彼女は、光。

彼女は、憧れ。

手の届かない存在だった彼女は今、すぐ側にいる。

 

青年の主張

 

静かな部屋の中に、絶えず走るペンの音と紙の擦れる音だけが響いている。

久しぶりに暇を持て余したカミューは、たまにはのんびりとお茶でも飲もうと相棒の部屋を訪れた。―――のだが。

「・・・何をやっているんだ、マイクロトフ」

目の前の光景に、カミューは訝しげに首を傾げた。

思わずそう聞きたくなるほど、マイクロトフの行動は珍しい物だったからだ。

「見て解らないか?」

自分のデスクに向かい、その上に散らばった書類と格闘しているマイクロトフ。

カミューとてマイクロトフが何をしているのか、本当に解らないわけではない。―――ただ己の目が信じられないだけで。

自分が言うのもなんだが、マイクロトフは真面目だとカミューは思う。

自分に課せられた役割や責任はきちんと全うするし、嫌な顔を見せる事もない。

けれどどちらかと言えば彼は肉体労働派であり、イメージから言っても部屋で書類とにらめっこなど想像もつかない。―――どちらかといえばカミューの方がぴったりと来るくらいだ。

もちろん騎士団にいた時とて、騎士団長という位にいたのだから書類処理は仕事の内に入ってはいたが、大抵は彼の部下がそれを請け負っていたし、マイクロトフ自身も書類処理を得意としていない自覚もあったので・・・簡潔に言えば、こんな風に書類と格闘しているマイクロトフを見るのは、他の誰よりも彼と長く共に居るカミューにしても至極珍しい事だったのだ。

どうして彼が一心不乱にデスクワークに没頭しているのかは、聞かなくても想像がつく。

おそらくは彼の隊の大将であるの負担を減らそうという、マイクロトフなりの気遣いなのだろう。

それが分かっていて聞いたのは、それなりにカミューが動揺していたからか。

ともかくも、これだけ頑張っているマイクロトフの邪魔をしないようにと、カミューは静かにテーブルに向かった。―――この場を去ろうという気はないらしい。

極力物音を立てないように椅子を引き、無言のまま座る。

そして何をするでもなく、カミューはぼんやりと相棒の背中に目をやり、これ程この男を駆り立てる存在であるに思いを馳せた。

初めて=マクドールの名前を聞いたのは、もう4年ほど前のことだ。

隣国・赤月帝国(現・トラン共和国)で内乱が起きているという話を聞いた。

長く続いた強大な国。

北のハルモニアほどではないが、十分に力と歴史を持つそこで国を揺るがすほどの戦いが起きていると聞いた時は2人共驚いたものだ。

そしてその話と同じように流れてきた噂に、更に驚いた。

国を相手に戦っている反乱軍のリーダーが、若干16歳の若き少女だというのだから。

帝国5将軍テオ=マクドールは、都市同盟でも有名だ。―――そのマクドール将軍の息女が帝国を裏切り反乱軍に身を投じたという。

破竹の勢いで進軍する反乱軍。

負け知らずのそれを率いる少女に、2人は少なからず興味を覚えた。

マイクロトフに至っては、会った事すらないというのに憧れのような感情まで抱いているようで・・・暇を見つけては少女の話をしたのを、カミューは覚えている。

どんな少女なのだろうか?

自分たちよりも遥かに年下で・・・けれどリーダーという任を全うしている人物。

きっと素晴らしい人物に違いない。―――そう力説していたマイクロトフの姿は、今でも鮮明に思い出せた。

いつか会ってみたい。

いつもそう結論付けては、また同じような話を繰り返していた。

実際に会える機会などないだろう。―――彼の者は戦争が終わった後姿を消したと噂で聞いていた。

そんな人物が、ある日突然自分たちの前に現れたのだ。

腰の辺りまで伸びた艶やかな黒髪と、見惚れてしまいそうな程整った顔立ち。

儚ささえ漂わせるその風貌に、しかし向き合えばそんな思いは彼方へと吹き飛んだ。

強い意志を宿した目。―――深い闇色のそれは、引き込まれそうなほど深い。

威厳さえ漂わせる凛とした佇まいに、これがあの『トランの英雄』なのかとすぐに納得できた。

実際に言えば、想像していた人物とは全く違う。

の華奢な身体からは剣を持って戦う姿なんて想像もつかなかったし、そんな彼女が過酷な戦いをどう乗り越えてきたのか不思議にすら思う。

それでも目を逸らすことの出来ない存在感に、人の上に立つ器であることは疑い様もない。

同盟軍に来てすぐ、マイクロトフと手合わせをしたを思い出してカミューは思わず苦笑した。―――見かけに惑わされれば痛い目に合うという言葉を、つい先日思い知ったばかりだ。

が同盟軍に加わる以前に、マイクロトフがミューズで一度会っていたと言う話を聞いた時はカミューも驚いたが・・・。

「・・・よし!」

ぼんやりとしていたカミューの耳に、満足気なマイクロトフの声が届いた。

視線を向ければ、完成したばかりの書類を誇らしげに掲げているマイクロトフの姿が目に映り、やはり苦笑を浮かべる。

書類の処理を終えたことが嬉しいのか、それともその書類を持ってに会いに行けることが嬉しいのか。―――間違いなく後者だろうと安易に想像がついて。

殿の所へ行くのか?」

「ああ、すぐにこれを渡したいからな」

即答で返ってきた返事に、微笑ましいと思いながらやんわりと笑みを浮かべる。

とマイクロトフを見ていると、飼い主と忠犬に見えて仕方がない。

それほどマイクロトフはを慕い、敬愛している。

それが恋愛感情なのかそうではないのか、カミューは判断を下せずにいた。

の噂を聞いて彼の者に思いを馳せていた時は、純粋な憧れだった筈だ。

では、今はどうなのだろう?

共に戦い、話をする事が出来て、手を伸ばせば触れられるほど近くにいる今は?

もしもマイクロトフがに抱く感情が恋なのであれば、カミューはぜひ協力してやりたいと思っている。

恋愛事に不器用で、そして今までそういったモノに縁遠かったマイクロトフが抱いた淡い恋心。―――ぜひとも成就して欲しいと思う。

けれどを狙う人間が多い事も事実で。

そんな強敵たち相手に立ち向かえるほど、マイクロトフが器用ではない事をカミューは一番よく知っていたから。

聞いてみたい衝動に駆られるが、そこはグッと抑える。

彼がそれを自覚しているかどうか怪しいところだ。―――まぁ、聞かなくとも彼の行動を見ていれば疑い様もないのだけれど。

けれどそれを自覚させるのは、もう少し後でも良いかとカミューは思い直す。

争奪戦に参加するなら出来るだけ早い方が良いが、今現在カミューはそれほどと親しい間柄ではないのだ。

が同盟軍に参加してから少し・・・―――その短い期間の間、けれどカミューはほとんどとの接触はない。

会えば挨拶は交わすし、共に戦った事だってある。

けれど2人でゆっくりと話したことは、全くと言っていいほどないのだ。

はとても忙しい身の上にある。―――それはマイクロトフが書類処理をしている事から見て、どれほど忙しいのかは考えなくとも想像がついた。

軍師の補佐に、自らの隊の仕事。―――にとても懐いているリーダーの遠征の共をする傍ら、戦災孤児たちの勉強を見たりもしている。

ごくたまに見る自由時間も、彼女の側には常に誰かがいる。

大抵は元解放軍のメンバーたちだ。―――その親し気な雰囲気に、知り合って間もないカミューが割り込んでいけるわけもなかった。

彼に恋心を自覚させるのは、自分がもう少し親しくなってからの方が良い。

そうでなければ、協力どころの話ではないのだから。

それに・・・とカミューは、いそいそと身支度をしているマイクロトフに目を向ける。

そうそう目立って『トランの英雄』を口説ける人間などいやしないのだ。―――その存在故に、どうしても強引に行動できる人間は少ない。

「では、行って来る。わざわざ来てくれたのにすまないな」

申し訳なさそうに顔を顰めるマイクロトフに、カミューは朗らかな笑みを向けた。

「私が勝手に来たのだ。お前が気にするほどのことじゃない」

「・・・そうか?ありがとう、カミュー」

安心したように頬を緩めるマイクロトフは、すぐに書類を抱えなおしてドアへと足を向けた。―――その背中を見送りながら、カミューはふとあることを思い出した。

「そうだ、マイクロトフ」

「どうかしたのか?」

ドアに手をかけたまま振り返ったマイクロトフを見据えて、カミューは脳裏に甦ったある光景に思い出す。

そしてそのままに、疑問に思ったことを口にした。

「最近の殿・・・少し元気がないと思わないか?」

問い掛ければ、マイクロトフは少しばかり眉を寄せる。

どうやら彼も同じ思いを抱いていたらしい。―――マイクロトフはドアノブから手を離すと、カミューと向き直る。

「・・・やはり、そう思うか?」

「ああ・・・」

簡潔な肯定の言葉を返して、昨夜見たばかりの光景を再び思い出す。

屋上から更に屋根に登り、そこから月を眺める

が屋根の上にいるのは、そう珍しい事じゃなかった。―――1人になる事は滅多にないが、それでも一日に一度はそんな風に1人でいる。

そんな時は不思議と誰も声をかけない。

かけるとすれば彼女の付き人かビクトールくらいだ。

そんな風に珍しい光景ではないそれが、昨日はやけに気になった。

淡い月明かりを受けて佇む

いつもよりも一層儚く、ともすれば消えてしまいそうなほど。

憂いを帯びたその横顔は、まるで人ではないと思えるほど綺麗で・・・。

遠く離れた場所で見ているカミューにさえ、ため息の声が聞こえてきそうな様子がとても印象に残っている。

「何か・・・悩んでおられるのだろうか」

先ほどの明るさはどこへやら・・・―――見るからに沈んでしまったマイクロトフに、カミューは微かに慌てた。

何とか場の雰囲気を取り返そうと、カミューは必死に頭を回転させて。

「もしかして・・・あれじゃないか?」

「・・・?もしかして心当たりがあるのか!?」

勢い良く反応を見せる相棒に、カミューは微かに口角を上げた。

「ああ。きっと殿は、お前のことで悩んでいるんだよ」

「俺のことで!?」

カミューが驚くほど大きな声を上げ狼狽するマイクロトフを目に映し、カミューはそのまま言葉を続けた。

「そうだ。お前、殿が同盟軍に来た時突っ掛かっていただろう?『女性を大将として認めるわけにはいきません!』と・・・」

「あ、ああ。だがそれは・・・」

「きっと殿は、今でもそれを気にしているんだ。けれどそれをお前に言うわけにもいかずに、1人で悩んでいるんだろう」

そう言って顔を伏せる。

別に思い悩んでいるわけでは決してない。―――そうしなければ笑い顔を見られてしまうからだ。

案の上マイクロトフはカミューの言葉を真に受けて、サッと顔を青くする。

「ど、ど、どうしたら良い!?どうすれば誤解を解ける?」

「謝るしかないだろう、誠心誠意を込めて。きっと殿なら快く許してくれるさ」

「そうだな・・・。ありがとう、カミュー!」

俯いたままのカミューの手を取り礼を告げたマイクロトフは、書類を抱えたまま部屋を飛び出して行った。

完全にマイクロトフの気配がなくなった後、カミューはゆっくりと顔を上げて。

開け放たれたままのドアを閉めてから、漸く肩を震わせて笑いを零した。

あれほど簡単に騙されてくれるとは思っても見なかった。―――いや、解っていてやったのだ。

以前に突っ掛かっていったことを、彼が後悔しているのをカミューは知っていた。

あれから時間が経っていて、今は友好的な雰囲気である事からタイミングを図りかね、今まだ謝れないまま後悔している事も知っている。

だから謝る機会をやろうと思って、ああ言ったのだけれど・・・。

「あ・・・相変わらず、からかいがいのある・・・・・・」

湧き上がってくる笑いを堪えきれず、息を切らしながら呟いた。

例えカミューがマイクロトフのことを思って言った言葉なのだとしても。

彼がマイクロトフをからかうのが好きだということに間違いはない。―――そしてだからこそ、ああいう言い方をしたのだということも。

「まぁ、頑張れよ」

目に涙を浮かべるほど笑った後、カミューは今はいない相棒の姿を思い浮かべて激励の一言をかけた。

 

 

殿!!」

唐突に耳に飛び込んできた自分を呼ぶ大きな声に、は広げていた本から顔を上げた。

何事かと慌てて辺りを見回すと、少しばかり離れた場所で自分の名前を叫びながら慌ただしく駆け回る青騎士の姿が見える。

「・・・マイクロトフ?」

訝しげに眉間に皺を寄せて、その青騎士の名前を呟く。

相当に慌てた様子だ。―――もしかして何かあったのだろうか?

ふとそんな考えが過ぎり、は手の中の本をパタリと音を立てて閉じると、二階の踊り場から身を乗り出した。

「どうしたの、そんなに慌てて!何かあった?」

殿!?そこにいらしたか!!」

パッと笑顔を浮かべて、入ってきた時と同じ勢いで階段を駆け上がってくるマイクロトフを目に映しながら、どうやら自分の考えが杞憂だったのだと察した。―――今のマイクロトフからは、同盟軍の危機を感じさせる雰囲気はない。

殿!俺は殿にお話したい事が!!」

「ああ、うん。解ったから・・・だから少し声のトーンを落とそうね。ここ、図書館だから」

そう、とマイクロトフが今いる場所は、本拠地内に存在する図書館だった。

いつも騒がしい同盟軍本拠地において、一・二を争うほど静かだと定評がある場所だ。

それがマイクロトフの出現で見る影も無い。―――は、先ほどから向けられる鋭い視線に少しばかり居心地の悪さを感じていた。

「そ、それは申し訳ありません!!」

「うん、だからさ・・・」

本当に解ったのかと聞きたいくらい、マイクロトフの声のトーンは下がらない。―――どころか、恐縮したせいか更に声は大きくなる一方だ。

は呆れた表情を浮かべながら、今なお大声で話すマイクロトフを見た。

どうやらパニくっているようだ。―――何があったのかは解らないけれど、マイクロトフがこれほどパニくるのだから、余程のことがあったんだろう。

いや・・・着火剤の如く火の付きやすい素直な性格をしているマイクロトフの事だから、もしかしたらそれほど大した事ではないのかも・・・。

さて、どうしたものか。―――と挙動不審なマイクロトフを見上げて、はため息を零した。

「・・・さん」

「はい。・・・エミリアさん?」

不意に背後から声を掛けられそちらを向くと、棚の影からこの図書館の管理者であるエミリアが顔を出していた。

「申し訳ありませんが、もう少し静かにしていただけませんか?」

「いや、私に言われても・・・」

「貴女に言わずして、誰に言うというのですか」

エミリアにはマイクロトフ本人に注意を促す気は無いらしい。―――まぁ、今のこの状態のマイクロトフを相手にするには、相当の勇気がいるであろうが。

おそらくエミリアが棚の影に隠れてこちらを窺っているのも、いつ暴走するか解らないマイクロトフを怖れてのことなのだろう。―――まるで猛獣扱いだなと、は苦笑した。

「図書館は静かに本を読むところです。騒がれては他の利用者に迷惑がかかります」

「それは解ってるけど・・・」

寧ろ私も利用者なんだけどと言いたくなったが、聞き入れてもらえないことは容易に想像がついたのでは大人しく口を噤んだ。

「どんな手を使っても構いませんから、マイクロトフさんを図書館から追い出してください」

「どんな手を使ってもって・・・・・・私にどうしろと」

「お願いします」

キッパリと告げられ、会話を強制終了されたは、もう一度深いため息を吐き出した。

ゆっくりと辺りを見回せば、見覚えのある顔がこちらを窺うように見ているのが解る。

見てないで手を貸すぐらいのことしてくれれば良いのにと、は思う。

当分、ここへの出入りは諦めた方が良さそうだと心の中で呟いて。

深く深呼吸するように息を吸い込むと、鋭い視線をマイクロトフに向けて、心持ち低めの声で彼の名前を呼んだ。

「マイクロトフ、落ち着きなさい」

「・・・・・・っ!!」

に名前を呼ばれたマイクロトフは、先ほどまでの暴走が嘘のようにピタリと口を閉ざしてを見下ろした。

やはり効果は絶大だと、は改めて思う。

相手を鋭い視線で見据えて、普段よりも声のトーンを落とす。

この方法を取れば、大抵の人間は怯んでくれる。―――が解放軍時代に得た特技だ。

別に脅しているわけではないとは思うのだけれど、昔『それは脅しているというんだ』と青いマントの青年に嘆かれた事があった。

「・・・殿」

一方・・・―――我に返ったマイクロトフは、向けられる射るような目に呆然と立ち尽くしていた。

引き込まれそうなほど、強い光を放つ漆黒の瞳。―――見る者を捕らえて離さない深い色。

「いい?よく聞いて、マイクロトフ」

耳に心地良く響く諭すような声に、マイクロトフはただ1つ頷いた。

「ここは図書館よ。ここにいる以上、静かにする義務があるの。解るでしょう?」

反論を許さない強い声。―――言われている内容が馬鹿らしい事なのだという事に、マイクロトフには気付く余裕など無かった。

「・・・はい、申し訳ありません」

目を逸らす事も出来ず、ただ申し訳ない思いで一杯のマイクロトフは、先ほどの暴走振りが嘘のように、静かな声で謝罪した。―――その瞬間の目が柔らかな色を浮かべ、突然の変化に耐え切れないとでもいうように、マイクロトフの心臓が大きく跳ねた。

「何か話があるんでしょ?聞くから、とりあえず外に出ようか」

柔らかな笑みを浮かべるに促されて、マイクロトフは辺りを見回した。

こちらに向けられている批難の目に漸く気付き、思わず顔を赤く染め上げる。

自分は一体、何てことをしたのだろうか。―――マイクロトフは恥ずかしさと、そしてに対する申し訳なさで一杯になる。

ともかく一刻も早くここを出た方が良いと判断して、促されるままと共に図書館を出た。

外は静まり返った図書館内とはまるで別世界のようだとマイクロトフは思った。―――あちらこちらで上がる活気に満ちた声と、子供たちの楽しそうなはしゃぐ声。

固まっていた体から力が抜けるのを自覚した。

どうもああいう場所は苦手だと、マイクロトフは改めて思う。

「それで、どうしたの?ずいぶん慌ててたみたいだけど・・・」

緊張で強張った体が緩んだのと同時に、どうやら気も緩んでいたらしい。

突然話を切り出されて、マイクロトフは咄嗟に握り締めていた書類を差し出した。

「こ、これを!確認していただけないかと思いまして・・・」

知らず知らずの内に強く握られていた書類は、ぐしゃぐしゃに潰れていた。

皺の寄った書類を苦笑交じりに受け取ったは、それを丁寧に伸ばしながら言われた通り書類の確認をする。

の真剣な目が、紙面に並んだ文字を素早く追っていく。

半ば伏せられた目に、長いまつげが影を差して・・・―――たったそれだけのことなのに、どこか憂いを帯びているようにマイクロトフには見えた。

「うん・・・大丈夫、完璧だよ」

「そ、そうですか?」

慣れない書類整理に、間違いはないかと不安を抱いていたマイクロトフは、そんなの言葉に表情を緩ませた。

はそんなマイクロトフの顔を申し訳なさそうに見上げて。

「本当にごめんね。いろいろ仕事押し付けちゃって・・・」

「い、いえ!殿のお役に立てるのであれば、これくらい・・・」

「そんな事言って・・・。みんな私を甘やかすのが上手いんだから」

そう呟いて、は困ったように苦笑する。

それに釣られて、マイクロトフも微かに笑みを浮かべた。

みんながの手助けをしたいと思うのは、自身が頑張っているからだ。

それこそ寝る間も惜しんで仕事をする。―――けれど疲れた様子など微塵も見せないから、周りの人間はいつ倒れるかとハラハラし通しなのだ。

出来る限りの負担を減らしたい。

自分に出来る事などたかが知れているとマイクロトフは思うけれど、だからこそ自分に出来る事は精一杯やろうと思う。―――それが彼の長所でもあった。

「それじゃあ、これは預かっておくね。こっちで処理したものと一緒に、シュウに渡しておくから」

「お願いします」

しっかりとの手の中に治まった書類を目に映して、マイクロトフはホッとしたように息をつく。

とりあえずは自分の責任を果たしたと安堵するマイクロトフに、は意味有り気な視線を向けて・・・。

「それで?本当の用事はなんだったのかな?」

「うっ!」

告げられた言葉に、マイクロトフは馬鹿正直に声を詰まらせる。―――これでは他に理由があると言っているようなものだ。

「ど・・・どうして?」

解ったのかと声に出す前に、マイクロトフの言いたい事を正しく察したが呆れたように苦笑した。

「だって・・・書類を提出する為だけに、あんな鬼気迫る面持ちで来るとは思えないもの」

あまりにもっともすぎる返答に、マイクロトフは更に言葉を詰まらせた。

「それで、どうしたの?何か悩み事でも?」

先ほどのマイクロトフの行動を、何か悩みでもあるのではと推理した。―――あながち外れてはいないその推理に、マイクロトフは動揺した。

まるで自分の心の中を見透かしていそうな、の強い眼差し。

掛けられる言葉は、一言一言が心の奥底に浸透していくようで・・・。

自分よりも小さい身体だというのに、から放たれるすべてを包み込むような気配。

威厳すらも漂わせるその姿は、『トランの英雄』の名に恥じぬもので。

ずっと会ってみたいと思っていた隣国の英雄。―――若干16歳の・・・しかも少女だと聞いていたにも関わらず、尊敬の念さえ抱いていた。

そして叶わないと思っていたその人物に会い、外見こそは予想外だったものの、その内に秘める様々なものは抱いていた通りの姿。

それなのに何故、あんな事を言ってしまったのだろうか?

『俺は女性を戦場に向かわせるのは反対です!』

言った言葉に偽りはない。―――それがマイクロトフの本音であり、また信念でもある。

けれどが言った『私は女性である前に、1人の戦士だ』という言葉もまた、彼にとっては納得の出来るものだったというのに。

きっとは、自分が想像する以上の過酷な戦いの中を駆け抜けてきたんだろう。

それこそ自分とは比べ物にならない程。―――反発を覚えてはいても、結局はマチルダ騎士団長の元で汚い現実から守られていた自分とは。

が自らの父を討ったと聞いたときも、ただ心の強い人だと・・・自分の辛さなど省みず仲間の為を思える凄い人だと、安直に思った。

そして巡り会ったその人は、噂に違わない人物で。

伝え聞く英雄伝。―――その人物がどれほど己の罪に苛まれているかなんて、マイクロトフは考えもしなかった。

目の前の・・・この華奢な身体の少女が、一体どれほどの苦しみを抱いてきたのか。

「マイクロトフ?」

訝しげな色の声色に、マイクロトフは自らの思考を振り切る。

「はい、なんでしょう?」

「いや・・・なんでしょうって言われても・・・」

それを聞きたいのは私の方なんだけど・・・と呆れたように呟くのいつもよりも少しだけ幼い表情に、マイクロトフは微かに笑みを零した。

そしてすぐに表情を引き締めると、真摯な眼差しでを見据える。

殿。数々のご無礼、本当に申し訳ありませんでした」

「・・・は?」

イキナリの謝罪と、深く下げられた頭に、は訳が解らず声を上げた。

「えっと・・・何が?」

「以前貴女に告げた無礼な言葉についてです」

「無礼?・・・・・・何か言われたっけ?」

本気で解らないと首を傾げるに、マイクロトフは苦笑する。

「貴女の元で戦える事を、俺は誇りに思っています」

控えめに伝えられた言葉に、は漸くマイクロトフの謝罪の意味を悟った。

まだそんな事を気にしていたのか・・・と苦笑する。―――あれからどれほどの時間が経っていると思っているんだろうか?

「・・・ありがとう、マイクロトフ」

どう返答しようか迷って、結局感謝の言葉だけを告げた。

するとマイクロトフは嬉しそうに微笑んで・・・しかし釘をさすことも忘れない。

「けれど、貴女が女性である事に変わりはないという自分の想いは変わりません」

「・・・あのね」

さっきの言葉はなんだったんだと言いた気なの言葉を遮って、マイクロトフは決意に満ちた表情で言った。

「ですから、私が貴女の盾となります。この身を以って貴女を守ると誓います。騎士の誇りに賭けて」

キッパリと力強い口調で告げられた声と、そして示された決意に、は驚いたように目を見開きマイクロトフの顔を凝視した。

本音を言うならば・・・は盾などいらない。

誰かを盾にするくらいなら、どんな痛みでも負う覚悟だ。

もう誰も傷ついて欲しくない。―――誰も、失いたくない。

けれど何を言っても、この騎士はこれ以上譲ってはくれないだろうと思う。

これは他の誰でもない、彼自身のプライドの成せるものなのだろうから。

だからは、やっぱり少し不本意ではあるけれど。

けれど間違いなく感じる嬉しさを隠す事無く笑顔に変えて。

「ありがとう」

の告げた感謝の言葉と笑顔に、マイクロトフの顔がサッと赤く染まった。

それはマイクロトフが見た中で、一番綺麗な笑顔。

不意に早くなる鼓動の意味を正しく理解する間もなく、マイクロトフは襲い来る正体不明の感情に翻弄されつつも、その笑顔に魅入っていた。

 

 

●おまけ●

 

「そういえば、最近元気が無いようですが・・・」

不意に零れたマイクロトフの言葉に、思わず目を丸くする。

「そうかな?そんな事無いと思うけど」

「いえ。殿はお疲れなのでしょう。少し休養を取られてはいかがですか?」

心配顔を浮かべたマイクロトフの追撃の手は止まない。

一体誰がマイクロトフにそんな事を吹き込んだのかと思いながらも、それでもにっこりと微笑んで。

「大丈夫だって。ちゃんと休みは取ってるから」

そう告げるも、彼がその言葉だけで納得してくれるはずがなかった。

「ビクトール殿から、殿の『大丈夫』は信用するなと言い含められています」

不意に頭に浮かんだビクトールの姿に、苦々しい思いと共に諦めの気持ちが湧いてくる。

今回マイクロトフに変な知恵を入れたのが誰なのかは解らないが、こうなってはもう逃げる事などできないだろう。

少なくとも、目の前の青年はそう簡単に引き下がってくれるようにも見えなかった。

「・・・ビクトールめ、手回しの良い」

「今日一日は休んでいただきます」

その日、マイクロトフに強制連行されるの姿が、本拠地のあちこちで目撃された。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

今回は騎士たちのに対する印象と、マイクの淡い恋心自覚メインで。

                   

作成日 2004.6.6

更新日 2008.11.23

 

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