例えそれが、届く事のない想いだとしても。

ただ、会いたいと願う。

 

に伝えたい言葉

 

夜も闇の色を増した頃、ビクトールは意気揚揚と寝泊りしている宿を出た。

手の中にあるのは、つい先日手に入れたばかりの彼にしては高級なワイン。

ある人物と飲むために、わざわざ取り寄せたモノだ。

傭兵隊の砦が焼け落ちる前に、何とかこれだけは持って逃げる事が出来た。―――あの混乱の中、よくそんなことが出来たなとビクトール自身も思わず感心するほどだ。

もうほとんどの家が眠りについている為か、それとも厚い雲に覆われて月が隠れているせいか、いつもよりも薄暗い大通りを通って、この街では一番大きな建物に向かう。

そこはミューズ市の中枢でもある市庁舎。―――そこにいるミューズ市市長・アナベルと一杯飲むために、彼はわざわざこんな夜遅くに市庁舎に向かっているのだ。

アナベルは忙しい身にある。

結んだばかりの休戦協定を破られ、再び戦争が現実のものとなった。

既にハイランドはミューズ市の目と鼻の先まで迫っており、けれど他の同盟を結んだ都市は、己たちのことばかりで兵を出そうとはしない。

迫るハイランドとの戦いの準備と、同盟軍への説得。―――しなければならない事は山積みで、おそらく寝る間もない程だろうと安易に想像がついた。

それでもビクトールがアナベルのところに行くのは、そんな彼女を少しでもリラックスさせてやりたいという思いからに他ならない。

こんな状況だからゆっくりと話す時間も最近はなくて・・・。

だからこそ、たまにはこうして酒でも呑みながらのんびりと昔話に花を咲かせるのも良いのではないかとビクトールは思う。

チャポンと水音を立てるワインの瓶をチラリと見て、小さく笑みを浮かべる。

さて、あいつとどんな話をしようか・・・そう思いながら顔を上げたその時。

フワリと風が吹いた。―――それに引かれるように、何気なく・・・本当に何気なく薄暗い路地の方へと視線を向ける。

「・・・・・・っ!?」

ハッと息を飲んで、市庁舎に向けていた足を慌てて路地の方へと向けた。

バタバタと音を立てて路地に駆け込む。―――が、そこにはただ闇が広がるだけで何も見えはしない。

「・・・見間違いか?」

ポツリと呟く。

先ほど路地に目を向けたビクトールは、思わぬ人物を見た気がした。

しかしそれはこの場所にいるハズもない人間で・・・―――だから見間違いかと呟いた自分の言葉が、妙に真実味を帯びている気がする。

「見間違い・・・・・・そうだよな。あいつがここにいるわけねぇしな」

自嘲気味に笑って、空いた方の手で乱暴に頭を掻く。

会いたいと・・・いつもそう思っているから。

だからこそ、そんな幻を見たのかもしれない。

「重症だな、こりゃ・・・」

自分を責めるような口調でそう呟くと、ビクトールは再び市庁舎に向けて歩き出した。

 

 

コンコンと小さくノックをすると、間を置かずに簡単な返事が返って来る。

「俺だ、ビクトールだ」

軽い口調で名前を名乗って、相手の返事が返ってくる前にドアを開いたビクトールは、少し驚いたように目を見開いているアナベルに向かい、ニヤリと笑みを浮かべた。

「・・・どうしたんだい、こんな夜中に?」

「お前と一杯、やろうと思ってな」

そう言って、手の中にあるワインの瓶を見えるようにかざすと、アナベルは困ったように笑みを浮かべた。

「あんたも好きだねぇ・・・」

「お前だってそうだろ?」

口ではなんだと言いながらも、しっかりとグラスと共にビクトールの座る席を用意するアナベルを見て、彼は人の悪い笑みを浮かべる。

用意されたイスに座って、早速持ってきたワインの栓を抜いてグラスに注ぎ込んだ。

赤い透き通った液体は、室内のランプの光を取り込んでキラキラと光を反射する。

それを早速一口呑んだアナベルは、感心したように声を上げた。

「へぇ・・・結構良いワインじゃないか」

「まぁな。気に入ったか?」

「ああ、十分だ」

満足そうに笑ったアナベルを眺めて、ビクトールも同じようにワインを口に運んだ。

少しだけほのかな甘さを帯びるそれは、普段ビクトールが飲むものとは違っていたが、それもまた美味しく感じられる。―――それは久々にゆっくりと会う事の出来た、友人のお陰なのかもしれない。

アナベルが用意したつまみを食べながら、その普段から比べればかなり高級の部類に入るワインをゆっくりと呑む。

他愛もない昔話に花を咲かせながら、すぐ側まで迫った戦いの予感を一時だけ忘れて、僅かな時間の平和を感じていた。

「そういえばさ・・・」

今まで上機嫌で笑っていたアナベルが、不意に真面目な顔をしてビクトールを見た。

「・・・なんだ?」

「あんた・・・好きな奴が出来たんだって?」

「ぶっ!!」

人の悪い笑みを浮かべつつ放たれたアナベルの言葉に、ビクトールは飲んでいたワインを一気に噴出した。

「うわっ!ちょ・・・汚いねぇ・・・」

「うるせぇ!お前が突拍子もねぇ事、言うからだろ!?」

ゴホゴホと咳き込みながら食ってかかるビクトールを一瞥して、アナベルはさらに何かを企むような表情を浮かべた。

「ふぅ〜ん・・・本当だったんだね。あんたに好きな奴が出来たって話は・・・」

「んな話、どこから仕入れたんだよ!」

「あんたの相棒が、昔にね・・・」

その言葉に、ビクトールの脳裏に幸薄い青いマントの相棒の姿が浮かぶ。

いつもいつも厄介ごとを押し付けている仕返しか・・・と心の中で毒づいた。

「それじゃ・・・あの話も本当なのか?」

さらに言葉を続けるアナベルに嫌な予感がして、ビクトールは恐る恐るアナベルの表情を窺う。

「・・・あの話?」

「お前の好きな奴が、お前よりも12・3年下だって話だ」

アナベルの言葉に、ビクトールは思わず頭を抱えた。

フリックの奴、どこまでこいつに話したんだ・・・と脱力する。

「・・・で、どうなんだ?」

事の真相を、おそらくは本人から聞きたいのだろう。―――真剣な表情のアナベルを一瞥して、ビクトールはため息混じりに小さく頷いた。

別に隠す事じゃない。

ただビクトールは開けっぴろげに話すようなタイプではなかったし、聞かれてもいないのにべらべらと話すのは性に合わないと思っていたから黙っていただけだ。

ビクトールの無言の肯定に、アナベルは驚いたように目を丸くした。

あのビクトールが。

色恋沙汰なんて無縁だったあの男が恋をした。―――しかも、自分よりも遥かに年下の少女に。

その事実がアナベルをこの上なく驚かせた。

そして、少しの寂しさも感じさせる。

「それで・・・その子はどんな子なんだい?」

自分の変化を見せないように笑みを浮かべて、アナベルはごく普通の声色でそう聞いた。

普段のビクトールならそんなアナベルの些細な変化にも気付いたのかもしれないが、少し動揺していた今の彼には、それに気付ける心の余裕などなくて。

「どんな子って・・・」

困ったように口ごもるビクトールを眺めながら、アナベルは小さく苦笑した。

ビクトールが想いを寄せる相手のことを、アナベルは知っていた。

それはもちろん彼の相棒・フリックから聞き出した事なのだが。

ビクトールの想いを寄せる相手が、あの有名な『トランの英雄』だと聞いて、アナベルは物凄く驚いた。

普段いろんな事があって、少しの事では動じない彼女がだ。

アナベル自身は、その『トランの英雄』に会った事はない。

ただ3年程前に隣国で起きた大規模な戦争でその片側を担っていた少女の事は、アナベルも噂や報告で幾度となく話を聞いた事はある。

=マクドール。

何度となく刃を交えた赤月帝国の5将軍の1人・テオ=マクドールの一人娘で、帝国軍に所属していたというのに、敢えてその身分も何もかもを捨てて解放軍のリーダーになった少女。

若干・16歳のその少女は、民を想い、国を想い、決して立ち止まる事無く、ただひたすら平和を目指して戦い続けたという。

そしてその信念に違わず、戦いの末に平和を手に入れた。

しかし戦いを終えた後はその姿を消し、今では行方知れずとなっているという。

「可愛いかい?」

困ったように口ごもるビクトールにそう聞けば、彼は困ったように苦笑する。

「あいつは・・・スゲェ強くて、でも弱い。自分のことなんて後回しで人の事ばっかり考えて。辛い事とか悲しい事とか全部一人で抱え込んで・・・1人で苦しんでるような不器用な奴なんだ」

そう言って微笑むビクトールの顔は、今までに見たこともないようなモノで。

本当に好きなんだなと、アナベルは妙に納得する。

だけど厄介な相手を好きになったものだと、アナベルはそう思った。

相手は英雄と呼ばれるほどの人物なのだ。―――今はどこで何をしているのかは分からないが、その人物は多く人を惹きつけるだろう。

もしかしたら、国に戻って大統領の座を継ぐかもしれない。

ビクトールの様子を見ているとかなり親しいようだが、それも戦争が終わった今では多少現状は変わってくるかもしれない。

もし=マクドールがトラン共和国の大統領の座を引き継いだとして。

例えその少女がビクトールの想いを受け入れたとしても、周りがそれを許すだろうか?

一介の傭兵が、国のトップと想いを通じ合わせる事が出来るだろうか?

もし大統領の座を引き継がなかったとしても。

やはりその恋路は険しいような気がした。

「それで・・・そのという子は、今どこにいるんだい?」

「どこって・・・行方不明だ」

「行方不明?」

「そうだ。戦いが終わった後、どっか行っちまったらしい」

おどけたように肩を竦めるビクトールを、アナベルは目を細めて見つめた。

どこに行ったのか分からなくても。

あれから3年の月日が経ったのだとしても。

それでもビクトールの心の中には、への想いが消えずに残っているのだろう。

寧ろそれは、会えないからこそより強くなっているのかもしれない。

「会いたいかい?」

アナベルはわざとそう質問した。―――想いを寄せている相手に、会いたくないと思う人間がいるわけがないと分かっていながら。

ジッとビクトールを見据える。

すると彼は苦笑混じりに小さく肩を竦めて・・・。

「別にいいさ。あいつが元気でやってるならな」

穏やかささえ漂わせる口調でそう言うビクトールに、アナベルはこっそりとため息を零した。

なら、その顔はなんだい・・・と言いそうになって、けれど堅く口を閉ざす。

さっきビクトールはのことを『不器用な奴』と言ったけれど、ビクトールも人の事は言えないんじゃないかとアナベルは思う。

すぐに叶えることの出来る簡単な望みなら口にするというのに、ビクトールという男はどうにもならない望みを決して口にする事はない。

たまには頼ってくれても良いと思うのに・・・―――そうすれば、同盟軍内であれば目撃情報を探すくらいはしてやるのに・・・。

黙ったまま再びワインを呑み始めたビクトールを目に映して。

沈黙が漂う室内が重く感じて、アナベルが何かを言おうと口を開きかけたその時、控えめなノックが響いた。

「・・・なんだい?」

折角の場を壊されて少し不機嫌そうな声色で返事を返したアナベルに、ドアの向こうから控えめな声が掛けられる。

「あの・・・アナベル様とお約束があると、子供が来ているのですが・・・」

「ああ、そうだった」

そういえば、今日はとナナミが彼らの育ての親であるゲンカクの事について聞きに来ると、そう約束していたのを思い出す。

「ああ、じゃあ俺はそろそろお暇するわ」

「悪いね。折角来てくれたっていうのに・・・」

「いいって。んじゃ、またな」

そう言って腰を上げたビクトールに謝罪の言葉を向けて。

ヒラヒラと後ろ手に手を振りながら去っていくビクトールの背中に向けて、アナベルは無意識に声を掛けていた。

「もし・・・」

「ん・・・?」

不思議そうな表情で振り返ったビクトールの顔に、ハッと我に返ったアナベルは誤魔化すように笑みを浮かべる。

「いや、なんでもない」

「・・・そうか?」

「ああ。おやすみ、ビクトール」

「おう。ゆっくり休めよ」

そう言って今度こそ部屋を出て行ったビクトールの気配が完全になくなった頃、アナベルはぼんやりと先ほど口から出そうになった言葉を、心の中でひっそりと繰り返す。

もし・・・もし私がもう少しだけ素直で、そしてあと少し背が小さかったなら、私とビクトールは良い仲になっていただろうか?

「はっ・・・馬鹿な・・・・・・」

自分で自分の考えを否定する。

もう少し素直だったら・・・もう少し背が低かったら・・・、そんなことを考えても仕方がないと、アナベルは分かっていたから。

過ぎ去った時間は、決して戻る事はない。

そしてもう一度最初からやり直したとしても、きっと自分の性格が変わるなんてことはないだろうと思えたから。

今の自分を嫌いじゃない。―――そう在りたいと思った結果が、今の自分なのだから。

もし関係が変わるとすれば、それは自分自身が変わらなくとも出来た事だろうと思う。

結局は、何も変わりはしないのだ。

自分とビクトールの関係も。

ビクトールがという少女を好きになるということも。

「ならば・・・私は祈るだけだ」

テーブルの下で強く手を組んで、アナベルはソッと目を閉じる。

いつか、彼が少女と再会できるように。

この広い世界で、それは簡単なことではないだろうけど。

出来るだけ早く、2人が再び出会えるように。

そして願わくば、ビクトールの想いが届くように。

ビクトールが幸せになれるようにと、アナベルは存在を信じてもいない神に、それを強く願った。

 

 

部屋を出て、市庁舎の入り口で会ったとナナミを相手に軽く雑談を交わしてから、ビクトールは市庁舎を出た。

空は未だに、厚い雲に覆われている。

灯された松明の炎も、暗闇を完全に照らし出す事は出来ない。―――淀んだ闇が、無性に気分を沈ませる。

それを振り払うように風を切って歩き出したビクトールは、先ほどのアナベルの言葉を思い出していた。

『会いたいかい?』

そう聞かれた時、一瞬自分の思考を読まれたのかと内心動揺した。

ここに来る前に、暗い路地に見た人影。―――ここにいるハズのない、会いたいと心から願う少女の姿が見えたような気がした。

「本当に末期だ・・・」

自分で呆れて思わず笑う。

会いたいと、そう思ったことは1回や2回じゃない。

けれどビクトールはそれを口にはしない。―――口にしてもしなくても同じなら、口にしなくても良いと思うから。

そして・・・ビクトールは、会いたいと思う気持ちとは裏腹に、会った時にどう反応してよいのか分からなかった。

好きだと想うこの気持ちを少女にぶつけて、困らせたくはないと思う。

良くも悪くも、は優しい人間だから。

出来るだけ人を傷つける事を避けるだからこそ、この想いを伝えた時、尋常じゃなく悩むのは目に見えていた。

けれど・・・。

例えこの想いが報われなくとも。

この想いを、殺す事になったとしても。

それでも、ただ会いたいと願う。

それはもう、本当に仕方のないことで。

寧ろ、本能に近いのかもしれない。―――どれだけ言い訳を口にしても、本当に願うのはただそれだけ。

「今、どこにいるんだろうな・・・」

ぼんやりと薄暗い空を見上げながら、ビクトールはポツリと呟く。

会って、君に伝えたい。―――この想いが、報われなくても構わないから。

どうか幸せであるようにと。

胸の中の悲しみが、少しでも薄らいでいるようにと。

決して自分を責めたりしないように。

ただもう一度、心からの笑顔が見たいと・・・そう願った。

 

 

ふと声が聞こえた気がして、はうっすらと目を開けた。

ぼんやりとする視界で窓に目を向けると、そこにはまだ光らしいものはない。

そのまま時計に視線を移して・・・ずいぶん中途半端な時間に目が覚めたものだと、ぼんやりと思う。

久しぶりにゆっくりと眠れたと思っていたのだけれど・・・やっぱり今の状況に、多少の緊張があったのかもしれないと、そんなことを考えた。

起き上がるのも面倒で、ベットに横になったまま寝返りを打つ。

『・・・

頭の中で自分を呼ぶ声は、夢だったのだろうか?

確かに聞こえた気がしたというのに・・・―――そう思ってみても、実際部屋にいるのは自分1人だけなのだから、夢に違いないのだろう。

幻聴を聞いた・・・とは思いたくない。

けれど・・・例えそれが夢なのだとしても、その声は繰り返し繰り返し頭の中に響く。

懐かしい声。

確かに聞き覚えのあるその声は、けれど覚醒した頭では誰のモノなのか分からなかった。

不意に目から熱い何かが零れ落ちた。―――それが涙だと分かって、どうして自分が泣いているのか分からずにただ苦笑を漏らす。

本当に無意識に流れる涙は、無性に切なくて。

ぼんやりとした頭で、ただ会いたいと思った。

誰にと聞かれれば答えられないけれど。

ただ今も頭の中に響く、自分を呼ぶ声の主に会いたいと。

酷く優しく響くその声は、まるで包み込んでくれるようで。

それだけで、心の中が温かく穏やかになった。―――だからこそ、その声の主が誰なのか思い出せないのが悔しくもある。

声に誘われるように、再び睡魔に襲われたはゆっくりと目を閉じた。

薄れていく意識の中で、漸くその声が誰のものなのかに思い当たる。

「・・・トー・・・ル」

微かに漏れた自身の声は、の記憶に留まる事無く部屋の中に響いて消えた。

 

 

それは未だ穏やかな夜の出来事。

その数時間後に、穏やかな空気が一変する事など3人は知る由もなく。

ただ、それぞれ想いを馳せる。

叶わない想いを捨て、ただ祈りを捧げる者と。

複雑な想いを抱きながらも、それでも願いを捧げる者と。

意味さえ分からず、ただ涙を流す者と。

いつかその願いが、誰かに届く時が来るのだろうか?

そんなことさえも分からぬまま、ただ願う。

 

ミューズが陥落する、数時間前。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

アナベルファンの皆さん、ごめんなさい!!

アナベルがかなり辛い役どころになってしまい・・・(汗)

本当は本編に入れようかとも思ったのですが、ちょっと入れにくかったので短編扱いに。

こう・・・ビクトールやアナベルの切ない想いとか、ちょっとでも伝わってれば良いのですが・・・(無理っぽい)

作成日 2004.5.22

更新日 2008.7.20

 

戻る