『ほう。そちらから連絡があるとは思わなかったな』

電話の向こうから聞こえる押し殺した笑みと共に告げられた言葉に、ナルは薄く目を細める。

こんな風に関わる事などそうはないと思っていた。―――それでも今回は連絡を取る必要があったのだ。

小さな機械を挟んだ向こう側で隠す事無く笑っているだろう見た事のない男を意識し、ナルは殊更ゆっくりと口を開く。

「今回、人形を大量に製作する必要性が出てきました。人の命に関わる事です。そこであなたに確認しておきたいと思いまして」

『確認?俺に?』

訝しげな声。―――けれど彼はきっとその意味を解っているはずだ。

それでもナルに言わせたいのだろう。―――それを察し、ナルは更に言葉を続ける。

・・・彼女は、人形の製作が可能ですか?」

問い掛けに、僅かな沈黙。

しかし彼は何事もなかったかのように、再び笑みを零した。

『・・・何故、俺に?』

「彼女に聞いても無駄だと思ったからです。彼女はおそらく『出来ない』と言うでしょう」

『だが、君はそうは思わないわけだ』

「・・・僕には判断しかねます」

明らかに揶揄を含んだ声色に、ナルは僅かに眉間に皴を寄せた。―――こういう相手は扱いづらい事を、彼は知っている。

けれど確認しておかなければならない。―――今回は、失敗は許されないのだから。

そんなナルの想いを感じ取ってか、男は漏らしていた笑みを消して真面目な声色で口を開いた。

『まぁ、いい。そうだな、技術的にも知識的にも問題はないだろう。あいつはああ見えても優秀だ。それを可能にするだけの能力もある。―――ただ・・・』

「ただ・・・?」

『あいつには決定的に足りないものがある。君がそれを補ってやれるのなら、君の質問にはイエスと答えよう』

意味ありげな言葉に、ナルは更に眉間に皴を寄せた。

謎掛けをしている時間はないのだ。―――苛立ちを僅かに声に乗せ、ナルは更に説明を促す。

「・・・足りないもの、とは?」

ナルの問い掛けに、男は再び小さく笑みを零した。

『自信だよ。あいつは霊能者としての自分に自信がない。自分の能力を信用もしていなければ信頼もしていない。確かに俺はあいつに技術と知識を叩き込んだ。だが・・・自分に自信が持てない今のあいつに、そんな重要な作業を任せるわけにはいかないだろう?』

逆に問いかけられ、ナルは思わず口を噤む。

確かにその通りだ。―――けれど・・・。

彼は言った。―――には、それが出来るだけの力があると。

今のナルには、その言葉だけで十分だった。

そんな気配を感じ取ってか、男は小さく息を吐き出して。

『それではね。・・・君には期待しているよ。今までは客観的に現象を認めていただけのあいつが、なんだかんだ文句を言いつつも、君たちと仕事をするようになってから少しづつ前向きになってきている。良い傾向だとは思わないか?』

「・・・・・・」

『まぁ、藤野辺りは渋い顔をしてるがな。それじゃ、いずれまた』

最後にもう一度笑い声を残して、電話はブツリと音を立てて切れた。

 

困難な提案

 

言われた言葉の意味が理解できず、は呆然と目の前に立つナルを見上げた。

生徒たちの身代わりになる人形を作る、とナルは言った。

という事は、ナルにはあの凶悪な霊を本当に生徒たち自身に返す気はないのだろう。―――そう考えてホッと安堵の息を漏らしたは、しかしすぐさま思い返す。

そう、生徒たちの人形を作るまではいい。

しかし、ナルはなんと言った?―――その人形をリンと共に、自分が作ると?

「・・・な、なに言ってんの?そんなの出来るわけないじゃない」

咄嗟の事に笑みさえ浮かべながらそう言ってのけたを、しかしナルは無言のままじっと見つめていた。

まるでがそう言うと予想していたとでも言うように。

まっすぐなナルの視線を受けて、は戸惑いを隠せず視線を泳がせた。

「何言ってんの、ナル?そんなの出来るわけないじゃない」

「お前は陰陽師なんだろう?」

「陰陽師って!半人前以下だって言ったじゃない!そんな私に出来るわけないでしょ!?」

「出来る出来ないは問題じゃない。―――・・・やるんだ」

キッパリと告げられた言葉に、思わず息を飲む。

ナルの瞳が、言葉が、本気だと告げている。

それを感じ取ったは、思わず一歩後ずさった。―――助けを求めるようにリンに視線を向けるけれど、彼は何も言わないままを見下ろしている。

まさしく前も後ろも塞がれた状況の中で、は苦しそうに表情を歪ませて。

「そんな無茶苦茶言わないでよ!人の命が掛かってるんだよ!?そんな・・・失敗したらどうするの!?失敗したら・・・安原くんだって、この学校の生徒だって、全部・・・全員死んじゃうかもしれないんだよ!!」

ぎゅっと身体を縮込めて、はあらん限りの声で叫んだ。

そんな一か八かの賭けなど出来るはずがない。

除霊に使う人形を作成するのとはワケが違うのだ。―――今回は、人の命の身代わりを作らなくてはならない。

絶対に失敗が許されない状況の中、そんなものに手を出す事など出来るはずもない。

しかしナルは意思を曲げるつもりはないのか、無表情のまま更に言葉を続けた。

「では、失敗しなければいい」

告げられた言葉に、は目を見開いて呆然と立ち尽くす。

ナルが何を言っているのか、理解できなかった。

どれほど叫んでもどれほど抗議をしても、ナルの心に届かない。

自分の言葉が届かないこの状況を、は知っている。―――どうしようもないもどかしさの中で、ただ泣き出さないようにとそれだけを耐えた。

「・・・もうやめてよ。そんなの私に出来るわけないじゃない」

普段のからは想像できないほど弱々しい声に、ナルは僅かに目を細めた。

彼は言った。―――『に決定的に足りないものを補ってやれるのなら、それは成る』と。

まさしく彼の言う通りだとナルは思った。

力があるにも関わらず、には決定的に自信が足りない。

それがどうしてなのかはナルには解らない。―――そして、どうすればそれを補えるのかも。

黙って俯くを見据えて、これ以上は無駄かと諦めかけたその時、今まで無言で状況を見ていたリンが何の前触れもなくその手を伸ばした。

リンの大きな手が、力強く・・・しかし優しくの頬を包み込む。

「・・・リン、さん?」

あまりにも突然のリンの行動に、先ほどまでの状況を忘れて目を丸くしたを見下ろして、表情を変えないままリンが口を開いた。

「どうして出来ないと思うのですか?」

突然の問い掛けに、その意味すら理解できずには目を見開く。

「・・・え?」

「先ほどの話し合いの中で、貴女は私が何も言わなくともすべてを察した。それだけの知識を持ちながら、何故出来ないと思うのですか?」

噛み砕いた説明に、それでもは苦しそうに目を細めて。

「・・・だって、そんな」

俯きたくともリンの手がそれを阻む。―――視線を逸らしたくとも、リンのまっすぐな視線にそれさえも許されない。

頬に触れたリンの手は、想像していたよりもずっと温かかった。

「貴女は出来ると、私はそう思います」

「・・・なんで?リンさん、何も知らないのに」

言われて、リンはピクリと肩を震わせる。

そう、自分は何も知らない。―――の事を、彼女が見せている部分以外の何一つ。

それでも、なら出来るとそう思えるのは・・・。

「信じているからです」

「・・・・・・」

「貴女なら出来るだろうと、信じているからです」

キッパリと告げられた言葉に、はこれ以上ないほど目を見開いて。

およそリンらしくない台詞。―――まさか彼の口からこんな言葉が聞けるとは夢にも思っていなかったけれど。

まっすぐに自分を見下ろす眼差し。

力強いそれを見上げて・・・―――そうしては強張っていた身体から力を抜いた。

「・・・なに、それ」

言いながら小さく笑う。

それは泣き笑いのようになってしまっていたけれど・・・―――それでもの顔に浮かんだ笑みに、リンはホッと息を吐き出した。

僅かに身じろぎしたに気付いて、伸ばしていた手を戻す。

大胆な事をしていた事に気付いて微かに視線を泳がせるリンを見上げて・・・―――そうして無言のまま状況を見守っていたナルへと振り返り、は困ったように微笑んだ。

「・・・どうなっても知らないからね」

「失敗は許されない」

「・・・プレッシャー、掛けないでよ」

気休めなど言わないナルの言葉に小さく笑みを零して、はグッと身体を伸ばした。

正直なところを言えば、今だって自信があるわけでもない。

失敗は許されないのだ。―――それはすなわち、人の命に関わるという事。

出来る事なら避けて通りたいとさえ思う。―――これまでそうして生きて来たように。

それでもほんの少し前向きになれたのは、誰かが自分を信じてくれていると思えたから。

リンが・・・そうして自分を連れ出したナルが、そう信じてくれていると解ったから。

そして、それしか有効な道はないのだ。

安原を・・・そしてこの学校の生徒の身を救うためには。

そして、不安なままでベースに残っている麻衣たちのためにも。

今、自分が出来る事をやるしかない。―――全力で。

「・・・よ〜し、オンナは度胸だ!いっちょやってやるか!!」

すべての不安を振り切るように、は大きな声でそう叫び声を上げた。

 

 

しかし作業はそう簡単には終わらなかった。

なにせ生徒のほとんどがヲリキリさまに手を染めている以上、やった事のない者の数の方が少ないに違いない。

そんな中、誰がやっているか誰がやっていないかを調べている時間などあるはずもなく、リンとは全校生徒分の人形を作らなくてはならなかった。

そうして一晩を掛けてなんとか作業を終えた3人は、再び緑稜高校へと戻ってきた。

ベースには誰の姿もない。―――もしかすると帰ってしまったのだろうかと思った後、はフルフルと首を横に振った。

この状況で、すべてを忘れて帰れるような器用な人間はあの中にはいないだろう。

今どこで何をしているのかは解らないが、きっとこの学校の何処かにはいるに違いない。

そんな確信にも似た想いを抱きながら、は椅子を部屋の端へと引っ張っていき、そこに座ってじっとリンの作業を眺めた。

これから、呪詛返しが行われる。

こちらの思惑通りなら、呪詛は生徒たちに見立てた人形に返るはずだ。

「・・・大丈夫だよね」

作業を続けるリンとナルを遠目で眺めながら、は聞こえないほど小さな声で呟く。

今はそう祈るしかない。

全力は尽くした。―――今のには、計画が成功する事を祈る事しか出来ないのだ。

そんな悲壮ともいえる決意を抱いたその時、遠くの方から足音が聞こえ、それはベースの前で止まるとガラリと音を立ててドアが開かれた。

そこに立つのは、麻衣を初めとした他のメンバーたち。

全員が厳しい表情を浮かべる中、いつもと変わらない様子でナルが口を開いた。

「何しに来た?」

冷たいその言葉に、気だるそうに立つ滝川が前へと歩み出てチラリとナルを見やる。

「どんなあんばいかと思ってさ」

「見世物ではないんだがな」

さらりとそう言い返すナルを見やり、そうして滝川はチラリとへと視線を向けた。―――それに気付き、は思わず視線を逸らす。

今滝川に何か声を掛けられても、は何も答えられない。

すべてが終わるまで黙っていろとナルに言われているのだ。

としても、成功するかどうか解らない今回の計画を、安易に彼らに話すのは躊躇われた。―――ぬか喜びをさせるだけかもしれないのだから。

そんな微妙な空気の中、耐えかねたように麻衣が作業を続けるリンへと駆け寄った。

「リンさん!」

「麻衣!?」

「リンさん、止めて!お願い!!」

突然の行動に驚きの声を上げる滝川を他所に、麻衣は机に座り作業を続けるリンに言い募る。―――このまま呪詛を返させてはいけないという想いだけが、今の麻衣を動かしていた。

しかしそんな麻衣を見かねて、ナルが麻衣の腕を強引に掴む。

「まだそんな馬鹿な事を言ってるのか!」

「馬鹿じゃない!誰も悪くない!みんな松山先生を呪い殺そうとしたわけじゃないのに!!」

「邪魔だ、出て行け!!」

「やだっ!!」

思わず声を荒げたナルに負けじとそう叫び、麻衣は捕まれた手を振りほどいて鋭くナルを睨み付けた。

「みんないるんだよ、体育館に!なんにも知らないんでしょ!?自分たちに何が起こるのか!!」

声の限り叫ぶ麻衣を見据えて、ナルは無言のまま再び麻衣の腕を掴みあげた。

そのまま強引に引っ張り、戸口へと手を掛ける。

「い、痛っ!痛い!離してよ!!」

「全員外へ出ろ!リンの邪魔をするな!!」

常にないナルの怒りに、全員が身体を強張らせる。

ナルに止めるつもりはないのだろう。―――呪詛は、返される。

それを察した麻衣は、最後の足掻きとばかりに室内で顔色悪く自分たちを見つめるへと視線を向けた。

!お願い、リンさんを止めて!こんなのダメだよ!!っ!!」

麻衣の悲痛な叫び声に、は耐えるように表情を歪ませて。

それでも何も言わずに俯いたまま動かないを見て、麻衣は絶望したように目を見開いた。

なら、ナルやリンを止めてくれると思っていた。

どういう事情でが連れて行かれたのかは解らなかったけれど、それが最後の希望だとそう思っていた。―――それなのに・・・。

自分から視線を逸らしたまま何も言わないを見つめて、麻衣は振り絞るように叫び声を上げた。

「なんで!なんで何も言ってくれないの!?なんで黙ってるの!?!!」

「外へ出ろ!!」

強引に廊下へと押し出されて、よろめきながらも何とか体勢を立て直した麻衣は、じっと床を見つめるを睨みつけて言い放った。

なんて、だいっきらい!!」

ピシャリ、と音を立てて扉が閉まる。

ベースの中に残ったのは、なんともいえない微妙な空気と麻衣の残した言葉。

「・・・

そう言われても仕方がないと思っていた。―――しかし思った以上に衝撃的だったその言葉に表情を歪めると、心配したようにリンが自分の名を呼んだ事に気付いてなんでもない事のように微笑む。

「大丈夫だって。麻衣の気持ち考えたら、当然の事なんだから」

「・・・・・・」

「要はこの計画が成功すればいいんだもん。リンさん、気合入れてよ」

そう言って微笑みかければ、リンはじっとを見つめた後、何も言わずに作業に戻る。

そうしてようやくホッと息を吐いたは、ぎゅっと拳を握り締めて。

「・・・大丈夫。大丈夫だから、きっと」

何に対してなのか・・・ただそう繰り返しながら、祈るように手を組む。

その手が微かに震えている事に気付きながらも、それに気付かない振りをして。

ただ心の底から、必死に祈りを捧げた。

 

 

そうしてリンの手により、呪詛は返された。

確認の為にベースを出て行くナルの後姿を見つめて・・・―――廊下から聞こえてくる綾子や真砂子の声を聞きながら、はふらりと立ち上がる。

自分の目で確認するのが怖い。

本当に成功したのかどうか、それを目にするのが怖かった。

それでもベースでじっとしている事も出来ず、は何かに引かれるようにベースを出た。

そのまま体育館へと足を向け、中から聞こえてくる麻衣たちの声を耳にしながらそっと中を覗き込んだは、その光景に思わず目を見開いた。

体育館に散りばめられた、全校生徒分の人形。

その1つを手に取れば、乾いた音を立てて腕の部分が床に落ちる。

「・・・成功、した?」

信じられない思いで呟き、思わずその場に座り込む。

冷たい体育館の床が、じんわりとの体温を奪っていく。―――それさえも現実を意識させ、は思わず乾いた笑みを浮かべた。

「成功した。・・・成功したんだよね?」

誰にともなく問いかけて、そうしてぐしゃりと顔を歪ませる。

呪詛返しは成功した。―――そしてこの人形が、代わりにその罰を受けてくれた。

「・・・、お前」

頭上から降ってくる滝川の声に顔を上げる事も出来ないまま、は目元にうっすらと滲んだ涙を乱暴に拭い、改めて人形を見つめる。

それぞれ何処かが壊れた人形。

成功する確証はなかった。―――本当は、逃げ出したいとそう思っていた。

けれど・・・。

突然強い力に腕を捕まれ引き上げられたは、それをしたナルをぼんやりと見上げて。

「ぼーさん。ジョンと人形の確認を頼む。それから松崎さん、原さん、麻衣。手分けして壊れてない人形の名札を調べてくれ。名札にある名前を名簿で調べて安否の確認を取るんだ」

次々と飛ぶナルの指示に行動を開始する面々を見つめ、は自分は何をするべきなのかとナルの顔を見つめる。

するとナルは掴んでいたの腕を離した後、変わらない表情で口を開いた。

「お前は作業が終わるまでベースで休んでいろ」

「で、でも・・・私も何か・・・」

「お前の仕事は終わった。後はあいつらに任せておけ」

そう言い放ち踵を返すナルの背中を見つめて、そうしてはそれに抗う事無くベースへと足を向ける。―――正直なところを言えば、身体も心も疲れきっていた。

「・・・

そうして数歩歩いたところでナルに呼び止められ、今度は何かと振り返ったは思わず目を見開いた。

「・・・ご苦労だったな」

それだけを告げて今度こそ去っていくナルを呆然と見つめて、は小さく笑みを漏らす。

あれがナルなりの労わり方なのだろう。

初めて見た気がした。―――夢の中ほどとは言わないまでも、柔らかく笑ったナルの顔は。

なんとなく浮き立つ気分で足を進めベースへと戻ると、そこには儀式の後片付けをするリンがいた。

「リンさん、成功したよ」

ただそれだけを告げれば、振り返ったリンは小さく笑う。

解っているとでも言いたげに・・・。―――その余裕がなんだか悔しくて、は不本意そうにそっぽを向いてリンから少し離れた場所に腰を下ろす。

そのまま机に突っ伏しながら、大きく息を吐き出した。

重かった肩の荷が下りたような気分。―――それはもしかすると、テストでトップを取る事よりも充実した気分だったのかもしれない。

「休むのなら宿直室に戻ってはどうですか?こんなところで眠って風邪を引いても知りませんよ」

「いいの、宿直室に戻ったら本格的に寝ちゃいそうだから。ここならみんなが戻ってきた時にすぐに解るでしょ」

既に眠る体勢に入っているを見咎めて口を開いたリンにそう言い返し、は大きく欠伸を1つ。

昨日の夜は、こんな風に暢気に欠伸をしていられるとは思っていなかったが。

そうして諦めたのか何も言わずに片づけを進めるリンが立てる微かな音を聞きながら、はゆっくりと睡魔に身を任せる。

今はもうすべてを忘れて眠ってしまいたかった。―――それが今の自分自身に対する最大のご褒美だと。

「・・・

夢うつつで、リンが自分を呼ぶ声が聞こえる。

それにうっすらと目を開けたは、目の前にリンが立っている事に気付いて訝しげに眉を寄せた。

「・・・なに・・・リン、さん」

うわ言のように問い返すの声を聞きながら、リンは薄く目を細めて。

そうして無意識にその手を伸ばす。

いつも彼女の傍らに立つ青年がしているように、その手をの小さな頭の上に乗せて。

突然目の前に突きつけられた問題に、不安と恐怖を抱きながら怯えていた少女。

その少女は、それでも前を向き己のすべき事をした。―――それはきっと彼女にとって、とてつもない勇気を伴ったに違いないから。

「・・・よく、頑張りましたね」

小さな・・・囁くような声でそう告げれば、一拍の後にはふわりと表情を緩める。

それは、いつものの笑顔と同じように見えた。

けれどそれは、初めて見るような笑顔にも思えて・・・―――心底安心したように、ホッとしたように表情を緩めるを見下ろして。

そうしてサラサラと手から零れていく長い黒髪を無意識に弄びながら、リンもまた微かに笑みを浮かべた。

 

 

「・・・う、ん・・・」

先ほどまで見ている方までもうとうとしそうなほど安らかに眠っていたの眉間に、僅かに皴が寄る。

小さく身じろぎを1つ。―――そうして微かな唸り声を上げた後、何の前触れもなく勢いよく身を起こしたに、そばで見ていた麻衣が驚いたように背中を逸らした。

「うわっ!・・・、どうしたの?」

あまりにも突然の目覚めに戸惑いながらもそう問えば、目を見開いて固まっていたは腕で額を拭うマネをし、そうして大きくため息を吐き出した。

「た、担任の先生に『出席日数が足りないから卒業できません』って言われる夢見た。ほんと、シャレにならないくらいびっくりした。―――いや、大丈夫だよね?確かぎりぎりではあったけど大丈夫だったと・・・」

ぶつぶつと呟きながら手帳を取り出し確認し始めるを前にして、呆気にとられていた麻衣は思わず小さく噴出した。

それに気付いたが手帳から顔を上げ、きょとんと麻衣へと視線を向ける。

「・・・あれ、麻衣?」

一体いつからそこにいたのだろう。

が突っ伏した机の隣に座ってこちらを見る麻衣を見て、は僅かに首を傾げる。―――状況がわからず室内を見回しても、そこにはリンの姿もナルの姿もない。

もしかして寝過ごして置いていかれたんじゃ・・・と考え、しかし傍に麻衣がいる事でそれはないだろうと判断した。

こんなところに置いてけぼりなど、本当にシャレにならない。

そんな現実逃避を行いながら、は現在の状況を思い出す。―――確か、麻衣は他のメンバーと共に確認作業を行っていたのではないか?

そう思い視線を向けると、麻衣は柔らかい笑みを浮かべて。

「大丈夫だったよ。みんな無事だった」

告げられた言葉に今度こそ安堵して、はもう一度机に突っ伏した。

本当に、儀式は成功したのだ。

失敗したらどうしようかと、ずっと不安に思っていたのだ。

これで安原も他の生徒たちも助かった。

ようやく安心できると笑みを浮かべたその時、隣に座っていた麻衣が突然の腕を掴み、何事かと振り返るに向かいガバリと音がしそうなほど大きく頭を下げた。

、ごめん!ほんとーに、ごめんなさい!!」

「・・・は?」

突然の謝罪に呆気に取られるを他所に、麻衣は頭を下げ続けたまま謝罪を繰り返す。

一体何事かと思考を巡らせたは、ようやく麻衣が何に対して謝っているのかを察した。―――きっと、に向けて放った言葉について謝っているのだろう。

「・・・あー、えっと・・・」

確かにあれをなんとも思わなかったわけではない。

にとっては結構な打撃だったけれど、だからといって麻衣を責めるつもりもなかった。―――麻衣は何も悪くないのだから。

「・・・麻衣、なんで謝るの?麻衣は何にも悪くないよ」

そう言えば、麻衣は恐る恐る顔を上げ、上目遣いにを見上げながら口ごもる。

「・・・、怒ってないの?」

「何が?」

「だからー!あたしがの事・・・嫌いって言ったこと」

消え入るような呟きに思わず笑みを零して、は麻衣の頭へと手を伸ばした。

そのままぐりぐりと撫でてやれば、戸惑ったような表情を浮かべる。―――そんな彼女も可愛くて、は更に麻衣の頭を撫でた。

「だってあれは麻衣が悪いわけじゃないもん。何も言えなかった私にも問題はあるの。それに、麻衣が本気で言ったんじゃないって知ってるから」

「でも・・・」

「麻衣が必死にみんなを守ろうとしてた事、知ってるから。―――私、麻衣のそういう優しいトコ大好きだよ」

そう言って微笑めば、しかし麻衣は不本意そうに眉を寄せて。

「・・・はあたしの事優しいっていつも言うけど、そんな事ないよ。あたし、そんなに優しい人間じゃない」

今回だって、ナルやに酷い事を言った。

2人とも気にしないと言ってくれているけれど、だからといってそれが許されるわけでもないだろう。―――特にナルに対しては、絶対に言ってはいけない言葉を言ってしまったのだから。

しかしはそんな麻衣の言葉にも柔らかく微笑んで、麻衣の頭を撫で続ける。

「そんな事ないよ。少なくとも私は、麻衣以上に優しい人なんて知らない。あんなにも誰かの為に一生懸命になれる麻衣が、私大好きだから」

の言葉に思わず呆気に取られて・・・―――そうして麻衣はようやく花が咲くような笑顔を浮かべた。

「ありがと、。でも、ごめんね。ほんとはあたし、の事大好きだから」

「えぇ〜。それって愛の告白?いや〜、麻衣ったら大胆〜!!」

「違うから!―――もー、の馬鹿!!」

茶化され機嫌を損ねた麻衣は、今もまだ頭を撫で回すの手を振り払ってそっぽを向く。

そんな麻衣を見て笑い声を零すを背中に感じながら、麻衣も小さく笑う。

「でもさ、あの後ぼーさんに怒られたんだよ?言い過ぎだって!―――ぼーさんも相変わらずだよねぇ」

「へ〜。ほんと、相変わらず面倒見がいいというかなんというか・・・」

「いや、そういう意味じゃないから」

絶対に解っていないだろうに呆れた眼差しを向けて、麻衣は乾いた笑みを浮かべる。

しっかりしているように見えるのに、どうしてこういう部分だけ抜けているのだろう。

いっそ滝川が可哀想にさえ思える。―――まぁ、自分だって似たようなものなのだが。

そんな事を頭の片隅で思いつつ、麻衣は椅子から立ち上がると今もまだ笑っているを見下ろして手を差し出した。

「もうすぐ撤収も終わるって、さっきナルが言ってたよ。も早く帰る用意しとけって」

「ああ、そっか。これで調査も終わり、万事解決だもんね」

その手をしっかりと掴みながらが立ち上がる。―――手に感じるこの温もりが失われなかった事に、心の底から安堵しながら。

「今回も大変だったね」

「ほんと。調査を重ねるにつれてどんどん調査の難易度が上がってる気がするんだけど」

「嫌な事言わないでよ」

2人並んで雑談を交わしながらベースを出る。

長く苦しかった調査も、ようやく終わりを告げた。

その奇跡的な結末に心から感謝しつつ、はベースのドアを閉めた。

 

 

「・・・本当に、色々とお世話になりました」

校門まで見送りに来た安原にそう言われ、滝川と麻衣、そしては顔を見合わせて照れくさそうに笑う。

こうして無事に調査を終えられて本当に良かったと心から思った。

「一応原因は坂内のタタリって事になってるんで、騒ぎを収めるためにも慰霊祭のような事を行おうと思っています」

「それがいいかもな」

「がんばれー、生徒会長」

安原の言葉に同意し、激励を送る。

今回の騒動が治まって、これからこの学校がどんな風に変わっていくのかは解らない。―――もしかすると目に見えては何も変わらないかもしれないけれど、少なくとも残ったものもあるはずだ。

せめて、これからは坂内のような生徒が出ない事を祈るしかない。

「・・・坂内くんは、呪詛が失敗して残念だったかな?ホッとしたのかな・・・?」

「どっちだと思う?」

「解んないよ!解んないけど・・・ホッとしててくれた方がいいな・・・って思って」

小さく呟く麻衣の頭を、滝川は優しく撫でた。

霊に食われてしまった坂内に、もうそれを問う事は出来ない。―――けれど麻衣と同じように、そうであればいいと心からそう願う。

そんなしんみりとした空気を振り払うように、滝川が意地の悪い笑みを浮かべて安原へと視線を向けた。

「トコロデ、少年。ここだけの話だけどな。実はあん時ビビッてたろ?」

「あの時?・・・ああ、呪詛を返すって言われた時ですか?」

「そうそう」

きょとんとした表情を浮かべる安原に、滝川は更に笑みを深める。

「ぼーさん、趣味悪〜い」

「ほっといてちょーだい」

趣味が悪い事は承知の上だ。―――それでも、いつも飄々とした安原の余裕の態度が崩れるところを見てみたいと思うのも確かで。

しかし様々な意味で、安原はたくましかった。

「でも僕信じてましたから」

「なにを?」

「自分を」

キッパリと言い切った安原に、滝川と麻衣が揃って頬を引き攣らせる。

その隣で、は乾いた笑みを浮かべた。―――だからからかう相手は考えた方がいいって言ったのに・・・と独りごちて。

「だってこの若さで死ぬほど悪い事した覚えないですから。何があっても自分だけは助かるって確信がありました」

「あー、はいはい。もういいから。なんかこれ以上続けられると、あんなにも悩んだ自分が馬鹿らしく思えて、いっそ殴りたい衝動に駆られるから」

輝くような笑顔でそう言い放つ安原から視線を逸らして、はパタパタと手を振る。

本当に、あんなにも取り乱した自分が馬鹿らしい。

「・・・お前さん、長生きするよ」

「そのつもりです」

呆れの混じった声色でそう告げる滝川にも、安原は平然とそう答える。

いつかぎゃふんと言わせてやる・・・と古くさい事を思いながら、滝川とは顔を見合わせてコクリと頷いた。

それに合わせて、待機していた車がクラクションを上げる。

もうそろそろ時間のようだと最後に別れを済ませて車へと向かったは、しかし安原に呼び止められ振り返った。

校門の前で立つ安原は、穏やかな笑みを浮かべている。

「・・・なに、どうしたの?」

問いかけると、安原は更に笑みを深くして。

「本当にありがとう、。君と友達で良かった」

「・・・調子いいなぁ」

「本心ですよ」

さらりとそう告げる安原を見返して、もまた柔らかく微笑んだ。

「それじゃ、またね。安原くん」

「ええ、また」

そうして手を振って去っていくの背中を見送りながら、安原は大きく手を振り返す。

あの恐ろしく残酷で、そして悲しい事件などなかったように、空は綺麗に青く澄み渡って。

降り注ぐ冬の日差しに、空を見上げた安原は眩しそうに目を細めた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

実際にどれくらいになったら人形を作れるのかなどまったく解らない素人ですので、その辺大目に見て流してやってください。(懇願)

色々と無理のある設定ですが。

それでも何とか10話で完結できました。(ちょっと詰め込みすぎですが)

今回でこれだけ長かったら、次はどれくらいの長さになるのか。

作成日 2007.11.21

更新日 2008.5.5

 

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