軍基地本部のある区画と宮殿のある区画を繋ぐ石橋の手すりに座り、はぼんやりと流れる滝を見詰めていた。

珍しく何の訓練も入っておらず暇を持て余していたは、ジェイドの仕事の邪魔にならないようにと執務室を出、ピオニーが飼っているブウサギたちと遊ぼうかと宮殿を目指していたのだけれど。

ふうと彼女らしくないため息を吐いて、いつもならば綺麗だと瞳を輝かせて見詰める滝を、今日は少しだけ浮かない面持ちで眺める。

には、悩みがあった。

それは人に話せば些細な出来事には違いないのだけれど、今のにとっては何よりも難しい問題で。

しかしいつまでもここで考え込んでいても仕方がないと思い直したのか、もう一度ため息を吐き出すと手すりから下り宮殿へと足を向ける。

そこでは、不思議な人物を目の当りにした。

 

あるれた日に

 

宮殿を取り囲むように咲く色とりどりの花が植えられた花壇の前で、1人の男がどんよりとした空気を纏ってそこにいた。

黒を基調としたスーツに様々な派手ともいえる装飾を施した男は、この明るい陽の元では明らかに浮いている。

真白の髪が印象的な、眼鏡を掛けた男。

「・・・・・・?」

どうしたのだろうか、とは小さく首を傾げた。

こうして蹲っていると言う事は、もしかすると具合が悪いのかもしれない。―――しかし回りの人々は一向に彼に声を掛ける様子もなく、寧ろ遠巻きに見詰めている。

確かにお世辞にも自分から近づきたいと思うような雰囲気ではない男だが、しかしそこは全くそういった事に無頓着なは気にする事無く、真っ直ぐ花壇の前に蹲る男の下へと歩み寄った。

「・・・どうした?お腹でも痛い?」

「・・・は?」

小さく首を傾げて問い掛けると、男は間の抜けた声と共に勢い良く顔を上げる。

その表情は驚きに染められており、まるで珍獣でも見るような顔でじっとを見詰めていた。

「さっきからここに座って何してるの?頭痛い?」

尚も心配しているのか、は男と視線を合わせるように同じくしゃがみこんで、顔を覗き込むようにしてそう尋ねる。

逆に驚いたのは男の方だった。

今までこんな風に自分に声を掛けてきた者など、そうはいない。―――あまり胸を張って言える事ではないのだけれど。

「べ、別にどこも悪くありませんよ」

「そうか」

戸惑いながらもそう返すと、は納得したように頷きゆっくりと立ち上がった。

それに慌てたのは男の方で、すぐに立ち去る素振りを見せたの腕を咄嗟に掴み、引きずるようにして再び自分の隣へと座らせる。

「どこへ行くつもりですか?」

「・・・どこ?」

「私に声を掛けておいてそのまま何処かへ行ってしまうなど、なんて失礼な。こういう時は何故私がここにいたのか、何をしていたのかを尋ねるのが筋でしょう!」

無表情で大人しく座るに、男は機関銃の如くそう話し出す。

それにそういう物なのかと納得したは、素直にそれに従った。

「ここで何してたの?」

「そんな事、貴女に話して解るとも思えませんね」

ではどうしろと言うのか。

聞けと言うから聞いたに過ぎない疑問だが、そう撥ね付けられると複雑なものがある。

別に知りたいと思ったわけではないのだけれど、やはりもそれに少し理不尽さを感じたのか、微かに眉を寄せた。

「そういえば自己紹介がまだでしたね。私はサフィールです。貴女は?」

しかし一向にそんな事など気にならない男・・・―――サフィールは、何事もなかったように自己紹介をし、そうしてそれをにも求める。

「私、

やはりその申し出にも素直に従ったは、言葉少なく自己紹介をする。

するとサフィールの眉が、見て解るほどはっきりと上がった。

「・・・なるほど。貴女がですか」

「私の事、知ってるの?」

「ええ、知っていますよ。あのジェイドが引き取った娘の名前が、確かだったと記憶しています」

「ジェイドの事も知ってるの?」

「勿論です。彼と私は、唯一無二の親友ですから」

得意げな笑顔を浮かべてそう宣言するサフィールを見上げて、はそうなのかと1人納得していた。

ジェイドの口からサフィールと言う名前が出て来た事など一度もない事は、よくよく考えれば解る筈なのだけれど・・・―――それでも疑う事を知らないのか、の脳内でジェイドとサフィールは親友だとインプットされた。

そうして1人コクコクと頷いているを見下ろして、サフィールはふむと誰に言うでもなく呟いて。

という娘、非常に興味深いと1人ごちる。

あの他人には殊更冷たいジェイドがわざわざ面倒を承知して引き取り、そうして軍本部にまで連れてくるほどの可愛がりよう。(一部サフィールの思い込み有り)

ゼーゼマンとノルドハイムという軍でもトップクラスの実力者を師に持ち、先日の譜術実験では中級譜術で広大な平原を吹き飛ばしたというその実力。

聞けば自分たちの研究にも密かに参加しているというではないか・・・―――そんな少女と何故今まで会った事がなかったのか。

それはジェイドが裏から手を回し、サフィールとの接触を妨害していたからに他ならないのだけれど、そんな事はもサフィールも知るところではない。

この国の次期皇帝、ピオニーにもずいぶんと可愛がられているらしいまさに時の人が目の前にいるという事実に、サフィールの好奇心はますます燃え上がって行った。

じっとの頭の先から足の先までを観察する。―――漸くその視線に気付いたが不思議そうに首を傾げたけれど、それに構っていられる余裕など今の彼にはない。

ふとの左の太ももに描かれている譜陣に気付き、サフィールは僅かに眉間に皺を寄せた。

「・・・これは?」

静かな声で問い掛けられ、指を差された部分を確認したは、同じく自分の太ももに視線を落として口を開く。

「これは譜陣。えっと・・・私の音素を抑える為の譜陣だって、ジェイドが言ってた」

「抑える為ですか?」

「うん、そう。またこの間みたいになるといけないから、これで抑えるんだって」

言いつつ、太ももに描かれた譜陣に指を這わせる。

あの後、ジェイドとゼーゼマンの間で、の強大すぎる音素をどうするかの話し合いが行われていた。

確かに強大な力は魅力的だけれど、それを完全に扱えるようになるまでは却って危険だと判断を下し、ジェイドが自らに譜陣を刻んだ。

これを消す為には特別な措置が必要らしく、それはジェイドでなければ解けないらしい。

お風呂に入っても消えないと聞いたは、その時ホッとしたのだけれど。

「・・・なるほど」

じっと譜陣を見詰めていたは、サフィールの小さな呟きにふと顔を上げた。

そこには納得したように頷き、自分を見詰めるサフィールの顔。

「・・・どうしたの?」

「貴女はそれで音素の大半を封じられてしまったから、先ほどあんなにも悩んだ様子だったのですね」

そうなのでしょう?と問い掛けるサフィールを、は無表情で見上げた。

「どうして、私が悩んでるの知ってるの?」

「見ていたからですよ。橋の手すりに座って、物憂げな面持ちを浮かべる貴女をね」

得意げにそう言いきるサフィール。

彼の人が聞いたならば笑顔で辛辣な言葉が惜しみなく返って来るのだろうが、幸か不幸かその人物は自分の執務室で仕事の真っ最中である。

しかしは小さく首を振って違う事を示すと、またもやため息を吐き出した。

「私の悩みは、これじゃない。これは別に良い。ちゃんと譜術は使えるから」

ジェイドに音素の大半を抑えられたが、今のでも普通の譜術士以上の力は備わっている。

封じられていても問題はなかった。

「では、一体何に悩んでいるのですか?」

いつの間にか真剣な表情での悩みを聞く体勢を取っているサフィールは、そうとは気付かずにの顔を覗き込んだ。

「私、武器を探してる」

「・・・武器ですか?」

「今まで色んな武器使ったけど、ぴったりするのがない。だから・・・」

言って俯いたを見て、サフィールはふむと1つ頷く。

そういえば・・・と、いつもどこかで剣や槍を使って訓練するを、何度か見た事があるとサフィールは思い出した。

その人物の顔や姿までは良く見えなかったからと会った時には気付かなかったが、何人かの兵士に囲まれて姿が見えないほど小さな人物だったのだから、おそらくはで間違いないだろう。

「・・・ちなみに、貴女はどういった武器を望んでいるのですか?」

俯いたまま浮かない表情を浮かべるに、優しい声でそう尋ねる。

するとは、やはり浮かない声色のまま、解らないとだけ告げた。

「どんなのが良いのか解らない。剣とか槍とか弓とか、一通り試してみたけど・・・」

どれもそれなりには扱えるものの、突出した何かがない為、どれか1つに絞りきれないでいるというのが現状だ。

無難に剣を選んでも良いのだけれど、どうしてもしっくり来ないのだ。

「ふむ。では聞きましょう。あなたは武器にどういった性能を求めますか?」

「・・・性能?」

「そうです。こうであれば良いだとか・・・そんな希望もありませんか?」

問われ、は難しい顔で考え込む。―――勿論、傍目には表情が変わったようには見えないが。

「えっと・・・遠くの物も攻撃できるような物が良い。近くの物も出来た方が良いけど」

「ふむふむ」

「あと、持ち運ぶのが簡単な物が良い。剣とか槍とか、持ってると邪魔だから」

「なるほど」

「ジェイドみたいに自由に出し入れ出来たら便利だけど、それは出来るようになるまですごく時間が掛かるってジェイド言ってたから」

「そうですね。コンタミネーション現象を利用するのは、難しいですから」

の言葉に頷きながら、サフィールはの希望を記憶していく。

遠近両用で、持ち運びが簡単な物。―――確かにそう言った武器は多くないだろう。

「私、あんまり力がない。・・・でもその分動きは人より早いから、それを生かせるような武器が良い」

言われるままに希望を挙げていき、そうしてはまたため息を吐く。

そんな都合の良い武器など、ある筈がないと。

しかしそんな事を漏らすと、相談を受けているサフィールは楽しげに笑い声を上げた。

「確かにそんな武器はそうはないでしょう。ですけれどね、ないなら作れば良いだけの話ですよ」

「作る?」

「そうです。この天才・サフィールが、貴女の望む武器を作って差し上げましょう」

サフィールの自信に満ちた言葉に、は思わず目を丸くした。

「サフィールは、武器職人なの?」

「違います。私は学者ですよ。ですがこの天才の辞書に、不可能という文字はないのです!」

突然ガバリと立ち上がり、キョトンと目を丸くしたまま座るを見下ろして。

「見ていなさい、。すぐに貴女の望む武器とやらを作って差し上げますから!」

そう言って自分の世界に入ってしまったサフィールを見上げたまま、は勢いに流される形でコクリと頷く。

しかしすぐさま彼の言った言葉の意味を察して立ち上がると、まるで劇のように大きなアクションで高らかに語るサフィールの手をギュっと握り締めた。

「・・・っ!?」

「ありがとう、サフィール」

相変わらず無表情ではあるが、澄んだ瞳で自分を見詰めるに・・・―――そうして優しく握られた手に、サフィールの胸が大きく跳ねた。

「い・・・いえ、私は・・・」

「私、嬉しい」

付け加えられた言葉に、図らずもサフィールの頬に赤味が差す。

サフィール・ネイス、23歳。

12歳年下の、まだまだ少女と言える年齢の娘に、恋に落ちた瞬間だった。

 

 

とりあえずの悩みが解消したは、先ほどまでの沈みきった様子など微塵も感じさせないほど軽い足取りで、ジェイドの執務室へと戻る廊下を歩いていた。

かつては迷子になったこの軍基地内も、何年も毎日通っていればそれなりに土地感も芽生えるというものだ。―――最近のは、ジェイドの執務室に戻るくらいでは大して迷わなくなっていた。

勿論それはジェイドの執務室や宮殿のピオニーの私室など、よく通う場所限定ではあるのだけれど。

そういえば・・・とふと立ち止まり、ずいぶんと昔にここで親切な人に会った事を思い出す。

どこの誰なのかも知らないが、中将と呼ばれていたのだから偉い人なのだろうと今のならば解る。

しかし何故かはそれをジェイドに問う事はなかった。

ジェイドといる時には思い出さないだけで、別に隠しているというわけではないのだけれど・・・―――あれ以来1度も会わない事も、理由の1つかもしれない。

とても優しい瞳をしていたと、は記憶に残る彼の人を思い出す。

「・・・また、会いたいな」

にしては珍しいその感情に、彼女自身は気付いていないけれど。

すれ違った兵士が不思議そうに振り返るのを視界の端に映して、は止めていた足を再び動かし始めた。―――が、ふと何かに引かれるように再び足を止め振り返る。

しかし廊下には何もない。

先ほどすれ違った兵士の姿もなく、自分1人が立つ夕陽が差し込んだ長く伸びる廊下が、何故かとても寂しく思えた。

 

 

扉の開く音がしジェイドが顔を上げると、そこには数時間前に部屋を出て行ったが立っていた。

ただいまといつも通りの挨拶をし、そのままソファーに座り読みかけの本を広げる。

ジェイドは途中になっている書類をそのままに、本を読み始めたに声を掛けた。

、どこへ行っていたんですか?確か殿下のブウサギに会いに行くと言って出て行った筈ですが・・・」

「うん。でも行かなかった」

「でしょうね。先ほどまで殿下がここで、今日は貴女に会っていないと駄々を捏ねていましたから」

その時のことを思い出したのか、ジェイドはげんなりと疲れた表情でため息を漏らす。

折角が仕事の邪魔にならないようにと部屋を出て行ったというのに、大の大人が率先して人の仕事の邪魔をするというのはどういう事なのか。

寧ろこうして静かに本を読んでいるの方が、よっぽど邪魔にならない。

「それで?殿下の部屋へ行かず、一体今までどこに行っていたんですか?」

「広場にいた」

「広場?そこで何を・・・」

再度質問を投げかけると、は本から顔を上げてそう答える。

その表情は心なしか明るい。

確か数時間前に執務室を出る時は、沈んだ表情をしていたというのに・・・―――些細な表情の変化を的確に読み取れるようになった事に、喜ぶべきなのか嘆くべきなのか。

まぁ、ジェイドにとっては悪い事ではないのだけれど。

そんなは、無表情でありながらもほんの僅かに瞳を輝かせて。

「友だちが出来た。ピオニー以外に、初めて」

解り辛くはあるけれど、本当に嬉しそうにそう話す。

「・・・友達・・・ですか?」

の言葉に、ジェイドは微かに首を傾げる。

この軍本部の中で、の友達になるだろう人物はいただろうか、と。

確かにに優しく接する者は少なくないし、可愛がる者も少なくない。

今では流石にそんな事はしないが、昔は軍本部内で鬼ごっこまでしていたぐらいである。

しかしが自ら『友達』だと公言する者は、今のところピオニーだけだったというのに・・・―――いや、つい先ほどまではというべきか。

ピオニーが知ったら、さぞ残念がるだろうが。

軍本部を出て宮殿に向かっていたのだから、何処かの貴族の子供とでも仲良くなったのだろうと強引にもそう結論付けて、ジェイドは良かったですねとそう返し、再び仕事に戻った。

ほんの少しだけ、嫌な予感を感じつつ。

 

 

後日、の要望通りの武器を製作したサフィールが、意気揚々と執務室に現れる事をジェイドはまだ知らない。

自分にべったりな幼馴染に纏わりつかれる事も、にお礼を言われサフィールが顔を赤らめる事も。

いつも通りジェイドの執務室に乱入してきたピオニーと顔を合わせたサフィールが、物凄い剣幕で騒ぎ立てる事も。

今のジェイドには、知る由もないけれど。

一気に騒がしさを増したそこで、仕事が進まない事に苛ついたジェイドが、恐ろしい程の笑顔を浮かべる事だけは確かだった。

そうしてそれが日常的風景になる事など知らぬまま、今はまだ静かな時間が執務室には流れていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

拾われて4年目にして、漸くサフィールとの出会い。

主人公の武器は、サフィールが作ったという設定。

しかし23歳と11歳ですか。

実際に現在の年齢を書き出してみると、サフィールがなんだか犯罪チックですが。(それを言うとジェイドもそう変わりませんが)

でも現在のジェイドの心境としては、まだまだ保護者の位置から抜け出ていませんので、まぁあまり問題はないかと・・・。(といっても、近い内にそう変わらなくはなるのですが)

ちょっと今回は短めで。                    

作成日 2006.2.17

更新日 2008.3.4

 

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