長い時を経て既に風化してしまっている古びた小屋から、1人の男が姿を現した。

所々濃い染みが出来てしまっている紺色のコートを翻し歩き出した男は、ふと何かに引かれるように顔を上げる。

「・・・今日もいい天気だな」

恐ろしいほど綺麗に染まった蒼い空を見上げて独りごち、僅かに苦笑を漏らした。

こうして空を見上げるなど、いつ振りだろうか。

こんなにも空が綺麗だと思えるのは、いつか来る終わりを知っているからなのかもしれないなどと殊勝な事を考えつつ、何かに堪えるように乱暴に髪の毛をクシャリと握り潰した。

「・・・終わったんですか?」

唐突に掛けられた声に、しかし動ずる事無く振り返ると、男はにやりと口角を上げる。

「ああ、終わった」

短く言葉を返して、再び空を見上げる。

こうして始めてしまえば、なんと呆気ないのだろう。

あれほど長く苦しんだのが嘘のように、終焉は呆気ないほど簡単に訪れる。

「これで・・・本当に良かったんですか?」

1人物思いに耽る男の耳に、躊躇いがちな問い掛けが届いた。

これで、本当に良かったのか。―――それは本当のところ、彼にも解らない。

しかし1つだけ確かな事がある。

それは、そうしなければ終われないのだということ。

「・・・今更、だろう?」

森の中に佇む小屋へと視線をやり、そうして自嘲気味に呟いたの言葉に、フリングスはもう何も言わなかった。

「さて、と。そろそろ仕上げに入るか。―――こっちはそう簡単には行かないだろうな」

呟き踵を返したに従う以外、今のフリングスが彼にしてあげられる事など無いのだという事を知っていたのだから。

 

愚か者の決意

 

第三師団の面々を乗せた小型の陸艦は、一路グランコクマを目指す。

舵取りの全てを部下に任せ、は1人、自室に篭ってこれまでの事・・・そしてこれからの事を考えていた。

今の自分の行動が本当に正しい事なのか、には解らない。

グランコクマに向かったというを追いかけて・・・―――そうして望み通りに対峙したとして、自分がどうすれば良いのかもまだ心に定めきれていない。

ジェイドに言った通り、無理矢理にでも彼を連れ戻す事が果たして出来るのか。

正式な指令が届いた以上、軍人としてそれが許されるのか。

それ以前に、今の自分の実力で、本当にを止める事が出来るのか。

数え上げればきりが無いほど浮かんでくる疑問と不安。

しかし今のにとって、を追いグランコクマに向かう以外に取れる道など無いのだ。―――自らの意思で、関わると決めたのだから。

は、グランコクマに何をしに戻るんだろう」

それもまた、大きな疑問の1つだった。

こうして事件の渦中にいるというのに、それでも何一つ真実と呼べるものを知らない。

それが更なる不安を招く結果となり、は彼女に似つかわしくない溜め息を小さく吐き出したが、しかしある事に思い当たりふと顔を上げた。

一足先にグランコクマに戻ったジェイドは、その理由を知っているかもしれない。

元々それを知る為に、ジェイドは第三師団を離れたのだ。

彼がそんな行動に出たという事は、それを知る術の目途が付いていたに違いない。

そもそも、を追ってグランコクマに向かっているという報告も、まだジェイドにはしていない。

どうやら思わぬ事態の展開に、彼女も少しは混乱していたらしい。

ジェイドがグランコクマの軍基地本部にいるのならば通信も繋がるだろうと思い、思い立ったら早速とばかりにがきびきびとした動きで立ち上がったその時、異変は起こった。

「・・・っ!?」

何の前触れもなく響いた爆発音と、それに続く大きな揺れに、は不安定な体勢のまま思わずたたらを踏む。

それと同時に艦内に響き渡る警報と、第一級戦闘配備を告げる放送。

何が起きたのかと咄嗟に窓の外へと視線を向けたその直後、再び大きな爆発音と揺れが陸艦を襲った。

准佐!」

それと同時に部下が部屋に転がるように飛び込んでくるのを視界に映して、は無表情のまま静かに口を開いた。

「何があった」

「ぶ、武装集団の襲撃です!譜術による攻撃で、機関の一部が破壊されました!」

「・・・航行に異常は?」

「今のところは問題ありません。ただこれ以上攻撃を受け続けると・・・」

焦燥の表情と共に言葉を濁した部下に、はやはり表情を変える事無く窓の外へと視線を向ける。

いくら陸艦とはいえ、今回第三師団が使用しているのは小規模での遠征用の小さな物である。

攻撃の為の機関も確かに備えてはいるが、端的に言えば移動を重視したものなのだ。

あまりに強力な攻撃を受け続ければ、航行さえ不可能になってしまう危険性も十分にある。

「その武装集団の目星は?盗賊の生き残り?」

すぐさま打って出る事を考えなければならないと、はブリッジへと向かうべく足を踏み出す。

しかし視界の端に映った部下の戸惑いの表情に、思わず足を止めて訝しげに振り返った。

「・・・武装集団の目星、ついてるの?」

「あ、あの・・・それが・・・」

尋ねる形ではあるものの、の眼差しはマルクトの守護者の名に相応しい鋭さを宿している。

それに怯んだのか、はたまた違う理由からなのか・・・―――部下はまたもや口ごもり射るようなの視線から顔を逸らした。

その彼らしくない動作に、の表情にはますます訝しげな色が濃くなっていく。

第三師団の・・・ジェイドの傍近くに控える事の多いこの男は、ジェイドが傍に置くだけの事はあると思わず納得してしまうほど有能な人物だ。

勿論ジェイドの性格もよく知っているのだから、遠回しに曖昧に報告を誤魔化すような事は一切した事はない。

そんな彼の今までにない行動を、が不審に思うのは当然の事だった。

「・・・どうしたの。何があった?」

言葉少なく問い掛けるに、未だ戸惑いを濃く宿した眼差しを向けて。

迷いつつも、彼は意を決して口を開く。

「襲撃してきた武装集団は・・・」

そうして部下の口から聞かされた報告に、は勢い良く部屋を飛び出した。

 

 

動きを停止した陸艦は、驚くほど静かだった。

最初に受けた攻撃の被害に、走り回る部下の喧騒が風に乗って聴こえてくる。

襲撃者を迎え撃つ為にたくさんの兵士が集う中、それでも広い甲板は怖いほどの静けさに包まれていた。

お互いに睨み合い、牽制しあっている部下と襲撃者たちを横目に、はまるで走って来たのが嘘のようにゆっくりとした足取りで、ただじっと自分を見据える青年の元へと歩みを進める。

そうしてほんの少しの距離を保って立ち止まったを見届けた青年は、彼にとても似合った優しい・・・けれどほんの少し物悲しさを含んだ笑みを漏らした。

「こんにちは、

今まさに乗り込んできた襲撃者とは思えないほど友好的なその態度に、はどう反応して良いのか解らず、ただ無表情のままその場に立ち尽くす。

本来ならば、笑顔を浮かべて・・・とはいえないまでも、もまた気軽に挨拶を返せた筈だというのに。

こんな状況でなければ、とても心安らぐ相手だというのに。

「どうしてここにいる、アスラン」

真っ直ぐに目の前に立つ青年―――フリングスを見据えて、は凛とした声色でそう問い掛ける。

それに対し、問い掛けられた当の本人であるフリングスはやんわりと微笑み、まるで何もなかったかのようにいつも通りに口を開いた。

「それを聞くのかい?」

実に穏やかな声だった。

そして、この上なく悲しい声だった。

軍を離れたと共に姿を消したフリングス。

その後の目撃証言から、彼がと行動を共にしているのだという事は判明している。

そうしてグランコクマに向かったのだというを追う第三師団の前に彼が現れた理由など、もはや問うまでもないだろう。

それでもは聞きたかったのだ。―――他の誰でもない、フリングスの口から。

それがの、残酷な現実に対する最後の抵抗だったのかもしれない。

「どうしてここにいる、アスラン」

穏やかに微笑むフリングスをまっすぐに見据えて、はもう一度同じ台詞を口にする。

そんなに表情を変えるでもなく小さく首を傾げたフリングスは、水面下で必死に足掻いているを突き放すように、はっきりとした口調で告げた。

中将がグランコクマに向かったという情報を、君も手に入れたんだろう?」

「・・・アスラン」

「だから私はここにいる。もう私があの人にしてあげられる事なんてひとつもないから。いや、もしかしたら最初からそんなものなかったのかもしれないけれど」

フッと小さく自嘲の笑みを漏らして、フリングスは今はここにいない上司の姿を思い浮かべる。

何に置いても優秀な人。

彼が第一師団に・・・そしての部下として配属されて、それこそ重要な任務から誰にでも出来る雑用など、さまざまな仕事を時に押し付けられたりもしたけれど。

本当は、そんなものには必要がないのだ。―――彼は1人でも、何でも出来るのだから。

それでも、たとえそんな必要がないのだと解っていても、フリングスはすべてを失う覚悟で彼と共に在る事を選んだ。

その感情が何であるのかは、本当の所フリングスにもはっきりと解らない。

純粋な尊敬なのか、それとも彼のやろうとしている事に賛同したからなのか。

ただひとつ解っていることは、たとえどんなに彼が優秀で、他人の手を必要としないのだとしても。

今の彼を1人にしてはいけないと、彼の中の何かがそう警告したのだ。

フリングスはこんな時でも表情を変えない・・・―――否、変える事の出来ないに心の中で強く詫びながらも、迷いのない眼差しで彼女を見据えた。

たとえどんな結末を迎えようとも、選んだ道に後悔などひとつもないから。

「これが、私の最後の仕事だ」

これが、最後までの事を気遣っていたの為に・・・―――そして今まさに深く傷ついているだろうに対して出来る、最後にして唯一の仕事だろうから。

まるで動じた様子なく佇むに向けて、抜いた剣先を突きつける。

「君がグランコクマへ・・・中将の元へ行こうとするのなら、私は全力を持ってそれを阻止する。たとえそれが、君を傷つける事になったとしても」

静かに言い放つフリングスを見つめ返して、は初めて表情を変えた。

深く眉間にしわを寄せ、真剣な表情を浮かべるフリングスと、そして自分に向けられる剣へ交互に視線を寄越して。

「・・・どうして」

「・・・・・・」

「どうして、こんな事になったの?ついこの間まで、ずっと一緒にいたのに」

の淡々とした声が、恐ろしいほど静まり返った場に静かに響く。

第三師団の面々も、そしてフリングスと共に陸艦に乗り込んできた元第一師団の面々も、誰も2人の会話に口を挟めなかった。

「・・・・・・」

の悲痛な問い掛けは、フリングスによって黙殺される。

もうこれ以上何も話す事はないのだと暗に語るフリングスから視線を逸らし、はそっと瞳を伏せた。

とフリングスの実力差は、それほどではないが確かに存在する。

普段からよく手合わせをしている2人を見ていた兵士たちは、その場では大抵勝利を収めるフリングスの実力が勝っているのだと考えているが、実際はそうとも言い切れない事をフリングス本人は自覚していた。

まず、武器の違い。

剣を使う自分と、場合によっては音素で変化させた細身の剣も使うが基本はチェーンを使って戦う

彼女の戦い方の基本は相手を翻弄する形であるというのに、手合わせの場合、は律儀にもフリングスに合わせて剣を使う事が多い。

そして彼女は、最大の武器である譜術を初級以外は使わない。

これまでそんな事は絶対にないと思っていたから考えもしなかったが、相手の体の事を考えずに本気で戦えば、おそらく最後に立っているのはの方だろう。

それが解っていながらも、フリングスは戦うと言うのだ。

そして、それを説得させられるだけの言葉を、残念ながらは持っていない。

剣を突きつけたまま動かないフリングスへと再び視線を向けて、はさらに眉間に皺を刻む。

まったくの無防備である今のに向かって来ないのは、彼が正当な戦いを望んでいるからなのだろう。

彼は待っているのだ。―――が、自分の意思を以って武器を構えるのを。

「今、グランコクマにはジェイドがいる。は、ジェイドが止めてくれる」

「たとえそうだとしても、私の決意は変わらない。私の仕事は、君をここで足止めする事だ」

「・・・アスラン」

何を言っても引く気を見せないフリングスに、は抑揚のない声で彼の名を呼ぶ。

何とか考え直して欲しかった。

彼と本気で戦うなど、絶対にしたくはなかった。

したくはなかったのに・・・。

「それに、そうなるとは限らない。言っただろう?中将は何に置いても隙がない。カーティス大佐がグランコクマにいたとしても、君が望む通りにはならないよ」

自信満々に言われた言葉に、が軽く目を見開く。

「・・・ジェイドに何をした?」

「・・・・・・」

強張った声にも、フリングスは答えない。

ただ小さく笑みを口元に浮かべて、まっすぐを見つめている。

『第三師団を頼みましたよ、

最後に聞いたジェイドの言葉が蘇る。

それは何をおいても優先される言葉。

の、たる人物の根底にあるもの。

傷つける事は許さない。―――たとえそれが誰であっても。

剣を向けるフリングスを見据えて、はゆっくりとした動作で腰元へと手を伸ばし、ベルトに装着しているチェーンを引っ張り出して構える。

「私はグランコクマに行く。だからアスラン、あなたを捕まえる」

「行ってどうするんだい?行っても中将は止められないよ」

止められるものなら、とっくに自分が止めている。―――その言葉を飲み込んで笑んだフリングスを見据えて、は今度こそはっきりと告げた。

「私は知りたい。・・・すべてを」

それが、の望みだった。

 

 

「真実を、知りたいと思うか?」

そう声を掛けられたのは、が広場のベンチに座ってぼんやりと景色を眺めていた時の事だった。

何の前触れもなく、また少しの気配さえも感じさせず、唐突に自分の背後を取ったその男を見上げて、は小さく首を傾げる。

「・・・真実?」

「そう、真実だ」

無表情で自分を見上げるから視線を広場へと戻し、立ったままベンチの背もたれに肘を付いたは、先ほどまでがぼんやりと眺めていた光景を見据え、そうして薄く目を細める。

まだ幼い子供と母親が戯れる光景は、誰が見ても微笑ましいものだった。

決して穏やかな情勢とはいえないが、それでも鉄壁を誇るここグランコクマにおいては、そこに住む住人たちにはあまり現実感を伴わないらしい。―――キムラスカとの小競り合いが続く今もそれ以前も、こういった平和な光景はそう珍しいものではなかった。

そんな誰が見ても幸せな親子の光景を眺めながら、チラリと視線をへと戻したは、当の本人がやはり無表情で自分を見上げているのに気づき小さく微笑む。

質問が唐突過ぎたか、と心の中で苦笑を漏らし、は屈めていた体を起こすと、今度はに背を向けるようにベンチの背もたれに腰を下ろし、ぼんやりと宙を見上げながら静かな声で言葉を続けた。

「自分がどこから来たのか。ここに来るまで、自分は何をしていたのか。どこに居たのか。親は?今も自分を探しているだろうか?だとしたらどんな人なのだろうか・・・とか?」

チラリと伺ったの表情は、変わらず感情を宿してはいない。

時々、彼女には本当に感情なんてないのではないかとは思う時がある。―――それもまぁ、本当に時々でしかないのだけれど。

横目で自分を見下ろすを見上げて、そうして視線を再び広場へと戻したは、今もまだそこにある幸せな親子の姿をぼんやりと見つめる。

「私は・・・」

「・・・ん?」

「私は、別に知らなくても構わない」

決して視線を離さず、けれどきっぱりと告げられた言葉に、は軽く眉を上げた。

「私は、別に知らなくても構わない。―――知っても、きっと変わらないから」

常に簡潔に告げられるの言葉は、時に判り辛い事も多い。

しかしは、今彼女が言わんとしている事がどういう事なのかを正確に察する事が出来た。

はこう言いたいのだろう。―――たとえそれを知っても、自分はここから離れる気はないのだと。

そうしてきっと知っているのだ。

彼女の過去を知りたいと思い、しかしそれが判明する事を恐れているのは、ではなく周りの人間であるのだという事を。

それを危惧するほど、はすでにここに馴染んでしまっていた。

「・・・そうか」

言葉少なに伝えられる想いに、はそれ以上言葉を重ねる事もなく、短く返事を返して無言で空を見上げる。

それを横目で認めつつ、は再び親子に視線を戻した。

先ほどが言ったように、自分がどこから来たのか、きっと存在するだろう自分の親がどんな人物なのか、まったく気にならないわけではない。

普段は微塵も考えたりはしないが、ごく稀にこうして暇な時間が出来、そうしてこんな光景が目に映れば、ふと考えたりする事もある。

しかし、それを知りたいと強く望む事は今まで一度足りともなかった。

それは先ほど言った通り、知っても変わらないからなのだろう。

ジェイドが、ピオニーが、そしてゼーゼマンやマクガヴァンが、軍の情報網を使っての素性を調べてくれている事は知っている。

けれど、たとえ両親と名乗る者が現れたとしても、はジェイドの傍から離れるつもりはない。

ジェイドは傍に居ても良いと言ってくれたのだ。―――だからは、自分の意思で、彼の傍に居ると決めた。

決して知りたくないわけではない。

ただ、知らなくても構わない事もあるのだと、そう思っているだけだ。

の過去を知れば、たとえがどう言おうと、彼らはきっと自分を気遣い、そうして悩むのだと判っているから。

知らない方が良い事もあるのだと、はそう思ったのだ。

 

 

かつてそう思った自分が、今どうしても真実を知りたいと願うのは、勝手すぎるだろうか?

准佐!!」

鋭い金属音が耳に届いた直後、強い力で跳ね飛ばされ床を転がったは、部下の自分を呼ぶ声を聞きながら、ぼんやりと過去を思い出しそんな事を考えていた。

ゆっくりと身体を起こせば、抜き身の剣を下げつつ静かにこちらへと歩み寄るフリングスの姿が目に映る。

そうしてから少しだけ距離をとって立ち止まったフリングスは、厳しい表情のまま抜き身の剣を再びへと突きつけた。

「どうして反撃しないんだい?私を捕まえるんだろう?防戦一方じゃあ、私を捕まえる事なんてできやしないよ」

「・・・・・・」

「この期に及んで、まだ私と戦う事を躊躇っているの?」

冷たい表情で自分を見つめるフリングスを見上げて、は強く拳を握り締める。

こんなフリングスは知らない。

穏やかで、いつだって優しくて、柔らかな笑みを浮かべているフリングスからこんな視線を向けられた事なんて、今まで一度だってなかった。

僅かに戸惑いの表情を浮かべたまま、はゆっくりとした動作で立ち上がる。

確かにフリングスを捕まえると決めた。

それがどういう事なのかがまったく解らなかったわけではない。―――しかしこうして剣を交えて、改めて理解したのだ。

これは、演習場でのやり取りとは違う。

本当に・・・本当の戦場のように、意思をもって相手に向かっていかなくてはならないのだ。

「准佐!!」

ぼんやりと考え込んでいたの耳に、再び鋭い部下の声が届く。

その声に、我に返った時にはもう遅かった。―――すでに譜術を唱え終わっているフリングスがかざした手を視界に映した直後、襲い掛かる風の刃をは避け切る事が出来ず、身体に走った痛みと衝撃に再びその場に膝をつく。

「・・・っ!!」

耳障りな音を立てて、チェーンが床に弾き飛ばされた。

俯いたの髪が、まるですべてをシャットアウトするかのように視界を遮る。

暗い、暗い、深い絶望の中に居るような気がした。

「真実を知ってどうする?それを知って、そうしてどうしようもないと思い知って、それで君はどうするつもりだ?」

フリングスの、冷たい声が響き渡る。

を突き放すように・・・さらに絶望へと突き落とすように。

そうして、諭すように。

「決して止められないのだと思い知って、そうして残酷な現実を目に映して、君はそれで本当に満足なの?」

問い掛けに、は答えない。

本当にそんな場面を前にして、それで満足だとは言えない。―――それは彼女の望むものではないからだ。

望むものを手に入れる為には、どうしてもを止めなければならない。

けれど思うのだ。―――本当に自分にそんな事が出来るのだろうか、と。

自分で言うのもなんだけれど、は自分が説得に向いているとは思っていない。

今までそういった事はすべてジェイドがしてくれていたのだ。―――思えば、今まで自分の道を示してくれていたのはジェイドで、彼女の行動原理はジェイドが最優先で、誰に反対されても自分の我を通した事なんて一度もなかった。

もっとも、それほどまでに強く何かを望む事など、今までのにはなかったのだけれど。

そうして思うのだ。

フリングスと戦うこともまた、自分の望む事ではないと。

「知らない方がいい事もあるんだ」

俯き、跪いたままのへと、フリングスの言葉が投げ掛けられる。

それに引かれるように顔を上げれば、先ほどの冷たい表情とは違う、悲しみに満ちた表情が目に映った。

「・・・アスラン」

「知らない方が幸せな事もあるんだよ。君にとっても、そして中将にとっても」

言葉を発しようとしたを遮るように、フリングスは言葉を続ける。

彼が浮かべた表情の意味を、その感情を・・・―――には読み取る事は出来なかった。

 

 

「どうかしましたか、カーティス大佐」

「・・・いえ、なんでもありません」

同行していた部下に声を掛けられたジェイドは、軽い笑顔と共にそう答えて止めていた足を再び踏み出した。

今、の声が聞こえたような気がしたのだけれど。

そんなありえない事を珍しく考えながら、ジェイドは苦笑した。―――そんな非科学的な事を考えるのは、残してきたが心配だからなのだろう。

自分もピオニーの事は言えないなと苦く思いながら、ジェイドは何かを誤魔化すように眼鏡を押し上げた。

「・・・それよりも、中将が目撃された地点ですが・・・」

「あ、はい。報告によればおそらくはこの辺りかと・・・」

立ち止まり地図を広げて場所の確認を始めた部下を目の端に映しながら、ジェイドは改めて目撃されたというの事について考えを巡らせた。

彼が軍を離脱した理由はそれなりにある。

まだはっきりとはしないが、彼が軍部の情報を漏らしていた場合、尻尾を掴まれる前に姿を消そうという心理は当然の事だと言えるだろう。

たとえどれほどの理由があったとしても、軍の幹部が復讐などという行動に出て何事もなく済まされる筈もないのだから、それを実行する為に軍を離れたという推測も立てられる。

盗賊団を根絶やしにする為に盗賊に取り入っていたのなら、なおさらだ。

しかしそのどれもが、今彼がグランコクマに戻ろうと考えるような理由とは結びつかない。

そもそも、あの一見しただけでは解りづらいが、用心深く用意周到な彼が、まんまと警備隊にその姿を目撃されるわけがない。

だとするならば、今回の彼の目撃は・・・。

「カーティス大佐!!」

突然の部下の驚愕の声に、ジェイドは素早く顔を上げ、辺りの気配を窺う。

ざわざわとざわつく部下たちの声を耳にしながら、僅かに口角を上げた。

「やれやれ。こうなるかもしれないとは思っていましたが・・・」

浮き足立つ軍人たちを嘲笑うかのように、そこかしこから武器を構えた男たちが姿を現す。

彼らが着用している衣類から見て、と共に軍を去った元第一師団の面々に違いないだろう。

そんな中、ジェイドだけは動揺した素振りも見せず、悠然と現れた男たちを見上げながら困ったとでも言いたげに肩を竦めて見せた。

「罠である可能性が非常に高いとは思っていましたが、こう、ど真ん中ストライクで来ると、それにまんまと引っかかっている自分が情けなくなりますねぇ」

「大佐、それどころでは・・・」

「しかし、我々の足止めに現れたのが盗賊やそこらで雇えるような傭兵ではなく、中将と共に軍を離脱した元第一師団の方々だと言う事は、あながちまったくの無駄足でもなかったという事ですか」

「・・・大佐?」

あくまでも楽観的な態度を崩さないジェイドに、同行していた部下が嗜めるように声を掛ける―――しかしジェイドはその声をも遮って、至極真面目な声色でそう告げると薄く目を細めた。

問いかけるような部下の声もそのままに、ジェイドはさらに言葉を続ける。

「つまり、どうしてもここで私を足止めしておきたかったのでしょう?罠である確立が高いとはいえ、中将が目撃されたとなれば、現状から考えれば出動を命じられるのは私しか居ませんしね」

「では、中将は・・・」

「間違いなくグランコクマでしょう。そうまでしてあそこへ戻ろうとする理由は解りませんが・・・お教え願えませんか?」

「・・・出来ません」

「・・・ま、そうでしょうねぇ」

きっぱりとそう言い切ったリーダー格の男を見上げて、ジェイドは意外にあっさりとそう納得すると、困ったとでも言いたげに肩を竦めて見せた。

そのあまりにもあっさりとした様子に、男は訝しげに眉を寄せる。

問い詰めて欲しいわけではもちろんないが、相手が相手だけに何を考えているのかが読めずに不安が湧き出てくる。―――ジェイドもまた、自分の上司と同様に油断ならない人物なのだ。

そんな男の僅かな困惑もそのままに、ジェイドはわざとらしく顎に手を当て考える素振りを見せた。

が今更グランコクマに戻らなければならない理由はない。

逆を言えば、今彼がそういう行動に出ているのならば、彼が行動を起こす過程でその必要が出来たという事なのだろう。

の過去を聞き、そして今の状態から察するに、どうやら彼は現在のと同様に盗賊の討伐を目的としているようだ。―――その方法は、ずいぶんと異なるけれど。

そんな彼がグランコクマに戻る理由があるのだとすれば・・・。

「盗賊の元締めか何かが、グランコクマに居るのですか?」

「・・・っ!?」

何の前触れもなく発せられた言葉に、男は取り繕う間もなく息を呑む。

それを見ていたジェイドは意地悪く口角を上げ、ことさらゆっくりと眼鏡を押し上げた。

「おや、当たりですか?では、こちらも急がなければなりませんね。―――これ以上好き勝手にされても困ります」

楽しそうにそう笑い、しかし冗談では済まされないほどの真剣さを辺りに漲らせながら顔を上げたジェイドを見下ろして、元第一師団を纏める男はコクリと唾を飲み込み、意を決して口を開いた。

「カーティス大佐。申し訳ありませんが、貴方にはここでおとなしくしていてもらいます」

「おや、数で勝負の正攻法ですか。ずいぶんと強気ですねぇ」

その場に現れた元第一師団の面々をグルリと見回して、困惑すら見せる様子のないジェイドはのんびりとした口調でそう告げる。

確かにジェイドは強い。

マルクトの死霊使いといえば、キムラスカでも恐れられる存在だ。―――それはもちろん、味方であるはずのマルクト軍でも変わらない。

しかし今回のジェイドは少数の手勢を率いての遠征だ。

約半数近くは居る元第一師団の面々を相手にするには、さすがのジェイドといえど楽にはいかないはずだ。

そして今回の戦いにおいて、彼らの目的はジェイドに勝つ事ではない。

出来るだけ長く、ジェイドを足止めする事が出来ればそれで良いのだ。

それだけを目的とするならば、この兵力差があれば十分だと男は確信している。

「それは貴方の方でしょう?いくらカーティス大佐といえど、この兵力差で無事にこの場から離脱する事など・・・」

「本当にそう思いますか?」

「・・・・・・」

あくまでも余裕の態度を崩さないジェイドを見下ろして、男はぎゅっと唇を噛む。

ジェイドが言うと何かあるかもしれないと思わせられるのだから不思議だ。

「では、試してみましょうか。―――申し訳ありませんが、時間がないのでね。手加減は期待しないでください」

真剣な表情で口を噤んだまま自分を見下ろす男に向かい、冷たくそう言い放つ。

そう、時間がないのだ。―――こんなところでまんまと足止めされている時間はない。

の過去を聞き、そしてこれまでの彼の行動から、説得が出来る事態ではない事は十分に解っている。

それでもがそれを望むのならば、その気持ちくらいは伝えるべきではないかとも思う。

たとえそれで彼を止められなくとも、それで彼の胸が痛んだとしても。

こうなる事が解っていた上で彼女を手懐けた、それが彼の責任だと思ったから。

「本当に。私も陛下の事は言えませんねぇ・・・」

僅かに苦笑を零して、ジェイドは指揮を執っている男を見上げる。

決着の時は、もうすでにそこまで来ていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

なんだかんだとずるずる長くなってしまいましたが。

引越しやら何やらが重なり、最初らへんと最後らへんの作成期間がどえらく開いてしまいました。

おかげで何を書こうと思っていたのやら・・・みたいな。

とりあえず話が繋がっている事を祈って。(めちゃ他人事)

作成日 2007.1.20

更新日 2011.7.24

 

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