入り乱れる靴音。

空気を引き裂くような兵士たちの怒号の中、夜空に浮かんだ丸い月を背中に、1人の男はゆるりと口角を上げ、その両の手を何かを迎えるように広げる。

「役者は揃った」

低く歌うようなその声は張り詰めた空気を振動させ・・・―――けれど雑音に支配されたその場では誰の耳に届く事もなく。

続いて小声で何事かを呟き、再びニヤリと口角を上げて右手を宙へ向けて振り抜いた。

同時に、爆音。

兵士たちの怒号は悲鳴へと変わり、場はますます混乱の一途を辿る。

雲一つない綺麗な夜空を目指して、灰色の煙がその身を伸ばした。

「さぁ、楽しい楽しい悲劇の始まりだ」

その楽しげな声色にほんの少しの悲しみを込めて。

燃え盛るかつての面影などない牢獄の最後を見届ける事無く、男は踵を返して歩き出した。

平穏を打ち壊す狼煙が今、上がる。

それは、すべての終わりを告げる・・・始まりの印。

 

わりの始まり

 

広場のベンチに座り、ぼんやりと空を見上げていたフリングスは、手元に集められた情報を一瞥して深く重いため息を吐き出した。

思わず頭を抱えたくなるほどの情報の多さに・・・―――けれどその中で一体どれくらいの数が実際に役に立つのだろうかと思うと、更に頭が痛くなる思いだ。

「・・・今日も平和だな、ここは」

蒼い空と白い雲。

どこからか聞こえてくる可愛らしい鳥の鳴き声と、穏やかな風に揺れる木々のざわめき。

皇帝陛下の住まう平和なこの街は、まるで世間で起こっている凶悪事件など関係がない別世界のようだ・・・とフリングスは思う。

まぁ勿論、マルクト軍の本部があるこのグランコクマを襲おうなどという無謀な考えを持つ者は、そうはいないのだろうけれど。

それはとても幸せな事だけれど、それに対してどこか罪悪感に似た感情を抱いてしまうのも仕方のない事なのかもしれない。―――自分だけが平和で幸せに・・・と思うほど、フリングスは自分勝手にはなれないだろう。

ともかくも、いつまでもここで休憩がてらサボっていても仕方がない。

早く集められたこの情報を持って自分の上司の元へと向かわなければ、どんなお仕置きが待っているか解らないのだから。

今自分が抱えている様々な事情から重くなりがちな気分を何とか振り切って、フリングスは傍らに置いておいた書類を抱え立ち上がる。

その時ふと、前方に見知った人物の姿を見つけて、フリングスは最近では珍しいその光景に親しみと興味を向けて、ゆっくりとした動作で足取りをそちらへと向けた。

「こんにちは、。今日は何をしているんだい?」

宮殿と軍本部を繋ぐ石橋の手すりに腰を掛け、珍しく滝の方ではなく通路の方を向いていたにそう声を掛け、小さく首を傾げてほんの少しだけ口の端を緩める。

突然掛けられた声に漸く彼の存在を認識したは、同じく小さく首を傾げ、大量の書類を抱えるフリングスを真っ直ぐ見返した。

「こんにちは、アスラン。アスランこそ、ここで何してる?」

「私はこの書類を持って、中将の所へ戻る途中だよ」

挨拶と共に返された問いに律儀にもそう答えて、フリングスは腕に抱えた書類を見せるように軽く掲げてみせる。

それに再び小さく首を傾げて、はフリングスの顔を覗き込んだ。

「・・・今、何の仕事してるの?」

「ああ、最近盗賊の活動が以前にも増して激しくなって来てるだろう?その関係で・・・」

困ったように表情を歪めて、苦笑と共にそう漏らす。

近頃、マルクト帝国内で盗賊による被害が相次いでいた。

勿論、平和な世ならともかく、キムラスカとの国交が不安定なこのご時世では、盗賊の存在はさして珍しい物ではない。

大きな組織や行動が派手な盗賊たちは軍でも何組か捕えてはいるが、それでも被害は減るどころか右肩上がりで増えている。

しかしそれが最近、特に酷くなってきているのだ。

原因がなんなのかは解らない。―――戦争が始まったというならばまだしも、まだ一応小競り合い程度で済んでいる現状では、不可解としか言いようがなかった。

盗賊の動きが活発になったのが、何故今なのか。

「それにこの間、刑務所で脱獄騒ぎがあっただろう?その時脱獄したほとんどが、軍が逮捕した盗賊たちばかりだったんだ。これは何かあるんじゃないか・・・って、中将がね」

フリングスの話を聞きながら、もまた難しい顔をしながら空を見上げた。

盗賊たちの脱獄話は、勿論の耳にも入っている。

その脱獄した盗賊たちの中に、かつてがジェイドと共に任務で捕えた盗賊たちも入っていたからなのだが。

「・・・何か、あるのかな?」

「どうだろうね。盗賊たち全員が、裏で繋がってる・・・とはとても思えないけど」

の疑問に、フリングスは困ったようにそう話す。

確かに組織としては盗賊たちも纏まっているが、組織同士が連携を取ったなどという報告は聞いた事がない。

たちが捕えた盗賊団は、組織の人間すべてを完全に捕える作戦で動き、また失敗もなかったように思える。

だから組織の生き残りが、仲間を助けに来たという可能性は低いだろう。―――そもそも助けに来るのならば、捕えられてすぐに助けに来るはずだ。

果たして今回の脱走が、盗賊団の動きの活性と繋がっているのかいないのか。

「まぁ、それを調べるのが私の仕事なんだけどね。もしかすると、近い内に盗賊団の討伐の任務が下されるかもしれない。その為の情報収集なんだよ」

苦笑と共に呟き、石橋の手すりに座って自分を見詰めるを見返す。

「ところで、君はこんな所で何をしているの?仕事は良いのかい?」

サボっていると、カーティス大佐に叱られるよ・・・と幼い子供に言い聞かせるように告げると、は不本意そうに僅かに眉を顰めた。

「サボってない。ちゃんと仕事してる。今だって・・・」

「今?」

不可解な言い回しに首を傾げる事でそれを伝えると、はコクリとしっかり頷く。

「やらなきゃいけない仕事は全部終わった。だから私は、ピオニーの言い付け通り、ちゃんとブウサギたちを散歩させてる」

そう言って視線で示された先には、自由に放たれたブウサギたちの姿。

ペットとして飼われている上、元々それほど気性が荒くないブウサギたちは、広場に放されていても害はない。―――勿論それを嫌がる貴族たちもいるだろうが、飼い主がこの国の皇帝だという事を知っているだけに、表立って文句を言う人間はいなかった。

それにしても・・・と、フリングスは気付かれないようひっそりとため息を零す。

今ではマルクトの優秀な軍人に、あろう事かブウサギの世話を命じるとは・・・―――流石といえば流石ではあるが、この国の皇帝は軍人の使い方を間違っているのではないかとも微かに思う。

「・・・カーティス大佐は?」

それに同意を示してくれそうな上官を思い出し問い掛けると、は大して表情も変えずに彼の問いに答えた。

「ジェイドは部屋でピオニーとお話してる。なんか・・・大事な話だって」

大事な話?

元々ジェイドとピオニー相手には信じられないほど素直なの事だから、その言葉のどこまでを鵜呑みにすれば良いのか解らないが、こうしてにブウサギの散歩を任せたという事は、少なくともに聞かれたくない話なのか。

そもそも、ジェイドはとても忙しい身の上にある。

どれほど真面目に仕事をしていても、終わった途端にまた違う仕事が持ち込まれて来るというのはもう日常的だ。

だというのに、は仕事はすべて終わったという。―――という事は、今は新しい仕事が持ち込まれていないという事なのだろう。

その理由を推測すれば、結論は一つしかない。

近々大きな任務が、彼らに課せられるという事。

それならばジェイドとピオニーが『大事な話』をしているというのも頷ける。

問題は、皇帝陛下直々に下される命令の内容だが・・・とフリングスは急に黙り込んでしまった彼を不思議そうに見るを見詰めながら思案する。

今世間を騒がせている盗賊団討伐の任務なのか、それとも・・・。

「どうした、アスラン?」

「・・・いや、なんでもないよ」

訝しげに問い掛けるににっこりと微笑んで、フリングスは軽く首を横に振る。

この事も中将に報告しておいた方が良いかもしれないと、そう思いながら。

「それよりも、ブウサギたちを放っておいて良いのかい?」

話題転換の為にそう話し掛けると、はほんの少しだけ表情を沈ませて、放し飼いにされているブウサギたちの方へと視線を向ける。

その表情の変化に、フリングスもまた訝しげに眉を寄せた。

「どうしたんだい?」

「最近、が元気ない」

唐突にポツリと漏れた台詞に、思わず目を丸くする。

「・・・こういうのもなんだけど、中将は無駄なくらい元気だけど」

「人間の方じゃなくて、ブウサギの方」

抑揚のない声でキッパリと言い切られ、フリングスは「ああ・・・」とはっきりしない返事を返しながら広場へと視線を移した。

ブウサギのせいなのか、いつもはたくさんいる人の姿がまばらだ。

はっきり言ってフリングスにはピオニーのペットたちの見分けなど全くつかない。―――何匹もいるブウサギたちを見分けられるのは、おそらく飼い主のピオニーと主に散歩などの面倒を見させられているだけだろう。

なるほど、その中に一匹だけ見るからに元気がないブウサギがいる。

「本当だ、あまり元気がないみたいだね。・・・あれがなのかい?」

「そう、あれが。最近あんまりご飯も食べないし、散歩に行っても寝てばかりいる」

しゅんと意気消沈して俯くを見て、そこまで面倒見させられているのか・・・とは流石に言えない。

「ほら、最近少し蒸し暑いし、バテているのかもしれない。それに結構歳も取っているみたいだし、それで最近は少し落ち着きが出てきたのかも・・・」

彼の上司は歳が増すごとに図太くなっているが・・・とも、勿論口が裂けても言えない。

「それなら、良いけど・・・」

フリングスの励ましに少し気分が浮上したのか、は俯かせていた顔を上げると、しかし心配そうにブウサギを見詰める。

ちょっと話題転換にしただけだというのに、思ったよりもそれがの現在の不安に直撃してしまったらしい。

ここまで想われているブウサギが羨ましいと思うべきか、軍人として他に気にしなければならない事があるだろうと注意するべきか・・・―――悩みがブウサギで留まっている事に、平和を感じる方が無難かもしれない。

それはともかく、心配を抱えているには非常に申し訳ないが、いつまでもここでブウサギについて歓談している暇は、残念ながら今のフリングスにはない。

戻るのが遅ければ、それこそ元気が有り余っているだろう人間の方のに、どんな文句を言われるか解らないのだ。―――綺麗さっぱりそれを流す自信がないわけではないが、余計な面倒はないに越した事はない。

「ごめん、。私は仕事の途中だから、もう行くよ」

「構わない。わざわざ声を掛けてくれてありがとう、アスラン」

控えめにそう声を掛けると、珍しくが僅かに微笑んでそう返事を返した。

こういう物言いをするくらい、は成長したんだなぁ・・・と親父くさいと自分でも思いつつ心の中で感想を漏らし、再びブウサギたちに視線を向ける。

ももうそろそろ戻った方が良い。なんならブウサギたちを集めるのくらいなら手伝うけど・・・」

はっきり言ってしまえばその時間も今の彼にはなかったけれど、のんびりしているようでやはり動物らしく自由奔放な彼らを、たった1人で集めて戻る事は簡単ではない。

もうこの際、もう少しくらい遅れたって良いだろうなどと勝手に判断しながらそう声を掛けるが、フリングスの申し出にはふるふると首を横に振って。

「大丈夫。呼べばすぐに戻ってくるから」

「呼べばって・・・」

フリングスもまた、何度かピオニーのお願いという名の命令でブウサギたちの世話をした事があるが、彼らがそんな生易しい存在ではない事はよく知っている。

自身がいいというのだから、強引にブウサギの世話を手伝う事はないのだけれど。

それでもこの心を許している自分よりも年下の少女が、余計な苦労を背負わされているのを黙ってみていられるほど、フリングスは薄情ではない。―――寧ろそんな状態のを見捨てて来たと上司に知れれば、更なる罰が与えられる事は確実だ。

それらの状況からどうしたものかと戸惑うフリングスを見て、は自分の事をとても心配してくれているのだと取ったのだろう。―――あながちそれは、間違いではないが。

「大丈夫。本当に、呼べば戻って来る」

そうポツリと告げて、は手すりの上で立ち上がると、広場で各々のびのびと時を過ごすブウサギたちに向かい声を張り上げた。

「ジェイド、ネフリー、ゲルダ、、サフィール、アスラン、!」

抑揚のない声で呼ばれた7つの名前に、フリングスは軽い眩暈を覚える。

思えば時を経る事に数が増えているような気はしていたが、いつの間に自分の名前のブウサギまで増えていたのだろうか。

これまで散々ジェイドのピオニーに対するブウサギについての抗議を他人事のように聞き流していたフリングスだったが、今漸く彼の気持ちを正確に理解できた。―――それを喜ぶべきか嘆くべきか、どちらとも判断がつかなかったが。

今日初めて知らされた事実に、フリングスの注意は散漫になっていた。

だから彼はその事態に気付かなかった。―――頭上からの声が降って来るまでは。

「アスラン!」

「え、・・・うわぁ!!」

珍しく、に鋭い声で呼ばれて漸く我を取り戻したフリングスの目に映ったのは。

自分に向かい駆けて来る、7つの物体。

ああ、呼べば戻って来るって本当だったんだな・・・などと、いやに冷静にそんな事を思いながら。

勢いのついたそれを避ける事など出来ず、フリングスは成す統べなく悲痛な声を上げて7匹のブウサギたちに押し潰された。

 

 

広場にて、アスラン=フリングスがブウサギの餌食になっている頃。

人払いのされた皇帝の私室にて、ピオニーとジェイドは向かい合っていた。

それはいつもの光景のようでそうではない。―――そこがジェイドの執務室ではないからだけでなく、ピオニーの傍にはゼーゼマン・マクガヴァンの両名が控えていたからである。

「ずいぶんと重々しい雰囲気ですねぇ」

「ま、今回は仕方ないとはいえ、落ち着かない事に違いないな」

しかし場の雰囲気に対して、2人の態度は普段と変わらない。―――否、変わらないのではなく、意識してそう装っているのかもしれない。

こうして改めて呼び出される話に、良いものなど滅多にありはしないのだから。

普段彼の私室に足を運んだならば必ず出される筈のお茶。―――けれど今は何も乗っていないテーブルに意識的に視線を向けて、ジェイドは無言で話を促した。

「今、マルクト帝国内で、盗賊の被害が相次いでいるのは知っているな?」

「それは勿論。彼らのせいで余計な仕事が増えているのですから」

少し前から増えてきた仕事のほとんどがそれ関係の書類である事は、毎日嫌というほどそれを目にしている彼には今更改めて言われるほどの事ではない。

確かに異常とも取れるほど格段に増えた盗賊の被害に、何かあるのかと勘ぐる気持ちも勿論あったが、それは執務室の中で推測するにはあまりにも情報が少なすぎた。

そこに理由や原因があるのかどうかは、盗賊を捕え取調べなり尋問なりをすれば判明するだろう。―――問題は、あれほど派手に活動している盗賊を軍が捕まえられていないという現状の方だ。

「・・・で?」

「まぁ、お前相手に今更遠回しに言っても仕方ないから単刀直入に言うが・・・」

「お願いします」

ジェイドの簡潔な促しにピオニーは少しだけ苛立ったように髪を掻き毟る。―――彼のそんな態度は珍しいと思いつつも、あえてそれは口にせず話の続きを待つ。

そうしてピオニーの口から告げられたのは、ジェイドにとっても少なからず驚くに足るほどの言葉だった。

「どうもこちらの内部情報が、盗賊たちに流れているらしい」

「・・・内部情報が?」

酷く真剣な表情で静かにそう告げるピオニーを見返し、ジェイドは僅かに眉間に皺を寄せた。

軍関係の情報を、一般が手に入れられる事は滅多にない。

それが出来るのは、同じく軍に所属する者だけだ。

とはいっても、軍人とて1人の人間。―――何かの拍子に口を滑らせたり、そうとは知らずに口を割らされていたりする事もある。

そう言った人間が軍人である事がどうなどという話題は、この際意味はない。

マルクト軍の情報が漏れている。―――そう結論付けるという事は、それが今も続いているからなのだろう。

それは決して口を滑らせただの、口を割らされていただのという次元ではない。

誰かが自らの意思を持って・・・もしくは現在進行形で脅迫されて、盗賊を相手に情報を流し続けているという事だ。

一瞬しんと静まり返った室内で、その静寂を破ったのはゼーゼマンだった。

「最近、国内で盗賊団による被害が増えておるじゃろう?国としても無視できん名家もあるのでな、軍から少しばかり警備として兵士を動かしたんじゃが・・・」

「それが漏れている、と?」

「そういう事だ。警備体制、兵士の人数。―――漏れてるのは重要機密ってわけじゃねぇが、警備をする上では漏れれば厄介な情報だ」

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるピオニーを見据えて、ジェイドは素早く頭を回転させる。

犯人で有り得るのは誰なのか。

その情報を知る事が出来るのは、どれほどの数がいるのか。

しかし残念ながら警備体制やら警備の兵士の数やらは、ピオニーの言う通り機密情報とはとても呼べないほどのものである。―――それらは実際に警備につく兵士たち以外でも簡単に知り得る情報でしかない。

「今、その情報の出所を探っているが・・・予想以上に上手くやっているのか、尻尾が掴めない。ま、情報が情報だしな」

「・・・それで、私にそれを調べろと?」

ほんの少しため息混じりに、ジェイドはそう問い掛ける。

それが命令だというならば、ジェイドとて拒んだりはしない。―――軍人としてこの場にいる彼には、それに従う義務がある。

それでもそんな途方もない調査など勘弁してほしい、というのが本音だ。

実際情報流出は問題だが、他にやらなければならない事は山ほどあるのだ。

まずは世間にのさばっている盗賊の捕縛。―――情報流出の調査は、それからでも遅くはない。

しかしそんな意味を込めたジェイドの問い掛けに、ピオニーはやんわりと否定を示す。

「いや、お前に調べてもらいたいのは別の件だ。もしかするとそれにも関わっている可能性もあるが・・・」

「・・・というと?」

「先日、刑務所で脱走騒ぎがあったのは知っているな?」

「ええ。脱走に成功したのは以前捕えられた盗賊でしたね」

ついこの間報告のあったそれを瞬時に思い出し、物憂げな様子で頷く。

盗賊の跋扈に情報流出、おまけに盗賊の脱獄など・・・―――これ以上厄介事は正直御免したい。

「実はあの脱走騒ぎの前後、刑務所付近で不審な人物が目撃されたらしい。そいつの調査をお前に任せたい」

明瞭な声色でそう告げるピオニーの表情を見据えて、ジェイドは僅かに眉間の皺を深くさせた。

事が事だけに明るい表情をしろとは言わないが、それにしてもこの苦々しい表情はなんなのだろうか。

確かに楽観視できる問題ではないが、皇帝がそれほどまでに追い詰められる状況ではない筈なのに・・・―――しかしジェイドはそんな疑問までもすべて飲み込んで、何食わぬ顔で口を開いた。

「・・・ふむ。調査というからには、その人物の正体を掴んでいるという事ですね。そしてそれを『取調べ』『尋問』ではなく『調査』という形を取るという事は、なかなかに厄介な人物が相手らしい」

「ま、そういうこった。今回の件に関しては、お前が一番の適任だと思ったんでな。まぁ場合によっては、一番不適任だとも言えるが・・・」

真実を突いたジェイドの発言に、ピオニーは動揺した素振りも見せない。

彼ならばそこに難なく思い至るだろう事を察していたからかもしれないし、これからそれを告げるある種の開き直りからかもしれない。

しかしジェイドはピオニーの意味深な発言に、訝しげに表情を歪めた。

自分が一番適任であり、そして不適任であるとは一体どういう事なのか?

ピオニーたちは明らかに、その不審人物の正体を掴んでいる。

そしてそれは自分が言った通り、任意だとしても取調べをするのが憚れる相手なのだろう。

軍の幹部が・・・そしてこの国の皇帝が、手を出す事が憚られる相手というのはそれほど多くはない。―――敵国の地位ある者なのか、それともこの国の上流貴族か、もしくは同じく軍機密を握っている幹部か。

そこに加えて、自分と関わりがある者。

調査をする上で自分が適任であると判断されるほどの相手。―――そして不適任だとも言えるという事は、その人物が自分とも関わりが深い者なのか。

考えを巡らせても、普段から人と深く付き合っているとは言えないジェイドの脳裏には、それほど多くの者の姿は浮かばない。

自分と一番近しい人物といえば、目の前に座っているピオニーか、それとも・・・。

「・・・・・・まさか」

「そうだ、そのまさか、だ。残念ながら、今のところ反逆の疑いもかかっている」

軽く目を見開いて自分を見据えるジェイドを見返して、ピオニーは静かな声でそう告げる。

普段の彼からは想像が出来ないほど落ち着いた・・・それは皇帝の言葉。

「・・・本気ですか、陛下?」

「・・・・・・」

あまりの突拍子もない話にそう問い掛けるが、その答えは無言という形で返って来る。

それ以上問い掛ける言葉もなくただ眉間に深い皺を刻むジェイドに、ピオニーは言葉を重ねる事無く、深く長い息を吐き出して疲れたようにソファーに背中を預けた。

「ジェイド=カーティス大佐。対象の調査を命じる。―――やってくれるじゃろう?」

すっかり口を閉ざしたピオニーに代わって、マクガヴァンがそう声を掛ける。

そこに拒否の余地はなかった。

マルクト軍大佐として、マルクト軍元帥の命に逆らうなど、出来る筈がない。―――もしもそれが可能だったとしても、ジェイドがそれをする筈もなかった。

「・・・了解しました」

吐き出したため息と苦味が混じったその言葉に、空気がより一層重く感じた。

 

 

◆どうでも言い戯言◆

しょっぱなから重苦しい展開ですみません。(笑)

それほど長くするつもりはないのですが、本編の過去編連載・補完編です。

ぶっちゃけ書かない方がいいのかもしれないなぁと思うほど無駄に雰囲気重い内容ですが、別にダークとかそんなんじゃないので。(寧ろそんなの書けません)

設定とキャラだけ使った完全オリジナル。(というか過去編の時点で既にそんな感じなのですが)読まなくても大丈夫・・・かもしれませんが、読むと本編で「ああ、あそこの事か」みたいに思え(るように書いて行きたいなとは思っているのですが)(なんのこっちゃ)

作成日 2006.7.15

更新日 2010.7.4

 

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