自分以外は誰もいない己の執務室で1人、ジェイドは綺麗に片付けられた机の上に置かれた書類を、険しい表情で見詰めていた。

それは他でもない自分が提案した、の他師団への移動に関するもの。

静寂に支配された室内で落とした己のため息が妙に耳につき、それが不快でもう一度ため息を零すと静かに眼鏡を押し上げた。

彼にも思うところがあった。―――何も理由なく、を移動させようと思ったわけではない。

その理由を本人に話すつもりはサラサラないが、その方がの為だろうと思っての事だ。

彼女が何の戸惑いも抱かないようにと、移動先はの元へと決めてある。

の元には彼女と仲の良いフリングスもいる事だし、何も心配する事はないはずだというのに・・・。

そういえば・・・と、ふとがまだ戻ってきていない事に気付いて、ジェイドは無意識に扉へと視線を向ける。

ピオニーの所へ行ってから、かなりの時間が経っていた。―――それでも戻って来ないという事は、もう自宅へ戻ったのかもしれない。

に限って何も言わずに帰るなどない事は解っている筈なのに。

それでも、もしかすると今日の彼にも少なからず心乱される事があったのかもしれない。

突然の移動話に動揺し、その為に帰宅の報告がなかったのだろうとジェイドはそう簡単に結論付けて、再びの移動に関する書類に視線を落とした。

 

不可視の

 

早朝。

まだ人が訪ねて来るには早すぎるその時間に、人の訪れを告げるノックの音は響いた。

起きて間もなく、気だるそうに身支度を整えたばかりであったピオニーは、訝しげにドアを見やる。

メイドが朝食の時間を告げに来るにはまだ早い。―――また現在の状況から見て、何か火急の知らせがあるとも思えなかった。

「・・・誰だ、こんな朝っぱらから」

「私です。少し宜しいですか?」

そのつもりはなかったのだけれど・・・ほんの少し寝起きの不機嫌さの混じった声で問い掛けると、寝ぼけ声とは縁がないようなしっかりとした親友の声が返り、ピオニーはますます眉を寄せる。

未だかつて、彼がこんな非常識な時間に自分を訪ねて来た事など一度もない。

一体何事だろうと考えつつ、ピオニーは入室を許可する旨を伝える。―――すると失礼しますと礼儀正しい返事の後、いつもよりも少しだけ厳しい表情をしたジェイドがピオニーの私室へと入室した。

「なんだよ、こんな時間に。お前にしては珍しいな・・・なんかあったのか?」

「朝早く申し訳ありません。失礼だとは思ったのですが、どうしてもお聞きしたい事がありまして・・・」

そう前置きをしてから、ジェイドはピオニーの前へと歩み寄り、眉間に皺を寄せたそのままで口を開いた。

「・・・がこちらにお邪魔していませんか?」

「・・・は?」

しかし彼の口から出た言葉に、ピオニーは思わず間の抜けた声を上げる。

言われた言葉が解らなかったわけでは勿論ないが、その意味が解らなかった。

常識的に考えて、この時間にが自分の部屋にいる筈がない。―――居たら居たで問題だろうが。

勿論今までがこんな朝早くにピオニーの部屋を訪れた事など一度もない。

けれど向けられる今までにないジェイドの真剣な眼差しに、ピオニーも瞬時に表情を真剣なそれに変えて。

何かあったのだ、とそう思った。

「・・・いや、ここには居ないが」

「・・・そうですか」

ピオニーの返答にため息混じりに呟いたジェイドは、厳しい表情のまま窓の外へと視線を向ける。

「何かあったのか?」

再び掛けられた問いに、更に深く眉間に皺を刻んで。

「・・・彼女の姿がどこにも見えないのですよ」

ジェイドは再びため息を吐き出しながら、眼鏡を押し上げた。

 

 

太陽が僅かに顔を覗かせた頃になって、ジェイドは漸く不審を抱いた。

軍基地本部の朝は早い。

勿論軍事の拠点なので絶えず本部には必要最低限の軍人たちが待機しているが、やはり夜ともなれば昼間の騒がしさが嘘のように沈黙する。

それでも太陽が昇れば人々の生活の息吹が目覚め、それなりに賑わいを見せるのだけれど。

昨夜は仕事で帰りが遅くなった事と、そしてほんの少しと顔を合わせることを気まずく思った結果、自分の執務室で夜を明かしたジェイドは、がいつもの時間になっても姿を現さない事に気付く。

彼女に限って寝坊はありえないだろう。―――今までにそのような事は一度もないのだから。

他師団の移動にしても、まだ正式な手続きを済ませてはいないのだから、が出勤してくるべきなのはジェイドの執務室だ。

だというのに、は一向に姿を現さない。

この時になって漸く、ジェイドは昨日の話し合いの後から全くの姿を見ていない事の重大さに気付いたのだ。

すぐさま軍基地本部を出て自分との住むアパートへと戻るが、そこに目的の少女の姿はない。

帰って来た形跡も、残念ながら見当たらなかった。―――その足で今度はカーティス家へと向かうが、そこでも彼の望む答えは得られない。

暮らす家にも、実家にも戻っていない。

こんな事は初めてだった。―――全くの行方が解らない事など、今までに一度だって在りはしなかった。

ともかくもがこの二つ以外に他に行く場所が思い当たらなかったジェイドは、素早く思考を回転させながら軍基地本部へと戻る道を辿る。

宮殿前の広場まで来たジェイドは足を止め、すっかりと明けてしまった空を見上げ、深く眉間に皺を刻んだ。

 

 

「・・・んで、俺のとこに来たってわけか」

「他にが進んで訪れる場所など、思いつきませんから」

ともかくも落ち着く為にとソファーに腰を下ろし、突然尋ねてきたジェイドから粗方の事情を聞き終えたピオニーは、自分の膝に肘を突いて困ったように息を漏らす。

まぁ・・・確かにジェイドの予測は、ある意味正しかったのだが。

そんな事を考えながら、ピオニーは躊躇うように視線を泳がせそのまま何もない宙を見上げた。

もしも・・・もしもがジェイドの言う通り、本当に行方不明なのだとしたら。

勿論ジェイドが早とちりするという事も有り得なくはないが、可能性としてはそれほど高くはない。―――普段から冷静で物事を整然と考える彼は、おそらく混乱して暴走するなどという事はないだろうから。

こうして見ていてもジェイドは冷静そのものに見えるし、多少険しい表情はしているが暴走しているようにも見えない。

だとするならば、おそらくはの最後の消息を知っているのは自分だろうと、昨夜自分の私室に姿を見せたを思い出しため息を零す。

まさかこんな事態になるとは思っていなかった。―――確かに様子が可笑しかった事は認めるが、まさか行方を眩ませるとは。

今更ながらに、あの時ジェイドにの存在を知らせていなかった事を後悔した。

けれどあの時のの落ち込みようは、今までの彼女からは考えられないほど。

その原因はある筈だし、またその原因がジェイドと繋がっているだろう事もピオニーには聞かずとも解っていた。

問題は、その原因が何か・・・なのだけれど。

「確かにお前の推測通り、は俺のところに来た」

「いつですか?」

「昨夜だ。―――そうだな。お前が来る少し前だったか・・・」

少しだけ考えた末、ピオニーは正直に昨夜の出来事をジェイドに話した。

隠していても良い事はないどころか、事態は悪化する一方だと踏んだのだ。

ピオニーの言葉を受けて、ジェイドはその整った眉を更に顰める。

「では何故あの時、が居る事を仰らなかったのですか」

「それは俺の方が聞きたいね。何でがお前の迎えに応じなかったのか」

冷たさを含んだ咎めの言葉に、更に冷たい響きの言葉が返って来る。

真っ直ぐに向けられるピオニーの眼差しは、彼がこの国を治める者足る強さが現れている。

との間に、一体何があった?

眼差しと共に向けられる無言の問いに、ジェイドは諦めたように体の力を抜きため息を吐き出した。

彼の元に訪れた以上、無言を通す事など不可能だという事は解っている。

それでもここに来る以外に、ジェイドにはの行方に心当たりがなかったのだ。

そうして、の行方の手がかりを掴む為には、話す他ないという事も。

「昨日、に言ったんですよ。他師団へ移ってはどうか・・・とね」

「・・・はあ!?」

白旗を上げ、おそらくは原因だと思われる出来事を簡潔にピオニーへ話すと、案の定彼は呆気に取られたとでも言わんばかりの表情で声を上げる。

「お前・・・なんでそんな事・・・」

「言わなくとも、貴方ならお解りになるでしょう?」

軽く眼鏡を押し上げチラリと様子を窺うと、ピオニーは途端に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて。

がいかに何事もなかったかのように装っていても、彼女が貴族の娘たちから謂れのない扱いを受けている事など、ジェイドにはお見通しだった。

それはジェイドだけではない。―――ピオニーも、そしても知っていた。

それでも彼らが何もしなかったのは、がそれを望んでいなかったからだ。

原因はおそらくピオニーの婚約者を決める為に開かれた、あのパーティ。

貴族の娘たちの気持ちも解らないでもない。―――見初められる為に万全の準備を整え出掛けた先で、今までまったく警戒していなかった相手が、これ以上ないほど強力な壁として立ち塞がっていたのだから。

だからといって非難を浴びせて良いわけではないが・・・。

ともかくも初めは状況を見守ろうと、口には出さないがそう意思を通わせた3人だが、しかし次第にエスカレートする事態にそれぞれ頭を悩ませていた。

への風当たりは、酷くなる一方。

こうなれば何らかの手を打つしかないと考えたジェイドは、の他師団への移動を打診したのだ。

それでもやはり自分の右腕ともいえる少女が抜けるのは、第三師団としても痛い。

他に何か良い手はないかと考えていた矢先、が頬を腫れさせて現れた事によりジェイドはその決意を固め、そしてそれをに伝えたのだ。

全ての事情を話し終えたジェイドは、無言でテーブルを見詰めるピオニーに視線を向ける。

彼が今何を考えているのかは、ジェイドには解らない。

それでもジッと彼の返答を待っているのは、決して口に出す気はないが、彼を信頼しての事だろう。

「・・・ジェイド」

どれほどの時間が経ったのか・・・―――静まり返っていた室内に、ピオニーの静かな声が響く。

それに窓の外を睨みつけるように眺めていたジェイドは視線をピオニーへと戻し、なんですかと返事を返した。

「それは・・・本当にの為なのか?」

ピオニーへと視線を戻した途端、突き刺さる彼の鋭い眼差し。

それはどこまでも強く・・・まるで己の心の中まで見通してしまいそうなそれに、ジェイドは知らず内に眉間に皺を刻む。

「・・・どういう意味ですか?」

「言葉のまんま、その通りだ。―――言わなくとも、お前なら解っているだろう?」

先ほどの自分の言葉をそのまま返され、ジェイドは不愉快げに眼鏡を押し上げる。

再び沈黙が室内に落ち、緊迫した空気が漂う。

それを打ち破ったのは、その空気をもたらしたピオニー本人だった。

「ま、どっちでも良いけどよ。それよりも、これで原因は判明したわけだ」

軽く肩を竦めて明るい声色でそう呟いたピオニーは、じゃあ問題は片付いたも同然だなと気楽な口調でそう言う。

何が片付いたのかと視線を戻すジェイドに、彼は彼らしい不敵な笑みを口端の乗せて。

の移動は必要ない。ちゃ〜んと俺が対処法を考えてある」

「・・・陛下が、ですか?」

「ああ、そうだ。今回の事は元はと言えば俺が原因だからな。解決法もちゃんと用意してある」

疑わしげに問うジェイドに、気にした様子もなく答えるピオニー。

彼の人柄を嫌というほどよく知っているジェイドとしては、俄かには信じがたい事ではあるけれど。

それでも彼がを大切にしている事は知っているので、敢えて突っ込みはしなかったが。

「・・・で、その解決法とは?」

「ん?・・・ああ。があいつらに目の敵にされるのは、が俺たちに近い存在だからだ。例えば俺やお前、の隣に最も近いと思われているからだろう?」

「・・・まぁ、そうでしょうね」

「だったら、その思い込みを無くしちまえば良い。そうすりゃ、目の敵にする理由がないからな」

肝心なところを口にはせず、曖昧な言葉で話すピオニーに、ジェイドは訝しげに表情を歪めた。

「・・・ですから、それをどう」

の縁談話を持ってきた」

話の続きを促そうと口を開きかけたジェイドに、その声を遮ってピオニーはキッパリとした口調でそう言い切る。

ピオニーの口から飛び出た言葉に、ジェイドは呆気に取られたように目を見開いた。

「実はあのパーティで、に目を付けた奴が大勢いてな。まぁ、あんだけ綺麗になったんじゃ解らなくもないが・・・」

「・・・・・・」

「その中から家柄・人柄の良い奴を選別した。一応家の人間だから、それなりに釣り合いの取れる相手でないとも困るだろう。結果的に3人に絞ったんだが・・・後はの意思を尊重するべきだな」

「・・・陛下」

彼らしくなく呆然と自分を見詰めるジェイドを見返して、ピオニーは艶然と微笑む。

に特定の相手が現れれば、あいつらも要らぬ心配はしないだろう。―――これで、問題は解決だ」

そう誇らしげに言い切ったピオニーを、我に返ったジェイドが鋭く睨みつける。

その視線を受けて、ピオニーは更に楽しそうに笑みを深めた。

「貴方は何を考えているのですか。はまだ・・・」

ももう16歳だ。恋人の1人や2人いたとて、可笑しくはない年頃だろう?」

言い募るジェイドの言葉も遮って、クスクスと楽しげに笑みを零す。

全て解っているのだ、彼は。

解っていてやっている。―――解っていた事ながら、今更ながらにピオニーの性質の悪さにジェイドは気付かれないよう僅かに唇を噛み締めた。

「何を拘ってるのか解らんが・・・別にいいじゃねぇか。そろそろ認めちまえば」

「余計なお世話です」

「そんな事言ってる間に、取り返しのつかない事態になるんだぞ。・・・今みたいに」

それくらい言われずとも解っていた。

解ってはいたけれど・・・けれど認めるわけにもいかなかったのだ。

「大切な存在を作る事が怖いか?またそれを失ってしまうかもしれない事が・・・」

「・・・・・・」

「だがな。そうやってても何も始まらないだろう?否定し、拒絶し、欺いて。それじゃ誰も幸せにはなれんぞ」

全くの正論に、ジェイドは口を噤んだまま強く拳を握り締める。

一体何時からだろうと問えば、それはあのパーティからなのだと・・・きっとそう明確な答えが返って来るだろう。

初めて見た、女として存在するの姿。

それに少なからず動揺したのは、ジェイドとしても否定できない。

果たしてそれは意外な姿を見た故か、はたまた別の理由からなのか。

それでもジェイドは素直に綺麗だと思った。―――まるで別人のような・・・初めて見るの姿に、思わず息を呑んだ。

当然のようにの隣で笑っているピオニーに、微かな不快感を抱いたのも確かだ。

それは自分のものだと、心の奥底で醜い己の声を聞いた気がした。

あの時生まれた感情は、きつく心の奥に封じ込めた。―――けれど今もまだ自分の中にある事も確かで。

自分にとってはあまり歓迎できる感情ではなかったから、必死にそれに気付かぬふりをした。

の顔を見てしまえば思い出してしまう事も解っていたから、最近では彼女を避けるようになっていたかもしれない。―――思い返してみれば、最後に彼女の目を見て会話をしたのが何時なのかが思い出せない。

他師団への移動を告げた時、はどんな表情をしていたのだろう?

それさえも思い出せず、ジェイドは両肘を膝に突き、項垂れるように身体の力を抜いた。

思い出せないのも当然だった。―――何故ならば、自分はその時すらもを見てはいなかったのだから。

『何を拘ってるのか解らんが・・・別にいいじゃねぇか。そろそろ認めちまえば』

先ほどのピオニーの言葉が脳裏に甦る。

何に拘っているのか。

それはジェイドにすらも、明確なところは解らない。

ただ・・・恐れているのかもしれないと、ジェイドは思った。

自分にとって、唯一の者を作る事。

それはとても危険な事のように思えた。―――かつて己の過ちによって失ってしまった、あのネビリム先生のように。

再び失わないという保証はどこにもないのだ。

そして・・・もしも失ってしまったら?

そこまで考えた末、ジェイドは苦い笑みを零す。

全く自分らしくない、と。

来るかどうかも解らない未来を恐れ、保守的思考に陥るなど。

そして、それほどまでにが自分の中で大きな存在となっている事に気付いて。

ほんの気紛れで拾った少女。

記憶を失い、感情の起伏もほとんどなく、まるで人形のような少女。

出逢った時は、まさかこんなにも自分に近しい存在になるなど、思ってもいなかった。

1人の幼かった少女が、まさか自分にこんな感情を与えるとは。

「・・・陛下」

「なんだ?」

項垂れていたかと思うと笑みを零し、そして今度は厳しい表情で自分を見詰めるジェイドに、ピオニーはとうとう壊れたのだろうかとあらぬ心配を抱きつつも、平静を装いつつ返事を返す。

「昨夜、この部屋を出て行ったは、どこへ行くなど言ってはいませんでしたか?」

「・・・どこって」

漸く迎えに行く気になったのかとホッと安堵の息を漏らしながら、ピオニーは昨夜のとの会話を思い出す。―――確か、彼女は・・・。

「・・・帰るって言ってたけどな」

「帰る・・・ですか」

そう、は確かに『帰る』と言った。

「どこへ帰ると?」

「・・・・・・そこまでは聞いてねぇよ。帰るって言ったら普通、自分の家に帰るって言ってんだって思うだろ?」

ピオニーの言い分もあながち間違いではない。―――その『帰る』発言をした自身は、彼女の家にもカーティスの実家にも帰ってはいないけれど。

では、彼女は一体『どこへ』帰ったのか。

そう考えたジェイドは、次の瞬間全てを振り切るように不敵な笑みを浮かべた。

「そうですね。は帰ったのかもしれません。―――彼女が在るべき場所へと」

「在るべき場所?・・・それはつまり」

「記憶が戻ったのかもしれない、という事ですよ」

サラリと、まるでなんでもない事のようにそう言って、ジェイドは長く座っていたソファーから立ち上がると、座ったままのピオニーを見下ろして。

「記憶を取り戻した彼女が、在るべき場所へ帰った。それはそれで良い事だとは思いませんか?」

かつての冷たい表情で笑んだジェイドを見上げ、ピオニーはあからさまに顔を顰める。

「まだ、んな事言ってんのか?」

は去った。彼女は彼女自身の意思で旅立ったんです。ただそれだけでしょう?」

「ジェイド」

「私は去る者は追わない主義でね。最も、そんな時間も暇も余裕も私にはありませんから」

咎めるようなピオニーの言葉をサラリと流して、ジェイドは踵を返し颯爽と歩き出す。

そのまま部屋を出ようとするジェイドの背中を睨みつけて、ピオニーは彼らしくなく声を荒げてジェイドの名前を呼んだ。

その声に応じ、ドアに手を掛けたまま動きを止めたジェイドがゆっくりと振り返る。

「・・・なんですか?」

「お前に、一週間の謹慎を言い渡す」

「・・・は?」

の事で何かを言われるのだと身構えていたジェイドは、告げられた突拍子もない言葉に、その言葉を放ったピオニーを呆気に取られたように見詰める。

そんなジェイドなどお構いなしに、ピオニーは悠然と微笑むと足を組み替えて。

「部下の管理も満足に出来ないようじゃ、大切な仕事は任せられない。一週間謹慎して、じっくり頭を冷やして来い」

「・・・お言葉ですが、陛下。私が休む間の仕事はどうするおつもりですか?」

「俺がやってやるよ」

「お断りします」

「・・・失礼な奴だな。じゃ、にでもやらせるよ。これで文句はないだろう?」

これ以上の反論は許さないとばかりに笑む、マルクト帝国最高権力者であるピオニー9世陛下を前に、ジェイドの眉間には深い皺が寄っている。

「・・・私は彼女を探しになど行きませんよ」

「俺は謹慎って言ったんだ。お前がどこで何をしようが、俺の知った事じゃない」

普通、謹慎といえば自宅で大人しくしているものの筈なのだけれど・・・―――ピオニーの矛盾した言葉に更に眉を顰めつつ、ジェイドは小さくため息をついて解りましたと簡潔な返事を返し、そのままピオニーの私室を後にした。

親友の部屋を訪れる前よりももやもやとした感情を抱え、ジェイドは早足で宮殿を出る。

そうしてそのまま広場まで出ると、不意にその場で足を止めた。

空は青く澄み渡り、風は穏やかで心地良い。

絶好の気候に、広場で談笑する人々の姿もいつもよりも多い気がした。

眩しい太陽の光に目を細めたジェイドは、何気なくゆっくりと視線を巡らせる。

『・・・どうした、ジェイド?』

不意に自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、ジェイドは思わず振り返った。

勿論そこには誰もいない。―――耳に届くのも、大きな水の流れる音と、それに混じって聞こえる人々のざわめきだけ。

「全く・・・嫌になる」

呟きと共にため息を吐き出して、それを誤魔化す為に眼鏡を押し上げた。

例えば、区画と区画を繋ぐ石橋の手すりだとか。

広場を彩る花壇の前だとか。

ジェイドの執務室も、軍本部の会議室も、そしてグランコクマの街中でさえ。

どこもかしこも、まだの気配が残っている。

思えばとは9年も一緒にいたのだ。―――それはジェイドの人生の3分の1を占めるほどの時間。

まるで彼女が扱う武器の如く。

見えないそれに、いつの間にか囚われてしまっていたかのような錯覚を覚えた。

「カーティス大佐!」

物思いに耽っていたジェイドの耳に、男の声が飛び込んでくる。

ハッと我に返ったジェイドが大佐の顔を貼り付け振り返ると、そこには息を切らした1人の兵士がこちらへ向かって走ってくるのが見えた。

「カーティス大佐、こちらにいらしたのですね」

「・・・どうかしましたか?」

「はい。実は・・・街の花屋の娘が、カーティス大佐にこれをと」

そう言って差し出されたのは、宛先も掛かれていない真っ白な封筒。

花屋の娘とは一体誰だと思いつつ、ジェイドは呆れた様子で兵士を見やる。

「貴方は一体何を考えているのです?こんな手紙を預かってくるなど・・・」

この手の手紙を渡される事は、ジェイドにとっては珍しい事ではない。―――勿論毎回丁重にお断りしているが、こんな風に兵士に言付けて渡されたのは初めてだ。

しかし兵士は慌てたように首を振り、実は・・・と言葉を付け足した。

「その娘が言うには、カーティス大佐にこの手紙を渡すようにと、中尉から頼まれた・・・と言うんです」

「・・・中尉から?」

驚き咄嗟に視線を落としたその白い封筒には、やはり宛名も何も書かれてはいない。

この手紙が、からの物だという証拠はどこにもないのだ。

そう思いつつも、ジェイドの手は無意識の内に手紙へと伸びていた。

我に返ってから眉を顰めるが、一度受け取ってしまったものは仕方がない。―――そう自分自身に言い訳をし、ゆっくりとした動作で封筒を開ける。

中には同じく真っ白な便箋が一枚きり。

それを開き中に書かれている文字に目を走らせたジェイドは、更に眉間に皺を刻む。

「・・・カーティス大佐?」

明らかに様子が可笑しいジェイドを不安そうに見詰める兵士を横目に、ジェイドは目を通し終えた封筒を再び便箋に収めて。

一身上の都合の為とありきたりな文章で書かれた、俗にいう退職届という物を手の中で握り潰す。

「あの・・・カーティス大佐」

「なんですか?」

「その手紙を届けに来た娘を一応待たせているのですが・・・お会いになりますか?」

恐る恐るそう話す兵士を一瞥し、ジェイドは再び手の中の手紙を見下ろして。

『俺は謹慎って言ったんだ。お前がどこで何をしようが、俺の知った事じゃない』

全てが彼の思い通りになっている気がして、不愉快げに表情を歪める。

「・・・カーティス大佐」

どうする事も出来ずに立ち尽くす兵士を前に、ジェイドは出したままの手をポケットに捻じ込んで。

にっこりと、誰もが恐れ見惚れるその笑みを、彼は惜しげもなく傍らの兵士に向けた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

何となく陛下がどんどん説教臭くなっていく気が・・・!!

それでも彼に積極的に動いて頂かないと、話は一向に進まないのですが。

話の都合上とはいえ、主人公全く出番なし。(夢要素はどこへ)

それでも(無理矢理とはいえ)漸く恋愛要素が組み込まれそうな勢いになり、ちょっとだけホッとしたり。

題名を生かしきれてないのが悔しいですが・・・。(いつもの事ですが)

作成日 2006.3.17

更新日 2008.6.11

 

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