人の少ない廊下を滝川とジョンと共に歩きながら、は手渡された学校の見取り図に視線を落としながら小さくため息を漏らした。

その僅かなため息すらも聞き逃さず、滝川が訝しげに振り返る。

「どーしたよ。ため息なんて吐いて」

「・・・学校ってさぁ」

同じく振り返ったジョンの不思議そうな青い瞳を見返して、は学校の見取り図を折り畳んでポケットにしまいこむと、もう一度小さくため息を零して。

「調査には向かないよね。敷地広いし、移動するだけでも大変っていうか・・・―――ほら、迷いやすいし」

「若者が学校内の移動を渋ってんじゃないの」

そういいつつ、滝川の表情も同じく曇っている。―――考えている事は同じという事だろうか。

「まぁまぁ、そう言わんと。頑張りましょう」

にっこりと笑顔を浮かべてそう激励するジョン。

さすが神父。

ジョンの笑顔を見るだけで心が洗われるようだ。―――普段から荒んだ環境で生活しているはそんな事を思う。

「・・・まぁ、ジョンがそう言うなら」

「おい。お前、俺に対する態度とジョンに対する態度が違わねーか?何で俺に対してもそう素直な発言出来ないかね」

「だって、ほら。ジョンは神父っぽいけど、ぼーさんは坊さんっぽくないから」

「なんじゃ、そら」

呆れたように肩を竦めて見せると、先ほどから沈んだ表情を見せていたがくすくすと小さく笑みを零す。

一体何に悩んでいるのか、それは滝川にもジョンにも解らなかったけれど・・・―――けれどほんの少しではあるがいつもの調子を取り戻してきたを見て、2人は顔を見合わせると満足げに微笑んだ。

 

彷徨う

 

「え〜と・・・んじゃ、まずは2−4の教室から行ってみようか。ここから一番近いし」

学校の見取り図を見てそう提案したの言葉に従って、3人は2−4の教室へ向かった。

教室にはもう既に生徒の姿はない。

その事をありがたく思いながら、3人は静まり返った教室に足を踏み入れた。―――いくらそれが仕事とは言えど、生徒の見守る中除霊を行うのは出来るだけ避けたい。

「ここってどんな怪現象が起きたんだっけ?」

教室内を見回していた滝川が、唐突にへとそう話を振る。

「さぁ、なんだったかな?ジョン、覚えてる?」

それに首を傾げて見せたが同じようにジョンへと話題を振ると、ジョンは困ったように微笑みながらゆるゆると首を横に振った。

「いえ、僕はさっきここに着いたばかりなんで・・・」

「だよねぇ。だって、ぼーさん」

「・・・つまり誰も覚えてないって事ね」

何の収穫もなく自分の下へ戻ってきた話題にがっくりと肩を落として、滝川は呆れたように呟く。―――しかしそう言う滝川本人も覚えていないのだから、もうどうしようもない。

「まぁ、知ってても知らなくても除霊は出来るし。―――さ、ここはどっちがやる?」

そんな滝川をあっさりとスルーして、は場を仕切りなおすように一際大きな声でそう言い放つと、同じく教室内に立ち尽くす滝川とジョンへと視線を向けた。

その視線を受けて、ジョンが困ったように滝川へと視線を移す。

2人からじっと見つめられた滝川は、大きくため息を吐き出しジト目でを軽く睨みつけた。

「ハナから自分でやる気はないのね、ちゃん」

「私見る担当だから、今のところ」

さらりとそう返され、またもやため息を1つ。

なんだか色々押し付けられているような気がする。―――いや、気がするで済めばよいのだけれど。

「あ、あの・・・僕がやりましょか?」

「・・・いいや、俺がやるよ」

戸惑ったように出されたジョンの申し出を断って、滝川はグルリと教室内を見回す。

リンの話では、昨日の夜はここで僅かな変化があったのだという。

だという事は、他の場所に比べて力の強い霊がいるという事なのだろう。―――まぁ、が体調を崩していない時点で、それほど脅威には感じていないけれど。

「んじゃ、始めるか。―――それで、どこら辺にいるって?」

「え〜とね。・・・あそこ」

気を取り直してそう問いかけた滝川は、教室内を見回したからあっさりと返ってきた言葉に目を瞬かせて。

そうしてじっとの顔を見つめたかと思うと、表情を真面目なそれへと変えてしみじみと呟いた。

「・・・ブレスレットしたままでほんとに見えてるんだな、お前」

「・・・ね」

私の安心材料はどこ行った。―――と、は軽くブレスレットを睨みつけながら独りごちる。

最初に会った時は、ブレスレットだけではなくピアスまで外さなくては仕事にならなかったというのに・・・―――まぁ、最初の事件では結局霊はいなかったので、仕方がない事なのかもしれないけれど。

よほどこの学校の霊の力が強いのか、はたまたこの学校の霊と波長が合うのか。

思うところがないわけではないが、今はまだその結論を出す時ではないとは思う。―――まだ出したくない、と言ってもいいかもしれない。

「んじゃ、早速始めますか」

少しだけ遠い目をするを横目に、滝川は殊更軽い口調でそう呟き、が示した霊のいるという場所へ視線を移す。

滝川の目には何も見えないけれど・・・―――けれどがいるというのなら、間違いなくそこに霊はいるのだろう。

そう信じる事が出来るくらいに、滝川は彼女自身も・・・そして彼女の能力も信頼していた。―――後者を言えば、きっと彼女は苦い顔をするのだろうが。

「ナウマクサンマンダ バザラダンカン」

静まり返った教室内に、滝川の真言が木霊する。

ジョンのお祈りの声も心が落ち着くと思うが、こういう時の滝川の声もそうだ。

自身は神様をそれほど信じてはいないし、自分の宗派にも興味などないくらいなのだけれど・・・―――意外に現金なものだと小さく苦笑する。

「ナウマリ サバ タタキヤテイ ビヤリ サラバモッケイ ピヤリ・・―――」

「・・・あ」

滝川の力ある言葉をぼんやりと聞き流していたが、不意に小さな声を上げた。

それに気付いたジョンが、不思議そうにの顔を覗き込む。

「どうかしはりましたか?」

そう問い掛けるも、から返答はない。―――ただゆらりと視線を彷徨わせ、そうして天井を見上げた状態のまま何度か目を瞬かせて。

そうして一拍の後に小さく唸り声を上げて、同じく除霊を中断してこちらを見つめている滝川へと視線を移した。

「・・・あの〜、非常に言いづらいんですけど」

「なんだよ、改まって」

訝しげな表情で、滝川とジョンが揃って首を傾げる。

それを真正面から見つめ返して、はヘラリと無理やりに笑みを浮かべた。

「ここにいた霊、なんか逃げちゃったみたいなんだけど」

「はぁ!?」

「逃げたって・・・どこへですか?」

揃って声を上げた2人に、は無言で天井を指す。

上の階、という事だろうか。

確かに除霊をしていてもあまり手ごたえはなかったが・・・。

「とりあえず、見てくる。もしかしたら私の気のせいかもしれないし」

きっと、多分そうではないだろうが・・・と心の中だけで呟いて、は駆け足で教室を飛び出した。

背中から滝川とジョンの声が聞こえ、後を追ってくる気配がする。

そのまま近くにあった階段を駆け上り、学校の見取り図を確認しながら2−4の教室のちょうど上の教室を確認してからその部屋の前に立った。

「確かここだと思うんだけど・・・」

中に人がいない事を確認して、教室のドアに手を掛ける。―――幸いな事に鍵は掛かっておらず、いともあっさりとドアは横に開いた。

「おじゃましま〜す」

とりあえず挨拶をしてから教室内に足を踏み入れたは、ぐるりと部屋の中を見回して。

そうして一通り見終わった後、は不思議そうに首を傾げる。

「・・・あれ?」

さん!」

「おい!1人でさっさと行くなってば!」

何があるか解らないのだ。

この学校に来てすぐ見た黒い犬のような霊が、ここにいないとも限らない。

現実的に危害を加えられるくらい強い力をもつ霊もいるのだから、滝川が心配するのも当然の事だ。

しかしは、漸く追いついてきた滝川とジョンの声に振り返り、もう一度首を傾げ眉間に皴を寄せる。

そんな彼女の様子のおかしさに気付いた滝川とジョンも、また同じように首を傾げた。

「・・・どうした?」

「あ・・・いや、ここに逃げてきたと思ったんだけど・・・」

そう言いつつ教室内をぐるりと見回すが、そこに先ほど見た霊はいない。

人魂のように見えても、その違いくらいは解るのだ。―――どう解るのかと聞かれても説明できないが、あえて言うなら感覚で・・・だろうか。

「別の場所に逃げたんと違いますか?」

「う〜ん・・・そうなのかなぁ?もう一階、上とか?」

言いつつ視線を更に上へと向ける。

「気のせいなんじゃねーか?」

「・・・う〜ん。そう言われると、はっきり違うって言い切れないところが痛いけど」

けれど除霊は出来ていないという事は断言できる。―――それはもちろん、滝川自身も解っているだろう。

「とりあえずここは置いておく事にして、別の場所に行きまへんか?なんせ候補が多いみたいですし、まずは数をこなさん事には・・・」

「だな。この事は後でナルに報告しときゃいいさ」

揃って視線を向けられ、確かにはっきりとしない事をぐだぐだと考えていても仕方がないと思い直し、はコクリと頷いた。

「そうだね。―――・・・あれ?」

しかしまたもや訝しげに眉を上げるに、足を踏み出した滝川がガクリと身体を揺らす。

「今度はなんだ?」

「・・・ううん、なんでもない」

恨めしげに見つめる滝川にそう答えて、それでもは背後が気になるのかチラリと目だけで教室内を窺って。

ここの教室にいた霊って、こんなに強い力持ってたっけ?

「・・・さん?」

「ううん、ほんとなんでもないから。ほら、早く行こう行こう」

心配そうに振り返るジョンの背中を強引に押しながら、は教室から出る。

気のせいに違いない。

確かにはこの学校の至る所に霊がいると感じはしたし、その中で何体か力の強い霊がいる事も察したけれど・・・―――だからといって、この教室にいた霊がどれくらいの強さを持っていたかなど、正確に思い出せるわけでもなくて。

はっきりと断言できない事に手を取らせてしまえるほど、現状は生易しいものではないと解っているは、自分の感じた違和感が勘違いであると自分自身に言い聞かせながら、振り切るようにガラガラと音を立てて教室の扉を閉じた。

「さてと。それで・・・次はどこだ?」

「え〜と・・・次はねぇ・・・」

滝川にそう問い掛けられ、は先ほどポケットに突っ込んだ学校の見取り図を取り出し広げながら首を傾げる。

何しろ学校内は広いのだ。―――特に方向音痴というわけではないが、来て2・3日ですべてを覚えられるわけでもない。

リンの話では、この学校で昨夜異変があったのは『3−1』『2−4』『LL教室』『美術準備室』『体育倉庫』の五箇所。

『2−4』の教室は今見てきたばかりなので、さて次に近い場所は・・・と地図と睨めっこを始めたを、滝川とジョンは静かに見守る。

そんな時だった。―――聞き慣れた、訝しげな声を掛けられたのは。

「・・・こんなところで何をやっている?」

不意に聞こえた声に揃って顔を上げた3人は、リンを伴っているナルを見つけて反射的に表情を引き攣らせた。―――勿論表情を引き攣らせたのは滝川との2人だけで、ジョンは相変わらず穏やかな表情を浮かべていたが。

「いや!別にこれはサボってるわけではなくて必要な確認だったっていうか寧ろこれから頑張ろうと思ってたっていうか!!」

必死に言葉を連ねるを横目に、滝川は重いため息を吐き出す。

彼女の言葉通り、別にサボっていたわけでも道草を食っていたわけでもないのだけれど・・・―――それでもそんなにも必死な様子では、疚しい事がありますと告白しているも同然だと思うのだけれど。

最初のイメージから世渡りが上手な印象があったが、意外とそうではないのかもしれないと滝川は思う。

まぁ、相手がナルではそれも仕方がない事なのかもしれないが。

一方、の必死の言い訳を口を挟む事無く聞き流していたナルは、そんな事はどうでもいいとばかりに息を吐き、そうして「ちょうど良かった」と言葉を続けた。

何が良かったのだろうと3人が揃って首を傾げると、ナルはチラリとへと視線を向けて口を開く。

、ちょっと来てくれ」

「え、どこに・・・?」

突然の申し出に、きょとんと目を丸くして首を傾げる。

お咎めを受けなかったのは幸運だったが、これでは意味が解らない。―――そう隠す事無く表情に浮かべるを見据えて、ナルは更に言葉を続けた。

「僕とリンは不透明な件を調査している。ちょうど人手が欲しかったところだ」

事務的なナルの言葉に、それでもはなるほどと相槌を打つ。

今回は珍しく調子が良い。―――まぁ、この調子が良いというのも事情としては考え物だけれど。

真砂子の言い分が曖昧であり、また肝心の麻衣もいつ力を発揮するか解らない今、一番活用できそうな人材はしかいない。

「それはいいけどさ。それじゃ、ぼーさんたちはどうするの?」

「ぼーさんたちは変わらず最初に言った五箇所を回ってもらう。その後は原さんの指示のあった場所を見てくれ。それから、は・・・」

「ナルとリンさんの手伝いね」

先回りしてそう言うと、ナルは小さく頷く。

実際のところ、自分がどれほど役に立つかなど自信はないが、出来るだけの事をやってみるしかないだろう。―――これまでのお荷物的な状況を思えば、上々なのかもしれない。

「それじゃ、ぼーさんたちは調査を続けてくれ」

「・・・了解」

「はいです」

ナルの声に少しだけ表情を歪めた滝川と、穏やかな表情を浮かべるジョンが返事を返す。

今回妙に霊視能力を発揮しているを、どんな霊がいるかも解らないところへ送り出すのは少々心配ではあったが、ナルがそういうのならば仕方がない。

それにナルの傍にはリンがいるから大丈夫だろう。―――まぁ、そこの辺りも不本意といえば不本意なのだけれど。

「んじゃね、ぼーさん、ジョン。頑張ろー」

さん、やる気十分ですね」

「そりゃね。今回は私も一枚噛んでるし、役に立てそうな時くらいは頑張らないとね」

ニコニコと笑顔を浮かべながら首を傾げるジョンにそう言って、もまたにっこりと笑みを浮かべる。

あれほど調査は嫌だと言っていたの妙なやる気もまた、心配の種の1つではあるのだけれど。

いつまでもそんな事を言っていても仕方がないと思い直し、滝川は手を振ってナルとリンについていくに手を振り返した。

無事に帰って来いよ、などと縁起でもない事を考えながら。

 

 

自分の妙なやる気に、が後悔するのは意外と早かった。

ジョンに言った言葉に嘘はない。

今までは霊視しても倒れたり、それでなくても倒れたり、霊に襲われたりと家の月華と言うにはあまりにもお粗末な結果しか残してこなかったは、たまにはいいところも見せようと思った事は否定しない。

だからと言って、この状況はどうかとも思うが・・・。

の霊視の結果を黙々とファイルに書き込むナルを恨めしげに見つめて、は空いていた椅子に軽く腰を掛ける。

この教室で一体何個目なのか。

滝川とジョンと別れてから、はナルにあちらこちらへと連れまわされていた。

確かに学校と言う場所柄、回らなければならない場所はたくさんある。

その上不透明な部分も多すぎた。―――それはそれで仕方のない事ではあるとは思うのだけれど。

ちょっとくらい休憩を挟んだってバチは当たらないんじゃないだろうか・・・?

それが今のの正直な感想だ。

「・・・大丈夫ですか?」

ぐったりと机に突っ伏すを見かねてか、リンが僅かに表情を顰めて問い掛けるのに手を振る事で答えたは、大きくため息を吐き出す。

肉体的には問題ない。―――も一応現役の女子高生だし、自分でも体力はある方だと思っているから。

しかし問題は体力ではなく、精神的な問題だった。

学校中余すところなく霊が漂う中、それだけでも正直辛いと言うのに霊視を続けるのは、精神衛生上良くない。

なんだか気持ち悪くなってきた気さえする。―――それが気のせいなのかどうなのかは、今のには判断できなかったが。

「・・・ナル。少し休憩を挟んではどうですか?」

「・・・・・・」

「こんな状況です。彼女も随分辛そうですし・・・」

無言で何かをメモするナルにそう進言するリンを見上げて、は思わず感動した。

まさかリンが自分を庇ってくれるとは・・・!!

確かにリンは解りづらくはあるが、優しい人物だとは思っている。

しかし相手は彼の上司に当たる人物なのだ。―――仕事優先のように見えるリンが、まさか庇ってくれるとは思っていなかった。

「・・・リンさん、優しい」

「い、いえ。私は別に・・・」

思わずポツリと呟くと、リンが慌てたように目を伏せた。

こういう状況だからという事も勿論あるだろうが、人の優しさが染み入るようだ。

「休憩は必要ない」

しかしキッパリと告げられた一言に、じーんとリンの優しさに浸っていたは、ナルの言葉に盛大に頬を引き攣らせた。

アンタ、どんだけ人を酷使するつもりだよ!と心の中でそう叫ぶ。

つい先ほどまで、自分に出来る事はやろうと思うと言っていた人物の発言とは思えないが。

「・・・ですが」

「必要な調査はあらかた終わった。はもうベースに戻ってもいいぞ」

更に言葉を続けようとしたリンの声を遮って、素っ気無い様子でナルがそう言い放つ。

さっきはまるで鬼のような発言に思えたが、解ってしまえば「ああ、そういう事か」と納得する。

もうが必要な調査は終わりだから、あえて休憩を挟む必要はないと。

それはにとってはそうかもしれないが、しかし同じく学校中を歩き回っているナルも同じなのではないかとそう思ったが、言っても聞き入れてもらえないだろうとも解っていたので、は余計な言葉を飲み込んだ。

ナルがそう簡単に倒れるとも思えなかった、というのが本当のところかもしれないが。

「・・・ほんとにもういいの?」

これで「いや、まだ残っている」とでも返ってくれば、自分にとっては都合が悪い事くらいは解っていたけれど、あえてそう尋ねてみる。―――まだ調査が残っているのなら、自分だけがベースに戻って休憩するというのも後味が悪い。

しかしナルはそう問い掛けるに視線を向ける事もなく、ファイルに視線を落としたまま「・・・ああ」と短く答えた。

それが真実なのか、それとも解りづらいナルの気遣いなのかはさておき、返ってきた返事に満足そうに表情を明るくしたは、グッと伸びをしてナルとリンを振り返る。

「じゃ、私は先にベースに戻るね」

先ほどまでぐったりしていたとは思えないその様子に、しかし2人が表情を顰める事はなかった。―――が本当に疲れている事を、2人は知っていたからだ。

「リン。をベースまで送ってやれ」

パタリとファイルを閉じてそう告げるナルに、命令されたリンではなくが思わず目を見開いた。

「いや、いいよ!別にそこまで疲れ果ててるわけじゃないし、1人で帰れるって!!」

「そういう問題じゃない。お前を1人にしておくと心配だからな」

素っ気無く告げられた言葉に、しかしはきょとんと目を丸くしてまじまじとナルを見やる。

もしかして心配してくれているのだろうか?

それにしては言葉がストレートすぎるところが気にはなる。―――ナルは確かに優しいところもあるが、それを表に出す事は滅多にないのだから。

「・・・心配って、私の事が?」

珍しいナルの様子にが呆気に取られていると、それを感じ取ったのかナルは僅かに口角を上げて。

「ああ、何をやらかすか解らないからな」

さらりとそう告げ、更に呆気に取られるが反論する前に踵を返して歩き出す。

その悠然とした後姿を呆然と見つめていたは、直後我に返って彼の言葉の意味を理解すると、盛大に表情を引き攣らせながら声と共に拳を振り上げた。

「っていうか、そっちの心配かー!!」

廊下に反響するの怒声。

声こそは聞こえないが、肩が微かに震えて見える事から、きっとナルは笑っているのだろう。―――それさえも悔しくて更に声を上げるの傍らで、リンは僅かにため息を吐き出した。

「・・・さぁ、行きましょう。貴女を送り届けた後、すぐにナルの元へ戻らなくてはいけませんから」

「だから、別に送ってもらわなくても大丈夫だってば。ナルのトコに行かなきゃダメなら、今すぐ行ってよ」

「貴女をベースに送り届けろと言うのが、ナルの指示ですから」

僅かに頬を膨らませながら反論するに、しかしリンはさらりとそう告げ、に移動を促す。

それに素直に歩き出したは、隣に立つ長身の男を見上げて小さく息を吐いた。

こういうところが、自分が子供だと思い知らされるような気がする。

なるべく大人の対応を心がけてはいるものの、やはりまだ完璧な大人とはいえない年齢でもある。―――悔しい事だが。

2人無言のまま、ベースへ戻るべく廊下を歩く。

静かなそこに響くのは、2人の足音だけ。

もともとリンはそれほど饒舌なわけではない。―――はわりと饒舌な方ではあるのだけれど、それは相手にもよるだろう。

ここへ到着した直後、綾子がリンとのドライブに心痛を訴えていたけれど、それもまぁ解らないわけではないとさえ思う。

けれどは今のこの沈黙がつらいとは思わなかった。

確かにほぼリンとの初対面であった森下家での事件の時などは、ベースでリンと2人きりになろうものならあまりの沈黙の重さに居心地悪くさえ感じていたが・・・。

いつの間に慣れてしまったのだろう、とはぼんやりとそう思う。

それは別に悪い事ではない。

仕事上の付き合いとはいえ、リンと仲良くなりたいと思ったのはだ。

そうリンに強請り、リンもまたいくらか譲歩してくれている。―――けれどまさかこの沈黙が苦に思わなくなるほど慣れ親しんでしまえたとは・・・今更だけれど、不思議なものだとそう思う。

「体調はどうですか?」

「・・・へ!?」

唐突に問い掛けられ、ぼんやりと前を見つめながら考え事をしていたは、思わず間の抜けた声を上げた。

何を問われたのかとしばし思案し、そうしてじっと自分を見下ろすリンの視線に気付いて顔を上げたは、コクコクと頷く。

「ああ、うん。平気平気。ごめんね、心配掛けちゃって」

「・・・いえ」

再び落ちる沈黙。

少し前から思っていたが、リンは外見からは想像できないが随分と心配性だとは思った。―――心配してもらえるのはありがたいが、少々くすぐったくもある。

「霊視の方はどうですか?あまり状況に変わりはありませんか?」

「・・・そうだね、ちょっと・・・霊の数は減ったような気もするけど」

再度問い掛けられ、意識を集中させてグルリと辺りを見回したは呟くようにそう言う。

それは目に見えて・・・というわけではないけれど、意外に滝川たちの除霊が効果を発揮しているのかもしれない。―――そうあって欲しいという願望かもしれないが。

「それよりも、ちょっと気になる事があるんだよね」

「・・・気になる事?」

ポツリと零れた言葉に、律儀にリンが反応を返した。

それに1つ頷きながら、は僅かに表情を顰めつつ口を開く。

「あちこちにチョコチョコ力の強そうな霊がいるんだけど・・・。なんていうのかな?気のせいかもしれないんだけど・・・」

「はい」

自信がない事を口にするのは憚られる。

けれどちゃんと返ってくる相槌に背中を押されるように、はのど元まで出掛かった言葉をそのまま声へと乗せた。

「なんか・・・更に力が強くなってる気がする」

それはもしかすると、本当に気のせいなのかもしれないけれど。

それでも、そうではないかもしれないと思うからこそ、口に出した言葉でもあって。

「・・・力が?」

「・・・う、ん。まぁ、断言は出来ないんだけど」

そんな気がするんだよねぇ・・・と小さく呟いて、は大きくため息を吐き出す。

除霊を急いだ方がいいかもしれない。

そうは思うが、これだけの数の霊がいる中、今以上に除霊のスピードをアップするなど出来るはずもないだろう。

今の自分たちが出来る事は、地道に霊を除霊し続ける傍ら、これ以上霊の力が強くならない事を祈る事くらいしかない。

「場所は解りますか?大体でも構いませんが・・・」

続くリンの言葉には難しい表情を浮かべて・・・―――そうしてポケットから学校の見取り図を取り出し広げた後、覚束ない指先でその場所を示し始めた。

「・・・ええと・・・、『保健室』と『印刷室』。あとは『LL教室』と・・・ここの教室と・・・ここと、それから・・・」

・・・それから。

「・・・あとは放送室、かな?」

「・・・放送室」

これまで放送室では目立った現象はなかったはずだ。

しかし難しい顔をして考え込むにその理由を聞いても解らないだろう。―――ただは視ているだけなのだから。

解りました、と相槌を打って学校の見取り図を受け取ったリンは、それをポケットに収めながら後でナルに報告をしておこうと心の中で独りごちる。

「あ、ベースに着いたよ、リンさん。ごめんね、こんなところまで送ってもらっちゃって」

ベースとなっている会議室を指差し笑うを見下ろして、リンは1つ頷き返す。

「気をつけてください。自分自身で言っていたように、貴女は霊に憑かれやすいタイプのようですから」

「リンさんこそ、気をつけてよね。余裕見せてるといつか痛い目見るかもしれないよ」

そう縁起でもない事を言い残して、はパッと駆け出した。

そのままベースの扉の前に立ち、ひらひらと手を振って部屋の中に入っていく。

その姿が見えなくなるまで見送って、リンはもう一度ため息を吐き出した。

本当に解っているのだろうか、彼女は。

霊に憑かれてからでは遅いのだ。―――だからこそ、ナルが自分にを送り届けるよう指示を送ったのだという事を、きっと彼女は知らないだろう。

ベースから聞こえてくるの明るい笑い声を耳にしながら、リンは口元に小さく笑みを浮かべて・・・。

そうして見た目どおり気が長いとはいえない上司の怒りを買わない内にと、急ぎ足で踵を返した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

説明ばっかりではつまらないので、ここらでちょっとわき道に逸れてみたり。

そんなことしてる内に、どんどんページ数がかさんで自分の首を絞めているわけですが。

積極的に関わろうとしないと、なかなかリンと関わりがもてません。

だからでしょうか。ちょこちょこ出てきてるぼーさんよりも、リンとの関係の方がドリームっぽい気がするのは。(ごめんよ、ぼーさん)

作成日 2007.11.12

更新日 2008.3.31

 

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