どれほど絶望を繰り返しても。

どれほど己の無力を感じようとも。

罪を背負い、心を見失ったとしても。

確かに存在する、心の在り処。

 

心の置き

 

「こりゃ、やべぇなぁ・・・」

息を切らして走り続ける馬の鬣をソッと撫でながら、俺は微かにため息を漏らす。

ずっと追いかけていた復讐の相手・ネクロードを倒し、それを今は無き故郷の村に報告する為解放軍を離れていた俺は、漸く赤月帝国へと戻ってきた。

当初の予定よりも少しばかり時間がかかっちまった―――本当ならば、もう少し早く戻ってこれると思ってたのに・・・。

俺が赤月帝国に戻ってくるのが遅れたのには理由がある。

最近は静まっていたと思われた反乱分子狩りが、再び開始されたのだ。

まぁ何とかそれに巻き込まれずに済んだのは幸いだったが、のらりくらりと帝国軍を避けてるうちに、思ったよりも時間が過ぎちまったみたいだ―――それにまだ危機は去っちゃいねぇ。

ちょっと前に解放軍が動き出したって噂を耳にした。

軍を動かすのは、ずいぶん久しぶりだとぼんやりと思う。

解放軍は未だ解放されていない北へと進軍し・・・それは俺にとって都合が良いのか悪いのか、今回の目的はカシム=ハジル治めるモラビア城が目的のようで。

俺は目の前に広がる、砂漠のような地を目に映した。

すぐそこに、カシム=ハジルのいるモラビア城がある。

そこから両サイドに・・・ここから少しばかり離れてはいるが、比較的大きな砦が2つ。

どんな策を立てたのかは俺には知りようも無いが、解放軍はそこに軍を派遣したようで、遠目からではあるがそれを自分の目で確認した。

そして・・・俺の遥か後方に、乾いた砂を巻き上げながらすごい勢いで進軍するもう1つの軍があった。

赤月帝国の北に位置する、昔から領土争いを繰り広げてきていたジョウストン都市同盟。

俺の生まれ故郷でもあるその国の軍が、今まさにこの地に勢力を広げようとしていた。

まぁ・・・そう仕向けたのは、俺自身なんだが。

俺が解放軍を離れる間際、マッシュに頼まれた1つの仕事。

何を考えているのかさっぱり解らなかったが、それでもそれを引き受けたのはマッシュを信頼しているからだ。

俺は故郷に復讐の終わりを報告に行ったその足で、都市同盟の首都であるミューズに向かい、そこの昔馴染みである市長・アナベルにマッシュから託された話を持ちかけた。

アナベルがどう動くかは解らなかったが、現状を見る限りはどうやら話に乗ったらしい。

マッシュが何を考えているのかは解らんが、けれどそれが解放軍の為だという事には違いないだろう―――都市同盟の幹部たちがマッシュの策に太刀打ちできるとは思えなかったから多少は複雑な心境だったが、それもアナベルが決断したなら俺に何かを言う権利は無い。

今の俺は解放軍のメンバーだ。

解放軍の勝利だけを考えるので精一杯だと、己に言い聞かせることにする。

それに今の俺には、そんな大きな流れを考えている暇はなかった。

ただ何とかこの場から無事に脱出する事と、この地にいるだろう解放軍を案じるので手一杯だ。

疲れの為か少しづつ走る速度を落としつつある馬を何とか叱咤して、背中に感じる嫌な気配を振り切るように走り続ける・・・と漸くモラビア城が目前に、そして城を包囲する解放軍が目に飛び込んできた。

「おーい!早く逃げろ!!」

必死に声を張り上げ叫ぶ―――都市同盟の軍は、すぐ間近まで迫っていた。

俺の声が聞こえたのか、その中にいた1人の少女がこちらへと顔を向ける。

解放軍のリーダーである、だ―――更に声を張り上げると、遠目にも驚いたように目を見開くが解る。

「おい!早く逃げろ!!」

こちらに気付いていながら逃げようともしないに、もう一度怒鳴る。

するとは、俺の言葉とは裏腹にこちらに向かって駆けて来た。

「・・・なっ!!」

思わず絶句して、砂に足を掬われながらもこちらに向かってくるを目に映した。

「何やってんだ!戻れ!!逃げろって!!」

いくらそう声を張り上げても、は一向に戻る気配は無い。

そんなに気付いたのか、一緒にいた将たちが漸く俺に気付いたようだ。

ぐずぐずしている暇はない。

俺は必死に馬を駆って、決して早いとはいえないスピードでこちらに向かってくるの元へ向かった。

「ビクトール!!」

後50メートルくらいの距離まで来ると、が俺の名前を叫んでいるのに気付いた。

少しばかりスピードを緩めると、走るままには俺に飛びついて来る。

!?」

予想外の出来事に動揺する心を抑えて、必死に俺にしがみつくに視線を向けた。

その顔に浮かぶ、泣き出しそうな表情。

のこんな顔を見たのは、ほとんど初めての事で。

俺は訳が解らず、ただ馬からずり落ちそうなの身体を抱えあげた。

「・・・ビクトール殿!?」

に追いついてきたアレンとグレンシールの姿を認め、俺は混乱する心中を押さえ込んで、言いたいことは山ほどあったが漸くそれだけを口にした。

「都市同盟軍が迫ってる!早く撤退しろ!!」

 

 

都市同盟軍と戦いになる前になんとかその場を撤退した俺たちは、軍を引き連れて本拠地へと戻ってきていた。

俺にとっては久しぶりの本拠地。

ここを離れていた間に起きた出来事をフリックに説明してもらい、全てを聞き終えた後漸く俺は先ほどから気になっていた話を切り出した。

それは・・・他ならぬについてのことだった。

モラビア城で再会したの様子は、今までから見て明らかにおかしかった。

普段のは、あんな風に取り乱したりはしない。

あんな風に・・・助けを求めるような素振りは、一切見せないというのに。

俺のそんな質問に、フリックは目に見えて動揺していた。

相変わらず嘘のつけない・・・よく言えば正直者のフリックは、俺の目から見ても可哀想なくらい取り乱している―――だが、そんなフリックの態度が、に尋常じゃない出来事があったと物語っていた。

すぐにマッシュの部屋に連行されて・・・マッシュの部屋の中には、クレオやパーン・レパントにハンフリーといった解放軍主要メンバーが顔を揃えている。

そこで俺は、信じられない出来事を聞かされた。

が解放軍を逃げ出した事。

それが『精神崩壊』という心の状態によって引き起こされたのだという事。

そしてそれは今もまだ・・・続いているという事。

「それは・・・あいつは元には戻らないのか?」

愕然とした思いでそう尋ねると、マッシュは返事の代わりに暗い表情を浮かべる。

「私たちにはどうする事も出来ません。全ては・・・殿の心次第なのです」

告げられた言葉に、急激に心が冷えていくのを感じた。

それはマッシュの言葉に対してだったのか、それともそんな状態になるまで気付いてやれなかった自分自身に対してなのか。

けれどいてもたってもいられなくて、俺は勢い良く立ち上がりドアへと向かった。

「どこへ行くのですか!?」

「決まってるじゃねぇか!あいつのところにだよ!」

「・・・行ってどうするというのです?」

「んなの、行ってから考えるよ!」

背後からかけられる声に言い捨てるように言葉を吐いて、俺はドアノブに手を伸ばした。

しかしその手は、俺とは比べ物にならないほど細い手によって遮られる。

思わず顔を上げると、そこには硬い表情を浮かべたクレオの姿があった。

「止めろ、ビクトール」

静かな・・・怒りさえも湛えた声色で呟くクレオに、俺は鋭い視線を返す。

「・・・離せ」

「離さないね。様に下手な刺激を加えられたら困る。これ以上あの方の心に負担がかかれば、今度こそ・・・」

「だが、いつまでもこのままって訳にもいかねぇだろうが!」

「簡単に言うな!!」

降りかかる言葉を振り切るように大声を上げると、それを上回るほどの力のある声が返ってきて、俺は一瞬口を噤んだ。

クレオがこんな風に感情を露わにするのは珍しい事だった―――いつも落ち着いた雰囲気が、今は微塵も感じられない。

「簡単に言うな・・・」

先ほどと同じセリフを、クレオは再び呟いた。

さっきとは打って変わって覇気が感じられない―――けれど先ほどよりも、俺の身体を拘束するには十分な力を持っている。

「そんな・・・簡単な問題じゃないだろう?壊れれば直せば良いなんて簡単な問題じゃないんだ。壊れれば・・・もう元には戻らないんだよ」

震える声を必死に押し込めて、クレオは絞り出すように呟いた。

熱くなっていた頭が、少しづつ冷静になっていくのを自覚する。

らしくもなく焦っていたのだと、今さらながらに気付いた。

今まで見たことのなかったの姿を見て、少なからず動揺していたのだと。

だがそれと同時に、クレオたちを見て思う。

そんな風に壊れ物を扱うような態度でに接して・・・それでの心は本当に救われるってのか?

それで・・・あいつは本当に、元の=マクドールに戻るのか?

不意にこの間抱き上げたの体の感触を思い出す。

少し力を加えるだけで壊れてしまいそうな、華奢な身体。

まだまだ成長しきっていない、その小さな背中で―――けれどあいつは、それを感じさせないほどの強さを以って、俺たちを引っ張ってきた。

どれほどの悲劇が起ころうとも、涙1つ見せずに。

心配する俺たちの前に、翌日には必ず笑顔をその顔に浮かべて。

よく考えれば、俺たちはあいつの泣き顔なんて覚えがなかった。

文句のつけようがない、理想的なリーダーだった。

いつも凛とした立ち居振舞いをしていて、俺たちの不安を消し去ってくれるような微笑みをいつも浮かべている。

決して立ち止まる事無く、弱音を吐く事無く、しっかりと前を見据えていて。

こいつなら大丈夫だと思った―――に付いていけば、必ず勝利が得られると。

時折浮かべる寂しげな表情に、胸が締め付けられるような思いを抱きつつも。

儚さを思わせるその佇まいも、憂いを帯びた表情も、それらとは裏腹に強い光の宿った目も、全てがどうしようもなく人を惹きつけていて。

だから俺たちは忘れてたんだ―――いや、それに気付かないフリをしていたのかもしれない。

あいつがまだ、16歳の子供だってことを。

これほどの悲劇を絶え間なく経験して・・・まだたった16年しか生きていないあいつが、平気でいられるわけがなかったのに。

ただ必死に我慢していただけなのだと、今なら痛いほど解るってのに。

今さらそれを理解したところで、もう遅いのかもしれねぇが・・・。

腕に食い込むほどの力を込められたクレオの手をボンヤリと眺めながら、俺はただ瞼の裏に焼きついたの泣き出しそうな表情を思い返していた。

 

 

夜中を過ぎた頃―――俺は寝転がっていたベットから身を起こして、何をするでもなく窓の外へと視線を向けた。

消化しきれないもやもやとした気持ちが胸の中に重く沈んでいて、どうしても眠る事が出来なかった。

こんな日は酒でも呑んでしまいたいところだが、生憎とそんな気分にはなれない。

も今ごろはトラン湖を眺めているんだろうか?

クレオから聞いた話では、最近のは眠る事無くただぼんやりとトラン湖を眺めているのだという―――そういえば屋上で酒を呑んでいると、時々がその側に来てトラン湖を眺めていたなと過去を思い出す。

フッと口から自嘲の笑みが漏れた。

いつしか屋上でのそれが習慣となって、が来ないかと心待ちにしていたのを思い出したからだ。

静まり返った室内。

風の音さえもない・・・本当に静かな夜。

俺はいてもたってもいられずに、音を立てないように部屋を出た。

何をどうするというしっかりとした考えがあったわけじゃない―――ただモラビア城以来見ていないの姿を見たいと、そう思っただけだ。

静かな階段を足音を立てないよう慎重に上って、幹部たちの部屋が並ぶフロアを横切り、別のフロアにあるの部屋へと向かう。

見慣れたの部屋のドアに手を伸ばして、軽くノックをしてみる。

普通ならばもう眠っている時間だ―――だがは眠ってはいないんじゃないかと、妙な確信が俺の中にはあった。

何の返事も返ってこなくて・・・俺は少しばかり躊躇ったが、その閉ざされたドアをゆっくりと押し開ける。

目の前には見慣れた部屋。

いつもここに入り浸っては、呆れたような表情を向けられていたのを思い出す。

グルリと部屋の中を見回して・・・俺は部屋の中に幾つもある大きな窓の1つから、トラン湖を眺めるの姿を見つけた。

窓枠の上に腰を下ろして、寄りかかるように身を預けながらただそこからの景色を眺めている―――やっぱり眠ってなかったかと、苦い思いが胸の中に湧き出てきた。

「・・・

そう小声で呼びかけると、がゆっくりとした動作で俺の方へ顔を向けた。

そして微かな笑みをその顔に浮かべる―――もう条件反射にさえなっているのかもしれないその行動を目に映して、苦笑いが漏れる。

「何やってんだ?」

微かな笑みを浮かべつつ、の側までゆっくりと歩いていく。

するとは再びトラン湖に視線を向けて、想像していたよりもしっかりとした口調でポツリと呟いた。

「外を・・・見てたの」

「外って・・・トラン湖か?」

「・・・・・・うん」

小さく頷くの頭の上から、が見ていただろう景色を眺める。

細く欠けた月が放つ光は微かなもので、そこにある湖は底の見えない黒い色をしている。

「何も見えねぇぞ?」

訝しげに問えば、は困ったように笑う。

「うん。だから・・・」

・・・だから?

だから見てたってのか?―――何も見えないから、見てたのか?

無言のまま何かに取り付かれたかのようにトラン湖を眺めるの頭を、軽くかき混ぜる。

どうすればこの少女は元に戻ってくれるのだろう?

どうすればこの少女は・・・かつて見たあの笑顔を再び見せてくれるのか。

・・・」

名前を呼んで、不思議そうに顔を上げたの頭を軽く叩く。

「お前・・・そんなに我慢しなくたっていいんだぞ?」

諭すように言うと、の顔に浮かんでいた微かな笑みさえ姿を消した。

ただ身体を堅くさせて、無表情で俺を見上げている。

「我慢しなくたっていいんだ」

はっきりとした口調でもう一度呟くと、はサッと俺から視線を逸らした。

「泣きたければ泣けば良い。ここには俺しかいない。俺の前では、解放軍のリーダーの仮面を被らなくても構わねぇから・・・」

「ダメ!」

ゆっくりと頭を撫でていた俺の手を振り払って、は鋭い声でそう叫んだ。

「・・・何がダメなんだ?」

「ダメ・・・ダメなの。私が悪いから・・・私が無力だから・・・!」

「・・・?」

「私にもっと力があれば・・・私さえいなければ、誰もっ!!」

ただそれだけを呟き、身を縮こませる

震えるほど力を入れて耳を塞ぎ、小さく首を振り続けている。

「・・・!?」

「・・・・・・っ!!」

!!」

その姿が、何かに耐えているように見えた―――聞きなくない声から耳を塞いで、ただ自分の殻に閉じこもって己を責め続ける。

、聞け!」

「ごめんなさい・・・ごめん・・・ごめ・・なさい」

ただ謝罪の言葉だけをうわ言のように繰り返しながら、頑なに聞こえる声を阻んでいるの腕を強く掴んで。

強引に自分の胸の中に抱き寄せた―――俺の腕の中で小さく震える華奢な身体を力一杯抱きしめて、が抱く苦しみを少しでも取り除いてやりたいと思う。

・・・聞け」

嫌がる身体を無理やり押さえ込んで諭すように声を掛けるが、俺の言葉は取り乱したには届いていないようで。

壊れてしまいそうな脆さを目の当たりにして―――俺は無意識にへ自分の顔を近づけていた。

「ごめ・・・」

の口から漏れる謝罪の言葉を封じるように、ただその唇に自分の唇を押し付ける。

「・・・ん・・・・・・」

小さく喉の奥で声を上げるの吐息すら奪うように、深く深く口付けた。

口付けという行為が初めてではないというのに・・・なのにの柔らかな唇に無我夢中になった。

甘ささえ感じさせるその感触に、ただ貪るようにの唇を求める。

しばらく経った頃、漸くの抵抗がなくなり―――そこでハッと我に返って、慌ててから唇を離した。

呆然と俺を見上げてくるをただ抱き寄せて、強張った背中をゆっくりと撫でてやる。

「我慢しなくたっていい」

俺はもう一度、先ほどのセリフを繰り返した。

「我慢しなくたっていいんだ。大切な奴を失って・・・辛くない人間なんていやしねぇんだから・・・」

「・・・ビクトール」

「ここには俺しかいねぇ。黙っててやるから・・・だから、泣きたきゃ泣けば良い」

そう言いながらも、心の底では泣いて欲しいと思っていた。

誰に見せなくても、俺にだけは見せて欲しいとそう思った。

その時になって漸く、俺は自分の心の中に存在するあやふやだった気持ちに気付いた。

必死に泣くのを我慢するの背中を見て、儚げな表情で佇むを見て、抱いていた言葉にするには難しい感情。

ただ気付かないフリをしてただけなのかもしれない。

気付けば・・・襲われる切ない思いを無意識に避けていたのかもしれない。

「・・・・・・ふ・・・」

腕の中で、が小さく息を吐き出したのが聞こえた。

それに反応して、次々と口から零れてくる嗚咽。

胸を濡らす、温かな涙。

「よく、頑張ったな」

もう一度頭を撫でてやると、堪えきれなくなった涙がとめどなく溢れてきて。

俺と出会って初めて・・・は大声を上げて泣いた。

 

 

腕にしっかりと感じる事のできる重みに、俺は微かに口角を上げた。

夜通し泣き続け、明け方近くになって漸く眠りについたの顔をぼんやりと眺める。

窓枠を背にもたれかかり、俺の足の間に挟みこむようにして身体を横たえ、ただ穏やかな寝息を繰り返す

少し腫れた瞼と、頬に残る涙の跡を指でなぞると、くすぐったいとばかりに小さく身じろぎをする。

それにはっきりと笑みを零して、の軽い身体を抱き上げて整えられたベットに静かに横たえた。

これで大丈夫だなんて保証はどこにもない。

起きた時・・・の心の不調が消えているなんて、俺には言えない。

だが・・・もう大丈夫なんじゃないかと、漠然とそう思う。

抱え込んでいた、溜め込んでいたものを全て吐き出して。

失った事実が消えたわけじゃない―――辛い思いが消えたわけじゃもちろんないが、それでもそれを簡単に吐き出せなかったを思えば、それだけで十分なんじゃないかと思う。

いくら弱そうに見えても・・・脆そうに見えたとしても、芯はしっかりとしているという事を俺はよく知っていた。

「ゆっくり休めよ、

眠っているに声を掛けて、俺は部屋を後にした。

廊下は俺がこの部屋に来た時と同じように静まり返っている―――違うのは窓から降り注ぐ明るい太陽の光と、そして・・・。

「・・・・・・よぉ」

不機嫌そうな表情で、フリックが俺を待ち構えるようにいた。

廊下の壁に背中を預けて、腕を組んだ状態で俺を睨んでいる。

「・・・こんな朝っぱらからどうした?」

「お前が部屋にいないことに気付いて・・・ここじゃないかと思ってな」

「朝っぱらから俺に用事か?」

「いや・・・まぁ・・・・・・」

明らかに口を濁すフリックに、おそらくの事が心配だったのだろうと想像がついた。

いろいろ口では言っているが、この男は誰よりもを心配している。

「あいつなら大丈夫だよ」

安心させるように告げれば、フリックが訝しげに眉を寄せる。

「・・・何かあったのか?」

「いや?」

さらりとフリックの質問を交わして、不敵な笑みを浮かべてみせる―――するとフリックは呆れたように肩を竦めただけで何も言わなかった。

無言で・・・けれどその場から動く気配のないフリックの隣に立って、窓から身を乗り出すようにして広がるトラン湖を眺める。

「俺・・・今回のことで、気付いた事があるんだよ」

誰に言うともなしに呟く―――フリックの返事は返って来なかったが、元から期待してないのでそのまま言葉を続ける。

「俺、あいつのことが・・・・・・の事が好きみてぇだ」

言うつもりはなかった。

誰にも言うつもりはなかったのに・・・。

ただ今の少し軽くなった気持ちと、朝の爽やかさと、タイミングよく現れた男に口が軽くなったのかもしれない。

心の中で思っていた事を改めて口に出すと妙に照れくさい―――が、はっきりと口にする事で、その想いがしっかりと形になった気がした。

フリックはどう反応するだろうと、少しばかりの悪戯心のままに視線を移す。

一回り近く年下の少女を好きだと言った俺に、フリックはどんな反応を示すだろうか?

きっと良い顔はされないだろうと想像しながら見たフリックの表情は、想像通り呆れた色を浮かべている。

それに内心含み笑いを漏らしながらも、再び窓の外に視線を向けた。

そんな俺に、フリックは俺が予想だにしない言葉を投げかける。

「お前・・・まさか気付いてなかったのか?」

「・・・は!?」

言われた言葉の意味が分からず声を上げれば、フリックは先ほどの呆れた顔とは違うからかうような笑みを浮かべていて。

「そうか・・・お前自分で気付いてなかったのか」

「・・・な、何がだよ!?」

「お前がに恋心を抱いてるなんて事、お前の近くにいる奴なら大抵は知ってるぞ」

「はぁ!?」

クレオにパーンにマッシュに・・・と指を折りながら名前を挙げていくフリックを目に映して、俺は本当にただ気付かないフリをしていただけなんだと改めて思う。

俺自身が自覚する前に、すでに回りの奴らがそれを察しているとは・・・。

勘が鋭いと自負する俺にしては、鈍すぎると自嘲する。

は気付いただろうか?―――俺のこの想いに。

きっと気付いてはいないだろうと思う。

戦いや人の心の機敏には鋭いくせに、事恋愛になると途端に鈍くなるのことだから、きっと俺がしたキスのことも大して気にはしてないんだろう―――もしかすると覚えてないという可能性もある。

でもそれで良い気がした。

ただもう一度、あの無性に俺を惹きつける笑顔を見せてくれればそれで。

「さぁってと。が起き出して来る前に、俺も一寝入りするか」

起きた時には、作り物ではない笑顔を見せてくれるだろう。

そんな期待を抱きながら、苦笑するフリックと共に廊下を歩き出した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

私が書いた話の中では、一番恋愛色が強いかと・・・(これで!?)

主人公とビクトールの恋は、ここから始まっていきます―――といっても進展は亀並みでしょうが・・・(笑) 

作成日 2004.5.30

更新日 2007.9.13

 

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