心に残る何か。

新しい一歩を踏み出すために、何をするべきか。

過去を振り切り、そして未来へと歩き出せ。

 

る勇気

 

淀みなく動いていたアップルの手が、ピタリとその動きを止めた。

小さく息を吐いて、書き上げたばかりの書類を手に取りトントンと揃える。

ふと窓の外を見れば、辺りは既に薄っすらと赤みを帯びていた。―――気が付かない間に、もう日が暮れかけているのだと気付いたアップルは小さく苦笑する。

それと同時にお腹が空腹を訴えるように小さく鳴いた。

「そういえば・・・お昼食べてなかったわね」

今さらながらに思い出し、再び口元に笑みを浮かべる。―――少し根を詰めすぎたのかもしれないと、頭の片隅で微かに思う。

シュウに至急と言われた書類を、彼女なりに手早く片付けたいと思った結果だった。

そのお陰か、明日になるだろうと思われた書類はすべて片付いている。

椅子に座ったまま、固まった身体を伸ばすように大きく伸びをすると、僅かな開放感にホッと息が漏れた。

そのまま立ち上がり、片付け終えたばかりの書類を手に部屋を出る。―――空腹感はもちろんあったが、一時でも早くこの書類をシュウに提出したいという思いの方が遥かに強かった。

エレベーターに向かい、ちょうど良いタイミングで来たそれに乗り込むと、シュウの部屋のある階のボタンを押す。―――少しの振動と共に動き出した小さな箱の中で、アップルは提出する書類の最終確認の為に素早く紙面の目を通した。

問題はない。

それに安心して、少しだけばらけてしまった紙束を整えてから、軽快な音と共に開いたエレベーターのドアから廊下に出た。

シンと静まり返った空間。

他とは違い、ここには滅多に人が来ない。―――主に幹部(それも同盟軍の主な要人)たちの部屋が密集したここは、一般の兵士などが気軽に立ち寄る場所でもない。

その静けさに心地良さを感じながら、アップルは目指す部屋へと足を踏み出す。

すぐにそこに辿り着き、ノックをする為に書類を抱えていない方の手を宙に上げたその時。

「これ、終わったよ」

部屋の中から微かに聞こえて来た声に、思わずその手を止めた。

シュウの部屋から聞こえてくるには、少しばかり違和感のある声。

考えなくともその声の主が誰であるか、アップルにはすぐ分かった。

=マクドール。

隣国・トランの『英雄』と呼ばれる彼女は、つい先日同盟軍に参軍したばかりだ。

他の幹部たちとは上手くやっているが、シュウとはどこか折り合いが悪い・・・―――というかぎこちない雰囲気をしていたはずだと、アップルは先日の会議で顔を合わせたシュウとを思い出す。

和解したのだろうか?

そう思うと、良かったと思う反面複雑な心境になった。

あれほどを避けていると言ってもおかしくなかったシュウが、いつの間にかと和解している。

自分とてに言わなくてはいけない事、しなくてはいけない事があるというのに、少しの気まずさからかと話す事を避けている事に本人も気付いていた。

これでは、今までと同じだ。

と会えた折角のチャンスだというのに、このままではいつまで経っても何も変わらないままだと、アップルは心の中で自分にそう叱咤する。

けれど一度怯んだ心はそう簡単に再起してくれるわけもなくて。

腕に抱えた書類がとても重い物に思えた。―――先ほどまではそんな事なかったというのに。

宙に浮かせたままの手を引っ込めて、ずり落ちそうになる書類を両手で抱えなおす。

出直して来ようか・・・。

そんな後ろ向きな気持ちまで生まれて、そんな事ではいけないと思いつつも、足は既にエレベーターへと向かっている。

やっぱり先にご飯を食べてこようと言い訳交じりに心の中で呟いて、エレベーターを呼ぶために片手を書類から離した瞬間、バランスを崩した紙束が音もなく床にぶちまけられた。

「・・・あ」

止める手も空しく、それはいとも簡単にアップルの手から抜け落ちて・・・―――開け放たれた窓から舞い込む微かな風に煽られて、廊下のあちこちへと滑っていく。

それをぼんやりと眺めていたアップルは、すべての書類が動きを止めたのを見て、のろのろとその場に座り込んだ。

足元にある書類を一枚一枚気だるそうに手を伸ばして、急激に襲い掛かる疲労に逆らう事無く重いため息を吐き出した。

「・・・はい、これ」

突然頭上から声が響き、緩慢な動作で顔を上げると、そこにあった予想外の顔に思わず息を呑む。

・・・さん」

それは先ほどまでシュウの部屋にいたと思われる人物。―――いつの間に部屋から出てきたのだろう。

全くしなかった気配に驚きを隠せず、そして自分の失態を見られてしまったことに対する恥ずかしさに、アップルはから書類を受け取ると顔を見られないように俯いた。

そのまま動けずにいるアップルに構わず、は黙々と廊下に散らばった書類を拾い集めていく。

手伝わなければと、自分も拾わなければと思うのに、何故か身体が動いてくれない。

固まってしまった身体は、本人の意思とは関係なく冷たい床の上に座り込んでしまった。

「これで・・・全部かな?」

「あ、ハイ。あの・・・・・・ありがとう・・・ございます」

緊張の為か喉が乾いて上手く声が出ない。

それでも何とか礼の言葉を述べると、アップルは書類を受け取るために僅かに顔を上げた。

「どう致しまして」

言葉と共に飛び込んできた、の柔らかい笑顔。

それに思わずホッと息をついた。―――身体の緊張が収まっていくのが、滑稽なほど自分でも自覚できる。

これが『トランの英雄』なのだと。

無条件に人を癒す笑顔。

放たれる穏やかな雰囲気は、張り詰めた空気をやんわりと解いていく。

柔らかい光と強い意志を称えたその深い双眸は、この上もなく人を惹きつける。―――それはアップルとて例外ではない。

けれど・・・。

「ほら、そんなとこ座ってちゃお尻冷たいでしょ?」

笑顔で手を差し出され、腕を掴まれたかと思うとヒョイと軽い動作で立たされた。

その細い腕からは信じられないほど、強い力だ。

「・・・どうしたの?」

先ほどから黙り込んだままのアップルに不審を抱いて、は俯いたままのアップルの顔を覗き見る。―――それに力なく首を振ったアップルを見て、は穏やかな笑みを再び顔に浮かべた。

人を安心させる笑顔。

何が不安なのか、それさえも分からないアップルにも等しく感じられる感覚。

けれど・・・アップルは昔、この笑顔がとてつもなく怖かった。

解放戦争当時は分からなかったけれど、今のアップルにはよく分かる。―――は解放軍にとって、これ以上ないほど最高のリーダーだった。

いつも毅然とした態度を崩す事無く、けれど平時には屈託なく解放軍に集まった人たちと時を過ごした。

暇さえあれば本拠地内を歩き回り、人との親交を深める。

戦いでは誰よりも前に立ち、その剣を以って人々を守った。

何があっても笑顔を崩さず、弱音を吐く事無く、ただ前だけを見据えて駆け抜けた英雄。

近しい人を失った時も、実の父親と戦った時でさえ、は涙を見せる事無くみんなの前に笑顔で現れた。―――それは心配を掛けないようにというの想いからだったのだけれど、その時のアップルにはそれが『平気』なのだと言っているように思えて。

冷たい人間だと、そう思った。

そう思うと、いつもある笑顔がどこか作り物のように見えて・・・。

いつもある完璧とも言える笑顔。―――その裏には一体何があるのか、底知れなくて。

「アップル?」

アップルは、声を掛けられて我に返った。

心配そうに顔を覗き込むに微かに笑顔を浮かべて、何とか言葉を搾り出す。

「大丈夫です。なんとも・・・ありませんから」

「そう?顔色、あんまり良くないみたいだけど・・・。今大変な時だってことは分かってるけど、休めるときはしっかり休むんだよ?」

「・・・はい」

気遣ってくれるの言葉を聞きながら、渡された書類を再び腕に抱え込んだ。

「うん。それじゃ・・・」

アップルのおかしな様子の原因が自分である事に気付いたのか、は寂しそうな笑顔を微かに浮かべて、そのままアップルに背中を向けた。

アップルの背にあるエレベーターには乗らずに、少し歩いたところにある階段を目指しているようだ。

去っていくの背中をぼんやりと眺めながら、アップルは思わず声を掛けた。

「・・・あ、あの・・・・・・さん!!」

「・・・・・・?」

突然呼び止められて、は少し不思議そうな面持ちで振り返る。

「どうかしたの?」

柔らかい笑顔と共に掛けられる声に勇気を奮い立たせて、アップルは泳いでいた視線をの目に合わせた。

窓から差し込む夕日を背に立つの表情は、アップルからは逆光になっていてはっきりとは分からない。

それでもアップルは竦む足を何とか動かして、ゆっくりとの側に歩いて行った。

「あの・・・私、ずっとさんに謝らなきゃと思ってて・・・」

「・・・・・・謝る?」

「・・・はい。3年前のことを・・・」

廊下に佇むの前まで歩いていったアップルは、その前で足を止める。

彼女よりも少しばかり背の高いの顔を見上げて、まっすぐと自分の視線をに向けた。

「私・・・貴女にとても酷いことを言いました。貴女がどれほど苦しんでいたのかも考えずに・・・」

「・・・・・・」

「戦争中に少しの間だけ、さんの様子がおかしかったときがありましたよね?」

言って記憶の糸を手繰る。

その頃アップルは今と同様、それほどと親しいわけではなかったけれど、常に本拠地内を歩き回っていたの姿が消えた事にすぐに気付いた。

最初は忙しいのだろうと、特に何の疑問も抱いてはいなかったけれど、それが数日続けば嫌でも違和感が生まれる。

それとなく師であるマッシュに聞いてみると、『少し体調を崩しているだけだ』と神妙な顔で言われた。

そのマッシュの表情がどこか気になって・・・―――近づいてはいけないと言われていたにも関わらず、好奇心での部屋を覗いたことがあった。

そこで見た光景を、アップルは今でも忘れられない。

広い大きな窓枠に、身を預けるようにして座り込む

その視線は窓の外に向けられていたが、ピクリとも動かないその身体に違和感を感じた。

思わず身を乗り出して覗こうとしたアップルが小さな物音を立ててしまい、それに気付いたがこちらを振り返る。―――怒られるかと思ったが、アップルに声がかけられる事はなかった。

どこか空ろな目。

自分を見ているハズのその目には、何も映していないように見えて。

言葉を発する事の出来ないアップルに向かって、無意識であろう。―――微かに微笑んだが怖くて、アップルは振り返りもせずにその場を逃げ出したのだ。

「何があったのか私には分からなかったけど・・・。その時さえも、私は貴女が弱い人間なのだとそう思いました」

弱い人間だから、あんな風になるのだと。

「アップル。それは間違ってないよ。私はみんなが思ってくれるような人間じゃない。とても弱い人間なんだよ・・・」

そう言い寂しそうに笑うを見て、アップルは激しく首を横に振った。

「いいえ!いいえ・・・そうじゃありません。何があっても平気でいられる人間が強いわけじゃない。どれだけの辛い思いを経験しても・・・それでも立ち上がって歩いていける人こそが、本当に強い人なのだと・・・」

もし同じ立場になったとして、自分はあれほど強くいられるだろうかと思う。

比べる事がそもそもの間違いなのかもしれないが、マッシュという師を失っただけであれだけの悲しみや苦しみに苛まれたのだ。―――それを幾度となく繰り返してきたは、どれほどの悲しみや苦しみに苛まれたのだろう?

それでもは笑っていた。

自分を顧みず、人の為に心を砕いた。

それを思うだけで、熱いものが込み上げてくるのが分かった。

目に浮かんだ涙を必死に押し留めて、アップルは震える声を抑えて言葉を続ける。

「今ならば、貴女がどれほど頑張っていたのか・・・それを察する事が出来ます。辛くないはずなんて無かったのに・・・。だけどあの時の私は、マッシュ先生のことばかり。先生は今の自分がいるのはさんのおかげだと・・・いつもそう言っていたのに」

「・・・マッシュが?」

は感情の読めない声色で、ただ彼の名前を反芻した。

自分の軍師として、解放軍の軍師として、その身を粉にしてくれた男を思い出す。

私には、彼にそう思ってもらえるだけの価値があったんだろうか?

彼にとって・・・そして解放軍にとって、私は良きリーダーであったのだろうか?

いつも心の片隅にあった疑問。

今となっては確かめる術もない。―――もう彼はこの世にはいないのだから。

けれどその彼の弟子であるアップルから伝えられた言葉は、答えになっているかは分からずとものわだかまりを解いてくれる十分な力を持っていた。

「ごめんなさい、さん。許して欲しいなんておこがましくて言えないけど・・・でも今度会えたら、謝りたいとずっと思っていたんです」

そう言って勢い良く頭を下げたアップルにはソッと手を伸ばして、深く下げられた頭を上げさせる。

どこか不安そうな色を浮かべるアップルの顔を見返して、は心からの笑顔を浮かべた。

「ねえ、アップル。私は怒っていないし、貴女のことを嫌いだと思ったことも無い」

出来るだけアップルの負担にならないように。

これから気に病まずにいられるように、諭すような声色では言う。

「真正面からぶつかって来てくれるアップルが、私は凄く好きだったし嬉しかった。そう言ったら、おかしいかな?」

悪戯っぽく微笑むと、アップルは丸くしていた目を小さく細めた。

「それ・・・変です」

「だよねぇ・・・」

クスクスと笑みを零すを見て、アップルも釣られて顔を綻ばせた。

解放戦争が終わってから3年。―――こんな風に一緒に笑い合うことを、ずっと願っていたのかもしれないとアップルは思う。

それはにとっても同じだった。

本当は、こんな風にアップルと時を過ごしたかったと。

緊張が解けたからか、先ほどまで形を顰めていたアップルのお腹が、空腹を求めて大声を上げた。

「「・・・あ」」

それは聞き逃し様もなく・・・当然ながら聞いてしまったは、羞恥に顔を赤く染めるアップルを呆然と見返して。

「・・・うん」

1人納得して頷くと、再び俯いてしまったアップルの手を取って強引に階段を降り始めた。

「え、さん!?」

突然の行動におろおろとするアップルを首だけで振り返って、はいつもの笑みを浮かべる。

「私も昼ご飯まだなの。だからお腹ペコペコでさ。もうすぐ夕食の時間だし、折角だから一緒に食べない?」

誘う形の言葉ではあるが、その行動は強引である。

「で、でも・・・書類をシュウ兄さんに提出しないと・・・」

「そんなの後でも大丈夫よ。今は彼も他の仕事してるし、ご飯食べ終わってからでも十分に間に合うからさ」

有無を言わせぬ口調と行動に、はこんなに強引だったかと記憶を探る。

彼女の知る限り、がこういう行動に出たことはほとんどないように思えた。

そこでアップルは思い当たる。―――もしかしたら、は自分の身体の心配をしてくれているのかもしれないと。

顔色が良くないと自分の顔を覗き込んだの表情を思い出す。

一生懸命になりすぎると食事も忘れてしまうのは、おそらくとて人の事は言えないだろうと思ったが、それでも心配してくれる事は純粋に嬉しい。

「今日の日替わりのメニューはなんだろう?」

さんは日替わりメニューを頼むんですか?」

「う〜ん・・・どうしようかな・・・?」

真剣に悩みながらも、決して離されないアップルの腕を掴むの手。

手の平から伝わってくる暖かさに、アップルは知らず知らずのうちに頬を緩めた。

横を通り過ぎていく人たちが、この奇妙といえば奇妙な取り合わせに振り返っていく。

それをどこか可笑しく思いながらくすぐったい思いを抱きつつ、穏やかな雰囲気を放つの隣で、アップルも夕飯のメニューを思案し始めた。

 

 

「あー、今日は疲れたぁ・・・」

大きく伸びをしながら、はランプに照らされた明るい廊下を歩く。

少し早めの夕食を取った後、書類を提出するというアップルを見送って、特に用事もないので部屋に戻ろうと自室に向かっている途中だった。

身体が程良く疲れているのを感じる。―――こんな気分を味わったのは、ずいぶん久しぶりだと微かに笑みを浮かべた。

思い返してみれば、今日は一日いろいろなことがあったと改めて思う。

ずっと自分に敵意のようなものを向けていたシュウとも、何とか折り合いをつけることが出来た。

そしてずっと心の奥に引っかかっていたアップルとも、親しくなれたと思う。

これからの戦いを思うと多少は気分も滅入ってくるが、それでも今自分の抱える問題の一部が解決を見せたという事は、多少なりともの心に余裕を持たせている。

「そういえば・・・グレミオたちはどこ行ったんだろう?」

ふと湧いた疑問を、そのまま呟いてみる。

確かグレミオは今朝方、レストランを見に行くと言っていた事を思い出す。

ビクトールはたちと共に散歩と称した息抜きに出かけているハズだし、フリックは鍛錬をすると言っていたが、城内で見たニナの様子から言って追いかけられているだろう事は容易に想像できた。

それでも今はもう夜だ。―――それぞれがそれぞれの用件を片付けて終わっている頃だろう。

「ビクトールとフリックは・・・やっぱり酒場かな」

簡単に行動の予測がついてしまう2人の青年に苦笑して、ちょっとそちらに顔を出してみようかと方向転換した。

「お嬢!!」

その背中から大きな声が掛けられて・・・―――その声と呼び方に、振り返らなくとも誰かぐらい、は分かっている。

「・・・グレミオ」

振り返ったの目に、嬉しそうに顔を綻ばせてこちらに駆けて来る青年の姿が映る。

どこか犬を思わせるそれに、思わず笑みが零れた。

「どうしたの、そんなに急いで・・・。何か用事でもあった?」

「いえ、お部屋にいらっしゃると思ってたんですけど、行ってもいなかったので少し心配になって・・・」

そう言って少し表情を心配気に歪めるグレミオに、は今度こそ本当に苦笑した。

ここで一体何が起こるというのか?―――そう聞き返したいほど心配性なこの青年は、いつも過保護だと周りからからかわれるほど自分を心配してくれる。

それに甘えているという自覚があるものの、こうして当たり前に側にいてくれる嬉しさに、それを拒否しようとは思えなかった。

「・・・グレミオ。それ、何?」

漸くその手の中にある白い皿に目を留めたが小さく首を傾げると、グレミオは照れたように笑みを零した。

「ああ、これはクッキーです」

そう言って掛けられていた布を剥ぎ取る。―――そこには様々な形の、模様の、綺麗なクッキーたちがお行儀良く並んでいた。

「これ、グレミオが作ったの?」

「ええ、そうですよ」

「・・・食べても良い?」

「もちろん」

しっかりと了承を得て、はクッキーに手を伸ばした。

綺麗な丸い形をしたそれを手に取り、口元に運ぶ。

ふんわりとした微かな甘さと、しっとりとした歯ごたえ。―――さすが、グレミオが作ったと合って、好みに作られてある。

「美味しい・・・」

「本当ですか?はぁ〜、良かった」

見た目にはっきり分かるほど安堵したグレミオを目に映して、小さく笑う。

「突然どうしたの?グレミオがお菓子作るなんて珍しいじゃない」

大抵の料理なら作る事の出来るグレミオだが、お菓子作りはあまりしない。

出来ない事もないけれど、比較的お菓子作りは得意ではないのだ。

「いえ・・・その・・・・・・」

「・・・・・・?」

不自然に口ごもるグレミオを不思議そうに見上げて、は言葉の先を促すようにやんわりと微笑む。―――するとグレミオは降参とばかりにため息を零して。

「最近お嬢元気がなかったから、甘いモノでもと思いまして・・・」

告げられた言葉に、思わず目を丸くする。

そして思う。―――自分の微かな変化に、この青年が気付いていないはずはなかったのだ。

再びグレミオの手にあるクッキーに視線を戻して、もう1つ摘むとそのまま口の中に収めた。

ゆっくりと噛み締めるように味わって、すべてを飲み込んだ後にっこりと笑う。

「うん・・・すごく美味しい」

先ほどよりも心の篭った言葉と、そして浮かぶ笑顔は、グレミオが想像したものと全く同じもので。

釣られるようにして微笑む。

こんな穏やかな時間を、は何よりも大切に思う。

「おっ!お前ら、こんな所で何やってんだ?」

和やかに微笑みあうとグレミオの背後から、太い声が掛けられた。

振り返ると、そこには明るい笑顔を浮かべるビクトールと、どこか疲れた様子のフリック。

「これからこいつと呑みに行く途中なんだが、一緒に行かねぇか?」

こいつと指されたフリックは、見るからに倒れてしまいそうなほどで。

呑みに行くよりも休ませて上げた方がいいんじゃないかと、ぼんやりと思う。

「もう、ビクトールさん!そうやっていつもいつもお嬢を誘って!!」

「なんだよ、いいじゃねぇか」

「良くないですよ!お嬢の純粋な心が穢れます!!」

「・・・そこまで言うか」

グレミオの言葉に呆れた口調で返すビクトールを笑いを堪えながら見ていたは、気を取り直して2人の背中を軽く叩く。

「まぁ、たまにはいいじゃない。グレミオも行こうよ」

「お、やっぱりお前は話が分かるなぁ・・・」

「まぁ・・・お嬢がそう言うんでしたら・・・」

の一言で、2人は納得したように頷く。

グレミオとて酒を飲むのは嫌いではないのだ。―――だからこそ、の言葉もすぐに受け入れられる。

「それで・・・フリックはどうする?やっぱり部屋で休む?」

「いいや。今日という今日は倒れるまで呑んでやる!!」

鬱憤を晴らすようにそう宣言したフリックに、程々にしておきなよ・・・と苦笑する。

忙しい一日の締めくくりは、大切な仲間との語らいを。

騒がしい4人組は、周りの目を気にする事無く酒場に向かう。

 

決戦を前にした、そんな穏やかなある一日の出来事。

 

 

そんな穏やかな時間があっさりと壊されるのは、それから数日後の事。

お互いの存亡を賭けた、壮絶な戦いが繰り広げられるのはもうすぐ。

微かに輝く希望を掲げて。

裏切りと陰謀と、そして絶望の渦巻く中。―――彼らはそれでも精一杯生きるために、己のすべてをかけて戦いに挑む。

その先にあるモノを、今の彼らに知る術は無い。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

『見えない壁』の続きです。

実は元は1つの話で、しかもアップルとの話がメインでした。

ずいぶんと長くなったものです(しみじみ)

アップル・・・幻水1の時はメチャクチャ影が薄かったのに・・・。(笑)

作成日 2004.5.23

更新日 2008.9.7

 

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