様々な問題も安原のリタイアという形でどうにか収拾がついた後、SPRの面々は行方不明になった福田の捜索に乗り出した。

福田は『少し歩いてくる』と言って南のベースを出たまま、帰ってこなかったらしい。

「その頃でしたら、私は玄関の掃除をしていましたが、お見かけしておりません」

そんな職員の証言もあり、まどかのように窓から出入りでもしていない限り、福田が外に出た可能性は低い。

そうなれば、邸内の何処かにはいるはずだ。

その可能性にかけて、全員が作成した屋敷の見取り図を手に彼女を捜して回ったのだけれど・・・。

前回の2名同様、いくら捜しても彼女の姿は見つからなかった。

 

なき叫び

 

日も暮れ、とりあえず福田の捜索を打ち切った面々は、それぞれベースで顔を合わせていた。

プリントアウトされた屋敷の見取り図を見下ろす面々の傍ら、パソコンを操作するリンが説明の為に口を開く。

「この家は、中央部分が高い構造になっています。一階の床が中央に向かってごく僅かですが傾斜しています。その為、外辺部比べて中央付近が2メートル以上高くなっているんです」

リンの説明を聞きながら、は配られた屋敷の見取り図を見つめつつため息を吐き出す。

つまりは、こういう事だ。

未だはっきりしていない空白部分の上に、自分たちが確認した建物が被さっている状態。

見取り図を見る限り、その空白は小さなものではない。―――およそこの屋敷の3分の1は占める大きさなのではないだろうか。

「・・・ヘンなの」

「んー・・・」

同じく見取り図を見ていた麻衣の呟きに、難しい表情を浮かべた滝川が生返事を返す。

その傍らで、無言でリンの説明を聞いていたジョンが口を開いた。

「この家、そもそもはどういう形をしてましたのやろな」

「・・・窓の配置から考えて、中央部の小さな建物に部屋を付けていって、外側に向けて大きくしていったらしい・・・―――というところまでは解るんだが」

「やっぱこの真ん中の空白が解んねぇよなぁ」

ジョンの疑問に答えたナルに続いて、滝川がため息混じりにそう呟く。

「っていうか、そもそもそんな事した意味が解んないよ。住む気もないのに増築繰り返して・・・―――そういえば、幽霊を閉じ込めるためって言ってたっけ?」

まどかの報告を思い出し、はそう独りごちる。

それにしたって、わざわざ増築するメリットが見えない。

そもそもここに住む気がないなら、誰かが入り込まないように厳重に封鎖するなりさっさと取り壊すなりすればいいのだ。

わざわざこんな複雑怪奇な屋敷を作り上げる必要はない。

そのせいで今こんな事件が起こっているのだから、傍迷惑もいいところである。

「はいはい、解ったからちょっと落ち着けって」

どことなく不機嫌そうにそう独りごちるを宥めるように頭を撫で、滝川は小さく苦笑を漏らした。

ここ数日、の機嫌はそれほどよろしくない。

まぁ、何日も眠れなかったり、家の代表である兄妹との関係が複雑であったり、あげく夢で死にかけたりしたのだから、それも仕方のない事なのかもしれないが。

宥める滝川に大きく息を吐き出して溜飲を下げたを認めた滝川は、話を元に戻すべくナルを見やった。

「それにしたって、中庭ってわけでもなさそうなのに、2階まで吹き抜けってのはおかしくないか?でかい隠し部屋があるにしても、そこに行くための抜け道だってどこにあんのか・・・」

滝川の発言に、全員が考え込む。

特に測量班の面々にはそれが一番の疑問だった。

あれだけ屋敷の中を駆けずり回って調べたにも関わらず、そんな抜け道のようなものは見つけられなかった。

行方不明になった者たちがたまたま見つけて迷い込んだのならば、とっくに目に付いていても可笑しくないはずだ。―――たとえ霊の仕業なのだとしても、それは同様で・・・。

そんな面々を前に、僅かに目を伏せて沈黙を守っていたナルがゆっくりと口を開いた。

「・・・もともと抜け道なんてなかったとしたら?」

「・・・へ?」

「あの空白は隠し部屋などではなく、閉ざされた部屋なのだとしたら?」

ナルの言葉に、全員が目を瞠る。

「抜け道は探しつくした。これだけ古い汚れた家だ。そんなものがあって失踪した連中が使ったなら、埃の乱れや足跡があって当然だろう?ところがそんな形跡はなかった」

確かにナルの言う通りだ。

そんな形跡があれば、とっくに見つけられているはずだ。

特に失踪者が出た後は、彼女らを捜すために念入りに調べて回ったのだから。

「じゃあ、ほんとに閉ざされた部屋って事・・・?」

「そう考えた方が妥当だろうな。建物が中から外へ向けて建てられてる事といい、何か目的があって・・・―――たとえば中にある何かを隠そうとして増築していったとしか思えないんだが・・・」

確かに、そう考えるならば住む気もないのに増築していった理由も説明がつく。

ただ単に封鎖せず増改築を繰り返したのは、万が一誰かが侵入してきた時を考えて。

取り壊してしまわなかったのは、隠したい何かがあったから。

「・・・ありうるわね」

考え込むように顎に手を当てて頷く綾子の横目に、滝川もまた思案するように僅かに目を細めた。

「しかし隠すったってなにを・・・―――まさか、あれか?麻衣とが夢で見たって言う部屋・・・」

「・・・・・・!!」

滝川から遣された視線に、麻衣とは同時に肩を揺らす。

夢で見たあの部屋。―――今まで見たどれよりも・・・何よりも残酷な、あの・・・。

揃って身体を強張らせる麻衣とを認めて、しかしナルは何気ない様子でさらりと言い放った。

「どうだろうな。本当にそんなものがあるかどうか・・・」

確かにナルの言う通り、その夢の信憑性は微妙なところだ。

2人が揃って同時に同じような夢を見る・・・という偶然が起こり得るのかどうかはともかく、それは未だ推測の域を出ない。

「壁の向こうを調べてみれば解るんだが・・・」

結局はそれしか真実を確かめる術はないのだろう。―――しかしナルのそんな呟きに、滝川は呆れたような視線を向けた。

「つったって、どーやって調べんのよ。壁ブチ壊すわけにもいかねーべ?」

「その案は悪くないな」

「マジでっ!?」

さらりと告げられた言葉に、滝川は盛大に頬を引き攣らせつつ声を上げる。

もしかすると自分はとんでもない案を提示してしまったのかもしれない、とそう思う。

しかし時は既に遅し。―――零れた水が戻らないように、口から出てしまった言葉も取り返しが付かないのだ。

もっともナルの事だから、滝川の発言がなくともその結論に至っていただろうが。

そしてそれを実行するのは、勿論ナルではなく自分たちなのだろう事は簡単に想像がついた。

相変わらず人使いが荒いんだから・・・とが小さくため息を吐き出したその時、コンコンと小さく窓が鳴った。

その音の正体は確かめずとも予想はついている。―――すぐさま窓に歩み寄って閉められたカーテンを開けば、そこにはにこやかな笑顔を浮かべるまどかと・・・そして今日この屋敷を去ったはずの安原が立っていた。

「こんばんは〜」

「まいどー。情報をお届けに来ました〜」

現状とは似ても似つかない明るい声に、は思わず苦笑を漏らす。

そうして窓の鍵を開けてやり、中に招き入れられた2人は、用意された椅子に座るなりにこやかな笑顔のまま口を開いた。

「安原くん、すごいのよー。大活躍だったのよね、今日」

「そーです。ぼく有能ですから」

お互い顔を見合わせてにこやかに会話を交わすまどかと安原に、ナルは腕を組んで仁王立ちのまま冷たい視線を向けた。

「何のためにここを出て行ったんです」

ナルの言い分も、もっともな事だった。

この屋敷には、今危険が迫っている。

その中で自衛手段のない安原の安全を確保するため、散々話し合い剣呑な雰囲気を味わった末に彼はここを出て行ったのだ。

だというのに、何故彼はここに戻ってきているのか。―――そもそも、彼がここを出て行ったのは今朝の事である。

しかし安原はそんなナルの視線にも動じる事無く、にこやかな笑顔を浮かべつつ口を開いた。

「ですよね、すいません。じゃ、早速報告させてもらいますね」

「・・・ぶっ!」

どうやらナルはこういうタイプに弱いらしい。

彼の最大の武器もさらりと流され、憮然とした様子で立ち尽くすナルを認めて、はいけないと解っていながらも思わず噴出した。

それにナルの冷たい視線が飛んでくるが、先ほどしてやられていた様子を思えばまったく怖くない。

逆にここぞとばかりにからかい倒してやろうかと密かに企むを知って知らずか、2人の無言の攻防戦を遮るように安原は改めて口を開いた。

「実はですね。ちょっと引っかかってたんで、市内に戻る時にこの家の煙突の数を数えてみたんですよ。―――結果は12本だったんですけど」

「・・・煙突?」

「ええ。邸内を調べてた時の感じでは、10本か11本だったと思うんです」

「11本ですね」

すかさず入ったリンのフォローに、は感心したように目を丸くした。

煙突の数など、よく覚えていたものだ。―――確かに暖炉はいくつかあったが、それが何個かなど数えすらしていなかった。

それに・・・安原の数え間違えでなければ、煙突の数が一本多い。

「で、よく見ると家の中央部分にある煙突が変なんですよ。形が丸くて、他のより太いんです」

「そこで!賢いわたしはちゃ〜んと証拠写真を撮ってあります!」

安原の説明の後に、まどかが自慢げに胸を張って何枚かの写真を取り出す。

それを見れば・・・―――確かに安原の言う通り、家の中央部分にある煙突だけ趣が違っていた。

「また中央部分かよ。やっぱ、なにかあるな」

「なにかって・・・」

一体、何が・・・?―――そう声に出しかけて、は思わず口を噤む。

何か。

隠さなければならない、なにか。

その何かは、もしかして・・・。

ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。

あんなものはただの夢だとそう思いたいのに、頭の中で何かが囁く。―――あれが夢ではないと、己の直感がそう告げているようで・・・。

「それから美山家の本邸に言ってみました」

「げっ!見つかったらどーすんだ?」

自身の思考に陥りかけていたは、安原と滝川の場違いな明るい声にハッと我に返る。

そうしてフルフルと僅かに首を横に振った。―――まるで、湧き出る嫌な予感を振り払うかのように。

「っていうか、ご近所の家を訪ねて色々と話を聞いてみたんです。出来るだけお年寄りの方を捜しましてね」

そうして安原は、その老人から聞いた話を話し出す。―――もっとも、かなり昔の事であるため、その老人も自分の父から聞いた話なのだと言っていたらしいが。

美山鉦幸は、人嫌いな上にえらい変人だったのだという。

優しいときは人に物をやったりするのに、機嫌が悪いと人を追い掛け回して殴ったりしていたらしい。

慈善活動などを行っていたが、彼はそんな事をするような人物ではなかったと。

何か悪どい事をやっているのを誤魔化すための隠れ蓑だろうと、周辺の者たちはそう思っていたのだという。

「まぁ、ほとんどが森さんに報告してもらった調査内容と変わりませんでした。―――それと、鉦幸氏は小さい頃から身体が弱かったらしいですね」

子供の頃から、あまり長生きは出来ないだろうと言われていたのだという。

彼はたびたび外遊をしていたそうだが、それも単なる外遊というよりは外国の医者に診せに行ったというのが正確らしい。

「あ、そういえば鉦幸氏がここに住むようになってからですが・・・」

思い出したように言葉を続けた安原に、は無意識の内に身体を強張らせる。

その先は聞きたくない。―――聞かない方が良い気がする。

そうは思うが、が行動を起こす前に、安原はさらりとその言葉を口にした。

「下男が2人、一緒だったそうです」

ドクン、と心臓が大きく音を立てる。

血が逆流する。―――どんどんと大きくなっていく鼓動の音に、周囲の音が上手く聞こえない。

これ以上は聞きたくない。―――いっそ耳を塞いでしまいたいのに、強張った身体は何故か動いてはくれなかった。

「それからですね。祖父がここの出入りの植木屋だったというおじいちゃんがいました。―――なんでも、当時ここには生垣で出来た迷路があったらしいんです」

生垣の迷路。

それをは知っているような気がした。―――それを、この目で見たような・・・。

「母屋があって、離れがあって、その間を迷路がつないでたって言ってたそうですよ。でもおじいさんは、この山荘に来るのは気味が悪くて嫌だって言ってたそうなんです」

そう、母屋があって・・・そして離れがあって、その間には生垣で出来た迷路があって。

「離れの方に行くと、いつも墓場みたいな嫌な臭いがしてたって」

そう、あそこは墓場なんて生易しいものではない。―――あそこはもっと酷くて、怖くて、そして・・・。

「おまけに、ここに来るたびに女中の顔が変わってたって。―――・・・谷山さん?」

そこまで話していた安原が、不意に言葉を切って麻衣の名を呼んだ。

それに引かれるように、もゆっくりと落としていた視線を麻衣へ向ける。

「麻・・・」

まるで自分自身を守るかのように身体を抱き、歯の根がかみ合わないほど酷く震える麻衣に気付いて、滝川が彼女の名前を呼びかける。―――しかしそれを遮ったのは、無言で手を翳した真砂子だった。

麻衣の尋常ではない様子に全員が息を飲む中、静かに彼女に歩み寄った真砂子は優しく麻衣の肩に手を置いて。

「・・・この人はいけませんわ。あなたを救ったりはできません。―――だって、あなたはもう死んでいるんですもの」

そうして、麻衣ではない誰かに語りかけるようにそう告げる。

麻衣の手が・・・―――否、麻衣の中にいる誰かが、縋るように肩へと置かれた真砂子の手へ手を伸ばす。

それを優しく握り返して、真砂子は労わるような声色で言葉を続けた。

「さ、降りて。恐れないで光の方へ行ってごらんなさいな。きっと楽になれますから」

まるで包み込むような優しい声に導かれるように、身体を強張らせ震えていた麻衣の身体からフッと力が抜けた。

そのままガクリとその場に座り込む。

そうして呆然としたまま自分を見上げる麻衣を見返して、真砂子は柔らかく微笑んだ。

「この家に住む霊に憑かれていたようですわ。大丈夫、もう消えました。浄化したかはわかりませんけど・・・きっと話をしていたので寄ってきたんですわ。今話していたお女中さんのようです」

ゆっくりと部屋の中を見回しながらそう話す真砂子を見返して、はホッと息を吐き出す。

先ほどの騒動のおかげか、身体を支配していた恐怖は薄らいでいる。―――それに安堵の息を吐き出したその時、顔を覆うように額に手を当てていた麻衣が呆然とした様子で呟いた。

「・・・その人だ」

ポツリと漏れた言葉に、全員が麻衣を見やる。

「その人なの。ゆうべ・・ゆうべ、夢の中で殺されたの。・・・その人なの」

瞬きもせずぽろぽろと涙を零す麻衣に、全員が痛ましそうに表情を歪めた。

あの夢は・・・―――麻衣やが見たあの夢は、きっと霊の記憶だったのだろう。

あんなにも怖い思いをして、あんな殺され方をして・・・。

麻衣やには夢だったけれど、あの人や他の女中たちには現実だった。

逃れる事の出来ない、現実だったのだ。

「・・・そういう事か」

両手で顔を覆って声を殺して泣く麻衣や、じっと立ち尽くしたまま床を睨みつけて微動だにしないを見つめて、ナルが小さくそう呟く。

そうやって殺された霊が、この家を彷徨っているのだ。

今もまだ、苦しみに支配されたまま。―――『助けて』と、今もまだ悲痛な声を上げながら。

脳裏に甦る声に、はギュッと拳を握り締める。

何度も何度も聞いたあの声は、やはり霊の声だったのだ。―――『助けて』『死にたくない』と悲鳴を上げるのは、殺された女中の・・・。

そこまで考えて、は僅かに眉を寄せる。

それは、本当に殺された女中のものだったのだろうか?―――そんな疑問を抱いたその時、不意に状況は一変した。

突然、何の前触れもなく明かりが落ちる。

それに驚く間もないまま、すぐにパシンと何かが弾かれる音。

「・・・なっ」

一体、何が・・・?

そう声を上げる前に、突如甲高い悲鳴が響き渡った。

それを皮切りに、ドン!という壁を叩く大きな音。

それらは弱まる気配を見せず、あっという間に広がった。

「な、なにこれ・・・!?」

、動くなっ!!」

まるで地響きがしそうなほどの大音響。―――咄嗟に叫んだ滝川の声すらも聞き取りにくいほどの大きな音に混じって、耳を塞いでしまいたくなるほどの悲鳴が響く。

「う、嘘でしょ!?」

「ラップ音にしてもすごすぎる!」

こんなに激しいラップ音など、今まで聞いた事がなかった。

これから一体何が起こるのか・・・―――そんな不安を抱きつつもナルの名を呼んだ麻衣に、彼は動くなとそう叫ぶ。

それに応じるかのように、こちらも何の前触れもなくパッと明かりが戻った。

それに安堵する間もないまま、全員の目は部屋の壁に釘付けになる。

「やだ・・・なに?」

呆然とした綾子の呟きが、先ほどの騒がしさが嘘のように静けさを取り戻した室内に響く。

「・・・死に、たくない?」

壁に書かれた文字を見つめて、は呆然と呟く。

壁のいたるところに書かれた・・・隙間もないほど書き込まれたその文字は、きっとどれも身に覚えのあるものだ。

『たすけて』『いたい』『こわい』『死にたくない』。

ゾクリと、背筋に悪寒が走る。

「なんなのよ、これ!!」

耐え切れないとでもいうように、綾子がそう声を上げた。

 

 

「こ、これ・・・霊がやったの?」

呆然と辺りを見回しながら、麻衣が呟く。

それに漸く我に返った面々は、同じように周囲を窺った。

赤い・・・まるで血を思わせるような色で書かれた文字。

それは数日前に降霊会を行った時に目にしたものとよく似ている。―――もっとも、今回はそれとは比べ物にならないほど派手だが。

「でも、なんでイキナリ・・・」

喉元過ぎればなんとやら。

騒動の渦中にいた時は呆然としていたが、一度我に返ると意外と冷静に物事を見られるものらしい。―――壁に書かれた悲痛な叫びを見つめながら、は眉間に皺を寄せる。

「・・・ねぇ、ぼーさん。これ!」

「な、なんだよ!?」

そんな中、他とは違う文字を見つけて、はすぐ傍にいた滝川の服を強引に引っ張った。

突然の事に体勢を崩しながらも、滝川はの指差す方へと視線を向ける。―――そうしてそこに書かれた文字を見て目を瞠った。

「・・・うらど?」

「うらど、って・・・あの『浦戸』だよね。肖像画に描かれてあった」

そうして、美山鉦幸のペンネームでもある。―――それがどうして、こんなところに書かれてあるのか。

「ナル!」

不意に麻衣の声が上がりそちらを見やると、麻衣の指差す壁にも悲痛な叫びに混じって『浦戸』と書かれている。

「ねぇ、こっち!」

次々に上がる声。

よく見れば、それは他の文字に隠れるようにしてあちこちに書かれてあった。

「これは・・・」

それらを1つずつ確かめながら、ナルが思案するようにそう呟く。

ちょうどその時、廊下の方から慌しい足音が聞こえ、まどかと安原はハッと顔を上げた。

「あ、人が来るわ。退散しましょ、安原くん」

「はい」

何度も言うが、安原は今朝この家を出て行った身なのである。

それ以前に、今回の依頼において、まどかはまったくの部外者なのだ。

いくらこの仕事を持ってきたのが彼女といえど、それは変わらない。―――誰がこの部屋へ向かっているのかは知らないが、こんなところで目撃されるわけにはいかない。

「ナル、また明日ね。」

「まどか!危険だと言ってるだろう!!」

ナルの叱責などどこ吹く風で、まどかはにこやかに笑顔を浮かべながら軽い身のこなしで窓枠を乗り越えた。―――その後に続いて、安原もヒラリと窓の外へ飛び出していく。

「気をつけてな〜」

「は〜い!」

そんなまどかと安原を、窓際まで寄った滝川がにこやかな笑顔を浮かべて見送る。

それを見咎めた麻衣は、困ったように頬を膨らませた。

「ぼーさんってば暢気な事言って!」

もし見つかったらどう言い訳をするつもりなのか。

きっとどう言葉をつくろったとしても、相手は騙されてくれないに違いない。

滝川にもそれは解っているのだろう。―――しかしそんな麻衣の言葉に、滝川はカーテンを引きつつ苦笑いを浮かべた。

「いやー。なんか彼女、麻衣とキャラかぶってな。ついつい構っちゃうわ〜」

「あー、その気持ちなんとなく解る気がする。親しみやすいもんね、まどかさんって」

それを聞いていたもまた、困ったように笑いながらそう口を挟んだ。―――そんな何かを刺激するような雰囲気がまどかにはあるのだ。

「もー、まで!」

疲れたように壁にもたれかかりながらそう呟くに麻衣が抗議の声を上げたその時、すぐ傍まで迫っていた足音の主が勢い良くベースに飛び込んできた。

「ご無事ですか!?」

ノックもなしに飛び込んできたのは、依頼主代理の大橋だった。

礼儀正しい普段の彼とは違う慌てた様子に、何かあったのだと察する。

「ああ、やはりこちらも・・・」

「何があったんです、大橋さん」

そうして部屋の中を認めてそう呟いた大橋に、ナルは微塵も動じた様子なくそう問い掛けた。

「それが・・・突然屋敷のあちこちに変な文字が・・・―――まるで血で書いたような」

言われて廊下へと出てみれば、壁といわずドアといわず天井といわず、そこかしこがベースの壁と同じような有様になっていた。

ここがそうなのだという事は、きっと他の部屋も同じなのだろう。

「この家の霊って、一体どれだけいるのよ?」

あまりの有様に、綾子が気味悪そうにそう呟く。

これだけの事をやってのけるのだ。―――霊の数が相当多いか、それともこの家にいる霊の力が相当強いか。

どちらにしても、歓迎できた状況ではない。

そんな中、廊下にしゃがみこんで壁を見つめている滝川に気付き、も背中から彼の手元を覗き込む。

そうしてそこに書かれてあった『浦戸』という言葉に、思わず眉を寄せた。

「・・・浦戸ってのは思ってた以上に意味のある言葉らしいな。こりゃあ、単なるペンネームとは思えねぇぞ」

「意味のあるって・・・たとえばどういう?」

「それが解れば苦労しないっつーの。『浦戸に・さ・た・・聞く』―――これの意味が解ればなぁ」

「結局はそこに戻るわけね」

コツコツと浦戸と書かれた壁を小突きながらそう呟く滝川に、もがっくりと肩を落としてそう独りごちる。

それが解らないから、今こんなにも苦労しているのだ。

ただのペンネームかと思いきや、謎を解明するにはまずその名前の意味を知る必要があるらしい。

そうは言っても、どうすれば知る事が出来るかなど想像もつかないが・・・。

そんな中、壁に書かれた文字を見つめていたナルが静かに口を開いた。

「・・・原さん」

名前を呼ばれた真砂子は、ふとナルに視線を向ける。

それをまっすぐに見返して、全員が見守る中、迷いのない声でナルは真砂子へと問い掛けた。

「ここで降霊術をやれる自信はありますか?」

告げられた言葉に、全員が思わず目を見開く。

ここで降霊術をするという事は、麻衣やと同じような体験をするかもしれないという事だ。―――ここで殺されたであろう人を自らの身に降ろすという事は、あの残酷な体験をするかもしれないと・・・。

そうしては知っていた。

そんな問いかけをされて、真砂子が断るはずがないという事を。

ナルへ想いを寄せる故・・・―――そして霊媒としてのプライド故に、真砂子がその要求を拒む事がないだろうという事を。

「・・・ありますわ」

の予想通り、キッパリとそう答えた真砂子。

しかしそれに待ったをかけたのは、必死な表情を浮かべた麻衣だった。

「ちょっと、待って!それって真砂子に霊を憑依させるって事でしょ!?」

「麻衣・・・?」

「やっちゃだめだよ!あたしの夢みたいに、怖い思いするかもしれないじゃない!!」

真砂子を庇うように前へと歩み出てそう声を上げる麻衣を見据えて、ナルが小さくため息を吐き出す。―――麻衣ならば、きっとそういうだろうとは思っていたけれど。

「麻衣、原さんはプロだ」

「プロだろうとなんだろうと、あんな経験はさせられない!」

「麻衣!」

ナルがそう告げるも、麻衣に引く気はまったくないらしい。―――叱るように強く名前を呼ばれても、麻衣はまったく怯まなかった。

そうなるだろう事は解っていた。

麻衣はそういう子だ。―――だからこそ、は麻衣が好きなのだ。

けれどそれだけではどうにもならない事もある。

特に今は、少しでも情報が欲しいのだ。―――これ以上の犠牲者を出さない為にも。

『真実かもしれない情報を手に入れられるのなら、もう一度チャレンジするべきです。それが彼女の義務なんですから』

直接聞いたわけではないけれど、が悪夢を見た夜に起こった出来事を、は綾子から聞いている。

茶生の言葉に、綾子は怒っていたけれど・・・―――けれど、彼女の言う通りだとも思う。

それが出来るのならば、するべきなのだ。

それが今自分がここにいる理由なのだから。

「は〜い。じゃあ、私がやるよ」

震えそうになる手をギュッと握り締めて、は気合を入れるように小さく息を吐き出すと、そんな様子を微塵も感じさせない様子でヒラリと手を上げた。

それに全員が驚いたように振り返る。―――否、ナルだけは表情は変わらないが。

「ちょ、!何言ってんの!?」

案の定、麻衣から抗議の声が上がる。

しかしは予想していたそれを微笑む事で流して、まるで大した事ではないとばかりに肩を竦めて見せた。

「だって、麻衣は真砂子にあんな思いをさせたくないんでしょ?」

「そりゃそうだけど、それはだって同じだよ!!」

「でも私は、もうその体験しちゃってるから。―――2度目だもん、もう耐性付いちゃってるって」

今度こそ、ちゃんと情報収集してくるからさ。

そう言って笑えば、麻衣は険しい表情を浮かべる。

「そんな問題じゃないよ!」

「そんな問題だよ。真砂子がダメなら私がやる。―――忘れてるかもしれないけど、私だって一応は霊媒なんだから」

場違いなほど明るい笑顔を浮かべるを見返して、麻衣は悔しそうに唇を噛む。

にだって、もう二度とあんな体験をさせて良いはずがない。

けれど、自分にが説得できるとも思えなかった。―――普段はそういった事に係わり合いになりたがらないの決意を、自分がどうにかできるとは思えない。

助けを求めるように滝川を見やれば、彼もまた険しい表情を浮かべていた。

、お前こそ忘れてないか?―――お前はその夢を見て死にかけたんだぞ?」

「それを言われると非常に痛いんですけど・・・」

忘れていたわけではないが、忘れているフリをしていた部分でもある。

「でも今回はちゃんとした形でなんだし、そんな危ない状況にはならな・・・」

「そんな危険な賭けに乗れるわけないだろ!!」

滝川の珍しい怒鳴り声に、は思わず身体を縮こめた。

滝川の言い分ももっともである。―――いや、滝川の言い分こそが正しいのだ。

それは解っている。

解ってはいるが、それでもこれ以外に取れる道はないのだ。―――多少危険でも、チャレンジするしかない。

しかしがそう告げる前に、滝川の援護を受けた麻衣が強くナルを睨みつけて口を開いた。

「ナルに自分が殺される気持ちが解る!?自分が死んでいく瞬間の気分が想像できる?どんなに怖いか解る!?―――あたし、絶対真砂子やに降霊術なんかさせないからね!!」

感情のままに、麻衣はそう声を上げた。

それにナルは何も言わない。―――ただ一瞬、翳りのある・・・言葉には表しにくい表情を浮かべるだけで。

「・・・ナル?」

そんなナルの様子に気付いた麻衣が訝しげに声を掛けるその前に、ナルはまるで何事もなかったかのように踵を返した。

そうして少し離れた場所に立つリンへと視線を向けて。

「・・・仕方ない。多少不確実な方法になるが・・・リン」

「はい」

「呼べるか?」

単刀直入に掛けられた問いに、リンは僅かにため息を漏らす。

こうなってしまった以上、ナルの言う通り仕方がない。

リンとて、まさかに降霊術をさせるつもりもないのだから。

「やってみましょう」

「リンさん!!」

そうしてさらりとそう答えたリンへ、麻衣は慌てたように声を掛ける。

真砂子やに降霊術をさせるわけにはいかないといったが、それは何も彼女たちだけではない。―――リンだって同じだ。

しかしリンはそんな麻衣を横目で見やり、動じた様子なく口を開いた。

「ご心配なく、霊を呼んでみるだけです。私は霊媒ではないので霊を憑依させる事は出来ませんから」

「・・・ほんとに?そんな事言って、リンさんあっさりと嘘つかないでよ?」

「つきませんよ」

こちらも心配そうに・・・多少疑わしそうにそう呟くに、リンはため息混じりにそう返した。

そうしてリンは、無言で返答を待つナルへと視線を向ける。

「私にはここで過去に殺された霊を呼ぶ事は出来ません。今呼べるのは・・・死んでいると仮定して、ここで消えた3人の人間・・・それだけです」

「構わない、やってみよう」

こうなってしまった以上、制限つきであっても仕方がない。

すぐさまカメラの準備を始めるナルと、それに付き合わされるジョンと滝川を見やって、はその視線をリンへと移した。

「・・・ほんとに大丈夫なんだよね?」

「ええ、大丈夫です」

やはり心配そうに窺うにそう答えれば、は漸く安堵したように肩を落とした。

「・・・怖いなら、最初からあんな事を言わなければ良いでしょう」

「だって・・・仕方ないじゃない。私だって、真砂子にあんな思いさせたくなかったし」

ぶつぶつと呟くを見下ろして、リンは気付かれない程度に口角を上げる。

自ら降霊術をすると申し出た時、実はが震えていたのをリンは知っている。

おそらくは、ナルも・・・そして滝川も気付いているだろう。

それでも名乗り出たの変わりように驚くと同時に、あんな形でしか名乗り出られなかった彼女の不器用さに苦笑する。

「・・・リンさ〜ん、なに笑ってんの?」

「・・・いえ、別に」

しっかりと気付かれてしまった笑みを消して、リンは降霊の準備をするべく踵を返す。

そんなリンの背中を見つめて、は不機嫌そうに眉を寄せつつも更に言葉を投げ掛けた。

「リンさ〜ん。ほんとに、嘘だったら承知しないからね!」

背後から追いかけてくるそんな声に、リンはもう一度小さく笑みを零した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

もうこの辺りは、本当にぐだぐだになってしまいました。

書き直したいという気持ちはありますが、残念ながら気力がありません。

こんなところで躓いているわけにもいかないので。

長さだけは異様にありますが。(笑)

作成日 2008.1.12

更新日 2008.9.20

 

戻る