普段考えないような事を考えたりとか。

普段思わないことを想ったりとか。

寂しくて、辛くて、苦しくて。

だけど幸せを感じたりもする、そんな日。

 

温かなのひら

 

朝起きた時、なんだか少し身体がダルイ気がして。

頭がボーっとする。―――まだ頭が動き出していないのかもしれないと、ぼんやりと思った。

気だるさを振り払うようにベットを出て、服に着替えると大きく伸びを1つ。

うん、特に何ともない。

最近は寝不足気味だったから、きっとそのせいだろうと自分を納得させて。

大きなあくびをして、私は朝食を取るために部屋を出た。

 

 

「うー・・・」

「何を唸っている?」

テーブルに突っ伏した私に、シュウが冷たい視線を向ける。

唸りたくもなるって・・・と、目の前に山ほど積まれた書類から眼を逸らして、窓の外に目をやった。

窓の外に見える空は、青く澄み渡っている。

時折聞こえてくる子供たちの声は楽しそうで、それを聞いているだけで心が温かくなった。

なのに・・・それなのに、今の私は部屋の中で書類とにらめっこ。

広い世界が、四角い窓の外にしか存在しないなんて・・・―――四角く切り取られた小さなそれしかないなんて、そんなのあんまりだ。

けれど喉まで出かかった文句が口から飛び出さないのは、シュウの前に積み重なっている書類の山が、私よりも数段多いからだろう。

シュウは忙しい。

正規の軍師として、やらなければならない事は山積みだ。―――だからなのか、副軍師であるアップルもクラウスも忙しい身である。

・・・が、その副軍師であるアップルやクラウスよりもさらに私の方が忙しいのだと感じるのは、思い過ごしだろうか?

否、思い過ごしでは決してない。

ペラリと山積みになった書類を一枚手に取る。

そこに書かれてある文字を目で追って、重いため息を吐き出した。

同盟軍の現状は、決して明るいとは言えない。

打つ手は限られていて、相手に合わせるので精一杯。―――余裕もあったものじゃない。

そんなことを、シュウはたちには絶対知られたくないんだろう。

それは他の将も同様だし、きっとアップルやクラウスにも・・・。

だからシュウは、すべてを自分1人で抱え込む。

かつてのマッシュがそうであったように。

私が同盟軍に来た後は、その一部を私に。

どうして私なのか?―――そう思うときもあるけれど、正直言って誰かに頼られる事自体は嫌な気はしない。

私で役に立つなら、少しでもシュウの負担を減らしてやりたいとも思う。

だけど・・・だけどねぇ。

たまには休みが欲しいと思ったとしても、バチは当たらないでしょう?

「真面目に仕事をしろ」

「私のどこが、不真面目だと?」

再び向けられた冷たい視線を受け止めて、さらりと言葉を返す。

にっこりと微笑むと、呆れたようなため息を返された。

分かってるよ、シュウの言いたいことぐらい。

確かに今日の私は集中力というものが欠けている・・・ような気がする。

なんだか、やる気というものが湧き出てこない。

今朝感じた体のだるさが、やっぱり今もある。

風邪でも引いたかな?―――そんな事を思って、有り得ないと苦笑した。

身体の丈夫さだけが取り柄だ。

ここ数年、病気らしい病気なんてした覚えがない。―――代わりに怪我は飽きるほどしているのだけれど。

「だってねぇ・・・」

手の中の書類に目を落として、ため息を1つ。

内容を確認するだけで、気分も沈むというものだ。

「・・・なんだ?」

「もうちょっとこう・・・明るい話題ってないの?」

「明るい話題?」

怪訝そうに眉を寄せるシュウに、しっかりと頷く。

兵の被害報告やら、敵軍の動きやら、こちらの資金不足・・・この間した大規模な訓練の要領の悪さ。

書類に目を通すだけで、問題ばかりが浮き上がってくる。

そしてそれらが解決する見通しは、今のところ立っていない。

思わず頭が痛くなってくる。―――ああ、ほんと・・・頭痛い。

私の言いたい事が分かったのか、シュウは重いため息を吐き出して。

「その明るい話題というものを、俺も聞きたいのだがな・・・」

さようで。

まぁ、問題があるうちは向上の余地もあるということで。

同盟軍内の雰囲気は悪くないのだし、少しづつではあるが前に進んでいるという事で良しとしておくか。

「んじゃ、これアップルに渡してくるわ」

処理し終えたばかりの書類をヒラヒラと振りながら、立ち上がる。

うわ、今立ちくらみが来た。

「わざわざ持っていかなくても、その内ここに来るだろう?」

「アップルも忙しいんだから、少しは負担を軽くしてあげなきゃね」

彼女はシュウの力になりたいと、一心不乱に寝る間も惜しんで頑張ってるから。

たま〜に、倒れないかと心配になるんだよね。

それでなくとも、丈夫そうには見えないんだし・・・。

それに。

「たまには気分転換くらい、させてちょうだいよ」

一日中部屋に篭ってると、気分が滅入るんだよ。

やっぱり私は、動き回ってる方が合ってるんだよ。

「・・・逃げるなよ?」

部屋を出る寸前に、背中に掛けられたシュウの言葉に苦笑する。

信用ないなぁとか思いながら、後ろ手に了解と手を振った。

「行って来ま〜す」

きっと眉間に皺を寄せた顔してるんだろうなと思いながら、シュウの部屋を出た。

部屋を出ると、開け放たれた廊下の窓から爽やかな風が頬を掠める。―――少し肌寒い感じがして小さく身体を震わせた。

少しの開放感を胸に、大きく伸びをしてから階段に向かって歩き出す。

エレベーターを使えばすぐなんだけど、少しくらい身体動かしたかったし。

トントンと軽快な音を立てて階段を降りていく。―――身体に伝わってくる少しの振動にズキリと頭が痛んで、思わず顔を歪めた瞬間手から書類が零れ落ちた。

「あ・・・あーあ」

バラバラと散らばってしまった書類を眺めて、盛大なため息を吐く。

余計な手間を増やしてしまったと、足元にあった書類の一枚を拾って立ち上がった。

と・・・その途端にクラリと視界が揺らいで、咄嗟に手すりを強く握り締める。

また立ちくらみか?

そう思ったけれど、ぐらぐらと脳を揺らされるような感覚は一向に止まない。

思わずその場に座り込むと、身体のダルさがさらに増したような気がした。

なんか・・・気持ち悪い。

冷たい汗が、こめかみを伝って落ちるのが妙にリアルで。

誰か来てくれないかと思ったけれど、大抵の人はエレベーターを使うので、階段には滅多に人の姿はないのを思い出す。

そもそも1階や2階ならともかく、ここから上にはシュウの部屋との部屋しかないのだ。―――早々人通りが多い場所でもない。

こんな時に階段を使うなんて・・・なんてツイテナイんだ、私。

少しづつ暗くなっていく視界の中、そんな事をぼんやりと思う。

そんな私の耳に、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえて来た。

ああ、もしかしたら私ツイてるのかも・・・なんて考えつつ。

ほんの少し残っていた意識を、私はゆっくりと手放した。

 

 

ふと目を開くと、見慣れた天井が目に映った。

ぼんやりとする頭で、ゆっくりと目だけで辺りを見回す。

あれ?・・・・・・ここって私の部屋だ。

すぐにここがどこだか分かって、小さく首を傾げる。

確か私はシュウの部屋で書類の処理をしていたはずだったんだけど・・・。

夢だったんだろうか?―――とそこまで考えて、漸く階段のところで気を失ったのだという事を思い出した。

どうやら思考回路がかなり鈍っているらしい。

ともかく今ここにいるということは、誰かが倒れた私を発見し、ここまで運んでくれたのだろう。

偶然にもそれを見つけてしまい、尚且つ人1人を運ばなければならなかった不運な人に感謝して、ゆっくりと肺の中に溜まった空気を吐き出した。

静まり返った室内に、自分の荒い呼吸だけが響く。

どうして何の音もしないのだろうか?―――お世辞にもここはあまり静かな場所とは言えない。

何気なく窓の外に目を向けると、外は既に真っ暗闇に包まれていた。

ああ、なるほど。

ベットからでは時計は見えないけれど、どうやらもう既に日は暮れているようだ。

この静けさから考えて、真夜中に突入しているのだろう。

本当に何の音もしない。―――いつもなら、微かに人の声くらい聞こえてくるというのに。

途端、妙に心細くなった。

まるで・・・そんな筈はないのだけれど、まるでこの世にいる人間が自分1人だけのような錯覚さえ覚えて。

重症だ、と思わず苦笑する。

その僅かな振動で、ズキリと頭が激しく痛んだ。

頭が痛い。

頭の中がぼんやりとして、まるで霧に覆われてしまったような感じがする。

少し寒気もした。―――まだ熱が上がるっていうのか?

熱のせいだろう、神経が過敏になっていて、肌がシーツに当たるだけでもまるで針のベットに寝かされているような刺激を感じる。

オマケに気持ち悪い。

グルグルと胸の辺りからお腹にかけて、内蔵をかき回されたみたいな気持ち悪さ。

妙に泣きたくなった。

寂しい・・・誰かに助けて欲しいと辺りを見回してみても、そこには誰もいない。

額に置かれた温いタオルが、不快だ。

とても、孤独だった。

うっすらと目に涙が溜まるのを自覚する。―――最近は簡単に泣く事が出来なくなったと思っていたのに、今はなんて簡単な事なんだろう。

「・・・れか」

声にならない声で呟く。

誰でも良い、側にいて欲しかった。

「・・・?」

不意に部屋の中に声が響いて、顔の上に影が落ちる。

心配そうに私の顔を覗き込んでいたのは・・・ビクトールだった。

予想外の人物に驚いていると、ビクトールは遠慮がちに私の額に手を伸ばす。

「・・・まだ熱いな」

小さく呟くビクトールを目に映して、現状が把握できていない私はぼんやりと彼の顔を見上げていた。

それに気付いたのか、ビクトールは照れたように微かに微笑んで。

「グレミオの奴、今スープを作りに行ってんだよ。何も食べねぇのは良くないってさ」

ビクトールは額に当てていた手を退けると、ベットに上に落ちてしまったタオルを取って、テーブルの上に置いてある洗面器に浸して冷たくしてからまた額に乗せてくれた。

ひんやりと冷たい。

少しだけすっきりとした頭で、心配そうなビクトールの顔を見返した。

なんてタイミングで、彼は現れるんだろう。

どうしてビクトールは、私が辛い時や悲しい時にいつも側にいてくれるのか。

単なる偶然かもしれないけれど、それがとても嬉しくて。

「じゃ、俺行くわ。大人しく寝てろよ?」

突然そう言い、私に背中を向けたビクトール。

なんで?何で急に行っちゃうの?

縋るような思いで、私は必死に手を伸ばした。

行かないで。

側にいて。

声にならない声でそう叫ぶけれど、手はビクトールに掠ることもなく空を切り、ただ空気だけを握り締める。

目の前にあるビクトールの背中が、涙で歪んだ。

「・・・か、ないで・・・・・・」

必死に搾り出した声は言葉にならずに。

けれどそれはビクトールに届いていたようで、驚いたような表情で振り返ったビクトールの顔がただ目に映る。

「・・・!?」

身体の半分をベットから乗り出して、落ちそうになっている私に驚き、慌てて駆け寄ってくるビクトールに心の底からホッとする。

「おま・・・なにやってんだよ!?」

困惑するビクトールに表情が緩むのが分かった。

再びベットに寝かされて、肩までしっかりと布団を掛けられた私は、その隙間から少しだけ手を伸ばしてビクトールの服の裾を摘んだ。

・・・?」

「・・・て」

「・・・・・・?」

「・・・て、かして」

喉からは思ったよりも言葉はしっかりと出てくれなかったけれど、何とか必死に言葉を紡いだ。―――それはビクトールにも伝わっていたようで、驚いた表情の後に苦笑が浮かぶ。

「なんだよ。今日はえらく甘えるんだな」

言葉と共に、ビクトールの大きな手が私の手を包み込んだ。

私とは違う・・・ごつごつとした骨ばった手は、男の人特有のもので。

なんだか少し恥ずかしくて・・・けれどすごく安心した。

手の平を通して伝わってくる熱が、心地良くて。

それはビクトールの心を思わせる。―――いつも私を包み込んでくれる温かさが、そこにはあった。

人肌は落ち着くと、誰かが言っていたのを思い出す。

その時はよく分からなかったけれど、今なら分かる気がする。

さっきまであった不安が、消えていた。

感じた孤独も、今はない。

この手を握っていれば、もう大丈夫だと。

頭を撫でる・・・髪を梳くビクトールの手が気持ち良くて、私は握った手をそのままにゆっくりと目を閉じた。

 

 

翌日にはすっかりと熱も下がっていて、頭の中は妙にすっきりしていた。

汗でべとつく体が気持ち悪くてお風呂に入りたかったけれど、グレミオに『今日一日はしっかりと休んでください!』と釘をさされたので、仕方ないかと諦める。

すっかり回復したという事で、いろんな人がお見舞いに来てくれた。

入れ替わり立ち代りに来る人たちに、グレミオは少しも休養にならないと愚痴を零していたけれど、これだけたくさんの人に心配をしてもらっていたと思うと、申し訳ないと思いつつ嬉しさが込み上げて来た。

唯一気がかりだったシュウも怒った様子はなく・・・―――というか、メチャクチャ申し訳なさそうな・・・バツの悪そうな表情を浮かべて、『体調が悪いことを気付けなくて悪かった』と彼らしくもなく頭を下げられて。

明日は台風でも来るんじゃないかと失礼な事を思いつつ、やっぱり嬉しくもある。

昨夜とは一変してにぎやかになった部屋の中に、ビクトールもいた。

見舞い客に混じって部屋の中にいた彼は、ふと目が合うと不敵に笑う。

とてつもない弱みを握られてしまったような気がしつつ、けれど未だに手に残る温かな感触を思い出して、それも悪くないかもしれないと思う私は、やっぱりまだ熱に浮かされているのかもしれない。

「明日からは、またしっかりと働いてもらうからな」

ぼんやりとそんな事を思っていた私の耳に、シュウの容赦ない言葉が飛び込んできた。

オチまでつけるか・・・と半ば呆れつつも、自分で思っているよりそういう生活が嫌いでない私は、やっぱり重症なのだろう。

 

 

何年か振りに引いた風邪は、すごく辛かったけれど。

寂しくて、悲しくて、孤独を感じたりもしたけれど。

今のこの温かな気持ちを考えれば、意外と悪い出来事ではなかったのかもしれない。

まぁ、しばらくはごめんだけどね。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ありがちありがち。(笑)

風邪ネタです。

ほとんど勢いで書きました。勢いってすごい。(笑)

一応ビクトールサイドも書・・・きたいなとは思ってるんですが、いつになることやら。

本編ではビクトールと絡みが少ないので、ちょっと悪あがきしてみました。(笑)

作成日 2004.5.12

更新日 2010.7.25

 

戻る