いつだって、希望の光はすぐ側にある。

どんな暗闇にも負けず、確かにそこにあるモノ。

それに気付いた時、人は前に進む事ができるんだ。

 

明日への

 

微かな物音に気付いて、私はゆっくりと目を開けた。

最初に目に飛び込んできたのは、射るような眩い光。

反射的に目を閉じて・・・カーテンを閉めていないのだろうと考える。

重い身体を動かして何とか右手で光を遮ると、枕元でコトリという小さな音が聞こえて、ぼんやりとした頭でなんだろう?とそちらに視線を向けた。

チチチ・・・。

枕元にいたそれが、小さな可愛らしい鳴き声を上げる。

それはいつか見た、あの淡い黄色の小鳥で。

「・・・おはよう」

寝起きだからなのか、上手くは動いてくれないボンヤリとする頭で、ただすぐ側にいる小鳥に挨拶をした―――すると小鳥はもう一度小さな鳴き声を上げて、クリクリとした動作で小さく首を傾げる。

それがとても可愛らしくて、私は前と同じように小さく笑みを零した。

「・・・・・・痛っ・・・」

途端に頭に痛みが走って思わず顔を顰める―――鳥は私のそんな声に驚いたのか、軽く羽ばたいて窓際へと避難していった。

それをただ見送って・・・ふと、どうして頭が痛いのだろうと不思議に思う。

ボンヤリとする頭で考えて・・・。

そうか、私泣いたんだ―――とても唐突に、その事実が頭の中に浮上した。

よくよく考えれば、瞼がとても重い。

身体に圧し掛かる重みは、多分泣いたせいではないだろうけれど。

右手を腫れた瞼に押し付けて、大きく息を吸い込んだ後ゆっくりと吐き出す。

泣いたお陰なのか、心の中はずいぶんとすっきりしている。

時が経つごとにはっきりとしてきた意識の中で、私は今まで自分がしてきた事全てを思い出した。

解放軍を逃げ出してしまった事。

その先でクインシーに保護された事。

捜しに来てくれたクレオとフリックに、とても心配をかけた事―――そしてそれは2人だけではなく、マッシュもレパントもハンフリーも同様で。

モラビア城を攻めたことも、ちゃんと覚えていた。

攻めたとはいっても、私は特に何もしてはいなかったけれど。

その渦中にいる時は、とても意識がぼんやりとしていて・・・まるで頭の中にもやがかかったような、そんな意識で。

そこでビクトールに再会した事も、しっかりと記憶にある―――飛びついてしまった時の、彼のとても驚いた表情も。

少しだけ目が光に慣れてきたのを感じて、ゆっくりと瞼の上に置いた右手を退ける。

いつの間にか手袋は外されていて、剥き出しの右手が目に飛び込んできた。

こうして自分の右手を手袋越しでなく見るのは、本当に久しぶりのような気がした。

無意識に避けていたのかもしれない。

右手に浮かび上がる死神を思わせる文様が、どこか怖くて。

手探りでサイドテーブルを探れば、すぐに手袋が見つかった―――それを手に取って、ゆっくりとした動作で手袋をはめた。

大きくため息を吐き出して、ごろりと寝返りを打つ。

身体がとても重かった。

もう一度寝てしまいたい衝動に駆られたけれど、そうも言ってはいられない。

ちゃんとみんなに謝らないと。

もう大丈夫だと、ちゃんと伝えなくちゃ。

そう決意して起き上がろうとしたとき、ふと彼の声が頭の中に響いた。

『我慢なんてしなくていい』

その声が誰のものなのか、私にはすぐに解った。

だって昨日聞いたばかりの声、聞いたばかりの言葉。

私の心の奥に潜んだ弱い部分を、あっけなくさらけ出させてしまう力を持つ声と言葉。

ずっと胸の中にあったモノを・・・私自身ですら気付かなかった『我慢』というものを思い出させて、そして解き放ってくれた声。

いつだって彼は、私の弱い部分を見透かしていると、そんな事を思う。

それはとても悔しくて・・・でもとても嬉しくもあって。

「我慢しなくても良い・・・か」

頭の中に響く言葉を反芻してみる。

初めて言われたような気がする―――少なくとも、その言葉が私に影響を及ぼしたのはこれが初めてのことだった。

「それじゃあ・・・そうさせてもらおうかな」

1人ごちて、乱れた布団を肩まで被る。

心地良い温かさと共に、急激に眠気が襲ってきた。

一刻も早くみんなに謝らなきゃいけないんだろうけど。

だけど今はとても眠いから・・・だからビクトールのお言葉に甘えて、少しだけ寝坊させてもらう事にしよう。

ありがとう、ビクトール。

薄れ行く意識の中で、私は声にならない声で脳裏に浮かぶ男に礼を告げた。

 

 

次に目を覚ました時は、既に太陽の光が赤く色を変えていた時刻で。

石造りの壁や床を、赤い色が淡く染めている。

それをやっぱりぼんやりとした意識で確認した私は、先ほどよりも幾分か楽になった身体を起こして、はっきりしない頭を軽く振った。

様!?」

途端に聞こえて来た聞き慣れた声に視線を移すと、慌ててこちらに駆け寄ってくるクレオの姿が目に映った。

「おはよう、クレオ」

もう『おはよう』と挨拶をする時間ではない事は解っていたけれど、咄嗟に他の言葉が思いつかなかったので仕方がない。

様!もう宜しいんですか!?」

多分昨日までの私とは様子が違う事に気付いたんだろう―――心配そうな目を向けるクレオに、大丈夫だと安心させるように笑みを浮かべた。

それに安堵の息をつくクレオを見据えて、私は今さらながらに深く頭を下げる。

様!?」

「ごめんなさい、クレオ。貴女にとても心配を掛けちゃったみたいで・・・」

「そんな・・・。頭を上げてください、様!」

おろおろとどうして良いのか解らずに慌てるクレオを認めて、私は下げていた頭をゆっくりと上げた―――安堵と困惑と心配とが入り混じった複雑な表情を浮かべるクレオに、自然に笑みが浮かんでくる。

冷静沈着な彼女がこういう顔をするのを、私は今までほとんど見たことがなかった。

いつもどこか余裕すら漂わせているクレオが動揺した姿を見せたのは、グレミオが死んでしまった時と、父さんとの戦いの時だけだ。

「本当に大丈夫なのですか?無理は・・・」

「大丈夫だよ、クレオ。今の私はとてもすっきりとした気分だから・・・」

本当に、こんな気分は久しぶりだと思う。

悲しい気持ちが消えたわけじゃない。

過去を思い出せば今だって辛いし、グレミオや父さんやテッド・オデッサを思い出せば、自分の無力さを痛感して自分自身に憎しみさえ感じる。

けれどそれをちゃんと認識して・・・そして乗り越えられたのかもしれないと思う。

それらをちゃんと現実として受け止められたと、確信を持って言える。

もう逃げない―――辛い現実からも、自分自身の罪からも。

私はこれからも生きて、そして前を向いて歩いていかなきゃいけない。

それはいつも共に在った青年の、最後の願いでもあるから。

「大丈夫。ちゃんと、自分自身で立ち上がれるから・・・」

まだ心配そうな表情を浮かべるクレオにキッパリと言うと、彼女は漸く綺麗な笑顔を見せてくれた。

「そうですか。それならばもう、私は何も言いません。ただ様に付いて行きます」

「うん、ありがとう」

にっこりと笑顔を浮かべて、心からのお礼を告げる。

「そういえば、お腹空きませんか?最近はロクに食事も取っていませんでしたし・・・」

控えめに告げられる言葉に、身体に力が入らなかったのはそのせいかと妙に納得する。

「そうだね。何か・・・食べようかな?」

正直言えば、あんまりお腹は減ってなかったんだけど。

でもこれ以上心配掛けたくなくて―――それにやっぱり、食事はしっかり取らなきゃと思い直して。

「では、すぐに用意しますね」

うきうきと部屋を出て行くクレオの背中を見送って、私は小さく苦笑した。

ベットに入ったまま、大きく伸びをする。

どうやら身体も少し鈍ってしまったようだ。

体力を取り戻したら、早速訓練をしないと。

そんな事を思いながら、ベットから抜け出して壁に掛けてあった服を手早く着込む。

食事をここに運んでくれるというクレオの申し出はありがたかったけれど、折角なので自分から食堂に行こう。

最近は公の場に姿を現していないから(モラビア城攻略はさておき)もしかすると本拠地の人に不審に思われているかもしれないと思ったからだ。

簡単に身支度を整えて、すっかり以前の姿に戻った事に満足気に笑みを浮かべた。

戦いはまだ、終わってない。

ならば私は走り続けるだけだ―――例え息が切れようとも、それが私に出来るただ1つのことだから。

新たな決意を胸に、私は自室を抜け出した。

 

 

食堂に向かう途中、パーンやフリックに偶然出会って。

驚いた顔をされたけれど、それはすぐに安心の表情に姿を変えた。

様ぁ〜!!」

大きい身体から引き出される強烈なパワーを加減せず、勢いのままに抱きついてくるパーンを受け止めきれずにその場に尻餅をついてしまう。

「ああ!スイマセン、お嬢!!」

すぐに素早く身体を引かれ、申し訳なさを顔中に浮かべたパーンを見てやんわりと笑う。

「大丈夫だよ、パーン。いろいろ心配かけちゃったみたいでごめんね?」

「そんな!俺はお嬢が元気にさえなってくれれば、それだけで・・・」

微かに目に涙を浮かべて呟くパーンに、やっぱり穏やかに微笑みかける。

するとそんな私の前にサッと手が差し出された。

視線を辿ると、そこには苦笑を浮かべたフリックがいて。

「もう大丈夫なのか?」

「うん。いろいろと心配してもらったみたいで・・・ありがとう、フリック」

お礼を言うと、照れたように顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。

強く腕を引かれて立ち上がらせてもらうと、フリックはチラリとこちらに視線を向けた。

「もうあんま無茶するなよ?」

「肝に銘じておきます」

おどけたような口調で言うと、軽く頭を小突かれた。

そんな仕草さえもこそばゆくて、やっぱり小さく笑みを零す。

「これから食堂に行くんだけど・・・2人もどう?」

そう提案すると、フリックは軽い口調でそれを承諾した―――パーンは言うまでもなく大賛成を示してくれる。

そんな2人と共に食堂へ顔を出すと、そこにいたクレオが驚いたような表情を見せた。

「お部屋まで運ぶと言ったじゃないですか!もう・・・様はいつだって私たちに心配をかけてばかり・・・」

「ごめんって。でも、大丈夫だからさ」

用意してくれていた食事を食堂のテーブルで食べる私に、クレオは困ったと言わんばかりの表情で愚痴る。

最近のクレオは少しグレミオに似てきたかもしれないと、そんな彼女を見ながら思った。

いつも一歩引いて、グレミオの行動を抑制してくれていた彼女だけに、その反応はとても新鮮で・・・。

これじゃあ、クレオもグレミオの事は言えないね・・・とそう言いそうになって、でも言ったら言ったですごい剣幕で反論されそうだったから、私はご飯と一緒にその言葉を飲み込んだ。

今、私を包んでいる空気はとても穏やかで。

最近は少し向けられる事が辛かったクレオやパーンの心配気な眼差しも、素直に受け止められる。

いつだってみんなは私の事を想ってくれていたのに・・・だけど私はそれに応える余裕すらなくて。

いかに自分が盲目的だったのかを、強く実感した。

自分の無力さだとか、自分の罪だとか・・・自分自身を責める言葉はやっぱり今でも消えてはくれないけれど、それに囚われすぎていたのかもしれないと今さらながらに思う。

自己嫌悪に陥るのはいつだって出来るから。

それなら今は、私自身に向けられる温かい気持ちを感じていたい。

今あるモノを大切に思うことも、必要なんじゃないかと。

「クレオも大概、過保護だよね・・・」

心外だと表情を浮かべるクレオに、私はしみじみと呟いた。

 

 

食事の後、クレオとパーンとフリックと別れて。

私はハンフリーとレパントの部屋に行った。

もう大丈夫だからと告げた時の反応は、とても彼ららしくて。

ハンフリーは無言のまま・・・けれどとても優しい眼差しで、コクリと小さく頷いた。

レパントはやっぱり心配そうな表情で・・・その目を僅かに潤ませながら、ただ私の手を強く握り締めてしきりに頷いていた。

そんなレパントを何とか宥めて部屋を出た後、私はその足でマッシュの部屋に向かった。

マッシュを一番後回しにしたのは、少しばかりの気まずさがあったからかもしれない。

いつも私の側で、戦いを見守ってくれていたマッシュ。

誰もが認めざるを得ないくらい・・・マッシュに認めてもらえるくらい、理想のリーダーで在りたいと思っていたのに。

なのに肝心なところで、私はとんでもない失態を見せた。

そしてその皺寄せの全ては、マッシュの手に及んだのだろうと簡単に想像が出来たから。

あんな状態だった私を連れて、それでもモラビア城を落とせたのはマッシュの身を賭けた策があったから。

マッシュの部屋の前に立って、大きく深呼吸を1つ。

意を決してそのドアをノックすると、間髪入れずに返事が返ってきた。

「あの・・・だけど・・・・・・」

「どうぞ、お入りください」

いつもと変わらない静かな声に促されて、私は閉ざされていたドアを開けた。

そこには、やっぱりいつもと変わらないマッシュの姿がある。

多分、クレオ辺りに私が正気に戻ったと報告を受けていたんだろう―――その表情に驚きや戸惑いは微塵もない。

「そんなところに立ってないで・・・こちらにどうぞ」

ドアの側で立ち尽くしていた私を見て、マッシュはテーブルへ視線を向けて促した。

「お邪魔します・・・」

控えめに呟きながら、私はマッシュが示すままにテーブルにつく―――しばらくして出されたお茶を目の前に、同じようにテーブルについたマッシュに勢い良く頭を下げた。

「今回の事、本当にごめんなさい。とても迷惑をかけたと思ってます」

「・・・・・・」

「何を言っても、自分の無責任さの言い訳にはならないけど・・・」

「・・・・・・」

「だからせめて、これからは今まで以上に頑張るから・・・」

「・・・・・・」

必死に頭の中で謝罪の言葉を考えて。

けれど何を言っても反応を示してくれないマッシュに焦れて、私は下げていた頭を微かに上げた。

「・・・・・・マッシュ?」

そして見たマッシュの顔。

私から少しだけ視線を逸らして・・・とても辛そうに表情を歪める彼に、私はどうしたのかと小さく首を傾げた。

「どうしたの・・・?」

どうしてマッシュがそんな顔をするのか、私には分からなくて・・・。

だって私は怒られて当然のことをした―――寧ろ怒るなんてレベルの問題でもなくて。

どんな罵りを受けても、文句は言えない立場なのに・・・。

どうしてマッシュが、そんなに辛そうな顔をするの?

殿・・・」

「・・・なに?」

しばらくの沈黙の後、漸く口を開いたマッシュは静かに私の名前を呼んだ―――そして。

「謝らなければならないのは、私の方です」

彼の口から出てきた予想外の言葉に、訳が解らず眉を寄せる。

そんな私に構わず、マッシュは淡々と話を続けた。

「貴女は解放軍にとって、理想とも言えるリーダーです。決して弱音を吐かず、愚痴を零さず、人を想いやり、人を導く。貴女のその姿に、我々は輝く未来を見ました。解放軍の行く末に一点の曇りはなく、それは揺るぎないモノだと・・・そう思っていました」

「・・・・・・」

「何があっても強く在り続け、心を引き裂くような出来事があっても涙を見せず・・・だから私は、貴女がどれだけ心を痛めているかを察する事が出来なかった。―――いえ、それを考える事を避けていたのです。それを知ってしまえば・・・認めてしまえば、自分自身の信念を見失ってしまいそうで・・・」

「・・・マッシュ」

彼の口から搾り出される言葉たちは、苦しみの色を滲ませていた。

私は・・・私は何があっても、自分が我慢をすれば良いのだと思っていた。

この戦争で、大切な人を失ったのは私だけじゃない。

みんな多かれ少なかれ、何かを失っている。

だからこそ、その戦いを率いている私が一番弱音を吐くべきじゃない。

みんなが心配してくれているのは十分に解っていた―――だからこそ、私はみんなに心配をかけさせちゃいけないんだ。

常に前だけを見て・・・誰もが不安を感じないよう、強く在り続けたいと思った。

少しでも早く戦いを終わらせて、誰もが穏やかに暮らしていけるようにと。

だけどそう在ろうとすればするほど、クレオやパーンは辛そうな顔をした。

向けられる心配そうな眼差し。

それがとても辛くて・・・居た堪れなくて―――余計に感情を押し殺した。

今になって思う。

彼らにそんな顔をさせていたのは、他の誰でもない私自身なんだと。

平気だと笑って見せても・・・もしかしたら私は、上手く笑えてなかったのかもしれない。

「私は貴女に・・・とても酷い要求を突きつけていたのかもしれません」

マッシュがポツリと呟いた。

「私が貴女を追い詰めていたのかも・・・」

「マッシュ、それは・・・」

「至らぬ軍師で、本当に申し訳ありませんでした」

それは違うと言おうとした私の言葉を遮って、マッシュはさっきの私と同じように深く頭を下げた。

ほら、まただ。

また私は、こうやって人に心配をかけてる。

必要のない苦しみを、与えてしまっている。

ゆっくりと手を伸ばして、マッシュの両肩に手を置いた―――そのままの体勢でマッシュの顔を覗き込んで、にっこりと笑う。

「私は、そんな風に思ったことなんて一度もない」

「・・・・・・」

「マッシュがいてくれて、私はとても嬉しい。すごく・・・嬉しい」

一言一言に力を込めて。

どうかこの想いが、ちゃんと彼に伝わる事を願いながら。

「私1人の力なんて本当にちっぽけなもので・・・それでもここまで来れたのは、みんながいてくれたから・・・マッシュがいてくれたから。マッシュがいつも私の心配をしてくれてたのも知ってる。決して甘やかさないでいてくれたことに、感謝してる」

「・・・・・・殿」

「だから・・・ありがとう、マッシュ。それから・・・これからもよろしくね?」

そう言って笑顔を浮かべれば、硬い表情だったマッシュも微かに表情を緩めてくれる。

「ええ、こちらこそ」

返ってきた言葉に、思わず笑みを零した。

『お前らは真面目すぎるんだよ』

いつか聞いたことのある言葉が、鮮やかに脳裏に蘇った。

そうなのかもしれない―――今ならば、その言葉の意味が正しく理解できる。

もう少し楽に物事を考えても良いのだ。

少しくらい遠回りしたって、それはそれで構わない。

自分を・・・そして回りの人間を雁字搦めにしてしまうよりはずっと良い。

思えば、解放軍初期の頃はマッシュともどうでも良いような話をしていたのに、気がつけば会話の内容は戦争の話題ばかりで。

もう少し・・・ほんの少しだけでも良いから、こんな風にお茶を飲みながら雑談する事も時には必要なのかもしれない。

頭を過ぎったそんな考えに、私は満足気に1人で頷く。

それじゃあまずは、最近読んだ本の話しでもしようかな?

クスクスと笑みを零す私を不思議そうな顔で見つめるマッシュに視線を返して、私はマッシュが淹れてくれたお茶に手を伸ばした。

 

 

夜明け近くまでマッシュと雑談をした私は、日が昇る少し前にマッシュの部屋を出た。

そのまま自分の部屋には戻らず、屋上まで足を伸ばす。

目の前に広がった高い景色に、湖の向こうから薄っすらと光が射すのが確認できた。

夜の暗闇は少しづつ姿を消していって、また再び光に溢れた朝が来る。

暗く底の見えなかったトラン湖はまた、太陽の光を浴びてキラキラと輝きだす。

どんなに暗闇に包まれていても・・・絶望に覆い隠されていても、明けない夜はないように終わらない絶望もまた、ないのだ。

苦しみにばかり目を向けてないで、楽しい事もこの目に映そう。

そうすればきっと歩き出せる―――希望は必ず、そこにあるから。

「・・・よお」

ぼんやりとトラン湖を眺めていた私の背中に、低音の声がかけられた。

その声の主が誰なのかは考えなくても解る―――ゆっくりとした動作で振り返れば、思い描いた通りの人物がそこにはいた。

「おはよう、ビクトール」

私が自分を取り戻してから会ったのは、これが初めて。

行く先々で姿を探してはいたけれど、目立つその姿はどこにもなくて。

一体今までどこにいたんだろうか?

会って一番にお礼を言いたかったのに・・・。

「早起きだな」

「そっちこそ・・・珍しいじゃない」

「ははは。俺は徹夜でこれだ」

『これ』と言って何かを飲む仕草。

ああ、朝までお酒呑んでたんだね・・・。

いつものことなので驚いたりはしない―――いつも過ぎて、今日はやけにホッとした。

少し呆れた風に笑って見せた私にビクトールも軽く笑い声を上げると、そのまま何も言わずに私の隣に並んでトラン湖を眺めた。

少しづつ太陽の光を受けるトラン湖は、とても綺麗で。

まだ人が起き出して来るには間があるこの時間は、辺りもとても静かで。

幻想的な景色に、私は言葉もなく見入っていた。

まるでこの世界に、私とビクトールだけしかいないような錯覚を覚える。

「・・・

唐突に声をかけられて顔を上げれば、いつもからは考えられないほど真剣なビクトールの眼差しとぶつかった。

全てを包み込んでくれそうな・・・そんな温かな光を宿すビクトールの優しい目。

私はこの目がとても好きだった―――その目を見てると、すごく安心する。

「もう良いのか?」

「何が?」

「泣かなくて」

キッパリと言われた言葉に、思わず顔が赤くなるのを自覚した。

今さらと言えば今さらだけど・・・あんな風に人前で泣いたのは生まれて初めての事で、

妙な気恥ずかしさを感じる。

それを感じ取った勘の鋭いビクトールは、途端に企むような笑みを浮かべた。

そういえば・・・あの時は意識も朧気だったからよくは覚えてないんだけども。

なんかとんでもないことをされた記憶が、微かに残っているのですが?

それを言えば、もしかしたらビクトールを少しは慌てさせる事が出来るかもしれないけれど、生憎とそんな気分にはなれなかった。

私の記憶が確かならば、それを口にするには私自身も恥ずかしいから。

「もう大丈夫だよ」

だから誤魔化すように、そう言ってそっぽを向いた。

彼にはいつも『お前の大丈夫は当てにならない』と散々言われてはいたけれど、今回は特に何も言われなかった―――本当に大丈夫だと、気付いてくれたのかもしれない。

「・・・ありがとうね、ビクトール」

視線を逸らしたまま小さくお礼を告げると、乱暴な仕草で頭を撫でられた。

「どう致しまして」

あっさりと返された言葉に苦笑する―――何でもないことのように振舞ってくれるビクトールに、心の中でもう一度お礼を言った。

「まぁ、泣きたくなったらいつでも言えや。特別に無料で俺の胸を貸してやるよ」

そんなに頻繁には泣けないけどね―――こう見えても私は、結構意地っ張りだと自覚してるから。

だけどその言葉はすごく嬉しかったから。

いつでも泣ける場所が私にも在ると思えるだけで、勇気付けられたから。

でもそれを素直に告げるのはやっぱり気恥ずかしいから、当分は言わない。

「無料って・・・商売でもしてるわけ?」

「はっはっは!俺は高いぞ?」

今はこんな風に誤魔化しながら―――いつか素直に感謝の気持ちを伝えられるようになるまで、この想いは大切に取っておこう。

再び乱暴にかき回される頭の上の大きな手の感触に、私は久しぶりに素直な笑顔を浮かべた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

一応、幻水1連載『ただ1人の女神』は終了です。

本当は物語の初めから書こうかな?とも思ったんですけど、幻水の小説が印象的でどうにも引きずられそうなので・・・。

今回も小説版の設定(?)が少しだけ混ざってますが・・・(笑)

短いとはいえ、一応は全て書けたことに満足してたりします。(内容はともかく)

最初の暗さに比べて、少しはマシになったと思うんですがどうでしょう?(苦笑)

作成日 2004.6.1

更新日 2007.9.13

 

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