失ってしまったものがあった。

守りきれなかったモノ。

己の手から、零れ落ちてしまったモノ。

どれほど腕を伸ばしても、何も掴めなかった手を握り締めて。

目の前にはただ、絶望だけが横たわっていたのだ。

 

この酷くも美しい世界

 

「ど・・・どうか、命だけはっ!!」

目の前に蹲るように自身を守る村人を見据えて、彼はその口端に邪悪な笑みを浮かべた。

ハイランド王国皇子・ルカ=ブライトにとって、人とは何の価値も見出せない存在だった。

ただそこにいて、そしていつかは自分に殺されるだけのモノ。

ハイランドの皇王である自分の父が、永きに渡って戦いを繰り返してきた敵国・ジョウストン都市同盟と和平交渉を交わしたと知ったルカは、そんな仮初の平和を壊すべく自国の少年兵の部隊を自らの手で壊滅させた。

そうとは知らず『卑怯な裏切り者の都市同盟』を憎む民たちは多く、その事実があったからこそルカは出兵を渋る皇王を押さえ込んで、都市同盟に乗り込んでくる事が出来た。

愚かな奴らだと、ルカはそれを隠そうともせず笑みを深くした。

非力な・・・何の力も持たない、都市同盟の人間たち。

それはハイランドも変わらない。―――すべてが愚かで、そしてすべてが憎い。

身体の底から際限なく湧き出してくる憎悪に身を任せて、ルカは己の望みのままに剣を振るった。

そうして築き上げてきた屍は、既に数え切れないほど。

手にこびり付いた血も、どこか心地良ささえ感じる。―――それと同時に、無性に嫌なものにも感じられた。

こうして虐殺を繰り返す事に、ルカは楽しささえ見出していた。

己の中の憎悪は留まる事無く、時を経るごとにルカの身体を蝕み侵食していく。

それを解放する手立てを、彼は他に思いつかなかった。

ただ心の中を占める渇きを潤すためだけに、彼は剣を握っていた。

 

 

都市同盟を統べるミューズ市の市長であるアナベルを暗殺し、次々と都市同盟の地を落としていくルカは、新たに決起した新都市同盟と名乗る組織と戦っていた。

けれどルカにとっては、それは何の驚異もない。―――ただ己の楽しみを増やすモノでしかなかった。

そんな彼らを追い詰め、もうすぐそこまで戦いが迫っているという時、ルカは新都市同盟軍を率いるという少年がすぐ近くで目撃されたという情報を得て、かつて自身が滅ぼした小さな村を占拠し、すぐ側にある山を軍を率いて登っていた。

こんな所で相手のリーダーを倒すのは王者としての戦いに相応しくないと、煩く言い立てる軍師を無視して、ルカはただひたすらその少年を手に掛けるべく頂上を目指す。

彼にとって戦い方などどうでも良かった。―――ただ、戦えればそれで。

既に辺りは暗闇に包まれ、しかし兵士が持つ松明の炎のお陰かそれほど視界は悪くない。

漸く頂上に辿り着き、新都市同盟のリーダーだという少年の姿を探そうと辺りを見回したルカは、そこに立つ1人の少女の姿を認めた。

松明の炎に照らされて、薄っすらとその姿を夜の闇に映し出す少女。

全身を黒い装束に包み、流れるような艶やかな黒髪と何の感情も読み取る事の出来ない無の表情が印象的で、暗闇の中に立つその少女はどこか儚く、しかし目を逸らせないほどの存在感を放つ。

人に与える印象がとてもちぐはぐで、それだけでルカはその少女に目を引かれた。

「・・・お前、何者だ?」

思わずそう問い掛けると、少女は微かに笑みを浮かべる。

それに僅かな苛立ちを感じ、それを言葉に乗せて更に少女に声を掛ける。

「・・・なにがおかしい?」

「別に・・・」

ルカに睨まれて、なおも笑みを崩さない少女。

ともすれば『くすくす』という笑い声さえ聞こえてきそうなほどで。

ルカは、その少女に少しばかりの興味を抱いた。

自分を目の前にしても、笑っていられる少女。―――そんな人間に、彼は今まで会ったことがなかった。

「ここに同盟軍の豚どもがいただろう?・・・・・・どこにやった?」

「さぁ?知らないわ」

当初の目的である都市同盟の人間の姿が見えないことに気付き、唯一この場にいる自分たちとは関係のない少女にそう問えば、さらりとその言葉を避わされる。

風のような・・・確かに目の前にいるというのに、掴み所のない彼女に更に苛立ち、ルカは鋭い視線で少女を見据えた。

少女の顔に、更に浮かぶ笑み。

人を惹き付けて止まない。―――吸い込まれそうなその目に、ルカも例外なく捕らわれた。

自分に向けられた、穏やかな笑み。

責めるでもなく、蔑むでもなく、ただ自分を見つめ返す目。

不意に忘れられない姿が少女と重なった。

彼自身が唯一大切だと思える人。

もうこの世にはいない・・・触れる事も触れてもらう事も出来ない愛しい人。

少女の持つ黒髪も、母性さえ感じさせるその眼差しも、とてもよく似ていて。

自分らしくないと心の中で苦々しく思うも、けれど言葉を発する事さえ出来ずにいたルカの耳に、戸惑ったようなジョウイの声が届いた。

「・・・クレオさん・・・・・・」

感情を込める事さえ忘れたような呆然とした呟きに、ルカはゆっくりと振り返る。

「あの小娘を知っているのか!?」

「あ・・・いえ・・・・・・ええ、以前ちょっと・・・」

そう言葉を濁すジョウイに、ルカはどういう知り合いなのかと問いただそうと口を開いた。

明らかに一般人とは違う雰囲気を持つ少女が何者なのか、それを知りたいと思った。

「少しよろしいですか?」

しかしそれはその場にいた男の言葉に遮られた。

ジョウイがどこからか連れて来た軍師。―――いつも口煩いほどのその男に罵声を浴びせる間もなく、彼は静かな口調で少女に問う。

「何故お前がここにいる・・・=マクドール」

耳に飛び込んできた聞き覚えのあるその名前に、ルカは驚き目を見開いた。

チラリと映ったジョウイの顔も、自分と同じように驚愕に染められているのを認め、そのまま悠然と立つ少女に視線を移す。

「「どういうことだ?」」

「どういうこと・・・とは?言ったとおりです。彼女は=マクドール。かつての赤月帝国を滅ぼした、『トランの英雄』です」

驚くルカとジョウイなど気にもせず、レオンは淡々とした口調でそれだけを告げた。

「クレオさんが・・・『=マクドール』?」

隠し切れない戸惑いを声に乗せて呟くジョウイとは裏腹に、ルカは腹の底から湧き出してくる興奮のままに少女・・・―――を見据えた。

この目の前の少女が、あの=マクドールか。

都市同盟の更に南に位置する赤月帝国、現トラン共和国であった戦いの事はルカも知っている。

長く続いた強大な国。

腐敗した王朝は民に想像以上の負担を与えていたのだろう。―――けれど反乱軍が立ったと噂を聞いた時も、ルカは何の感慨も抱いてはいなかった。

しかしその反乱軍が赤月帝国を打ち滅ぼし・・・そしてその反乱軍を率いていたリーダーがまだ幼い少女だと聞いて、少しばかりの興味を抱いた事はある。

どんな人物なのかと思っていたが・・・。

目の前に立つ『トランの英雄』は、彼が想像していた人物とは180度違うモノではあったけれど、会って見ればその疑問もそれほど違和感はない。

先ほど感じた常人とは違う雰囲気。

ただ微笑んでいるだけだというのに、それでも人に与える言葉にはし難い威圧感。

それは大軍を率いた主が持つ、常人には持ち得ないモノ。

「ほう・・・この小娘が?」

思わず漏れた笑みに、が微かに表情を歪めたのを目に映して、ルカはより一層笑みを深くする。

「こんな小娘に滅ぼされるようでは・・・赤月帝国も大した事はないな」

わざと口にした嘲りの言葉に、はゆったりと微笑んだ。―――しかしその目は冷たい光を宿していて、口は笑みの形を作ってはいても目は笑っていない。

「・・・私の事をどう言おうが、それはあなたの勝手だけど。でもみんなの事を馬鹿にするなら・・・私はあなたを許さない」

自分の言葉に不快を感じているだろうにも関わらず、それを決して口調に出さず静かに話すに、思わずルカの背筋を冷たいものが走った。

「一人前に吼えるか?その心意気だけは認めてやってもいいがな。所詮ただの小娘がこの俺に歯向かえると思うな」

「それはこっちのセリフだよ。ご希望ならお相手してあげてもいいよ?」

余裕さえ感じさせるそのセリフは、おそらく口だけではないだろうと思わせるほどの力があった。

目に宿る意思を感じさせる光。

声や言葉に込められた、抗い様のない強い力。

そして彼女から放たれる、自分が抱く闇と似た雰囲気。

そのどれもがルカを惹き付け、そして捕らえている。

何故、同盟軍に入ってもいないが同盟軍に味方するのか、ルカにはわからなかったけれど。

それもどうでも良いことだった。

ただ戦ってみたい。

どれほどの力を持っているのか。―――そしてどれほどの闇を抱いているのか、それが知りたかった。

そして・・・。

ただ手に入れたいと、ルカは久しく忘れていた殺戮以外の欲望を抱いていた。

 

 

目の前で座り込み、けれど剣を構えるを目に映す。

彼女の傍らには、忍だと思われる青年が1人。―――彼を庇い足に怪我を負ったは、もう既に勝敗が決したと思われるのにも関わらず、強い視線でルカを睨みつけていた。

の実力を侮っていたわけではない。

けれどここまでとは思っても見なかったというのが、ルカの正直な感想だった。

ともすれば押されてしまいそうなほどの力と、気を抜けばしてやられそうなほどの剣技。

独自の体術と剣技の組み合わせは、今まで経験してきたどれとも違う。―――流麗であり激しさも感じさせるの戦い振りは、鮮やかに瞼の裏に焼きついて離れない。

だからこそ、ルカは苛立った。

それほどの力を持っているにも関わらず、ただの忍を守る為だけに怪我を負った彼女に。

「愚かだな。そんな男など放っておけば、俺と対等に戦えていたというのに・・・」

「煩いよ・・・」

あっさりと、面倒臭そうに返された言葉に、ルカは微かに口角を上げた。

やはり手に入れたいと、そう思う。

このとてつもなく強くて、とてつもなく弱い少女を。

自分の中の乾きが、少しだけ薄れたような気がした。―――少女の存在が渇きを癒しているのだと、漠然とそう思う。

と言ったな?お前・・・俺と共に来い」

「・・・は?」

向けられた間抜け顔に、笑みが込み上げてくるのをルカは自覚する。

会ってから初めて見た、笑み以外の表情。

心底理解不能だと言わんばかりのその顔が、何故かとても可笑しくて。

「悪いけど・・・私は戦う術を持たない一般人を虐げる趣味は持ってないの」

何の偽りも怯えもなく告げられるストレートな言葉に、更に笑みが込み上げてきた。

ルカの行為を否定するような発言をしても、やはりその目には嫌悪も憎悪もない。

皇子という身分にも、彼が持つ権力や力にも頓着せず、狂皇子と呼ばれる程の行為にすら怯えのないその様子に、言葉に出来ないほどの興味が湧き出てくる。

こんな風に笑うのはいつ振りかと、そんな思いを抱きながらも最終宣告のように強い口調をに叩きつける。

「お前の意思は関係ない。俺がそう決めたのだから、お前に拒否権など無いのだ」

微かに寄せられた眉間の皺。

部下に指示を出し、を捕らえるように告げる傍ら・・・―――何かを企むようなの表情が気になった。

さぁ、これからお前はどうする?

このまま大人しく捕まるか?―――それとも・・・。

このまま捕まえたいと思う気持ちと、抗って欲しいという気持ち。

すぐに手に入るのが、惜しいとさえ思う。

そんなルカの思いと重なって、は怪我を負いながらもまんまとルカの前から姿を消した。

すぐに追跡をさせるが、捕まらないだろうという事は承知の上で。

=マクドールか・・・」

隣で複雑そうな表情を浮かべるジョウイを目の端に映して、ルカは愉快そうに笑った。

 

 

二度目の再会は、戦場で。

初めて会った時には都市同盟には関わりのなかった少女は、その後に都市同盟に加わりルカの前に姿を現した。

敵同士という、なんとも皮肉な巡り合わせに・・・しかし戦場に立つは、ルカの目には最初に会った頃よりもより一層輝いて見えた。

流石に『トランの英雄』の名は伊達ではないと、ルカは思う。

人を、軍を率いるのに申し分のないカリスマ。

戦う事を拒否しているように見えるというのに、それでも何の容赦もなく敵を切り伏せていくその姿。

その冷たい眼差しは、穏やかに微笑んでいた時とはまるで別人のようで。

やはり手に入れたいと思った。―――手に入れて、側に置いておきたいと。

 

 

3度目は、夜襲をかけた夜。

完璧に不意をついたと思われた夜襲は、けれどどこからか情報が漏れていたらしく、逆に万全の準備で迎え撃たれてしまった。

どこからか・・・ルカにその心当たりがなかったわけではない。

今夜夜襲を仕掛けると知っているのは、彼のごく身近な人間のみ。

その誰かが、故意に情報を流したのだろうと容易に想像できた。

けれどルカは、裏切られたなどという思いは抱いていない。―――そもそもルカは誰の事も信用していないのだ。

古くから仕える将も、自分の義弟になった少年も、彼が連れて来た軍師も。

最初から信用していないのだから、それは裏切られたという事にはならない。

ただ邪魔をされただけだ。―――すこしだけ、戦いが面倒になっただけの事。

次々に襲い掛かってくる都市同盟の兵士たち。

数に物を言わせる彼らを、ルカは侮蔑の視線を向けながら切り捨てていった。

どれほど数が多かろうと、ルカにとっては何の意味もない。

ただ積み重なる屍の山が増えるだけだ。

「ほう・・・まだ愚か者どもがいたか」

目の前に立つ同盟軍の戦士たちを見据えて、ルカは微かに口角を上げる。

「・・・悪いけど、貴方には私たちの相手をしてもらうわ」

そうしてルカは、再び少女と対峙する。

 

 

『私は・・・貴方を助けてあげたいと思った』

ルカの頭の中に、少女の少しだけ寂しそうな声が木霊する。

黙れ!―――声には出さずに、心の中でそう怒鳴りつけた。

『貴方が抱く深い闇から・・・』

けれど、少女の声は止む事はない。

繰り返し、繰り返し・・・ただ先ほど告げられた言葉だけが頭の中をグルグルとまわる。

『貴方を救い出してあげたいと・・・』

ならば、何故・・・俺の元へ来ない?

自分ととても良く似た、淀んだ闇を纏う者。

けれど少女は、自分とは違い・・・その闇に囚われてはいない。

闇を感じさせるというのに・・・消えてしまいそうな儚さを見せるというのに、それでもその背に、瞳に、眩しいほどの光を宿している。

が門の紋章戦争で何をしたのか、ルカは知っていた。

多くの人間を殺し、多くの血を浴びてきただろう。―――父親さえその手に掛けて、は戦ってきた。

同じ筈だ。

今までしてきた事も、父殺しという罪も、自分と同じ筈だというのに。

なのにどうして、2人はこんなにも違うのか?

分からないから、更に苛立つ。

今までこんな考えを持った事など、ただの一度もないというのに。

すべてはあの少女のせいだ。―――自分を捕らえて離さない、あの強い眼差しの・・・。

苛立ちに任せて剣を振り上げる。

目の前には幼い少女と、それを庇う身体の大きな男。

ルカはニヤリと口角を上げた。

この後手に来るだろう馴染みのある感覚を思い出して・・・―――それだけで、この苛立ちも乾きも癒されるだろうと想像して。

何の躊躇いもなく振り下ろされた剣が、ルカにとっては心地よい衝撃を伝える。

「・・・・・・っ!?」

けれど目の前にあったのは、男の大きな背中でも崩れ落ちる姿でもなくて。

ルカは思わず息を呑んだ。―――心臓が凍りついたように冷たくなる。

ルカの目に映ったのは、華奢な身体。

見覚えのある後ろ姿。―――それは先ほど別れた、ルカがらしくもなく執着を見せる少女。

!!」

男が少女の名前を叫んだ。

何の躊躇いもなく振り下ろされたルカの剣は、の背中を右上から左下にかけて大きく切り裂いている。

呆然と自らの剣に視線を向けた。―――そこに付着する、赤い血の色。

ゾクリと背筋に悪寒が走った。

力なく崩れ落ちる少女の体は地面に伏す前に男に支えられるが、ピクリと動く様子もない。

何だ?何が起きたというのだ?

呆然とするルカの脳裏に、疑問ばかりがグルグルとまわる。

!!」

「お嬢!!」

男たちの重なり合う悲鳴のような叫びに、ルカはハッと我に返った。

少女の傷ついた身体を守るように、自分を睨みつけてくる2人の男を見る。

いつの間にかその場にいた金髪の男。―――いつこの場に現れたのかも分からないほど、ルカは動揺していた。

「ふん・・・馬鹿が」

ポツリと素直に出てきた言葉を吐いて、そのままに背を向ける。

馬鹿だと思った。

自分と対等に戦えるだけの強い力を持っているのにも関わらず、他人を庇って瀕死の重症を負うなんて・・・―――自らを犠牲にしてまで、助ける価値のある人間がいるのかと。

「・・・・・・馬鹿が」

今まで数え切れないほどの人間を切り捨ててきたというのに、この後味の悪さは一体なんなのだろう?

心臓が締め付けられるような痛みを、ルカは知らない。

後悔ばかりが湧き出てくるこの感情を、ルカは知らなかった。

血に濡れた剣を携えながら、ルカは早足にその場を去った。

青白い顔をしたを見ていたくなかった。―――今にも死んでしまいそうな少女を、見ていたくなかった。

自分がいなくなることで、出来るだけ早く治療できるのならと・・・訳も分からぬ中でただそれだけを思った。

 

 

重い身体を引きずりながら、ルカは静けさを取り戻した森の中を1人歩いていた。

身体に纏った鎧が重い。―――それは初めて感じる感覚で。

先ほどまで無数にいた同盟軍の兵士たちは、今どこにも姿はない。

すべて切り捨ててしまったのだろうか?

ふとそんな考えが脳裏に過ぎり、馬鹿な考えだと自嘲的な笑みを浮かべる。

「・・・・・・くっ」

ガシャリとなる鎧の音が妙に耳障りだった。―――すぐに脱ぎ捨ててしまいたかったが、そういうわけにもいかない。

何かに導かれるように、ルカはひたすら森の中を歩き続ける。

しばらくすると開けた場所に辿り着き・・・そこに立つ巨大な木を認め、何気なくそこに身を寄せた。

暗闇に包まれた森の中。―――光源は空に輝く淡い光を放つ月と星しか存在せず、それはこの広い森を照らすには不十分なものだった。

一寸先は闇・・・ただ木々のざわめく音だけが辺りを支配する。

不意に心の奥底から言い知れぬモノが湧き上がってくるのを感じた。

ルカにとっては久しく覚えのない感情。

それは先ほど倒れた青白い顔をしたを見たときと同じモノ。―――訳もなく不安で寂しく思わせる何か。

「これが・・・恐怖というものか・・・」

漸くその感情の正体に気付いたルカは、小さく呟いて自嘲する。

恐怖しているだと?この俺が。

己に問い掛けて、更に笑みを浮かべた。

細く長い息を吐き出して、視線を上げる。―――そこにあった小さなモノに、ルカは漸く気付いた。

大木に括りつけられた、手の平にすっぽりと収まってしまいそうな木の箱。

「木彫りの・・・お守り?」

一体誰がこんな場所に・・・?

興味を引かれてそれに手を伸ばす・・・と、中で何かが光っているのに気付いた。

何の躊躇いもなく木彫りのお守りを手にして、そっと蓋を開ける。―――するとフワリと何かがお守りの中から舞い出てきた。

淡い光を浮かべる指先ほどの大きさの・・・それは蛍だった。

「何故、蛍が・・・」

お守りの中に入っていた蛍は一匹ではなかった。

次々と飛び出す淡い光たちを目に映し、ルカはふと目を細める。

ちっぽけな光だというのに・・・それは暗闇を照らす何の効果も望めないというのに。

なのにその光が、無性に温かなものに思えて。

その光が、の目に宿る温かな光のように思えて。

美しいと、そう思った。

途端に全てが色を取り戻す。―――何気なくそこにある木々も、空に輝く月も、今まで何の感慨も抱いていなかったすべてが、無性に綺麗なモノに見える。

心の中に溢れて止まなかった渇きが、波が引くように消えていくのを感じる。

ルカは言葉もなく、その光に見入っていた。―――ユラユラと空へ登る、淡い光に。

「あそこだ!矢を放て!!」

その怒声が聞こえた時にはもう遅かった。

空を仰ぎ見ていたルカが振り返ったと同時に、彼の目に無数に飛来する矢が映る。

けれど焦りはなかった・・・恐怖すらも。

ただ妙なほどの安堵感と、少しの心残りを抱いてルカは静かに目を閉じた。

瞼の裏に、先ほどのの柔らかな眼差しが甦る。

出会ってからまだそれほど経っていない。―――数回しか顔を合わせなかった少女が、どうしてこんなにも心の中に残っているのだろう?

母親に似ていたからだろうか?

それとも大軍を率いたリーダーとしての、人を惹きつける力だろうか?

ルカは微かに笑みを浮かべた。

そのどれもが違うと、ぼんやりとした意識の中で思う。

自分に向けられた眼差し。

畏怖でも憎悪でもなく、ただ人を癒す温かな微笑み。

そんな眼差しを向けられた事が、今まであっただろうか?

出会って間もない・・・自分とは全く関わりがなく、自分がしていたことに反発すら抱いていたというのに―――なのにどうしてあんな表情が出来るのだろう。

は無事、命を取り留めただろうか?

そんな想いを最後に、ルカの意識はぷっつりと途絶えた。

 

 

「・・・ルカー?」

少女の声に反応して、小さな銀狼は伏せていた顔を上げた。

声に続いて足音が響き、一拍置いた後にドアが開く。―――そこから顔を覗かせた少女の姿を認めて、銀狼は素早く身を起こして少女の足元へと駆け寄った。

「ルカ、大人しくしてた?」

「・・・グルル」

まるで言葉が分かるかのようにタイミングよく声を上げた銀狼を見下ろして、少女は穏やかな笑みを浮かべる。

そのままその小さな身体を抱き上げて、腕の中で大人しく身動きしない銀狼の良質の毛並みを撫でながら、少女は部屋を出た。

戦いは未だ終わってはいない。

ルカ=ブライトを倒せば全ては終わると思われた戦いは、未だ終わる気配すら見せない。

あの戦いで、少女は背中に大きな傷を負った。―――その傷跡はそれを付けた男の想いと同じように消える事無く、今も彼女の背中に刻まれている。

騒がしい本拠地の廊下をゆっくりとした足取りで歩きながら、開け放たれた窓から身を乗り出すようにして、は晴れ渡った空を見上げた。

最後の最後で、ルカが己の心の闇を解放できたのか・・・それはには分からない。

それを知る術もない。―――もうルカはこの世にはいないのだから。

けれど・・・。

「いい天気だね、ルカ」

「・・・・・・クゥ」

小さく鼻を鳴らした銀狼を見下ろして、はクスクスと笑う。

ルカが最後に何を思ったのかは分からないけれど。

それでも、今この場にある穏やかな空気は変わらない。

少なくとも、と幼い銀狼にはそれで十分だった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

戦いを通してのとの出会い、ルカヴァージョン。

偽物もいいところだとか、まとまりがないとか、ありえないとかはこの際置いておいて。

書きたいと思っていた話なので、それなりに満足です。(1人で)

作成日 2004.5.30

更新日 2008.11.2

 

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