がジェイドに拾われてから、4年の月日が流れた。

その4年という月日の中、慌ただしくも、平穏な日々が続いている。

ジェイドは変わらず中佐として仕事に追われ、もまた譜術の勉強や武術の訓練に加え、フォミクリーの研究に参加するなど忙しい毎日を送っていた。

拾われた当初7歳だったは11歳になり、少し身長も伸びた。

無表情なのは以前と変わらないが、それが彼女を年齢よりも少し大人びて見せている。

主な活動場所が軍本部だという事もあり、大人に囲まれて育ったには子供らしさというものが欠けているように見えたが、年齢に相応しくないどこか幼げな仕草で絶妙なバランスが保たれているようだ。

子供自体が珍しいわけでもないが、やはり軍本部でその姿を見るのは珍しいという事もあり、兵士たちの中では一種のマスコット的存在となっている。

そんな穏やかな日々に、まるで水面に石を投げ入れるように、波紋は静かに広がって行った。

 

目覚める

 

「そういえば・・・今日、でしたね。貴女の譜術実験は」

朝食の席で、コーヒーを飲んでいたジェイドが思い出したように呟く。

そんな小さな呟きを聞き取ったのか、目の前の席に座っていたはトーストをかじった体勢のまま顔を上げ、それを一口分ちぎるともぐもぐと口を動かしながら小さくコクリと頷いた。

「うん、今日」

口の中のトーストを飲み込んだは簡潔に返事を返し、コップに注がれた真白のミルクを一口飲む。

「ゼーゼマンと、譜術の実験に行く」

のその言葉に、メイド頭が微かに眉を顰めたのをジェイドは見逃さない。

メイド頭は、が軍に深く関わり譜術という強大な力をつける事を良しとしていない。

がジェイドに引き取られてから4年。

実質の世話をしていたメイド頭の女性にとって、はまるで自分の子供のようなものなのだろう。

自分たちの主であるカーティス家の人間が引き取った子供を、自分の子供のようだと言ってしまうのには多少の問題もある為、決して口に出したりはしないが。

武術の訓練でが怪我をして帰って来た時など、物凄いうろたえようだった。

ジェイドとしても、どうしてもに戦う力を身に付けさせようとも思っていないのだけれど、当のが何も出来ない事に引け目を感じているようなので、ジェイドは彼女の望むままにさせている。

に譜術士としての才能があることは事実だし、第七音素の制御が出来るようにならなければ、何かあった時に危険だという理由もあるが。

「私、初めて譜術を使う。今まで勉強だけだったから、ちょっと楽しみ」

そう言って少しだけ表情を緩めるに、ジェイドは静かにカップをテーブルに戻して。

。気持ちは解らなくはありませんが・・・浮かれてばかりいると、とんでもない事態を引き起こしかねませんよ」

「・・・うん、ごめんなさい。ちゃんと、気をつける」

注意を促すジェイドに素直に反省したは、先ほどの楽しげな雰囲気を消し、しゅんとした様子で俯いてしまう。

別に落ち込ませたかったわけではないのだけれど・・・―――それでも譜術の暴走に伴う危険についてもよく知るジェイドは、解ってくれれば結構ですと軽く眼鏡を押し上げた。

そうして再び・・・今度はのろのろとトーストに手を伸ばすを眺めて、ふうとため息を吐き出す。

おそらくは本気で反省しているだろうを見て、ジェイドは言い過ぎたかと少しだけ先ほどの言い様に後悔していた。

いつもならば相手に対するそのような配慮など見せはしないし、また嫌味を口にする時に相手の心情など気にも止めない。―――解っていてやっているのだから、ある意味当然なのだけれど。

それなのに相手がだというだけで、調子が狂ってしまう。

が素直に自分の言葉を受けているからこそ、ジェイドといえどもあまり強くは出られないのだ。

それもピオニーに言わせると、限定なのだそうだが。

「・・・実験、成功すると良いですね」

コーヒーを口元へ運びながら、またもや小さな声でそう呟く。

さり気なく・・・自分らしくない珍しく嫌味の込められていない言葉に、気恥ずかしさを感じながらもチラリとの様子を窺えば、今度もちゃんと聞き取っていたのか無表情ではあるがほんの微かに頬を緩ませて。

「うん、頑張る」

一言そう返すと、美味しそうにトーストにかぶりつく。

もう11歳になったというのに・・・その幼い行動に苦笑しつつも、ジェイドは何故かホッとしたように苦味のあるコーヒーに口をつけた。

 

 

慌ただしい足音を響かせ、兵士がジェイドの執務室に飛び込んで来たのは、その日の夕方の事だった。

「どうしました、騒々しい」

それに微かに眉間に皺を寄せて口を開くと、部屋に飛び込んで来た兵士はビクリと身体を震わせ、しかし余程の何かがあるのか意を決したようにジェイドを見詰め返す。

「ゼーゼマン参謀総長率いる実験隊が、先ほど軍本部に帰還なされました」

「ああ、実験の事は聞いています。そうですか・・・ずいぶんと早いですね。予定では帰還は明日だと聞いていたのですが・・・」

実のところ、がジェイドの元を離れ外泊するのはこれが初めてだった。

ジェイドが屋敷に戻らない事は仕事の関係上珍しくはなかったが、彼女が軍本部に出入りするようになってからは、ジェイドと共に泊り込むことも少なくない。

事実上、がグランコクマから出る事自体が初めてなのだ。―――記憶を失ってからというのが前提だが。

まさかジェイドがいない事に不安を感じ、帰りたいとダダを捏ねたわけではあるまい。

冗談交じりにそんな事を思うが、兵士の顔に浮かぶ戸惑いのような表情に異変を感じ、ジェイドもまた真剣な表情で兵士を見返した。

「・・・何か問題でも起こりましたか?」

「あ、いえ・・・その、私の口からは・・・」

「・・・・・・」

「ゼーゼマン参謀総長がお呼びです。会議室にいらっしゃるように、と」

言葉を濁す兵士に、ジェイドはその形の良い眉を更に顰める。

どうやらただ事ではないらしい。

もしかして、に何かあったのだろうか?

解りましたと返事を返し兵士を下がらせると、ジェイドもすぐさまゼーゼマンが待つ会議室へと足を向けた。

「・・・失礼します」

ノックの後声を掛け会議室に足を踏み入れると、そこには深刻な表情をしたゼーゼマンが考え込むように無言で椅子に座っている。

「参謀総長。お呼びだと窺ったのですが・・・」

もう一度声を掛けると、漸くジェイドが来た事に気付いたのか、ハッと顔を上げため息と共にジェイドに席につくよう勧める。

ノックをして声まで掛けて入室したというのに、傍に寄るまで気付かないなど彼らしくないと思いつつ、ジェイドは促されるままに椅子に腰を下ろした。

「どうされました?帰還は明日の予定と聞いていましたが・・・」

さっそく本題に入るべく話を切り出すと、ゼーゼマンはああと短く返事を返し、真っ直ぐジェイドを見返した。

「おぬしを呼んだのは他でもない、の事についてじゃ」

「はい。―――ところで彼女はどこに?姿が見えませんが・・・」

は今、医務室にいる」

「・・・どこか怪我を?」

「いや、怪我はないが・・・」

そこで言葉を切り、再び重いため息を零す。

心なしか顔色が悪い気がして、ジェイドの中に言い知れぬ不安が渦巻く。

一体何があったのか。

ゼーゼマンに言葉を濁させるほどの何かが起きた事は確実なのだ。―――そしてそれにが関わっている事も。

「実験中に何か問題でも?」

「結論を言うならば、実験は成功と言えるのかもしれん。その代わり、重大な問題も浮上したがな」

「重大な問題・・・ですか?一体何があったのです?」

引っかかる物言いに、ジェイドは訝しげに問い掛ける。

実験は成功と言えるのかもしれないという事は、失敗ともいえるという事だ。

今回の早い帰還は、実験が順調に行ったからではないらしい。

「我々はの譜術実験の為、今朝方グランコクマを出発した。そして実験を行う予定の地点へ到着し、さっそく実験を行った。だが・・・」

ゼーゼマンはその時起こった全ての出来事を、ジェイドに話すべく重い口を開いた。

 

 

実験場に選んだのは、グランコクマから少し離れた広い平原だった。

ここならば近くに村もないし、万が一譜術が暴走しても被害を最小限で押さえられる為だ。

少人数での隊の為予定よりも少し早く平原に到着した事もあり、少しの休憩を挟んだ後に実験は行われる事になった。

。準備は良いか?」

夜営の準備も整え、漸く実験を始めようとゼーゼマンが声を掛けると、別段緊張した様子もないは、無言でコクリと頷く。

「使用譜術はエクスプロード。大丈夫じゃな?」

「大丈夫。ちゃんと出来る」

念を押すゼーゼマンにしっかりと返事を返し、は譜術を発動すべく気を落ち着かせる為ゆっくりと目を閉じた。

今朝方ジェイドに言われた言葉は、しっかりと覚えている。

気を抜く事無く、は慎重に口を開いた。

焔の御子よ、災いを灰燼と化せ

の足元に、譜陣が浮かび上がる。

キラキラと微かな光を放ち、第五音素が収束する。

エクスプロード

ゆっくりと目を開けたの口から、力ある言葉が発せられた。

それと同時に響く爆音と、上がる火の粉。

吹き飛ばされた大地から巻き上がる土埃が、ゼーゼマンらの視界を覆う。

そうしてゆっくりと晴れていく土煙の合間に見えた光景に、彼らは思わず言葉を失った。

「・・・な、なんという事じゃ」

呆然と、無意識の呟きがゼーゼマンの口から零れ落ちる。

先ほどまで平原だったそこは、今は無残な瓦礫の地と化していた。

「・・・ば、化け物」

実験隊に参加した兵士の1人が呟いた怯えを含ませた声色に、微動だにせずに瓦礫と化した光景を眺めていたが振り返る。

そこにある怯えるでもなく喜ぶでもない無の感情に、ゼーゼマンの背筋に冷たい物が走った。

無表情で佇むからは、何の感情も読み取る事は出来なかった。

 

 

全ての話を聞き終えたジェイドは、ふと詰めていた息を吐き出した。

これがゼーゼマンの言う『成功と言えるかもしれない』という言葉の理由だろう。

本来エクスプロードという譜術に、そこまでの威力はない。

せいぜい大地に穴を開けるのがいいところだ。―――しかもまだ幼い子供が使うのであれば、無事発動できた事だけでも大したもの。

それが広大な平原を一瞬で瓦礫の山にするなど、信じられる話ではない。

けれどゼーゼマンがそんな嘘をつく理由もありはしないし、どうせすぐに大地が破壊されたという報告書も回ってくるだろう。

「それは・・・の譜術が暴走したということですか?」

実際その場にいなかったジェイドは、その辺りの詳細な情報を知らない。

もしの譜術が暴走したのであれば、エクスプロード程度の譜術で大地が瓦礫と化したという話も解らないでもない。

しかしゼーゼマンは成功と言えるかもしれないと言ったのだ。―――もし暴走したのであれば、はっきりと失敗だと口にするだろう。

「暴走したのではない。は正確に譜術を発動させた」

「では・・・」

「ただその規模が、普通ではなかったというだけじゃ」

堅い口調でそう呟き、ゼーゼマンは深くため息を吐き出す。

「確かに以前から、の音素は強力だとは思っていた。以前の・・・彼女が誘拐された時の状況も視野に入れ、今回の実験に至った」

「・・・・・・」

「だが、ここまでだとは思わなんだ」

まだたった11歳の子供。

これから大人になるにつれて、どんどんと力も増して行くだろう。

今でさえこの威力なのだ。―――大人になれば・・・想像するのも恐ろしい。

「あやつはお前のように譜眼を施しているわけではない。自然体であれだけの力を持った人間を、わしは見た事がない」

初めて見るゼーゼマンの姿に、ジェイドは言葉を発する事が出来なかった。

「ともかく・・・まずはの音素を抑える事から考えねばならん。あのままでは万が一音素を暴走させた時、最悪の事態に陥りかねん」

「・・・は医務室でしたね」

思い詰めた表情で語るゼーゼマンから視線を逸らし、ジェイドは静かに立ち上がった。

の音素の事については、彼女の師であるゼーゼマンに任せるのが一番だろう。

それよりも・・・今はが心配だった。

ゼーゼマンがこれほど動揺しているのだ。―――とて、何も思わないわけはない。

一見そうは見えなくとも、には確かに感情があるのだから。

の様子を見てきます」

そう言い残し、ジェイドは会議室を後にした。

 

 

何故か灯りの消えた医務室に、はいた。

医務室のベットに行儀良く座り、じっと窓の外を見詰めている。

ピンと伸びた背筋が、何故だかの子供らしさを殺しているように見えた。

「・・・灯りを点けないのですか?」

静かな室内に、ジェイドの常と変わらない声が響く。―――兵士どころか軍医の姿さえない医務室は、どこか寒々しく冷たい空気が流れているように思える。

「点けなくて良い。その方が・・・良い」

振り向く事もせず、やはりいつも通りの抑揚のない声ではポツリとそう漏らした。

月明かりだけが唯一の光源である医務室の中は薄暗く、廊下の明るい光に慣れた目では少し視界が悪かったけれど、ジェイドはのその言葉通り灯りを点ける事無く微かな音を立ててドアを閉める。

途端に室内を支配する暗闇の中、けれどぼんやりと浮かび上がるの姿をじっと見詰めて。

「実験の事は聞きました。平原を吹き飛ばしたそうですね」

「・・・・・・」

声を掛けても、は振り返らない。

思えばこんな事は初めてだ・・・と、ジェイドは場違いにもそう思った。

「怖いですか?」

「・・・・・・」

「苦しいですか?」

「・・・・・・」

何を言っても返事を返さない

しかしジェイドは一向に気にする様子もなく、ゆっくりとした足取りでの座るベットへと近づいた。

そうして彼女の視界を遮るように目の前に立ち、感情の宿らない瞳で自分を見上げるを静かに見下ろす。

「それとも・・・悲しいのですか?」

言いながら伸ばした手は、微かに肩を揺らし身を引いたによって避けられ、敢え無く宙を切る。

名を呼べば、は微かに眉間に皺を寄せて。

「・・・私に触らない方が良い」

「何故ですか?」

「私は・・・だって、私は」

化け物だから。

その言葉を飲み込んで、はジェイドの目から逃れるように俯いた。

あの時、あの実験の時。

兵士の口から思わず漏れた言葉が、耳について離れない。

化け物と言われた言葉が、いつまでも耳に残っている。

生まれも育ちも、ジェイドと出会うまで一切の記憶を持たない自分。

反論するだけの証を、は持っていなかった。―――化け物と言われれば、そうなのかもしれないと受け入れる事しか、今のには出来なかった。

今も・・・そして今までも、失った記憶を取り戻したいと思ったことは一度もない。

ジェイドと共にいる今の時間が、にとっては何よりも大切なものだったから。

しかし、ジェイドはどうなのだろう。

もしかするととんでもない過去を持つかもしれない自分がジェイドの傍にいても、果たしてそれは彼にとってマイナスにはならないのか。

自分の存在は、彼を貶めたりはしないだろうか。

己の学んだ譜術の知識に基づいて、確かにあの譜術で大地があそこまで崩壊するのは異常だという事はにだって理解できる。

自分は確かに普通に譜術を唱えた筈だ。―――だというのに、どうして。

再び名を呼ばれ、反射的に顔を上げたの頬に、温かな手の感触が伝わる。

それが何を意味するかを察したと同時にその温もりから逃れようと身を捩るが、それは呆気なくジェイドの腕に阻まれ、その時には既にジェイドの腕に抱き竦められていた。

「・・・ジェイド」

「私が誰を傍に置こうと、それは私の自由です。それについての責任を負うだけの力も持っているつもりですがね」

抗議の声を上げようとするの声を遮って、ジェイドはキッパリとそう告げる。

「貴女は黙って私の傍にいればいいんですよ」

耳元で優しく響くジェイドの声に、は漸く強張っていた体の力を抜いた。

「・・・ジェイド」

「だから貴女は、一刻も早く音素のコントロールを覚えなさい」

畳み掛けるようにそう言い、ジェイドは軽くの頭を叩く。

人を慰めた事など、ジェイドにはない。―――その必要もなかったし、またそれをしたいと思った事もない。

だからこれでちゃんとを慰めてやれているのかは、ジェイドには解らなかったけれど。

「・・・うん、頑張る」

そう言って抱きしめる自分の腕を握ったに、思わずホッと安堵の息を吐く。

何故自分がこんな行動に出ているのか、と出会って4年経った今でも解らない。

何故守りたいと思うのか・・・―――この強く、そして弱い少女を。

けれど確実に、ジェイドの中で変化が訪れていた。

それはゆっくりと・・・微かな速度で。

そして、それはの中でも確かに存在していた。

こんな自分に、手を差し伸べてくれた人。

時に解り辛くもあるが、それでも確かに解る大切にされていると言う実感。

化け物と人に言われるような自分でも、傍にいて良いと言ってくれる人。

何も出来ない自分を、それでも必要だと示してくれる人。

「ジェイド、ありがとう」

自分は、この人の傍にいよう。

ジェイドが自分を必要としなくなる、その日まで。

の消え入りそうな小さな小さな呟きに、ジェイドはやんわりと微笑んだ。

今、この少女を大切に思う気持ちだけが、はっきりといえる確かな答えだった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

話にリズムがありません。こう・・・切れ切れというか・・・。

ちょっと2人の関係を良い感じにしてみたのですが・・・。(このままじゃジェイドがロリコンに!)

この辺で主人公の実力と言いますか、力の具合を明確にしておこうと思ったのですが、そこはかとなく失敗感が漂っています。

あ、珍しく陛下が出てない!

作成日 2006.2.16

更新日 2008.2.15

 

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