「甘い!!」

時刻は真夜中と呼ばれる頃に突入し、既に人の姿もちらほらとしか見られなくなった頃。

すっかり酔っ払いと化してしまっていたフリックが、手に持っていたグラスをテーブルの上に強く叩きつけるように置いて、唐突にそう叫んだ。

「・・・酒がか?」

「違う!!」

呆れたような視線をフリックに向けて、ビクトールがぼやくように返事を返すと、再び強い口調でそう否定する。

「じゃあ、なんなんだよ」

突然の相棒の変貌ぶりに、ビクトールが困ったように視線を向ける。

するとフリックは、据わった目でビクトールを睨みつけて。

「お前ら、リーダーに甘いって言ってんだよ!」

キッパリと告げられた言葉に、ビクトールは重いため息を吐き出し考える。

一体、どうしてこんな話になったんだろうか?

 

と太陽

 

酒を呑み始めた時はこんな話題ではなかった―――とビクトールは思う。

最初は何気ない会話から。

次に兵士たちのことや、これから帝国がどんな風に動くだろうかという討論。

そうこうしている内に、話題が自軍のリーダー・=マクドールに移るのにそう時間はかからなかった。

どんな話をしていたのかさえ、ビクトールは明確に思い出せない。

何せ酒が入っていたのだ―――話半分になっていたのは、仕方のない事だろう。

それでも結構長い時間話をしていた事は、今の時刻を見れば容易に解る。

そんな他愛ない話の中、フリックが突然叫んだのだ。

『甘い!』と。

「甘いって言われてもなぁ・・・。んなことねぇと思うが・・・」

「いいや。お前らはリーダーに甘すぎる!自覚がないのが更に始末に悪い!!」

「・・・お前なぁ」

始末に悪いとまで言われれば、流石のビクトールもムッと来る。

それはどっちだと言い返しそうになって、何とかその言葉を飲み込んだ。

ビクトールとて、自覚がないわけではない。

解放軍のリーダーとして・・・人を率いる者として、それに相応しい人間であれとに常々言ってはいるが、その言葉が行動に伴わない時もある。

そしてビクトールにそんな行動を取らせるほど、の見せる強さや笑顔が痛々しく映る時もあるのだ。

は解放軍にとって―――いや、上に立つ者としては理想的だといえる。

常に人の目を意識し、決して弱みを見せる事はない。

どれほど辛い出来事があっても、人に不安を抱かせないようにと笑顔を浮かべる。

どんな苦境に立っても希望を捨てる事無く、常に前に立って戦い続ける。

まっすぐに前だけを見据えて、淀みのない強い光を目に宿し、威厳すら漂わせて人々を率いる少女。

『完璧な人間なんていない』―――そう思っているにも関わらず、まさに完璧だと思わせる姿。

だからこそ、時に不安になる。

無理をしていないわけではないだろう。

辛くない筈がないのだ―――側近を、父親を失って、悲しくない人間などいない。

けれどはそれを微塵も見せない。

いつかその無理が、に何らかの影響を及ぼしてしまうのではないか?

そう思うからこそ、多少に対して甘くなる。

いつも働き続けるに休んで欲しいと思う。

悲しいのなら我慢せずに泣いて欲しいと思う。

それがリーダーとしては好ましくない行動だと解っていても。

だからフリックの言った事は、厳密に言えば間違いではない。

しかし―――未だにぶつぶつと何かを呟き続けるフリックに視線を向けて、ビクトールはもう一度ため息を吐き出した。

「おら。もうそれくらいにしとけ。さっさと寝ろ」

酒瓶に手を伸ばしたフリックの腕を払って、ため息混じりにそう言うと、恨みがましい視線を向けられた。

今日は一体どうしたというのだろう?

この青年は、普段はこれほど酔いつぶれる事などない。

こんな風に愚痴を零すことも、滅多にあることじゃない。

何かあったんだろうか?

そうは思うけれど、素直に聞いて教えてくれるとも思えない―――それ以前に、これほど殿酔している状態で、まともな会話が成立するとも思えなかった。

何だかんだと文句を言うフリックを酒場から追い出して、その姿が完全に見えなくなった頃、ビクトールは苦笑混じりに呟く。

「リーダーに甘い・・・か」

それはどっちだ、とビクトールはもう一度心の中でこっそりと思う。

確かに自分も、そしての側に仕えるクレオやパーン・・・そして解放軍の軍師殿や他の幹部たちも自軍のリーダーには甘いけれど。

一番に甘いのは、他の誰でもないフリック本人だとビクトールは思う。

『自覚がないのが更に始末に悪い!!』

フリックの先ほどのセリフを思い出して、今度こそ声に出して笑った。

「まったくだな」

そのセリフを聞くべき青いマントの青年の耳に、ビクトールの呟きが届く事は無く。

微かに残る酒場の喧騒に紛れて、消えた。

 

 

酒場を追い出されたフリックは、途端に吹き付けてきた冷たい風に身を縮こませた。

ふと辺りを見回せば、少し先を行った所にある窓が開いている。

無用心だと心の中で悪態をつきつつ、その窓を閉めるために重い身体を引きずるように歩き出した。

呑みすぎた―――とフリックは思う。

冷たい風に少し酔いの回った頭は冷め、先ほどの自分の言葉が脳裏に甦る。

言った言葉に偽りはない。

いつもそう思っている―――が、周りの人間がに甘くなってしまうのは、フリックにも解らないでもない。

けれどそれではいけないと思うのだ。

これから戦いは更に苛烈さを増していくだろう―――そんな甘い考えを持っていては、の為にもならない。

には揺るぎない存在でいてもらわなくてはならないのだ。

解放軍の為に・・・何よりも、そこで戦う人々の為に。

開いている窓に歩み寄り、外に腕を広げる窓枠に手を伸ばす―――と、そこから見えた景色にフリックは目を見開いた。

正確にいえば景色にではない―――その景色の中にいる、ある人物にだ。

「あいつ・・・こんな時間に何してるんだ」

ポツリと零して、フリックは踵を返すとそのまま階段を駆け上がった。

酒の入った体には辛い。

そうは思っても、このまま見過ごす事など彼には思いつかなかった。

!!」

屋上の扉を蹴破るようにぶち開け、そこに佇む少女の名前を力の限り叫ぶ。

名前を呼ばれた少女は驚いたように振り返り・・・けれどフリックの姿を認めると、安心したように表情を緩めた。

「なんだ、フリックか」

「なんだじゃない!こんな所で何してるんだ!!」

「何って・・・お月見?」

空に浮かぶ丸い月を指さして、は小さく首を傾げながら笑う。

「こんな時間にする事ないだろう!?」

「だって、こんな時間じゃないと月なんて見えないし・・・」

確かにそうだ―――昼間は太陽が輝き、月の姿などどこにもない。

しかしそんな言葉に怯むフリックではなかった。

ずかずかと音がしそうな足取りでに近づくと、床に座り込んだままのの腕を強く掴んで引き起こす。

「ちょ、フリック!?」

「いいから、部屋に帰るぞ!」

いつになく強気な発言と行動に、は微かに首を傾げる―――そしてフリックから漂う酒気に眉を顰めた。

「・・・酔っ払ってるね、フリック」

「酔っ払ってなんかない!」

即答で返された言葉に、はフリックにバレないようにため息を零した。

酔っ払ってないと言うが、ならこの態度はどうなんだろうか?

明らかに普段のフリックとは違う―――行動にそれほど違いはないが、その手段がいつもとは明らかに違う。

いつもならば、こんな風に無理やり連れて行こうとはしない。

「ちょっと・・・解ったから!落ち着いて、フリック!」

「俺は落ち着いてる!」

「解ったから!だからちょっと手離してよ!」

自分を引きずるフリックの手を何とかほどいて、は自分の手に残る痛みに顔を顰めた。

やっぱり酔っ払っているのに間違いはなさそうだ―――手を掴む力加減が、全くされていない。

「ねぇ、フリック。今日はこんなに月が綺麗なんだよ?」

「だからなんだ?」

「こんな日に月を見ないなんて、もったいないと思わない?」

「思わん。第一、お前にはリーダーとしての自覚があるのか?こんな夜中に1人で屋上にいるなんて・・・刺客でも来たらどうするつもりだ?」

まだ新生解放軍が起ってから間もない頃、を狙った刺客が本拠地内に侵入したという話を、フリックはビクトールから聞いたことがある。

あの時と比べて、今の解放軍は強大な力をつけたし、早々刺客が忍び込める事などないとは解っている。

解ってはいるが、万が一という事もあるのだ。

がいなくなれば、この先解放軍は戦ってなどいけないのだから。

けれどは、真剣な表情で自分を見つめるフリックと目を合わせて、にっこりと綺麗な笑みを浮かべて言った。

「それなら大丈夫よ」

「・・・何を根拠にそんな・・・・・・」

「だって護衛が出来たもの」

ニコニコと何かを含むような笑みをフリックに向ける―――しばらく考えて、それが何を示しているのかを察したフリックは深いため息を吐き出した。

「・・・お前な」

「これ以上ない、護衛でしょ?」

悪戯っぽく告げられて・・・けれど自信に溢れたの声色に、反論する気も起きなかった。

それだけ信頼されているという事か?―――そう思えば、嫌な気がするどころか嬉しく思えるから、これはもう仕方ないのかもしれない。

「・・・ちょっとだけだからな」

「ありがとう、フリック」

そんな風に嬉しそうに礼を言うから。

だからやっぱり、仕方ないとフリックは思う。

いつもよりも少しだけ幼いその横顔を見つめて、フリックは微かに頬を緩めた。

 

 

静かな時間が、ただゆっくりと過ぎていく。

夜特有の少し冷たい風に吹かれて・・・フリックは薄い服装のを見咎めて、自分のマントを彼女の小さい背中に掛けてやった。

「・・・ありがとう」

「風邪でも引かれちゃ、困るからな」

言い訳がましく呟くと、は小さく苦笑する。

の身体に掛けられた青いマントは、その小さな身体をすっぽりと覆い隠して。

ふと思う―――こいつはこんなにも小さかったか?

確かに小さい。

女子にしては高い方だが、やはり男に比べるとその差は歴然だ。

けれどフリックは、を小さいと思ったことはなかった。

いつも自分の前に立つ少女―――圧倒的な雰囲気を漂わせて、自らを率いる者。

それはまるで、強い輝きを放つ太陽のような・・・。

その時漸く思い出した。

がまだ、子供と呼べる歳であるという事。

口では子供だと散々言っていたのにも関わらず、そうと認識していなかった自分に驚く。

「・・・なぁ」

「なに?」

「いや・・・・・・なんでもない」

自分は今、なにを言おうとしたのだろうか?

無意識に声を掛けていた―――そうしなければ、不安だったのかもしれない。

目の前にいるが、消えてしまいそうで。

いつもとは違う憂いを帯びた目で月を見上げるが、無性に儚く見えて。

まるで月のようだと、フリックは思う。

少しづつ欠けていって・・・いつしか消えてしまうような、そんな気がした。

そんなを複雑な思いで見つめていたフリックは、不意にの手にある赤い薔薇が目に映った。

綺麗に咲き誇る赤い薔薇―――にとてもよく似合うようでいて、どこか違和感があるそれに視線が釘付けになる。

「・・・なぁ」

「だから、どうしたの?」

「その薔薇・・・どうしたんだ?」

フリックの問いに、は「・・・ああ」と薔薇を持ち上げて。

「ここに来る道すがら、貰ったの」

「・・・誰に?」

「ミルイヒ将軍に」

さらりとの口から出てきた名前に、フリックの方が度肝を抜かれた。

ミルイヒ?ミルイヒって、あのミルイヒ=オッペンハイマー?

信じられない出来事に、言葉を詰まらせるフリックに気付かず。

「綺麗だよね」

は言葉に違わない綺麗な笑みで、薔薇を見つめている。

それが無性に腹立たしくて、フリックはの手にある薔薇を奪い取ると、屋上の床に乱暴に投げつけた。

「フリック!?」

「お前・・・なに考えてんだよ!?」

「なにって・・・」

「悔しくないのか!?憎くないのかよ!!」

一方的に降りかかる怒鳴り声に、は一瞬目を見開いて―――けれどそれは本当に一瞬のことで、すぐにやんわりとした笑みを浮かべる。

「フリック、落ち着いて」

「なに言ってんだよ!?何でお前はそんなに落ち着いてられんだ!?」

「何でって言われても・・・」

「何でそんな平気そうなんだよ!何で・・・っ!!」

フリックは悔しそうに唇をかんで、歪んだ顔をに見られないようにと俯く。

そんなフリックを困ったように見つめていたは、先ほどフリックの手で捨てられた薔薇を拾うと、散ってしまった何枚かの花びらを摘んでそれを手の平に乗せた。

やんわりと吹く風に、花びらがフワリと舞い上がる。

それを見送ったは、未だ俯いたままのフリックに視線を戻して、柔らかい口調で青年の名前を呼んだ。

「フリック・・・」

「何で・・・」

「・・・うん」

「何でお前は・・・赦せるんだ?」

搾り出すように告げられた言葉に、はただ無言で目を細める。

漸く顔を上げたフリックは、寂しそうに微笑むを見て、少女が口を開くのをただ待った。

重い沈黙がその場を支配した。

聞こえてくるのは風の音と、微かな水音だけ。

永遠に続くかと思われたその沈黙を破ったのは、穏やかなの声だった。

「でも・・・フリックも赦してくれたでしょ?」

「・・・は?」

「フリックも・・・私を赦してくれたでしょう?」

の言葉に、自分が愛した女性の顔が脳裏に浮かんだ。

あれは違う。

赦したのではなくて、理解しただけだ。

フリックがそう言う前に、再びが口を開いた。

「夢ばっかり・・・見てるの」

「・・・・・・?」

「理想ばかり、追ってる」

ポツリと落ちたその言葉に、意味が分からずフリックは首を傾げる。

そんなフリック見て小さく笑みを浮かべたは、再び月に視線を戻して。

「正直言えば・・・グレミオが死んだ時、ミルイヒの事殺してやりたいと思った。凄く彼が憎かった」

それは当然の感情だろうと、フリックは思う。

けれどはそれをしなかった―――赦して、あまつ仲間にまで加えて。

どうしてだろう?

どうしてそんな事ができるのか。

それがリーダーたる資質なのだろうか?

「でも、人を憎みたくなかった。今まで知らなかった自分を目の当たりにして、こんな醜い自分がいるのかと思うと凄く怖くて・・・凄く、嫌だった」

「・・・

「だから・・・彼を赦せば、そんな自分から救われると思ったのかもしれない。これ以上傷つかずに済むと、思ったのかもしれない」

自分の気持ちを語るは、とても弱々しく見えて。

ただ月を見上げるその目が、不安に揺れている気がした。

だからフリックは、無意識に手を伸ばしていた―――そう、それは無意識だった。

伸ばした手をの頭に置いて、いつも彼の相棒がしているのと同じように、その小さな頭をゆっくりと撫でる。

驚きに目を見開き、フリックに視線を向けたの頭を押さえ込んで無理やり俯かせると、そのまま頭を撫で続けた。

慣れない仕草にぎこちなく動くフリックの手は、それでもとても優しくて。

「・・・お前は汚くなんてねぇよ」

「・・・・・・」

「お前は、醜くなんてない」

キッパリと告げられた言葉に、は顔を上げると困ったように笑った。

いつも笑顔を浮かべているな・・・とフリックは思う。

思えばフリックは、の笑顔以外の表情をほとんど見たことがない。

それに思い当たって、少しばかり苦く思う。

その数々の笑顔の内、心からの笑顔はどれくらいあるのだろう?

「ありがとう、フリック」

今日何度目かの礼を、フリックは受け取った。

いつもいつも・・・はすべてを受け入れる。

もしかしたらお節介なのかもしれない―――余計なお世話なのかもしれないと思っても、はいつでも嬉しそうに笑った。

だから解らない。

それが本当ににとって良いのか、それとも悪いのか。

「礼なんて、言われる程のことじゃない。大したことじゃないんだから・・・たまには1人で抱え込まないで、俺たちを頼れ」

解らないから、手を伸ばす。

こんな事を言っても、きっとは弱音を見せたりはしないだろうから。

だから・・・自分が積極的に手を伸ばさなきゃ、きっと解ってやれない。

そう思ったフリックの耳に、の小さな笑い声が聞こえて。

「・・・どうした?」

不審に思って声を掛けると、再びフリックの手で押さえつけられ俯いたは呆れたような口調で言った。

「フリックは、私に甘いんだから・・・」

「・・・・・・は?」

「まるで、グレミオみたい」

の口から出た名前に、フリックは目を丸くした。

その名前を持つ頬に傷のある青年は、フリックが知る中で一番に甘い人物だったからだ。

「俺がか!?」

「自覚ないの?」

「・・・・・・」

「フリックも、グレミオと同じで心配性だからかなぁ?」

しみじみと呟かれた言葉に、フリックは苦笑する。

先ほど自分が言ったセリフを、今更ながらに実感する。

「本当に・・・自覚がないのは始末が悪い」

「・・・・・・は?」

「何でもないさ」

きっとビクトールには解っていたんだろう―――彼が浮かべていた呆れた表情の意味が、漸く理解できた。

「ほら、もう良いだろう?さっさと部屋に戻れ。風邪を引かれちゃ困る」

「・・・はぁい」

訝しげな表情でフリックを見上げていたは、しかし告げられた言葉に仕方がないとばかりに肩を竦めて。

そんなを促しながら、フリックは屋上を後にした。

空に輝く月は、眩しいばかりの光を称えて。

けれど、やはりには太陽の方が似合うと・・・そんな事を思った。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

無理やり最後を題名に合わせてみた(苦笑)

ただ弱った主人公を甘やかす、過保護なフリックさんを書きたかっただけなのですが。

あんなに酔っ払ってた筈のフリックはどこへ?(←自分で自分の首を締める)

作成日 2004.6.11

更新日 2007.9.13

 

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