誰かに呼ばれた気がして、滝川は茂みに突っ込んでいた顔を上げた。

「・・・あれ?」

しかし辺りを見回してみても、自分を呼ぶ誰かの姿はない。―――少し離れたところで同じく捜索をしているジョンの姿があるけれど、彼はこちらを気にしてはいない様子だ。

とそこまで考えて、滝川はそこにの姿がない事に気付く。

つい先ほどまでは自分たちと同じように捜索をしていたはずなのだけれど・・・―――まさかサボってんじゃないだろーな、と呆れ混じりに思いながらも髪の毛を掻いたその時、不意に視線が古びた倉庫に釘付けになる。

「あんな倉庫あったっけ・・・?」

それなりに存在感があるはずのその倉庫は、けれど誰にも気付かれないようひっそりとその場に鎮座していて、不思議と目にはつかなかったようだ。

とりあえず確認してみるか・・・と、滝川はほんの気まぐれに足をそちらへと向ける。

歩きながら傍にあった汚れた窓から中を覗く。―――何気ない仕草であったはずだというのに、瞬間その目に映った光景に滝川は息を呑んだと同時に駆け出した。

その気まぐれが本当にただの気まぐれだったのか、それとも声なき声に呼ばれたから故なのか、それは知る術もないけれど。

 

見えない

 

何故か開かない扉を蹴破って倉庫内に踏み込んだ滝川は、虚ろな眼差しでこちらを見やる血まみれの男を睨みつけ口を開いた。

「―――ナウマクサンマンダ バザラダンカン!」

滝川の声に怯むように、血まみれの男の霊はフッと壁に溶け込むように消えていく。

そうして何の気配も感じなくなった頃、滝川はハッとの存在を思い出しグルリと倉庫内を見回した。

「・・・っ!!」

滝川が蹴破った扉のすぐ近く、開け放たれた扉とその向こうにあるマットの間に蹲るようにして膝を立てて座り込んでいるは、滝川の呼び声にのろのろと顔を上げて。

「・・・遅いよ、ぼーさん」

いつもからは考えられないほど弱々しい声で、それでも必死に毒づいてみせるの様子を見て、滝川はホッと息を吐く。

ショックはあったようだが、どうやら怪我などはないらしい。

それでも一向に動こうとしないをどうしたものかと見下ろしたその時、異変に気付いたジョンが倉庫内に飛び込んできた。

さん、滝川さん、どうしはりました!?」

「ああ、ジョン。いや、ちょっとな。・・・前にこいつが見たらしい霊が出たんだよ。やっぱりナルの言う通り、あいつはを狙ってるみたいだな」

何故なのかは解らないけれど・・・と心の中で呟いて、滝川は再びへと視線を落とす。

それに釣られてを見たジョンは、あまりにも顔色の悪いの様子に目を軽く見開く。

「ボク、何か温かい飲み物でも買ってきますよって」

これはすぐさま連れ出すのは酷だと判断したのか、ジョンはを滝川へと任せて、自動販売機を探すべく倉庫内を出て行った。

途端に静まり返る倉庫内。

どうしたら良いものかと視線を彷徨わせていた滝川は、1つ息を吐くとが寄りかかるマットに腰を下ろした。

「もう大丈夫だから、心配すんな」

そう言って軽く頭を撫でてやるも、は何も言わずに組んだ腕の中に顔を埋めたまま。

そのの様子を多少訝しく思いながらも、滝川はただの頭を撫で続ける。

霊能者・・・―――しかもその世界ではサラブレッド的な立場でもある家の月華が、怪現象でここまでショックを受けるものだろうか。

確かにああいう類のものは、何度見ても怖いだろう。

現に綾子とて巫女だというのにかなりの怖がりだ。―――本人は決して認めないだろうが。

それに加えては霊媒という事もあり、ああいう類のものは見慣れているとまでは言わなくとも、多少は免疫があるのではないかと思っていたのだが。

そういえば・・・と、滝川は今更になっての事をよく知らない自分を自覚する。

都内でも有名な進学校に通っていて、成績はすこぶる良くて。

その世界では有名な家の者であり、更に言うならそこでナンバー2の実力があるといわれている『月華』という立場の者で。

そんな目に見えるものしか、滝川は知らない。

彼女がいつ『月華』となったのか。

本家では当主とその補佐、そしてもう1人の身内の者と暮らしていると聞いた事があるが、それでは彼女の両親はどうしているのか。

霊現象についての知識は豊富だが、しかしその説明がどこか薄っぺらく思えるのも、霊能者とは思えないほど霊現象に慣れてはいない様子も、そして・・・―――初めて出会った時に言っていたあの言葉の意味も、浮かんだ大人びた・・・何かを諦めたような、寂しそうな笑みの理由も。

滝川は、何1つ知らない。

この少女が、どれほどのものを抱え込み背負っているのかも。

「・・・あー、もう。私ダメだな。これくらいの事で頭真っ白になっちゃうなんて」

漸く気分が浮上してきたのか、が自嘲気味にそう呟く。

未だ顔は上げられないままだったけれど、その声色が少しだけいつもの調子に戻ってきている事に気付いて、滝川はホッと安堵の息を漏らす。

それと同時に、ずっと胸をくすぶっていた疑問が思わず口を突いて出た。―――今聞かなければこれからずっと聞けないままになるかもしれないと、そう思ったのかもしれない。

「なぁ、前に俺が「この仕事、嫌か?」って聞いたとき、お前言ってたよな。―――『それで自分の存在が証明できるなら、簡単な事だと思わないか』って」

「・・・そんな事言ったっけ?」

しらばっくれるに、滝川の眉間に皴が寄る。

もしかすると聞かれたくないことなのかもしれない。―――それでも一度口に出してしまった手前、引く事は出来ない。

「あれって、どういう意味だったんだ?実はずっと気になってたんだよな」

聞きようによれば、それは大したセリフではなかったのかもしれない。

ただあの時浮かんだ微笑みが・・・―――思わず見入ってしまうようなあの微笑みが、今も滝川の脳裏から離れない。

女子高生が浮かべるには不似合いな・・・絶望の色を浮かべたあの微笑みを。

滝川の言葉に、が微かに身じろぎした。

けれど顔は上げられる事はなく、彼女が今どんな表情をしているのかも解らない。

そうしてどれほどの沈黙が流れたのだろうか。

遠くから駆け寄ってくるジョンの足音が聞こえ、それに漸く顔を上げたはゆっくりと滝川へと視線を向けて・・・―――そうして穏やかにやんわりと微笑んだ。

「ごめんね、ぼーさん。―――覚えてないの」

酷く優しげに・・・そして穏やかに告げられた返答に、滝川は軽く目を見開く。

完璧な笑顔。完璧な振る舞い。

それはいつもの彼女とはかけ離れた・・・それでも彼女らしいとも思える仕草で。

「すいません!なかなか自動販売機が見つからんよって!!」

「ううん、もう大丈夫だよ。ありがとう、ジョン」

勢い良く駆け込んできたジョンへとそう微笑みかけ、差し出された温かい缶を大事そうに両手で包み込みながら、は今もまだ座り込む滝川へと振り返った。

「さ、行こう。早く人形を見つけなくちゃね」

まるで何事もなかったかのように笑うを、滝川は呆然と見返した。

そこにあったのは、彼女の完全なる『拒絶』だった。

 

 

人形を探すのが最優先だとはいえ、流石にまだ顔色が悪いをあちこち連れまわすわけにも行かず、滝川とジョンはをベースにおいて再び人形捜索に出向いた。

そうして日も暮れかけた頃、くたくたになりながら2人が再びベースに戻れば、そこには既に綾子と真砂子が戻ってきている。―――聞けばついさっき戻ってきたばかりで、やはり収穫はなかったという。

そりゃそうか・・・と、滝川は心の中で独りごちた。

これだけの人数で、どこにあるかも解らない小さな人形を、この広大な敷地内から見つけ出すなど言うほど簡単ではないのだから。

「・・・は?」

「あっちで寝てるわ」

問い掛ければ、綾子が会議室の隅を指差しため息混じりにそう返す。

視線を向ければ、会議室の机の端っこで突っ伏すようにはすやすやと眠っていた。―――その肩に掛けられているのは、スーツの上着・・・だろうか。

見ればいつもきっちりと身なりを整えているリンが、スーツの上着を着ていない。

おそらくは風邪を引かないようにとの配慮なのだろうが、それが滝川の目には意外に映った。―――ここにいる誰とも深く関わろうとしない彼が、何故を気に掛けるのか。

思い起こせば、それはあちらこちらで見ることが出来たとそう思う。

いつも無表情で無口で愛想笑いの1つもしないあの男は、しかし何故かには甘い。

それは特別目に付くほどの事ではなかったけれど、比較的を見ている滝川が気付かないはずもない。―――言い合いをしていても、結局最後の最後で渋々ではあるがリンはの言い分を聞き入れるのだ。

そもそも以外、彼と言い合いを出来る者がいるのかどうか・・・。

「・・・ねぇ」

そんな物思いに耽っていた滝川の耳に、綾子の神妙な声が届く。

その常にない声色に珍しい事もあるものだと視界を巡らせれば、心配そうにを見つめる綾子の姿が目に映った。

「あの子さ、大丈夫なの?毎回毎回、なんだかんだでぶっ倒れちゃってさ」

「・・・あー」

フォローする言葉が見当たらず、滝川は頭を掻きながら視線を泳がせる。

確かにと仕事をした内のほぼ半数は、こういう事態に陥っている。―――特に今回は、自分がついていただけになんだか居たたまれない。

「あの家の月華なんてすごいと思ってたけど、こんなに身体に影響あるんじゃその能力も考え物よね。ほんと、この子無事に日常生活送れるのかしら?」

さんはまだ修行が足りないのではありませんの?すべての霊媒が仕事に関わる度に倒れるわけではありませんわ」

「な〜に?今回自分には何にも見えなかったからって八つ当たり?」

「そうではありませんわ。ただ・・・さんはまだこの仕事にあまりお慣れになっていないのではないかと」

綾子の言いようにムッと表情を強張らせて、しかし真砂子は思ったままを口にする。

確かに強い力を持つ霊やたくさんの霊がいる場所へ行けば、体調を崩す事はある。

能力が高ければなおさらだ。―――それにしても、の霊に対する免疫力は霊能者としては低いようにも思えた。

「確かにね。あれでしょ?月華ともなれば、早々現場に出るなんて事ないんじゃない?」

確かそういう話、聞いた事あるし・・・と言葉を続ける綾子に、全員が納得したのか口を閉ざす。

要するに、なんだかんだ言いつつ全員心配しているだけなのだ。

「まぁ、ここでこんな話してても仕方ないんだけど。―――それにしても麻衣ったら遅いわね。どこまで探しに行ってんのかしら?」

この話はこれで終わりとばかりに、綾子が突然話題を摩り替える。

それに漸くこの場に麻衣がいない事に気付いた滝川が、部屋の中を見回して首を傾げる。

そういえば、ナルの姿もどこにもない。

彼が率先して人形を探しに行くとも思えないのだけれど・・・―――そう思ったその時、突然ガタンと大きな音が上がる。

何事かと音がした方へ視線を向ければ、先ほどまですやすやと眠っていたはずのが表情を強張らせて立ち尽くしていた。

「おー、目ぇ覚めたか。どうした、怖い夢でも見たのか?」

呆然と立ち尽くすへ、からかい混じりに滝川が声を掛ける。

しかしはピクリとも動かず・・・―――漸くそれに不信感を抱き始めたその時、またもや突然パッと顔を上げ、強張った表情のままが口を開いた。

「・・・麻衣は?」

「麻衣?いや、まだ帰ってきてねーみたいだけど?」

「麻衣が・・・麻衣を助けて!麻衣が危ないの!!」

会議室の机に手を置き、身を乗り出してそう叫ぶ。

その尋常ではない様子に、その場に居た全員が立ち上がった。

「どういう事だ?」

「・・・解んない。解んないけど、夢で・・・」

「夢?」

そこまで言って口を噤んだは、考え込むようにじっと机を睨みつける。

「夢だけど、でも夢じゃないと思う。麻衣が昨日の女の霊に襲われてて・・・。あの女がいるって事は・・・もしかするとナルも一緒かもしれない」

一つ一つ確認するように呟くの言葉に、今まで無言だったリンが勢い良く立ち上がった。

「・・・どこです?」

「どこかは・・・解んないけど。でもなんか暗い場所。暗くて・・・深くて・・・丸い空が見えるところ」

「暗くて深い?」

そんな場所、学校内にあったっけ?と滝川が疑問を投げ掛ける前に、リンが勢い良く教室を飛び出していく。

「ここをお願いします」

「あ、おい!」

制止の声にも耳を貸さず飛び出していったリンの背中を呆然と眺めて、滝川はどうしたもんかと眉間に皴を寄せた。

それが本当なら放っておくわけにも行かないが、しかしリンに頼まれた手前ここを空っぽにするわけにもいかない。

その上、今もまだ男の霊に狙われているだろうを放っておく事も勿論出来なかった。

「リンが行ったんだから大丈夫でしょ、きっと」

迷う滝川を見かねてか、綾子はそう言って椅子に座り直す。

確かに、あれだけ迷いなく走って行ったという事は、何か心当たりがあるに違いない。―――そうでなければ、逆に困るというものだ。

特にリンは陰陽師だという話だし、彼が行けば問題もないだろう。

自分自身をそう納得させて、滝川は自身を落ち着けるように深く息を吐き出してから椅子に座りなおす。

そうしてふと何気なく上げた視線が、いつからこちらを見ていたのか・・・ばっちりとかち合う。―――しかしそれは一瞬の事で、すぐさま避けるように視線を逸らされ、滝川は表情には出さずに内心がっくりと肩を落とした。

あの体育倉庫での一件以来、との間がなんとなくぎこちなくなっている。

それは本当に些細な事ではあるのだけれど、どことなく一線を引かれたようで・・・―――きっとあの質問が悪かったのだろうと検討がついても、残念ながら一度口から出た言葉は戻らない。

「・・・私、ちょっと気分転換してくる」

どことなく重い雰囲気が漂うベースの空気に耐え切れなくなったのか、が立ち上がり小さな声でそう呟く。

しかし、今のは呪詛によって狙われる身。―――勿論1人では行動させられない。

「じゃあ、俺が一緒に・・・」

「仕方ないわね。アタシが付いてってあげるわよ」

同じく立ち上がり口を開きかけた滝川を遮って、綾子が唐突にそう申し出る。

それに異論はないのか、は苦笑いを零しながらも1つ頷いて戸口へ向かい歩き出した。

正直綾子では不安な面もあるのだけれど・・・―――しかし彼女がこの空気の重さの原因を察して動いたのだろうと、綾子から投げ掛けられた意味深な視線で察しがついた滝川は、それ以上口を挟む事は出来なかった。

そんな2人のやり取りも知らぬまま、は静まり返った廊下へ出ると気が抜けたようにホッと息を吐く。

「ほら、さっさと行くわよ」

続いて出てきた綾子に強引に背中を押され、そのまま当てもなく歩き出したは、隣を歩く綾子をちらりと窺う。

彼女は知っているのだろうか。

いや、と滝川の異変には気付いていても、その内容までは知らないはずだ。―――滝川がべらべらとしゃべってしまうような人間ではない事ぐらいは知っている。

それでもその異変に気付いたのは、彼女が大人だからだろうか?―――それとも面倒見の良い彼女自身の性格から来るものなのか、それは解らなかったけれど。

珍しく何も話さない綾子と2人、ぶらぶらと廊下を歩く。

夢で見た麻衣の身が心配だったが、リンが向かったのなら大丈夫だろうと心のどこかで確信出来た。

「・・・ねぇ、

もともとそれほど遠くへ行くつもりも、行く当てもない散歩である。

とりあえず目に付いた階段を一段一段ゆっくりと下りていると、唐突に綾子が口を開いた。

それに返事の代わりに視線を向ければ、綾子は呆れたような眼差しを向けて。

「あんた、ぼーさんと喧嘩でもしたわけ?あんなに仲良かったのに・・・」

「別に・・・喧嘩なんかしてないよ。ただ・・・」

ただ、気まずいだけだ。―――あんな形で、滝川をあしらってしまった事が。

言い訳をするつもりはないが、あの時は気持ちもかなり不安定で、自身を落ち着けるだけで精一杯だったのだ。

そこにあの質問。

いつもならもっと簡単に誤魔化せたはずなのに・・・。

否、あの時の滝川は、きっとそう簡単に誤魔化す事など出来なかっただろう。―――だからこそ、ああいう形になってしまったのだ。

「ぼーさんがね、遠慮なく人の心の中に踏み込もうとするから・・・」

なんだか非難がましくなってしまって、はばつが悪くて顔を俯かせる。

滝川は決して、遠慮なく踏み込もうとはしなかった。

いつも気遣って、ちゃんとにも選択肢を与えてくれていたのに・・・。

「・・・で、アンタはそれが嫌だったわけね」

納得したとばかりに綾子が頷く。

「ううん。別に嫌だったわけじゃないんだけど・・・」

しかし直後返ってきた意外な言葉に、綾子は呆気に取られたように目を見開いた。

そう、決して嫌だったわけではない。

嫌だったわけではないけれど・・・―――ただ・・・。

「・・・怖かっただけなの」

「怖い?なにが・・・?」

「んー、それがよく解らないから、更に困りモノなんだよね」

そう言って弱々しく笑むを見返して、綾子は小さくため息を吐く。

珍しく柄にもなく沈んでいるかと思いきや、その理由も解らないとは・・・。

物静かなんてアンタには似合わないわよと言ってやりたかったが、それでもが解らないなりに真剣に悩んでいるのが解るから、綾子は仕方がないとばかりに苦笑する。

「それでぼーさんの事避けてたわけ?―――大人びた考え方するかと思いきや、やっぱりアンタもまだまだ子供ねぇ・・・」

「なっ・・・!」

鼻で笑いそう言い放たれ、はムッとしたように表情を歪める。

しかしすぐ後その通りかもしれないと思いなおし、は自嘲の笑みを零した。

「・・・っていうか、いっつもナルに言い負かされてる綾子に言われたくないんだけど」

「・・・うるさいわよ」

それでも生来の負けん気は健在らしい。―――横目で睨みながらそう言うと、綾子は痛いところを突かれたとばかりに表情を歪めた。

綾子も自覚はあるらしい。

まぁ自覚があったところで、綾子がナルに口喧嘩で勝てるとは思わなかったが。

「ったく!落ち込んでるからちょ〜っと心配してやればこれだもの。付き合ってられないわよ」

の図星を突いた反論に言葉がないのか、綾子は不機嫌そうに踵を返し、さっさと戻るわよと言い捨て来た道を戻る。

それに慌てて後を追ったは、綾子の背中をじっと見つめながら小さく微笑んだ。

確かに自分は子供だったとそう思う。―――都合の悪い事から逃げる事しか選択できなかった自分は。

けれど綾子が一体何を言いたかったのか、それが解らないほどは子供ではない。

素直ではない、遠回しな言い方ではあったけれど、綾子の想いは確かにの心に届いた。

「・・・あいつ、ああ見えて本気でアンタの事心配してたわよ」

何も言わずに後を付いてくるに向かい、綾子は独り言とも取れるほど小さな声でそう言った。

は知らない。―――人形探索から戻ってきた滝川が、どれほど心配そうな眼差しで眠るを見つめていたのか。

普段から滝川を『ロリコン』とからかってはいるが、心の中では彼を応援してもいるのだ。

この気丈で大人びた・・・けれどどこか危うい雰囲気を持つ少女を、彼が少しでも支えてくれるならば、と。

まぁ、強力なライバルが出現したみたいだけどね。

心の中でそう独りごちて、綾子は小さく笑む。

あの無表情で何にも関心がなさそうに見える男の変化も、綾子は勿論見逃していない。

それは少しづつ形となってきているように思える。―――いわば女の勘、だろうか。

2人の男の顔を思い出し、面白くなってきたとばかりに綾子はチラリと背後を窺う。

そこにはまだ何も知らないが、それでも少し晴れ晴れとした表情で大人しく後を付いてきている。

とりあえず、肥料をやる事には成功したようだ。

後は芽が出るのを待つばかり・・・。

「・・・綾子、何笑ってんの?」

「べっつに〜」

笑いをかみ殺す綾子に気付いてが訝しげな表情を浮かべたが、綾子はそれに取り合わずに珍しくうきうきとした気分で薄気味悪い廊下を歩き続けた。

 

 

と綾子がベースに戻ったすぐ後、助けに向かったリンと共にナルと麻衣が帰ってきた。

どうやら学生会館建設予定地のマンホールの中に落ちたらしい。―――そこで例の女の霊に再び襲われたのだという。

の言ってた暗くて深い丸い空の見える場所というのは、どうやらマンホールの事だったらしい。―――聞けばなるほどと納得できる部分が多かった。

どんな夢を見たのかは自身が語ろうとしないので不明なままだったが・・・。

ともかく、問題はマンホールに落ちた2人が持ち帰った物だ。

今現在、会議室の机に山積みにされている木で出来た人形を見下ろして、全員が呆れと感嘆のため息を吐き出した。

「・・・すっげぇ。これだけの数の人形をよくもまぁ・・・。しっかし、マンホールの中とは盲点だったなぁ」

確かに、マンホールの中に捨ててしまえば人に見つかる事はまずない。―――わざわざマンホールの中に入る人間がいるとは思えなった。

そんな滝川の言葉を聞きながら、は山積みにされた人形を見て眉を顰める。

これだけ大量の人形を作っていたとは・・・―――犯人が誰かも、そもそも動機さえもはっきりはしていないが、恐ろしいほどの執念である。

「・・・麻衣」

怒り心頭の綾子に怪我の治療をしてもらっている麻衣に、ナルが静かに手を差し出した。

その手には机の上に山積みにされているものと同じ人形がある。―――他と違うのは、それに『谷山麻衣』という名前が記されている事だ。

「僕との人形と・・・吉野先生のものもあった」

そう言って手渡された人形を受け取り、麻衣はじっとそれを見つめる。

同じく自分にも渡された人形を受け取って、もまた軽く眉を上げて興味なさそうにそれを見つめた。

こんな木の板一枚で、あんなにも厄介な体験をさせられていたとは・・・陰陽道とは怖いものである。―――いや、人の心は・・・というべきか。

「・・・で?これで呪詛はパアになったわけか?」

「ああ。あとは水に流すか焼き捨てればいい」

滝川の問い掛けに、ナルは漸く椅子に腰を下ろしながらそう返す。

心なしか疲れているようにも見える。―――まぁ、マンホールに落ちた挙句に霊と睨み合いっこでは、疲れない方が可笑しいが。

それにしてもナルの顔色は悪い気がすると、は自分の名が書かれた人形を机の上に放り、訝しげな表情のままナルへと近づく。

「そやけど、犯人がこれでやめるでしょうか?」

「だな。肝心の犯人も解んねぇし」

「言っとくけど、笠井さんじゃないからね!」

「わーったって」

がやがやと話し合うジョンたちの会話をスルーして、はナルの真正面に立つとそのまま窺うように顔を覗き込んだ。

「ナルー、大丈夫?具合でも悪いんじゃないの?」

「そういえばナルも怪我してたわね。ちょっと見せなさい」

そんなの様子に気付いたのか、綾子もまたナルの元へと歩み寄る。

そうして親切にも手当てしてやろうと申し出た綾子にもナルは無反応のまま、堅く目を閉じたまま身動きひとつしない。

そんな様子に流石に綾子も異変を感じ取ったのか、ナルの隣に回りこんでと同じようにそっと顔を覗き込んだ。

「・・・ナル?どうしたのよ。気分、悪いの?―――ねぇ・・・」

そうして綾子がその手をナルの肩へと伸ばしたその瞬間、グラリとナルの身体が傾いた。

そのままゆっくりと倒れていくナルの姿を、全員が目を見開いて見つめる。

「ナル!!」

それは誰が叫んだ声だったのか。

体勢を整えるでもなくそのまま床へと倒れたナルにいち早く駆け寄ったリンが、険しい表情のままナルの身体を抱き起こす。

「動かさないでください。救急車を・・・」

その言葉に、は慌ててポケットから携帯を取り出した。

その後すぐさま救急車が到着し、付き添いにリンを乗せて走り去っていく救急車を呆然と見送った後、全員は無言のままベースへ戻る。

そうして重い空気の中、今いるメンバーでは最年長の滝川が、事態を進行させるべく口を開く。

「とにかく、まず人形を処分しよう。それからオフィスに戻ってリンからの連絡を待つ。ベースはナルちゃんの指示があるまでこのままにしておく。―――どうだ?」

「さいですね」

「うん、解った」

「・・・いいわ」

さすが、いつもは暢気にしていても大人であると、次々と物事を決めていく滝川を見てこういう時思い知らされる。

そんな事を思いながら、は隣で俯いている麻衣をチラリと窺った。

彼女の考えている事はだいたい想像がつく。―――きっとナルが倒れたのは自分のせいだと、そう思っているのだろう。

もしかするとそうなのかもしれないし、実はそうではないのかもしれない。

それはには解らない。

ただそれが真実だとしてもそうではなくとも、ナルは麻衣を責めたりはしないだろう。

だからこそ、麻衣は自分を責めるべきではない。―――あれは、麻衣のせいではないのだから。

ただそれでも麻衣の気持ちは麻衣のもので、それが彼女の優しさでもあるのだろうと思う。

「まず出来る事をやっちまおう。だーいじょーぶ、大した事ないって」

そんな麻衣を見かねてか、滝川が優しく麻衣の頭を撫でながら慰める。

「それに、やる事やっとかねーと怒られるし。怖いし」

「・・・うっ!!」

ナルの怒った姿を思い浮かべたのだろう。―――麻衣が先ほどの沈んだ表情を引き攣ったそれへと変えるのを目にして、は思わず苦笑する。

こんなにもいとも簡単に、麻衣の気持ちすらも浮上させてしまえるのだから・・・。

「・・・やっぱり、大人だよね」

「・・・・・・?」

「あ、なんでもない」

不思議そうに首を傾げるジョンへと手を振り、はやんわりと微笑む。

自分もちゃんとけじめをつけなくてはならない。

せめて、この事件が終わる前に。

まず出来るところからやる。―――それが今の自分に出来る最良の事だとそう思うから。

「よっしゃ!それじゃ、まずは人形焼いちゃいますか。ついでに焼き芋でもする?」

「・・・おいおい」

「こんなにも騒がされたんだから、せめて焼き芋の材料にくらいはなってもらわないとね」

そんな楽しみでもなければやっていられない。

それでも、綾子の言った『呪いの人形で焼いた焼き芋なんて食べたくないわよ』という発言に全員が揃って頷いたのを見て、もまた納得したように頬を引き攣らせながら1つ頷いた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

終わりが・・・!もうどう終わろうかと試行錯誤した挙句、この体たらくですが。

なんか色々と詰め込んだ感もありますが、とりあえず次くらいで終われそうです。

この収拾をどうつけるか・・・、という最大の問題が残っていますが。

作成日 2007.10.17

更新日 2008.1.15

 

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