分に気付いたと同時に相手を昏倒させていた。

拳で胴に一撃、そして振り返りざまに蹴りでこれまた相手の胴に一撃。

たったそれだけで、腕に覚えがあるはずの警備兵は抵抗する間も無く、次の瞬間には冷たい床に伏していた。

「・・・すごっ」

流れるような動作で体勢を整えるを物陰から見詰めて、アニスは思わず感嘆のため息を吐く。

動きに一切の無駄がなく、またその身軽な体型を生かしてか・・・動きが速い。

普段はボーっとしているように見えて、一見頼りなさそうな気もしたのだけれど。

さすがあのジェイドの腹心の部下である。―――抜かりなさそうな彼が躊躇いも無く押す人物なのだ・・・見かけ通りである筈がなかった。

「アニス、導師はこの中か?」

倒した警備兵をそのままに、がアニスを振り返る。

その呼び掛けに我に返ったアニスは、慌ててへと駆け寄り元気良く肯定の返事を返した。

「そうだよ。他の警備兵に見つかっちゃう前に、早く中に入ろう。イオン様も待ってる筈だから!」

扉の前に立つを追い抜いて、アニスは躊躇い無くイオンの私室に繋がる扉へと駆け込んだ。―――その後に続いて、も静かな廊下を足音無くアニスに続く。

「イオン様!お待たせしましたぁ〜!!」

「・・・アニス」

短い通路を経て漸く辿り着いた部屋の中に、その少年はいた。

年齢の割には酷く落ち着いた佇まいのその少年は、行儀良く椅子に座り、部屋に飛び込んで来たアニスを見て安心したような笑みを浮かべる。

この少年が導師イオンなのだろう・・・と、は開け放たれたままの扉を静かに閉めながらそう思った。

「ご苦労様でした、アニス。我が侭を言ってすみません」

「何言ってるんですか、イオン様!それよりも・・・」

申し訳なさそうに眉を下げるイオンににっこりと笑いかけて、アニスは静かに2人の遣り取りを眺めているへと振り返った。

その視線に引かれるように、イオンもまたへと視線を移す。

しかしの姿を認めたイオンの表情が、ほんの少しだけ訝しげに諌められた事に気付いて、アニスは不思議そうに首を傾げた。

「・・・イオン様?」

「え、ああ・・・すみません。あの・・・貴方はダアトには初めて?」

前半の台詞はアニスに・・・、そして後半の台詞はへと向けて。

困ったように首を傾げるイオンを見詰めて、もまた同じく困ったように首を傾げた。

「初めてじゃない・・・ありません。何年か前に、巡礼に来た事があります」

「そう・・・ですか。すみません。なんだかどちらかで見かけたような気がして」

そう言って苦笑を浮かべるイオンと無表情のままのを見比べて、アニスもまた困ったようにため息を吐き出した。

はマルクト軍でも有名な軍人さんみたいですし、顔写真かなんかで見かけた事があるんじゃないですか?」

イオンの交友関係は、お世辞にも広いとは言えない。

立場上ほいほいとダアトから出る事が出来ないイオンが、マルクト軍の軍人と顔見知りなどある筈が無い。―――それを考えれば、力のある軍人や貴族の情報をイオンがどこかで知ったという方がしっくりと来る。

それよりもなによりも、今はのんびりとしている場合ではないのだ。

それに思い至ったのか、イオンは苦笑いを浮かべて改めてに向き直った。

「初めまして。僕はイオンと言います。貴女が中佐ですね?」

にっこりと・・・―――こちらは彼女の上司と違って何の裏も無い優しげな笑みを浮かべ、イオンはローレライ教団最高指導者の立場にあるとは思えないほど丁寧に、一介の軍人でしかないへとおじきをする。

それに倣うようにもおじぎを返して、まっすぐにイオンを見つめ返し、彼女らしい簡潔な言葉で挨拶を返した。

で良い。初めまして、導師」

素っ気無いとも取れるその挨拶に、しかしイオンは気分を害した様子も無く、初めてほんの少し子供らしい笑みを向ける。

「では、僕の事もイオンと呼んで下さい。これからお世話になるのですから、気軽に接してくれると有り難いのですけど・・・」

「それは私も有り難い。堅苦しいのは・・・苦手だから」

イオンの言葉にホッとしたように体の力を抜くを見て、アニスは彼女と会って初めての人間らしさを見た気がした。―――勿論、見た目には全く表情の変化は無いのだけれど。

「それで・・・早速ですけれど、これからどうするのですか?」

戸惑ったようなイオンの声に、アニスは答えを求めるようにを見た。

教会内の警備がどれだけのものか、ここで暮らすアニスとイオンはよく知っている。

確かにこの場所の特殊性の為、教会内に踏み込んでくるような者はほとんどいないが、それでも警備の手が緩められる事はない。―――今はイオン軟禁の為に、更に厳しい警備がモースの手により施されている。

今はこうしてアニスの手引きのお陰で何とか発見される事なく侵入出来はしたが、脱出も同じように行くとは断言出来ない。

訓練を積んだやアニスだけならばともかく、そういった戦闘や隠密行動という方面とは全く縁の無い・・・―――しかも完璧なトラブル体質のイオンが一緒なのだから、不安が尽きる事は無いのだ。

「大丈夫。ちゃんと私がイオンを無事に外に連れて行くから」

「・・・って、もしも見つかって警備兵に囲まれちゃったら?」

「なんとかする」

「なんとか、ですか?」

どの質問に返って来る答えも曖昧で、生憎と2人の不安を拭い去る事は出来ない。

こういった場面において、口数が少なく・・・また口が立つとは言えないは適任とは言えないだろう。

しかし平然とした態度は、言葉以上に説得力があったのも事実。

そして口にした事を実現するだけの力を、彼女はしっかりと身に付けている。

「とりあえず・・・出来るだけ被害は最小限に押さえるよう、努力はするから」

だから心配しなくても大丈夫、と付け加えられた言葉に、アニスとイオンは無言で顔を見合わせた。

別の意味で不安が煽られたような気がしないでもないが・・・。

確かには好戦的なタイプではないし、あちこちにほいほいと譜術を放つような事はしないだろう。―――けれど今回短い時間を共にしただけでも解る事も幾つかある。

基本的に、は目的の為ならば手段を選ばないところがあるのだろう。

勿論道徳に反する事はしないだろうが・・・。

「・・・ああ、もう!解ったわよ!!」

「なにが?」

突然頭を押さえ声を上げたアニスを無表情で見詰めて、はその行動と言葉の意味が解らず小さく首を傾げる。

しかしアニスはその問いに答えるつもりは無いのか、真っ直ぐにを見詰めて、念を押すように一言一言力を込めて言った。

「頼りにしてるからね」

ここまで来て、アニスにの実力を疑う気はない。―――それは先ほどの警備兵との遣り取りを見て十分に理解している。

「うん、任せて」

アニスから向けられた激励の言葉に気負うでもなく、はコクリと頷いた。

「じゃあ、きっと大佐も首を長くして待ってるだろうし、さっさと教会を脱出しちゃおう!イオン様、転ばないでくださいね!」

「・・・転びませんよ、アニス」

確実に主導権を握ったアニスに先導され、3人はそれぞれ顔を見合わせ合い、教会脱出の為に今来た道を逆に辿る。

しかし、異変はすぐに起こった。

イオンの私室を出て教会の大扉のある1階へと渡る譜陣へと向かっていたアニスは、すぐにが付いて来ていない事に気付いて足を止める。―――振り返ると、はイオンの私室へと繋がる扉に前に立ち、考え込むようにじっと床を睨みつけていた。

!もう、なにしてるの!?」

なるべく声が響かないように小声でそう声を掛けるも、は動き出す様子も顔を上げる事さえもしない。

まるでアニスの声など聞こえていないかのように、微動だにせずにその場に立ち尽くしている。―――浮かぶ表情には全く変化が無く、今彼女が何を思っているのかを推し量る事は難しい。

それに慌てたのはアニスの方だった。

こんな所で呑気に立っていて、もしも警備兵に見つかったらどうするつもりなのか。

不思議そうな顔をしてを見ているイオンをそのままに、アニスはもう一度小声での名を呼んだ。

そこで漸くアニスの声が届いたのか、それとも考え事が終わったのか、はゆっくりと顔を上げ、眉間に皺を寄せて自分を見るアニスへと視線を向けた。

「・・・アニス」

「もう、!何してるの!?早く行こうよ!こんなとこにいたら・・・」

焦れたようにバタバタと手を振り力説するアニスを見やり、はその言葉が終わる前に動き出す。―――譜陣へと目をやり、そうしてゆっくりと辺りを見回してからもう一度アニスに視線を戻し、微かに目を伏せた。

「ごめん、アニス。大丈夫・・・行こう」

短い謝罪と先を促す言葉を向けて、は譜陣へと足を踏み入れ、そうしてそこでアニスとイオンが来るのを静かに待つ。

「あの、。本当に大丈夫なんですか?どこか具合が悪いんじゃ・・・」

先ほどのの変化を、具合が悪いのではないかと判断したらしい。―――心配そうに顔を覗き込むイオンを見返し、はユルユルと首を振った。

「大丈夫、具合は悪くない。ただ・・・」

「ただ?」

鸚鵡返しに問われ、はもう一度首を横に振った。

言うつもりは無いらしい。

それに更に困ったような表情を浮かべるイオンに、しかしアニスは脱出が最優先だと強引にイオンの手を引き譜陣へと身を滑り込ませる。

「とにかく!考え事も心配も、とりあえず脱出してから!」

「・・・解ってる」

念を押すアニスの言葉に1つ頷いて、は移動するべく譜陣を発動させる。

微かに光を放つ譜陣の中からイオンの私室に続く扉を見やり、が微かにため息を吐いた事を、アニスとイオンが気付く事も無く。

 

 

「アニス!」

譜陣から放たれる光に包まれて。

微かな浮遊感の後、地面に足が付いた感覚と共に、鋭い叫び声と突然の衝撃にアニスは地面に転がった。

何の前触れも無く襲った衝撃に体勢を整える間も勿論なく、アニスは強かに堅い床に身体を打ちつけ、鈍い痛みに表情を歪める。

「もー、!一体なん・・・」

アニスには自分を呼んだのも、突き飛ばしたのも誰なのかが解っていた。―――反射的に文句を言おうと顔を上げたアニスは、しかし目の前に広がる光景に思わず言葉を飲み込む。

先ほどまで立っていた場所に突き刺さる、鋭い大きな鎌。

そして・・・。

「ちっ!かわしたか。ずいぶんとすばしっこい事で・・・」

自分たちから少しだけ距離を取った場所に立つ、大柄な1人の男の姿。

その男をアニスは知っていた。

神託の盾騎士団・六神将が1人、黒獅子ラルゴ。

「・・・なんで?」

どうして彼がここにいるのだろうという疑問を乗せて漏れた言葉は、しっかりとラルゴに届いていたらしい。―――ラルゴはチラリとアニスを見やり、僅かに口角を上げた。

「あちこちで意識のない警備兵を見つけたもんでな。何があったのかと思ってみれば、導師イオンの部屋に賊が侵入したというじゃないか」

だから俺が成敗に来たんだよとからかうように笑うラルゴを前に、アニスの表情にも漸く冷静さが戻って来る。

上手く隠していたつもりだったけれど、やはり大の大人を完璧に隠し切る事は出来なかったらしい。―――まさかこんなにも早く気付かれるとは、思っていなかったけれど。

そしてまさか、六神将に直々に見つかってしまうとも思っていなかった。

あまりの不運さに眩暈すら感じながら、アニスはゆっくりと身を起こし、アニスを突き飛ばすと同時にイオンを抱えて攻撃を避けたの元へとにじり寄る。

、どうしよう」

小声でそう話し掛け、アニスは困ったようにを見上げた。

アニスとて導師守護役として、自身の実力にそれなりには自信がある。―――しかしそれはあくまで一般のレベルであり、まさか六神将を相手にする自信があるわけではなかった。

しかしこの最悪の状況にも、には全く動じた様子は無い。

常と変わらない無表情のままラルゴを見据え、これまた常と変わらない抑揚のない声で、なんでもないかのようにサラリと告げる。

「大丈夫、何とかする」と。

何故はこの状況にも動じる事が無いのだろうと、アニスは訝しげにを見上げるが、にしてみれば殊更驚くべき事ではなかった。

なぜならば、は既に自分たちの侵入がバレているだろう事を察していたからだ。

イオンの私室前で昏倒させた警備兵の姿が、部屋を出る時には既にそこになかった事が理由の一番の要因だった。―――誰かに発見されて連れて行かれたにしろ、自分たちで意識を取り戻したにしろ、とアニスの侵入が伝わっている事は間違いない。

寧ろ部屋を出た時点で囲まれていなかった事は、不幸中の幸いだった。

それを思うと、おそらくは警備兵たちは自分で意識を取り戻し、そうして自分たちの手ではどうにもならない事を察して、ちょうど侵入者の存在に気付いたラルゴへと助けを求めたのだろう。

「ほお、ずいぶんと大きく出たもんだなぁ。この状況で『何とかする』とは・・・」

不敵に笑い武器を構えなおすラルゴを見据えて、はイオンとアニスを庇うように2・3歩踏み出し身構えた。

腰に装備した小型の箱のようなものへと手を伸ばし、そこから少しだけ出ている先端を掴み腰を落とす。

そんな少女を見やり、ラルゴは武器を掴む手に力を込めて駆け出した。

「どこの誰かは知らんが、お前にはここで消えてもらう!」

「待って下さい、ラルゴ!」

後ろでイオンの制止の声が掛かるのを耳にしつつ、は振り下ろされる鎌を飛んで避けると同時に、己の武器であるチェーンを放っていた。

そのチェーンはまるで生きているかのように正確にラルゴの腕へと巻きつき、その動きを拘束する。―――そうしてラルゴが一瞬動きを止めたその時を見計らって、は譜術の詠唱に入った。

動乱せし地霊の宴―――ロックブレイク

「ぬぅ!!」

素早すぎる詠唱と術の発動。

ラルゴには抵抗する間もなかった。

今までたくさんの譜術士を見て来たが、これほど術の発動が早かった譜術士は他にない。

これがの武器であり、また強みでもある。

術の発動と共に裂けた床から飛び出す数多の鋭い岩に体勢を崩し、その身に襲い掛かる攻撃にラルゴは短い呻き声を上げた。

その一瞬の隙をが見逃す筈も無く、すぐさま次の詠唱へ入る。

唸れ烈風、大気の刃よ、切り刻め

紡がれる呪の言葉に、ラルゴは次に来る攻撃に身構えた。

ターピュランス」

発動と共に襲い掛かる強烈な風の中、しかし神託の盾騎士団の六神将と呼ばれる男がそのまま素直にやられている訳が無かった。

身体を刻む風を浴びながらも、ラルゴは唯一との繋がりである、自分の腕に絡みついた彼女自身の武器に手を掛け、渾身の力でそれを引き寄せる。

「うおぉ!!」

「・・・っ!」

華奢な身体つきのが立派な肉体を持つラルゴの力に敵う筈も無く、咄嗟に踏ん張った身体は一瞬にして投げ出されるかのように宙へと舞った。

!!」

繰り広げられる戦いに割り込む事も出来ず、アニスは投げ出されるを目に悲痛な声で彼女の名を呼ぶ。

「この程度か!!」

唸るように声を上げ、体勢を崩しながらも何とか床に叩きつけられる事無く受身を取ったへ、ラルゴが鎌を薙いだ。

その攻撃を予測していたは、武器の先端の飾りを剣の形へと変化させ、何とかその一撃を食い止めるが、あまりにも力の差は歴然としており、受け止めきれずに再び滑るように床を転がる。

の戦闘パターンとしては、後方で譜術を唱えるか、接近戦の場合はチェーンで相手の動きを翻弄・拘束し、体術で相手を倒すかである。

多少の体格の差ならば実力で埋める事が出来るが、相手はラルゴである。―――圧倒的過ぎる体格差の前に、接近戦ではあまりにも不利すぎた。

見事に吹っ飛ばされたは、それでもすぐに身を起こして。

しかし時既に遅く、顔を上げたの前には武器を振り上げたラルゴが立ち塞がっていた。

「これで終わりだ!!」

獅子の咆哮と共に振り下ろされる巨大な鎌。

が立ち塞がるラルゴを見上げ、声にならない声を漏らす。

まるでスローモーションのようなそれを呆然と見詰めながら、アニスは大きく目を見開き悲痛な声を上げた。

!!」

 

 

弾ける稲妻と耳を貫くような轟音に、アニスとイオンは反射的に目をつぶった。

そしてすぐ後に訪れる静寂。

「・・・

アニスは目を閉じたまま、崩れるように床に座り込んだ。

目を閉じる瞬間に焼きついた光景が、今の彼女から全ての気力を奪い取っている。

なんとかするって、言ったのに。

心の中で力無くそう漏らして、震える手を強く握り締めた。

どうして自分は何も出来なかったのだろう。―――戦う力は、自分にもあった筈なのに。

それでも圧倒的な戦いを前に、アニスは飛び込んでいく事ができなかった。

自分が介入する事での邪魔をしてしまうかもしれないという思いもあったし、高い実力を持つに任せておけば大丈夫なのだという思いもあったのかもしれない。

そうして自分は、の危機にさえ、見ているだけで。

ジワリ、とアニスの目尻に熱いものが滲んだ。

出逢ってまだ2日足らずだけれど、まるでずっと一緒にいたかのように自然な存在だった。―――言葉には出さないけれど、アニスはの事が好きだった。

それなのに、こんなところで・・・。

溢れてくる悔しさを胸に、アニスが更に拳を握り締めたその時。

「アニス!アニス、見てください!!」

自分の身体を揺さぶるイオンの声に釣られるように、アニスは閉じていた目を開けた。

「・・・え?」

僅かに滲む視界の向こうには、本日二度目の信じられない光景が広がっていた。

「アニス!が・・・」

既に目を開けて状況を確認していたイオンが、強張っていた表情を緩めてアニスに微笑みかけた。

床の所々に空いた大きな穴と、それによって巻き上げられた土煙が舞うその中で。

床に崩れ落ち微かに身を捻るラルゴと、膝を付いた状態から立ち上がり剣を元の飾りの状態へと戻して収めるの姿が浮かび上がっていた。

「ど・・・して?」

何が起こったのか解らず、アニスは呆然と呟きを漏らす。

あの状況を経て、誰が目の前の現状を想像出来るだろう?―――確かにあの時、絶体絶命のピンチにあったのはの方だったというのに。

しかしはそんなアニスをそのままに、チラリと床に伏すラルゴに目をやる。

そうしてしばらくは動けない事を確認した後、今度は立ち尽くすアニスとイオンへと視線を移し、まるで何事もなかったかのように口を開いた。

「アニス、イオン、急ごう。もしかすると他の兵士が来るかもしれない」

ラルゴとの戦闘は、お世辞にも穏便なものとは言えなかった。

仕方が無かったとはいえ派手な譜術を使い、言葉通り出来るだけ被害は最小限に押さえたつもりではあるが、今彼女らが立つホールが受けた被害は決して軽いとも言えない。

この騒ぎを聞きつけて兵士が集まってくれば、厄介な事になるのは目に見えていた。

「あ、うん。でもラルゴは・・・」

「心配ない。怪我は大した事ないから。―――しばらくは痺れて動けないだろうけど」

痺れて?と疑問を口に仕掛けたが、説明なら後で聞けば良いと思い直して、アニスは隣に立つイオンの手を握ると前方で2人を待つの後に続いて走り出す。

「イオン様!もうちょっと頑張ってくださいね!!」

「はい!」

「くっ!・・・待てっ!!」

追いかけて来るようなラルゴの悔しさが滲んだ声に背中を向けて、アニスは振り返る事無くイオンの手を握ったまま全力で走る。

自分の前を駆ける、華奢で頼もしい背中を見詰めながら。

 

 

「お帰りなさい、2人とも。どうもお疲れ様でした」

教会を無事脱出した3人を待っていたのは、実に場違いなほど爽やかな笑顔だった。

「やー、それにしてもずいぶんと派手に暴れたようですねぇ。ここまで騒ぎが聞こえていましたよ」

まるで他人事のようにのたまうジェイドを恨めしげに見上げて・・・―――しかし心身ともに疲れ果てていたアニスに反論する気力があろう筈もなかった。

ともかくも、何時までもダアトにいたのでは危険だという判断の元、4人はすぐさまダアトを出、そうして一心地つけたのは人気のない森の中・・・―――太陽が昇り、辺りが白く照らされ始めた頃だった。

そこで改めてジェイドとイオンは対面を果たし、簡単な事情の説明とこれからの事を話し終えた後、思いついたようにジェイドがへと向き直る。

「それよりもずいぶんと派手にやらかしたようですが、一体何があったんですか?」

ジェイドのその疑問も、最もな事だった。

出来るだけ目立たないように・・・とジェイドはへ言ったのだ。―――ならばはその言葉に従い、極力目立たないよう穏便に事を進めるだろう。

勿論ローレライ教団総本山であるダアト教会に無断で踏み込んで、何事も無かったとは思わないが、それでもアニスのあの疲れようとの身体にある無数の傷に、流石のジェイドも気にならない筈はない。

の負った傷の大半は打撲や擦り傷などでそれほど深いものではないが、彼女の実力を知っている分意外性はある。―――彼女にこれだけ傷を負わせられるだろう人物は、彼の知る限りそう多くは無い。

「えっと・・・なんか、大きな人に会った」

「大きな人、ですか?」

「うん、そう。大きな人。大きな鎌を持ってた。・・・結構、強かった」

いつもの事ながら、の言葉は簡潔すぎて・・・―――そして客観的過ぎて理解が難しい。

その言葉の補足を求めるようにジェイドがアニスへと視線をやれば、アニスは疲れ果てたように大きなため息を吐いてやれやれと肩を竦めて見せた。

「六神将ですよ。六神将の黒獅子ラルゴってやつが、私たちの侵入に気付いて襲って来たんです」

「・・・ふむ、なるほど」

相手が六神将だというならば、のこの状態もあの騒ぎも納得がいく。

寧ろこの程度で済んだのはラッキーなのかもしれない。―――ラルゴが1人でなければ、庇護者を抱えたにとって不利な状況だっただろうから。

「それよりも!さっきの・・・あの時、一体何があったの!?」

「・・・あの時?」

「ラルゴにやられそうになってた時!私もう駄目かと思ったんだから!!」

ジェイドの質問に先ほどの事を思い出したのか、アニスが掴みかからんばかりの勢いでへそう問い掛けた。

その問いにしばらく首を傾げていただが、漸くその事に思い当たったのかポンと手を打ち、険しい表情を浮かべるアニスを真っ直ぐ見詰め返す。

「あの時・・・」

あの時、確かに傍目から見れば、は絶対絶命のピンチに陥っていただろう。

そうでなくてもあの状況なのだから、とて全く全然楽勝だったとは言わない。

それでもあの状況は、にとっては想定内の範疇だった。

まずは、どうやってあの状況を切り抜けるか・・・を考えた。

長々と戦っているわけには行かない。―――出来る限り短時間で、出来る限り危険なくあの場を切り抜ける事が必要だった。

そうしてが思いついたのは、ある譜術を使って相手の動きを拘束する事。

エナジーブラストという初級の譜術を、風のFOFで変化させたスパークウェブという譜術ならば、それが出来るかもしれない。

強い電撃を受ければ、いくら強靭な肉体を持っていても、しばらくは麻痺して動けないだろうと踏んだのだ。

だから最初に目眩ましの譜術を放った後、風属性の譜術を放ち。

その後気付かれないよう風属性の技を使い、狙いどおり風のFOFフィールドを作る事に成功した。

その後ラルゴの思わぬ反撃を食らってしまったのは痛かったが、相手の攻撃を受けるその時、吹き飛ばされるのを装って自らFOFフィールドに踏み込んだのだ。―――勿論攻撃を受け止めきれずに吹き飛ばされたのも事実だが。

そうして追って来たラルゴが鎌を振り上げたその時、気付かれないほど小さな声で譜術を唱え、そうして勝利を確信し注意力が散漫になり避け切れなかったラルゴを撃破したのだ。

他の譜術士と比べ、比較的譜術の発動が早いだからこそ出来た作戦。

いくら初級の譜術とはいえ、ほど譜術の発動が早くなければ逆にやられていたのはこちらだっただろう。

もっと強力な譜術を使う事が出来れば、あれほど苦戦を強いられる事も無かったかもしれないが、建物の中という限られた空間で、出来る限り被害を広げないようにするには、初級・・・もしくは中級譜術の使用が精一杯だった。

全ての説明を聞き終えたアニスは、まるで未知の生物を見るかのようにを見詰め、そうして諦めたようにため息を吐く。

もしかすると自分の命が失われてしまっていたかもしれないあの状況で、よくそこまで淡々と作戦を練れたものだと、いっそ感心するほどだ。―――これが軍人と言うものなのだろうかと、同じ軍人であるアニスは他人事のようにそう思う。

「ともかく、はしっかりと傷を治しておいてくださいね。イオン様、もう少し歩いていただく事になりますが宜しいでしょうか?」

「はい、勿論です」

「それはありがたい。では・・・」

ジェイドは改めて、アニス、イオンを見やり・・・そうしてにっこりと微笑んだ。

「次の目的地はエンゲーブです。そこでピオニー陛下から和平協定の親書を受け取ります」

「はい、頑張ります」

「は〜い!まっかせてくださ〜い!!」

「了解」

それぞれの個性溢れた返事が響く中、4人はタルタロスが待つケセドニアに向かうべく、ダアト港へと向けて出発した。

こうして4人の、長い旅が漸く始まりを告げたのである。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

さて、主人公をどんな人物にしようか・・・と考えつつ作成し、漸く形のようなものが出来上がりつつある第2話。(そして異様に長い後編)

展開がありえない方向へと向かっていますが、まぁそれも今更ですか。

ラルゴがとてつもなく酷い扱いを受けていますが・・・(ラルゴファンの方ごめんなさい)

そして毎回毎回思うのですが、こんな主人公で良いのでしょうか?

というよりも、無口すぎてほとんど会話に入っていないのですが。(致命的)

意外にもアニスが動かしやすい事が判明。

作成日 2006.2.2

更新日 2007.9.13

 

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