「お?もう話は済んだのか?」

ヒューゴたちの元へと戻ったビクトールに気付きそう声を掛けたのは、なにやら真剣な面持ちで話すヒューゴとサナの側についていたジョー軍曹だった。

それに軽く手を上げるだけで答えたビクトールに、軍曹は意味ありげな視線を向ける。

「良かったのか?一緒に行かなくて・・・」

チラリと村の入り口に視線を向けながら呟くジョー軍曹に、ビクトールは明るい笑顔を浮かべて大きく一つ頷いた。

「ああ、構わねぇよ。ここで別れても、また近いうちに会えそうな気がするし」

それは希望というよりも、確信に近い感情。

 

チシャ村攻防戦

ビクトールの場合〜

 

サナとの話を終えたヒューゴが、ブラブラと暇そうにしているビクトール達の元へと戻ってきた。

心なしかその表情が暗い。―――ビクトールはフリックとグレミオと今後のことについて話し合っていた為詳しくは知らないが、ジョー軍曹から断片的に聞いた話の内容から察するに、それも仕方のないことなのだと思えた。

未だ心も身体も幼いヒューゴ。

長く生きている人間とてままならない感情のコントロールを、まだ十数年しか生きていないだろうヒューゴに出来るとは思えない。―――いや、寧ろ出来ない方が良いのかもしれない。

かつてそれが出来た少女は、それ故に酷い苦しみを背負っていたのだから。

暗い表情で俯くヒューゴを見詰めて、ビクトールは困ったように笑うと強い力でヒューゴの背中をバシバシと叩いた。

それに非難めいた視線を向けるヒューゴを見下ろして、ニヤリと笑う。

「難しいこと考えるのはとりあえず置いといて。今はこれからのことを考えようぜ」

軽い口調でそう言うビクトールに同意するように、ジョー軍曹も力強く頷いた。

確かに今自分が持つ感情について考えるのは必要な事なのかもしれない。

しかし感情的になっている今、良い答えが見つけ出せるとも思えなかったし、何より今はそんなことをグダグダと考え込んでいられるほど余裕はないのだ。

一度去ったとはいえ、ハルモニアの軍は未だチシャ村の近くに駐屯している。―――何時また進軍してくるか解らない。

「・・・そうだね。うん、解ったよ」

納得したように頷き、ヒューゴは少しばかり笑顔を浮かべて見せる。

それはやはり少し無理をしているように見えたが、今は無理をしてでも明るく振舞う方がヒューゴにとっては良い事なのかもしれないと判断して、ビクトールも同じように笑顔を浮かべた。

「しかし、これからと言っても・・・」

「ああ、具体的にどうすれば良いのかがなぁ・・・」

ムーアとジョー軍曹が揃って顔を見合わし、小さくため息を吐く。

確かに・・・―――どうにかしなければいけない問題ではあるが、そう簡単にどうにかなるような問題でもない。

とりあえず今一番有効な事は、早くカラヤの援軍が到着する事を祈るだけだ。

「だけど・・・俺たちにだって出来る事があるはずだ。カラヤの援軍が来るまでは、俺たちでなんとしてもこのチシャ村を守ろう!」

ヒューゴの威勢の良い声が響く。

先ほどクリスがこの村を守ったという事実を、まだ少し気にしているのだろう。

どこか対抗心すら感じられるその言葉に、ビクトールは苦笑するしかなかった。

「とりあえず今俺たちに何が出来るか、シーザーに聞いてみよう。これからどうするつもりなのかもちゃんと確認しておきたいし・・・」

「シーザーなら、さっき村の入り口に向かって歩いてたぜ?そこらへんにいるんじゃねぇのか?」

ヒューゴの言葉に、ビクトールはここに来る途中で擦れ違ったシーザーの姿を思い出す。

何しに行くのかと聞けば、ちょっと様子を見てくると簡潔な返事が返って来た。

まだそれほど時間は経っていないし、今もそこにいる確立は高い。

ビクトールの提案に、ヒューゴも異論はないのか村の入り口に足を向ける。

緩やかな坂道を別段急ぐわけもなく、ゆっくりと登っていく。

村の入り口から伸びる大きな道はこれ一本しかなく、急がなくとも入れ違いになるような事はないだろう。

「シーザーには何か良い作戦とかあるのかな?」

ポツリとヒューゴが漏らした呟きに、ビクトールはさぁなと気のない返事を返す。

ビクトールは軍師ではない為、シーザーの考えているだろう作戦など解りようもない。

元々小難しく考えるのが性に合わないタイプなのだ。

人にはそれぞれ役割がある。―――自分に出来る事が前線で戦う事なのだとすれば、軍師に出来る事はもっとも有効な策を立てること。

それを信じて任せるしかない。

そしてシーザーは、その信頼に足る人物だとビクトールは判断した。

坂を登り切った一行は、グルリと視線を巡らせて目的の人物を探す。

目的の人物は難なく見つけることが出来、ヒューゴが声を掛けようとしたその時。

「・・・あれ、誰だろう?」

こちらに背を向けるシーザーと向かい合うようにして、何事かを話す人の姿があった。

ずいぶんと大人数のようで・・・―――ゆっくりと再び歩き出しその人物の姿を確認したヒューゴは、思わず息を呑んだ。

シーザーと向かい合う、赤い髪の男と黒尽くめの男。

そしてその背後に立つ、数人のハルモニア兵。

「もうハルモニアが攻めて来たのか!?」

切羽詰ったように声を上げるヒューゴをそのままに、ビクトールは目を凝らしてその人物たちを見詰める。

どこかで、見たことがある?

遠目でははっきりしないが、そう感じた。

そして噛み付くように相手に何事かを話しているシーザーを見て、赤い髪の男か黒尽くめの男をシーザーは知っているのだという事が解る。

「ん?黒尽くめの男?」

自分で出した結論に疑問を感じて、ビクトールは小さく首を傾げた。

確か最近、そう形容される人物に会ったような気がする。

何処でだったか・・・?

思わず考え込んでしまったビクトールに、しかしヒューゴはそんな彼に気付く事もなく、慌ててシーザーの元へと駆けて行った。

その後ろ姿をぼんやりと見詰めながら、ビクトールは己の記憶の糸を手繰る。

「黒尽くめ・・・。黒尽くめの男・・・・・・あっ!!」

ぼそぼそと呟いていたビクトールは、瞬時にその人物に思い当たり大きな声を上げた。

あの、リザードの高速路で会った男だ。

それに思い当たれば、黒尽くめの男と一緒にいる赤い髪の男にも見覚えがあることに気付く。―――自分は直接話したわけではないが、確か同じく高速路にいた男だ、と。

あの時いた仮面の男と美少女の姿がないことが、少し引っかかったが。

「あいつら、ハルモニアの関係者だったのか・・・」

少し離れた所に立ち黒尽くめの男を見詰めるビクトールは、感心したような声色でそう呟いた。

怪しいやつらだとは思っていたが、まさかハルモニア関係者だったとは。

そのハルモニアの関係者が、高速路で一体何をしていたのかが気になったが、今はそんなことを考えている場合ではないだろうと思い直し、ビクトールは黒尽くめの男に視線を移す。

やはり、どこか覚えのある気配をしている。

あの高速路の一件以来何度考えても思い出せないが(とは言ってもそれほど深刻に考えていたわけではないが)見知った気配であるにも関わらず、どうしても何処で会ったのかが思い出せない。

あれほど強烈な雰囲気を持っていれば、早々忘れる事もないとは思うのだけれど。

小さな小競り合いで会ったならばもっと印象深いだろうと思えるから、もしかしなくとも何か大きな戦いで顔を合わせたのだろうか?

そう考えて、今まで自分が参加した大きな戦いを振り返ってみる。

20年ほど前にあった解放戦争。

その3年後に起こったデュナン統一戦争。

つい数年前に起こったハイ・イーストの動乱。

ハルモニア関係者だとすれば、ハイ・イーストの動乱辺りだろうか?

そんなことをつらつらと考えていたビクトールの耳に、不意にヒューゴの怒鳴り声が届いてハッと我に返る。

ぼんやりしていた視界に意識を戻すと、怒鳴り声を発したヒューゴが剣を抜き、黒尽くめの男に向かい構えていた。

「そんなに戦いたいなら、俺が相手になってやる!!」

そう叫んだヒューゴに、ビクトールは大いに慌てた。

いくらなんでも、ヒューゴが敵う相手だとは思えない。

「俺はカラヤクランの族長ルシアの息子だ!それでも戦いの意味はないか!!」

「・・・ほお。カラヤの・・・面白そうだ」

最初は戦う素振りの見せなかった黒尽くめの男も、ヒューゴの言葉と勢いにその目に殺気を宿らせる。

これは本格的にヤバくなって来た。

そう思い慌ててヒューゴの元へと駆け出すが、ビクトールが駆け寄るよりも早くヒューゴが黒尽くめの男に向かい剣を振り上げる。

「行くぞ!!」

行くぞじゃねぇ!―――などと心の中で反論しつつビクトールは走る速度を上げたが、しかし彼がヒューゴの元に辿り着く前に、全ては始まり終わってしまった。

勝負は、一瞬の出来事だった。

黒尽くめの男が剣を抜いたとほぼ同時に、向かって行ったヒューゴが派手に吹き飛ばされる。

ヒューゴの元に向かっていたビクトールは、その先から吹っ飛んできたヒューゴに慌てて足を止め、その小さな身体を己の身体を張って受け止めた。

「痛っ!おい、大丈夫か!ヒューゴ!!」

受け止めたヒューゴに慌てて声を掛けるが、ヒューゴはビクトールの腕の中でぐったりとし、ピクリとも反応しない。

「ち、つまらん」

そう吐き捨て剣を振る黒尽くめの男に、ビクトールは威嚇するように厳しい目を向ける。

「これ以上やるなら、俺が相手になるぜ」

普段よりも低い声色で、威嚇するように言葉を放つ。

しかしそうは言っても、ビクトールの内心は落ち着かなかった。

黒尽くめの男の実力は、放たれる殺気だけで十分察する事が出来る。―――高速路では相手に遊びを楽しむような感情があった為何とか撃退できたが、今度本気で向かって来られれば前のように撃退できる自信がビクトールにはない。

しかしこちらの予想とは違い、黒尽くめの男はその気をなくしたようで、赤い髪の男に促されるままチシャ村を去って行った。

一体何をしに来たのかと疑問もあったが、今はそんなことはどうでも良い。

「とりあえず、ヒューゴを落ち着いたところに運ぼう」

未だ身動きしないヒューゴを抱えて、ビクトールは苦い表情で村へと引き返した。

 

 

「う・・・ん・・・」

ベットから小さな呻き声が上がり、ビクトールは伏せていた顔を上げた。

視線をベットの方へと向けると、先ほどまで意識がなく眠り続けていたヒューゴがゆっくりと身を起こすのが目に映る。―――それにホッとして、ビクトールは座っていた椅子から立ち上がると同じく立ち上がったジョー軍曹と共にベットへ歩み寄った。

「よぉ、目ぇ覚めたようだな」

「・・・ビクトールさん」

ぼんやりと自分を見上げるヒューゴににっこりと笑いかけて、ビクトールは優しい手つきでヒューゴの頭を撫でる。

未だ意識がはっきりしていないのか、成されるままにそれを受け入れるヒューゴに、ジョー軍曹はビクトールと同じくホッとした様子でヒューゴに声を掛けた。

「相手は全く手加減してなかったぞ。それなのに大した怪我もなくて運が良かったな。丈夫に産んでくれたルシアに感謝しろよ」

「・・・・・・」

ジョー軍曹の少し茶化したような言葉にも、ヒューゴは何も答えない。

漸く何があったのかを思い出したのだろう。―――強く拳を握り締めて、2人の視線から逃れるように強く床を睨みつける。

そんなヒューゴを見て顔を見合わせた2人は、揃って深いため息を吐いた。

「どうしてあんな無茶な戦いを挑んだんだ?」

ジョー軍曹が、少しだけ厳しい声色でそう問う。

その問いにビクリと肩を震わせて、ヒューゴは躊躇いがちに口を開いた。

「軍曹・・・俺・・・」

「・・・・・・」

「俺はやっぱり、ルルを守れなかった事を悔いている」

ヒューゴの口から漏れる震える声を耳に、ビクトールは微かに眉間に皺を寄せた。

ルル、という少年をビクトールは直接知らない。

彼がヒューゴと出会う少し前に、ゼクセン騎士団のクリスによって殺されたのだという話を聞いただけだ。―――そのゼクセン騎士団のクリスが、先ほどチシャ村を守った銀髪の女性であることも。

先ほどのヒューゴは、己の葛藤を押し留めて前に進もうとしているように見えたのだが、やはり内心ではそう簡単に割り切れてはいなかったようだ。

あの黒尽くめの男に向かって行った理由も、あながちクリスと無関係ではないのだろう。

「ルルを斬ったあのゼクセンの女・・・あいつがこの村を守って見せたのに、俺は・・・俺は・・・」

「・・・ヒューゴ」

「俺・・・俺、悔しいよ・・・軍曹」

必死で涙を堪え、胸に溜まった悔しさを吐き出すヒューゴ。

どうして未だ幼いこの少年が、こんな想いをしなくてはならないのだろうか?

勇敢な戦士の村に生まれ、幼い頃から戦いが常に側にあっただろうカラヤの少年。―――これはある意味予想できた事なのかもしれないが、それでもこんな状況になってしまった事は、少年にとって酷く残酷な事のように思えた。

ビクトールはソッと手を伸ばし、静かにヒューゴの頭の上に手を置く。

少しだけ顔を上げたヒューゴと目が合い、ビクトールは静かに微笑んだ。

「皆そうやって、少しづつ強くなっていくんだ」

普段からは考えられないほど静かな声色で、ビクトールは囁くように呟く。

「戦いに身を置けば、そういうことは必ず起こる。大切な人がいて・・・だが大きな戦いのうねりの中、守りきれない事だってある」

しかしそう予想出来ていたとしても、覚悟をしていたとしても、悔しいという感情や悲しいという感情は否応なしに襲ってくるものだけれど。

「お前の感じている悔しさは、俺にも解る。俺だけじゃねぇ・・・軍曹にも、それからお前の母親、ルシアにだってそういう思いを抱いた事はあるはずだ」

「・・・・・・」

「だけどな。冷たい言い方かもしれねぇが、お前がどんなに悔いても、どんなに悲しんでも・・・どんなに願っても、ルルは生き返ったりはしねぇんだ」

ビクトールの言葉に、少しだけ顔を上げていたヒューゴは再び俯いた。

そんなことは、言われなくとも解っている。

解ってはいるけれど、それでも胸に湧き上がってくる悔しさは留まることはない。

クリスを憎いと思う気持ちも、己の無力さを悔いる気持ちも、少しも収まってはくれない。

「どうしたら・・・良いの?どうやったら・・・この気持ちは消えてくれるの?」

消え入りそうなほど微かな声に、ビクトールは微かに微笑んでヒューゴの頭を乱暴に掻き混ぜる。―――それに抗議の声を上げるヒューゴを見て、ビクトールは優しい目で彼を見下ろした。

「忘れる必要なんかねぇよ。寧ろ、忘れちゃいけぇねんだ」

「・・・忘れちゃいけない?」

「そうだ。忘れるんじゃなくて、それを抱えて生きていかなくちゃいけねぇ。悔しいと思ったのなら強くなれ、ヒューゴ。身体だけじゃなくて、心もな。そうして抱えた多くのモノに押し潰されず、受け入れて生きていくんだ。それが死んでいった奴らに対する礼儀であり、生きていく者に課せられた義務だ」

ビクトールの優しい声に、ヒューゴは再び顔を上げた。

その目は少しの不安の色を宿しているが、けれどその奥に更なる強い輝きをビクトールは見る。

「俺に・・・出来るかな?」

「出来るさ。ルルの死から目を逸らそうとしない、お前ならな」

ガシガシと自分の頭を乱暴に撫でる手に、ヒューゴは微かに微笑んだ。

ビクトールがそういうならば、出来るかもしれない。―――不思議とそう思える。

いや、出来るかもしれないではなく、やるのだ。

それが今、自分がルルに出来るただ一つの事だと思えるから。

まだ胸は強く痛むけれど。

まだ、溢れかえるような後悔は収まらないけれど。

先ほどまでとは違い明るく笑うビクトールの声に混じって、小さなノックの音が部屋に響く。

それに返事を返すと、静かに開かれたドアの向こうから、この村の村長であるサナが姿を見せた。―――なにやらヒューゴに話があるようで、それを聞いたビクトールとジョー軍曹は席を外す事にし、ヒューゴを置いて部屋を出る。

パタリと静かに閉じた部屋のドアを見詰めて、2人は顔を見合わせた。

「なんだろうな・・・ヒューゴに話って」

「さぁな。ま、ただの世間話って訳じゃなさそうだけどな」

部屋に入ってきた時のサナの表情を思い出し、2人は揃って小さくため息を吐く。

なんだか色々なことがあり疲れを感じていたが、まだまだこれからが本番なのだ。

チシャ村を狙うハルモニアを、何とかしなくてはならない。

「あーあ、面倒くせぇなぁ・・・」

ため息混じりに呟いたビクトールを見やって、ジョー軍曹は思わず苦笑を浮かべる。

よく言うぜと心の中で呟いて、再びヒューゴのいる部屋のドアに視線を向けた。

ヒューゴがこれからどうするのか・・・―――どう己の憤りを収めるのか、それはジョー軍曹にも解らなかったけれど。

「ただ者じゃないとは思っていたが、あそこでヒューゴに説教するとは思わなかったな」

ポツリと漏れた言葉に、ビクトールが不敵にニヤリと口角を上げる。

「お前が今までどんな波乱万丈な人生を送ってきたのか、興味深いところだ」

「んな、聞いて面白いもんでもねぇさ」

まぁ、珍しい体験をしてきた事は否定しないけど・・・とやはり心の中だけで呟いて、ビクトールは緩慢な動作で固まった身体を大きく伸ばした。

 

 

バタバタと慌ただしく部屋に駆け込む村人の姿を確認して、ビクトールとジョー軍曹は揃って顔を見合わせた。

「どうしたんだ?」

「さぁな。なんかあったんじゃねぇか?」

そう口々に疑問を口にする中、先ほど部屋の中に飛び込んでいった村人が村長のサナを連れて地上へ出るべく階段を上っていく。

そのすぐ後に複雑な表情を浮かべたヒューゴが、サナと同じように慌てて部屋を飛び出して来た。

「何かあったのか?」

そう声を掛けるビクトールに、ヒューゴは焦れたように声を上げる。

「ハルモニアの軍が攻めて来たらしいんだ!まだ援軍も到着してないのに・・・!!」

予想通りといえば予想通りのその言葉に、ビクトールは少しばかり眉間に皺を寄せる。

今チシャ村の村長が慌てるほどの事といえば、それ以外にはありえないだろう。

「とにかく俺たちも行こう!シーザーが何か考えてるよ!!」

「ああ、そうだな」

今にも走り出さんばかりのヒューゴにそう返事を返して、それと同時にサナの後を追うように勢い良く階段を登る。

地上に出ると、そこには多くの村人の姿とシーザーが顔を揃えていた。

「お、ヒューゴ。もう大丈夫なのか?」

先ほど赤い髪の男に食ってかかっていたとは思えないほどいつも通りの様子を見せるシーザーに、ヒューゴは曖昧な返事を返す。

ビクトールはふと周りを見回して・・・―――そういえば先ほどからルカの姿が見えない事を思い出し、側にいたアップルに声を掛けた。

「そういや、ルカの奴はどうした?またその辺で昼寝でもしてんのか?」

銀狼のルカは、主人に似たのかそれとも本来の性格なのか酷く勝手気ままで、気が向かなければどんな状況になろうと見て見ぬ振りをしている事が多い。

こんな状況に置かれていたとしても、きっと彼の行動に変わりはないだろう。

動物といえどかなりの戦力になる事は、普段彼と死闘を繰り広げているビクトールは嫌というほど承知しているので、出来る事ならば彼にもやる気を出してもらいたいところだが。

「ああ、彼なら・・・」

ビクトールの問い掛けに、アップルは村の入り口に視線を向けた。

それに促されるようにビクトールもそちらに目を向けるが、生憎と坂の上にあるそこは今いる場所からは見ることが出来ない。―――再びアップルに視線を戻すと、彼女は楽しそうに小さく微笑んだ。

「彼なら、村の入り口でハルモニア兵を威嚇してくれていますよ」

サラリと告げられた言葉に、ビクトールは目を丸くする。

あのルカが?

例え自分の意志でここに残ったのだとしても、あのルカが率先して動くだなんて。

口には出さないけれど表情がそう物語っているのを見たアップルは、心底楽しそうに浮かべた笑みを深くする。

「どうやら彼にも、ハルモニアと何か縁があるようですね」

茶化すように添えられた言葉に、ビクトールはあーだのうーだの誤魔化すような声を上げた。

それは彼自身の縁なのだろうか?―――それともやはり、関係での事なのか。

関係であるならば、自分にだって何を言う資格もない。

なぜならば、ビクトール自身もまさにそれに該当されるからだ。

まぁいつまでもハルモニア兵の足を止めておく事が出来るとは思えないが、少しの時間稼ぎにはなるだろうと判断して、ビクトールは再びヒューゴに視線を戻す。

それと同時にヒューゴが驚きの声を上げ、その内容にビクトールも間の抜けた声を上げた。

「英雄!?」

「そうだ、英雄だ」

ヒューゴの疑問の声に、シーザーは即答で一つ頷く。

どうやらシーザーは、ヒューゴに『炎の英雄』の振りをさせて時間を稼ぐつもりらしい。

何でまた、よりにもよって立てた作戦がそれなんだと突っ込みを入れる前に、ヒューゴが最もな問いをシーザーに投げかけた。

「でも、何で俺なんだよ!?」

「炎の英雄は外見は少年だったらしいからな。今この村でそれに見合うのは、おまえくらいしかいないだろう?」

「・・・シーザー、あんたは?」

「俺はガラじゃねーからな」

半目で睨みつけるヒューゴをサラリと交わして、言い逃れとも言えないような言い訳をあっさりと口にする。―――絶対自分がやりたくないからだと内心思いつつも、先ほど自分に出来る事は何でもやろうと心に誓ったばかりのヒューゴは、渋々ながらもその役を引き受けた。

一方その遣り取りを黙って聞いていたビクトールは、困ったように呆れたようにガリガリと乱暴に髪を掻き毟る。

「・・・少年ね」

『炎の英雄』が実際どんな容姿をしていたかなど、勿論ビクトールが知っていた筈もない。

歳をとっているとは思ってもいなかったが、まさかハルモニア相手に戦ったその人物が少年だったとは。

解放戦争といい、デュナン統一戦争といい・・・―――どうしてまだ幼い子供ばかりが、そういう位置に立たなければならなかったのだろうか。

まぁそれもそういう時代の流れがあったのかもしれないと、ビクトールは無理矢理にでも自分にそう言い聞かせた。

その子供たちが、リーダーであり軍主に適任であった事には違いないのだから。

「良し。んじゃ、準備は良いか、ヒューゴ」

渋々ながらも承諾したヒューゴに、シーザーが明るい口調で声を掛ける。

それに気合を入れなおしたヒューゴが頷き返したところで、誰が合図するわけでもなく全員が自然と村の入り口に視線を向けた。

戦いはもう、既に始まっていたのだから。

 

 

村の入り口に行くと、そこには1人の男が立っていた。

青いお世辞にも動きやすそうとは言えないピシッとした服を身に纏ったその男は、やって来たヒューゴたちにチラリと視線を送って、冷めた声で口を開く。

「降伏でもしに来たのか?」

「・・・・・・」

しかし男の問い掛けにも、ヒューゴは何も答えない。

何を答えてよいのか解らないのだ。―――下手に口を開いて、即偽物だとバレても困る。

そんなヒューゴに相手にするだけ時間の無駄だと判断したのか、男・・・―――ディオスは控えていた兵たちに村の中を捜索するようにと命じる。

その命に足を踏み出した兵たちに向かい、身を低くして唸り声を上げていたルカが飛び掛らんばかりに短く吠えた。

ルカの威嚇に一瞬怯んだハルモニア兵たちに、ヒューゴの後ろに控えていたシーザーが並び声を発する。

「その必要はない」

キッパリと言い切って、隣に立つヒューゴの背中を一回バシリと叩く。―――どうやら演技をしろと言いたいようだ。

「お、俺は・・・炎の英雄だ!!」

急かされるままに、ヒューゴがぎこちなくそう宣言する。

しかしその演技はお世辞にも上手とは言えず、それを後ろから見ていたビクトールは思わず吹き出しそうになって片手で口元を覆った。―――それをしっかりと見ていた軍曹に、恨みがましい視線を送られたのだけれど。

そんな後ろの遣り取りを無視して、シーザーと同じくアップルもまた一歩前に進み出て、ディオスに向き直ると凛とした態度で彼女の『切り札』である50年前の話を切り出した。

それはハルモニアと炎の英雄との間で、不可侵の契約が結ばれていたというもの。

だからこそハルモニアは、今まで何度もグラスランドに攻め入るチャンスがあったにも関わらず、それをしなかったのだということを。

「今回のことは、契約違反に値します。即刻軍を引いてください」

「ならば、彼が本物の炎の英雄だという証拠は?」

すぐに退却する事を要求するアップルに、しかし穏やかな声がそれを遮った。

全員が声がした方へ視線を向けるとディオスが着ている服と似た神官服を身に纏った優しげな面持ちの少年が、堂々とした態度でヒューゴの前へと歩み出る。

「彼が本物の『炎の英雄』だというならば、その証拠を見せて頂けますか?」

最もな言い分に、アップルとシーザーは思わず怯む。―――どういうものが証拠となるのかは解らないが、それを提示できるわけがない。

なぜならば、ヒューゴは本物の『炎の英雄』ではないのだから。

しかし怯んだアップルたちとは違い、先ほどまでバレないかと挙動不審だったヒューゴが、更に一歩前に歩み出て神官服の青年を強く睨みつけた。

「なら証明して見せる。そちらの部隊の誰でも良い。一騎打ちで掛かってくるが良いさ」

自信を秘めた声色に、ギョッとしたようにシーザーがヒューゴを見る。―――しかしヒューゴは大丈夫だと言わんばかりの表情で一つ頷いて見せた。

大方時間稼ぎをするつもりなのだろう。

確かにヒューゴは未だあの黒尽くめの男には敵わないだろうが、そこらの兵士相手ならば十分勝てるだけの実力は兼ね備えている。

(さて、相手はどう出るかな?)

ビクトールは状況には不似合いな好奇心を抱いて、チラリと青年に視線を向けた。―――その視線の先で青年が微かに微笑んだことに気付いて、苦い表情を浮かべつつため息を吐く。

あれは駄目だ・・・、完全にバレている。

相手はヒューゴが『炎の英雄』ではない事に完璧に気付いている。

しかしそれは青年だけなのか、ヒューゴの申し出に兵士の誰もが名乗りを上げない。

もし本物だったら・・・と危惧しているのだろう。―――それを確認して、青年が呆れたようにため息を吐き、仕方ないとばかりに一歩前に歩み出る。

「僕の名前はササライ。この部隊の責任者だ。僕がお相手をしよう・・・小さな『炎の英雄』殿」

ササライのからかうような言葉に、お世辞にも心が広いとは言えないヒューゴは瞬時の頭に血を上らせた。

「何言ってるんだ!そっちだって似たようなものだろ!?」

「こう見えても、僕は30年以上生きているんだよ」

「長く生きてるからって、それがどうしたって言うんだ!!」

穏やかな口調で言葉を返してくるササライに対し、ヒューゴにはその欠片もない。

そしてヒューゴが放った言葉にササライが更に笑みを深くしたことに気付いたビクトールは、更に深いため息を吐いた。

どんどんと自分で墓穴を掘っていっている気がする・・・と、己の発言の意味に気付いていないヒューゴを見て、思わず頭を抱えたくなる。

しかし・・・と、ビクトールは改めてササライを見やり、微かに眉間に皺を寄せた。

ササライという名前は、ハルモニアの神官将の中でもそれなりに有名だ。

かく言うビクトールも、デュナン統一戦争で顔を合わせたことがある。―――とは言っても、魔法部隊と歩兵部隊という立場上直接戦ったわけではないので、相手が自分のことを知っているとは思わないが。

始まった一騎打ちを見届けながら、ビクトールは何をするでもなく戦う2人を見詰めた。

一騎打ちと言った以上、今自分が出来る事はない。―――せいぜい相手の兵士たちが変な動きをしやしないか、見張ることだけだ。

ササライから発せられる魔法攻撃を、ヒューゴは構えた短剣で避けながら攻撃の機会を窺う。

しかしさすが神官将という立場にあるだけあって、ササライの強さはそこらの兵士の比ではない。―――なかなか攻めあぐねているというのが現状だ。

「どうしたんだい?本当に『炎の英雄』なら、遠慮せずに真の紋章の力を使ってもいいんだよ?」

「・・・くっ!!」

ササライの言葉に何も言い返せず、悔しそうな表情を浮かべるヒューゴ。

勿論真の紋章など宿していないヒューゴに、ササライの助言など役に立つ筈もない。

完璧に遊ばれてるな・・・とビクトールが呆れ混じりに思ったその時、遠くの方から大勢の激しい足音が聞こえ、咄嗟にそちらに視線を向けた。

すると音のする方から、大勢の人影が姿を現す。―――それは遠目からでも解るほど独特な衣装を纏った、待ち焦がれていた人物たちの姿。

すぐにハルモニア側が慌ただしくなり、駆けて来た兵士の1人から報告を受けたササライが、軽い仕草で肩を竦めて見せた。

「どうやら君の勝ちのようだね」

あっさりと敗北を認めて、ササライは近づく人影に目を向けた。

カラヤの先発隊が、戦意を漲らせてハルモニア軍と対峙する。

「君の名前を聞いておこう」

「ヒューゴ。カラヤクラン族長ルシアの息子、ヒューゴだ」

意思の強い声色に、ササライは柔らかな笑みを浮かべた。―――そうして至極あっさりと、ハルモニア軍を率いて去っていく。

それを眺めながら、シーザーが満面の笑みを浮かべてヒューゴの背中をバシリと叩いた。

「良くやってくれたな、ヒューゴ」

「ふう。心臓が止まるかと思ったよ・・・」

先ほどの勢いとは違い脱力しつつ地面に座り込むヒューゴを見て、シーザーは名演技だったと絶賛するが、どこか素直に喜べないものを感じたのか、ヒューゴは恨めしげにシーザーを見上げる。

ハルモニア軍が退却していったことを知り、村の中に入ってきたカラヤの先発隊を見詰めながら、ビクトールは乱戦にならずに済んでよかったと、密かにホッと胸を撫で下ろした。

 

 

ハルモニア軍がチシャ村を去った翌日、ビクトール達は村の入り口にて見送りに出てくれたサナとルシアに向かい、笑顔で挨拶を交わしていた。

あの戦いの後、サナと話をしたというヒューゴは、彼女から『炎の英雄』の居場所なるものを教えてもらったという。

どうしてサナが『炎の英雄』の居場所を知っているのかは疑問だったけれど、それはきっと答えてなどくれないだろう事は明白で、誰もその疑問を口にしようとはしなかった。

「じゃあ、行って来ます」

「ああ、気をつけて。チシャ村のことは、私たちに任せておきな」

ルシアの力強い声に、ヒューゴは一つ頷く。

ルシア率いる先発隊が村にいるのならば、もう何も心配は要らないだろう。―――今自分に出来る事は、『炎の英雄』に会い協力を求めるだけだ。

サナとルシアに見送られ、一行は村を出て『炎の英雄』がいるという東の洞窟を目指す。

昨日はしゃぎすぎてぐったりとしているジョー軍曹を見て、ビクトールは豪快に笑った。

「おいおい、情けねぇな。あれくらいの酒でへばっちまうなんてよ」

「寧ろあれだけ酒を呑んでいながら、どうしてお前が平気でいられるのかが不思議だがな」

恨みの篭った視線を受けて、ビクトールは軽く肩を竦める。

それも日頃の鍛え方の違いだな・・・とそう言えば、どんな鍛え方だと悪態が返ってくる。

それを笑って流したビクトールは、進行方向を見て気付かれないほど小さくため息を吐いた。

今から『炎の英雄』に会いに行く。

それはを捜す為自分が決めた事ではあるのだけれど、まさか本当にそこに辿り着くとは思ってもいなかったというのがビクトールの本音。

本当にそこに行けば、と再会できるのだろうか?

そう考えると自信がない。―――確かには『炎の英雄』を捜していたけれど、彼女がそこに辿り着く保証など何処にもないのだ。

それに・・・と、ビクトールは昨日会った黒尽くめの男を思い出す。

なにやら怪しい動きをしているハルモニア関係者もいるようだし、ハルモニア本国が本格的に動いているとなれば、いくらビクトールといえども楽観視ばかりしていられない。

「どうしたの、ビクトールさん?」

突然黙り込んでしまったビクトールを訝しげに覗き込むヒューゴを見て、ビクトールは誤魔化すように彼の頭を軽く叩いた。

子ども扱いしないでと反論してくるその声を無視して、広がる空を仰ぎ見る。

「ま、考えても仕方ねーよな」

結果そう結論付けて、ビクトールは不敵な笑みを浮かべた。

結局辿り着くのは、楽観的な考えばかりなのだ。―――こればかりは、もう性格なのだから仕方ない。

成るように成るさと心の中で呟いて、広い草原を東に向けて歩き出した。

 

 

続く道の先に、どれほどの絶望が待っていようとも。

目に映る希望が、どれほど彼らを裏切ろうとも。

例えそれが、彼らを痛めつけるだけの想いだとしても。

それでも信じる道ならば進むのだろう。―――それは人の性なのだから。

 

彼らはまだ知らない。

自分たちを待ち受ける悲しい現実に。

そして、それでもなお輝きを失う事のない・・・光り輝く未来を。

 

に会えると良いな」

「・・・ガウ」

珍しく2人(1人と1匹)の意見が合った瞬間の出来事。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

淡々と・・・淡々とお送りいたしました。

ゲーム通りに行くと、何処にビクトールを入れて良いものやら悩みます。

他の3人と比べて、極端に活躍が少ない気がするのですが・・・。(笑)

そしてやっぱり、ルカの存在が忘れ去られがちです。

途中無理矢理入れてみたりもしましたが・・・。(本当に無理矢理)

ともかくこれで、全員が東に向かってくれました・・・漸く。

作成日 2005.3.14

更新日 2011.11.20

 

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