暖かい日差しが降り注ぐ、天気の良い日の午後。

カーティス邸の広い庭の片隅で、設置されたベンチに座り日向ぼっこをするのが、最近のの日課だった。

相変わらず、ジェイドは忙しいのかあまり屋敷には帰って来ない。

メイドたちの世間話を聞いていて、その原因が戦争なのであるとは知った。

そうして、時折帰って来たジェイドの身体から、血の匂いがする理由も。

がジェイドに引き取られてから、早1年。

日常会話に差し支えないほどの言葉も覚えたし、普段生活する上で人の手を借りるような事もほとんどなくなった。

やはりジェイドが不在の時に食が細くなるのは今でも変わらなかったが、それ以外は概ね穏やかな生活を送っている。

以前1人で外出し迷子になって大騒ぎになった事をきっかけに、ジェイドがに外出禁止を言い渡した事により、彼女の生活のほとんどがこの屋敷の中だけで構成されていたが、それに対しては何を言うでもなく。

ふわり、と柔らかな風が吹く。

それと同時に、ガサリと庭に植えられた茂みの葉が鳴って。

そうして、振り返ったの目に映ったのは―――。

 

自覚の芽生え

 

約1年間、キムラスカとマルクトの間で続いていたホド戦争は、ローレライ教団導師の仲介により漸く終戦した。

思えばジェイドがを拾ったのは、この戦争が開戦して間もない頃。

を引き取ってもう1年が経ったのか・・・と、ジェイドは柄にも無く過去を懐かしむ。

だからといって、目の前の書類が減るわけではないのだが・・・。

戦争が終わったからといっても、仕事が減るわけではない。

確かに命の危険がすぐ隣に感じられるような状態ではない事は歓迎すべき事だけれど、だからといってこの状況も歓迎出来るものでもない。

まぁ・・・戦争中と今、どちらがより大変かを考えれば、人の命が失われる事の無い現状は決して悪くは無いのだけれど。

処理しても処理しても一向に減っていく様子が無い書類の山を見て、ジェイドは重いため息を零す。

そんな風に現実逃避をしたいと彼が思うほど、今の状況は過酷を極めていた。

だというのに・・・。

「そういやぁ、は元気か?ジェイド」

この国の皇太子であるピオニーは、書類処理に追われるジェイドなどまるで目に入らないかのような素振りで、いつも通り彼の執務室に入り浸っている。

ピオニーも皇太子という立場柄、やるべき事は多い筈なのだけれど・・・―――そう言えば、きっと彼は「息抜きだよ、息抜き」といともあっさり言ってのけるのだろう。

彼が皇太子という立場ではなく、ただの友人だというならば、間違いなく即刻叩き出すのだけれど。

「・・・元気ですよ」

けれど勿論そんな事をするわけにもいかず、ジェイドはため息混じりにそう答えた。

「ほ〜。あれから1年だからなぁ。そろそろでっかくなったんじゃねぇか?」

「いくら成長期といえども、1年でそんな見違えるほど大きくはなりませんよ。勿論、貴方が望んでいるような事にはね」

「俺が何を望んでるって?」

「さぁ、一体なんでしょうね」

書類を捲る手のスピードを緩めぬまま、ジェイドは軽い口調で返す。

律儀に相手をしている場合ではないのだ。―――そんな事をしていれば、何時まで経っても仕事は終わらない。

勿論仕事をしている今でも、その終わりは見えはしないが・・・。

ジェイドの素っ気無い対応にピオニーは面白くなさそうに鼻を鳴らすと、執務室内に備え付けられてあるソファーにゴロリと寝転がる。

行儀が悪いと言っても無駄な事は解りきっているので、ジェイドはピオニーの好きにさせておく事にした。

言い換えれば、諦めただけなのだけれど。

「お前、最近屋敷に戻ってないだろう?」

「ええ。何せしなければならない仕事が、山のようにありますから」

にっこりと笑顔を浮かべて返すが、やはり長い付き合いの彼には嫌味は通用しないらしい。

特に反応を示す事無く、じっと天井を見詰めている。

「あの子、淋しがってんじゃねぇのか?」

そうしてポツリと一言、静かな声でそう呟く。

そのピオニーの小さな呟きに、ジェイドは意外だと言わんばかりに片眉を上げた。

が、ですか?ご心配には及びませんよ」

「ほ〜、えらく自信ありげだなぁ。・・・で、その根拠は?」

「彼女はそんなやわな性格はしていません。それに屋敷には沢山のメイドたちもいますし」

「・・・・・・」

不意に黙り込んでしまったピオニーに気付く事無く、ジェイドは更に言葉を続ける。

「実に手の掛からない子供ですよ。我が侭も言いませんし、泣き喚きもしない。実際、私としても助かっています。聞き分けの良い賢い子供で」

「お前・・・それがどういう事なのか、解ってんのか?」

ジェイドの声を遮って放たれたピオニーの声は、先ほどの楽しげなものとは一変した低く落ち着いたそれ。

さすが将来マルクトを治める立場にある者・・・と感心するほど、若い身でありながら威厳に満ちた声だった。

それに気付いたジェイドが、書類を捲る手を止めてピオニーに視線を送る。

残念ながらソファーの背が邪魔して彼の表情は窺えなかったが、雰囲気から彼が不機嫌である事は察せられた。

「何がですか?」

「・・・やっぱ解ってねぇか。解ってたら、んな事言える訳ねーしな」

問い返せば、ピオニーは呆れを隠そうともしない声色でそう呟き、寝転がっていたソファーから身を起こす。

バッチリとかち合ったその視線に、ジェイドは知らず知らずの内に肩に力を入れた。

向けられる真剣な眼差しに、ほんの少し眉間に皺を寄せて。

彼のこう言う眼差しが、ジェイドは昔から苦手だった。

いつもはおちゃらけている彼が時折見せる真剣な目が、やけに落ち着かない。

「何がですか?」

ジェイドは既に癖になった作り物の笑みをその顔に浮かべ、もう一度同じ問いを投げかけた。

「まだたった7歳・・・いや、8歳か?そんな幼い子供が1人で、寂しくないはずがないだろう?ましてやあの子は、以前の記憶がまるで無い。言っちまえば、生まれてまだ1年の赤ん坊と同じだ」

「・・・赤ん坊、ね。それではに失礼ですよ」

「んな事を言ってるんじゃねぇ。確かにあの子はちゃんと言葉も喋るし、自分の事だって自分で出来るだろうが、そういう事じゃねぇんだ。見知らぬ環境、見知らぬ人、そして際目付けが自分の事すら解らねぇ。唯一の心の拠り所のお前は、いつも傍にいない。それで心細くならない子供がどこにいる?」

「いつも傍にいないのは私のせいではありませんよ。何処かの皇太子殿下が仕事をサボっているのも原因の1つだと思われますが?」

サラリと返された言葉に、ピオニーはうっと言葉を詰まらせた。

痛いところを突かれた事に違いない。

だからこいつは嫌なんだ・・・と1人ごち、大袈裟にため息を吐き出す。

全て解っているような顔をして、けれど肝心な事が解っていない。

昔からそうだった。

完璧に見えて、しかしどこか肝心な部分が欠けているのだ。―――この、ジェイドという男は。

「お前は言ったな。我が侭を言わない、泣かない、手の掛からない聞き分けの良い賢い子だと」

「はい、そう言いました」

「本当にそんな子供がいると思ってんのか?」

問い掛けられて、ジェイドはきょとんと目を丸くする。

いると思うのか・・・というよりも、まさに傍にいるのだ・・・そんな子供が。

確かに世間一般で見る子供に、そういうタイプはまずいない。

しかしそれがそんなにも可笑しい事なのだろうか?

ただ人よりも精神的な成長が早いだけなのではないか。

そんなジェイドの心境を見透かしたのか、ピオニーはその表情を険しくさせて。

「そんな子供、いるわけが無い。いるとしたら・・・それはそう振舞ってんだよ」

「・・・振舞う?」

「大方、お前に迷惑を掛けないようにって我慢してんだろ。言われるまでも無く、お前はそういうの嫌いそうだからな。現実的に考えて、お前に見放されれば彼女に生きる手立ては無い。そういう意味ではお前の言う通り、賢い子供なんだろうよ」

「・・・・・・」

「色んな感情を押し殺して、色んなもんを必死に堪えてるんだ。意図的にそう振舞わない限り、そんな見本みたいな子供いやしねぇよ」

言い聞かせるようなピオニーの言葉を、ジェイドはただ聞いていた。

そうしてふと脳裏を過ぎる、の姿。

この時になって初めて、ジェイドはの笑った顔を見た事が無い事に思い至った。

屋敷にいても、決して自分の邪魔はしない

自分からはその手を伸べる事なく・・・―――決して自分の領域には踏み込んでこない

勿論それを望まなかったのもジェイドだ。

だから当り障りの無い態度を取っていた。

それは言葉を変えれば、拒絶のようにさえ思えたかもしれない。―――その時、は何を思っただろう。

そうして気付く。

彼女自身もまた、決してジェイドに心を許してなどいなかったという事に。

その全てを預けているようで・・・警戒心がまるで無いように見えて、実は彼女の周りには見えない壁が張り巡らされていたのだという事を。

「・・・解ったんなら、今日は屋敷に帰れ。帰ってと話でもしろ」

ピオニーの有無を言わさぬ強い声色に、ジェイドはハッと我に返った。

再び視線をピオニーに向けると、彼はニヤリと口角を上げて。

その笑みを目に映して、ジェイドはやれやれとため息混じりに呟いた。

「では、この書類は貴方が片付けて下さるのですね?」

「なぁ〜んで俺がそんな事しなきゃならないんだよ。心配すんな、期限はまだある。お前ならそれくらいの書類、あっという間に片付けちまえるだろ?」

それは後々自分の首を絞める事に他ならないのだけれど。

それでも「早く帰れ」と訴えるピオニーの目に負けて、ジェイドは重い腰を上げた。

帰っても何から話せば良いのか解らない。―――実際ピオニーの言う通りではないかもしれないのだ。

けれど湧き上がった罪悪感とも後悔とも言えない複雑な感情を持て余したまま仕事をする気にもなれず、ジェイドは苦い表情を浮かべながらも未だソファーに行儀悪く座る次期皇帝を見やった。

「今度俺にも会わせてくれよ、に。結局話は聞けども、まだ一度も会った事ないからな」

「・・・お断りします。貴方に会わせると、禄な事にならないでしょうから」

心底楽しげに笑うピオニーを一瞥して、ジェイドはそう言い捨てると執務室を後にする。

ジェイドの去った後、予想通り執務室から廊下にまでピオニーの爆笑が響き渡った。

 

 

なんとも憂鬱な気分で、ジェイドは屋敷のドアノブに手を掛けため息を吐いた。

この扉を開ければ、間違いなくはそこにいるのだろう。

顔を合わせても、どう接して良いのか解らない。―――不思議にもには、彼の完璧な作り笑いは通用しないのだ。

その全てを見透かすような深い紫暗の目に、自分は果たしてどう対応すれば良いのか。

考えていても良い案など浮かぶ筈も無く、何故自宅に戻るのにこんな思いをしなければならないのかと心の中で零しながら、ジェイドは意を決して重い扉を押し開けた。

微かな物音をたてて、重厚な扉は開かれる。

「・・・・・・」

しかしいつもならばそこに在る姿が、何故か今日に限っては見当たらない。

玄関ホールに立ち尽くしゆっくりと辺りを見回すが、何処かの影に隠れているのでもないらしい。―――勿論がそんな悪戯をした事など、今まで一度も無いのだけれど。

珍しい事もあるものだ・・・とジェイドは小さく呟く。

いつもいつもどんな時でも自分の出迎えを欠かした事の無かった少女が、と。

気まずい思いを抱いていたジェイドとしては、思わずホッと安堵する場面なのだろうが。

それでも、出迎える少女の姿が無い事にほんの少しだけがっかりしている自分に気付き、ジェイドは誤魔化すように苦笑を漏らした。

たまにはこういう事もあるだろう。―――別に見張っているわけではないのだから、見逃すことだってある。

寧ろ、今まで彼の帰宅を見逃さなかった事の方が不思議だ。

自分にそう言い聞かせていたジェイドは、この時になって漸く微かな異変に気付いた。

メイドたちの出迎えが無い事は、大して珍しい事ではない。―――を引き取ってからというもの、不規則に帰宅を繰り返していればそういう事もある。

しかしいつもならば静けさに包まれている屋敷の中が、妙に騒がしいのだ。

まさか何かあったのだろうか?

の出迎えが無かった事もあり、ジェイドは帰って早々、その足をダイニングへと向けた。

陽の沈むこの時刻ならば、そこに行けばメイドの1人もいるだろう。

「ああ、ジェイド様!!」

ダイニングへと顔を出したジェイドを一番早くに見つけたのは、の世話係を頼んでいるメイド頭の女性だった。

何故だかとても慌てた様子で・・・―――心なしか、その表情は青ざめているように見える。

「どうしました?なんだか騒がしいようですが・・・」

「申し訳ありません。それが・・・」

ジェイドの問いにメイド頭は申し訳なさそうに頭を下げると、縋るような目で長身のジェイドを見上げた。

「実は、様の事なのですが・・・」

がどうかしましたか?そういえば今日は彼女の出迎えがありませんでしたが」

解っているのにわざとらしくそう尋ねると、メイド頭は下がった眉を更に下げて。

様の姿が見当たらないのです」

「ふむ。また屋敷の中で迷子になっているのではないですか?彼女は何時まで経ってもこの屋敷の構造を理解できないようですから」

薄く笑みを浮かべて、ジェイドはメイド頭にそう告げる。

確かに手の掛からない賢い子供ではあるが、唯一彼女の厄介なところが壊滅的な方向音痴だという事だ。

カーティス邸に住んでもう1年になるというのに、未だに屋敷の構造を覚えていない。

辛うじて自分の部屋とジェイドの部屋、そして食事を取るリビングと応接室、その他中庭などの場所は覚えているようだが、後はからっきしである。

勿論カーティス邸が広すぎるというのも、原因の1つではあるのだろうが。

実際が屋敷の中で迷子になり、こうして騒ぎになる事も珍しくは無い。

だからこそジェイドは不思議だった。―――何故今回に限って、こんなにも慌てているのか。

「私共もそう思って、総出で屋敷中探したのですがいらっしゃらないんです」

「・・・最後に彼女の姿を見たのは?」

「お昼過ぎに日向ぼっこをする為に中庭に出られたところまでは・・・。その後すぐに風が冷たくなってきたので中に入るよう声を掛けに行った時には、もう様の姿は中庭に無くて・・・」

なるほど、とジェイドは1人納得する。

昼過ぎから捜しているのに未だに発見できないから、彼女たちは焦っているのだろう。

「外に出た形跡は?」

ジェイドが外出禁止を言い渡したのだから、勝手に屋敷から出る事など無い事は十分に察していたが、改めてそう問うてみると案の定メイド頭は首を横に振った。

「門番にも確認しましたが、外出された形跡はありません。ただ・・・」

「ただ?」

「可笑しな手紙が先ほど届いたのです。ジェイド様宛なのですけれど。こんな状況ですしすぐに使いをやろうと思っていたんですが・・・」

そう言ってメイド頭が差し出した一通の封筒を、ジェイドは無言で受け取る。

なんとなく、展開が読めて来た。

おそらくはメイド頭の女性もその可能性を考えたのだろう。―――だからこそこれほどまでに青ざめ、ジェイドの姿を見た時あれほど安堵したのだ。

ジェイドは冷静そのものの様子で封筒から手紙を取り出すと、無言のまま文字に目を走らせる。

そうして全てを読み終え、深いため息を吐き出した。

「どうやら、は誘拐されたようです」

「まぁ!ど、どうしましょう!!」

「落ち着いてください。すぐに軍へ通報を。私も軍本部に戻ります」

「は、はい」

「いいですか、落ち着いてください。もし再び手紙が届けられたら、すぐに私の元へ届けるように」

「解りました」

さすがカーティス邸に長く仕えただけあり、メイド頭はすぐに冷静さを取り戻し、ジェイドの言葉にしっかりとした口調で返事を返した。

それを確認したジェイドは、自分が言った通り軍本部に戻るべく踵を返す。

まるでなんでもないと言わんばかりにポケットに手を突っ込み、大して急ぐでもなく屋敷を出、そして先ほど自宅に向かい辿った道を今度は軍基地本部に向けて辿る。

人通りの多い時間帯。

ジェイドとすれ違った買物帰りの主婦が、弾かれたように振り返る。

いつもと変わらないその態度。

けれどその顔に、常に浮かんでいる笑みはなく。

夕陽に照らされた眼鏡に隠れた恐ろしいほど鋭い赤の目が、静かな怒りを湛えている。

彼はまだ気付いていない。

今自分が抱いている、凶暴なほど深い怒りに。

ポケットの中でガサリと音を立てた脅迫文を、ジェイドは無意識の内に潰れるほど強く握り締めていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ジェイドとピオニーの遣り取りが一番書きやすい事が判明。(ピオニーが彼らしくなっているかは別として)

説教する陛下。

寧ろジェイドに思うまま言えるのは、彼以外にはいないのではないかと。

夢というよりは、ジェイドの子育て奮闘記というか、主人公成長記というかそんな感じになりつつありますが(まだまだ恋愛には程遠いかと)

主人公の出番が少なすぎ。(笑)

作成日 2006.2.8

更新日 2007.12.17

 

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