軍での任務を終えたジェイドは、報告書を提出した後、実家であるカーティス家へと帰還した。

必要もなさそうなほど立派な扉を押し開けると、そこには自分が拾った少女が佇んでいる。

「・・・おかえりなさい」

「ただいま戻りました」

無表情のまま自分を見上げる小さな少女を見下ろして、ジェイドは返事を返すとその小さな頭を軽く撫でた。

あの日以来、これがジェイドの日課となっていた。

 

歩くような速さで

 

「お帰りなさいませ、ジェイド様!!」

玄関先で自分を出迎えた少女の頭を撫でたその時、屋敷の奥から1人のメイドが駆けて来るのがジェイドの視界に飛び込んで来た。

ずいぶんと慌てた様子で・・・―――それは勿論当然の事なのかもしれない。

自分の雇い主の息子の帰宅に気付かず、出迎えも何もしていないのだから。

それこそジェイドは全く気にはしないが、メイド頭としては失態以外の何者でもないのだろう。

「ただいま戻りました」

「申し訳ありません。お出迎えもせずに・・・」

「構いませんよ。急な帰宅でしたからね」

そう言って常に浮かべている笑みをメイド頭へと向ける。

実家の方には、帰宅は今日よりも3日後だと伝えてある。―――だからメイド頭がジェイドの帰宅に気付かないのも当然の事と言えた。

ともかくもお叱りが無い事に漸くホッと安堵の息を吐いたメイド頭は、静かにその場に佇む少女を見下ろして微かに苦笑を漏らす。

「けれどこの方は、どんなに突然でもジェイド様の帰宅を察するのですね」

「そのようですねぇ・・・。あの日から、私の帰宅に出迎えを欠かした事がありませんから」

それこそ帰宅がどんなに遅くとも、たとえ夜中に及んだとしても、帰ってくれば必ず少女はそこにいた。

もしかするとずっと玄関先にいるのかと疑問を抱いた事もあったが、メイド頭の話では決してそうではないらしい。

では何故彼女はジェイドの帰宅を知っているのか。

疑問に思うところではあるが、未だに言葉を上手く話せない彼女に聞いたとしても不明瞭この上ない事は確かなので、ジェイドも尋ねた事は一度もなかったが。

「ジェイド様、お仕事の方は・・・」

「思ったよりも早く片付いたのでね」

言葉少なにそう返し、ジェイドは応接間に足を向ける。―――パタパタと自分の後ろを付いて来る少女の足音を聞きながら、小さくため息を吐いて。

その言葉に嘘は無かった。

ただし片付いたのではなく、片付けた・・・が正しいのだが。

少女を引き取って、既に半年の月日が流れていた。

現在はキムラスカとの戦争中なので、軍人であるジェイドも戦場に狩り出される事は少なくない。

それでもこうして出来得る限り実家に戻っているのは、この少女の為だった。

「それよりも・・・彼女はまた少し痩せたようですが・・・」

「はぁ・・・。私どももなるべく食事を取って頂けるよう努力はしているのですけれど。どうしてもジェイド様がいらっしゃらないと、食が進まないようで・・・」

これである。

これが、ジェイドが無理をしてでも実家に帰る理由の1つだ。

元々食が細いという事もあったのだろうが、まだ屋敷に慣れない為か、ジェイドが不在の時はあまり食事を取らない事が多い。

一度など、久方ぶりに実家に戻ったジェイドは、酷くやつれた少女を見て驚いたものだ。

年頃の娘よりも遥かに細いというのに、これ以上痩せてしまってはどうしようもない。

応接室のソファーに座ると、メイド頭がすかさずお茶を運んで来る。

それを一口飲んで小さく息をつくと、目の前に座る少女を見詰めてジェイドは口を開いた。

名前を呼んでやれば、少女は視線をこちらへと向ける。

森で拾った正体不明のこの少女に、ジェイドはという名前をつけた。

それというのも、彼女には一切の記憶がなかったからだ。

公用語であるフォニック言語を話す事も出来ず、あの森でジェイドと出会う以前の記憶も無い。

その事実にジェイドはある疑惑を抱いたが、それは早計であると判断した。

まだまだ情報が足りない。

そう結論を下すには早すぎる。―――何よりも、現在の状況では有り得ない。

名前を呼んだきり何も言わないジェイドを見て、少女が小さく首を傾げる。

その年齢にそぐわない幼い行動に、ジェイドは苦笑を漏らして。

その年齢というのも、には記憶が無い為はっきりとはしないのだが、身体の発育具合などから判断して、現在7歳くらいだと判断した。

実際そういう書類を、軍本部へと提出している。

。私がいない間、何か変わった事はありましたか?」

「・・・・・・」

「では、貴女がこの屋敷で何をしていたのか教えてください」

最初の問い掛けに首を横に振るを見て、ジェイドは質問の内容を変えた。

するとはほんの少しだけ考え込んで。

「・・・いろいろ」

「話をするのが面倒だからといって、曖昧な言葉で誤魔化すのは感心しませんよ」

にっこり笑顔を浮かべ紅茶を口元へと運びながら言うジェイドに、はほんの少し不満そうに眉を寄せる。

「はなしをするのがいやだから、そう言ったわけじゃない」

「ならば話してください。どんなに拙い言葉でも構いません。言葉は使わなければ上達しませんよ」

言い含めるようにそう言うと、は困ったように眉を寄せて再び考え込んだ。

こちらがどんなに難しい言葉を使っても、どうやらは理解しているようだ。

勿論理解しているというよりは、雰囲気で感じ取っているだけなのかもしれないが。

あまり人に物事を教える事が好きではないジェイドだが、こうして拾ってきてしまった手前、必要最低限の知識くらいは教えないわけにもいかない。

最近では漸く、人と意思疎通を交わすための手段である言葉を覚えてきたところ。

今でこそ拙い口調ではあるが、この調子で行けばすぐに普通の会話をする事も可能だろう。

実際はとても聡明で、一度聞いた事は二度聞かない為、ジェイドの方もそれほど面倒には感じていないのだけれど。

今度こそ拙い言葉ではあるが、最近の出来事を話し出すを眺めて、ジェイドは自分でも不思議なほど穏やかな自身の感情に驚いていた。

例えば、庭の花が咲いたとか。

例えば、自分で服を着れるようになったとか。

そんな他愛無い・・・ジェイドからすればどうでもいい内容ばかりなのだが、素直にそれを聞いている自分がいる。

あれほど無駄な事が嫌いだったジェイドが。

たった1人の得体の知れない少女の下らない日常話に、律儀にも付き合っているのだ。

この国の皇太子であるピオニーが聞けば、きっと腹を抱えて笑うに違いない。

勿論ジェイドがを引き取った事も、軍内部では既に知れ渡っている。

あの冷血で人を人とも思わない死霊使いジェイドが、少女を引き取ったというのだ。

彼を良く知る者たちや、彼を快く思わない者にとっては絶好のネタでしかない。

それを鬱陶しく思いながらも、それでもを引き取ると決めたのは他でもない自分自身なのだから仕方が無い。

引き取って半年経ったとは言っても、実際に顔を合わせたのも多くは無い。

にとっては、見知らぬ場所、見知らぬ人々に囲まれて生活しているのだ。

おまけに自分が何者なのかも解らず、そして言葉も上手く通じない。

唯一の心の拠り所であるジェイドは、キムラスカと戦争中だという事もあり、なかなか帰宅もままならない。

それでも文句1つ言う事無く、自分に負担が掛からないよう立ち回っている。

記憶が無い生まれたてのような状態であるというのに、それでも7歳の子供らしからぬその思慮深さに、ジェイド自身助かっていると言っても過言ではないが。

一通り話し終わったのか、口を噤んだがじっとジェイドの顔を見詰める。

「そうですか。色々あったのですね」

「いろいろあった。わたし、そう言った」

「ええ、そうでしたね。ですが話して貰わなければ解らない事もあるでしょう?」

逆に問い掛けられ、はなるほどと1つ頷く。

そんなを満足げに見詰めて・・・そうしてジェイドはわざとらしく手を叩いた。

「ああ、そうだ。実は今すぐに必要なものがあったのですが・・・」

「・・・ひつようなもの?」

「ええ。私は今からそれを買いに行こうと思います。貴女も一緒に行きますか?」

立ち上がり手を差し出すと、はきょとんとジェイドを見上げ、そうして返事を返す前にソファーから立ち上がった。

「いっしょなら、行く」

「では行きましょうか」

「ジェイド様?買物なら私たちが・・・」

「いいえ、構いません。折角ですから、にも街を歩かせようと思っていますから」

メイド頭の言葉を遮り、ジェイドはスタスタと玄関に向かい歩き出す。

その後ろを、やはりパタパタと足音を響かせて付いて来るの気配に、ジェイドは知らず知らず口角を上げた。

任務で疲れているはずだというのに。

それなのに、わざわざを連れて、それほど必要でもない買物に出掛ける。

果たしてそれは、少女を引き取った故の義務感からなのか。

そんな事、ジェイドにも・・・そして勿論にも解らなかったけれど。

 

 

「・・・あれ、なに?」

「あれは船ですよ。海の向こうにある別の大陸に行く為に必要な交通手段です」

「こうつうしゅだん・・・。あれは?」

「あそこは酒場。大人がお酒を飲んだりする場所です。今の貴女には関係の無い場所ですね」

「さかば。・・・それじゃ、あれは?」

屋敷を出た直後から、こんな感じでの質問が続いている。

それに律儀に答えを返しながら、ジェイドは賑わう大通りをゆっくりと歩く。

自然と歩調を幼いに合わせている事に、彼は気付いていなかったが。

ほとんど初めて出るグランコクマの商店街で、その人の多さに少し怯えているのか、はしっかりとジェイドのコートの裾を握って離さない。

それでも見るもの全てが目新しく新鮮なのか、屋敷にいる時よりもの目は輝いているように見えた。

キョロキョロと忙しなく街並みを観察しているその姿は、年相応の無邪気な子供のようで。

ふとジェイドは、改めてこの少女が何者なのかと考えた。

記録に残っていた、巨大な音素反応。

あれは一介の人間が起こせるような物ではない。

それに加えて、森の中でジェイドがを発見した時、彼女の身体を包み込んでいたあの白い光はなんだったのか。

音素反応と光がに関係している事は解るのに、肝心のその関係がなんなのかが解らない。

そして・・・―――ジェイドがを引き取ったのとほぼ同時に、あの森周辺の村や街での情報を集めているのにも関わらず、一向に少女を知っている人物が現れない事も不思議だった。

あの周辺で暮らしていたのではないのなら、彼女は一体どこから来たのか。

それを解く鍵は確かにが持っているというのに、その肝心の当人である自身が己の記憶を失っている。

どうにもすっきりしない気分で、ジェイドは深くため息を吐き出した。

「カーティス少佐!」

ちょうどその時、唐突に背後から声を掛けられ、ジェイドはゆっくりと振り返る。

目を凝らして人ごみの中を探ると、マルクト軍の兵士が慌てた様子でこちらへと駆けて来るのが目に映る。

何事かと足を止める一般人を掻き分けて漸くジェイドの元に辿り着いたその兵士は、居住いを正すとピシッと敬礼した。

見知らぬ人物の突然の出現に、は怯えたようにジェイドの背後へと隠れる。

それを宥めるようにの頭を撫でると、コートを掴む手に更に力が込められた。

「・・・私に何か御用ですか?」

それを好きにさせて、ジェイドは自分に声を掛けた兵士に向かい口を開いた。

しかし兵士はジェイドと共にいると、そんな彼女に対するジェイドの態度に驚いているのか、ポカリと口を開けて2人を凝視している。

「私に何か御用ですか?」

「え、あ、はい!」

再び同じ言葉を繰り返すと、漸く我に返った兵士が少しだけ上ずった声で慌てて返事を返す。―――それに呆れた眼差しを向けつつも、ジェイドは兵士の言葉を待った。

「カーティス少佐に、至急軍基地本部へ顔を出すようにと伝令を言付かっております」

兵士の伝令に、ジェイドは微かに眉を上げて。

「解りました。至急向かうと伝えてください」

「了解しました!」

ため息混じりのジェイドの言葉に、兵士はもう一度敬礼をした後、チラリとに視線を送ってから、先ほどと同じような慌ただしい足取りで宮殿の方へと向かい駆けて行った。

後に残ったのは、人々のざわめきだけ。

「・・・という事ですので、残念ですが散歩はここまでです」

背中にぴったりと寄り添い自分を見上げるを諭すようにそう言えば、は何も言わずにコクリと頷く。

ずいぶんと聞き分けの良い子供だ、とジェイドは改めて思った。

一般的な子供というのは、とても手の掛かるものだと思っていたけれど・・・―――は理想的とも言えるほどジェイドの手を煩わせない。

勿論ジェイドとしても、そちらの方が有り難かったのだけれど。

「では戻りましょうか」

「・・・わたし、1人でもだいじょうぶ」

「そういうわけにはいきませんよ。何せ貴女がこうして街に出たのはまだ数回足らずなのですから。無事に家に辿り着けるという保証がない以上、ここに置いていくわけにはいきません」

そんな事をしてもしに何かあった場合、皇太子殿下に何を言われるか。

ふうとため息を漏らして軽くの頭を叩くと、その小さな背中を押して屋敷へと促した。

 

 

「では、をよろしくお願いします」

屋敷に着きメイド頭にを引き渡すと、ジェイドはクルリと踵を返した。

軍からの呼び出しが何であるかは解らないが、現在の状況を考えればあまり良い話ではないのだろう。

一刻も早く顔を出す必要があると、ジェイドはそう判断した。

「あの、ジェイド様。お帰りは何時頃になりそうですか?」

「まだ解りません。何か解り次第連絡を入れるようにしますから」

背中に掛けられた問いに、早口でそう答える。

そうしてふとある事を思い出し、ジェイドは踏み出しかけた足を留めると、無言で自分を見上げるを見下ろした。

。しっかりと食事は取ってくださいね」

「うん、わかった」

「・・・・・・その良い子の返事が、私としてはとても不安ですがね」

いつもはそう返事をするのだ。

しかし何時帰っても、は出かける前と比べて痩せてしまっている。

これはもうどうしようも無い事なのかもしれないが、それでも一応は釘をさしておかなければ。

ともかくもの良い子の返事にそれ以上追及する事無く、ジェイドは再び踵を返した。

今度こそ行こうと足を踏み出すが、何かに引かれてそれ以上進めない。

その何かにすぐ思い当たったジェイドは、首だけで後ろを振り返った。

「なんですか、

自分のコートの裾を握ったまま離さないを見下ろし、ジェイドが呆れた口調でそう問い掛ける。

その声色にほんの少し苛立ちが混じってしまったが、それを訂正する時間も惜しい。

それにわざわざそんな事をする必要もない気がした。―――そこまでに気を使う必要はないだろうと。

「・・・いってらっしゃい、ジェイド」

訝しげに見下ろすジェイドを見上げて、はそうポツリと呟いた。

その自分を見上げる無表情を、ジェイドは微かに目を見開き見返して。

「行って来ます、

そう言って軽く頭を叩けば、はそれで満足したのかジェイドのコートからあっさりと手を離す。

それを確認してから、ジェイドは再び足を踏み出した。

から掛けられた言葉を脳内で反芻し、苦笑を漏らす。

初めて・・・そう、初めてだ。

に、己の名前を呼ばれたのは。

そのくすぐったいような照れ臭いような感情を持て余しながら、ジェイドは歩みを進める。

今度こそは、ゆっくりとに街並みを見せてやろう。

そんな事を思いながら、ジェイドは軍基地本部へ向かった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

あれ?あれ〜?

まだ2話目だというのに、何となくジェイドがもう主人公に甘いんですが。

少しづつ少しづつ慣れさせて、甘くさせていこうかと思ってたんですけど・・・。

2話目でこれじゃ、最終的にはどれくらい甘くなるのか。

そしてやっぱり勝手にカーティス家捏造。

カーティス家は有名な軍家で、ローレライ教の熱心な信者という事しか知らないので。

いやいや、ジェイドの養父とか流石に出せませんが・・・。(笑)

作成日 2006.2.7

更新日 2007.12.4

 

 

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