今の自分に、不満があるわけじゃないけど。

やっぱり思ってしまう時がある。

こんな風になれたらなぁ・・・って。

 

 

久しぶりの休日だった。

兵の訓練も無く、シュウからも仕事を言いつけられる事無く。

溜まっていた書類もすべて処理し終え、その上何の当番も重なっていない。

全くのフリー。

にとって、こんな日は本当に珍しい事だった。

さて・・・折角の休みなんだし、何をしようかな?

身体は疲れていないわけではなかったが、次にいつこんな珍しい日がやってくるかわからない。―――それならば有意義に使いたいと、はそう思う。

そしてしばらく考えた末、はまず図書館に向かった。

最近はロクに読書の時間も持てなかった。

この戦争が終わる前に、図書室にある本にはあらかた目を通しておきたいなどと無謀な考えを持った事もあったが、それが現実に考えて無理だという事は、この忙しい毎日で嫌というほど思い知らされた。

図書館に入って、本を物色する。

主に読むのは紋章関係の本で、大抵借りるのはそういった類の本だ。

次に好きなのが歴史書。―――様々な国の様々な歴史を本を通して垣間見るのは、にとっても面白かった。

「・・・これにしようかな?」

珍しく迷う事無く手に取ったのは、人を殴り倒せそうなほど分厚い文献。

幻と言われているシンダル族について書かれているらしく・・・―――まぁ、詳しい内容が載っているとは期待していないが、とにかく面白そうだとはそれを借りる事に決めた。

司書のエミリアと軽い雑談を交わした後、その本を持ってテラスに向かう。

今日は天気が良いので、外で読もうかと思ったのだ。

そこには既に先客がいた。

ヴァンサンとシモーヌ。―――ナルシーと称される2人は、テラスに現れたに目を向けて、驚いたように立ち上がった。

「おお、我が心の友。今日はどうされたのですか?」

「天気が良いから、外で本を読もうかなと思って。・・・悪いけど、少しだけスペース貸してくれる?」

「もちろんですとも!」

嬉々として迎えてくれたヴァンサンに軽く微笑みかけて、空いていた椅子に腰を下ろす。

「今日はお仕事の方、宜しいのですか?」

「うん。今日は珍しく時間が空いてね」

すかさず出された紅茶を礼を言ってから一口飲んで、はやんわりと微笑む。

一般とは趣味もテンションも掛け離れている2人だが、付き合い方さえ覚えれば何の事はない。

確かに濃い部分もあるが、基本的には友達思いで良い人たちだということをは知っていた。

「今日は珍しい人もいるのね」

美味しいお茶を飲みながら、はある一角に目を留めた。

そこにはの来訪など気付かず、一心不乱にお茶を淹れているナナミの姿がある。

「ええ。何でも殿に美味しいお茶を淹れて上げたいと、我々の講釈を受けに来ていらっしゃるのです」

「とても弟思いの、優しい方ですね」

ヴァンサンとシモーヌが、真剣そのもののナナミを見て優しく微笑む。

本当にね・・・と相槌を打って、はカップをソーサーに戻した。

「ぜひ、あとでナナミの淹れたお茶をご馳走になりたいわね」

「それはきっと喜びますよ!」

嬉しそうに手を打って、賛成の意を示すシモーヌと共に再びナナミに視線を向けて。

本格的な紅茶の淹れ方に悪戦苦闘するナナミを目に映して、はにっこりと微笑んだ。

 

 

「これで良し・・・と」

カップに紅茶を注ぎ、ナナミはホッと一息ついた。

ユラユラと揺れる琥珀色の透き通った色に、満足げに笑う。

ナナミがに美味しい紅茶を飲ませてあげたいと思ったのは、つい最近のことだ。

慣れないデスクワークに四苦八苦し、肉体的にも精神的にも疲れ果てているに、何かしてあげられる事はないかと、ナナミは常々思っていた。

けれどナナミとてデスクワークが得意という訳ではない。―――それどころか、に渡される書類がなんなのかさえナナミには解らない。

何かしてあげたいと思うのに、実際にしてあげられる事はほとんどなくて・・・。

そんな時、休憩時間にシュウが入れた紅茶をが「美味しい」と嬉しそうな顔で飲んでいたのを見て、ナナミはこれなら自分も出来ると思った。

その足で図書館へ向かい、『美味しい紅茶の淹れ方』という本を見てみたが、思ったよりもややこしい手順に頭痛を覚えて。

そして思い出したのだ。―――紅茶を上手に淹れる人物を。

ヴァンサンとシモーヌに事情を話してお願いすれば、2人は快く承諾してくれた。

本と格闘するよりも、人に教えてもらった方が解りやすい。

ナナミはヴァンサンとシモーヌに丁寧な指導を受け、必死に練習を積み重ねた。

それでもやはり難しい事に違いは無かったが、それでも何とか形になった紅茶に、嬉しさは隠し切れない。

恐る恐るカップに手を伸ばして、琥珀色の液体を口に含む。

フワリと漂う香りと、口の中に広がる紅茶の甘み。

「・・・美味しい」

今まで淹れたどの紅茶よりも、一番の成功品だ。

「ねぇねぇ!これ、飲んでみて!!」

嬉しさのあまり勢い良く振り返ると、ナナミはそこにあった予想外の姿に驚いた。

「あれ、さん?」

いつの間にここに来たのだろうか?と首を傾げる。

はナナミの大声にも気付かない様子で、なにやら分厚い本を夢中で読んでいるようだった。

こちらに気付いたヴァンサンとシモーヌにお茶を飲んでもらい、無事合格点を貰ったナナミは、もお茶を飲みたがっていたという話を聞いて、再び新しいお茶を淹れるとの側に歩み寄る。

空いた椅子を引き寄せ、カップをテーブルに置いてからの正面に座り込んだ。

ジッと・・・何気なくを見つめる。

声をかけても良かったのだが、真剣なを見るとそれも躊躇われて・・・。

ペラリとページの捲れる音を聞きながら、ナナミはぼんやりとに魅入っていた。

太陽の光を受けて艶やかに光る黒髪が、ページを捲る微かな振動でサラリと肩から流れる。

半ば伏せられた目は、長いまつげの影が落ちて憂いさえ感じさせた。

透き通るような白い肌。―――黒髪と黒い服という対照的な色合いに、肌の白さが更に強調されている。

恐ろしく整った顔は精巧な人形のようで、黒い双眸は見るものを呑み込みそうなほど深い。

綺麗な人だと、ナナミは思う。

出会ったときから思っていた。

女性にしては高い身長。

すらりと伸びた手足は細く、華奢な身体つきは戦いとは無縁に見える。

しかし剣を持てば誰よりも強く・・・―――その上魔力も高く、紋章も自由に操って。

かと思えば知にも秀でており、頭の回転は速く状況判断も素早い。

あのシュウに認められるほどの能力を秘め、だからこそ必要とされる。

誰に対しても平等な態度で接し、いつも笑顔を絶やさない優しい人。

時々子供っぽいところを見せるが、それもまた魅力で・・・。

これが『トランの英雄』。

多くの人を惹きつけ、そして導いた人間。

「・・・あの〜、ナナミ?」

不意に声を掛けられ、ナナミは思考の海に沈んでいた意識を浮上させた。

我に返ると声の主とバッチリ目が合って・・・―――ナナミの目に映るは困ったように微笑んでいる。

「・・・え?あ!どうしたの、さん!?」

見惚れていたなどという事を悟られたくなくて慌てて声を上げると、は気まずそうに頭を軽く掻いて。

「いや、どうしたっていうか・・・」

「う、うん!」

「うん。・・・・・・そんなにジッと見られると、照れるんだけど」

言われた言葉の意味が一瞬解らず、ナナミは小さく首を傾げる。

そして一拍を置いた後にその意味を理解し、瞬時に顔を赤く染め上げた。

「き、気付いてたの!?」

「いや・・・・・・うん、まぁ」

ナナミの様子に驚きながらも、は申し訳なさそうに小さく頷く。

気付いてないと思ってたのに・・・!

そう心の中で叫んでみるが、それが何の意味もないことにナナミは気付いた。

「・・・ごめんなさい」

「別に謝る必要はないんだけどね。怒ってるわけじゃないし・・・」

シュンとしょげるナナミに慌てたように言葉を続け、は小さく苦笑する。

「それで?」

「・・・え?」

脈絡も無く尋ねられ、ナナミはキョトンとの顔を見返した。

何を聞かれているのか解らない。―――の質問が何なのかを探るように見つめ返すナナミに、は再び苦笑した。

「ずっと見てたでしょ?だから何か話でもあるのかと思って・・・」

付け加えられた言葉に、ナナミは納得したとばかりに頷いた。

「それで?何の話?」

「え!?いや・・・その・・・特にこれといって話は無いんですけど・・・」

「そうなの?」

「はい!」

「・・・そうなんだ」

ナナミの言葉に、は1つ頷く。

それならば何故ジッと見ていたのかが気になったけれど、どうやらナナミはそれを言いたくないらしいことが解り、はそれ以上聞くのを止めた。

「あ、そうだ。お茶淹れたんです。さんも良かったら・・・と思って」

話を打ち切るように差し出されたお茶に、は「ああ!」と1つ頷いてそれを受け取った。

フワリと揺れる白い湯気と、漂ってくる茶葉の香り。

それに知らず知らずの内に頬を緩ませたは、ナナミに笑顔を向けて。

「じゃあ、いただきます」

少しだけ不安そうな表情を浮かべるナナミに礼を告げて、それを口に運んだ。

「・・・・・・どう、ですか?」

ヴァンサンやシモーヌに合格点を貰ったとはいえ、相手はなのだ。

トランではトップクラスの貴族であり、おそらく幼い頃から本格的な紅茶など飲み慣れているだろう。

もうちょっと蒸らせばよかった・・・とか、もうちょっと丁寧に淹れれば・・・とか、不安の種は尽きない。

しかしはそんなナナミなど気にした様子なく、紅茶を堪能し。

「美味しい」

「本当ですか!?」

「うん、本当だよ。こんなに美味しい紅茶を淹れる事が出来るなんて・・・ナナミは凄いね」

偽り無く告げられたお褒めの言葉に、ナナミは今度こそ破顔した。

「良かった〜!!」

口から出るのは、偽りの無い本心。

教えてくれた2人には悪いが、ヴァンサンに誉められるよりも、シモーヌに誉められるよりも、に誉められた事が何よりも嬉しい。

そんなナナミを微笑ましそうに眺めながら、は更にカップを傾ける。

その様子を眺めながら、やっぱりさんは綺麗だとナナミはぼんやりと思った。

紅茶を飲む仕草が優雅で、まるで一枚の絵のように様になっている。

よくよく思い返してみれば、の仕草は全てが流麗で育ちの良さが窺えた。

さんって、綺麗だよね・・・」

ナナミの口から、ポツリと言葉が零れ落ちた。

目を丸くするを見て、ナナミは首を傾げる。

どうしてそんなに驚いた顔をしているんだろう?―――そう頭を悩ませて。

ふと、先ほど自分が漏らした言葉を思い出す。

あれ?今あたし、声に出してたっけ?

無意識の行動に、思わず慌てる。―――の驚いた表情が、それが間違いではないことを示していた。

「・・・ナナミ?」

「あ!いや!だから・・・その・・・別に深い意味はなくて!!なんていうか・・・」

突然の発言に呆然とナナミを見ていたは、その可哀想なほどの慌てぶりを目に映して・・・―――そしては嬉しそうに笑った。

「ありがとう、ナナミ」

にっこりと。

浮かべた笑みは、文句のつけようが無いほど綺麗で。

ナナミは思わず感嘆の息を吐き出して・・・―――そして脱力したようにテーブルに伏した。

「どうしたの、ナナミ?」

「やっぱりさんは綺麗だよ」

今度はすんなりとその言葉が出てきた。―――1度は告げてしまっているのだから、今更隠しても仕方がないと思ったのかもしれない。

ナナミがテーブルに伏したまま、枕代わりになっている自分の腕の隙間からを見ると、は困ったように微笑んでいて・・・。

そんな顔さえ綺麗に見えてしまうのだから、ずるいとさえ思う。

「・・・いいなぁ」

ポツリと、再び言葉が落ちた。

それは完全に独り言で。―――しばらくの沈黙の後再びを見れば、既に彼女の視線は分厚い本に戻っていた。

身を起こして、頬杖をつきつつの顔を眺める。

同じ人間だというのに・・・どうしてこうも違うのだろうか?

さんのようになれれば、きっともっとを助けてあげられるのに・・・。

神様は不公平だな・・・などと、いるかどうかも解らない存在に不満を抱いた頃。

「ねぇ、ナナミ」

本に視線を落としたまま、が自分を見つめるナナミに声を掛けた。

「な、なに?」

「ナナミはさ・・・」

そこで言葉を切って、はゆっくりとした動作で顔を上げる。

の漆黒の目に、自分の姿が映っているのをナナミは見た。

「ナナミは・・・私になりたいの?」

「・・・え?」

言われた言葉に、ナナミはキョトンと目を丸くした。

さんになりたい?

頭の中で反芻して・・・―――そして胸の中のもやもやとした気持ちに気付く。

確かに・・・確かにを見て「いいなぁ」と思った。

けれどそれは別にになりたいとか、そんな事ではなくて。

そんな事思っても、なれるわけが無い事も十分解っていて。

「ナナミは、今の自分が嫌い?」

問われて首を横に振る。

そりゃ・・・もっとこんな風になりたいと思う時もあるし、自分のこんなところが嫌いだと思う時もあるけれど。

だけど嫌いなのではない。―――別に不満があるわけじゃ、ないのに。

けれど羨ましいと思ってしまう。

ナナミの目から見て、は何でも持っているように見えるから。

チラリと視線を向けると、は困ったように微笑んだ。

「私は、ナナミが羨ましいわ」

「え!なんで!?」

の口から飛び出てきた思わぬ言葉に、ナナミは大きな声を上げた。

それには少しだけ笑みを深めて。

「ナナミの持つ純粋さとか、素直なところとか。一途で人のことばかり考えてるお人好しな所も全部、とても尊いものだと思うから・・・」

それはすべて、が失ってしまったモノだから。

今の自分に不満があるわけではない。

こうありたいと願って、そして努力してきた結果なのだから。

は解放戦争時、今まで知らなかった人の闇の部分を知った。

裏切り、憎しみ、嫉妬、欲望。

それらはどろどろと混ざり合い、人の綺麗な感情を呑み込んでいく。

綺麗なままでいることなど、不可能だった。―――けれどはそれを不満に思ったことは無いし、人に押し付けるくらいならば自分が汚れた方がマシだとさえ思える。

それでも、綺麗なモノが眩しく見える時だってあるのだ。

「こんな風に・・・大切な人の為に何かしてあげたいと、一生懸命なところとか。さっきみたいに、素直に人を誉めてあげられるところとか・・・。それは簡単なように思えて、実はとても難しい事だと思うの」

「・・・そうかな?」

不安気にを見上げるナナミに、はにっこりと微笑みかけた。

「人を羨む必要なんてない。ナナミはナナミでしょ?」

「・・・うん」

「ナナミは、とても素敵だよ」

掛けられた言葉に、ナナミは驚いて顔を上げた。

目の前には、柔らかく微笑むの笑顔がある。

「素敵?・・・・・・あたしが?」

「うん」

即答で返された返事に、ナナミは顔を真っ赤に染め上げた。

そんな事を言われたのは、初めてだった。

そしてその言葉を言った人間が、自分の憧れる人物で・・・。

嬉しいような、恥ずかしいような、そんな複雑な気持ちを胸に。

「・・・ありがとう、さん」

漸くその言葉を口にしたナナミに、相変わらず綺麗に微笑む

やっぱり・・・とナナミは思う。

やっぱり、さんは凄い人だ・・・と。

そんな人に誉められたのが、やっぱり嬉しくて。

そしてやっぱり、憧れを抱いたりするから。

「やっぱり・・・いいなぁ、さん」

そんな言葉を口にしたりする。

するとは、そんなナナミを見てクスクスと笑みを零して。

「人は人に憧れを抱く生き物だからね」

「・・・さんも、やっぱり誰かに憧れたりする?」

「そりゃ、もちろん。あの人みたいになりたいって思うよ」

「・・・それって、誰の事?」

「内緒」

サラリと会話を打ち切られて。

再び本へ視線を戻したを眺めながら、ナナミは柔らかい風に揺れる琥珀色の液体を目に映して微かに微笑んだ。

 

 

誰かを羨ましいと思ったり。

こんな風になりたいと思ったり。

それは本当に、当たり前にある感情なのかもしれないけれど。

でも・・・今ある自分を大切に思うことも、きっと重要な事なのだと思うから。

『ナナミは、素敵だよ』

その言葉1つで、こんなに嬉しいから。

だからもうちょっと、頑張ってみようと思える。

温かい太陽の光を浴びて、淹れたての紅茶を飲みながら。

憧れの人と会話をした、そんな休日のある日。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

一体、何が書きたかったのか・・・。

ナナミから見た、トランの英雄。そしてという人。

なんか凄いべた褒めな感じ。(笑)

途中からヴァンサンとシモーヌは何処行った!?(笑)

作成日 2004.6.16

更新日 2009.1.24

 

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