「知らない方が幸せな事もあるんだよ。君にとっても、そして中将にとっても」

静かにそう告げるフリングスを見上げて、は苦しげに眉を寄せる。

どうしよう。

どうしたら良いのだろう。

必死に考えるけれど、何も思い浮かばない。―――真っ白になった頭の中に、その言葉だけが浮かんでは消えていく。

を止めたい。

けれどそれと同じくらい、フリングスとも戦いたくない。

本気で向かってくるフリングス相手に手加減などする余裕などない。

も本気で向かっていかなくては、返り討ちにあってしまうだろう。

そして本気で戦う以上、相手の身の保障などある筈もなかった。

「・・・ジェイド」

いつでも的確な指示を出し、自分を導いてくれるジェイドはここにいない。

もしも彼が同じような状況に立たされた時、彼はどういう結論を下すのだろう。

そして、自分はどうすればいいのだろうか。

『しっかりしなさい、

助けを求めるように彼の人の名を呼び、床についた手を強く握り締めたの耳に、そんな声が聞こえた気がした。

 

残された時間

 

「こ、こんな・・・馬鹿な・・・」

掠れた男の声に、悠然と辺りを見回していたジェイドは、ゆっくりと地面にひれ伏す男に視線を合わせた。

「だから言ったでしょう?―――手加減は期待しないでください、と」

傍目から見れば窮地に立たされていた筈の男は、そういって小さく笑む。

ジェイド=カーティスという名の男を、侮っていたわけではない。

死霊使いと呼ばれ恐れられている男を、侮っていたわけではないけれど。

こんなにもあっさりと、僅かな時間さえも稼げなかった事実に、身動きすらも取れずに地面に横たわる男は悔しさに唇を噛んだ。

「では、聞かせていただきましょうか。―――中将は誰に会いに行ったのですか?盗賊の元締めなど、そう簡単に出来る事ではないと思いますが・・・」

「・・・・・・」

「答えてくださらないのなら結構ですよ。安心してください。こう見えても、私は尋問も得意ですから」

だんまりを決め込む男に向かい、ジェイドは軽い口調でにっこりと微笑む。

しかしその言葉が嘘ではないだろう事は、確かめるまでもなく実感できた。

それはジェイドの経歴がどうだとかそういう問題ではなく、彼ならばそうだろうと思える怜悧さがそこにはあったからだ。

「・・・私は、何も知りません」

「おやおや、強情ですねぇ。―――中将も口の堅い部下を持ったものです」

「本当に・・・私たちは何も知らない。中将は・・・私たちには多くを語ってはくれませんでしたから」

楽しげに笑うジェイドから視線を逸らして、見るからに顔を青ざめさせた男は控えめにそう言葉を付け足す。

彼の言葉は真実だった。

が軍を離れる際に多くの第一師団のメンバーが彼に付いていったが、の本当の目的を知る者は誰も居なかった。

いつも通りに見えて、けれどどこか追い詰められた様子を見せるに、それを問い詰める事も出来ず。

ただ言われるがままに盗賊を逃がし、そしてこうしてジェイドの足止めをした。

が何を考えていたのか、どうしたいのか・・・それが気にならなかったわけではなかったけれど・・・。―――それでも、何も聞かされなくとも、最後までに付いて行こうと、彼らは自分の意思で決めたのだ。

僅かに目を細めて、寂しそうに表情を曇らせる男を見下ろす。

目の前の男の言葉のすべてを信じるわけではない。

ただ、信じないという明確な理由があるわけでもないのだ。

そして、ならばそうするだろうと納得できる部分もある。

あのの事だ。―――人知れずこの事件を終わらせる事が出来るとは考えていないに違いない。

部下の同行はこれから大きな行動を起こすのに確かに有難かったが、すべてを終わらせた後、彼らもまた罪人として処罰されるのは避けたかったのだろう。

何も知らず、の命令通りに動いていたとなれば、彼自身が『騙していた』とでも言えば、多少罪は軽減されるかもしれない。

自分の目的の為にすべてを切り捨てられるほど、は冷酷にはなりきれないだろう。

「誰も・・・何も知らなかったと?」

けれど、知らなかったでは済まされない。

現実として、彼らの行動で多くの人々が日常に恐怖を抱き、そして犯罪者として捕らえられるべき盗賊たちはその命を奪われているのだから。

冷ややかな視線を投げ掛けたジェイドに、男は視線を泳がせて躊躇いがちに口を開いた。

「・・・もちろん、知らなかったで済まされる問題ではない事は、十分に理解しています。それでも我々は中将に付いて行こうと思ったのです。それに対する責任は、たとえどんなものであろうとこの身に負うつもりです」

軍人が罪を犯せば、それは一般市民が受ける罪よりも更に重い。

それが解っていながらも行動を起こした彼らの決意は、おそらく並々ならぬものだったのだろう。―――そうして、それほどまでに彼らに慕われるは、きっと理想的な上司だったに違いない。

それだけに今回の事件が悔やまれるのだが。

「では、中将がどういう目的で何をしようとしていたのか、あなた方を初め、誰も知らないという事ですか?」

良い返事は返っては来ないだろうと思いつつもそう問いかければ、少し迷った末に男は少しだけ身を起こしてジェイドと視線を合わせた。

「いえ・・・フリングス中佐は、中将からすべてを聞かされていたように思います。そういった話をしたわけではありませんが・・・」

軍を離れた直後から今までの事を思い返し、男はそう呟く。

考えてみれば、どんな状況でもフリングスはのすぐ傍に居た。

彼らに指示を出すのもフリングスである事が多く、彼らにとっては驚くべき指示が出されてもフリングスに驚いた様子はなかった。

本人に直接確かめたわけではないから定かではないが、知っていたと考える方が妥当だろう。

「・・・なるほど。確かにフリングス中佐ならば知っていても不思議はありません。ああ見えて中将は彼の事をとても信頼しているようですから」

ジェイドの言葉通り、が一番信頼しているのは、フリングスに他ならないだろう。

同じ隊の者として、部下として、そして長い時を共に過ごす者として、はフリングスを信頼していた。

すべてを1人でこなす事が難しい今回の事件で、が協力者として選ぶのならば間違いなくフリングス以外にはいないという事は明白だった。

「それで?そのフリングス中佐は今どこへ?―――もしかして、中将と一緒にグランコクマですか?」

グランコクマに盗賊団の元締めが居ると仮定して、それがどんな人物であれ、の実力を持ってすれば相手をどうこうするくらい何も問題はないはずである。

その上でがフリングスを伴ってグランコクマに向かうとは、ジェイドにはどうしても思えない。

むしろ今回ジェイドの足止めをするならば、失礼ではあるが今ここにいる彼らではなくフリングスである方がまだ成功率も上がるだろう。

だというのに、フリングスの姿が見えないという事は・・・。

ふと嫌な予感が脳裏を過ぎり、ジェイドは傍目から解らないほど僅かに眉間に皴を寄せる。

そうしてこれまでの経験から、彼の予感がそう外れる事はない事を、彼自身よく知っていた。

「フリングス中佐は、中将直々に別の任務についています」

「・・・別の任務、ですか」

「万が一、准佐がグランコクマに向かうような事があれば、なんとしてもそれを阻止しろとの命令が中将より下されています。―――ですから、フリングス中佐はそちらの方へ向かったのだと・・・」

男の話を聞きながら、ジェイドはの用意周到さに思わず感心した。

どうやらは何があっても、の知らぬところですべてを終わらせたいらしい。

その気持ちが解らないわけではないけれど、なんとも勝手な事だとも思う。

わざわざフリングスを派遣するのだから、は本気に違いない。

「なるほど。―――では私もすぐにグランコクマに戻るとしましょう。彼の思惑を阻止する事が私の仕事ですからね」

小さくため息を吐いたジェイドは、もう用はないとでも言いたげに男から視線を外し、状況を固唾を呑んで見守っていた部下たちへとそう声を掛ける。

あまりにも平然とした様子のジェイドに、慌てたのは部下たちの方だった。

「それで宜しいんですか?准佐のところへ伝令を走らせ、増援を送った方が・・・」

「必要ありませんよ」

きっぱりと言い切って、ジェイドはさっさと元第一師団のメンバーを捕らえる指示を出しながらにっこりと微笑んだ。

「伝令など送らなくとも、彼女はもうグランコクマに向かっている筈です」

見かけは幼く、少し頼りなさそうに見えるところもあるが、の優秀さはジェイドが一番よく理解している。―――そうなるように、彼が指導したのだから。

そうしてジェイドの部下たちもまた、優秀な人材が揃っている。

そんな彼女たちが、の行方を掴めない筈はない。

「では、増援を・・・」

「ですから、必要ないと言っています」

尚も言い募る部下にそう言い放って、ジェイドはあっさりと踵を返した。

が自分の意思でグランコクマに向かったのなら、彼女は何があってもグランコクマに来ますよ。たとえ目の前に・・・友が立ちはだかってもね」

そうなる事が解っているとでも言いたげに、ジェイドはきっぱりとそう告げる。

にとって、親しい者との本気の戦いなど経験がない。

そして彼女にとって、それがどれほど精神的に苦痛であるかは想像するまでもなかった。

それでもジェイドは思うのだ。

どれほど打ちのめされようと、どれほど心を痛めても、は自分の決めた道を進むだろうと。

それは、そうであってほしいという希望なのかもしれないけれど。

「・・・早くしないと間に合いませんよ、

誰にも聞こえないほど小さな声でそう呟いて、ジェイドは澄み渡る空を見上げて微笑んだ。

 

 

准佐!!」

響き渡る部下の声を耳にしながら、もう何度目になるか解らないほど吹き飛ばされ床に叩きつけられたは、それでもゆっくりと身を起こした。

もうぐちゃぐちゃになってしまった髪の毛を後ろへと払い、痛む身体に耐えながらフリングスと向き合い武器を構える。

しかしそれが振るわれる事がない事は、その場を見守る者たちには解っていた。

。君は一体、何を考えているの?」

「・・・・・・」

「反撃するどころか、私の攻撃を避けようともしないなんて・・・」

満身創痍のを見つめるフリングスの表情は硬い。―――彼女を傷つける事は、フリングスの目的ではないのだ。

それでも武器を構えられれば、彼としても無防備に突っ立っているわけにはいかない。

が目的を遂行するまでの間、どうやってもをこの場で足止めしておかなければならないのだから。

そう自分に言い聞かせながら躊躇いがちに放たれた譜術は、やはり避ける素振りすら見せないに直撃し、はまたもや派手に床を転がった。

そうして再び起き上がろうと震える腕を突っ張るを見て、フリングスは痛ましげな表情を浮かべて口を開く。

「・・・。もう諦め」

「アスラン」

再度説得を試みようと口を開いたフリングスの声を遮って、は普段通りの抑揚のない声で彼の名を呼んだ。

「なんだい?」

「アスランはさっき、知らない方が良い事もあるって言った」

「・・・ああ」

の言葉にフリングスは小さく頷く。

それは事情を知っている者の、事情を知らない者に対する体の良い言葉かもしれない。

けれどそれでも思うのだ。―――真実を知れば、が苦しむ事が解っているからこそ。

知らない方が良い事もある。

確かにフリングスの言う通り、そういうものがあるのも事実だ。―――も、そう思っていた。

けれど。

「・・・私も、昔そう思った事があった。知らない方がいい事もあると、そう思った事がある。それは今もまだ、そう思ってる。・・・だけど」

けれど、それを決めるのは、自分自身だ。

心の中で強くそう呟いて、はゆっくりと顔を上げた。

何度迷えば良いのだろうか。

もうすでに、答えは出していたはずだというのに。

何があっても、どんな現実を突きつけられても、それでも関わると決めたのに。

「私はの事が好き。悩んでるなら、一緒に悩んであげたいと思う。―――昔、がそうしてくれたように」

気がつけば、の世界の中にいた。

戸籍の上では父親だとか、そんな繋がりなど考えた事もなかったけれど。

いつだってさりげなく助けてくれた。―――それが当然だとでもいうように。

まっすぐにフリングスを見返して、はゆっくりと立ち上がる。

音素で変化させた剣を更に強く握り、今度こそ・・・もう迷ったりしないように、そう決意を固めて。

と一緒にいたいから。これからも一緒に居たいと思うから、だからどんなに辛くても、私はそれを知らなきゃいけない。逃げちゃいけない。そうしないと、私はきっとちゃんとと向き合えない。たとえそれがどんな結果になろうと、このままじゃ、私は前に進めない、から」

人に感情を語る事が得意ではないは、うまく伝えられない事を歯痒く思いながら、それでも必死に己の想いを言葉に乗せる。

それと同時に、は考えていた。

どうすれば被害を最小限に抑えてフリングスを捕らえられるのかを。

彼の実力をよく知っているには、それがどれほど難しいのかは十分に解っていたけれど。

それでも大切なのはだけではないのだ。―――取り戻したいのは、フリングスも同じだった。

「だから、私は私に出来る事をする。それがどれほど小さな事でも」

「・・・それが、報われなくとも?」

悲しげな表情を浮かべて問い掛けるフリングスをまっすぐに見据えて、は剣を握る手に力をこめる。

自分に何が出来るのかは解らない。

道を示してくれていたジェイドも、今はいない。

だからここからは、自分の意思で・・・そして自分の決断で前に進まなければならない。

「・・・ジェイド」

小さく小さく、呟くように彼の人の名を呼んで、はすべてを振り払うようにフリングスに向けて駆け出した。

ギィンと甲高い金属音が鳴り、フリングスの剣との剣が重なり合う。

力でフリングスに勝てるなどとは思っていない。―――押されるままに後ろへと飛び、その瞬間にチェーンを放ってフリングスの体勢を崩した。

勝負は一瞬。

長引かせれば長引かせるほど、自分も・・・そしてフリングスにとっても不利だ。

地面に着地するのと同時に体勢を整え、まだ体勢を崩したままのフリングスを目で確認してから、は地を蹴り素早くフリングスの懐へと入った。

「砕け散れ。飛燕爆砕脚」

驚愕に目を見開くフリングスの表情を目に映しながら、は足の周りに第二音素を纏い十数回の蹴りをフリングスの懐へ放つ。

先ほどまであれほど悩んでいたのが嘘のような動きに、見守る者たちは一瞬唖然とするが、すべてを吹っ切ったは本来こういう人間である。

「・・・くっ!」

小さく声を上げて、強烈な蹴りを食らったフリングスは、成す術もなく本日初めて吹き飛ばされ床に転がった。

しかしの攻撃の手は止まない。

大地の咆哮、基は怒れる地竜の双牙

「・・・っ!?」

グランドダッシャー

力ある声に、フリングスの足元が崩れ無数の岩が襲い来る。

言わば無差別に襲い掛かる岩をすべて避け切る事など、出来ず筈もなかった。

「・・・くぅ!!」

出来るだけ防ごうと剣を構えて防御の体勢に入るフリングスを見やり、は彼の足元に浮かび上がった第二音素の譜陣を確認してから間を空けずに更に詠唱に入る。

これは一流の譜術士と呼ばれる者たちにも真似できないほど、譜術の発動が早いだからこそ出来る戦い方だった。

重力という枷に抱かれ、ここに眠れ。―――グラビティ

雷を帯びた強い重力が、フリングスの身体に圧し掛かる。

それに耐え切れず再び床に叩きつけられたフリングスは、その衝撃に意識が遠くなるのを自覚した。

やっぱり駄目だったか・・・と、どこか晴れ晴れとした気持ちを抱きながらそう思う。

最初から、本気で向かってくるに勝てるとは思っていない。

剣術は多少自分の方が上でも、譜術に関しては断然にに分があるのだ。―――譜術に関して言えば、おそらく彼女に対抗できるのはかジェイドくらいだろう。

「・・・アスラン!」

ぼんやりとする意識の中で、先ほどまで無表情で戦っていたが、心配そうな面持ちで自分の傍へと駆けて来る姿を捉えた。

「・・・そんな顔、しないで」

聞こえないだろうほど小さな声で、フリングスはそう呟く。

そんな顔、しないで。

これは、自分が望んだ事なのだから。

に軍を離れる事を聞かされた時、フリングスは自分の意思で彼に付いて行く事を選んだ。

彼のやろうとしている事が決して正しい事ではないと、心のどこかでそう思っていても、あの時取れる道はそれ以外にはなかった。

だけど、ずっと思っていたのかもしれない。

自分では決してを止める事は出来ないから。

ただ彼の事を案じ、彼を求め、そうして何があってもまっすぐに彼と向き合える・・・―――それは幼いと言っても過言ではない純粋さを持つに。

その先に待っているのは暗闇しかないと解っていても走り続けるを、どうか。

「・・・アスラン」

床に横たわった身体を抱き上げ、心配そうに自分の顔を覗き込むを下から見上げて、フリングスはかつてのように穏やかに微笑んだ。

 

 

フリングスがから彼自身の過去の話を聞いたのは、もう何年も前の事だった。

どうしてそういう話になったのかは覚えていない。―――何せその時に聞いた話の内容が衝撃的過ぎたからだ。

今まで見た事もない、遠い目をして悲しげな表情を浮かべる己の上司に、その時のフリングスには掛ける言葉は見つからなかった。

だから彼が行動を起こすと言った時、フリングスに驚きはなかった。

ただひとつ、『どうして今になって・・・』という疑問だけはあったが。

「・・・・・・」

かつての出来事を思い出していたフリングスは、無言でどこかを見つめるを見て薄く目を細める。

と戦い、そして彼女に敗れて、フリングスは漸く素直にすべてを話す事を決意した。

否、もしかすると、最初から伝えるつもりだったのかもしれない。

目の前の少女を前にすべてを隠し通す事は、フリングスには出来なかった。

「君は亡くなった奥さんにとても似ているらしいよ。娘が生まれてたらみたいな感じだったのかもしれないって、そう漏らしていたから」

少しだけ明るい声色でそう呟き、フリングスはを見つめる。

多少省略されてはいるものの、簡潔に解りやすく今回の事件の本質をフリングスから聞かされたは、やはり無表情のまま、何かを考えているのか身動きひとつしない。

「中将から今回の話を聞かされた時、私にはどうしても『そんな馬鹿な事はやめてください』なんて言えなかった。中将がどれほど悩んでいたか・・・そしてどれほど悔やみ、やるせない想いを押し隠してきたか、それを知っていたから」

「・・・・・・」

「だから私はあの人の傍にいると決めたんだ。・・・自分の意志で」

「・・・アスラン」

「他人には『今更・・・』と思えても、中将にとってはそうではない事を知っていたから。それがどれほど意味がない事か解っていても止まれないのだろうと、私は解ってしまった。そしてそれを一番理解しているのは、他の誰でもない中将自身だったんだ」

けれどは留まれなかった。

それで彼の心が満たされたのかどうかは、フリングスには解らなかったけれど。

フリングスの言葉を聞きながら、はぼんやりと思い出す。

あの夜、が遠征に出る前夜、最後に会ったの姿を。

穏やかに微笑んでいた彼。

それはすべてを吹っ切ったからなのだろうか。―――それとも・・・。

の過去を聞いて、は素直に驚いた。

そんな過去を持っているとは思えないほど、はいつも明るかったからだ。

それほど大きな悲しみを、苦しみを・・・そして憎悪が、昇華される事もなく、ずっと己の内にあったなんて。

「アスラン。どうして私に教えてくれたの?」

ぼんやりと考え込んでいたは、ふと視線をフリングスへと向けてそう問い掛けた。

の過去、そして彼の目的。

それを聞けば諦めるとでも思ったのだろうか?―――をよく知る彼が、本当に?

不思議そうに自分を見つめるを見返して、フリングスは気まずそうに視線を逸らすと呟くように答えた。

「どうして、か。―――そうだね。私は負けてしまったから。純粋な勝負にも、そして中将に対する想いの強さも」

それは最初から解っていた事でもあった。

真剣に、真っ向から戦ったとして、自分がに勝てる可能性がどれほどあるのか。

普段からのんびりとしていて、一見戦いとは無縁に見えるこの少女は、しかし戦場に立つとそのイメージが一変する。

表情ひとつ変えずに戦場を駆け抜ける様は、まるで死神のようだと誰かが言った。

死霊使いと死神のコンビかと、畏怖を込めて呼ばれていたのも知っている。

それでも、なんとしてでも引き止めなければならなかった。―――それがからの命であり、また願いでもあったからだ。

そうして彼女を足止めできる可能性がまったくなかったわけでもないのだ。

なぜならば彼女は死神ではなく、守護者なのだから。

ただ闇雲に人の命を奪うのではなく、何かを守る為にその力を振るうのならば。

おそらくはその守るものの中に入っているであろう自分との戦いでは、動きが少しでも鈍るのではないだろうかと思った。―――実際、最初はその通りだったのだけれど。

足止めくらいならば、何とかできるかもしれないと、そう思った。

その考えは、本当に儚いものだったと思い知らされたのだが。

まだ痛みの残る体では、起き上がる事すらままならない。

これでもそれなりに自分の腕には自信があったのだけれど・・・と、見事にやられてしまった自分を改めて認識したフリングスは、思わず苦笑を漏らす。

しかしその呟きは、抑揚のないきっぱりとした声に切り捨てられた。

「それは違う」

「・・・違う?」

「私には解る。アスランは本気を出してなかった。本気で、戦ってなかった」

「・・・・・・」

「アスランはきっと、最初からこうするつもりだった。―――そうじゃなきゃ、あんなに綺麗に技が決まるわけない」

疑いのないまっすぐとした瞳でそう言い切られ、フリングスは言葉を失った。

何を根拠に、そんなにもあっさりと言い切れるのだろう。

先ほどまで自分を痛めつけていた相手に対して、なぜそうはっきりと・・・。

「・・・買い被りだよ」

「私は買い被りしない。全部、本当の事」

自嘲気味に呟いて小さく笑みを漏らしたフリングスに、しかしは迷いのない口調できっぱりと言い放つ。

その言葉に嘘や世辞がないのは、その真剣な瞳を見ていれば解った。

どうして・・・。

どうして目の前のこの少女は、人の心の奥底にある想いまで感じ取ってしまうのだろうか。

破滅に向かい走り続ける

彼を救いたいと思いつつも、それに従うしかなかった自分。

彼を止めたい。

これ以上、傷ついて欲しくない。

けれど自分に止められないというのならば・・・―――お願い・・・誰か、彼を。

それが出来るのは、たった一人しかいない事を、フリングスは知っていたから。

「盗賊の動きが活発になりだした頃、中将は私に極秘に調査を命じた。そしてそれが、かつてカーティス大佐と君が捕まえた盗賊が原因だと突き止めたんだ」

まっすぐに見つめると視線を合わせて、フリングスは静かに語りだした。

すべての事の真相を、始まりのその時を。

彼が何を思い、そして何を考えていたのかを。

「私たちが・・・?―――あの盗賊が、どうして?」

唐突に話を切り出され、はとっさに言われた言葉の内容に当てはまるだろう記憶を探る。

そうして思い当たったのは、かつて捕まえた盗賊の姿。

ジェイドと共に捕まえた盗賊など、該当するのは一人しかいなかった。

「あの盗賊は、どうやらこの地域で活動する盗賊たちのリーダーだったんだ。勝手気ままに奪略を繰り返す盗賊が組織化されているなんて、本当に信じられないけれど」

盗賊というのは、もともと己の欲求を満たす為に犯罪に走っているのだ。

だから盗賊たちは、大部分において自分の好きなように行動する。

確かに自分の所属するチーム内での規律はある程度守りはするだろうが、盗賊同士といえどお互い馴れ合う事などほとんどない。

しかしそれが現実として存在しているのだ。

「盗賊たちを統率していた男の逮捕に、統率者がいなくなった盗賊たちは好き勝手に行動し始めた。それが現在の盗賊による被害件数の上昇に繋がったのだと思う。その男が捕らえられた辺りから、軍内部の情報の流出が収まり、また盗賊たちの動きが活性化してきた事まで突き止めた」

ジェイドがピオニーから直々に下されたという、情報流出の捜査。

フリングスの話を聞く限り、犯人だと推測されていたがそれをしていたわけではないようだとは思う。

ならば一体誰が・・・とそこまで考えかけたは、今はそんな場合ではないと思い直し、改めてフリングスの話に耳を傾けた。

「それらの報告を聞いた中将は、今回の・・・復讐を決意した。時は今しかないと、そう思った」

「そして、はそれを決行した」

フリングスの言葉を引き継いでそう呟くと、フリングスはの瞳を見返してひとつ小さく頷く。

「そう。刑務所を襲い、盗賊団のリーダーを逃がした後、盗賊団に入り込めるようにマルクト軍を離脱した。―――中将はたくさんの情報を持っていたからね。なるべく軍に被害はないようにとは思っていたけれど、それなりに情報を提供すれば彼らはあっさりと私たちを信用したよ」

それはこちらが拍子抜けしてしまうほどだった。

盗賊たちの警戒心が薄いのか、それともの演技力が高いのか。

本当ならば疑ってかかってしかるべき相手に、彼らは信頼を寄せてしまった。―――その未来に、何が待ち受けているのか知る由もなく。

「そうして私たちは計画通り彼らの信頼を手に入れ、討伐に出た第三師団に見つからないようにと人目に付かない場所へと隠れさせ、そうして・・・人知れず彼らを葬った」

「・・・・・・」

もちろん、すべての盗賊たちがあっさりとやられたわけではない。

特に過去らが捕らえたあの盗賊のリーダーは、こうなる事が予測できていたのか、しっかりと迎え撃ってくれた。

それでもかつてはマルクト軍一と謳われたに敵うはずもなかったが・・・。

そして盗賊討伐のそのすべてを、は自分の手で行った。

フリングスや他の者たち一切に、手を出す事を禁じて。

それは復讐を己の手で行いたいと思う気持ちからではなく、これ以上罪を重ねるのは自分だけで良いという考えだったのだろう。―――口には出さなかったが、がすべてを終えた後の隊員の身の振り方も視野に入れていた事を、フリングスは知っている。

無言で話を聞くを見て、フリングスは大きくため息を吐いた。

「自分のやっている事が正しい事ではない事は、自分で一番よく解っていた。取り返しの付かない事をしてしまったと、そう思った。それでも中将の心がそれで少しでも晴れるのなら、私はそれで良いと思った」

どちらにしても言い訳にしか過ぎないと解っているけれど、それでもフリングスはそう思ったのだ。

自分が一番尊敬し、慕う上司。

まるで父親のように、兄のように、そして時には手のかかる弟のように、気が付けば長い時を共に過ごしていた。

だから彼には幸せになってほしいと思ったのだ。―――それが叶わないのなら、せめて心残りがないように、と。

けれど・・・。

記憶に残るの姿を思い出し、フリングスは悲しげな笑みを浮かべた。

「だけど中将は、ちっとも満足そうな顔なんてしなかった。―――それどころか、悲しそうな・・・寂しそうな顔をしていたよ」

己の行動を悔やむ気持ちと、そんな気持ちになると解っていても捨て切れなかった想い。

どちらを選んでも後悔が残るのだろう。

それならばと、は行動する事を選んでしまった。

「・・・満足しないなら、どうして」

「もう、時間が残されてはいなかったから」

「・・・・・・?」

意味深なフリングスの言葉に、は不思議そうに首を傾げる。

そんなを見て小さく微笑んだフリングスは、痛む体を何とか起こし、そうして目の前で慌ててその体を支えようと手を伸ばしたと向き合い、ゆっくりと頭を下げた。

。私がこんな事を頼むのは筋違いだという事は解っている。今更過ぎるといえば今更だ。どうあっても罪は消えないし、それから逃れるつもりもない。だけど・・・」

「・・・アスラン?」

、どうか中将を・・・あの人を救ってあげて。かつての君が、そうしたように」

以前、が何気なく漏らした言葉。

あの日、は軍基地本部内で、迷子になっている天使に出会ったのだと。

その表現は如何なものかとフリングスが茶々を入れると、は穏やかに嬉しそうに笑っていた。

「・・・救う、・・・私が?」

「君にしか出来ないと思うんだ。―――中将が私を派遣してでも、最後まで会う事を避けていた、君にしか」

今になって思う。

は、本当は誰かに止めて欲しいと思っていたのではないかと。

自分では留まることが出来ないから・・・。―――だからせめて、張り倒してでも、自分を止めてほしいと。

そうでなければ、わざわざジェイドに会いに行ったりはしないだろう。

牽制する為とは言っていたが、わざわざ自身が出向く必要性など、ありはしないのだから。

フリングスの話を聞いていたは、彼の言葉を噛み締めるようにもう一度頭の中で繰り返し、そうしてゆっくりと立ち上がる。

向けられる真摯な眼差しを真っ向から見つめ返し、はきゅっと口を引き結んだ。

「私も決めた。―――私の、意志で」

「・・・

驚いたように軽く目を見開くフリングスから視線を逸らし、は部下へと視線を向けると、簡潔に・・・いつもの淡々とした口調で言葉を放つ。

「アスラン=フリングスの身柄確保、および怪我の手当てを」

「・・・はっ!」

「私は・・・グランコクマに向かう」

部下にそう言い放ち、は部下の声を待たずに陸艦から身を躍らせた。

准佐!?」

背中から掛かる部下の声に振り返ることなく、はただ駆ける。

グランコクマで、が待っている。

たとえ彼がそれを望んではいなくとも、はもう決めたのだから。

「私は私に出来る事をする。―――それで、いい」

小さく呟いて、は走るスピードを上げた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

解りづらいというか、もう何がなんだか解らなくなってきました。(おい)

読んでくれている人にうまく伝わっているのかという問題以前のような気もしますが。

相変わらず戦闘シーンがお粗末過ぎるのも悔やまれますが、なかなか・・・ねぇ。(ねぇって!!)

作成日 2007.1.28

更新日 2011.9.11

 

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