今チシャの村には、緊迫した空気が充満していた。

一方的に村を制圧すると宣告してきたハルモニア軍は、今も村のすぐ近くにその姿を見せている。

一方村の内部では、ゼクセン騎士団長であるクリスと、そして彼女の手によって故郷と親友を失い怒りに燃えるカラヤ族のヒューゴが相対していた。

そんな空気の中で――――――。

「大体、何でお前らまではぐれてんだよ!」

「それはこっちのセリフですよ!あの時お嬢の傍にいたのは、ビクトールさんでしょ!?」

「何言ってやがる!お前『自称』あいつの保護者だろ!?しっかり捕まえてろよ!!」

「自称じゃありません!私はこ〜んなに小さい頃から、お嬢の世話をしているんです!!」

興奮してギャーギャーと喚くビクトールとグレミオから視線を外して、フリックはがっくりと肩を落として呟いた。

「・・・お前ら、ちょっとは空気を読め」

精霊の儀式

 

「さーてと、これからどうするか考えねぇとな・・・」

「そうですね。揉めてる場合じゃありませんよね?」

ズキズキと痛む頭を抑えながら、ビクトールとグレミオは顔を見合わせた。

先ほどとんでもなくシリアスな場面で・・・しかしそれでも騒いでいた3人は、その光景を黙って見ていたアップルの手によって制裁を受けた。―――つまり『煩い』とゲンコツを食らってしまったのだ。

それに巻き込まれてしまった形であるフリックは、2人を恨めしそうに見ながらやはり痛む頭をゆっくりと撫でる。

ともかくも『話があるなら向こうでして来い』という指示を受けて、3人はクリスとヒューゴたちから少し離れた場所で円を描くように座り込み、お互いの顔を突き合わせていた。

「でもなぁ、どうするって言ってもなぁ・・・」

「そうですね・・・。今お嬢がどこにいるのか分からない以上、対策を練る事も出来ないですよね・・・」

グレミオとフリックは、今までを捜すためにあちこちを歩き回っていた。

今回クリスの旅に同行しているのは、他に打つ手がなくなったからである。

なのでここでビクトールと再会を果たしても、根本の問題が解決していない。

つまり、今彼らが選ぶ事のできる選択肢は全部で3つ。

1つ目は、再会したビクトールと3人でを捜しに行く。

2つ目は、このままクリスとの旅を続行し、炎の英雄を捜しているだろうを探す。

3つ目は、ヒューゴと共に旅をし、炎の英雄を捜しているだろうを探す。

「どれもこれも最良とは言えなさそうだけどな・・・」

「そうですね・・・。でも選ぶなら『2』ですかね・・・」

「う〜ん、やっぱり俺『3』だな。放って置けねぇし・・・」

地面に書き出した選択肢をそれぞれ指さしながら、まるで世間話をするかのような口調で呟いた。

選択肢『2』を選んだのは、やはりグレミオとフリック。

ビクトールは当然ながら『3』を選んだ。

誰も『1』を選ばないのは当然だろう。―――今まで単独とはいえを捜し、それでどうにもならないからクリス又はヒューゴとの旅を選んだというのに、今ここで『1』を選べば彼らと共に旅をしたことが無駄になってしまう。

「ふむ。また見事に意見が別れちまったな・・・」

「それはまぁ・・・仕方ないでしょう」

「そうだな。それぞれ一緒に旅をした相手に少なからず情は移っちまったからな・・・」

さてどうするか?とお互い顔を見返して。

「やっぱりこれしかねぇな・・・」

「ええ。仕方ありません」

何事かを納得しあうように頷いて、座り込んでいた3人はゆっくりと立ち上がった。

「折角再会できたのに残念ですけど・・・」

「ああ、あいつを放っておくわけにはいかねぇからな・・・」

「また無茶な事やりそうだし・・・」

結局彼らは、再び別々の旅を続けることに決めた。

それもすべて、たった1人の少女を捜すため。

グレミオとフリックは、正体がばれるとマズイからという理由で早々にチシャ村を出る事になったクリスに付いて行くことに。

ヒューゴと共にこの村に残る事に決めたビクトールに心配気な視線を送りながら、クリスと共に村を出る。

おそらくこの後、チシャ村ではハルモニアを相手にした大規模な戦いが行われるのだろう。

この村に残るということは、ビクトールも戦わなくてはならない。

アップルや、それに軍師であるというシーザーがいるのだから、まさか・・・の事態にはならないだろうとは思うけれど、それでも心配な事に変わりはない。

「無茶するんじゃねぇぞ?」

「そっちもな!」

ニヤリと不敵に笑うビクトールに声をかけて、フリックは再び歩き出した。

 

 

チシャ村に向かう時にも通った緑豊かなグプトの森を、女4人・男4人の総勢8名という団体で歩く、ある意味奇妙な取り合わせであるクリス一行。

ビクトールと今後の事について話し合っていたため詳しい行き先を聞いていなかったグレミオとフリックは、先を歩くユンとユミィにこれからの行き先の説明を聞いていた。

「アルマ・キナン・・・ですか?」

「はい。私たちの村なんです。緑に囲まれたとても綺麗な場所ですよ」

ニコニコと笑顔でそう返してくるユンを見て、グレミオも同じように笑顔を返す。

それにしても聞いたことのない村だ・・・とフリックが呟けば、当たり前だとあっさり返された。

アルマ・キナンはグラスランドの民ですら、ほとんど足を踏み入れたことのない場所だとユミィは言う。

「どうしてその・・・アルマ・キナン・・・だったか?ほとんどの人間が行ったことがないんだ?」

「普段は結界が張ってあるんです」

「へ〜え・・・、どうして結界が張ってあるんですか?」

「誰も入れないように、です」

「・・・・・・・・・ふ〜ん」

なぜか会話が堂々巡りしている気がした2人。

はぐらかされているのかとも思ったが、今までクリスとユンの話を聞いていても会話が成り立っていないと思う部分も多く、はっきりと判断が下せない。

次はどう質問するべきか・・・と頭を悩ませている2人の耳に、「ここです・・・」とユミィがある道を指差した。

そこはあまり人が足を踏み入れたことのないような獣道の1つで、その向こうにもさらに道が広がっている。

「この向こうにアルマ・キナンがあります。さっきも言いましたけど、普段は結界が張ってあるので村に辿り着く事は出来ません」

「今は大丈夫なの?」

「はい。今は結界の力を緩めてもらっていますから・・・」

小さく首を傾げるクリスに、ユンはさらに笑みを深くした。

どうやらユンはとてもクリスのことが気に入っているようで、今も彼女の傍から離れようとしない。

ともかく先を急ごう・・・と、道無き道を草を掻き分けて進む。

そうしてしばらく歩いた末、少しばかり開けた場所に出た一行は、そこに広がる光景に言葉もなく立ち尽くした。

まるで意図的に作り出されたようなぽっかり開けた空間に、ユンやユミィと同じ衣装を身に纏ったたくさんの女たちがずらりと並んでいる。

その中の1人・・・―――最前列に立っている凛とした雰囲気を持つ少女が、ユンとユミィの姿を認めて一歩足を踏み出した。

「ようこそ、アルマ・キナンへ。私たちは貴方を歓迎します」

雰囲気に違わない意思の強そうな声でそう言った少女に、クリスも同じように一歩踏み出すと自己紹介をする。

「はじめまして、クリスです。しかし私にはまだ事情が飲み込めていないのだが・・・」

「ええ、そうでしょう。大丈夫、夜にでもゆっくりと話しましょう。現在私たちは準備に忙しく、少し慌ただしくしていますが・・・」

「・・・誰だ!?」

友好的な笑みを浮かべて話すユイリの声を遮って、突然ナッシュがあらぬ方向を眺めながらそう叫んだ。

「どうしたんですか、ナッシュさん?」

今までとは打って変わって真剣な表情を浮かべたナッシュに向かい、グレミオは不思議そうに首を傾げて問い掛ける。

しかしナッシュはそれ以上何を言うでもなく、やはりある一点を睨んでいる。―――その様子にただ事ではない雰囲気を感じ取ったフリックは、腰に差した剣を抜いて同じようにその場所に目を凝らした。

「ふん。まさか気付かれるとはな・・・。ずいぶんと鼻がいい・・・」

不意に森の中に低い声が響く。―――それと同時に、黒ずくめの男が突然その場に姿を現した。

「何者だっ!!」

ユイリの怒鳴り声と共に、その場に控えていたアルマ・キナンの女たちが一斉に弓を構える。―――しかしそれを目の当たりにしても、黒ずくめの男は顔色1つ変えずに。

「妙な結界があると思っていたんだ。それが緩んでいるから来て見れば・・・まさかこんなところに村があったとはな・・・」

ユイリの言葉など聞いていないかのような振る舞いに、こんな時にも関わらずグレミオは小さくため息を吐いた。

最近出会う人たちは、人の話を聞かない人が多い・・・とひっそり思う。

そんな場合ではないというのに、呑気なものである。

どんどんと話は雲行きが怪しくなっていき、話の内容はグレミオやフリック・・・―――もちろんクリスにとて理解できなかったが、それでも黒ずくめの男が放つ雰囲気が友好的なものではないことだけは理解できた。

そして今は、それだけ理解できれば十分だった。

突然武器を構え襲い掛かってくる黒ずくめの男に、全員が一斉に己の武器を構える。

両手に細身の剣を握る黒ずくめの男は、その身からは想像が出来ないほどのスピードでまず正面に立つクリスに襲い掛かった。

アルマ・キナンの女たちが放つ数多くの弓を細身の剣でなぎ払い、一瞬でクリスの間合いに踏み込み左手に持つ剣を振り下ろす。

キィン!―――と金属のぶつかり合う音が響き、クリスはなんとか自分に向かい振り下ろされた剣を自らの剣で受け止めた。

「くっ!!」

小さくうめき声を上げるクリスに向かい、黒ずくめの男はさらに剣に力を込める。

クリスに攻撃を受け止められた事により動きの止まった黒ずくめの男に向かい、フリックは己の武器片手に駆け出した。

チラリと黒ずくめの男の視線を受け、しかしそれに構わず攻撃を繰り出すが、もう片方の手に持った剣であっさりと受け止められてしまう。

「フン・・・」

「今だ!!」

余裕さえ感じられるその態度に、しかし両手が塞がっている黒ずくめの男に向かい、ユイリが再び声を上げた。―――それと同時に放たれる矢。

しかし黒ずくめの男は自らの剣を受け止めているクリスをあっさりと弾き飛ばし、さらには攻撃を続けるフリックに横薙ぎの攻撃を加え、それを避けるためにフリックが下がったのを確認してから自らの身に注ぐ矢をなぎ払っていく。

「フン、こんなものか?」

すべての矢を打ち落とした後、黒ずくめの男はその場にいるクリスたちを一瞥し冷笑をすると、嘲るように呟いた。

それに答えるものは誰もいない。―――全員が黒ずくめの男と距離を保ち、攻撃の機会を窺っている。

しかし黒ずくめの男には嫌味なほど隙らしい隙がなく、攻めあぐねているというのが現状だ。―――と、同じように黒ずくめの男を睨みつけていたユイリが、表情を歪めつつ口を開いた。

「異形の者・・・この地に何の用だ?」

ユイリの口から発せられた『異形の者』という言葉に、フリックはピクリと眉を潜めた。

異形の者・・・それはすなわち、人ではないということ。

黒ずくめの男から発せられる・・・どこか威圧的な雰囲気。

闇の匂いを感じさせる何か。

それらは確かに『異形』を思わせる一因であろう。―――しかしフリックには、他に気になっていることがあった。

それは黒ずくめの男から感じる、なんともいえない暗く淀んだ空気。

それは以前、どこかで感じた事のあるモノに思えた。

いつでも攻めに転じる事ができるよう武器を構えながら、フリックは黒ずくめの男の顔を覗き込んだ。

陽の光に透けるような綺麗な金色の髪。

両方とも違う色の瞳。

そして・・・まるで人の手で作られたのではないと思えるほど、整った顔立ち。

『異形の者』―――それは人以上に綺麗な・・・人ではないと思えるほど綺麗な姿をしている故か、それとも・・・?

しかしこれほど整った顔を持つ人物を、フリックは1人だけ知っていた。―――それはいつも彼と共にあった、永遠の少女。

多くの悲しみを背負い、それでもただひたすら歩き続ける英雄と呼ばれる者。

今彼らが捜し求めている・・・という名の少女。

少女もとても整った顔立ちをしている。―――無表情で佇めば、まるで人形を思わせるほど精巧な作り。

それでも今目の前に立つ黒ずくめの男ととでは、まったくといっていいほど印象が違うとフリックは思う。

例えるならば、それは光と影。

その表情に生気を感じさせる明るい雰囲気を持つとは対照的に、どこか氷を思わせるほど冷たい雰囲気を黒ずくめの男は感じさせる。

この男と、どこかで会った事がある。

しかしそれがどこでなのか分からない。―――ついでに言うならば、この男が誰なのかもフリックには分からなかった。

これほど印象が強い人物と会えば、そうそう忘れることもないだろうと思えるのに。

「お前たちに聞きたいことがある・・・」

黒ずくめの男は、唐突に口を開いた。

しかしその『聞きたいこと』というものを聞くまでもなく、ユイリは強くそれを拒否した。

その拒絶を受けて・・・しかし黒ずくめの男は気にした様子もなく、薄気味悪いほど楽しげな笑みを口元に浮かべる。

「構わんさ。死んだ人間から話を聞きだす術も持っているからな・・・」

さらに放たれた冷たい雰囲気に、背中に流れる汗もそのままで。

フリックは握っていた剣の柄を、さらに強く握り締めた。

 

 

「いてててて・・・痛い!痛いって!!」

「少し我慢してください!」

少しばかりご立腹な様子のグレミオは、痛がるフリックに構わず、さらに傷口に薬草を練りこむようにして手当てを続ける。

グプトの森で突然現れた黒ずくめの男を、フリックたちはお世辞にも楽勝とは言えない戦いぶりで、それでも何とか退ける事が出来た。

怪我もそれほどたいしたものではなく、まぁ・・・これだけ大騒ぎできるのだからその程度も知れているというものだ。

紋章で治せないのか?と問うと、私は肉体補助紋章しか宿していません!とあっさり返された。

かく言うフリックも、その身に宿しているのは攻撃重視である『雷鳴の紋章』のみで、そういえばいつも回復はにしてもらっていたな・・・と今さらながらに思い出す。

「札はないのか?」

「チシャ村での戦いで全部使い切りました」

「・・・・・・補充、しなかったのか?」

「出発が慌ただしくて、忘れてたんですよ」

フリックの言葉に、グレミオは少しばかりバツが悪そうに呟いた。

昔旅をしていた時は何があろうとも買い忘れなどありはしなかったのに・・・。

そうは言っても、こうして旅に出るのは本当に久しぶりのことだったので仕方がないかとも思う。―――旅をする者としては致命的だけれども。

「それにしても・・・」

フリックの怪我の手当てを終えたグレミオは、彼の腕に巻かれている包帯のチェックをして満足そうに微笑むと、その表情を一転させ真面目な面持ちでフリックに視線を向けた。

「あの人・・・一体何者なんでしょうか?」

その言葉の裏に含むモノを察し、グレミオもまたあの男の放つ雰囲気に覚えがあるようだとフリックは思う。

しかしその質問に答えてやれるほど、フリックは黒ずくめの男について何を思い出せた訳でもなかった。

お互い顔を見合わせて、どうしようもないな・・・といった風にため息をついたその時。

「あれは『破壊者の一員』です」

クリスやナッシュに村の中の案内をしていたユンが、いつの間に戻ってきたのか戸口に立ち静かにそう呟いた。

「・・・『破壊者』?」

促されるままに座り、淹れて貰ったお茶を受け取ると、クリスは小さくユンの言葉を繰り返した。

「『破壊者』とは一体・・・?」

クリスはユンの顔を見つめ返し、さらに言葉を続ける。

「それに、何故またこんなところに村など・・・」

心底理解できないといった風に呟くクリスに、ユミィはクスクスと笑みを零した。

それに加えて、ユイリが「この村に客が来るのは久しぶりだ」と言葉を重ねる。

「・・・みたいですね。なんだか外の世界を拒んでいるように見えます」

「ふふ、素直な物言いをする」

「失礼。そう感じたもので・・・」

友好的な雰囲気を見せるアルマ・キナンの少女たちに対し、クリスはどこか警戒を緩めず冷たくあしらった。

それを感じ取ったのか、ユイリは少しばかり真剣な表情を浮かべて。

「私たちには与えられた役目というものがあります。その為には外の世界を拒む事も必要とされるのです」

「そういう・・・ものですか」

しかしクリスはそれさえも興味の範疇外のようで、あっさりと言葉を返す。

「では、そろそろ話を聞かせてください。私をこの村へ誘った訳、先ほどの『破壊者』のこと、彼の言った水の紋章の封印、そして・・・炎の英雄のことを」

クリスとユイリの話を黙って聞いていたグレミオとフリックは、クリスのその言葉に少しだけ姿勢を正した。

炎の英雄の事も、破壊者の一員だという黒ずくめの男の事も気になるけれど。

彼が去り際に呟いた『真の水の紋章』の言葉が、2人の心の中を占めていた。

確かに炎の英雄を追ってこの地に来たのだから、多少なりとも真の紋章が関わっているのだとは認識していたが、まさかそれが他の紋章にまで及ぶとは思ってもいなかった。

そしてそれを狙う破壊者たち。

何かが起ころうとしている。―――否、もう起こっているのかもしれない。

「私には・・・ほんの少しだけ未来が見えるんです」

静まり返った室内に、ユンの小さな声が響いた。

「私は幼い頃から、『真の紋章の破壊と炎の英雄の復活』が見えていたんです。そして先ほど村の入り口で現れた男が、その破壊者の一員なんです」

「真の紋章の破壊と、炎の英雄の復活?」

グレミオが言葉を反復すると、ユンはコクリと頷く。

話の内容が見えない。―――破壊とはどういうことなのか?そして炎の英雄の復活という言葉の意味は?

「・・・あの男が破壊者で、真の紋章の破壊を望んでいると?それで・・・真の紋章が破壊されたら一体何が起きるんだ?そいつらは何故そんな事を画策している?」

少しばかり苛立ちを含んだ口調でクリスは問いかけた。

その質問に、ユイリはクリスから視線を逸らし目を伏せる。

「かつて、炎の英雄が自ら宿していた真の紋章を暴走させた事があります。ハルモニアの軍に囲まれていた彼は、その力でハルモニアの一軍とグラスランドの民をも巻き込んで、その場に在ったすべてをその炎で焼き尽くしました」

ユイリの口から語られる、50年ほど昔の悲劇。

そしてそれは、グレミオとフリックにも他人事でない気がした。

今のは完璧なまでに『ソウル・イーター』の力を押さえ込んでいるが、もし彼女がその力を暴走させたとしたら・・・。

おそらくは炎の英雄の時とは比べ物にならないほどの惨劇を生むことだろう。

すべてを飲み込む、問答無用の闇は・・・きっとすべてを無に返す。

「真の紋章の暴走・・・。では、真の紋章の破壊が行われれば・・・」

「真の紋章の破壊が行われれば、大陸全土が消え去るかもしれません」

「ハッ!馬鹿な・・・」

決して冗談を言っている顔ではないユイリの言葉に、しかしクリスは一笑する。

「・・・何故そう思うんですか?」

ユンがいつも浮かべている微笑みも、今はそこにはない。

不安そうな・・・悲しそうな目でクリスを見つめ、そう聞き返した。

「何故?考えても見ろ。そんな事をする理由がどこにある?どんなメリットがあってそんな事をするというんだ?」

「確かに・・・クリスのいう事も事実だ」

黙って会話を聞いていたフリックが、クリスに同意するように口を開いた。

この大陸を消して・・・・・・誰に、どんな利益があるだろうか?

そんな事をすればこの地に住む人だけではなく、それを行った本人さえもその強力な力によって消えてしまうだろう。

「夢物語に付き合っている暇はない」

「信じてはもらえませんか?」

「信じろというのが無理というものだ。ゼクセン騎士団が従うモノは、忠誠心と理性だ」

ユンのすがるような目に耐え切れず、クリスは立ち上がると外に向かい歩き出した。

「クリスさん!」

「すまない。少し・・・1人で考えさせて欲しい」

険しい表情でただそれだけを告げると、クリスは振り返りもせず部屋を出て行った。

その後ろ姿を見送って、フリックは1つ小さくため息を吐いた。

そして黙ったままのグレミオを不審に思い視線を向ける。―――と、思いつめたようなグレミオのその表情にフリックは驚いた。

「・・・どうかしたのか?」

「いえ・・・クリスさんもフリックさんも信じられないと言ってましたけど、本当にありえないことなんでしょうか?」

グレミオの口から出てきた思わぬ言葉に、フリックは眉をひそめる。

それを見て、グレミオは慌てて言葉を続けた。

「いえ!確かにこの大陸を消滅させるメリットなんてわかりませんよ?ただ・・・」

「ただ・・・?」

「ユンさんは、未来に『真の紋章の破壊と炎の英雄の復活』を見たと言ってましたよね?」

同意を求められて、ユンはただ頷く。

「もし、破壊者たちの目的が『大陸の消滅』ではなくて『真の紋章の破壊』そのものなんだとしたら・・・」

「それだって理由がわからないだろう?」

フリックの言葉に、グレミオはやんわりと首を横に振る。

「私には、大陸の消滅よりはまだ理解できます。真の紋章を望んでその身に宿している人は、そんなに多くはないように思えますから・・・」

確かに、2人が今まで出会ってきた真の紋章の所有者の中で、本当に真の紋章を望んで宿しているという人物はごく僅かだったことを思い出す。―――それはも同様で、もしそれを宿していたのが親友でなければ、おそらく彼女は受け取らなかっただろう。

「だが・・・真の紋章を破壊してどうする?この大陸と・・・そこに住む人を犠牲にしてまでも、それが必要だという理由は?」

「それは・・・私は破壊者の一員じゃないのでわかりません。でも・・・不思議に思ってたんです」

「・・・何が?」

「お嬢が・・・突然『炎の英雄』に会いに行くと言った事」

グレミオのその言葉に驚いた。―――無条件に信じているように見えて、実はこの男も不思議に思っていたのか、と。

もしかしたら、お嬢はこの事を知っていたのかも知れません。だから、今この時期にグラスランドに来たのかも・・・と、グレミオはさらに言葉を続けた。

が破壊者のことをどうやって知り得たのか?―――そんな疑問も湧いてくるが、グレミオの言葉に賛同してしまう部分もある。

『どうしてこの時期にグラスランドに来たのか?』ということは、フリック自身も思っていた事だったからだ。

突然広まった『炎の英雄』の噂。

グラスランドの地で起きている様々な事件と、ハルモニアの侵攻。

そして・・・真の紋章の破壊を目論む、謎の破壊者たち。

「お嬢は・・・一体何を知っているんでしょう?」

「・・・・・・さぁな」

不安気に呟くグレミオの声に、フリックはため息混じりに言葉を吐き出した。

 

 

「なんだとっ!・・・馬鹿なっ!!」

今抱えている謎について遅くまで話し合い、しかしそれでも思わしい推論が立たず、疲れた体と混乱した頭を休めるために眠りについたグレミオとフリックに、クリスのそんな切羽詰った声が届いた。

寝ぼけ眼で横たえていた上半身を起こし、窓に目を向ける。

夜は明けておらず、辺りは未だ暗闇に包まれている。―――しかしチラチラと垣間見えるオレンジ色の炎が2人の目に映り、そして先ほど聞こえてきたクリスの声が尋常なものではなかった事に、2人は急いで簡単な身支度を整え宿の外へと向かった。

夜中だというのに、そこには大勢のアルマ・キナンの娘たちの姿があり、それぞれの手に松明を持ち列をなしてどこかへと向かっているようだ。

その中にユイリの姿もあり、クリスは彼女に掴みかからんばかりの勢いで何事かを叫んでいる。

「・・・何事でしょう?」

困惑気味に呟くグレミオに、しかしフリックとて何が起きているか一向に見当もつかずただその光景を眺めている。

すぐにナッシュが止めに入り、そして・・・怒りをあらわにするクリスの元へユンが現れ2人でどこかへと姿を消した。

「何かあったのか?」

「え、ああ・・・まぁ、ちょっとな・・・」

クリスとユンの後ろ姿を見送るナッシュにそう声をかけると、ナッシュは言いにくそうに口ごもりながら、それでも今何が起きているのかを説明してくれた。

今、アルマ・キナンの村では『魂送り』という儀式が行われようとしているらしい。

「・・・魂送り?」

「ああ。何でも、魂を精霊に捧げる神聖な儀式らしい・・・」

「捧げるって、それってもしかして・・・」

グレミオの問いに、ナッシュは小さく頷いた。

「そんでもって、その儀式に捧げられる魂って言うのが・・・どうやらユンらしい」

このときグレミオとフリックは、ユンの言っていた『自分の役目』という言葉を思い出していた。―――彼女にとって、一番の役目。

おそらくそれが、この儀式なのだろう。

「そんな事って・・・こんな事が許されて良いんですか!?」

身体を震わせながらクリスと同じように怒りを耐えるグレミオに、フリックは何も言えずにただ遠くで話すクリスとユンの姿を眺めていた。

「生きていてこそ・・・すべては生きていてこそじゃないですか!私はたくさんの人の命が失われるのを見ました。大切な人がいなくなってしまう事、そして残された者の一生消えない心の傷も。・・・そんな思いをさせてまで、この儀式が必要だと言うのですか?」

真剣な眼差しで見つめるグレミオから、ユイリは少しだけ視線を外して。

「私たちが・・・悲しんでいない、と本気で思っているのですか?」

告げられた言葉に、ハッとしたように目を見開く。

悲しくないはずはない。―――彼らよりもずっと長い時間を、彼女はユンと過ごしたのだろうから。

それでもやらなければいけないのだろうか?

いくつもの悲しみを生むと分かっていて、なお。

「そろそろ時間だ・・・」

黙り込んだグレミオを一瞥して、ユイリはユンに向かいそう告げた。

それにニコリと笑みを返したユンは、傍らに立つクリスに何事かを呟き・・・―――そして普段と変わらない笑顔を浮かべながら祭壇があるという森の奥へと姿を消した。

「グラスランドにはグラスランドのやり方があるさ」

クリスの傍に歩み寄ったナッシュが、小さくそう呟く。

「しかし・・・尊厳ある戦いで失われる命ならそれで良い。だが、これは・・・」

クリスの言葉に、フリックはぼんやりと思う。

尊厳ある戦いとは、一体どんなものだろうか?

結局のところ、命が失われる事に変わりはない。―――それを誇りに思えるか、思えないかの違いだ。

だとすれば・・・これがユンにとって『尊厳ある戦い』なのかもしれない。

無理やり自分にそう言い聞かせてみても、やはり簡単に割り切れるものでもなく。

風に揺れる葉の音と、遠くで燃える松明の音。

どうしようもないやるせなさと、不甲斐なさを感じるそんな中・・・―――不意に空気が不穏な動きを見せた。

「僕も彼女の意見に賛成だね。すぐにも儀式を止めてもらおうか。真の水の紋章の封印は・・・僕が解く」

「なんだ!?」

森の中に静かな声が響く。―――クリスの声に反応するかのように、深い闇の中からその者たちは姿を現した。

仮面をつけた・・・おそらくはまだ若い青年と、どこか冷たさを秘めた美しい少女。

そしてその2人の傍には、アルマ・キナンの村の入り口でクリスたちを襲ってきた黒ずくめの男の姿。

突然現れた異質な空気をまとう男達に、クリスたちは慌てて剣を抜いた。

それを見据えて、仮面の青年は笑う。

「抵抗したって同じだろう?儀式が終われば、あの少女は死ぬんだ」

「う、うるさいっ!!」

一番聞きたくない言葉を聞かされ頭に血が上ったクリスが、瞬間的に仮面の青年に襲い掛かった。―――しかし仮面の青年が放った風の魔法で、あっさり吹き飛ばされてしまう。

「クリスさん!!」

クリスの名前を叫び、地面に叩きつけられたクリスに走り寄るグレミオ。―――2人を庇うように剣を構えて仮面の青年の前に立ちふさがったフリックは、青年が戸惑ったように身じろぎするのに気付いた。

「・・・そんなに死に急ぐのか?」

冷静さを漂わせそう告げる青年に、しかしフリックは驚いたように目を見開いた。

その口調、声のトーン、そして言葉の言い回し・・・―――青年と良く似た話し方をする人物に、フリックは思い当たったからだ。

(まさか・・・!そんな事あるはずがない・・・)

自分を落ち着けるように深呼吸しながら、心の中でそう呟く。

そうだ、ありえるはずがない。―――こんなところに彼がいるなんて。

それは案外成功したようで、すぐに冷静さを取り戻す事が出来た。

そんな状況で思う。

フリックは今、大変身軽な格好をしている。―――先ほどまで眠っていたのだから、それも仕方がないが。

剣を身に着けていたのは戦士としての長年の癖のようなもので・・・今はそれに心から感謝した。

それは置いておくとしても・・・万全の状態でも黒ずくめの男との戦闘は苦しいものだったのに、今のこの状況で一体どれだけ対等に戦う事ができるだろうか?

チラリと黒ずくめの男に目をやったフリックは、男がニヤリと口角を上げるのを確認した。

どうやら向こうは戦う気満々らしい。

なんとかならないものか・・・と、頭を巡らせたその時。

「な・・・なんだっ!?」

暗い森の中に、強烈な光ととてつもない巨大な力の気配が広がった。

それにハッと顔を上げる仮面の青年は、森の奥へと視線を向ける。

「儀式が終わった?―――真の水の紋章と共にこの地を去ったか・・・」

言っている意味は分からずとも、儀式が終わった事だけは理解できた。

そしてその儀式によって、ユンの命も失われてしまった事も。

「まぁ、いいさ。もう1つの封印が残っている。そちらを手に入れれば同じ事だ」

「もう1つの封印?」

訝しげに声を上げたフリックに、仮面の青年はチラリと視線を向ける。

「余計な事に首を突っ込まないことだ。自分の命に未練があるなら、ね」

冷たく言い放ち、右手を掲げる。―――すると地面に大きな魔方陣のようなものが浮き出て、それは光を放ち仮面の青年たちを飲み込んだ。

一瞬で姿を消したその男たちに呆然としつつも、フリックは倒れたクリスとそれを心配そうに見守るグレミオ、そして・・・今は何の音も聞こえてこない森の奥に目をやり、苛立ったように髪を強くかきむしった。

 

 

ユンの最後の願い通り、クリスは炎の英雄がいるという場所へ向かう事に決めた。

ユイリに渡された彼がいるだろう場所の地図と、そして旅立つクリスたちを見守るアルマ・キナンの娘たちからの祝福を受けて、深い森の中にひっそりと存在するその村を後にする。

「まさか・・・本当に炎の英雄に会うことになるとは思ってもみませんでした」

炎の英雄が待つという洞窟へ向かう途中、グレミオが苦笑混じりに呟いた。

「本当にな。それにかなりキナ臭くなってきたし・・・」

それに同じように苦笑を浮かべて話すフリックは、アルマ・キナンで会った仮面の男のことを思い出す。

(そうだ・・・。絶対にそんな事はありえない。)

脳裏に浮かぶ懐かしささえ感じさせるその姿に、しかしフリックは頑なにそれを拒んだ。

グレミオに言うつもりはない。―――絶対にそれはありえないことだから、だ。

「・・・フリックさん?」

不思議そうな表情を浮かべ顔を覗き込んでくるグレミオに、フリックはなんでもないというようにやんわりと微笑み返した。

 

 

続く道の先に、どれほどの絶望が待っていようとも。

目に映る希望が、どれほど彼らを裏切ろうとも。

例えそれが、彼らを痛めつけるだけの想いだとしても。

それでも信じる道ならば進むのだろう。―――それは人の性なのだから。

 

彼らはまだ知らない。

自分たちを待ち受ける悲しい現実に。

そして、それでもなお輝きを失う事のない・・・光り輝く未来を。

 

 

「お嬢は今ごろ、どこにいるんでしょうね」

「心配しなくても、その内会えるさ」

それは限りなく確信に近い予感。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

・・・っていうか、長っ!!

だから1つに纏める意味があるのかって話ですよね?

何かフリックが限りなく偽物チックですが、気にしない方向で・・・。

作成日 2004.3.13

更新日 2011.9.4

 

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