全てを投げ出して、旅に出たあの日から3年。

私の中の錆付いていた時計が、再び時を刻み始めた。

物語は・・・―――彼女の来訪から始まる。

 

運命の択を

 

開け放たれた窓の外から柔らかい風が舞い込んできて、ソッとカーテンを揺らす。

テーブルの上に無造作に広げられた本のページが、音を立てて捲られる。

それを何をするでもなくぼんやりと眺めていた私は、小さく息を吐いた。

解放軍を率いて赤月帝国と戦った、あの解放戦争から既に3年の月日が流れていた。

その間、私は当てもなく・・・ざまざまな国を渡り歩き。

そして今、故郷からほど近い小さな村に滞在している。

もちろん1人ではない。―――私の親代わりでもある、彼・グレミオも一緒だ。

一度は失ったと思っていた温もりを傍で感じる事が出来て、それだけで私は幸せなハズなのに・・・―――それでもこの胸にぽっかりと空いた、なんとも言えない気持ちは何だろう?

いろいろなところを旅して。

いろいろなものを見て。

いろいろなものを感じて。

なのに私を襲う、この空虚な気持ちは何なんだろう?

そんなことを考えるうちに、私は全てにやる気を失った。

様々な知識を得ることも、見たことのない珍しい物を見ることも、全てがどうでもよくて。

旅を続けることさえも、もうどうでもよくなって。

こんな気持ちを、私は一度味わった事がある。

そんな状態でこの村に辿り着き、すでに1ヶ月の時が流れていた。

 

 

コンコン、と遠慮がちなノックに、私はやる気のない間延びした返事を返す。

ドアから顔を覗かせたのは、さっきも言った私の親代わりのグレミオ。

グレミオは持っていたお盆をテーブルの上に置いて、私に向かって微笑んだ。

「美味しいお菓子を頂いたんです。お嬢も食べるかな・・・と思いまして」

テーブルの上に並べられたクッキーは、お世辞にも綺麗とは言えないイビツなカタチをしていて、それでもそのカタチが星やらハートなのが分かる。

このお菓子は、私たちがお世話になっているこの宿の子供が作ったものなのだそうだ。

妙に人なつこいその子供が、ドアの向こうからこちらを盗み見ているのが気配でわかる。

いつもドタバタと走り回って騒がしいその子供が大人しく、照れたように、期待したように目を輝かせているのを見て、私は小さく微笑んだ。

「ありがとう、頂くよ」

そう言ってイビツなカタチの星型クッキーに手を伸ばした。

甘い―――かなり。

甘いのは嫌いじゃないんだけど・・・・・・これは流石に。

だけど私は嬉しくて。

多分あの子供は私のためにこれを焼いてくれたんだろうから。

その気持ちが嬉しくて、私はそれを残さず食べた。

心配したように、困ったように笑うグレミオに私も小さく笑いかけて、入れてもらった紅茶を一気に飲み干した。

 

 

分かっていた。―――それが分からないほど、私は鈍くない。

とても心配をかけている。

それはグレミオだけじゃなくて、この村の人たちにも・・・―――そしてあの子供にも。

分かっていても、動き出せない。

昔、同じような状態に陥った時・・・・・・私はどうやって動き出したんだっけ?

上手く回転してくれない頭を無理やり動かして、何とか記憶を辿っていって。

ふと・・・本当に何気なく、思い出した。

そうだ・・・あの時は『彼』が、私をこの底なし沼から救ってくれた。

「・・・・・・ール」

『彼』の名前を呼ぼうと口を開いたけど、何故か掠れた声しか出てこない。

会いたい・・・と、そんな事を思う。

それはまたこの底なし沼から救ってほしいからじゃ、決してなくて。

ただ漠然と・・・―――心がそれを求めた。

『彼ら』とは解放戦争終了直前に、あの崩れる城の中で別れて以来だ。

あの後も何の音沙汰もなく・・・生きているのかどうかさえも分からない。

調べたいと思う気持ちと、調べたくないという気持ち。―――もしも彼らがあの最中で命を落としていたとしたら?

微かな希望でも、縋りたかった。

もう二度と誰も失わないと誓ったというのに・・・―――それでも守られてばかりだった自分がこの上なく、情けなくて。

『風邪を引きますよ・・・?』

そう言ってグレミオによって閉じられた窓。

もう風が舞い込んでくることはない―――本が風に弄ばれることも。

私はゆっくりとした動作で立ち上がり、窓際に歩み寄った。

ソッと手を伸ばし窓ガラスを押すと、思ったよりもそれはいとも簡単に外側に開いた。

それと同時に夜特有の少し冷たい風が部屋に舞い込んでくる。

刹那、私の背後に淡い光が浮かび上がった。

それが何なのか、私はよく知っている。

光は一点に集中し、それは少しづつ大きさを帯びてくると、やがて弾けるように四散した。

そして音もなく、まるで初めからそこに在ったかのように佇む1人の人物。

「・・・久しぶり・・・・・・って、そうでもないか」

私の言葉に、その人物は苦笑いを浮かべて。

「・・・こんにちは、

レックナートの静かな声が、部屋の中に響いた。

 

 

私とレックナートは、いわゆる茶のみ友達だ。

解放戦争の後、旅に出た行く先々で彼女は何の前触れもなく私の前に現れた。

『もしよければ、たまに話し相手になってもらえませんか?』

最初に姿を現した時、彼女が私に言った言葉。

同じ『真の紋章』を宿す者同士―――傷を舐めあうわけじゃないけど。

長い時の中で、彼女はただそれができる相手を求めていたんだろう。

それはルックでもいいんじゃないかと思ったけれど。

やっぱり師匠と弟子という間柄だからなのか。

それともその他にも理由があったのか、それはわからないけど。

成り行きとはいえ、彼女と彼女の姉・ウィンディの確執を終わらせたのは私だと、彼女はそう思っていて。

だからなのか―――彼女・レックナートは私に心を許した。

それ以来、『たまには』と言った彼女は、週に1度は私の元に忍んで来る。

「・・・座って?お茶でも入れるからさ」

いつもならば私が声をかけなくても、勝手に座って勝手にお茶を入れている彼女は、しかし部屋の中央に突っ立ったまま動こうとしない。

不思議に思ってお茶を入れる準備をしながら首を傾げる私に、彼女は視線を向けて。

「再び、宿星が集おうとしています・・・」

静かに、しかしきっぱりと言い切ったその言葉に、思わず私の動きはピタリと止まった。

カチャリ、となったカップの音が妙に耳障りで、私は小さく手元のカップを睨みつけると、再びレックナートに視線を向ける。

「・・・・・・そう」

簡単な返事を返して、私はお茶の用意を続けた。

解放戦争時代に培った精神力で冷静を装ってはいたけど、実際頭の中は真っ白で。

レックナートの言った『宿星が集う』という言葉の意味も、どうして彼女がそれを私に伝えるのかも、そもそもどうして頭の中が真っ白にならなきゃいけないのかも、何もかも分からずに。

混乱する頭を何とか抑えつけ、それでも私はレックナートにお茶を出すことに成功した。

物音1つ立てずにテーブルについたレックナートは、淹れたてのお茶を一口飲む。

それを確認してから、私はおもむろに口を開いた。

「・・・それで?」

私の問いかけに、レックナートは小さく首を傾げる。

「・・・それで、とは?」

返って来た言葉に、私は内心苛ついていた。

はっきり言って彼女は鈍くない。―――私のした質問の意味も、ちゃんと分かっているはずだ。

なのにわざとあんな風に聞き返してくるのは、それを私の口から言わせたいから。

もう全部なかったことにして放り出してやろうかな?―――と微かに思ったが、どうせまたすぐ尋ねてくるだろうことが予想されて、私はため息混じりにもう一度質問した。

「・・・それで、今度はどこが舞台なの?」

今度はどこが、戦乱に巻き込まれるの?―――声には出さず、心の中で問い掛ける。

それが分かっているのかいないのか、彼女は簡単な言葉で返事を返してきた。

「・・・北です」

「・・・北?北って・・・・・・もしかして、ハルモニア?」

思わず身を乗り出した私を一瞥して、レックナートは小さく首を横に振った。

それを確認して、「そりゃそうだろう」と私は心の中で自分に突っ込んだ。

ハルモニア。―――それはこの大陸でも一番大きく、そして最も長く繁栄してきた国。

その頂点に立つのは神官長・ヒクサク。

最近では人前に姿を現すことはなく、死亡したのではないか?という噂もあるが、真実は闇の中。

レックナートにも、その弟子のルックにも・・・―――そして私にも、少なからず因縁のある国。

ある人から聞いた話によると、ハルモニアの中枢では熾烈な権力争いが起こっているらしいから、もしかして・・・とも思ったんだけど。

普通に考えれば、ハルモニア相手にケンカを売ろうなんて馬鹿な考えを持つ人間はそうそういないだろう。

長く続いた国は根底から徐々に腐り始めているのだろうが、ハルモニアという国が持つ力は他の国が簡単に太刀打ちできないほど強大で。

それを知っているハルモニアの民が、反乱を起こそうなんて決断できるだろうか?

ハルモニアに恨みを持っている国も少なくないだろうが、自分の国を滅ぼしてでも一矢報いようなんて考える王様がどこにいるだろう?

そこまで考えて、私は深いため息を落とした。

考えれば考えるだけ、憂鬱になってくる―――考えれば考えるだけ、腹も立ってきた。

だから考えるのをやめて、私はレックナートに問い掛ける。

「じゃあ、どこの国?」

「ジョウストン都市同盟です。そしてその北にあるハイランド王国に・・・」

ジョウストン都市同盟。―――その国の名前は聞いたことがある。

赤月帝国時代、何度も領土を広げようと攻めて来た隣の国。

確か5つか6つくらいの小さな都市が集まって出来た国だったハズ。

いろいろなところを旅したにも関わらず、何故か都市同盟には行ったことがないことを思い出した。

ハイランドのことはよく知らない。―――昔、ハルモニアから独立した国だという事くらいしか。

さっきまで動いてくれなかった私の脳は、こういう時だけ回転がいい。

素早く必要な情報を引き出して1人納得した後、再びレックナートに視線を向けた。

「・・・どうして私にそれを伝えに来たの?」

私の言葉に、レックナートは静かにお茶を飲んで・・・―――しかしきっぱりとした口調で私には衝撃的なその一言を口にした。

「貴女も、既に運命の輪に巻き込まれているからです」

部屋の中に、痛いほどの沈黙が落ちた。

耳が痛むほどの静寂の中、それでも私は妙に冷静で。

ああ、多分こういう話なんだろうなぁ・・・なんて予想してたからなのか。

それとも、ただ実感が湧かないだけなのか?

視線をカップに落として、ぼんやりと揺れるお茶の上面を見る。

歪む自分の顔、それがなんだか可笑しくて。

私はもう一度、質問を繰り返した。

「どうして?・・・どうしてそれを私に伝えに来たの?」

宿星の中に組み込まれているのはわかった。

彼女の言う通り、私は既に廻りだした運命の歯車の一部になっているのかもしれない。

それでも、だからこそ分からなかった。

もしそれを私に告げれば、私は逃げ出すかもしれない。

星の届かない遠い場所に。決して巻き込まれないよう・・・。

何か別の思惑でもあるのだろうか?とレックナートの表情を窺うと、彼女は小さく笑みを浮かべた。

「何故伝えに来たのか・・・。それは貴女が私の友だからです」

思ってもいなかった答えに、思わず目を見開いて彼女を見返す。

「本来ならば、伝えるべきではないのでしょう。それがぼんやりとした確定していない未来だとしても。それでも私は貴女に伝えに来た。これ以上、貴女が傷つく姿を見たくないと思ったからです」

「・・・・・・レックナート」

「宿星に従うか、それを拒否するかは貴女の自由です。全てを捨ててどこか違う場所に行くのもいいでしょう」

全てを捨てて・・・―――また私は、全てを投げ出そうと言うの?

静かに立ち上がったレックナートは、小さく微笑んでお茶の礼を述べた。

来た時と同じように光に包まれて消えていくレックナートをぼんやりと見つめながら、さっき彼女から聞いた言葉を頭の中で反芻していると、それを追いかけるように彼女の声が響く。

「そうそう。1つ言い忘れていたことがあります」

そのどこかからかいを含んだような口調に、私は思わず眉をひそめた。

「貴女の以前の仲間の何人かが、今回も再び宿星として存在しています。私はそれほど知らないので、誰が・・・とは言えませんが。確か解放軍の幹部をしていた青いマントの青年・・・フリックと言いましたか?彼と、常に貴女の傍にいた大柄な男がそうだったはずです」

驚きのあまり目を見開いた私に、確信的な笑みを浮かべたレックナート。

ああ、悔しいなぁ・・・。

全部謀られていたんだ。―――傷つく姿を見たくない、なんて言ってたくせに。

彼女は私を巻き込む気、満々だ。

何よりも悔しいのが、彼女の思うとおりになってしまうかもしれないということ。

すっきりしない想いを私の中に残したレックナートは、満足そうな表情を浮かべてアッという間に姿を消した。

腹立ち紛れにお茶を一気のみするが、お茶はもうすっかり冷めてしまっていて。

「・・・冷たい。・・・・・・その上、寒いし・・・」

出てきた文句と一緒に深くため息を吐き出して、自分で開けた窓を閉める。

そのまま窓ガラスに額を引っ付けるように寄りかかると、小さな笑みが込み上げて来た。

『確か解放軍の幹部をしていた青いマントの青年・・・フリックと言いましたか?彼と常に貴方の傍にいた大柄な男がそうだったはずです』

「フリックと・・・・・・ビクトール、か」

ついさっきレックナートの言った言葉を思い出して、その名前を呟いてみる。

今度は掠れる事もなく、すんなりと声に出す事が出来た。

生きてたんだ・・・、あの2人は。

心の中に重く沈んでいた『何か』が、ゆっくりと消化されていくのを感じる。

言葉に言い表せないほどの安堵感が身体を満たして、無性に泣きたくなった。

それと同時に感じる、なんの連絡も寄越さなかった2人に対するほんの少しの腹立たしさは、この際多少目は瞑っておく事にして。

生きてた。―――ビクトールとフリックが。

本当はその事実だけで・・・それだけでよかった―――身体の中から、言い知れぬ力が湧いてくるのには、それで十分だった。

「まぁ・・・あの2人が簡単に死ぬとは思えなかったけど・・・」

込み上げてきそうな熱いモノを誤魔化すように、軽い口調で呟く。

それでも心配だった事は確かだ。

「あ〜あ、ホント・・・・・・悔しいなぁ・・・」

私はもう一度、そう呟いて・・・そして笑った。

 

 

寝転がって、白い雲が所々に浮かぶ真っ青な空を眺めていた。

ゆらゆらと、緩やかに揺れる振動が心地いい。

「お嬢ちゃん、どこまで行くんだい?」

そう声をかけられて、私はゆっくりと身を起こした。

声をかけてきたおじさんは、水筒からお茶を注いでそれを私に渡すとニカッと音でも出そうなほどの笑顔を浮かべる。

私は礼を言ってそのお茶を受け取ると、一気に飲み干した。

目の前に広がるのは、長くどこまでも続いているかのような河。

そして高くそびえる山々。

頬を撫でるように吹き抜けていく風も、宿屋の部屋で感じたものとは全然違う。

太陽の光がじりじりと肌を焦がす感覚をどこか懐かしく思いながら、河の水でカップを洗っておじさんに手渡した。

レックナートが尋ねてきた次の日の早朝、私はこっそりと宿屋を抜け出した。

一応置手紙をしてきたけど、今ごろグレミオはパニックに陥っているかもしれない。

悪いなぁ・・・とは思ったけど、今回ばかりは1人旅をしたいと思った。

本当に悔しい。―――レックナートの一言で、少しだけやる気が出てきてしまった。

戦いに身を投じることには、未だ決心がつかないけれど。

私はニコニコと笑みを浮かべるおじさんに、にっこりと微笑みかけて。

「ちょっと・・・ジョウストン都市同盟まで行ってみようかな、と思ってるの」

今日の天気と同じように晴れやかな気持ちで、そう答えた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

幻想水滸伝2連載『君へ辿る道』スタートです。

・・・っていうか、暗っ!!主人公、かなり鬱状態です。

本当はこんな内容じゃなかったはずなんですけどね。書いてるうちに何となく(笑)

『昔この状態から救ってくれた〜』というのは、幻水1の時の話です。

もし興味がありましたら、そちらもどうぞ。(宣伝)

それではいつ完結するか分からない(完結するかも分からない)連載ですが、お付き合い頂ければ幸いです。

作成日 2004.1.17

更新日 2007.9.19

 

 

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