暗い暗い闇の中で、その獣は唸り声を上げる。

次々と取り込まれていく鬼火。

それが何を意味するのかを、きっと自分は知っているだろうとはぼんやりとした意識の中で考える。

『・・・けて!』

不意に聞こえた声。

視界を巡らせたその先の光景に、は大きく目を見開いた。

「・・・さかうち、くん?」

たすけて、と声が聞こえる。

必死に伸ばされる手を、は取る事が出来ない。―――それは距離的な問題なのか、それとも気持ちの問題なのか。

あれに近づけば、飲み込まれてしまう。

坂内くんのように、自分もまた。

『た・・・けて・・・!!』

ゆっくりと飲み込まれていく光景を、はただ震えてみている事しか出来ない。

そうしてもがく坂内の姿が見えなくなった頃、の瞳から雫が一筋流れ落ちた。

黒い獣が、咆哮を上げる。

否応なしに流れ込んでくる光景。

耳から離れない悲鳴。

あまりにも残酷で・・・そしてあまりにも生々しいそれに、は声にならない悲鳴を上げた。

 

流行の残骸

 

「おい!おい、大丈夫かっ!!」

滝川の呼び掛けと強く揺すられた衝撃に、はハッと目を開いた。

目の前には自分の両手。―――いつの間にか顔を覆っていたその両手をどければ、冷たい床とそこについた左手に引っかかっているブレスレットが視界に映る。

「・・・いま」

決して見たくはない光景を見た。

あまりに残酷なそれに滲む目元を乱暴に拭って、はゆっくりと顔を上げる。

そこには同じように床に座り込み呆然とする麻衣と、今もまだ両手で顔を覆ったまま肩を揺らす真砂子の姿があった。

「どうしたんだ?急に3人して蹲るからびっくりしたぞ?」

床にへたり込んだままの3人を覗き込むように腰を折った滝川を見上げて、そうしては麻衣へと視線を向ける。

そこでかち合った眼差しに、麻衣が何を言いたいのかを察した。

も・・・真砂子も、見たの?」

弱々しい問い掛けに、は目を伏せる事で答える。

そうして真砂子はゆっくりと顔を上げ、今もまだ涙で頬を濡らしながらも、コクリと1つ頷いた。

「・・・ええ」

短い肯定の言葉と共に、呆然とした様子で真砂子が口を開く。

「・・・坂内さんが・・・―――消えました」

言葉にする事で、事実がより現実さを増した気がした。

 

 

場所をベースに移して、漸く少しの落ち着きを見せた真砂子が先ほど見た光景を語り出す。

「・・・麻衣さんが見た夢の通りです。ここでは霊が共食いしています。坂内さんは・・・吸収されました」

ポツリポツリと真砂子の口から零れる真実に、全員が戸惑った表情を浮かべた。

それもそうだろう。―――霊が共食いして力を増すなど、今まで聞いた事もない。

それでもそれが事実なのだという事を、少なくとも真砂子と麻衣、そしては知っている。

あの残酷な光景を目の当たりにした、この3人は。

「・・・じゃあ、なに?祓われた霊は除霊されてるんじゃなくて、別の場所に逃げて・・・食べたり食べられちゃったりしてるってワケ?」

「それで食べた方はより強い霊になる・・・ゆう事ですか?」

言葉にすればこれほど胡散臭い話もない。

何かのゲームじゃあるまいし・・・・―――もしがただこの話を聞いただけならば、きっとそんな感想を抱くだろう。

だから綾子やジョンが今もまだ信じ切れないのも仕方がない。

「・・・あの時感じたのって、これだったんだ」

誰にも聞こえないように呟いて、はぎゅっと拳を握り締めた。

滝川とジョンと共に除霊に向かった先で、逃げた霊の行方が解らなくなった。

そして追った先にいた霊の力が増していると思えたのは、気のせいではなかったのだ。―――きっと、逃げた霊はその先に待つ別の霊に食べられたのだろう。

あんな残酷な出来事が、今もこの学校の何処かで起こっている。

そう考えただけで背筋に悪寒が走った。―――こんな事が続けば、一体どうなってしまうのだろう。

「どうする、ナルちゃん」

静かに話を聞いていた滝川が、机に座って考え込むナルへと声を掛ける。

「・・・除霊は少し待った方がいいかもしれないな。今度逃げられたらどうなるか・・・」

それが賢明な判断なのかもしれない。

祓った霊は逃げ、違う場所の霊に食われる。

そんな事を繰り返していれば、いつか取り返しのつかない状況になるのは目に見えている。―――先ほどの、黒い犬の霊のように。

あまりの現状に全員が口を噤む。

何をどう言葉にすればいいのか解らない。

普段はこういう状況になれば真っ先に茶化して入るもまた、じっと何かに耐えるように俯いたまま。

そんな静まり返ったベース内に、小さなノック音が響いた。

それに顔を上げれば、会議中という事で席を外していた安原が戸口に立っている。

「あの・・・いいですか?」

ちょっと気になる事を聞いたんですけど・・・と前置きをする安原を招き入れて、そうして改めてどうしたのかと問えば、安原はポケットから小さな手帳を取り出した。

「僕、ヲリキリさまの発生ルートを辿ってみたんです。昨日、谷山さんと話してて引っかかったもので・・・」

そう言って、安原は取り出した手帳に視線を落とした。

安原の調べでは、ヲリキリさまが流行り始めたのは2学期以降。

解っているルートは2つ。―――1年生から聞いたというのと、美術部の奴から聞いたというもの。

「気になるというのが・・・死んだ坂内が美術部だったんです。―――いや、もちろん絶対意味があるってワケじゃないですよ?あくまで情報の1つですから」

慌ててそう付け加える安原だが、きっと彼もまたその可能性が高いと睨んでいるのだろう。

そうでなければ、彼がこんな風に情報を提示するわけがない。

1年生であり、美術部であり、そしてゴーストハントに興味を持っていた自殺してしまった少年。

そこにどんな意図があるのかは解らない。―――彼がヲリキリさまを広めたのだとすれば、一体何故そんな事をしたのか・・・。

「・・・意味があるにしろないにしろ、ともかくあれは2学期以降、1年生か美術部の間から流行り始めたわけだ。それが学校中に広がって無数の降霊術が行われた。それで呼ばれた霊が・・・」

静かに話し出したナルは、しかし突然言葉を切り考え込んだ後、「・・・いや」と僅かに言葉を濁した。

「・・・やはりおかしい。どれほどの降霊術を行ったところで、なんの訓練もしていない素人がこれほど大量の霊を呼べるとは思えないな」

問題はそこなのだ。

何故緑稜高校にこんなにも霊が集まっているのか。

ナルの言う通り、素人が降霊術を行ったからといって必ずしも霊を呼べるわけではない。

寧ろ呼べない方が普通なのだ。―――だというのに、一体何故この学校にはこんなにも霊が溢れかえっているのか。

「この場所が墓だった、っていうのは関係ないですか?」

考え込むナルに、安原が小さく首を傾げて口を挟む。

それを聞いた滝川は、脱力したようにため息を吐いた。

「・・・まぁ、ありがちだわな」

「あ、馬鹿にしましたね?墓っていっても、緑稜遺跡って奈良時代の墓地があったんですよ」

安原の反論に、ナルはふと顔を上げて。

「なるほどな。古い墓地というのは霊が彷徨い出て祟りを行わないように結界を引いた場所だ。呼び出された霊が結界のせいで出られなくなってしまった可能性はあるが・・・」

「こんだけの霊を、なんで生徒たちが呼び出せたのか・・・ゆうカンジンな部分がナゾのまんまですね」

「あー、そっか。そうだよねぇ・・・」

続けられたジョンの言葉に、困ったように麻衣がため息を吐き出す。

どうして霊を呼び出せたのか・・・。―――どちらにしろそれが判明しない限りは真実に手が届きそうにもない。

「・・・どうして、霊が呼び出せたのか」

この学校の生徒たち全員が超能力者というわけでは勿論ないだろう。

では何故呼び出せたのか・・・。―――呼び出せる要因はなんだったのか。

どうしたら霊は呼び出せるのか。

ぐるぐると考え込んでいたは深く眉間に皴を寄せ、ガバリと机に突っ伏した。

「そんなの、解るわけないじゃーん」

「・・・気持ちは解るけど、丸投げは止めようぜ」

漸くいつもの調子を取り戻してきたを見下ろして、恨めしげに自分を見上げる少女の頭をポンポンと軽く叩く。

「・・・どうも解らないな、この学校は」

そうして小さく呟くナルの言葉に同意するとばかりに頷いて、完全にショックから立ち直れていないを思ってため息を吐き出した。

 

 

「・・・ん〜」

片手でペンを弄びながら、ぱらぱらと調査書を捲る。

とりあえず当面の除霊を控える事に決まり、1人勝手に出歩くのは危険だと判断されたは、ナルにリンの手伝いを命じられて今回の事件で取った調書を纏める作業をしていた。

こういった事務的な仕事は、何も考えずに出来るので今のにとってはありがたいことだけれど、いかんせん量が多すぎる。―――いくらこういうのが得意だとはいえ、うんざりしてくるのも確かで。

いい加減目が疲れてきたと調書から目を逸らし、固まった身体をグッと伸ばす。

「リンさ〜ん、なにか変化あった〜?」

「いえ、特に目立ったものはなにも」

さらりと返ってきた返答に、本当かなと心の中で首を傾げながら欠伸を1つ。

最近のリンは妙に過保護な気がする。

何かあれば飛び出していくかもしれないを思い、何も告げない事もあるかもしれない。―――そう思うと全面的にリンの言葉を信じきれないところだけれど。

私だって別に好きで厄介事に巻き込まれてるわけじゃないんだけどね・・・と独りごちて、右手に持ったペンをくるくると回した。

滝川もジョンも綾子も真砂子も、みんな見回りに出ている。

ビデオテープの回収に行くと出て行った麻衣もまだ戻ってこない。―――そういえばいつの間にかナルもいないなぁと視界を巡らせたその時、ポケットから甲高い電子音が流れて思わず回していたペンを取り落とした。

慌ててポケットへと手を伸ばせば、画面に『充電してください』という文字が浮かんでいる。

そういえば携帯充電したのっていつだっけ・・・と眉を顰めながら、は落としたペンを拾い上げてから立ち上がった。

「リンさん、私ちょっと宿直室行ってくる。携帯の充電切れたから」

「・・・今、手が離せません」

「いや、1人で行くからいいよ。すぐそこだし」

モニターから目を離さず言うリンにそう告げて、は反論が返ってこない内にとベースを飛び出した。

戻れば何か一言言われるかもしれないが、何もなければリンもそれ以上は何も言わないはずだ。―――何もなければ、なんて縁起でもないけれど。

それでも夜の校舎は流石に気味が悪い。

やっぱり誰かが戻ってくるまで待ってれば良かったかな?と密かに後悔し始めたその時、誰もいない廊下にコツンと小さな音が響いた。

思わず立ち止まって視線を泳がせる。―――よもやこんなありきたりな展開は流石にないだろうと頬を引き攣らせながらも耳を澄ますけれど、なんの音も聞こえてはこない。

「・・・いや、気のせい気のせい」

ははは、と乾いた笑みを浮かべて、そうであればいいと自分自身に言い聞かせながら止めていた足を踏み出す。

それと同時に、またもやコツンという小さな音。

一歩進めば音がし、また一歩進めば音がする。

痴漢じゃないんだから・・・と心の中で愚痴ったその時、ゾワリと背筋に悪寒が走った。

「・・・・・・う〜」

これはヤバイかもしれない。

やっぱりリンさんの言う事聞いとけば良かった・・・などと後悔しても遅い。―――残念な事に、今ここに彼はいないのだから。

しばらく迷った末、いつまでもこんなところに立っていても仕方がないと考えを纏めたは、意を決して駆け出した。

それと同時に聞こえる小さな音。

自分の走る後を追いかけてくるようなその音。―――心なしか数が増えたような感じがするのは、果たして気のせいなのか。

嫌な予感を感じ取りつつも、見なければ良いのを見てしまうのは人間の性。

例に漏れずにじり寄る恐怖に負けてチラリと背後を振り返ったは、その光景に大きく目を見開いた。

先ほどは聞こえなかったバタバタという足音を響かせて、大勢の子供が自分を追いかけてくる。―――いや、それは子供ではなく、子供サイズのなにか・・・とでも言うべきか。

それぞれがクスクスと楽しそうに笑みを零しながら自分を追いかけてくる。

それに更なる恐怖を抱いたは、持っていた懐中電灯を取り落とした事にも気付かず走るスピードを上げた。

「お、鬼ごっこじゃないんだからっ!!」

これまでにない最大級の恐怖を感じながらもこんな言葉が出てくるのだから、彼女の意地っ張りも相当なものなのだろう。

無我夢中で走っていて、今の自分の現在地も解らない。

息が切れて苦しくても、それでも立ち止まるわけにはいかなかった。―――このまま酸欠で倒れるよりも、ここで立ち止まる方が遥かに危険に思えた。

「・・・だ、誰か・・・!!」

既に限界は迫ってきていた。―――思わず泣き出したい衝動に駆られながら、はリンや滝川、ジョンの姿を思い浮かべる。

そうして、たすけて・・・と心の中で叫んだその時。

「ナウマクサンマンダ バザラダンカン!」

静かな空気を切り裂くように走った聞き覚えのある声と、その後に響き渡る甲高い奇声。

何が起こったのかを確認しようと振り返ったは、自分の足に躓いてその場に倒れこんだ。―――どうやら疲労が足に来たらしい。

「・・・痛った〜」

したたかに膝と肘を打ち付けて涙目になりながらそう声を漏らすと、それを聞きつけた声の主が強い力での身体を引き上げた。

「おい、大丈夫か!?」

瞬間、視界を占める滝川の焦った表情に、思わず安堵の息を吐く。

自分には、こうして助けの手を伸ばしてくれる人がいる。

それがどれほどありがたく幸せな事なのか、闇に飲み込まれる坂内を思い出して痛感した。―――自分は、彼に手を伸べる事が出来なかったから。

「・・・だ、大丈夫。なんとか・・・。ありがと、ぼーさん」

それでも安堵の為かヘラリと笑みを浮かべたを見返して、滝川もまた同じく安堵の息を吐くと、その手を伸ばしてペシリと少女の頭を叩いた。

「馬鹿か、お前は。こんな時間にこんな場所1人でうろついてんじゃねーよ」

「いや、携帯の充電が切れて・・・」

「おーまーえーはー!あほか!!」

もう一度ペシリと頭を叩かれ、自分が悪いと知りつつも不本意そうな面持ちで顔を上げたを見下ろして、滝川は大きくため息を吐き出した。

「なんなんだよ、お前は。何でこうも毎回厄介事に巻き込まれんの」

「いやー、そんなの寧ろ私の方が聞きたいっていうか・・・」

「お前が勝手な行動取るからだろーが!反省しろ!!」

「反省してます、はい。もうぼーさんのおかげで助かった!ぼーさんは命の恩人です!」

ジロリと睨みつける滝川を見返してそう言うに、滝川はがっくりと肩を落とす。

ふざけているつもりはないのだろうが、どうにも真剣味が感じられない。―――まぁ、今回は本当に反省しているようだが。

「・・・ったく、ほんと気をつけろよ。たまたま俺が見つけたから良いようなものの、そうじゃなかったらどうするつもりだったんだよ、お前」

「それを逃げながら考えてたところだったんだよ。―――まぁ、生憎と名案は浮かびませんでしたけど」

気まずげに視線を泳がせてそう言い訳するに、滝川は心から自分のタイミングの良さに感謝した。

そうでなければ、もっと危ない状況になっていたかもしれない。

この出来事を機に、もうちょっと気をつけるようになってくれれば良いのだけれど・・・―――まぁ、あまり期待は出来そうにもないが。

「んじゃ、とりあえずベースに戻るぞ。送ってってやるから」

「でもまだ携帯の充電が・・・」

「まだ言うか!」

こんな状況になっても懲りていない様子のに、滝川は軽くげんこつを落とす。

だって定期連絡欠かしたら一清が・・・!!と反論しつつもそれを甘んじて受けていたは、しかし滝川のげんこつが落ちたと同時にふとその場に座り込む。

そんなに強く叩いたつもりはないのにと訝しげにの顔を覗き込んだ滝川は、そこに浮かんでいる表情に思わず息を呑んだ。

「・・・どーした?」

「・・・あっち。あっちの方でなにか・・・」

呆然とした様子で座り込むが、ある一点を指差す。

その先に何があるのかと滝川が目を凝らしたその時、グイと強い力で服の裾を引っ張られ、こけそうになりながらも何とか体勢を立て直した滝川がに視線を向けたその時。

「・・・麻衣。麻衣が・・・麻衣が危ない!ぼーさん、早く!麻衣を助けて!!」

冗談とは思えないほど焦った様子でそう言い募るに、滝川は訝しげに眉を寄せて。

それでもその言葉の意味を問い返す前に、滝川は座り込んだの手を強引に引いて駆け出した。

滝川はをベースに押しやり、彼女の言う場所へ向かう。

そうしてそこで気を失った麻衣を見つけるのは、数分後の事。

 

 

「・・・い!麻衣!!」

誰かの呼ぶ声が聞こえる。

それに引かれるように麻衣の瞼が僅かに痙攣した。―――そうしてうっすらと開かれた彼女の瞳に、全員がホッと安堵の息を吐き出す。

「・・・気がついたか?」

「うわっ!!―――う〜、きもちわるい」

自分の顔を覗き込むナルのアップに驚いた麻衣は跳ねるように飛び起きるが、しかしすぐにあまりの気分の悪さにベットへ逆戻りする。

そんな麻衣を横目で窺いながら、ナルは小さく息を吐いた。

「急に動くからだ」

「だって・・・」

びっくりしたんだもん、と言葉を紡ぐ前に冷たい何かを顔に押し付けられ、麻衣はまたもや声を上げる。―――何事かと視線を向ければ、そこには呆れた様子を見せる綾子が仁王立ちで立っていた。

どうしたのかと慌てて周囲を見やれば、いつの間にかリンを除く全員が揃っている。

どうやら保健室らしいそこのベットに横になりながら、現在の状況が解らず麻衣は訝しげに首を傾げた。

「・・・ここ、保健室?」

「そーよ。なんだって1人で校内をうろついてたの」

「だって・・・ビデオテープ・・・」

綾子の言葉に漸く何があったのかを思い出した麻衣は、消え入るような声でそう告げる。

「テープ!?ちょっと、ナル。どういうつもり!?1人でそんなもの取りに行かせるなんて!!」

麻衣の言葉に眉を上げた綾子が食って掛かるが、ナルは知らんふりを決め込んだのか無言を貫く。―――もしかすると、彼も気まずく思っているのかもしれない。

そんなナルを見てこれ以上文句を言っても仕方がないと判断したのか、綾子はもう一度ため息を吐き出してから麻衣へと視線を戻した。

「・・・ったく。あんたも、とぼーさんにお礼言っときなさいよ。アンタの異変察して助けに行ったの、あの2人なんだから」

話を向けられ、別のベットに座って状況を傍観していたと滝川が、向けられた麻衣の視線に思わずヘラリと笑みを浮かべる。

「いや、私はただたまたまそんな感じがして、ぼーさんにお願いしただけだから」

「いや、俺はただたまたまにそう言われて見に行っただけだから」

「ねー」

「なぁ」

お互い顔を見合わせて話を合わせる滝川とを見て、麻衣は漸く小さく笑みを浮かべる。

「ありがと、2人とも」

改めて礼を告げられ、滝川とは困ったように・・・照れくさそうに顔を見合わせる。

寧ろ礼を言いたいのはの方だった。―――麻衣が倒れたごたごたで、自分が携帯電話の充電をしに行く途中に霊に襲われた事をうやむやにしてもらったのだから。

あんな失態、ナルやリンに知れたら怒られるだけでは済まないだろう。

「・・・それで?何があったの、言ってごらん?」

そうして綾子に促されて、麻衣は先ほど自分が体験した出来事を話し始めた。

雑用としてビデオテープの回収に行った事。

何故か機材が反応を示さなかった事と、持っていた懐中電灯が切れてしまった事。

窓の外に突然現れた子供らしき人影と、そうしてそれに反応するように割れたホルマリン漬けにされたビンの事。

麻衣が意識を失った原因は、おそらくこのホルマリンにあるのだろう。

「子供の霊、ねぇ。・・・真砂子、まだそれいる?」

「・・・いないと思いますわ」

首を横に振る真砂子に、全員がホッと安堵の息をつく。

「・・・まったく、何の為に退魔法覚えたんだか・・・」

「あ、忘れてた」

小さく呟いた滝川の言葉に、麻衣は思い出したように目を丸くした後乾いた笑みを浮かべる。―――まぁ、覚えたての退魔法が咄嗟の場面で思い出せるとは思わないが。

「まぁ、怪我がないのなら作業に戻ろう。―――松崎さん、付いててやってください」

「おっけー」

しばし無言で麻衣の話を聞いていたナルは、切りがついたと判断したのか綾子にそう指示を出して保健室を出て行く。

その後を追うように、麻衣と綾子を保健室に残して他のメンバーも行動を開始した。―――麻衣の事は心配だが、あまりのんびりしていられる状況でもない。

そうして一旦ベースに戻り、またもやナルとリンとを残して他のメンバーが調査に向かうのを見送って、は途中になっていた調書の纏めに手を伸ばす。

「なんかさー、だんだん状況が悪化してきてる気がするんだけど・・・」

調書をパラパラと捲りながら独りごちたに、ナルがふと視線を向けた。

「・・・ねぇ、ほんとに大丈夫なの?」

「真相がはっきりしない以上はなんとも言えないな」

予想通りの返答に、は苦笑を浮かべる。―――ここで何の根拠もなく大丈夫だと言えないところがナルらしい。

そんな事を考えながら調書の一枚を手に取ったは、自然と込み上げてくる眠気と戦うように欠伸を漏らす。

ここ最近、いろんな出来事が目白押しで満足に眠れていないのだ。―――こういう時、感覚が鋭い自分が恨めしくなるが。

しかしそんなに気付いたナルが僅かに眉を寄せた。―――ヤバイ、見つかったと思ってももう遅い。

冷たい眼差しと言葉が飛んでくるだろうと身構えながらも恐る恐る視線を上げたは、しかし自分に向けられるナルの眼差しに気付いて訝しげに眉を寄せた。

責めるでもなく、かといって呆れるでもない。

しいて言うならば、これは・・・。

「・・・眠いのか?」

「はぁ!?」

「なんだその声は。・・・眠いのなら少し仮眠を取れ」

思わぬ発言に目を丸くするなど気にした様子なく、ナルは悠然と言い放つ。

一体どういう風の吹き回しなのかと訝しく思うが、お許しが出たのは正直ありがたい。―――色々な事がありすぎて、限界が近いのも事実だった。

「・・・じゃあ、お言葉に甘えて」

そう呟いて、は調書の束をどけた机に突っ伏す。―――宿直室に戻っても良かったが、つい先ほどの出来事がまだ鮮明な今は、1人で戻ろうとはとても思えない。

冷たい印象が先立つナルも、やはり優しさを持っている。

それに気付く事が出来た事が嬉しかった。―――こうして、人の温かさに触れる事も。

の周りにいる人たちは、みんな優しい。

それぞれ強い個性は持っているけれど、それは変わらない。―――それを嬉しく思いながらも、心のどこかが痛むのは何故なのだろう。

こんな温かさが、いつも自分のそばにあったなら・・・―――そうすれば、私は・・・。

ゆるゆると引き込まれる睡魔に抗うように巡っていた思考は、しかしゆっくりと白い何かに解けていく。

そうしてふと気がつけば、は見知らぬ場所に立っていた。

「・・・え?イキナリ何事ですか、これは」

ぐるりと辺りを見回して、僅かに頬を引き攣らせながら乾いた笑みを浮かべる。

石畳の先にあるのは小さな社に鳥居、そして陶製のお稲荷さんの置物。

何処かの神社だろうか?―――こんな場所、身に覚えがないけれど・・・。

そんな場所に立ち尽くし途方に暮れていると、コツリと小さな足音が聞こえた。

その音にビクリと肩を震わしつつも、嫌な予感がない事に恐る恐る振り返れば、そこには先ほど見た顔がある。

いや、先ほど見た顔とは違う。―――この人物は・・・。

「・・・久しぶり、かな?」

そう言ってにっこりと笑みを浮かべれば、そこに立つナルそっくりの少年は苦しそうに眉を寄せて。

またなのか、とも同じように眉を寄せる。

最後に会話を交わしたのはいつだったか。―――確か、森下家での会話が最後だったように思う。

それでもそれ以降、このナルは頻繁にの夢に現れた。

しかし彼は何も言わないのだ。

僅かに遠くからこちらを見つめて、悲しそうに笑っている。

何か声を掛けようと思っても、どうしてか声が出ない。―――触れようと思って手を伸ばしても、それが届く事はない。

そうしてもどかしく思っている内に、彼は悲しみの混じった笑みを浮かべたまま消えていくのだ。

もうこれが最後だと、まるでそう言いたげに・・・。―――それでもしばらくすればまた、彼はの夢の中に現れる。

それが一体どういう意味を持つのか、には解らない。

ただこのほんの一瞬の夢の逢瀬を、は嫌いではなかった。

だから今回もまた、いつもと同じなのだろうと思った。

けれどナルに似た少年は、苦しげな面持ちのまま僅かに口を開いて。

「・・・、麻衣が危ない」

「・・・え?」

「あそこは危険だ。、麻衣を助けてあげて」

言われた意味が解らず眉を顰めれば、一気に視界が暗転する。―――そうして目の前に現れた校舎に目を見開くの隣に立ち、ある一点を指差した。

「あそこ・・・には見えるだろう?今、あそこに麻衣がいるんだ」

言われてそちらを見ると、そこには醜悪な姿の何かがある。

あそこは確か・・・―――そこまで思考を巡らせたは、思わず目を見開いた。

どうしてあの時気付かなかったのか。

保健室が危ないと、解っていたはずなのに。

「・・・麻衣」

口元に手を当て、今もそこにいる麻衣の名を呼ぶ。

彼の言う通り、麻衣が危ない。―――あの大きな力を持つ霊が目覚めたら、その時は・・・。

「教えてくれてありがとう。すぐに行くから」

「うん、お願い」

振り返ってそう告げると、少年は僅かに安堵したように微笑んだ。

その姿がいつもと同じように少しづつ薄くなっていくのを見つめながら、は意を決したように口を開く。

「今度・・・今度また会ったら、その時は・・・」

目の前のナルが、僅かに目を見開く。

「その時は、あなたの名前を教えてね」

そう言って微笑むと同時に、ナルは姿を消した。

そんな事を言えば、もう自分の前には姿を現さないかもしれない。―――そう思いながらも、は浮上する意識に抗う事無く静かに目を閉じた。

 

 

そうしてガバリと身を起こしたは、彼女の突然の動きに何事かと振り返ったナルとリンに向かい声を上げた。

「ナル!麻衣のところに行って!あそこはダメ、ものすごく危ないから!!」

「・・・何を言って?」

「いいから、さっさと行って!私も行くから!!」

そう声を荒げて立ち上がり戸口に足を向けると、強い力で押し留められる。

今は構っていられないとばかりに睨みあげると、強い眼差しのナルに無言で制された。

「お前はここにいろ。リン、を頼む」

「解りました」

淡々と進められる会話に抗議の声を上げるも、ナルは彼女の言い分など聞く気はないのかベースを出て行く。

それに続こうと足を踏み出したは、しかしナルの指示を受けたリンに腕を捕まれまたもや行動を制された。

「・・・リンさん!」

「すぐに滝川さんたちにも連絡をします。あなたはここにいてください」

その場所が危険だというのならば、を向かわせる事は出来ない。―――彼女が行っても、被害が増えるだけだ。

そんな無言の圧力を察してか、は不貞腐れたように椅子に座りなおす。

何かを見ても、何かを感じ取っても、には何も出来ない。

では何故自分にはそれが見えるのか。―――何も出来ないのなら、せめて目に映らなければ良いのにとそう思う。

こんな無力さを、今まで何度となく味わってきた。

これまでは仕方がない事なのだと割り切っていたそれが、どうして今になって無性に悔しいと思うのか。―――思い返してみれば、それはナルたちと仕事をするようになってからなのではないかと思う。

これ以上、深入りはしたくないのに。

そう思っていても、もうそこから抜け出す事など出来ないのだろうとも思えて、は悔し紛れに唇を噛む。

―――その時だった。

「・・・っあ!!」

ドクリ、と身体を走る衝撃。

突然の息苦しさに胸を押さえて蹲れば、の変化を察したリンが慌てた様子で立ち上がった。

!どうしました、!?」

珍しいリンの慌てた声を聞きながら、胸を押さえたままは苦しげに眉を寄せて。

『あれは危険だ』

頭の中に響いた声に、ぎゅっと拳を握り締めた。

あれは危険だ、と彼は言った。

たくさんの力を蓄えて、目覚めの時を待っている。―――目覚めれば、もう誰も手出しは出来ない。

そうして、きっとその時が来たのだろうとは察した。

「・・・孵化、する?」

弱々しい声で呟かれた言葉にリンが問い返すその前に、何処か遠くで大きな破壊音が響いた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

本当はもうちょっと先まで行きたかったんですが、これ以上になると読む方もしんどいだろうと思いまして。

大体いつもいつも長すぎるんですよね、私の場合。

出来れば10話くらいで終わらせたいとは思っているんですが・・・。

作成日 2007.11.17

更新日 2008.4.14

 

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