人の『罪』というものが、はっきりと目に見えるものだとしたら。

そうすれば、それを忘れる事も無いというのに。

 

と罰

 

真っ暗な空間に、私はいた。

ここはどこなんだろう?

周りを見回してみても、そこはただ闇が広がるばかりで。

自分の身体さえ見えない、暗い暗い闇。

この場所に、私は見覚えがあった。

前にも来た事がある。―――いつだったかは、もう忘れてしまったけれど。

なのに、どうしてなんだろう?

ここがどこだかわからない。

確かに来た記憶はあるのに・・・なのに、思い出せない。

だけど感じる、不快な雰囲気。

淀んだ空気が身体に纏わりつくようで、物凄く気分が悪い。

早くここから出なきゃ・・・―――そうは思うけれど、出口がどこなのかわからない。

自分がどうやってここに来たのかさえも。

解らない事だらけで、言い知れない不安と恐怖が湧きあがってくる。

『――――――っ』

ふと、誰かの声が聞こえたような気がして、私は視界を巡らせた。

ここに誰かいるんだろうか?―――私以外に、誰か。

少しばかり迷ったけれど、私は声が聞こえただろう方向へと歩き出す。

1人でいたくなかった。

踏み出した足元で、ピシャと水音が響く。

水?

反射的に足元を見下ろしても、やっぱり目に映るのは暗闇で。

不意に自分が立っているのだと、妙に実感した。―――四方を闇に囲まれて、もうどちらが右なのかどちらが左なのか解らない。

唯一はっきりと感じられる床の感触を踏みしめて、私は暗闇の中を歩き続けた。

見えない事に不思議と不安は無かった。―――本当に怖いのは、事実をこの目で見てしまう事なのだと解っていたからなのかもしれない。

しばらく歩き続けると、遠くの方に薄っすらとした光が見えた。

出口だろうかと思う反面、それが出口ではない事に気付いている自分がいる。

だってここを私は知ってる。―――思い出せなくても、知っている。

無言のままその光に近づいた。

「・・・・・・誰?」

そこにあったのは、光ではなく人だった。

薄っすらとした光を纏い、ただ呆然と上を見上げている。

私の声に反応するようにこちらを振り返ったその人物を見て、私はハッと息を呑んだ。

生気を感じさせない青白い顔に、焦点の定まらない虚ろな目。

頬に付着した赤い血が、青白い肌に映えて・・・。

逃げなきゃ。

不意にそんな事を思った。―――早く、逃げなきゃ。

そうでないとまた囚われてしまう。

あの暗い闇に・・・―――見たくない現実に。

『・・・・・・誰?』

その人物は、先ほど私の呟いた言葉をそのまま繰り返した。

逃げなきゃいけないと思うのに、何故か身体は強張ったまま動いてくれない。

沈黙が嫌で何かを言おうとするけれど、声が枯れてしまったかのように喉からは何の音も出てこなかった。

『・・・・・・誰?』

その人物は、もう一度同じ言葉を繰り返した。―――その顔に、嘲るような笑みが浮かぶ。

『本当に解らないの?』

嘲笑と共に吐き出された言葉は、私を更に追い詰めた。

だって解らない筈無い。

そこにいたのは、他の誰でもない『私』だったんだから。

ううん、『あれ』が私の筈ない。―――だって『私』はここにいる。

『私』はこの世に1人しかいないんだから。

そう心の中で自分自身に言い聞かせると、少しばかり余裕が生まれた。

強張った身体も少しづつ感覚が戻ってくる。

「ここはどこ?」

何とか出てきた声で、私はその少女に話し掛けた。

少女が何者なのかを討論するつもりは無い。―――例え私に似ていようと、私には関係ない。

私の問いかけに、少女はゆっくりとこちらに向き直って。

『闇の中』

あっさりと、当たり前の答えを返す。

それに少し苛立ったが、少女が浮かべている笑みに気圧されて口を噤んだ。

「・・・・・・じゃあ、質問を変えるわ。どうやったらここから出られるの?」

『ここから出る?』

少女は先ほどまで浮かべていた嘲笑を消して、不思議そうな顔で首を傾げる。

『ここから出たいの?』

「そう。ここから出たいの」

『ここから出て、どこに行くの?』

「仲間の所に帰るの。きっとみんな心配してる」

そうだ、きっとみんな心配してくれてる。

その事実に、新たな勇気が胸の中に湧き出てきた。

『・・・仲間?』

やはり少女は不思議そうに首を傾げるばかり。

どうしてそんなに不思議そうな顔をするんだろう?―――この少女には、仲間というものがいないのだろうか?

その場に落ちた沈黙に、私は耐え切れず何か言おうと口を開いた。―――その時。

『それって、一体誰の事?』

言葉と共に向けられた凍るような冷たい視線に、私は目を見開いた。

少女の目の奥に宿る光に、体中が恐怖で支配される。

あれは狂気の目だ。―――狂気に落ちた、人の目だ。

『そんなの、本当にいると思ってるの?』

「・・・いるわ」

『どこに?』

さらりと返された言葉に、次の言葉が出てこない。

どこに?―――どこって・・・みんなはいつも私の側に。

『ああ。もしかして・・・あの人たちの事?』

笑みを含んだ口調で、少女はある一角を指差した。

先ほどまで暗闇に包まれていたそこが、淡い光に照らされる。

「・・・・・・っ!?」

そこにあった光景に・・・目に映った紅を、私はただ呆然と見つめる事しか出来なかった。

少女はそんな私を一瞥して、クスクスと笑みを零しながらそこに歩いていく。

『可哀想だよね、こんな風になっちゃって・・・』

床に転がる『何か』を、少女は躊躇いもなく抱えあげた。

それを愛しそうに抱きしめて、目を逸らす事の許さない強い光を宿した目を私に向ける。

『これが、貴女の仲間?』

「・・・・・・」

『これが、貴女の大切なモノなの?』

少女の問いかけに、私は答える事が出来なかった。

もう声が出ないとかそういう問題じゃない。―――少女の抱える『それ』から目を逸らす事も出来ず、ただ呆然と目の前の光景を目に映し続ける。

何も言わない私に、少女は不満そうな表情を浮かべて。

しかし次の瞬間、人の悪い笑みを更に深くして小さく笑った。

『大切なのに、どうして壊してしまったの?』

「・・・私・・・・・・は・・・」

『ここから出て・・・そしてまた壊すの?』

「・・・っ!壊したりしない!!」

『本当に?』

からかうような視線を向ける少女を睨みつけて、私は強い口調で怒鳴りつける。

「壊したりなんかしないわ!私は今度こそ、みんなを守るって・・・!!」

『守る・・・?』

少女の顔が、嫌悪に歪んだ。

その目は侮蔑の色を宿して、強く私を睨みつける。

『だったらどうして、側にいるの?』

「・・・・・・っ!?」

『守れるわけ無いじゃない。他でもない貴女自身が、死を呼ぶんだから・・・』

少女の言葉に反応するように、右手に鋭い痛みが走った。

ズキズキと脈打つその痛みは、とても身に覚えがあるモノで。

『守れるわけなんてないわ』

痛みに朦朧とする頭の中で、少女の冷たい声が響く。

『守れるわけなんて無いでしょう?だってほら・・・』

霞む視界に、少女が私を指さしている事に気付いて、私は引かれるように自分の手に目をやった。

そこにあったのは、禍々しい死神を思わせる紋様と。

「・・・・・・なっ!?」

手にべったりとついた、紅い紅い血。

ヌルリとした感触に、背筋に悪寒が走る。―――急激に血の気が引いていく自分の身体を自覚しながら、ただその紅に魅入られる。

『それは、誰の血?』

冷たい声が聞こえても、視線を動かす気にはなれなかった。

だって、何も見たくない。―――見てしまえば、それは現実になってしまう。

『幸せなんて、貴女には似合わない』

クスクスと聞こえる、嘲笑。

ああ、そうか。―――私は少女の言葉の裏に隠された意味を、漸く察する事が出来た。

『貴女に幸せになる権利なんて、有りはしないのよ』

解ってるよ、そんな事。

声に出さずに心の中だけで呟いて。

私は少女が浮かべる嘲笑と同じモノが、自分の顔にも浮かぶのを感じた。

 

 

ふと目を開くと、目の前に闇が広がっていた。

けれどそれは先ほどまで見ていた闇とは違う。―――暗闇に慣れた目は、薄っすらとではあるけれど、部屋の中を映し出していた。

ゆっくりと一度瞬きをして、重い身体を引きずるようにしながら身を起こす。

全身が汗でびっしょりと濡れていたけれど、それに構っていられる余裕は残念ながら今の私には無い。

寒気さえする身体を温めるように、膝を抱えて身を縮こませた。

あの闇を、私は知っている。

そう・・・繰り返し見る夢。―――それは私が、自分自身の『罪』を忘れそうになった時に見る悪夢。

忘れたいと願う私の弱い心を責める、私自身の声。

あの夢はいつも、的確に私の『罪』を思い出させてくれた。

忘れてはいけない。

そんなこと赦されない。

自分のした事は、ちゃんと背負わなくちゃいけない。―――そこから逃げるなんて、そんな事できるわけがないのに。

膝を抱いた腕が微かに震えるのに気付いて、更に身体に力を込めた。

なのに、辛いなんて。

苦しいなんて・・・どうしてそんな事を思うんだろう。

そんな感情を抱く権利すら、私にはないのに。

膝に顔を埋めて、私は襲い来る恐怖にただ耐えた。

大丈夫。―――ずっとこうしてれば、そのうち治まる。

湧いてくる恐怖も、胸の中を占める不安も。

幸せを求める分不相応な想いも。

そうだ、私は忘れちゃいけない。

忘れずに・・・ちゃんと『罰』を受けなくちゃ。

そう自分を納得させたその時、遠慮がちに私の部屋のドアがノックされた。

思わず俯いていた顔を上げる。

窓の外を見れば、まだ外は暗い。―――月の位置から見ても、まだ夜中だろう。

こんな時間に、誰が?

返事を返す事も出来ず、私は息を呑んでドアの向こうの気配を窺った。

もう一度ノックされる。

それにも返事を返さずに、私はただ相手が諦めて帰ってくれる事を心から願った。

今の私に、誰かの相手をする余裕は無い。

こんな姿、誰にも見られたくない。―――お願いだから、帰って。

しかしそんな祈りとは裏腹に、ドアの向こうの気配は一向に去る様子はなかった。

戸惑ったような・・・どうしようかと悩む気配。

「・・・

掛けられた声に、ビクリと身体が震える。

その声は、とても聞きなれたモノで・・・―――だから余計に願う。

お願いだから、そのまま帰って。

私のことは放っておいて。

返って来ない返事に、その人物が深く息を吐いたのが解った。

諦めてくれたのかと思った瞬間、無情な一言が飛び込んでくる。

「・・・入るぞ」

言葉とほぼ同時に、ドアのノブがゆっくりと回った。

入ってこないで!

声にならない声で叫ぶけれど、そんなのは当然彼には届かなくて。

いや・・・もしかしたら届いていたのかもしれない。―――届いていたからこそ、彼は部屋の中に入ろうとしているのかも。

回るノブから視線を逸らす事が出来なくて、ただゆっくりと開くドアを凝視する。

「・・・やっぱり、起きてたか」

「・・・・・・ビクトール」

呆れ混じりに告げられた言葉に、私は彼の名前を呼ぶ事しか出来ない。

目が優しげに細められるのを確認して、私はそれを見ないように再び膝に顔を埋めた。

「なんかうなされてそうな声が聞こえたからよ。心配になってな・・・」

聞いてもいないのに、ビクトールはここに来た理由を淡々と説明する。

こちらに近づいてくる気配を感じつつ、私は膝を抱く腕に力を込めた。

ギシとベットが軋んで、ビクトールが私のすぐ側に座る。

「どうした?」

微動だにしない私の頭上から、優しい声が降って来た。

それはまるで太陽の光のように温かくて、身体の強張りが薄れていくような気がした。

「嫌な夢でも見たか?」

まるで子供を相手にするような口調。―――けれどそれが不快ではなくて。

いつもからは考えられないほど優しく頭を撫でる大きな手に安らぎすら感じながら、私は閉じていた目をゆっくりと開いた。

そして目の前にある暗闇に、思わず背筋がゾッとする。

「やめて!」

口を突いて出た悲鳴のような声をどこか他人事のように感じながら、私は膝に顔を埋めたままの体勢でビクトールの手を払いのけた。

?」

「・・・やめて」

驚いたような声色に、私はただそれだけを告げた。

やめて・・・私に構わないで。

もう二度と失いたくないの。

もう誰も、犠牲にしたくないから。

側にいて守ると誓ったのに・・・それが甘い事なのだと、自分自身に思い知らされた。

そうよ。死を呼ぶ私が、誰かを守るなんておこがましい。

みんなの側にいると楽しくて、嬉しくて・・・―――だから時々忘れそうになる。

自分がどれだけ、罪深い人間なのか。

幸せなんて、望んじゃいけない。

幸せになる権利なんて、私にはない。

散々人に辛い思いをさせてきた私が、今更。

そんな夢ばかり見てたらいつか、また繰り返してしまうかもしれない。

弱い私がいつか、再び死神を呼び覚ましてしまうかも。

「私を、甘やかさないで・・・」

搾り出すように、それだけを告げた。

今の私に構わないで。

明日になれば、ちゃんと『いつも通り』の私に戻るから。

だから・・・こんな弱い私を見ないで。

そんな私の心からの願いを、ビクトールは聞き入れてはくれなかった。

乱暴な仕草で・・・けれど先ほどよりも優しい手つきで、私の髪をかき回す。

「いいんだよ」

告げられたぶっきらぼうな言葉。

「お前自身が自分を甘やかさねぇんだから・・・。俺がお前を甘やかさなくて、誰がお前を甘やかすんだよ」

どういう理屈だと、思わず聞き返したくなるような言葉を、ビクトールは平気で吐いた。

「たまには弱ったって良いじゃねぇか。苦しまねぇ人間なんていやしねぇんだからよ」

「・・・・・・」

「折角側にいるんだ・・・辛いなら俺たちを頼れ。お前に頼られて嫌な顔するやつなんざ、ここには1人もいねぇ」

不意に目頭が熱くなった。

どうしてビクトールの言葉は、こんなにも心の中に染み込んでくるんだろう?

どうして、私が一番欲しい言葉をくれるの?

私の心の揺れを、こんなにも的確に察するなんて。

ズルイと思う。―――これじゃあ、しらばっくれる事も出来ない。

「ほら、泣け。泣きたきゃ泣けばいいって、前に言っただろ?」

目に涙が滲む。

恐る恐る顔を上げると、目に飛び込んで来たのはビクトールの優しい笑顔。

「ほら、遠慮するな」

軽い口調と共に引き寄せられ、逞しい身体に包み込まれる。

規則正しい鼓動の音が聞こえた。―――とても安心する音と体温。

ポロポロと、私の意思に反して目から涙が零れる。

以前もこんな風に泣いた事があると、漠然とした意識の中で思った。

「安心しろ。ずっと側にいてやるから・・・」

耳に響くビクトールの声に、薄く目を細める。

うそつき。

そんな事、出来るわけないのに・・・。

いつかみんな・・・ビクトールも、私を置いて死んでしまうのに。

けれど、その言葉を嬉しいと感じてしまう私は愚かだろうか?

どうして願ってしまうんだろう。

みんなの側にいたいって。

この幸せに包まれていたいって。

『貴女に幸せになる権利なんて、有りはしないのよ』

少女の・・・ううん、私自身の声が頭の中に響く。

そうよ、解ってる。―――ちゃんと解ってるから。

だけどみんなの側にいたいの。

それが私の『罪』ならば、『罰』は甘んじて受けるから。

だから、もう少しこのままで。

このままで、私に幸せを感じさせてください。

例えその幸せが、終わる時が来ても構わないから。

その時、どれだけ辛い思いをしても構わないから。

彼らの命が尽きる、その日まで。

その権利を、ビクトールは私にくれた。

それだけで、自分自身の闇さえ打ち破るほどの勇気が湧いてくるから。

「・・・なんだ?」

小さく含み笑いをした私を、ビクトールは訝しげに見下ろして。

「・・・泣いちゃった」

そう言えば、もう一度頭をかき混ぜられる。

その手が、無性に愛しいから。

「私ね、やっぱり諦められない」

「何が?」

即座に返って来た言葉に、返事を返さずに言葉を続ける。

「だからね、私・・・もう少し図太く生きようと思うの」

「今以上にか?」

わざとらしく驚きを見せるビクトールを軽く睨みつけて。

そう、今以上に・・・―――と心の中で呟く。

私に幸せが似合わなくても。

そんな権利すら、なくても。

やっぱり諦められない。―――幸せを願う気持ちは、抑え込んでも消えたりしないから。

もしかしたら、幸せを実感するたびにあの悪夢を見るかもしれないけれど。

それはきっと辛いけど、でも開き直ってしまえば良いと思う。

いつしか弱い自分に負けないくらい、強くなれるように。

図太く、幸せを願い続ける。

「いいんじゃねぇの?」

1人決意を固める私に、ビクトールの強い声が届いた。

顔を上げれば、すべてを見透かすようなビクトールの目がある。

なんか、凄く悔しい。

いつもそうだ。―――いつもこうして背中を押してもらってるばっかりで、私は何一つ彼に返せていない気がする。

「お前にゃ、もう少し図太さが必要だと思うぜ?」

「今以上に?」

からかいを含んだ言葉を返せば、軽く片眉を上げて肯定の意を返される。

それが妙に可笑しくて、私とビクトールは顔を見合わせて笑った。

『安心しろ。ずっと側にいてやるから・・・』

それだけが、私の心に宿るたった一つの願い。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

暗っ!・・・っていうか、痛っ!!

主人公、メチャクチャ病んでます。(どうしようもない)

書き進めていくうちに、どうやって終わろうと思ってたのかを忘れてしまい、だからかえらい終わり方に・・・。

最初はビクトールに『ずっと側にいてやる』と言わせたかっただけなのですが。(とんでもない内容に・・・!)

作成日 2004.6.10

更新日 2009.8.9

 

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