「・・・では、カーティス大佐率いる第三師団に盗賊の討伐を任せる、という事で」

読み上げた案件の最終確認をする議長の声に反論の声はなく、事実上満場一致でその案件は承認された。

ジェイドはそれに対し短く了承の返事を返し、集められた情報が記載されている書類を気のない様子で眺めながら、ふうと小さくため息を吐く。

重なる時には重なるものだ・・・と、心の中で独りごち視線を上げると、会議室の上座の席に座っているゼーゼマンとマクガヴァンの少々苦い表情が映った。

ピオニーから直々に下された極秘裏の任務。―――それは盗賊討伐の任務と兼任するにはあまりにも勝手が悪すぎる。

出来れば盗賊の討伐を他の師団に任せ、自分はグランコクマに残り調査を続けたいところだが、現状を考えて跋扈する盗賊たちを捕えられるだけの実力を持つのは、ジェイドの第三師団かの第一師団しかないだろう事は十分に解っていた。

だからこそ、ジェイドに下された極秘裏の任務を知っているゼーゼマンらとて、盗賊討伐の人選について何も口出しできなかったのであろう、とも。

「・・・面倒臭いですねぇ」

発言が発言だけに、聞こえないほど小さな声でそう呟いて。

もういっその事、すべて聞かなかった事にしたいと、柄にもなくそう思った。

 

近くて遠い

 

「・・・・・・以上です」

木箱などが山積みになっている倉庫の中、部下のその声に手元のチェック表に印を書き込んだは、コクリと一つ頷いてから顔を上げた。

「最終確認、終了。ご苦労様でした。今日はゆっくり休んでください」

「はっ。・・・あの、准佐は?」

「私はこのチェック表をジェ・・・カーティス大佐に提出してくる」

休んでよいという言葉に畏まった様子で敬礼した部下の窺うような声に、は軽くチェック表を上げてそう告げる。

ご苦労様です、准佐も早く休んでください。―――という部下の言葉にありがとうと簡潔に答えて、は部下の去った倉庫内で1人立ち尽くしながらぼんやりと積み重なった木箱を見詰める。

第三師団に下された盗賊の討伐の為の遠征。

もう出発が翌日に控えている今日、第三師団の副師団長でありジェイドの補佐でもあるは、多忙を極めていた。

本日最後の仕事である遠征に持っていく物資の最終確認を済ませたは、息つく暇さえなかった今日を思い起こし、疲れの為か短く息を吐き出す。

これほど多忙を極めるほど、今回の遠征は急すぎた。―――近々その命が下るだろうとは予測してはいたけれど、その予想を上回るほど決定は迅速だった。

裏を返せば、それだけ余裕がないということなのかもしれないが、にとってはその辺の事情は知らない。

が多忙を極めているその理由の一つに、ジェイドが今回の遠征の準備のすべてを彼女に任せた事にもあった。

勿論それはジェイドがのことを信頼しているという証でもあり、そう考えれば嬉しく思う気持ちもあったが、何せ仕事量が半端ではないのだ。

普段でもその仕事を2人で二分してこなすほどである。―――それを今回はすべてに・・・しかも短時間で、というのだからその大変さは改めて考えるべくもない。

ともかくも、その大変だった仕事もあとはジェイドへの報告を残すだけ。

明日の事を考えれば、すぐにでも執務室に戻り報告を済ませ、そして仮眠を取るのが望ましいと解ってはいたけれど。

けれどどうしてもそんな気になれずに、は木箱の一つに座って倉庫の窓から暗い外を眺める。

折りしも、今日は新月。

月の加護がないこんな夜は、いつもよりも闇が濃い。

闇に紛れて活動する盗賊たちにとっては、これ以上動きやすい日はないだろう。

おそらくはまた増えるだろう盗賊の被害状況に、は不愉快そうに眉を顰める。

何故盗賊は、人から何かを奪おうとするのだろう?

すべてを奪い、多くの人の幸せを奪ってまで手に入れたい物があるのだろうか?―――それは物欲というものに乏しいには解らない感情だった。

たとえその感情を理解できたとしても、軍人として盗賊たちの行為を許すわけにはいかない事も確かだったが。

しかし今のにとっては、起こるかもしれない盗賊団の被害よりも気になっている事があった。

「・・・どうしたんだろう、ジェイド」

暗い窓の外から薄い光を灯す室内へと視線を戻し、そうして手元のチェック表を見下ろしたはポツリとそう呟く。

最近、ジェイドの様子が少し可笑しい。

難しい顔で何事か考えていたかと思えば、行く先も告げずに1人で何処かへ行き、そうして再び難しい顔をして戻ってくる。

あのジェイドが、声を掛けても気付かない時さえあるほど。

何かあった事は確実なのに、しかしジェイドはそれを誰にも・・・にさえ話そうとはしない。

その原因がなんなのかはには解らないが、きっかけらしき事はにも想像がついた。

あの日・・・、ジェイドがと共にピオニーの私室へと足を運んだあの日。

大事な話があるからとブウサギの世話を任されたが、ピオニーの私室を出たあの日。―――ジェイドの様子が可笑しくなったのは、あの日を境にしてだ。

「大事な話って、なんだったんだろう?」

自分1人だからこそ漏らす疑問。

ジェイドには決して聞けない。―――おそらくは聞いても答えてはもらえないだろう。

話す気があるのならば、もうとっくに話してくれている筈だ。

そうしてもまた、無理にそれを聞こうとはしない。―――知りたい気持ちは勿論あるが、ジェイドがそれを口にしないという事は、が知る必要がない事か、もしくは知ってはいけない事のどちらかなのだろうと解っているから。

「・・・・・・だけど」

それでもジェイドが時折見せる苦々しい表情は、見ているだけで苦しくなる。

聞いてはいけないと解っているのに、何があったのかと聞きたくなる。―――それは更にジェイドを困らせるだけだと解っていても。

だからはこうして執務室に戻らなければならない今も、用事の無い倉庫でぼんやりとしているしかないのだ。

しかしいつまでもここに居るわけにはいかない。

ジェイドへの報告を済ませてしまわなければ、今日の自分の仕事は終わらないのだ。

それはジェイドの仕事も終わらないという事。―――今のままでは2人共がいつまで経っても休めない。

どうしようかと困り果てて、は意味もなく視界を巡らせる。

その時ふと何かの音が耳に届き、は閉ざされた扉の向こうへと視線を向ける。

分厚い扉に阻まれてその音は本当に微かに聞こえただけだけれど・・・―――それが人の声・・・否、歌声のように聞こえて、僅かに興味を引かれたは、木箱から飛び降りるとそっと分厚い扉を押し開けた。

その途端にはっきりと耳に届く音。

「やっぱり・・・歌」

聞き覚えのない、けれどどこか懐かしさを感じさせるその歌に引かれるように、は僅かに届く声を頼りにふらふらと廊下を歩き出す。

段々と確かになっていく歌声。

優しく、物悲しく響くその旋律に心地良さを感じながら。

そうして吹き抜けの・・・天井の高いその空間に足を踏み入れたは、その歌声の主を見つけて軽く目を見開いた。

同時にその声の主もの存在に気付いたのか、歌うのを止め視線をへと移す。―――それを残念に思いながらも、もまたその人物へと視線を向けた。

「よお、じゃねぇか。こんな所で何してるんだ?」

先ほどの歌声からは想像がつかないほど明るい声でそう声を掛けられ、ぼんやりとしていたは唐突に現実に引き戻されたような錯覚を覚えながら、言葉もなくただふるふると首を横に振った。

2階までの吹き抜け。―――その2階部分の踊り場で、手すりに身を預けるような体勢のまま柔らかく微笑むを見上げて、は少しでもの傍へと寄るように彼の下へと回り込む。

「今の歌」

「・・・あ?」

「今の歌、なんて言うの?」

何の前触れもなく唐突にそう問い掛けたに目を丸くしつつも、はすぐにニヤリと口角を上げて楽しそうにを見下ろした。

「ん?ああ・・・まぁ、一般的な子守唄ってやつだ」

「・・・子守唄?」

「そうそう。安らかな眠りを祈る・・・ってな感じの」

「安らかな・・・眠り」

ぼんやりとした様子で言葉を反芻するに、は苦笑を漏らしながら僅かに首を傾げる。

「なんだ、。お前聞いた事ないのか?」

「ない」

キッパリと返って来た返答に、は困ったように微笑んで「そうか・・・」と小さく呟く。

「カーティスは歌ってくれなかったか?」

「ジェイドは歌を歌わない」

その予想済みといえば予想済みの答えに、またもや苦い笑みが零れた。

が歌っていたのは、本当に一般的な子守唄だ。

眠りにつく幼い子供に歌って聞かせる、母親の優しい声で紡がれるだろう旋律。

にも勿論馴染みがあった。―――時折こうして懐かしさに浸って口ずさんでしまうほど、泣きたくなるほど優しく慈しみに満ちた母親の声。

大抵の子供ならばその経験があるはずだ。

勿論このご時世だから、親を無くした子供も少なくはないが・・・―――それでもほとんどの子供は、一度くらいはその優しさに触れた事があるはず。

そこまで考えを巡らせて・・・そうしては改めて思い出す。

が何も持たない子供だったという事。

両親の愛も、その温もりも・・・自分の生い立ちさえ、は何一つ持たない。

彼女が持っているのは、その身一つ。―――そしてここへ来て与えられた、親の愛とは違うけれど優しい人たちの温かい想い。

きょとんとした表情で自分を見上げるを見下ろして、は小さく笑んだ。

それにしてはよくもまぁ、これほど真っ直ぐに育ったものだ、と。

自分で言うのもなんだが、特殊すぎる環境の中で・・・―――そしてこれまで人に対して愛情を見せる事などなかったあの青年の元で。

その真っ直ぐに向けられる瞳と少女から放たれる温かな光に、どれほどの人間が救われたのか。

たとえ少女自身に、その自覚がなかったのだとしても。

「なんなら、カーティスに歌ってもらえば良い。あいつなら興味ないとか言いつつ、しっかりと知識だけはありそうだからな」

「・・・歌ってくれるかな?」

「ま、嫌味のオプションは避けられないだろうけどな」

それでも結局は歌ってくれるさ・・・と、は妙な確信を抱きながらそう告げる。

嫌な顔をして、悪態をついて、それでもジェイドは渋々ながら歌うのだろう。―――この真っ直ぐで純粋な少女の為に。

その光景を想像するだけで笑みが零れる。

「じゃあ、今度頼んでみる」

「ああ、そん時には呼んでくれ。俺も是非、カーティスの歌声を拝聴したいからな」

くつくつと笑みを零すを困ったように見上げながらも、は一つ頷いた。

そうしては僅かに眉を顰める。―――ずっと高いところにいるを、ほぼ真下から見上げていたせいで、首が痛くなってしまったからだ。

けれどは何故か、の元へ行こうとは思わなかった。

そこへ行く為には廊下をグルリと迂回しなければならなかったし、また自身がそれを望んでいないような気がした。―――そうでなければ、きっとは何の躊躇いもなくそこから飛び降りて来ただろうから。

それに・・・この離れた距離が、なぜか心地良いような気もして・・・。

中将、こちらにおられましたか」

そんな静かな・・・2人の穏やかな空気の中、2人のどちらでもない声がその場に響く。

少しだるくなった首でそちらを見やると、のすぐ後ろに以前会ったトール将軍の姿が見えた。

「ん、どうした?俺に用事か?」

「用事か?ではありません。会議の時間はもう過ぎているのですよ?」

呑気な様子で首だけで振り返るに対し、呆れを存分に含んだ眼差しを向けながらそう告げるトール将軍に、しかしはそうだっけ?と惚ける始末。

こんな時間から会議?と、はそんな2人を見上げながら首を傾げる。

このある意味非常事態の中、対策を立てるべく幹部たちは時間を惜しんで会議を行っている。―――それで何か進展があるのかといえば難しいところなのだけれど。

本来ならばその会議に参加しなくてはならない立場であるジェイドは、明日からの遠征の為に会議の出席は免除されていた為、はこんな時間に会議があるなど知らされてはいなかったが。

「おかしーな。アスランの奴、呼びに来なかったけど・・・」

「フリングス中佐は街の見回りに出ているのでしょう?」

「ああ、そうだった」

「・・・いい加減に部下に頼り切るのはお止めになってはいかがですか?」

相変わらず棘の含まれたトール将軍の物言いに、しかしは一向に気にした様子なく、はいはいと返事をしながらただ軽く肩を竦めて見せた。

「んじゃ、そーいうわけだから俺行くわ。お前も早く仕事終わらせて休めよ」

これ以上トール将軍の説教を聞くのは避けたいだろうは、最後に自分たちの様子を見詰めるにそう声を掛けて、ヒラヒラと手を振る。

そうしてくるりと踵を返し、静かな靴音を響かせて去って行くその背中が視界から消えるその瞬間、は無意識に声を発していた。

「・・・っ!」

のそのよく通る声が、高い天井に跳ね返って木霊する。

滅多に声を荒げないその少女の大きな声に、は踏み出しかけていた足をその場に踏みしめ身体ごと振り返った。

「どうした、?」

すぐさま踊り場へと戻り下を覗き込むと、そこにはどこか寂しそうな・・・親を見失って心細い子供のような、そんな面持ちをした少女がそこにいた。

「・・・どうしたんだ、?」

眉を八の字にし、ただじっとを見上げるに、先ほどよりも優しい柔らかい声で声を掛ける。

するとはパチパチと瞬きをし、そうして深く息を吸い込んで、躊躇いがちに口を開いた。

「・・・今度」

「・・・ん?」

「今度、歌ってくれる?私に、子守唄」

ぽつりぽつりと漏れる言葉に、は軽く目を見開いて。

そうして何故か不安そうに自分を見上げるに、フワリと柔らかい笑みを返した。

「ああ、いつでも歌ってやるよ。そうだな・・・お前が遠征から帰って来たら」

「約束」

「・・・ああ、約束だ」

右手を掲げ小指を立てたに向かい、もまた右手を伸ばし小指を立てる。

近いようで遠い距離を隔てて、それは結ばれる事はなかったけれど・・・―――それでもは満足そうに僅かに微笑んで、ありがとうと礼を述べた。

 

 

と別れて、とトールは連れ立って会議室へと向かう。

もう夜中を過ぎたこの時間帯では、廊下で兵士とすれ違う事もない。―――今はほとんどの兵士が街の警備に借り出されている為、いつも以上に静けさが耳についた。

時折見張りの兵士に挨拶をされながら、2人は無言で歩を進める。

「・・・なぁ、トール将軍」

コツコツと堅い靴音が響くその静寂の中、不意にが自分の一歩後ろを歩くトール将軍へと声を掛ける。

それに無言で視線だけを向けたトール将軍に、は何気ない口調で問い掛けた。

「将軍は、母親に子守唄って歌ってもらった事ある?」

「・・・子守唄、ですか?」

「そ、子守唄」

唐突なその問い掛けに僅かに首を傾げて・・・―――その質問の意図は解らなかったけれど、おそらくは先ほどと話していた内容に関係があるのだろうと結論付けて、トールはため息混じりに答える。

「まぁ、そういった経験がないとは言いませんが・・・」

「だよなぁ。俺もある」

呆れ混じりで返した答えに、簡単な肯定の言葉。

だからなんなんだと将軍が心の中で突っ込みを入れた直後、またもや呑気な声色でが質問を重ねる。

「んじゃ、将軍は息子に子守唄歌ってやった事は?」

歩みを止める事無く、首だけで振り返ったのその問い掛けに、トール将軍は隠す事無くため息を吐き出した。

「ありません」

「一度も?」

「ええ、一度も」

キッパリと言い切って、突拍子もない質問を向けるを軽く睨みつける。

さっきから一体なんだというのか。

もやけに子守唄に拘っているようだが、それが一体なんなのか。

くだらない事を言っていないで、さっさと歩いてください。―――トール将軍がそう棘を向ける前に、はため息混じりに「勿体無い・・・」と小さく零した。

その言葉にトール将軍が訝しげに眉を顰めた事に気付いているのか気付かないのか、さして彼の様子を気にした風でもなく、はやはり呑気な口調で言葉を続ける。

「俺さ、自分の子供に子守唄歌ってやるの、夢だったんだよなぁ」

まるで独り言のようにポツリと漏れたその言葉は、思った以上に響いて消えた。

その瞬間、思わず立ち止まってしまったトール将軍に気付いて同じく歩みを止めたは、振り返り苦々しく笑む。

「悪い、聞かなかった事にしてくれ」

恥ずかしいから、と付け加えて再び歩き出したに、トール将軍は複雑な表情を浮かべながらも後に続く。

先ほどよりも距離が開いたの背中を見据えて、先ほどよりも居心地の悪い空気を肌で感じながら、トール将軍は戸惑いを表情に貼り付けたまま浅く息を吐き出した。

沈黙が、息苦しい。

苦手で、どちらかというと嫌いな部類に入る。―――そんな彼に今更なんて言葉を掛ければ良いのか。

「・・・今からでも妻を娶り、子供を作れば宜しいのでは?」

躊躇いつつもそう言葉を向ければ、はにんまりとした笑みを浮かべて振り返る。

その笑みを前に、自分が地雷を踏んでしまったのだとトール将軍は己の発言を悔いた。

にかつて妻がいた事は知っている。―――今では知る人は少ないが、不本意ながら彼との付き合いが長いトール将軍はそれを知っていた。

そしてその最愛の妻を、ある事件で亡くしてしまったという事も。

もうずいぶんと昔の話だったけれど・・・今でも結婚しないところを見ると、まだ亡くなった妻を愛しているのだろう。

そして・・・彼が家の養女にしたのは、もうが結婚をするつもりも子供を作るつもりもないからなのだろうと、トール将軍は推測していた。

失言でしたと言ってしまえれば簡単だが、それは更にこの場の雰囲気を重苦しいものにするだけだと解っているだけに、なかなか次の言葉が出てこない。

「ま、そうなんだけどさ。ほら、俺ってもてるから、なかなか1人には決められなくて」

だからのこんな風な冗談めかした台詞に、トール将軍は密かに安堵した。

「それにさっきに歌ってやるって約束したからな。もうすぐ俺の夢も叶いそうだ」

「・・・それは良かったですね」

漸く辿り着いた会議室の前で立ち止まり、嬉しそうな表情でそう言ったを見据え、トール将軍はため息混じりにそう返した。

元々は地雷を踏んでしまった自分にも非はあるのだけれど。

こんなに気を遣う会話は正直御免だと、トール将軍は心の中でそう思う。

今度からは何があってもを呼びに行く役目は他の誰かに押し付けようと、トール将軍は密かにそう心に決めた。

 

 

「・・・ただいま」

と別れ執務室に戻ったは、やはり執務机で難しい顔をして書類に目を通しているジェイドにそう声を掛けた。

小さなその声に反応し、ジェイドはゆっくりと顔を上げていつも通りの微笑を向ける。

「ああ、お帰りなさい。ずいぶんと遅かったですねぇ。何か問題でもありましたか?」

「ううん、何もない。何も問題なかった」

答えながら物資のチェック表をジェイドに差し出し、チラリと机の上に広げられている書類に目をやる。―――生憎とそれはジェイドの腕に遮られ、内容を確認する事は出来なかった。

「・・・どうかしましたか?」

チェック表を確認しながら問い掛けられ、はふるふると首を横に振る。

本当は、こんな風に窺う事などしたくはなかった。

ジェイドが何も言わないならば、自分は何も聞かない。―――そう決めた筈だと言うのに、それに完全に従えない自分がいる。

その矛盾に気分が重くなるが、それでもはその問いを投げかける事が出来ない。

せめて、ジェイドが苦しそうな顔をしていなければ・・・とは思う。

ジェイドの抱えるすべてを知ろうとは思わない。―――本当は知りたいと思うけれど、自分の感情すべてを相手に伝える事が出来ない事は、にも解っている。

軍人であるならなおさら、それをしてはいけないという事も。

けれどジェイドが今何かを抱え込んでいる事、そしてそれが彼にとって負担となる事は、ここ数日のジェイドを見ていてもよく解る。

ならば傍にいる者として、彼の副官として、そして大切なその人が苦しまないよう、抱え込んでいる荷物の半分くらいは一緒に抱えたいと思うのはおかしい事だろうか?

けれど今回の場合、ジェイドはそうしない。

それはその問題が、が抱える事が難しい問題だという事なのだろう。

「・・・さっき、に会った」

心の中で渦巻く葛藤を押さえ込んで、は重苦しい雰囲気を振り払う為、そう話題転換する。

今、難しい表情をするジェイドを少しでも助けたいと思うのなら、それに触れない事が一番だ。―――これまで何度目かのその問題に、は今回もまた同じ結論を下した。

「・・・中将に?あの人は今、会議中だと記憶していましたが」

「サボってた。トール将軍が迎えに来て、連れて行かれたけど」

「そうですか。あの人も相変わらず懲りるという事を知りませんねぇ・・・」

苦笑いと共にため息混じりにそう漏らして、ジェイドはチェック表を傍らに置いた。

「最近は会議以外ではお会いしていませんが・・・お元気でしたか?」

「うん、元気だった。子守唄歌ってた」

「・・・子守唄?」

「そう。今度歌ってくれるって約束した。―――ジェイドも歌ってくれる?」

先ほどの沈んだ表情から微かに頬を緩めて、その紫暗の瞳を輝かせ自分を見詰めるに、ジェイドは思わず引きつった笑みを向ける。

「私に歌え、と?」

「うん、歌って欲しい。私、子守唄歌ってもらった事ないから」

「・・・もう子守唄を歌ってもらうような年齢でもないでしょうに」

深々とため息を吐いて咎めるような口調でそう言うジェイドに、しかしは怯む事無く期待に満ちた眼差しを向ける。

相変わらず無表情で、感情を表立って出す事はなく、一部の人間以外にはまるで人形のようだと表されるの。

実はこんなたまに見せる子供らしい表情に、ジェイドはいつも勝てた試しがない。

「・・・検討しましょう」

「本当?」

「ええ、本当です。ですから今日は大人しく休みなさい。明日も早いのですから、少しでも仮眠を取っておくべきですよ」

今回も例外なく白旗を上げたジェイドにそう諭され、は素直にコクリと頷く。

「ジェイドは?」

「私はもう少し仕事がありますから」

にべもなく言い切られ、は何か言いたげに口を開きかけたが、しかしそれを声に出す事無くもう一度コクリと頷いた。

「解った。おやすみ、ジェイド」

「おやすみなさい。・・・寝坊しないように」

しっかりと釘を差して、困ったような表情を浮かべるが仮眠室へと入った事を確認してから、ジェイドは深く重いため息を吐き出す。

今更子守唄など強請られるとは思っていなかったと小さく苦笑を漏らして、には見えないように隠した書類に視線を落とした。

「子守唄ですか。・・・一体何を考えているのやら」

苦々しく言葉を吐き出して、ジェイドは再び考え込むように眉間に皺を寄せる。

脳裏に過ぎるのは、いつもの食えない笑みを浮かべるの顔。

そうして、考えられないほど動じた己の声。

『・・・・・・まさか』

向けられた言葉の意味が理解できていなかったわけではない。

寧ろ解り易すぎる位だった。―――その言葉をそのままに受け取る事ができれば。

言われて一番最初に脳裏を過ぎったのは、の、あの嬉しそうな笑顔。

そんな事はありえないと・・・―――否、あってはならないと、軍人としては褒められた行為ではないけれど、ジェイドはそう否定したい気持ちさえ抱いた。

もしそれが真実ならば、は・・・。

それが自分に伝えられる時点で、ほぼ間違いない事なのだと解っていても。

他の誰でもないの為に、それは真実であってはならなかったのに。

『そうだ。そのまさか、だ。―――マルクト帝国軍中将・に、反逆の疑いがかかっている』

それでも無情にも告げられたその言葉が・・・真実であってはならない筈のその言葉が、自分の中で渦巻く否定の言葉よりも強い力を持っていた事は確かで。

『お前にの調査を命じる。・・・やってくれるじゃろう?』

命令という名で与えられた任務をこなす内に、それを否定するだけの証拠がない事が判明していく。

「・・・貴方は一体何をしようとしているのですか、中将」

決して答えが返って来る事はないと解っていても、口を突いて出る疑問の言葉は胸の中に留まってはくれなかった。

 

 

少しばかりの休息を取る為に仮眠室へと入ったは、フラフラとベットに近づきそのまま顔からダイブした。

のりの利いた真白なシーツに顔を埋めたまま、もぞもぞと億劫そうにブーツを脱ぎ捨ててゴロゴロと寝返りを打ちながら移動し、仰向けの体勢になり天井をジッと見上げる。

明日から、盗賊討伐の為の遠征が始まる。

それに対してはどうこういう事はなかった。―――それが自分に課せられた仕事なら、全うするだけの理由がにはある。

けれど何故だろうか、心が落ち着かないのは。

「・・・・・・」

その理由も、には解っていた。

自分を取り巻く空気が、以前と違うからだ。

何かを抱え難しい顔をしているジェイドだけでなく、ゼーゼマンもマクガヴァンも、そしてピオニーも、揃って難しい顔をしている。

そしてそれは、も同様で。

「どうして私には教えてくれないんだろう?」

そう疑問を口にしたところで、答えが返って来る事はなかったが。

そうしては、先ほどのを思い出し不安そうに目を伏せる。

どうしてだろうか?―――どうして自分は、あの時咄嗟にを呼び止めたのだろう?

子守唄を歌ってもらう約束など、いつでもできた筈なのに。

その理由は自分でもよく解らなかったけれど。

けれど呼び止めてしまった。

そうしなければいけない気がした。

そうしなければ・・・彼がどこか、手の届かない遠くへ行ってしまうような。

いつも近くにいた彼が、何故か遠く感じてしまった気がして。

「・・・解らない」

ポツリとそう呟いて、は枕を引き寄せ強く抱きしめる。

己の中に渦巻く言い様のない、際限なく広がる不安がなんなのか。

その不可解な感情から逃れるように、は深くベットの中に潜りこんだ。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ほとんどオリキャラで構成されるドリームってどうなんでしょう?(聞くな)

アビスキャラが最後の方にしか出てきてませんが、一応アビス夢(のつもり)です。

何となくこの時点で展開が怪しい方向へ向かっています。

こんなアビス本編とは関係なさそうな連載書いてどうする・・・というか、それより本編の方書けよとか自分自身に突っ込みつつ。

作成日 2006.7.20

更新日 2010.9.5

 

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