眼下に広がる活気に満ちた帝都を、ジェイドは僅かに目を細めて見下ろす。

それは以前と何ら変わりないように見えて、そこかしこで確かな変化が見て取れた。

たとえばそれは、通りを歩く人達の足が家路を急ぐように少しだけ速くなっていたり。

たとえばそれは、街の入り口に敷かれた警備の厳重さだったり。

一見すれば気にならないほどでも、確かに変化は起きている。

それは見える範囲でも、そして見えない範囲でも。

「やれやれ、なんとも私らしくありませんねぇ」

苦笑いを漏らしつつそう独りごち、纏わりついた感傷を振り払うように歩き出す。

果たしてここで、すべての謎が明らかになるのだろうか?

グランコクマはもう、すぐ。

 

眠る記憶

 

「・・・どうやらここのようですね」

地図を片手に、身を潜めながらそう呟いた部下の言葉に引かれるように視線を上げたは、そびえ立つ屋敷を見上げた。

所々亀裂の入った壁に、這うように手を伸ばす蔦。

生い茂った庭は、長い間人の手が入れられていないのが一目で解るほど荒れ果てている。

屋敷の半分の窓は割れ、輝くばかりであっただろうかつての面影は微塵もない。

街道から少し外れた場所にある、今は放棄された貴族の別荘。

何故こんな不便な場所にわざわざ別荘など建てたのだろうかと疑問に思うが、一般人の自分には解らないだろうと考えても仕方のない疑問を即刻捨て去り、は探るように目を凝らしながら屋敷の中の気配を窺った。

ジェイド自らが調べた・・・―――とは言っても実際調べたのは部下なのだが、ともかくジェイドが調べ分析した結果、盗賊団の1つはこの屋敷に潜伏している可能性が非常に高いらしい。

荒れ果てているとはいえ、元は貴族の屋敷。

長い年月を経てもしっかりとした造りの屋敷は崩れる事もなく、身を潜めるに最適だ。

各地様々な場所に建てられている貴族の屋敷には、近くの大きな街に駐留しているマルクト軍の警備隊が哨戒に出る際点検する為に、それを警戒してこれまでほとんど盗賊団に利用される事はなかったが、ここは既に放棄され巡回リストからも外されている屋敷なのだ。

まさに盲点。―――目の付け所が良いと、いっそ感心さえするほどだ。

それもこれも、おそらくはその巡回リストを知っているの手引きなのだろうが。

無言で屋敷の様子を窺っていたが、ほんの少し眉を顰めて首を傾げた。

「でも、中からは人の気配がしない」

見張りがいるかもしれない可能性がある為に、踏み込む前から迂闊に近づく事は出来ないせいで遠目からの様子見しか出来ないが、どうも屋敷の中から人の気配が感じられないような気がして、は地図とジェイドのメモを照らし合わせて確認する。

確かにここだ、間違いない。

「何処かへと盗みにでも出掛けているのでしょうか?これだけ大きな屋敷です。留守番が数人ならば、気配を感じられないのも頷けるかと」

「・・・どうだろう?」

そうであれば良いのにと裏に含まれた声色でそう告げる部下に対し、気のない様子では素っ気無く返事を返す。

第三師団の中で、一番気配を読む事に長けているのは他でもないだ。

そのに気配が読めないのなら、ここが盗賊団のアジトという情報に偽りがあるか、それとも残っている盗賊の数が極端に少ないか、もしくはに気配を悟られないほど気配を消すのが上手いか。

あるいは・・・。

「・・・もしかして、また我々の存在が気付かれ逃げられたのでしょうか?」

その可能性だけは避けたいという思いの篭った言葉に、はゆっくりと視線を部下へと合わせると、同じく神妙そうな・・・傍から見れば変わりない無表情で無慈悲にもあっさりと頷いた。

「今までの事から考えて、その可能性が一番高い」

「しかし、この情報はカーティス大佐が極秘裏に調べられたものでしょう?どこからか情報が漏れるなんて事は・・・」

なら、きっとそれくらい読める。村人の目撃証言から簡単に推測しても、盗賊団がこの屋敷に移ってから一週間は経ってる。もう何処かへ移っていても不思議じゃない」

キッパリとそう言い放ち、改めて沈黙を守る屋敷を見詰める。

第三師団が盗賊討伐に出ている事は、もはや盗賊団には知られているだろう。

そんな彼らが、一箇所に長く留まるとは思えない。

それでももまたそうではない事を祈るしかないのだ。―――彼女とて、いつまでも実りも面白さもない鬼ごっこを続けるつもりはない。

「ともかく確認してみない事には解らない。予定通り、突入作戦を開始します。準備は?」

「完了しています。包囲部隊も既に配置についています」

「では、屋敷に突入します。盗賊を見つけたら出来る限り生きて捕らえてください」

今から作戦に入るとは到底思えないほど淡々とした抑揚のない声に、しかしすっかりとそれに慣れている第三師団の面々は心得たとばかりにしっかりと頷く。

そうして静かに合図を出しつつ駆け出したに続き、第三師団の精鋭部隊は盗賊を捕らえるべく強行に屋敷の扉をぶち破った。

下級譜術によって吹き飛ばされた扉は派手な音を立てて床に倒れ、長い時間を掛けて積もりに積もった埃が宙へ舞い上がる。

「マルクト帝国軍だ!この屋敷は既に包囲されている!武器を捨てて大人しく投降せよ!」

舞い上がった埃のせいで悪い視界の中、と共に突入部隊へと配置された男が声を張り上げてそう忠告を放つ。

しかし屋敷の中からは、第三師団の突入に対する戸惑いの声も、応戦する気配も、何も感じられない。

まさに無人の屋敷そのものの静寂に「やはり・・・」という思いを抱きながらも、警戒を解く事無く埃がおさまるのを無言で待つ。

そうして少しづつ晴れていく視界の向こうにある光景に、は思わず目を見開く。

いないと思っていた盗賊たちは、そこにいた。

恐ろしい程の形相をして、少数で突入してきたたちを見据えている。

「・・・っ!!」

背後から聞こえた部下たちの息を呑む音を耳に、は構えていた武器を戻し、じっと無言で自分たちを見詰める盗賊に向かい目を細めた。

「・・・グランコクマのジェイドに報告」

「は、はいっ!!」

耳に痛いほど静かな空間に響く、の抑揚のない声。

弾かれるように破られたドアから駆け出していった部下の足音を耳にしながら、は挑むように一歩を踏み出す。

今までとは違う新たな展開は。

彼女たちの知らないところで、既にその幕を開けていた。

 

 

「よぉ!久しぶりだなぁ〜、ジェイド!!」

謁見の間に足を踏み入れたジェイドが一番初めに聞いたのは、この国を統べる皇帝の呑気すぎる声だった。

「お久しぶりです、陛下。相変わらず無駄なほど元気が有り余っているようで」

「まぁな。そこが俺の魅力だろう?」

たっぷりと嫌味が込められたジェイドの言葉もサラリと流して、ピオニーは悠然と微笑む。

しかしそれは、残念ながらこの場の雰囲気を柔らかくする程の効果はなかった。―――何故ならば、彼の背後には厳しい表情を浮かべたマクガヴァンとゼーゼマンの姿があったからだ。

グランコクマに帰還したと同時にジェイドが出した、ピオニーとの謁見の申請。

それはほとんど待つこともなくすぐに通り、こうして彼はピオニーを前にして謁見の間に立っている。

おまけと言ってはなんだが、マルクトでも幹部中の幹部であるマクガヴァンとゼーゼマンまで揃っているのを見て、ジェイドは確信した。

ピオニーは、ジェイドが何をしにグランコクマに戻って来たのかを知っている。

そしてもう既に隠す気はないのだろう。―――ニヤニヤと笑っているピオニーの瞳に宿る真剣な光に気付き、ジェイドは思わず苦笑を漏らした。

「実は折り入って陛下にお尋ねしたい事がありまして」

「あ〜、やっぱり。そろそろ来る頃だろうと思ってたぜ。―――というか、最初のあの時にお前が何も聞かなかった事の方が拍子抜けしたな、正直言うと」

茶化したように話を切り出したジェイドに便乗し、ピオニーもまた茶化したような口調でそう言うと小さく笑う。

その笑みがどこか諦めのように見えたのは何故なのだろう?

「では早速お聞かせ願いたい。―――まず、1つ。盗賊たちによる収容所脱走の手引きをした人物を中将に特定した明確な理由と根拠を」

ピオニーから直々に極秘任務が下された時、引っかかっていたのはそれだった。

確かに譜術士としても優秀なならば、収容所の一部を譜術で爆破する事など雑作もない事だ。

しかしそれはでなければ出来ない事ではない。―――ある程度の実力を持っていれば、誰にだってそれくらいは出来ただろう。

説明された『不審な男の姿』があった場所は、確かに収容所からそれほど離れてはいなかったが、それでも収容所の警備についていた兵士が目撃できるような距離でもない。

しかも事件が起こったのは夜である。

視界のはっきりしない闇の中、不審者の顔をはっきりと確認できるとはジェイドにはどうしても思えなかった。―――そして任務を受けた後調べた結果、兵士は確かに不審な男を見たとは証言したが、それがどんな男であったか・・・年齢や背格好まで詳細に証言する事は出来なかった。

任務を受けてジェイドが調査を始めれば、確かには不審と思えばそう思えるだろう動きをしていたが、それは疑いの目を持って観察していた故であると言えるほど曖昧なものである。

既にはマルクト軍を離反しているので今更といえば今更だが、それならば他の人物でも同様だったのでは・・・とその時のジェイドは疑問を抱いた。

それなのに何故、ピオニーは数少ない・・・少なすぎる証言から、その犯人がである可能性が高いと判断したのか。

しかもその上に『反逆の疑いがある』とまで言ったのだ。

そこにまったく理由がないわけがない。―――前皇帝の頃から忠義厚く仕えていたをあえて疑う理由が、ジェイドにはどうしても解らなかった。

真っ直ぐに自分を見据えるジェイドの赤い瞳を見詰め返して、ピオニーは大袈裟にため息を吐き肩を竦めて見せる。

こうして詰問されるのは、正直言えば好きではない。

しかし今は妙に心が落ち着いているのは何故なのだろうか?

もしかすると、ずっとジェイドに話してしまいたいと思っていたのかもしれない。

自分1人で抱えるには重すぎる荷物を、彼ならば共に背負ってくれる事を知っていたから。

それでもピオニーが誰かにそれを話す事はなかった。―――口に出せば、それが現実になってしまうかもしれないと、心のどこかで恐れていたからだ。

「お前が思ってる通り、あいつが・・・が犯人だって証拠はどこにもなかった。だが、俺は不審な男の姿が目撃されたと聞いた時、それがである可能性が高いとそう思った。そして不運な事に、奴にはそれをするだけの実力も・・・そして理由もあった」

「・・・理由?」

既に笑みを取り払ったピオニーの表情は、暗く翳っていた。

「・・・昔話をしよう」

普段の彼からは想像もつかないほど、静か過ぎる声で。

「今から18年前の事だ」

ピオニーはその時を思い出すように、何もない宙を見詰め話し出した。

 

 

実際に言えば、ピオニーはその時の出来事を知らない。

その頃の彼は、様々な事情からケテルブルクの別荘で暮らしていたからだ。

それでもグランコクマに戻って来て、皇太子として仕事をするようになり、やがてと知り合い関わっていく内に、彼はその出来事を知った。

それはどうしようもなく悲しくて、どうしようもなく哀れで、どうしようもなく残酷な事件だった。

18年前のあの日、多くの人の人生は・・・そして1人の男の未来は、ある残酷すぎる事件で狂わされる。

が軍に入ったのは、奴が15歳の頃だったらしい。当時・・・というか昔からだが、家は軍人の家系としても古い。当然家の出身であるも、鳴り物入りで軍に入った。―――そうだったな、マクガヴァン?」

静かに語りだしたピオニーは、無言で背後に佇むマクガヴァンへとそう声を掛ける。

それにコクリと頷いて、マクガヴァンもまた当時を思い出すようにポツリポツリと話し出した。

は非常に優秀な子供じゃった。家はマルクト軍に多大な影響を持つ。それ故に家の子供のほとんどは、生まれた時から軍人としての教育を施されていた」

その中でもは武術においても、譜術においても、そして軍略・人を指揮する力全てにおいて他を圧倒するほどだった。

しかしそれに驕る事無く彼は努力を怠らず、そしてまた人に対する気遣いも決して忘れない。

短い月日でどんどんと出世していく彼は羨望の的だったが、しかしその人柄故に誰からも愛される青年だった。

の人となりを聞きながら、ジェイドは自分の知るという人を思い浮かべる。

確かに一筋縄ではいかない、何においても優秀な人物ではある。

しかし話の中に出てくる真面目さや勤勉さは、今のとは似ても似つかないような気がした。

「あやつの行く先には一点の曇りなく、まさに輝くような未来が広がっていた。―――そう、あの事件が起こるまでは」

そう言って表情を曇らせるマクガヴァンを見据えて、ジェイドは思わず眉を顰める。

また出てきた、事件という言葉。

一体過去に何があったのだろうか?

そしてそれは、今回の事件とどう繋がっているのだろう?

は19歳の時、幼馴染だという女性と結婚した。散々口説いてやっとプロポーズを受け入れてもらったらしいが、相手は貴族階級ですらなかったから、そりゃもうあちこち巻き込んで大騒ぎの末だったらしい。あ〜、相手は何歳か年上だったとか聞いたな。ちょっと気が強いけど美人で優しい人だったって、昔に惚気を聞かされた覚えがある」

そう言ってくつくつと笑うピオニーの表情は穏やかだった。

一見は人当たりが良いように見えるが、実のところはよほど心を許した相手でなければ自分の領域に入らせはしない。

その容姿と地位と財力からたくさんの女性が彼の元に集まるが、は相手にそれと気付かれないよう軽くあしらうだけで、その中の誰かに手をつけようとはしなかった。

だからジェイドは、彼は女に興味がないのだと思っていた。―――それは別に可笑しな意味合いではなく、自分と同じように人を愛する事など出来ない人なのだと。

が結婚していたという話すら寝耳に水だったのだから、ジェイドとしても驚きは隠せない。

はすべてにおいて恵まれていた。家柄も、実力も、そして環境も。―――しかしの中には、いつだって満たされない何かがあった。人として、最も大切な何かが足りないように思えた」

「そして本人にも補えなかったそれを補ったのが、の妻だった。一般人が貴族の家に嫁ぐというのは、口で言うほど楽な事ではない。しかし彼女は持ち前の明るさと人懐こさで、当初結婚には反対していたの家族をも認めさせた。まるで太陽のような女性は、今にも心の闇に飲まれそうだったを救い、そして支えた」

直接過去を知る老人2人の言葉に、ジェイドはあっけらかんと笑うを思い出す。

彼にもいたのだ。―――自分にとってののような存在が、彼にも。

「まだまだ若いあやつの結婚にはわしも驚いた。上手く行くのかと心配もしたが、は非常に良い夫だった。自分の一族である家の事はあまり好きではなかったようだが、自分にとっての守るべき者・・・家族を手に入れて、はまた1つ強くなったように思う」

マクガヴァンの言葉に、ゼーゼマンもまた微笑む。

彼らにとっては、もまた息子のようなものであるのかもしれない。

彼の幸せを語る時の2人は、穏やかで優しい顔をしている。

しかしそれが長く続かないのだろう事は、彼らの語る言葉がすべて過去形である事から容易に想像がついた。―――初めに聞いた『事件』が、その原因なのだろう。

「結婚してすぐに子供を授かり、仕事も順調。こんな世の中だから悪い事がなかったわけではないが、それでもは幸せそうじゃった。―――だがそんな中、事件は起こったのじゃ」

マクガヴァンの言葉が合図だったかのように、先ほどまで浮かんでいた穏やかな笑みは一瞬にして形を潜めた。

もう既に何度も聞いた事がある話を聞きながら頬を緩めていたピオニーもまた、表情を引き締めて無言で次の言葉を待つジェイドへと視線を向ける。

「ジェイド。お前は家について、どれくらい知っている?」

「・・・どれくらい、ですか?そうですね。・・・家がマルクト軍にとって多大な影響を持っているという話は聞いた事があります。―――とは言っても、私の知る家の者は中将以外にはいないので、それがどこまで本当なのかは疑問ですが」

優秀な軍人を多く輩出しているという話だが、実際にジェイドが知っているの姓を持つ者は、彼の養女となったを除いてはだけだ。

それほど有名な家ならば、もっと多くの者が本部にいても良さそうなものだが・・・。

ジェイドが抱く疑問を感じ取ったのか、ゼーゼマンは重々しく頷く。

の血脈は広い。昔から続いている家だからな。本家は代々帝都であるグランコクマに居を構えているが、そこから派生した分家は国中に散らばっている。わしらですら顔を知っているのは軍属となったものか、もしくはグランコクマに居を構えている者だけじゃ」

「だからなのか、家にはちょっと変わった決まり事があるんだよ」

ゼーゼマンの補足に続いて話し出したピオニーに、ジェイドは再び視線を向ける。

「変わった決まり事・・・?」

「そうだ。その決まり事っていうのが、その事件のきっかけになった」

ピオニーはそう言って椅子に背中を預けると、重いため息を吐き出した。

国中に散らばっている一族は、当然の事ながらそれぞれの生活がある為に滅多に顔を合わせる事はない。

しかしそれによって一族の結束がバラバラになってしまう事を愁いたかつての家当主が、お互いに顔を見せる席を設けたのだ。

それは一年に一度と頻度は高くないが、その日は何があっても全員が出席すると義務付けられているのだという。

「そして18年前の事件当日。その日は家の面々が顔を合わせる特別な日だった。家次期当主であるの奥方のお披露目も兼ねていたそれは、これまでよりも盛大に行われる予定だったらしい」

言葉の端々から、声に潜む影から、不穏な空気が漂ってくる。

すべてを聞かずとも、そこで何があったのか・・・朧げではあるが、ジェイドにはそれを察する事が出来た。

「楽しい一夜になる筈だった。―――だが、悲劇は起こった」

「・・・・・・」

「一族全員が集ったの屋敷を、大規模な盗賊団が襲った。当時グランコクマで一番大きかったの屋敷は、奴らにとっては格好の餌食だったんだろう」

苦々しく言い捨て、ピオニーは強く唇を噛んだ。

一体何があったのか、それは今でもはっきりとは判明していない。

ただ1つはっきりしているのは、それが盗賊団によるこれまでにないほど大きな被害となったという事だけだ。

「その日、例に漏れずも参加する筈だった。だがグランコクマ周辺に大規模な盗賊団の姿が確認され、は最初に顔見せだけをしてそのまま盗賊討伐の任務へとついた」

しかし己の隊を率いて出撃したは、そこで最悪の報告を聞く事になる。

盗賊団による、家襲撃。

そして報告を聞き、急いでの屋敷に戻ったが見たものは。

「屋敷にいた者はすべて、盗賊たちの手によって命を奪われた。男も、女も、老人も、そして子供も。―――生き残った者は誰一人いなかった」

ピオニーの・・・彼には似つかわしくない暗い声の後に残ったのは、耳に痛い程の静寂。

惨劇の中にある、一族の姿。

それを目にした時、果たして彼は何を想ったのだろう。―――ジェイドにはどうしてもそれを計る事は出来なかった。

「知らせを受けて、わしも現場に駆けつけた。あれは・・・今でも鮮明に思い出せる。わしが見た中で一番酷い光景じゃった」

重い沈黙を破ったのは、マクガヴァンの声だった。

痛々しい表情を浮かべる傍らの老人を横目で見やり、ピオニーは表情を翳らせたまま改めて口を開く。

「その中には勿論、の妻もいた。そして・・・母親の体の中で眠る、もうすぐ生まれる筈だった子供も」

そしては、大切なものすべてを失った。

誰よりも・・・何よりも大切な愛する妻も、そしてその妻に宿った愛しい子供も。

「生き残ったのはたった1人。・・・奇しくも緊急の任務に就いていただけだった」

ジェイドが以外の一族の誰にも会った事がなかったのは、もう彼しか残っていないからなのだ。

まさかあんなにも呑気に毎日を過ごしているように見えていたに、そんな壮絶な過去があったなどとは思いもしなかった、とジェイドは密かに息をつく。

「事件後のあやつは、見ているこちらが辛いほどじゃった。守ると決めた者も守れず、おめおめと自分だけが生き残ってしまったと、はいつも自分を責めていた。―――そしておそらくは、今もそうなのだろう」

大切な者を失ってしまった絶望とは、一体如何ほどのものなのだろう。

ジェイドには今ひとつ死に対する概念というものが欠けていると自分でも理解しているが、今ならばその気持ちが少しだけ理解できるような気がした。

それは今の自分にも、大切な者と呼べる誰かがいるからなのだろう。

誰よりも、何よりも大切な人。

自分と血を同じくする者。

そして、この世に生まれる事無く死んでいった、愛しい我が子。

絶望と悔いと懺悔を繰り返しながら、はどうやって絶望の淵から這い上がったのだろうか。

「それでもは立ち直った。俺が初めてあいつに会った時、あいつは確かに瞳の奥に翳りを宿してはいたが、それでも道を見失う事無く己の足で立っていた」

今まで聞いた話を頭の中で整理しながら考え込んでいたジェイドの耳に、ピオニーの少しだけ明るさを取り戻した声が届く。

それに引かれるように顔を上げ、ジェイドは体の力を抜くように大きく息を吐き出した。

中将の過去については解りました。―――しかし、陛下。まだ質問の答えを頂いていませんよ?」

「・・・・・・」

「・・・その話を私にしたという事は、今回の事件の根底にあるのがその18年前の事件なのだと、陛下が判断されたからですか?」

ジェイドの問い掛けに、ピオニーは何も答えなかった。

それが肯定を意味するのか、それとも否定を意味するのか、ピオニーの表情からは読み取れない。

決して目を逸らそうとしない、マルクト帝国皇帝に相応しい力ある眼差しを真っ直ぐ見詰め返して、ジェイドは薄く目を細めるとゆっくりとした動作で眼鏡を押し上げた。

「しかしながら、解りませんねぇ。今の話を聞く限り、中将が軍を脱する理由が見つかりません。その上、彼は盗賊団に手を貸している。―――推測される理由と今彼が取っている行動がちぐはぐ過ぎませんか?」

今の話を聞く限り、もしもが恨みを抱くのだとすれば、それは盗賊に対してなのが普通だろう。

の屋敷を襲撃した盗賊団はまだ捕まっていないのだというし、今活動している盗賊たちの中に、かつてそれに関わった者もいるかもしれない。

だとすれば、今回の盗賊団の動きに押さえ込んでいた昔の怒りが甦ったとしても可笑しくはない。

そうであれば話の筋は通るのだ。

しかし現実はそうではない。

現時点で予測される彼の行動は、盗賊団に軍の情報を漏らし、捕らえられた盗賊の脱走を手引きし、あまつさえその逃亡に手を貸している。

その行動は、どう見ても怨恨で動いているようには見えない。

ピオニーもそれは認めるのか、ため息混じりに小さく頷いた。

「・・・そうだな」

「では何故、陛下は目撃された不審な人物を中将だと判断したのですか?わざわざ私に極秘として任務を下したのです、何となく、などという理由ではないのでしょう?」

「・・・正直言って、俺もが何を考えているのかは解らない。あいつは事件以来何でもない顔をしてたが、帝国内の盗賊について調べていた事も知っている。それに・・・」

「・・・それに?」

言い辛そうに口ごもるピオニーを急かすように、ジェイドは言葉の続きを促した。

しかしピオニーはそれに答えず、真っ直ぐとジェイドに向けていた視線を泳がし、高い場所にある明り取りの大きな窓の向こうに広がる空へと視線を向ける。

その彼らしくない動作にジェイドが僅かに眉を顰めたその時、重いため息と共に搾り出すような声で呟いた。

「確かにあいつは立ち直った。だがあいつは今もまだ、闇の中を彷徨ってるんだ」

深い苦悩と悲しみが交じり合ったその声に、マクガヴァンとゼーゼマンもまた苦悩に満ちた表情を浮かべる。

凄惨な過去を受け止め、立ち直った筈の

確かにそれは忘れたくとも忘れられない出来事であった筈だし、がそれを忘れたいと願うような人物ではない事も知っている。

それだけの体験をしたのだ。―――彼が今もまだ、それを引きずっていたとしても可笑しくはない。

しかし、それならば『立ち直った』とは言わないのではないかとジェイドは思う。

だとすれば、他に何かあるのだろうか?

あれだけの壮絶な過去を持つに、まだ何か・・・?

そしてそれこそが、ピオニーらがを犯人だと判断した決め手なのだろうか。

「貴方は一体、何を隠しているんです?」

「失礼します!現在任務に就いている第三師団の准佐から、カーティス大佐へ火急にとの報告が届いています」

揃って痛々しい表情を浮かべるピオニーらを見詰め返して、ジェイドは今度こそ確信に触れるべく口を開く。

しかしそれは、突如謁見の間に飛び込んできた兵士の声に遮られた。

かなり慌てた様子のその兵士は、少しだけ汚れた封筒を手にしたままジェイドへと走りより、そうして深く一礼してからその手紙を差し出した。

から・・・?」

届けられた手紙を兵士から受け取ったジェイドは、心持ち表情を険しくしながら封を切る。

わざわざ『火急に』というくらいなのだ。―――何か進展があったに違いない。

手早く封筒から便箋を取り出し、ざっと文字に目を通すジェイドの眉間に深い皺が刻まれていく。

「・・・どうした、ジェイド」

兵士の前だからなのか、先ほどの苦悩に満ちた表情から凛とした皇帝の顔へと戻ったピオニーが、訝しげに眉を寄せながら問い掛ける。

「いえ、どうやら謎が解けたようです。―――否、とうとう始まった、というべきか」

ほとんど走り書きのような手紙をピオニーへと手渡し、ジェイドはがいるだろう遠く離れた地へと想いを馳せるように視線を向ける。

手渡された手紙に目を通すピオニーの表情が少しづつ強張っていくのを目の端に映しながら、これからどうなるのやら・・・とまるで他人事のように考えた。

自分が第三師団を離れた直後に起こった事件。

これは果たして偶然なのだろうか。―――それとも、謀られていた事なのだろうか。

どちらとも取れる問いではあるが、どうか前者であると思いたい。

それは今もまだを信じている、彼女の為にも。

「お話中、失礼します!グランコクマ周辺にて、謎の一団が目撃されました。一団を率いているのは元第一師団隊長、中将との事です!!」

ピオニーが手紙を読み終えたのとほぼ同時に、新たに兵士が謁見の間に飛び込んでくる。

そうして広い謁見の間に響いた切羽詰った声に、ピオニーを初めとする4人は揃って表情を強張らせた。

「目的地は・・・?」

「進行方向から見て、おそらくはここ、グランコクマではないかと・・・」

短く問うたジェイドに答えた兵士の表情には、隠しきれない不安がありありと浮かんでいる。

現状から考えて、今のが自分たちの味方だとはどうしても思えない。

マルクト帝国軍の中でも1・2を争うほどの実力者であり、普段の彼からは想像もつかない戦場での戦い振りから最も敵に回したくはないと密かに恐れられているが、こうしてグランコクマへと向かっているのだ。―――不安を抱かない筈がなかった。

「元帥、私が出ます。こうなっては不確かな推論を交わすよりも、本人に直接聞いた方が手っ取り早いですからね」

答えてくれればの話だが。

そう心の中で呟いて指示を待つと、マクガヴァンは重々しく1つ頷いた。

彼も解っているのだ。―――が本気でここを攻めて来た時、それを防げるのはジェイド以外にはいないだろうという事を。

「では・・・」

「・・・ジェイド!」

軽く敬礼をして踵を返したジェイドの背中に、何事かを考え込んでいたピオニーが大きな声を掛けた。

それに僅かに身体を捻って振り返ったジェイドを見据え、報告に来た兵士たちが部屋を出て行くのを確認してから重い口を開く。

「ジェイド。お前に話しておかなきゃいけない事がある」

どう贔屓目に聞いても、それが良い話ではないと解る声色で。

それが何に関する事なのか・・・―――それは聞き返すだけ今更だと解っていた。

そうして、簡潔に、的確に伝えられたその言葉に。

ジェイドはその赤い瞳を大きく見開いた。

 

 

もう何度目かになる目の前に広がった光景に、は浅く息を吐く。

「・・・ここも、ですか。行動が早いですね」

同じく何度も同じような光景を目にして流石に慣れてしまったのか、初めて見た時は驚愕で固まっていた部下もまた、痛ましい眼差しを向けながら小さく呟いた。

ジェイドに渡されたリストに書かれた最後の場所。

盗賊団が潜んでいるだろう場所には、やはり静寂だけが広がっている。

「これだけ続くと、考えずにはいられませんね。―――他も同じような末路を迎えているのでしょうか?」

「解らない」

部下の問いに首をフルフルと振って、はポツリと呟く。

当初の予定としては、捕まえた盗賊から他の盗賊たちの居場所を聞き出すつもりだった。

しかしそれが叶わない今、他の盗賊たちがどうなっているかはには解らない。

ただ1つ、解っている事があるのだとすれば、それは少なくとも第三師団が辿ったリスト上の場所にいたはずの盗賊たちはすべてこの世にはいないという事だけだ。

盗賊団の壊滅。

それは最も最悪の形で現実となった。

第三師団の目から逃れるように潜んでいた盗賊たちはすべて、隠れ家の中で既に命絶えていた。

誰がやったのか・・・など、改めて問う必要はないのだろう。―――彼らの居場所を知るのは彼らの仲間か、あるいはそれを手引きした者か。

少なくとも、あれだけの数の盗賊を周りに気付かれないよう短時間で皆殺しに出来る者など、は他には知らない。

ジェイドからが裏切ったと聞いた時、それに驚きながらも心のどこかでは間違いではないかと思っていたのかもしれない。

だからこんな形で現実を突きつけられ、はどうしていいのか解らなかった。

盗賊団を逃がしておきながら、今度は自分の手で彼らの命を奪う。

そんなの真意が、には解らない。―――彼は一体、何をしようとしているのだろう。

彼は一体、何を望んでいるのだろうか。

「とりあえず、作業に入って」

「はっ」

とりあえず盗賊たちをこのままにしておく事は出来ない。―――例え犯罪者とはいえ、死後もこのままではあんまりだ。

人里離れた場所であるから丁重にとはいえないが、それでも出来る限り手厚く葬ってやるのが筋というものだろう。

もう何度も同じ事をしているせいか、随分と手際良く盗賊たちの遺体を葬っていく部下の姿を眺めながら、もまたそれに加わろうと足を踏み出す。

准佐!」

しかしその行動は、背後から掛けられた声によって阻まれた。

何かと振り返れば、そこには先ほど指示を出しにやった部下の姿。

「・・・どうしたの?」

「グランコクマから伝令が届きました。カーティス大佐からではないようですが・・・」

そう言って手渡された手紙を受け取り、じっとそれを見詰める。

裏返してみれば、マルクト帝国軍の烙印が・・・。―――そしてその下には、知った名前がしっかりとした筆跡で書かれてあった。

「・・・トール将軍?」

あまり面識はないが、確かに知った人物だ。

マルクト帝国軍の将校で、少し前に『友達』になったリーズ=バレル中尉の父親。

真面目な典型的な軍人気質の男で、曲者揃いのマルクト軍の中では割合マトモな人物でもある。

「・・・なんだろう?」

小さく呟いて、丁寧に手紙の封を切る。

確かに広い目で見ればトール将軍もの上司ではあるが、仕事柄直接関わりがあるわけではない。―――今回の盗賊討伐の任務はマルクト軍の総力を上げて取り掛かっているが、それでも彼から直接手紙が届くような用事にも思い当たらない。

しかし現実に手紙はの手の中にある。

訳が解らないながらも綺麗な便箋を広げて目を通したは、そこに書かれた内容に大きな目をこれ以上ないほど見開いた。

「・・・どうかしましたか、准佐」

滅多に表情を動かさないのそんな表情に、心配げに部下が声を掛ける。

それに答えるように無言で手紙を差し出したは、何事かを考え込むようにじっと自分の靴の先を睨みつけた。

「・・・・・・准佐!これは・・・!!」

手紙に目を通した部下が、驚愕の声を上げる。

それにゆっくりと顔を上げたは、視線を部下へと移し僅かに眉を顰める。

『第三師団に、の身柄確保を命ずる。非常事態ゆえ、生死は問わない』

簡潔に綴られた言葉に、は拳を握り締めた。

確かににはマルクト帝国への謀反の嫌疑が掛かっている。―――中将という立場にいるのだから、その扱いが厳しいのも当然といえた。

しかし一番最後に書かれてある言葉―――『生死は問わない』という言葉に、は言いようのない不安に襲われた。

正式にこんな伝令が届いたという事は、の命を奪ってしまう事も仕方がないと、そう結論を出したという事なのだろうか。

決定権を持っているピオニーやマクガヴァン、そしてジェイドもまた、これに同意したという事なのだろうか。

「・・・准佐!中将の目撃証言が取れました!進行方向から見て、おそらくはグランコクマに向かったのではないかと・・・」

考え込むに追い討ちを掛けるように、飛び込んできた兵士はそう声を上げる。

がグランコクマへ向かった・・・?

何故・・・というのが正直な気持ちだ。―――1度は去った筈のグランコクマに、どうして今再び戻ろうとするのか。

「・・・どうされますか、准佐」

気遣うような問い掛けに、は更に深く眉間に皺を刻む。

どうするのか。

それは指令に従い、を討つのか。―――それとも・・・。

突然突きつけられた選択に、は押し黙ったまま。

そんな事は、の方こそ教えて欲しいと、そう思った。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

どんどん長くなります。

解り辛いところもてんこ盛りでしょうが、書き直す気力はありません。(オイ)

もうなんか、いっぱいいっぱいです。

作成日 2006.12.8

更新日 2011.5.29

 

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