人に愛でられ、護られて。

運命に翻弄される様は、まるで人形のよう・・・。

閉鎖された鉄格子の中で、それでもそれは青空に焦がれる。

いつか・・・大空を飛び立つ時は来るのだろうか?

 

の中の小鳥

 

クレオとフリック、それに見知らぬ少年に連れられて本拠地に帰還した殿は、私の目から見てもただ事ではないと思った。

まるで魂が抜け落ちてしまったかのようなその雰囲気。

とりあえずリュウカン先生に見てもらおうと医務室に運ばれる殿は、かつて見た操り人形のようにさえ見えてしまい、思わず首を激しく振った。

しばらくの後、診察を終えたリュウカン先生は殿を自室へと戻し、我々を自分の部屋へと集めると、神妙な顔でため息を1つ。

その様子で、やはり殿の様子がただ事ではないのだと確信する。

「とりあえず・・・どうにか殿は落ち着いてくれた」

その言葉にホッとする―――が、やはりリュウカン先生の顔色が晴れないことに、不安が完全になくなることはなかった。

「それで・・・」

「ああ。解放軍のリーダーだという認識が殿の精神を繋ぎとめているのか・・・ともかくも、表立って日常生活には支障はないじゃろう」

告げられた言葉に、必要以上に強張っていた体の力が抜けたのが分かる。

安心した・・・それが一番、適切な言葉だ。

それが、殿のことを思ってなのか・・・それとも解放軍の事を思ってなのかは、私自身もわからなかったけれど。

ホッとした表情を浮かべる一同の中に、しかしクレオとフリック・・・それにクインシーと名乗った少年は表情を強張らせたまま。

「あの・・・」

しばらくリュウカン先生の顔を見つめていたクレオが、意を決したように口を開いた。

「なんじゃ・・・?」

「・・・あの・・・、クインシーが言ってたんですが・・・」

クレオの言葉に、全員がクインシーの方へと視線を向ける。

当の本人は何食わぬ顔で、しかし不機嫌そうな様子を隠そうともせずに私たちを睨み返していた。

「・・・うむ、言うてみい」

リュウカン先生に促されて、言いづらそうに口ごもっていたクレオがフリックの顔をチラリと見て、お互いが1つ頷くと口を開いた。

「彼が言うには・・・様は『精神崩壊』状態にある・・・と・・・」

その重い言葉に、全員が押し黙った。

心配そうにリュウカン先生の顔を見返すクレオとフリック―――そしてやはり睨みつけるように私たちを見るクインシー。

戸惑ったようなリュウカン先生の様子に、先ほど消えたと思っていた嫌な予感が再び私たちを襲った。

「・・・ふむ。おぬし・・・クインシーと言ったか?おぬしはずいぶんとそちらの方に詳しいようじゃな?誰か知り合いにでも・・・?」

「・・・・・・俺の母親だ」

あっさりと告げられた言葉に、驚きを隠せず目を見開いた。

母親という身近な存在に、そんな状態になってしまった人がいたのだという事。

だからこそ、彼の見る目は確かなのではないかと思わされる。

静まり返った室内に、再びリュウカン先生の重いため息が響いた。

「正確にいうならば・・・、殿の精神は崩壊してはおらん」

「本当ですか!?」

「ああ、じゃが・・・その一歩手前までは行っていると思ってくれて構わない」

一瞬期待した自分が、再び闇に飲まれていくのがわかる。

なんともないと思いたかった。

未だ戦争は終わっていない―――寧ろこれからが重要な局面に入るというのに。

そんな今、リーダーである殿に何かあれば・・・この国を変えるどころの話ではない。

戦争に負ける―――負ければ、たくさんの命が失われるだろう。

それは解放軍だけではなく、未だに帝国に虐げられている人々の命までも。

「たとえば・・・じゃ。ここに1つのコップがある」

絶望感に打ちひしがれている私の耳に、リュウカン先生のそんな声が届いた。

伏せていた目を向ければ、テーブルの上に置いてあった古びたコップを手に持ち、それを私たちに見えるようにかざしている。

「これが人の心だとする・・・」

「これが・・・このコップがか?」

フリックの唖然とした問いに、リュウカン先生は1つ頷いた。

「人は生きていく上で、大なり小なり心に傷を負う。このコップにもたくさんの傷がついておる」

言葉に引かれるようにしてコップを見れば、そこには確かに細かな傷がいくつもある。

そして・・・。

「このコップには、一際大きな傷がある。ひび割れて・・・少し力を加えただけで壊れてしまいそうなほど大きな傷。これと同じモノが・・・殿の心にもあるのじゃ」

つまり、このコップは・・・目の前にあるこのコップこそが、殿の心を目に見えるものに現したものだというのか?

「一度付けられた傷は、決して消えることはない。ただそれを癒す事は出来る。修復できるかどうかは、本人次第じゃ」

「じゃあ・・・もし・・・、もし修復できなかったら?」

恐る恐るパーンが口を開いた―――その先を聞きたいと思う気持ちと、聞きたくないという気持ちが心の中でせめぎ合う。

「どうもしない。ただ今の状態が続くだけじゃ」

「どうにか・・・ならないんですか?」

自分の発した声に、自分で驚いた―――なんて弱々しい声だと、こんな時にも関わらず笑いたくなる。

そんな私に、しかしリュウカン先生の答えは無情なもので。

「わしにはどうすることも出来ん。身体の傷は治せても、心の傷までは治すことは出来んからな・・・」

その言葉に、彼が何故人の来ない場所に引きこもったのかを思い出した。

どんな名医も、人の心の傷だけは治すことは出来ない。

分かっていたはずなのに、それでもそれを期待していた自分。

思わずため息を吐いて、いまだに混乱する頭を整理しようと踵を返した。

これからのことを考えなくてはならない。

殿の心を治すことが出来ないのならば、これから解放軍をどう動かしていくのかを慎重に考えなければ・・・。

部屋を出て行く私に、リュウカン先生が静かに声をかけた。

振り返った私の目に、リュウカン先生の強い眼差しが突き刺さる。

「1つ言っておこう。今の殿は極めて不安定な状態にある。そんな時に下手な刺激を与えれば・・・」

与えたら?

その次の言葉を待つ私に、リュウカン先生は持っていたコップから手を離した。

支えを失ったコップは、重力に従い落下して。

パァンと派手な音を立てて、こなごなに砕け散った。

全員の視線が、割れたコップに集まる―――殿の心と見立てられた、そのコップに。

「・・・くれぐれも、暴走はしないように・・・」

「・・・・・・肝に銘じておきます」

鈍く光を反射する、綺麗とも思えるそのコップの欠片たちから視線を外し、私は逃げるように部屋を後にした。

 

 

それから数日、特に何の案も浮かばないまま、私はただ雑務をこなす毎日を送っていた。

それはそうだ―――今の解放軍は殿がいなければ壊れてしまうほど、脆い存在なのだと・・・そうみんなに告げたのは、他でもない私自身なのだから。

そんなことを口走ってしまった自分自身を恨めしく思いながら・・・けれどそれが間違いではない事に、さらに苛立ちは募り・・・。

何故こんな事になる前に、私は殿の変化に気付けなかったのか?

主である殿のすぐ近くに、いつもいたというのに・・・。

その殿はというと、少しばかり体調が悪いと何も知らない人々にそう理由付けて、部屋でゆっくりと静養してもらっている。

静養といえば聞こえはいいが、実際は軟禁と言っても差し支えないかもしれない。

こんな状態の殿を、みんなの目に晒す訳にはいかない―――こんな時ですら、そんなことしか考えられない自分に、嫌気が差す。

殿の容態は、一向に変化なしだった。

精神をぎりぎりのところで保つのに疲れるからなのか、殿はよく眠った。

けれどクレオが様子を見に部屋へ行くと、必ずと言っていいほど窓辺に座ってトラン湖をぼんやりと眺めているそうだ。

食事もほとんど取らない。

華奢だった身体がさらに細くなり、それと同時に殿の目に宿っていた強い光が姿を消した。

そして誰かが姿を見せると、弱々しい笑顔をみせる。

心配をかけないようにと、私は大丈夫だと言わんばかりに。

それがさらに私を居たたまれなくさせて、ほとんど殿の部屋に出向く事はなかった。

思えば殿はどんな時にでも笑顔を見せていた事を思い出す。

それが強がりなのだという事が今ではよく解るが、その頃は『心の強い人だ』としか思っていなかった。

私たちに不安を抱かせないように・・・日々自分の感情を押し殺してきた結果がこれなのだとすれば・・・なんと皮肉な話だろう。

ふと手元の書類に目をやる。

今後の解放軍にとっては、決して見過ごすことなど出来ない問題。

これを知ったら、殿はどうなるだろう?

さらに彼女の心の傷を広げる結果に、なりはしないだろうか?

そんなことを考えていた私の耳に、お世辞にも静かとは言えない足音が届いた。

一拍置いて開け放たれるドア―――ノックなんて、あったもんじゃない。

「・・・どうかしましたか?」

部屋に飛び込んできた人物を確認して、私は小言を言うのを諦めていた。

どうせ言っても、この人物には通用しないのだとわかっているから。

「実は・・・怪しい男がいたそうで・・・!!」

パーンは肩で息をしながら、それだけを告げる。

その『怪しい男』という言葉に、反射的に手元の書類に目を落として。

しかしそれとは関係ないだろうとすぐに思い直して、立ち上がった。

「・・・どこです?」

「広間の方に。カスミが捕らえてきて・・・」

パーンの言葉を最後まで聞かず、私は広間に向かい早足で歩き出した。

この状態で、余計な騒動を起こさせるわけにはいかなかった。

 

 

広間にはカスミとフリック・クレオなど、解放軍の幹部たちが顔を揃えていた。

その中心で、おどおどした様子でこちらを見る一人の男―――痩せた風貌の弱々しそうな雰囲気を持つその男は、私と目が会うとすぐに視線を逸らす。

「ああ、マッシュ。こいつなんだけど・・・」

言って視線を男に向ける。

「この人は・・・?」

「分かんねぇんだよ・・・。ただ『に会わせろ』って・・・」

その言葉に、思わず男を睨みつけた。

理由はともかく、今の殿に会わせる訳にはいかない。

「・・・・・・殿はとても忙しい身の上にあります。ご用件なら私が直接お聞きしますが?」

「・・・・・・」

出来るだけ丁寧に尋ねても、男は無言のまま自分の足元に目をやるだけ。

「どうも・・・様じゃなきゃ話さないみたいで・・・」

困ったように呟くカスミの言葉に、私は小さく息を吐いた。

「それならば、残念ですがしばらくの間牢に入っていてもらいましょう」

「・・・マッシュ様」

「得体の知れない人物を、殿に会わせる訳にはいきません」

戸惑ったような表情を浮かべるカスミを一瞥して、キッパリとそう言い切る。

それでも何事かを反論しようとするカスミの声を遮って、思わぬ人物が声を発した。

「私に・・・何の御用ですか?」

反射的に振り返ると、そこにはしっかりとした面持ちで佇む殿の姿。

「・・・殿・・・」

「私に何か用があるんでしょう?話してください・・・」

こちらの心境など構わず、一歩一歩足を進めながら男に近づく。

すると男は先ほどとは打って変わって、まるで救いの神を見るかのような眼差しで殿に顔を向けた。

「あなたが・・・様ですか!?」

「・・・そうです。私に何の御用ですか?」

薄く笑みさえも浮かべる殿は、以前の姿と変わりなく。

けれどやはりその目に宿る光が、とても弱々しいものに感じてしまう。

男は北の大富豪・ウォーレンの使いだと名乗った。

確かウォーレンは人情に厚い性格の男で、帝国に追われている人々を匿っているらしいという噂もある。

義理堅い事でも知られており、彼を慕うものも多いと聞く。

使いの者がいうには、少し前にカシム・バジル率いる軍勢がウォーレン宅に押し入り、彼を捕らえてしまったという。

最近は大人しくなっていた帝国の反乱分子狩りが、今になって再び活動を再開したのだろう―――どうやら彼は、主を助けて欲しいという思いを抱き、ここに来たらしい。

その話が本当ならば、見過ごすわけにはいかない。

けれど問題は、山ほどあった。

殿の容態もそうだったし、それともう1つ・・・。

「・・・どうしますか?」

窺うように殿の顔を窺うと、殿は真剣な面持ちでしっかりと頷き。

「もちろん、助けに行くに決まってるよ」

予想済みといえば予想済みのその答えに、喜べばいいのか戸惑えばいいのか私にはわからなかった。

けれどウォーレンを見捨てる事が出来ない以上、喜ぶほかないと思い直して、すぐに出陣の準備をするようにと指示を出す。

「チッ、ビクトールのやつ・・・こんな時にいねぇんだから・・・」

ボソリと呟いたフリックの言葉が、やけに耳に残った。

 

 

出陣の準備は、それほど手間取る事無く完了した。

もとより、いつでも軍を動かせる状態にしてあったのだから、当然といえば当然だ。

出陣の準備が整っていく過程で、私は攻め込む前に一度軍全体で訓練をしておいた方が良いと提案した―――軍を率いて戦ったテオ=マクドールとの戦いからかなりの時が経っており、バラバラになった軍容を今一度整えておきたいという理由を告げると、殿は微かに笑みを浮かべてそれを承諾してくれた。

その姿を見ていると、殿は本当に精神を病んでいるのかと疑いたくなる。

それは以前と変わらない姿のように見えた。

じっくりと観察すれば、その笑顔がどこかぎこちないように見えたり、あまり私の話が頭の中に入っていないような素振りではあったけれど、それでもリュウカン先生が言うように危険な状態には見えなかった。

見えないからこそ、危険なのかもしれないと微かにそう思う。

「では、これで失礼します。殿も早くお休みください」

「うん、分かった。ありがとう、マッシュ」

踵を返して殿に背を向ける―――ドアノブに手をかけたところでゆっくりと振り返ると、殿は既に視線をトラン湖へと向けていた。

風に煽られて、殿の黒髪がさらりと流れる。

それをただ目に映して・・・私は喉に詰まっていた息をゆっくりと吐き出しながら、静かな口調で殿に声をかけた。

無言のままこちらを振り返る殿の姿に、やはりいつもとは違うという漠然とした思いが胸の中に広がった―――いつもならば不思議そうな表情で私の顔を見て、そして微笑みを浮かべるのだ。

向けられた無表情に近い顔。

まるで生気を感じない―――人形のような、その様。

殿・・・。私はこの戦争に勝利するためならば、どんな犠牲も惜しみません。例え誰を犠牲にしようとも・・・」

殿の表情が、微かに歪んだのを認めた。

この私の言葉は、おそらく殿を追い込むだけでしかないだろう。

それを解ってはいても・・・それでも言っておきたかった―――それは自分自身に揺るぎない決意を抱かせるためかもしれない。

「おやすみなさい、殿」

深く一礼して、返事を待たずに私は殿の部屋を後にした。

 

 

訓練と称して出陣した私たちは、目の前にそびえ立つ関所に向かい進軍した。

解放軍内にスパイがいる―――それに確信を持ったのは、ごく最近の事だ。

こちらの情報が漏れている。

しかも極秘扱いにされているようなものまで・・・。

おそらくスパイは幹部に近い・・・もしかすると幹部の中にいるのかもしれない。

だが現状でそのスパイが誰なのかを確認する術はない―――相手も警戒し、十分な予防線を張っているだろう。

だから今回はこのような策を取った。

スパイの存在を恐れているだけでは、前には進めない。

ただでさえ殿の不調というハンデがこちらにはあるのだ―――今回はスパイを利用して、こちらから攻めさせてもらう。

こちらの思惑通り、ただの訓練だと思い込んでいた関所の警備兵たちを出し抜き、あっけなく関所を解放した後、未だに体調の優れない殿には休息を取ってもらう事にした。

やはり精神が身体にも不調を来たしているのだろう―――体力も、かつての頃とは比べようもないほど落ちている。

そんな殿を見て、不安がないわけではなかった。

今から相手にしようとしているのは、帝国5将軍の1人・カシム=ハジルなのだ。

一筋縄で行く相手ではない―――私の策がどこまで通用するかも解らない。

殿・・・。私はこの戦争に勝利するためならば、どんな犠牲も惜しみません。例え誰を犠牲にしようとも・・・』

殿に伝えたこの言葉に偽りはなかった。

そう・・・勝つためならば、どんな犠牲も惜しまない。

それは、私自身も含めて。

白んできた朝靄の中、私は仲間に引き入れた帝国の将・グリフィスを引き連れて関所を出る。

ふと振り返り、今まだ静まり返った関所を目に映して彼の人を想う。

朝起きて、私がいないと貴女が知ったら・・・どう思うだろうか?

怒るだろうか・・・それとも、悲しむだろうか。

貴女の心に負担をかけるだろうと解っていて、それでもこんな策を取る私を、貴女はどう思うだろう?

「さっさと行きましょうぜ、軍師さん」

「・・・ええ」

急かすグリフィスに視線を戻して、私はモラビア城を目指して歩き出した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

最後の方で力尽きました(ダメダメ)

やっぱり幻水1は難しい・・・と今さらながらに思ったり。

更にマッシュさんは難しすぎる(汗)

そしてクインシーの過去、勝手にメチャクチャ捏造。

作成日 2004.5.30

更新日 2007.9.13

 

戻る