暗闇に包まれた部屋の中に、淡い月の光だけが静かに降り注ぐ。

まるでそこだけ時が止まってしまったかのように、ゲドも、ジョーカーも、そしても身動き一つせずに。

ただ、お互いの顔だけを見つめ合っていた。

ゲドの右手に宿る『真の雷の紋章』が、3人の前で確かな存在を主張していた。

 

変わるモノ・変わらないモノ

 

静けさが支配するその場を壊したのは、ジョーカーの深いため息だった。

わざと音を立てて座っていた椅子から立ち上がると、目の前に座るゲドを見下ろし。

「その紋章のことも、スケッチのことも、忘れさせてもらう。わしには少し荷が重過ぎるからな・・・」

それは労わるような・・・どこか優しげな色を含んだもので、ゲドはほんの小さく笑みを浮かべると、そのまま後ろ手に酒場を出るジョーカーに礼を告げた。

未だ入り口付近で立ち尽くしているとすれ違いざま、ジョーカーが意味深な視線を投げかけてくるのに気付き、その意味に気付いて小さく苦笑する。

「いつまでもそんなところにいないで、こちらに来たらどうだ?」

ジョーカーの後ろ姿を見送っていたに、ゲドはそう声をかけた。

それに惹かれるようにゲドの傍まで歩いていくと、勧められるままに先ほどまでジョーカーが座っていた椅子に腰を下ろした。

「さっき言ってたスケッチって言うのは・・・?」

気になって尋ねると、ゲドはこの城を独立させる為に調印した時のスケッチだと告げた。

意味が分からず小さく首を傾げることでさらに説明を促すと、ゲドは窓の外に視線を向けてポツポツと語りだした。

「この城の調印には、俺ともう一人・・・―――今はジンバと名乗る男が手を貸した」

「・・・ジンバ?」

その名前には聞き覚えがあった。―――カラヤの村に行った時、襲い掛かってくるアイラたちを止めた男が、確かそんな名で呼ばれていた。

「ここは・・・かつて俺とジンバが『友』と呼んだ男と別れた最後の場所だ」

「それは・・・」

「この地を誰のものでもない場所にしたかった。あらゆるものから自由である事。それがその男の望みだったからだ」

ゲドの言う、その男というのが誰なのか、聞かなくとも察しはついた。

「その『友』が・・・炎の英雄?」

「ああ、そうだ」

予想済みの肯定の言葉に、は小さく息をついた。

今まで散々捜していた『炎の英雄』の影は、こんなに近くにあったのだ。

「だが・・・」

ゲドはなおも言葉を続ける。

「だが・・・奴は姿を消した。そして俺はこの紋章を右手に宿したまま、今も運命から逃げ続けている。永遠の生という名の牢獄に囚われたままな・・・」

寂しげな笑みを浮かべるゲドに、はどう答えてよいのかわからなかった。

本当の意味で、はまだゲドの心の悲しみを知ることは出来ない。

同じように永遠に囚われてはいても、まだは35年ほどしか生きていない。

それは人の生の範疇内であるし、大切な人を失うという経験は嫌というほどあっても、老いて死んでいくという光景を目の当たりにしたわけではないのだ。

は言葉を発することが出来ず、ゲドと同じように窓の外を見た。

そこから見える、小さな広場。―――おそらくは50年前、そこで彼らは別れたのだろう。

そこまで考えて、はふと思う。

先ほどゲドの言った『俺とジンバが友と呼んだ男』という言葉。

それは間違いなく50年前のことだろう。―――ゲドも、そして炎の英雄も真の紋章を宿しており、だからこそその言葉に違和感はない・・・が。

カラヤの村にいた、ルシアの右腕と称されるジンバという男。

彼はどう見ても70歳以上には見えない。―――もしゲドが先ほど言ったジンバという男が、カラヤの村にいた男のことなのだとしたら?

嫌な予感がした。

すべての符号が一致する。―――この地に集う、多くの真の紋章の姿が垣間見える。

「・・・どうした?」

急に身を強張らせたに気付いたゲドが、不思議そうに声をかける。

それに「なんでもない」と首を横に振って、再び窓の外に顔を向けた。

「・・・

「なに?」

「お前に、1つ聞きたいことがある」

いつになく積極的に会話を試みるゲドに、は肯定の意味で微笑んだ。―――最も、聞かれるであろう内容は想像がついていたけれど。

「お前と、仮面の神官将との関係だ」

やっぱり・・・と思う。―――やはりゲドが気付いていないはずがなかったのだ。

は一度大きく深呼吸をしてから、ゲドの顔を正面から見返した。

そして笑う。

「ゲドと一緒だよ・・・」

「・・・・・・?」

「私の、昔の友。ううん、私にとっては今も大切な仲間」

改めて言葉にしてみれば、意外と胸のうちがすっきりとしたことには気付いた。

そう、今も大切な・・・絶対に失いたくない存在。

「・・・捨てられないモノがある」

「捨てられないもの?」

「そう。私にとって、絶対に譲れないモノ。この紋章だって・・・」

言いながら、自分の右手を見る。

いつもはめている手袋を外せば、そこには黒い・・・―――まるで死神を思わせる文様がある。

大切な友人から託された、絶対に捨てられないモノ。

「例えこの紋章が、私を痛めつけるだけだとしても。どれほど大切な人を奪っても、1人取り残されて・・・永遠に彷徨うことになったとしても。それでも大切な人の想いが残っている限り、私はこれを絶対に手放さない」

「・・・

「彼には彼の想いがあって、だけど私には私の想いがあるから。だからこれが私の我が侭なのだとしても、絶対に彼を止めてみせる。私はその為に・・・ここにいる」

真剣な面持ちで自分を見つめるゲドに、はにっこりと微笑みかけた。

そしておもむろに立ち上がると、座ったままのゲドの傍に歩み寄り、そのままの体勢で不思議そうな表情を浮かべているゲドの頭を抱え込むように抱きしめる。

「・・・・・・っ!」

戸惑ったように身じろぎするゲドを、しかしは構う事無くさらに腕に力を込めて。

まるで小さな子供を宥めるように、優しく背中を撫でた。

「だから・・・頑張ろう?永遠に続く未来でも、私たちが生きている意味はきっとそこにあるから・・・」

「・・・ああ」

身体に確かに感じる暖かな感触に、ゲドはの身体を抱き返すと静かに目を閉じた。

 

 

「ほら!さっさと起きなさい!!」

酒場の正面にある空き部屋に、エースたち12小隊+αはいた。

どこから持ってきたのか・・・毛布をきちんと身体にかけて、それはそれは気持ちよさそうに眠っている。―――気付かれないようにと若干小声でそう声をかけると、順々に寝ぼけ眼で身体を起こした。

「・・・なんだ?」

「なんだ、じゃないわよ。仮にも傭兵なのにこんなに爆睡してていいの?人の気配で起きるぐらいしたらどう?」

呆れたようにそう声をかければ、エースが驚いたように目を見開いた。

「おまっ!!どこ行ってたんだよ?いつ戻ってきたんだ!?」

「昨夜。優秀な傭兵の皆さんは早々にお休みになっていたので、残念ながら気が付かれなかったみたいですけど」

冗談交じりに笑みを浮かべれば、エースはバツが悪そうに視線を泳がす。

そんな彼らに苦笑して、は改めて急かすように彼らが纏っていた毛布を引っぺがした。

「ほら、そんな事よりもそろそろ起きて。なんだか外の様子がおかしいのよ。雲行きが怪しくなってきたみたい・・・」

「マジで!?早く言えよ!!」

途端に勢い良く飛び起き、早々と身支度を済ませるエースに、なかなか起きなかったのはどこのどいつだと悪態を付きつつも、この騒ぎでもまだ眠っているアイラを起こしにかかった。

全員が起きて部屋を出たのは、それから10分後の話。

先に様子を見に行っているゲドとの合流地点に急ぎ、既にそこで辺りの様子を窺っているゲドに駆け寄り、現在の状況の確認をする。

ゼクセン評議会に退任を要請されていたこの城の城主は、どうやらそれを拒んだらしい。

城の全員がそれぞれ戦う意思を見せ、それを受けた評議会は強引に彼らを排除しようと兵を動かし始めた。

「どうも徹底抗戦になったみたいですね・・・。さて、どうします?」

「どうします?って、バレないようにしないといけないんだろ?」

「そ、そりゃもちろん!警備隊の仕事じゃないんだから、ここは絶対にバレないようにしないとっ!!」

戦う気満々のメンバーに不安を抱いたエースが、念を押すように強く口調を荒げる。

「・・・とは言ってもねぇ。バレないように、か。・・・めんどくさいなぁ」

建物の影から様子を窺いながら、が無意識に呟いた言葉に反応したのは、やはりというか12小隊会計係のエース。

「お前なぁ・・・。そりゃお前は警備隊なんて関係なしだからいいけど、俺たちばれたらどうなるか・・・」

その時の事を想像しているのだろう。―――小さく身を震わせて、恐ろしいものでも見るかのように表情を歪ませた。

どうせ給料が入らない・・・とか思っているのだろう、とは的確に推理する。

「ともかく、バレないに越した事はない。あいつらも自分たちの手でここを守りたいと思っているはずだ」

「そうだね。勇気を振り絞って戦おうとしてるんだから、その気持ちを汲んでやらないとね」

ゲドとクイーンが綺麗にまとめたところで、とうとう戦闘は開始された。

ゲドたちが今いる場所からはその戦いの動向を見ることは出来ないが、どうやら善戦しているらしい。―――しばらくすると剣戟の音がやみ、この城の住人たちが城に向かって走ってくるのが見えた。

そのまま城に向かい一目散に走る住人たちの後からも、数人の兵士たちが姿を見せる。

「さてと。まずは手始めにあいつらに退場願おう」

ゲドの言葉にそれぞれが己の武器を手に持ち、顔を見合わせてニヤリと笑う。

「アイラ。あのゼクセン人たちなら、思う存分戦ってもいいわよ」

からかうようにアイラに言葉を送ると、やる気十分といった風に力強く頷き、弓をゼクセン人に向けて構えた。

「まぁ、こうなったからには暴れてやりますか!」

諦めたのか、それともやはりこういうことが好きなのか。―――エースは勢い良く声を上げると、それを合図に全員が兵士に向かい駆け出した。

 

 

身を隠しながらの戦いは、思ったよりも大変だった。

この際、戦う相手であるゼクセン兵士に姿を見られるのは仕方ない。

しかし彼らを倒しつつ、それをこの城の住人たちに不審がられないように立ち回らなければいけないという事に、肉体的よりも寧ろ精神的に疲れを感じる。

まぁここの住人たちは思ったよりも鈍いようで、煙幕を使っても不思議に思うだけで追及しようとしないことはありがたかった。―――鈍いのではなく、それを気にするほどの余裕がないのかもしれないけれど。

どれほどの時間が経っただろうか?

ゼクセン兵士を倒しては隠れ、隠れては移動する。

そんな事を繰り返しているうちに、ようやく場に異変が起こった。

この城の城主である少年がゼクセン議員に何かの書状を突きつけ、すると議員は何事かを反論するが、しばらくの口論の末に兵士の伝令を受けて大人しく兵を率いて去っていった。

「・・・なんだぁ?」

「どうやらサロメ殿の策がなったようだな」

どんな策を練ったのかは窺い知れないが、なんとも鮮やかなものである。

この状況ですべての兵を連れて去っていくということは、当分はこの城を攻めるつもりはないのだろう。

それがいつまで持つかは分からないが、とりあえずは窮地を脱したのだ。

ホッと息をつく一同。

少し離れた場所で喜び合っている城の住人たちを眺めて、知らずに笑みが零れる。

その様子を眺めながら、ゲドはかつてこの地に来たときの事を思い返していた。

ワイアット・・・―――ジンバと共に、炎の英雄が望むように『自由』となったこの地で。

ゼクセンのものでも、グラスランドのものでもない、この場所で。

永遠に自由である事を望み続けた、かつての友。

運命からも、紋章の力からも・・・―――この地とて、彼のほんの気まぐれの1つにすぎないのだろうと、それを分かっていても。

ゲドにはそれが羨ましかった。―――自分にはない、その無邪気さが。

「・・・自由というのは、難しいね」

ぼんやりと勝利を分かち合う城の住人たちを眺めるゲドの耳に、本当に小さな呟きが聞こえた。

チラリと視線を向けると、そこには同じようにその光景を眺めているの姿が。

自由というのは、本当に難しい。

人はいつも、何かに縛られ生きている。―――ただそれを自覚しているか、していないかの違い。

自由は不自由があるからこそ、感じる事のできるもの。

不自由だと感じる事が何もなければ、決して自由を感じる事など出来ない。

自由と不自由はいつも隣り合わせ。―――その境界線は、とても分かりづらく難しい。

「ああ、難しいな」

簡単な言葉で返事を返せば、はゲドを見上げ小さく微笑む。

捨てられないモノがあると、は言った。

守りたいものが多く、捨てられない・・・―――譲れないモノが多くあると話す少女。

いつも何かに囚われ、右手に宿る真の紋章に翻弄され・・・―――それでもゲドには、炎の英雄同様にこの少女もまた自由であるように見えた。

確固たる信念を持ち、迷いながらもそれに向かい歩き続ける。

自分を待ち受ける未来は、決して幸せなものばかりではないと分かっていても。

それでも『頑張ろう』と言える少女。

とても強い心を持っていると、ゲドは思う。

「さて、サロメさんとの約束も果たしたし。これからどうする?」

にっこりと微笑みながらそう呟くの声に、一同はゲドの方へ向き直った。

ハルモニア本国から、真の紋章狩りの指令が出ている。

この地で何かを企む影がある。

目的の見えない、仮面の神官将がいる。

けれど、どれも未だに有力な情報はない。―――これからどこへ動くのか?と語る一同の眼を見返して、ゲドははっきりとした口調で言った。

「炎の英雄に会いに行く」

「「「「「は!?」」」」」

唐突すぎるその言葉に、一同は間の抜けた声を上げた。

会いに行くと簡単に言うが、肝心の炎の英雄の居場所さえも分かっていないのだ。

「ちょっと・・・。もしかしてどこにいるか知ってるのかい?」

不思議そうに尋ねるクイーンに、ゲドは小さく頷いた。

「1つだけ、炎の英雄が・・・―――あの男が待つ場所を知っている」

「・・・待つ場所?」

「ああ。グラスランドの東の外れ、チシャ村の程近い場所に・・・。そこになら、あいつがいる」

確信的なゲドの言葉に、戸惑ったようにエースとクイーンは顔を見合わせた。

どうしてゲドが炎の英雄の居場所を知っているのか、とか。

待つという言葉の意味、とか。

知っているのなら何故教えてくれなかったのか、とか。

今までいろんなところを彷徨っていた意味は、とか。

そんなエースとクイーンを見て、ゲドは搾り出すような声で言った。

「すまんな・・・。俺には、お前たちにさえ話せなかったことがある」

「・・・大将」

人の身には抱えきれないほどの力と、悲しみと、孤独と。

それらを簡単に話せてしまえるほど、ゲドは強くなかった。

「ゲド・・・お前、炎の英雄と知り合いなのか?」

おそらくあまりこの状況が読めていないのであろう。―――アイラが無邪気にそう尋ねると、ゲドは小さく微笑みながら1つ頷く。

どう答えていいのか迷いを見せる一同を見て、は重い雰囲気を吹き飛ばすように軽く声を上げて笑った。

「そんなことよりもさ。いいじゃない、炎の英雄の居場所がわかったんだから!こんな所でぐずぐずしてないで、さっさとそこに行こうよ」

「そりゃまぁ、そうだけどよ・・・。―――ああ、そうだな。悩むよりも前に行動だ!悩んでたって飯は食えねぇからな!」

何か言いたそうに口ごもっていたエースは、しかし同様明るい笑みを浮かべる。

彼もまた、考える事は好きではないのだ。

「そういえばよ。お前『炎の英雄に会いたい』って言ってたよな?どうだ、居場所がわかった今の気分は?」

「どうって言われてもねぇ・・・」

「なんだよ、はっきりしねぇな・・・。っと、そういえばお前、炎の英雄に会ってどうするつもりなんだ?」

エースはに会ったときから抱いていた疑問を、本人に投げかけてみた。

するとは少し悩む仕草を見せて。

「・・・秘密」

思わせぶりな口調で、それだけを告げる。

「・・・はぁ?なんだよ、もったいぶって!」

「いいじゃない。女は秘密が多いほど、素敵に見えるものよ?」

「素敵にねぇ。確かに外見はいいんだがな・・・。中身が俺と同じ歳だと思うと・・・」

「同じ歳だと思うと?」

ぶつぶつとぼやくエースに、は極上の笑みを向けた。

心なしか、薄ら寒い気がするのは気のせいだろうか?

「・・・な、ナンデモアリマセン」

急に覇気を失って縮こまるエースを、は満足気に見返して。

「ほら、そうと決まればさっさと行くよ」

いつの間にか主導権を確保したに引きずられるように、一行はビュッデヒュッケ城を後にした。

 

 

続く道の先に、どれほどの絶望が待っていようとも。

目に映る希望が、どれほど彼女たちを裏切ろうとも。

例えそれが、彼女たちを痛めつけるだけの想いだとしても。

それでも信じる道ならば進むのだろう。―――それは人の性なのだから。

 

彼女たちはまだ知らない。

自分たちを待ち受ける悲しい現実に。

そして、それでもなお輝きを失う事のない・・・光り輝く未来を。

 

「いい天気ねぇ・・・」

「・・・いいから、さっさと歩け」

柔らかい日差しの中、ゲド一行は見晴らしのいい草原を東に向かい歩き出した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

これはゲド夢?

おかしいな、これはビクトール夢のはずなのに。

いや、ビクトール前提の逆ハーだからいいか。(逆ハーさえも怪しい)

作成日 2004.3.8

更新日 2010.10.30

 

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