掛けられた穏やかな声と。

向けられた柔らかい笑顔と。

太陽を背負って、光に包まれて現れた少女を。

きっと俺は、一生忘れる事など出来ないだろう。

 

記憶の中の

 

赤月帝国の南の端にある小さな村・リコン。

滅多に村の人間以外の人の姿が見られない寂れた村に、その男はいた。

灰色のフードを頭から被り、顔を隠すように俯いて宿屋の食堂の端にただ座っている。

はっきり言って異質だ。―――怪しいという言葉が服を着て歩いている・・・いや、座っているという表現がぴったり来る。

当然村人たちも男の存在を訝しくは思っていたが、それとは反対に同じくらい興味も抱いていた。

フードの隙間から覗く綺麗な金髪と、感情の色を宿さない硬い表情。

どこか人を寄せ付けないように壁を作っているように見え、だからこそ余計に人の目を引く。―――男が大事そうに抱えている縦長の鉄の固まりも、興味を更に引き立てた。

しかし誰もこの男に声を掛けようとはしない。

そこまで深く関わるつもりは、村人たちには無い。

ただ平凡な毎日にほんの少しのスリルを添えてくれるだけで、村人たちは満足なのだ。

あとは面倒事さえ起こされなければ、それでいい。

いつしかその男は、リコンの村の人たちにそう認識される存在となった。

 

 

ただ緩やかな時間の流れの中、クライブは言い様のない苛立ちと追い立てられるような焦燥感に襲われていた。

追っている女がいる。

その女が赤月帝国領に逃げ込んだ事は突き止めたというのに、けれどその行方は知れない。

どこかにいるハズなのだ。

早く捕まえなければ、また逃げられてしまう。

そんな思いは際限なく湧き上がってくるけれど、しかしクライブは動き出せなかった。

どこに行けば良いのか、解らない。

この村を出て、どこへ向かう?

何の情報も無い今、何を根拠に?

向かった先が、女の進んだ道と逆だったら?

もう、追いつけない。

また手の届かない所へ行ってしまうだろう。―――次また見つけられるという保証がどこにあるというのか。

そう思うと動けない。

迷いが戸惑いを生み、焦りが不安を呼ぶ。

このままここでジッとしていてもどうにもならないという事は解っているのに、なのにどの道を選べば良いのか解らない、判断が下せない。

クライブは重いため息を吐き出した。―――そんな事をしても、事態は良くならないと解ってはいても、今の彼にできるのはそれだけだった。

カラン、とドアに取り付けられた鈴が軽やかな音をたてる。

それから誰かの話し声。

この村に人が来るのは珍しいなとぼんやり思って・・・次の瞬間聞こえて来た女の声に、クライブはハッと顔を上げて玄関へと目を向けた。

飛び込んで来たのは、眩い程の光。

薄暗い場所で慣れた目には痛いほど。―――その眩い程の光を背にした少女は、自分に向けられた視線に気付いたのか、ふとクライブに顔を向けた。

違う・・・、とクライブは思う。

否、最初から違うという事は解っていたのだ。―――女の声は、今もまだ耳にしっかりと残っている。

けれど少女の声に反応してしまった。

解っていてなお。

それはもう反射的なのか、それとも違う何かに惹き付けられたからなのか、クライブには解らなかったけれど。

はっきりとしない視界の中で、その少女がにっこりと微笑むのが解った。

白い光に照らされた漆黒の髪は透ける事無く、僅かに光が輪郭をなぞるだけで確かな存在を主張している。―――それが少女そのものを現しているように、クライブには見えた。

「こんにちは」

頭の中に響く女の妖艶な声とは対照的な、涼やかな声がクライブに掛けられる。

それにもちろんクライブが答えるわけも無く・・・―――しかし少女は一向に臆した様子なく、ゆっくりとした足取りでクライブの方へと歩いて来た。

初めは光で見えなかった少女の顔が、近づくにつれ少しづつはっきりと確認できる。

目に映るのは穏やかな笑み。

光を思わせる温かい笑顔は、クライブの強張った心をゆるりと解いていった。

「こんな所で何をしてるんですか?」

にっこりと微笑まれ、小さく首を傾げながら少女が尋ねる。

今まで自分とは無縁だったその笑顔に、クライブはどうして良いのか解らずに俯く事で少女の視線から逃れた。

「お前には関係ない」

クライブの口から出てきた冷たい言葉に、少女は一瞬目を丸くさせて。

そして笑った。―――クライブの目を惹きつける、その笑顔で。

「・・・何故、笑う」

「いえ、すみませんでした」

不機嫌そうに睨むクライブに、少女はあっさりと謝罪の言葉を告げる。―――が、謝られても疑問が消える訳ではない。

案の定納得できずに、クライブは更に少女を睨みつけた。

すると少女は困ったように微笑んで・・・言いにくそうではあったけれど、渋々重い口を開く。

「返事を・・・返してくれるとは思ってもいなかったので・・・・・・」

申し訳なさそうに告げられた言葉に、今度はクライブが目を丸くした。

確かにそうだ。―――誰かと会話をするつもりなど、さらさら無かったというのに。

今まで表情に動きの無かったクライブの顔に、微かな変化が見られた。

それを目ざとく見つけて、少女は更に柔らかく笑う。

「それで・・・こんな所で何をしていたんですか?」

先ほど冷たくあしらわれたばかりだというのに、少女はもう一度同じ質問を繰り返す。

その行動の意味をはかりかねて、クライブは眉間に皺を寄せた。

突っぱねることも出来た。

この少女には関係ない。―――クライブ自身の事も、彼が追う女のことも。

関係が無いと、もう一度突っぱねればよかったのだ。

けれどクライブは、重い口を開いていた。

自分に向けられる少女の深い目が、拒否する気を失わせる。

包み込むような穏やかな雰囲気が、とても心地良い。

「女を・・・追っている」

ポツリと零れた言葉を、少女はしっかりと受け止めて。

「それで・・・?」

促されるままに、クライブは己の現状を話していた。―――最初の言葉さえ出れば、あとはすんなりと口をついて出てくる。

それを少女は無言で聞いていた。

相槌を打つでもなく・・・聞いているのかさえ解らない面持ちで。

クライブがすべてを話し終えた頃、少女は漸く1つ頷いて。

「・・・そうですか」

感情の読めない顔でそう呟いた少女は、自分を見つめるクライブに視線を合わせてにっこりと微笑んだ。

「会えるといいですね」

ただ一言。

それは何の含みもない、純粋な感想。

クライブの話を聞いて・・・―――それが決して明るい内容ではないことに、きっと少女は気付いているだろうに。

会えた時がどういう時なのか、しっかりと理解している風情で。

しかし少女は言った。―――会えるといい、と。

クライブはすべてを話したわけではない。

彼の生い立ちや、追う女との関係などは一切口にしていない。

彼が女に抱く複雑な感情など、少女には知り得ないというのに・・・。

もしかすると、クライブの言葉の端々からそれを読み取ったのかもしれない。

解らない。

掛けられた言葉が純粋すぎて。

向けられる笑顔が、深くて。

だからクライブは、ただ己の中の答えをそのまま口にした。

「・・・・・・ああ」

それがどういう意味なのか、クライブ自身にも解らなかった。

 

 

、何やってんだ!」

「ああ、ごめん。すぐ行く!」

その後、クライブと(一方的に)会話を楽しんでいた見知らぬ少女は、連れの男に声を掛けられて慌ててクライブの側から立ち上がった。

その際掛けられた少女の名前らしきものに、クライブは僅かに首を傾げる。

。―――その名前に聞き覚えがあった。

現在、赤月帝国を相手に内乱を仕掛けた解放軍のリーダーの名前。

まさかと思いつつも、クライブは少女を観察した。

噂で聞いた歳の頃も背格好も似ている。―――大軍を率いる僅か15・6歳の少女。

「・・・?」

「はい?・・・ああ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私は=マクドールと申します。えっと・・・貴方は?」

「・・・クライブ」

少女の名前を聞いて、クライブは妙な確信を得た。

今目の前にいる少女こそが、解放軍のリーダーなのだ。―――この妙に大人びた目をした、子供こそが。

「クライブさん。提案があるんですけど・・・」

「・・・提案?」

聞き返せば、にっこりと笑顔で頷く。

「私は今、解放軍に所属しています。解放軍の名前は聞いた事がありますよね?」

の言葉にクライブは無言で肯定を示した。

「解放軍には様々な情報が集まってきます。優秀な忍や間者もいますし・・・ここにいるよりもずっと貴方の追う方の情報が手に入れやすいと思うんです」

「・・・・・・」

「もし宜しければ、解放軍へいらっしゃいませんか?」

自分を誘う言葉。

こんな風に、誰かの温かい誘いを受けたのは初めてで。

「・・・何が目的だ?」

「貴方の必要な情報が得られるまで、力を貸してください」

冷たくあしらっても、鋭い視線を向けても怯む事無く。

まっすぐな目で、射抜くように注がれるの視線。

深い黒の目に確かな光が宿っている。―――それには見るものを惹きつけて止まない、不思議な力があった。

「良いだろう」

「交渉成立、ですね」

おどけた口調でが笑った。

あくまでも、クライブが解放軍に入るのは彼自身の為だと主張するように。

クライブの心の複雑な葛藤をすべて見透かして・・・―――その上で告げられる言葉。

「何やってんだよ、!!」

「今行くってば!・・・・・・行きましょう、クライブさん」

は未だ床に座り込んだままのクライブに、手を差し出した。

名前を呼ばれて・・・―――自分に向けられた手を、クライブはただ見つめて。

微笑む笑顔に惹かれるように、クライブは無意識で己の手を伸ばしていた。

温かい手の感触と。

他でもない、自分に向けられる言葉と。

そして太陽の光のように温かな、柔らかい声と。

その全てが心地良くて、クライブは知らずに微かに頬を緩めていた。

 

 

バタバタと騒がしい足音に、クライブは閉じていた目をゆっくりと開いた。

目に映るのは、空の青。―――そして・・・。

バタンと勢い良く屋上へのドアが開け放たれ、そこから1人の少女が飛び込むようにして屋上に姿を現した。

すぐさま屋上のドアを閉めて、荒く息を繰り返す。

「あ、クライブ」

漸く屋上に自分1人でないことに気付いたが、間の抜けた声で男の名を呼んだ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・なんて格好をしている?」

無言で見詰め合うことしばし。―――何も言葉を話そうとしないに焦れて、クライブは渋々といった様子で声を掛けた。

「ああ、これ?」

それに少し苦い表情を浮かべて、はヒラリとスカートの裾を上げる。

の服装は、普段の彼女からすれば明らかに変だった。

黒を基調としたシンプルではあるが僅かにレースのついたミニのワンピースに、これまたレースのついた小さな白いエプロンをつけている。

靴もいつも履いているブーツではなく、黒のローファーという出で立ちで。

見慣れているその姿は、レストランのウェイトレスのそれだった。

「実はちょっと手伝いに借り出されてさ」

「・・・・・・」

「いろいろあって、ちょっと逃げてきたんだけど・・・」

それは聞かなくても解った。―――どうして逃げていたのかはクライブには解らなかったが、屋上に飛び込んできた様子からして、「ただの散歩」と言われて納得する人間などいないだろう。

恥ずかしいのか・・・―――いつも人の目を真正面から見るにしては珍しく、視線を泳がせながらしどろもどろ言葉を続ける。

それとは対照的に、普段あまり人と視線を合わせないクライブが、真正面からを見ていた。

「そんなに似合わないかな・・・?まぁ、似合わないだろうけど」

そんなクライブの視線を受けて、は困ったように笑う。

「・・・いや」

すぐさまの言葉を否定しそうになって、クライブは思わず口を噤んだ。

自分は今、何を言おうとした?

自分で自分の感情が解らず眉間に皺を寄せるクライブに、は心配そうに表情を顰めてクライブの顔を覗き込んだ。

「・・・どうしたの?」

「・・・いや」

「・・・・・・?」

言葉を濁しても納得しないに、クライブは内心困り果てて。

普段はこんな風に言葉を無理に聞き出そうとはしないのだが・・・ー――やっぱり今の自分の格好がよほど気になっているんだろうとクライブは思う。

「・・・似合っていると、思う」

渋々搾り出された言葉に、は面を食らったように目を丸くした。

そして・・・照れたような困ったような複雑な笑みを浮かべて。

「それはそれで、複雑なんだけど・・・」

「・・・・・・そうか」

「でも、ありがとう。クライブに誉めて貰えるなんて思わなかったよ」

そして笑った。―――3年前から変わらない、あの太陽のような笑顔で。

しかし変わったとも、クライブは思う。

3年前・・・いつもが纏っていた儚い雰囲気はもちろん今もあるけれど、それも今は少し薄らいでいるような気がする。

妙に大人びた・・・年齢にそぐわない雰囲気も、少しだけ形を顰めて。

今のは歳相応な顔で、明るい笑顔を浮かべている。

それは解放軍リーダーという重責から逃れられたからなのか、それとも時が経つにつれて大人になったからなのかは解らないけれど。

あの頃のは、必死に何かに耐えているようにクライブの目には映っていたから。

「ああ、そういえば・・・」

ふと何かを思い出したように、がポンと手を打った。

「・・・・・・?」

「追ってた女の人には、もう会えた?」

「いや・・・」

の言葉で鮮明に思い出す。―――顔に傷を持つ、金髪の女。

「・・・そっか」

やはり感情の読めない声色で頷くを見て、クライブは強い口調で言った。

「手がかりはある。今度こそ・・・」

今度こそ?

今度こそ、あの女を殺す。―――そうだ、それが俺の目的だ。

それが俺に課せられた任務だ。

そう心の中で強く思うけれど、やはりもやもやとした名前の無い感情も確かにあって。

「・・・クライブ?」

黙り込んでしまったクライブに、が不思議そうに声を掛けた。

それに引かれるように、クライブはと視線を合わせて。

「今でも、そう思うか?」

「・・・なにが?」

「会えたらいい・・・と、そう思うか?」

聞きたいと思っていた質問を投げかけた。―――3年前に別れてから、ずっと心の中に残っていた言葉。

もしもう一度会える事が出来たならば、聞いてみたいと思っていたこと。

クライブの問いに、は少しも悩む素振りを見せずに。

「うん、今でもそう思ってるよ」

揺るぎない強い声色で、そう言い切った。

「・・・確かに、それは楽しい展開にはなりそうに無いけど・・・。でも、会えばきっと何かが変わるよ」

「・・・変わる?」

「そう。それが悲しいことでも・・・―――たとえば心を引き裂くような辛いことでも、きっとクライブの中の何かが変わる。そうすれば、また歩いていける」

「・・・・・・」

「人はそうやって強くなっていけるんだと、私は思うの」

そう言って、は笑った。

初めて会った時に見せた、あの柔らかな笑顔で。

「会えるといいね」

「ああ」

再び掛けられた言葉に、クライブは今度こそ迷い無く頷いた。

 

 

に連れられて宿屋を出たクライブが見たのは、無限に広がる空の青。

引き込まれそうなほど深い空は、まるでそのもののようで。

「クライブさん!!」

「・・・解っている」

呼ばれる声に引かれるように、クライブは宿に背を向けた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

クライブとの出会い・・・と3年後。

凄い好きなキャラなんですけどね。あんまり喋ってくれないから掴みにくい。(苦笑)

クライブイベントの時は、それはもう頑張りましたよ。

腐れ縁がらみのところは泣く泣くスキップしました。(笑)

作成日 2004.6.13

更新日 2009.10.4

 

 

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