例えそれが、私を痛めつけるだけの思い出だとしても。

例えそれが、私を絶望に追い込むだけの想いだとしても。

側にいて欲しい。

私はただ、それだけを願っていたんだ・・・。

 

過去への回帰

 

お嬢に指示されて、怪我をしたマイクロトフさんに肩を貸してその場から退いた私たちは、仮の本陣となっている場所までやってきた。

そこで少しばかりお嬢が来るのを待つも、一向に来る様子がなくて。

同じように心配して様子を見に行くと言い出したマイクロトフさんをカミューさんに任せて、私は単身決戦の場まで戻ってきた。

そしてそこで目にした、信じられない光景。

!!」

ただお嬢の名前を呼び続けるビクトールさん。

ぐったりとしたお嬢の背中からは、目を背けたくなるほど大量の血が溢れ出している。

「・・・お嬢?」

目に映った光景が理解できなかった。―――もしかしたら理解したくなかっただけなのかもしれない。

呆然とお嬢の名前を呟きながら、ゆっくりとその場に近づく。

「グレミオ!」

ビクトールさんが私の名前を呼んだけど、それに答える事さえ出来なくて。

「お嬢・・・」

お嬢の手を取ると、力の入っていないそれはスルリと私の手から抜け落ちる。

その時ようやく、何が起こったのかを理解した。

「お嬢!お嬢!!しっかりしてください、お嬢!!」

お嬢の傍らに座り込んで、ただ名前を呼び続ける。―――それしか私に出来る事はなかった。

「ちっ!!」

そんな私を見て、ビクトールさんが我に返り小さく舌打ちした後、お嬢の腰の剣を抜いて座り込んだままそれを構えた。

なんだろうと視線を向けると、そこには呆然と立ち尽くしているルカ=ブライトの姿がある。―――彼は血に濡れた剣を力なく下げたまま、呆然とお嬢を見下ろしていた。

そういえば今はルカ=ブライトとの戦いの最中だったっけ?

そんな事すら頭から抜け落ちていた私は、お嬢を守るために斧を構える。

これ以上、お嬢を傷つけさせたりはしない。

きつく彼を睨みつけると、ようやく我に返ったルカ=ブライトは、剣を一振りして踵を返した。―――小さく鼻を鳴らして、チラリとお嬢に視線を向ける。

「馬鹿が・・・」

「なんだとっ!?」

「折角の実力も・・・これでは発揮する事も出来ないだろう。人のことばかり気にしているから、こういう目に合う」

そう吐き捨てるように言うルカ=ブライトに、ビクトールさんはさらに怒りを露わにした。

だけど向かって行こうとはしない。―――今はお嬢の治療が最優先されると分かっているからだろう。

今ルカ=ブライトの相手をしている暇なんてない。

このまま彼が向かってきたらどうしようと思ったけれど、ルカはそれ以上攻撃を仕掛けては来なかった。

ただもう一度「馬鹿が・・・」と呟いて、くんたちが待機する森の奥へと消えて行った。

それを確認してから、再びお嬢に視線を戻す。

先ほどよりも顔色はさらに悪くなっていて、素人目にも危険な状態だという事は簡単に想像がついた。

どうすればいい?

混乱する頭は的確な判断を下してはくれない。―――ただおろおろとお嬢の手を握り締める私の耳に、救いの声が届いた。

「こっちです!急いでください、ホウアン先生!!」

ビクトールさんの隊の人が呼びに行ってくれたんだろう。

仮の本陣で待機していたホウアン先生が、慌てた様子でこちらに向かっていた。

「ホウアン先生!お嬢を・・・お嬢を助けてください!!」

縋る思いでそう叫ぶと、ホウアン先生は1つ頷いてお嬢の側に屈みこんだ。

ただ誰もが無言でその光景を見守る。―――ホウアン先生なら、きっとお嬢を助けてくれる。

あのリュウカン先生の弟子なんだから・・・大丈夫。

段々と険しくなっていくホウアン先生の顔を見ながらも、ただそれを祈るように頭の中で繰り返した。

「ダメだ、血が止まらない。ここでは治療にも限度があります!本陣に・・・いえ、本拠地に運びましょう!!」

そう判断を下したホウアン先生に、ビクトールさんが心得たとばかりに頷いてお嬢の身体に手を伸ばした。

「俺が運ぶ!この中じゃあ、俺が一番力があるからな!」

その言葉に頷いて・・・きっとビクトールさんが一番早く、お嬢を本拠地まで運べるだろうと思ったから。

けれど伸ばされたビクトールさんの手を、まるで遮るように誰かの手が掴んだ。

「お嬢!!」

ビクトールさんの手を掴んだのはお嬢で、さっきまで意識がなかったのに今はうっすらと目を開いてぼんやりと私たちを見上げていた。

「お嬢、頑張ってください!今ビクトールさんが本拠地まで運んでくれますから!」

励ますように声をかけると、お嬢はユルユルと首を振った。

「いい・・・いいから・・・ビクトールは行って。まだ・・・やる事があるでしょう?」

途切れ途切れに伝えられた言葉は、ようやくこの状況を思い出させるもので。

確かビクトールさんはフリックさんと一緒にくんの応援に行く事になっていた。

それはもちろんお嬢も一緒で・・・こんな事にならなかったら、きっと今ごろ援護に向かっていただろう。

「何言ってる!そんな事よりお前の・・・」

「私は・・・大丈夫だから」

「だけど!」

「ビクトールがいても、どうにもならないでしょ?なら・・・今やれる事をやって。早く行って!!」

搾り出すように声を荒げて怒鳴ったお嬢に、ビクトールさんは弾かれたように立ち上がった。

伸ばされた手は、お嬢の身体を掴めないまま宙を彷徨う。

私は苦しげに表情を歪ませるお嬢からビクトールさんに視線を移して、そして言った。

「ビクトールさん、行って下さい!お嬢がそれを望んでいるんです!!」

「グレミオ・・・」

「お願いします、ビクトールさん。お嬢の想いを無駄にしないで・・・」

そう言葉を続けると、ビクトールさんは何かを決意したように踵を返して、ルカ=ブライトが去って行った方向へ駆け出した。

「お嬢。ビクトールさん、行きましたよ」

お嬢に声をかけても、もう返事は返って来なかった。

再び気を失ってしまったお嬢の身体を抱え上げて、先に歩き出したホウアン先生の後ろを追いかける。

さっきのお嬢は、あんなにはっきりと喋っていた。

きっと大丈夫。きっと・・・。

そう願いを込めてホウアン先生に声をかけた。

「お嬢、大丈夫ですよね?」

だけど返ってきたのは、重い沈黙だけで。

「ホウアン先生?」

「正直言って・・・かなり危険な状態です」

告げられた無情な一言に、何も言い返すことが出来なかった。

「でも・・・さっきあんなに話して・・・」

それでも何とかそれだけを呟くと、ホウアン先生は険しい表情をさらに歪める。

「私には、どうしてさんがあれだけ話せたのかが不思議です。寧ろ・・・今生きていることの方が奇跡だと・・・」

「そんなっ!!」

お嬢の傷を見れば、それがどれだけ酷いものなのか・・・素人目にだって分かった。

だけど・・・きっと大丈夫だと・・・。

「紋章か何かで・・・」

「紋章で傷を治す場合、治される人の体力を少なからず奪います。本人がそれほど体力消耗していない時は、それを感じる事もないでしょうけど・・・。今のさんの体力を考えれば・・・無理です。さんの身体が持ちません」

目の前が真っ暗になっていくのを感じた。

なら、どうすればいい?

どうすればお嬢は助かる?

殿の紋章ならあるいは・・・。でも彼は今・・・」

くんは今、ルカ=ブライトと戦っている。

お嬢の治療なんて、出来るはずがない。

「何とか手は尽くします。これだけの傷と必死に戦っている人を、死なせたりはしません」

ホウアン先生の・・・まるで自分に言い聞かせるかのような言葉に、私はただ「お願いします」と言葉を繰り返した。

もう彼しかいなかった。―――お嬢を助ける事の出来る人は。

お願いします、神様。

なんでも・・・なんでもするから。

だからどうか・・・お嬢を助けてください!!

私はただ、それだけを願った。

 

 

ふと目を開くと、映ったのは見慣れた天井だった。

「・・・・・・あれ?」

ぼんやりとする頭。

霞みがかった視界に映る、見慣れたはずの天井。―――なのに妙に懐かしいと思ってしまったのは何でだろう?

重い身体をゆっくりと起こせば、そこはやっぱり見慣れた部屋で。

「・・・なんだろう?なんか・・・変な感じ・・・」

妙な違和感が私の中にある。

ふと窓から外を見れば、眩しい太陽の光に照らされたグレッグミンスターの街並みが広がっている。

そう、ここは私の家で・・・・・・ここは私の部屋で。

グレッグミンスターにある、将軍テオ=マクドールが構える屋敷で・・・。

順を追って頭を働かせば、出てきたのは当たり前の日常だ。

変なの。

何でそんな当たり前の事が分からなかったんだろう?

小さく首を傾げてベットから抜け出せば、ちょうどいいタイミングで部屋のドアが開く。

「あれ?お嬢1人で起きたんですか?寝ぼすけのお嬢にしては珍しい・・・」

「もう、グレミオってば・・・。私だってたまには1人で起きられるよ」

呆れ混じりにそう言えば、「それはスイマセンでした」なんて少しも悪びれた様子なく笑う。

「ほらほら、着替えるから出てって!」

「はいはい。すぐに朝食ですから早くしてくださいね。テオ様も待ってるんですから!」

グレミオのその言葉に、パッと笑顔が込み上げてきた。

「父さん、帰って来たの!?」

「ええ、今朝早くに。ですから早く支度してくださいね?」

「はぁ〜い!!」

グレミオが部屋を出て行ったと同時にパジャマを脱ぎ捨てて、ベットにかけてあった服を慌てて着込む。

父さんに会うのは本当に久しぶりだ。

逸る気持ちを抑えて、私は部屋を飛び出すと食堂に飛び込んだ。

「父さん!!」

声を上げて視界を巡らせると、いつもの席に座った父さんが目に映った。

「何だ、騒々しい。もう子供ではないのだから少し落ち着きを・・・」

渋い顔で説教を始めた父さんは、しかしふと言葉を切った。

そして驚いたような表情で私を見つめる。

「どうしたの?」

「どうしたってお前・・・それはこっちのセリフだ。何で泣いてる?」

「え・・・?」

言われて手を頬に当てる。―――冷たい感触がそこにはあった。

「・・・・・・あれ?」

気が付けば、さらに目から涙が溢れてくる。

なんで?なんで私泣いてるの?

とめどなく零れ落ちる涙を必死に拭っている私を見て、父さんが苦笑した。

「なんだ。そんなに寂しかったのか?」

「なっ!」

からかうようなその口調に、思わず声を上げる。

「違うよ!」

「ならなんで泣いてるんだ?」

「なんでって・・・・・・とにかく違うの!!」

その理由を説明できなくて、そう怒鳴る私に父さんはもう一度苦笑した。

「わかった、わかった。ともかく涙を拭け。そろそろクレオたちも来るぞ?」

「う〜・・・本当に違うんだから・・・」

「分かったから・・・」

本当に分かってるのかな?

そう思ったけど、クレオたちに見られたらさらにからかわれるだろうと思って、慌てて涙を拭うと父さんの隣の席に座った。

その後すぐにクレオやパーン・テッドが食堂に姿を見せて。

さっき泣いてたところを見られなくて良かったと安堵して、グレミオの美味しいご飯を食べながら穏やかな一日の始まりを実感していた。

 

 

朝食の後、テッドと狩りに出かけた。

草原を駆け回るウサギを捕まえて、今夜はウサギ料理だ!なんてはしゃぐ。

「でもお前・・・今日はずいぶんと手際が良かったな」

ロープで括られた数匹のウサギを目にしてテッドが笑う。

それに同じように笑みを返して。

「だって慣れてるもん」

自分で言った言葉に、思わず首を傾げた。

慣れてる?慣れてるって何に?

ウサギ狩り?―――いつも苦労してたっていうのに?

なんだろう?何かおかしい。

今朝感じた違和感が、再び私の中で芽生え始めた。

『ダメ!』

「でもさ・・・今日のお前、ちょっと変だぞ?」

『ダメだってば!』

頭の中で、声がする。

テッドの声に混じって、微かに聞こえてくる声。―――あれは、誰の声だろう?

「変?変ってどこが?」

『やめて!』

「なんか・・・いつもと違うって言うか・・・」

『思い出さないで!』

「・・・え?」

頭の中で響いた声に、思わず声を上げる。

思い出さないでって・・・何を?

「どうかしたのか?」

不思議そうに顔を覗き込んでくるテッドに、私は慌てて首を振った。

「ううん、なんでもない!」

本当だ。テッドの言う通り・・・なんか今日の私、少しおかしい。

ならいいけど・・・と笑うテッドに、何となく懐かしさを感じて・・・。

そう思ったら、無意識に私は口を開いていた。

「なんかね、夢を見たの・・・」

「・・・夢?」

「うん、すごく変な夢」

不思議そうなテッドを見返して、私はコクリとひとつ頷く。

どこか遠いところにあって、意識しないと思い出せないのに・・・―――なのに思い出そうとすると、それは鮮明に甦ってくる。

真の紋章とか、解放戦争とか・・・今の私にとっては、現実とは程遠い出来事。。

そしてテッドが・・・父さんが死んでしまう夢。―――なんて縁起の悪い。

そう、こんなのただの悪い夢だ。

気にする必要なんてない。―――そう、気にする必要なんて・・・。

思わず首を振った私を見て、テッドはもう一度笑う。

「変な夢なら、忘れちゃえよ」

「・・・・・・うん、そうだね」

そう返事を返して・・・だけど騒いだ胸の中はいまだ治まらない。

本当に忘れていいの?

問い掛ける。―――本当に忘れてしまっていいの?

『忘れてしまおうよ』

本当に?

『忘れてしまえば、幸せに暮らしていける』

本当にそうなのかな?

ゆっくりと立ち上がって、丘の上からグレッグミンスターの街を見下ろした。

平和な街。―――立派な皇帝が治める、永久の幸せがある場所。

だけど本当にそうなの?

私の見ているものは、本当に真実の姿?

!』

「・・・え?」

誰かの呼ぶ声が聞こえた。

『お嬢!』

さん!!』

ほら、また・・・―――この声を、私知ってる。

「・・・?」

不思議そうに私を見上げるテッド。

彼を見下ろして・・・ふと目に映った私の右手。

いつもはつけていないはずの手袋を外してみれば、そこには黒い見慣れた文様がある。

ああ・・・そうだ。

「どうしたんだよ、

「・・・テッド」

胸の中にあった違和感がなんなのか、それが今ようやく分かった。

これは、もうこの世にはない世界。

幸せだった子供の頃の・・・何も知らなかった私が生きていた世界。

忘れていいはずなかったのに・・・。

「私、帰らなきゃ・・・」

外した手袋を握り締めながら、私は彼方まで続く草原を歩き出した。

「お、おい!帰るってどこに・・・」

「現実に」

「・・・現実?」

意味が分からないとばかりに眉を寄せるテッドに、私は微笑みかけた。

「ここはとても幸せだけど・・・でも私がいる場所はここじゃない」

例えどれほど辛い事が待っていようとも、私は自分の意志で道を選び、そして自分の足で歩いてきたんだから。

「・・・・・・・・・」

「例え夢でも・・・もう一度会えてよかった」

戸惑った表情をするテッドに向かって、私は心からの感謝を告げる。

そう、たとえそれが夢だとしても、もう一度会えてよかった。

そう告げた私に、テッドはにっこりと微笑んで。

「ああ、俺も・・・」

その言葉と共に、辺りが眩しいくらいの光に包まれた。

目を開けていられない。

「さようなら、テッド」

ゆっくりと目を閉じて、私はテッドの笑顔を瞼の裏に焼きつけた。

 

 

!」

「お嬢!!」

呼ばれて目を開くと、そこには泣きそうな顔をしたグレミオとビクトール。

なんでそんな顔してるの?

そう言おうと思ったら、背中に激痛が走ってうめき声しか出なかった。

そうだ、私ルカに斬られたんだっけ?

おぼろげだった記憶が、一気に戻ってくる。

あれはやっぱり夢だったんだ。

今思えばそれで当然なんだけど・・・・・・妙にリアルだったなぁ、なんて思う。

その時チクリと右手が痛み、重い身体を少しだけ動かして視線を向けると。

ソウル・イーターがほのかな輝きを放っていた。

ああ、もしかして・・・。

あれはソウル・イーターが見せてくれた、記憶なのかもしれない。

彼が盗み取った数々の魂の・・・それはテッドや父さんの。

「お嬢・・・大丈夫ですか?」

「・・・ったく、心配させやがって」

そう安堵の息を吐く2人にやんわりと微笑みかけて。

「・・・ただいま」

私の呟いた言葉に、首を傾げている2人を見て笑みが零れた。

背中の傷は強烈に痛かったし、さっきの夢の名残か・・・まだ少し悲しかったけど。

それでも私は、確かに幸せを感じていた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

グレミオ視点→視点。

意識不明の重体だったにも関わらず、あっけない幕切れに。

いや、死なせるわけないんですけどね。(笑)

の過去はこんな感じじゃないかと、捏造してみたり・・・。

前回のラストと比べて、不自然なくらいほのぼのになりました。

作成日 2004.4.22

更新日 2008.10.5

 

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