「・・・いいのかなぁ、ほんとに帰っちゃっても」

「ナルがいいって言うんだからいいんじゃない?あとは警察に任せましょ」

広間での話し合いの後、それぞれ使用していた部屋に戻った面々は、帰るために荷物を纏めていた。

元々それほど大量の荷物を持ってきているわけではない。―――すぐに荷物を纏め終えたは、疲れたようにベットに転がった。

本当にこのままでいいのかどうかは、生憎とには解らない。

行方不明になった人たちも、今まだ発見できていないのだ。

その生存の確率がほぼゼロであったとしても、このまま放って帰る事にやはり罪悪感は拭えない。

それでもこの家に住む浦戸という悪霊を相手に出来る手段がない以上、無理をするわけにもいかなかった。―――たとえそれが行方不明になった人たちを見捨てる行為だとしても、何よりも優先されるのは、まず自分たちの身の安全なのだ。

「それよりさ。あたしシャワー使うから時間かせいどいてよ」

「えー!やだよ!ナルに怒られる!!」

「埃だらけで気持ち悪いのよ。お願いねぇ」

そう言ってにっこり笑いながらバスルームに消えていく綾子を横目に見送って、は思わず苦笑した。

彼女はどんな時でもマイペースだ。―――それは時として、大きな安心にも繋がる。

「麻衣、私もちょっと出てくる。すぐ戻ってくるから」

「えー、どこ行くの?1人で出歩くのは・・・」

「大丈夫だって。すぐそこだからさ」

眉根を寄せて抗議する麻衣へとさらりと告げて、は部屋のドアノブに手を掛けた。

事件は終わっても、自分にはまだしなければならない事がある。

それを思うと多少気が滅入るが、責任を放棄するわけにもいかない。

「綾子がシャワー終わるまでには戻ってくるから」

そうして心配そうな表情を浮かべる麻衣と、何事かを考えながらも今もまだ荷物を纏める真砂子へと笑いかけて、は部屋の外へと出る。

 

ナルの撤収の指示によって、この残酷で悲しい事件は幕を閉じた。

そう・・・この時は、まだそう思っていたのだ。

 

それぞれの現実

 

「・・・もー、2人とも勝手なんだから」

ぶつぶつと文句を言いつつ、麻衣は深くため息を吐き出す。

この事がナルにバレたらどうするつもりなのか。―――特にの場合は、1人で屋敷の中をうろついているのだろうから、叱責だけでは済みそうもないというのに・・・。

それでも肩から力を抜いて、仕方がないとばかりに小さく笑う。

それこそが2人の持ち味だといえば、きっとそうであるのだろうから。

「あ、真砂子。支度済んだ?」

パチンとバックを閉める音を聞きつけて、麻衣は視線を真砂子へと向ける。

一番時間が掛かっていたようだけれど、漸く荷物を纏め終えたらしい。―――真砂子は自分たちと違っていつも着物を着ているのだから支度も大変だろうとぼんやりと考えながら真砂子を見るが、しかし真砂子は麻衣と合った視線をパッと逸らし、不機嫌そうな様子でベットに視線を落とした。

「・・・真砂子?」

「あたくし、あなたに呼び捨てにしてほしくありませんわ」

ふと真砂子の様子がいつもと違う事に気付いて麻衣が声を掛ければ、すぐさまそんな言葉が返ってくる。

そのいつになく挑戦的な発言に、目を丸くしていた麻衣は困ったように・・・そして呆れたように腰に手を当てて軽く息をついた。

「・・・あのさぁ。なんであたしをそこまで嫌うわけ?理由を言ってよ、理由を」

そう、それが麻衣には解らないのだ。

性格的に真砂子と綾子の気が合わない事は承知している。

けれど麻衣はこれまでそれほど真砂子と衝突した事などない。―――いつの間にか、一方的に喧嘩を売られているような気がした。

普通に考えれば、歳が近い事もあり、仲良く出来そうな気がするのだけれど・・・。

そういえば、真砂子とは以前から知り合いだったようだが、真砂子のに対する態度もたまにぎこちない気がすると麻衣はこれまでを振り返って思い至った。―――たしか、麻衣の高校の旧校舎で顔を合わせた時は、それほどでもなかったような気がするのだけれど。

しかし真砂子は麻衣の問いに答えない。

麻衣に背中を向けたまま、ずっと黙り込んでいる。―――それに麻衣がムッと表情を顰め、口を開きかけたその時だった。

「あんたね・・・」

「・・・どうして、ナルはあなたを呼び捨てにするんですの!?」

不意に室内に響いた声に、麻衣は思わず目を丸くする。

シンと静まり返る室内には、バスルームでシャワーを浴びる水音が微かに届いた。

「あたくしや松崎さんは苗字で呼ぶのに、どうしてあなたなんかが特別扱いなんですの?」

呆気に取られる麻衣を横目に、真砂子は堰を切ったように話し始める。

おそらくずっと溜め込んでいたのだろう。―――しかしそう聞かれても、麻衣には答えようもない。

「どうしてって・・・使用人だからじゃないの?」

「だったら、苗字を呼び捨てにすればいいでしょう?」

まぁ、確かにその通りといえばその通りなのだが、何故名前を呼び捨てるのかなど麻衣に解るわけがない。

そして、真砂子の言葉には1つの事実が抜けている。

「そりゃそうだけど・・・。それを言うなら、もそうでしょ?だってナルに呼び捨てされてるじゃん」

むしろそっちの方が不思議に思えるのは気のせいなのか。

はSPRの所員ではない。―――だから、麻衣の言った『使用人だから』という理由は通用しないのだ。

最初は名前で呼ぶようにといったの強引さに負けての事だと思っていたが、それでもずっと不思議には思っていたのだ。

あのナルが、特定の相手を呼び捨てにする。―――その理由、を。

さんも勿論そうですわ。でも彼女は誰にでもそうですし、それに・・・」

その『理由』に挙げられるかもしれない事情を、真砂子は知っている。

それを言うなら自分だとて呼び捨てにされても構わないような気はするけれど、そんな事を麻衣に言っても仕方がない事も真砂子は承知していた。

「それに・・・?」

「・・・それに、あなたはさっきもずいぶんと仲良さそうにケンカしてたし・・・」

途中で切れた言葉を不思議そうに問いかける麻衣を誤魔化すように、真砂子はそう口を開いた。

それに呆気に取られる麻衣の顔を横目に見ながら、真砂子はギュッと拳を握り締める。

その様子をじっと見ていた麻衣は、あるひとつの結論に至り、あっと目を見開いた。

「・・・もしかして真砂子、妬いてたの?」

おそらくその推測は間違っていないだろう。―――カッと赤くなった真砂子の顔が、それを雄弁に語っていた。

その常にない真砂子の様子に、麻衣はいけないと解っていつつも思わず噴出す。

「な、なんですの!?」

「ご、ごめん。真砂子って・・・結構可愛いよね」

真砂子が不機嫌そうな表情を浮かべるも、止められない。

普段から動じた様子などほとんど見せた事がない、どこか大人びた様子のこの少女の年齢にふさわしい様に親近感が湧いた。

「失礼な言い方をなさるのね」

そんな麻衣を憮然とした様子で見返す真砂子の顔は今もまだ赤い。

「だって、妬いてたんでしょ?」

「やっ!別に妬いてなんか・・・!!」

挑発されるように告げられ、真砂子は反射的にそう言い返す。

しかし顔を上げた先にある麻衣のニヤニヤとした笑みを認めて、またもや不機嫌そうに顔を背けた。

それにやんわりと笑みを浮かべて・・・―――そうして麻衣は恋敵である少女へと優しく声を掛ける。

「・・・あのさー。あたしに妬くだけ無駄だと思うよ。特別扱いって言っても、悪い方の特別だもん。ナルはあたしの事特別バカにしてんの」

自分で言いながら、思わず湧き出た怒りに拳を握り締める。

真砂子の言うように、ナルが本当に自分を特別扱いしてくれたのなら良いと思うが、残念ながら麻衣は彼女の言うような特別な思いなど感じた事がない。

それを言うならば、の方が特別扱いされているようだと麻衣は思う。

名前を呼ばれるのも、心配をされるのも・・・―――そしていつの間にか、彼に信頼されているように感じるのも。

向けられる言葉は他のメンバーと同様に遠慮のないものなのだとしても、そこに親しみが感じられる気がするのは果たして気のせいなのだろうか?

それは本当に、思い過ごしなのだろうか?―――その答えは、麻衣には出す事など出来ないけれど。

それに・・・と麻衣は今もまだ顔を背ける真砂子を見返して口を開く。

「だいたいさ、真砂子の方こそ特別扱いされてるっしょー?」

「・・・あたくし?」

「そ。ナルの弱味、握ってるでしょ?」

本人から聞いたわけではないけれど、きっとそうなのだろうと思う。

以前の公園の事件に関しても、嫌そうな素振りを見せながらも結局は依頼を引き受けた理由など、それ以外に思いつかない。

「どんな弱みなのかな〜?なんちゃって。教えてくれるわけないよねぇ」

「当たり前ですわ。あなたに言ったりしたら、あたくし本当に嫌われてしまいますもの」

冗談交じりに言った言葉に返ってきたのは、思いもよらない言葉だった。

『本当に』嫌われてしまう?

そんな麻衣の疑問を読み取って、真砂子は僅かに俯きながら言葉を続けた。

「・・・あたくしがナルの弱味を知っているから、ナルはあたくしを嫌ってますの」

「・・・どゆこと?」

真砂子の言葉に更に混乱する麻衣を、先ほどまで視線を逸らしていた真砂子がまっすぐと見据える。

「・・・ナルはプライドが高いんですもの。誰かに弱味を握られてるのが我慢できないんですわ。だからあたくし、嫌われてますの。人に話したりしたら、今以上に嫌われてしまいますわ」

続けられる言葉に、妙に納得してしまえる部分が多くあり、麻衣は引き攣った表情でコクリと頷いた。

確かにそうだろう。

プライドの高いナルは、誰かに弱味を握られているなど我慢ならないに違いない。

「でも、だからって別に真砂子の事嫌ってはいないと思うけどなぁ」

もし本当に嫌っているのなら、調査があるたびに真砂子を呼んだりはしないだろう。

他に霊視の出来る人間が少ないのだとしても、それこそ我慢できないほどプライドの高いナルならば、絶対に近づけたりはしないはず。

そんな麻衣の言葉に、真砂子は口を噤んだままベットから立ち上がった。

以前そんな事をにも言われた事を思い出す。

ナルの隣にいながら、ナルと時間を過ごしながらもどこかそんな恐怖に怯えていたその時、ふとした瞬間には言ったのだ。―――『そんなに考えすぎる事ないんじゃないの?』と。

そして『もうちょっと切り札の使い方も考えた方がいいよ。切り札は、とっておきの瞬間に出してこその切り札なんだから』とも。

の言いたい事がなんなのか、それが解らない真砂子ではない。

その忠告を受けたのが、あの公園の事件の後だった事もあり、が何を言いたいのかもすぐに察する事が出来た。

しかしそれを実行に移せるかどうかは、また別である。

そんなにも悠長に構えてなどいられない。―――自分と彼との間にある深く広い溝を、なんとしても埋めなくては・・・という焦りが真砂子を駆り立てる。

だというのに、も・・・そして目の前にいる麻衣も、そんな溝など簡単に乗り越えていくのだ。

自分が超えられないその壁を、いとも容易く。

ベットから立ち上がった真砂子は、その足を部屋の外へと向ける。

「真砂子?どこいくの?1人じゃダメだよ。あたしも・・・」

「こないで」

そうして無言のまま廊下に出ようとする真砂子に気付いて声を掛けた麻衣を振り返る事なく、ドアノブに手を掛けた。

「外の空気を吸いたいだけですわ。廊下にいます、だから来ないで」

「でも・・・」

はっきりと感じる拒絶に、麻衣は困惑したように言葉を切った。

そんな心配そうな麻衣の視線を感じて、真砂子は僅かに振り返る。

「麻衣。・・・やっぱり、きらいよ」

そうしてそれだけを告げて、真砂子は静かに部屋から出て行った。

成す術もなくその後姿を見送った麻衣は、1人取り残された室内でぼんやりと宙を眺めながら、先ほど真砂子から言われた言葉を思い出す。

「きらいよ、っていわれちった」

ポツリと呟いて、そのまま脱力するようにベットにダイブする。

そしてふと特別扱いされているという真砂子の言葉を思い出し、僅かに頬を染めながらも麻衣は困ったように天井を見上げた。

まさかそんな風に思われているとは思わなかった。

自分がに感じるのと同じように、真砂子も麻衣へ同じ思いを抱いていたのだろうか?

そう思えば、今までの真砂子の言動も可愛く思えてくるから不思議だ。

きっと誰もがそうなんだろう。

自分がそうであるように、真砂子もナルに嫌われないようにと必死なのだ。―――まぁ、自分の場合はすぐに喧嘩を売ってしまうのだけれど。

そう考えて思わず苦笑いを浮かべたその時、まるで何事もなかったかのようにあっさりとバスルームの扉が開いた。

「あー、さっぱりした!おまたせー」

言葉通りさっぱりした表情を浮かべた綾子が、着替えを持って戻ってくる。

その様子を見ていると、自分もシャワーを浴びたくなってくるが、流石にこれ以上の時間のロスは許されないだろうとすぐさま諦めた。

「あら、と真砂子は?」

「えっと・・・はちょっと用事があるって言って出てった。それから真砂子は廊下に・・・」

持っていた着替えをカバンに詰め込む綾子をぼんやりと眺めながら2人の行方について話していた麻衣は、しかし直後襲った激しい悪寒に思わず目を見開いた。

それと同時に弾かれたように立ち上がり、綾子の驚いた声にもかまわず廊下へ飛び出す。

「なによ、どうしたの?」

背中から、綾子の不思議そうな声が聞こえる。

しかし、麻衣にはそれに答えるだけの余裕がなかった。―――目の前の光景に、ぞっと肌が粟立つ。

「・・・真砂子」

廊下を見回してみても、見慣れたその姿はどこにもない。

「真砂子、返事して!」

声を荒げても、いつもの声が聞こえない。

部屋を出て行く時に見た真砂子の後姿。―――それがどこにも見当たらない。

「どこに行っちゃったの・・・?」

懇願するように呟いた。

これが性質の悪い悪戯であってくれたら、どれほど良いだろうか。

闇の中から伸びる手。

生贄を求める恐ろしい声が聞こえた気がする。

「真砂子っ!!」

そして、真砂子は姿を消した。

 

 

「大丈夫だって。すぐそこだからさ」

そう言って部屋を出たは、廊下を歩きながらふと辺りを見回した。

当たり前だが、廊下には人の姿はない。

行方不明事件が相次いだ中で、1人で行動するような馬鹿な人間はそういないだろう。

そこまで考え、今1人で行動している自らを省みて、自分は自分で思っている以上に馬鹿なのかもしれないと思い苦笑した。

それでも麻衣や綾子について来てもらうわけにはいかないのだ。―――否、いかないのではなく、そうして欲しくないだけなのだが。

それでもやはり人の姿がない廊下は薄気味悪い。

1人で行動している事がナルにバレない内に用事を済ませてしまおうと、が進める足を早くしたその時だった。

「・・・お前、なにしてんの」

「うおっ!!」

突然背後から声が掛かり、は奇声を上げて勢いよく振り返る。―――緊張していたのだから、悲鳴が女の子らしくないというところは目を瞑ってもらう事にして・・・。

そうして慌てて顔を上げた先には、心持ち怖い顔をした滝川が仁王立ちで立っていた。

「・・・ぼーさん。こんなところでなにしてんの?」

「それは俺のセリフだろーが」

何の前触れもなく自分の前に立つ滝川の姿を見上げてそう呟けば、呆れたような声が返ってくる。

それはまぁ、そうなのだけれど。

「っていうか、1人で出歩くなってナルに言われてたでしょ?」

「それも俺のセリフだ!つーか、お前が言うな、お前が!」

コツリの頭を軽く叩かれ、確かにそれもそうだと思い直したは小さくため息を吐き出す。

まさか、こんなところで滝川に見つかってしまうとは思わなかった。

いや、もしかすると滝川で良かったのかもしれない。―――これがナルやリンならば、怒られるどころではすまないだろう。

「あー、私はちょっと用事があって・・・。―――ぼーさんは?」

「俺は部屋の片づけしてたら、廊下をお前が1人で歩いていくトコ見かけたから、慌てて追いかけてきたんだよ」

またもや呆れたような声色で告げられ、流石のも申し訳なさそうに眉を寄せた。

もしこれで滝川が行方不明にでもなったら・・・―――そう考えると、本当に反省するところではあるのだが。

「それで?用事ってなんだ?」

「あー・・・えーと・・・ちょっとあの子達・・・家の兄妹のところに行こうと思って。―――ほら、撤収の事とかも伝えないといけないし、2人にも早くこの家から出てもらわないとダメだし・・・」

「なら、麻衣にでも付いてきてもらえば良かっただろーが」

「えー・・・と、それは・・・あのー・・・」

矢継ぎ早に繰り出される滝川の問いに、は困ったように視線を彷徨わせながら答える。

その様子に、滝川は訝しげに眉を寄せた。

いつもははきはきと物を言う彼女らしくない。―――先ほどから『あー』とか『えー』とかばかりだ。

それでもこの屋敷で過ごした短い時間でも、と彼女たちの関係がそれほど良好ではない事を察している滝川は、理由は解らないまでも誰かについてきて欲しくはないと思っているという事だけは理解できた。

だからといって、「はい、そうですか」と送り出すわけにはいかないが。

「・・・解った。んじゃ、俺が一緒に行ってやる」

「いやっ!それはちょっとどうかと・・・」

「なら部屋に戻れ。今1人で出歩くのがどれほど危険か、お前だって解ってるだろ?」

いつになく強引な滝川の言葉に、は困り果てたとばかりに彼を見上げた。

滝川がこんなにも強い物言いをする理由も解っている。―――ここは、それだけ危険な場所なのだ。

これはどうあっても滝川に引く気はないだろうと察して、はしばらく逡巡した後、渋々といった様子でコクリと頷いた。

「・・・解った。んじゃ、付いてきてもらう」

「よし」

それに満足げに頷いた滝川を見上げて、は盛大にため息を吐き出した。

 

 

コンコン、と控えめなノックの音に、兵庫は顔を上げた。

「・・・どうぞ」

多少訝しげな返事を返せば、躊躇いがちに扉が開かれる。―――そうしてそこに立っていたのは、彼にとっては意外といえば意外な人物だった。

ちゃん?まさか部屋に尋ねてきてくれるとは思ってなかったよ。―――・・・っと」

「こんにちは」

座っていた椅子から立ち上がり、笑顔を浮かべてを出迎えた兵庫は、その後ろに長身の男が立っている事に気付いて笑みを引いた。

彼の事は兵庫も知っている。―――同様、SPRの助っ人としてこの家に来た霊能者だ。

「えーっと・・・」

「突然押しかけてごめん。ちょっと・・・話したい事があって」

一体何の用だろうと訝しげな表情を浮かべた兵庫は、1つ頷くと部屋の中へ入るように勧める。

そうしてはチラリと背後の滝川を見やって・・・―――それでも何も言わずに、促されるままに部屋に足を踏み入れた。

本当は滝川に話の内容を聞かれたくないとは思ったが、流石に廊下に待たせておくわけにもいかない。

そうして勧められるままに部屋に入ったは、そこで漸く扉からは死角となる場所に座っていた茶生を見つけた。

そんな少女の射るような眼差しに困ったように息を吐きながらも、ゆっくりはしていられないと早速本題に入る。

「知ってると思うけど、私たち今日帰る事にしたの」

「うん、そうだね」

同じく広間であの騒動を見ていた兵庫は、心得ていると頷く。

今のはSPRの助っ人なのだ。―――そのSPRが撤退すると決めた以上、もまたそうなのだろうという事は予測済みだ。

そして、彼女が何を言いにこの部屋に来たのかも。

「ナルも言ってたと思うけど、この家の霊は私たちの手には負えないと思うの。だからあなたたちも今日一緒に・・・」

「私、帰りません」

予想通りのの言葉を黙って聞いていた兵庫は、すぐさま上がった妹の拒否の声に苦笑を漏らした。

「・・・茶生」

「私、帰らないわ。だってまだ仕事は終わってないんだもの」

確かに茶生の言う通り、彼らの仕事はまだ終わっていない。

彼らの仕事は、この家の霊を除霊する事なのだ。―――それが可能か不可能かは、きっともう解っているのだろうが。

それでもの言葉通りに行動するのが嫌なのだろう。

我が妹ながら、まだまだ子供じみていると更に笑みを漏らしつつ、兵庫は妹を宥めるために口を開いた。

「だけど、茶生。お前も解ってるだろう?この家の霊は俺たちの手には負えない」

「それは・・・」

「だったら、ちゃんの言う通りにするべきだ。そして当主に報告をして・・・」

「お兄ちゃん!!」

兵庫の説得に反論できずにいた茶生は、しかし当主の名が出たと同時に声を荒げた。

椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、きつい眼差しで兵庫を睨みつけた後、へと視線を向ける。

「それは、『月華』としての命令ですか!?」

「・・・そんなつもりは」

強い口調でそう問いかけると、は戸惑ったように視線を逸らし口ごもる。

その様子を見ていた茶生は、更に怒りを爆発させた。

「どうして『月華』として私たちに命令しないの!?あなたにはそれだけの力があるんでしょう!?」

「だけど、私は・・・」

怒りも露わに怒鳴りつける茶生に対し、は気まずげに視線を逸らす。

そんなの態度が、茶生にとっては一番腹が立つのだ。―――その、嫌々『月華』という地位に就いたのだという態度が。

「いつまでそうやって逃げ続けるつもり!?私言ったわよね?やる気がないなら『月華』なんてやめてって!あなたがそんなのでどうするの!?誰が一清様を守るっていうの!?」

「茶生、それはまた今度・・・」

「お兄ちゃんは黙ってて!この人は一度ちゃんと言わないと解らないんだから!」

宥める兄を一喝して、茶生はこれ以上ないほどきつくを睨みつける。

が『月華』という地位を望んでいなかったのだろうという事は、茶生にも解っていた。

元々それほど親しかったわけではないけれど、これまで顔を合わせた事は多少なりともある。―――そんな中で、彼女から発せられる僅かな雰囲気で、きっとそうなのだろうという事は簡単に想像がついた。

けれど、だからといって今の彼女の在り方はどうなのだろうか。

たとえそれを望まなかったとしても、その地位に就いたのは彼女自身の意思なのだ。

そこに辿り着くまでにどんな過程があったのかは、関わっていなかった茶生には解らない。

それでも一度それを引き受けたのなら、その任を全うするのはの義務だ。

そうでなければ、その座をずっと目指してきた自分があまりにも滑稽すぎる。

それなのに、そんな態度を見せるに、一清も藤野も何も言わない。

だからこそはいつまで経ってもこのままなのだ。―――そんな怒りを乗せて、茶生は更に口を開く。

「いつまでも甘えてないで!あなたがどう思おうと、周囲がどう思おうと、家の『月華』はあなたなの!そんなんじゃ、彰さまだって・・・!」

「おい、ちょっと待てよ。家についてはよく知らないが、それは言いすぎなんじゃ・・・」

しかしそんな茶生の怒鳴り声を遮ったのは、この部屋に入ってからずっと無言を貫いていた滝川だった。

あまり他人のお家騒動に口を突っ込むのは褒められた事ではないと思っていたからこそ口を噤んでいたが、流石に黙っていられなかったようだ。

そこにどんな事情があるのかは解らなくとも、彼女の発言は明らかに行き過ぎている。―――どんな事情があろうとも、そんな風に人を責めていいはずがない。

「ぼーさん!いいから!!」

しかし慌てて振り返りそう告げるを見返して、滝川は焦れたように眉を寄せる。

何故、彼女はこの期に及んで無言を貫いているのだろう。―――こんな酷い侮辱とも取れる発言を、どうして黙って受け続けているのか・・・それが滝川には解らなかった。

「良くないだろ!?お前も何で言われっぱなしで黙ってるんだよ!!」

「ぼーさん!!」

一際強いの声に、頭に血が上っていた滝川はハッと我に返った。

周囲を見回せば、全員が気まずそうにその場に立っている。―――それは、最初にこの話し合いに火をつけた茶生でさえも・・・。

そうしてしばらくは呼吸の音しか聞こえなかった室内に、一際大きなため息が零れた。

「・・・ごめんなさい。私・・・言い過ぎた」

先ほどの剣幕からは考えられないほどしおらしく、茶生が謝罪を口にする。

茶生にも解っていたのだ。―――自分の言葉がどれほど酷いものだったかを。

それでも目の前で何も言わずにただ自分の言葉を聞いているを見て、カッと頭に血が上った。

それを冷ましてくれたのが、滝川の怒声だったのだ。

本来はから発せられるはずの怒りの声。―――代わりに告げた滝川に、茶生は漸く我に返る事が出来た。

「・・・茶生」

「ごめん。私ってカッとしやすいから・・・。直さなくちゃって思ってるんだけど・・・」

気遣わしげに自分の名を呼ぶ兵庫から視線を逸らして、僅かに俯きながらそう呟く。

解ってはいても、なかなかそう簡単に直せるものではないようだけれど。

そうしてもう一度深呼吸をしてから、茶生は再びまっすぐにへと視線を向ける。

しかしその瞳には、もう怒りの色はない。―――すっかり落ち着いた茶生の様子に、兵庫は人知れずホッと安堵の息を吐いた。

自分の妹がカッとしやすい性質だと言う事も理解している。

そのせいで、いらぬ喧嘩を売ってしまう事も。

そしてすべての叱責をその身に受けるの態度が、更に彼女の怒りを煽っているのだという事も。

それでも一度は吐き出したそれに、少し心が落ち着いたのだろう。―――茶生はに視線を向けたまま、先ほどとは違う冷静な声色で口を開いた。

「今回はあなたの言う通り、私たちも撤退します。正直、この家に住む霊を相手に出来る自信はないし・・・」

この家に来てから、それはずっと思っていた事だった。

次々と行方不明になる人々。

壁一面に書かれた血文字。

言葉にこそ出さなかったが、それほど強力な力を持つ霊を自分1人でどうにか出来るとはとても思えなかった。―――そしてそんな霊が、霊媒である兄の言葉に耳を貸すとも思えない。

だからこれは、仕方のない結末なのだと。

「・・・ありがとう」

「でも、忘れないで。私がさっき言った言葉は、全部本心だから」

茶生の言葉にホッと安堵の息を吐き出したを見やって、これだけはしっかりと告げておかなければならないと茶生は改めて口を開いた。

それに思わず口を噤むを見据えて、薄く目を細める。

を応援するだとか、そんなつもりはない。

今でも、『月華』という地位を譲れるものならば譲って欲しいと思っている。

それでも、それが簡単に成るものでないという事も解っていたから・・・―――ならばせめて、には自分が納得する形であってほしいと思う。

それが、ずっと目指してきた目標を自分から奪って行ったの義務だと。

「逃げ続けるべきじゃないのよ、あなたは。いつまでも逃げ続けられるわけじゃない。そうじゃないと・・・」

まっすぐにを見据えていた茶生は言葉を切って俯くと、ギュッと拳を握り締めた。

そうして一拍の後、すっと顔を上げると毅然と言い放った。

「帰ります。あなたも、早く戻った方がいいんじゃないの?」

「・・・そう、だね。うん、じゃ・・・気をつけて」

ぎこちなく微笑みながらそう告げると、は今もまだ憮然とした表情を浮かべている滝川の腕を引いて部屋を出て行った。

途端に静まり返る部屋。

そうして2人の足音が聞こえなくなったのを確認して、茶生は疲れたように椅子に座り込んだ。

「・・・ずいぶんと激しい説教だったな」

「だって・・・しょうがないじゃない。腹が立ったんだから」

そんな子供のような言い訳をする妹を見下ろして、兵庫は小さく笑みを浮かべる。

いつも感情に任せて怒りを露わにしては後悔しているこの妹は、いつになったらそれを学んでくれるのだろうか。

「だけど・・・ちゃん、ちょっと変わったと思わないか?」

「・・・どこが?」

笑みを浮かべながら問いかける兄に対して不機嫌そうに答える茶生を見下ろしながら、兵庫は考える。―――『どこが・・』と、具体的に答えられるわけではないのだけれど。

「少なくとも、彼女は以前よりも前を向いているような気がする。そうじゃなきゃ・・・渋々とはいえ、わざわざ俺たちの部屋になんて来ないはずだろうからね」

今までのだったならば、大橋にでも言伝を頼んでいたに違いない。

しかしは自ら足を運んだ。―――それは些細な変化ではあるが、兵庫にとっては大きな一歩にも思えた。

兄の言葉にどことなく納得してみせる茶生に、兵庫は更に笑みを深めて・・・。

きっとにそんな変化を与えたのは、SPRの面々なのだろう。

そう思うと、少し悔しくはあったけれど・・・。

先ほどまで自分の前に立っていた仏頂面の男が自分に向けた探るような眼差しを思い出して、兵庫は堪えきれないとばかりに噴出した。

 

 

兄妹の部屋を出たと滝川は、お互い口を開く事無くベースに向けて足を進める。

そんな中、沈黙を破ったのは気まずげな視線を向けたの方だった。

「ぼーさん、ごめんね。なんか変なところ見せちゃって・・・」

「・・・いや」

困ったような笑みを浮かべてそう告げるに、滝川はどう答えていいのか解らず曖昧に言葉を濁した。

確かに衝撃的といえば衝撃的な場面だったとそう思う。

と彼ら・・・というよりもむしろ妹の方だろうが、まさかあれほどまでに風当たりが強いとは思っていなかった。―――その原因が『月華』という地位にある事は確かだろうが、果たしてそれだけなのだろうかという疑問も抱く。

たったそれだけで、あれほどの敵意を向けられるものなのだろうか?

勿論滝川は家の事など知らないため、それに答えを出す事は出来なかったが。

それでも、どうしてが1人であの兄妹のところへ行こうとしたのかだけは解った。

確かに、麻衣や綾子にはあんな場面を見せたくはないだろう。

2人ならばすぐさま激昂しそうだ。―――思わず口を挟んだ自分が言えた義理ではないが。

そんな事を頭の片隅で考えながら、滝川はチラリとを見やる。

今のは、兄妹の部屋に向かう時と比べてずいぶんとすっきりとした顔をしている。

それは自らの役目を終えたからなのか、それとも茶生との話し合いで何かが吹っ切れたのかは定かではないが・・・。

それでも、滝川にはどうしても聞きたい事があった。

「どうして言い返さなかったんだ?俺は家の内部事情なんて知らんが、いくらなんでもあの子の言葉は・・・」

「ううん、あの子は悪くないの」

滝川の問いを遮って、はフルフルと首を振りながらそう答える。

しかし、それだけで納得できるほど滝川の疑問は小さくない。―――なんでもない風を装うを見据えて、滝川は更に言葉を続けた。

「でも、お前だって悪くないだろ?」

「うん、私も悪くない。・・・多分」

即座に返ってきた言葉に、滝川は目を丸くした後思わず噴出した。―――多分ってなんだよ、多分って・・・と独りごちて、同じように小さく笑うを見下ろす。

「私も悪くないし、彼女だって悪くないの。ただ・・・目の前の現実に、心が付いて行かないだけ。それだけ、なの。だから、あんまり彼女を責めないで。―――私は大丈夫だから」

それに滝川にはああ言ったが、自分にだってまったく非がないわけでもないのだ。

茶生の言う通り、自分は逃げ続けている。―――直視したくない、自分の現実から。

それが彼女を苛立たせる原因だとは解っていても、実行する事が出来ずにいる。

まだ、それほどの覚悟がないのだ。―――そして、その勇気も。

そう言って綺麗に笑うを見つめ返して・・・―――滝川は、ふと脳裏に浮かんだ疑問をそのまま言葉に乗せた。

「・・・なぁ、あの子が言ってた『彰さま』って誰だ?」

の口からは聞いた事がない名前。

が自分から話してくれるまで待つと言ったというのに、こんな質問は反則だろうか?

それでも疑問と・・・そして微かな違和感を覚えたのだ。

その名前が出た時のの反応は、普通ではなかったように思えたから。

しかしすぐさま、滝川はしまったとばかりに眉を寄せる。

これではまた、同じ事の繰り返しだ。

あの強い『拒否』の篭った笑顔は、もう二度と見たくはないと思っていたのに・・・。

「・・・ぼーさん」

しかしの口から出た声色は、酷く和らいだものだった。

視線を戻すと、が真剣な眼差しでじっと自分を見上げている。

その常にない彼女の様子に、滝川は思わず息を飲んだ。

「ぼーさん、あのね。あの・・・彰さんっていうのは・・・」

言いかけたは、唐突に走った悪寒に思わず口を噤んだ。

どうしたのかと訝しげな表情を浮かべる滝川の腕に縋るように手を伸ばして、顔色悪くゆっくりと辺りを見回す。

「・・・どうした?」

「いま、なにか・・・」

顔色を悪くしながらそう答えるの様子に、滝川もまた表情を強張らせた。

彼女の様子は普通ではない。

滝川は、のこんな様子を知っている。

それは、いつも・・・。

「ぼーさん!!」

不意に脳裏を過ぎった考えを吹き飛ばすような麻衣の声が、唐突にその場に響いた。

何事かと視界を巡らせれば、血相を変えた麻衣と綾子がこちらに向かい駆けてくる。

それに更に嫌な予感が募るも、滝川が口を開く前に、顔色を悪くした麻衣が泣きそうな面持ちで叫び声をあげた。

「真砂子が・・・真砂子がっ!!」

その先を聞きたくない。

そんな思いを胸に、は滝川の腕を掴む手に力を込める。

けれど、解ってしまった。

先ほど感じた嫌な気配。

普通ではない麻衣と綾子の様子と、そして・・・―――この場に、もう1人の少女の姿がない事。

それらが導き出す、答えは・・・。

「真砂子がいなくなったのっ!!」

悲痛な麻衣の声が響き渡る。

そうして終わったと思っていたはずの事件は、更に最悪な展開を迎えた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

やっぱり麻衣と真砂子の会話は飛ばせないでしょう、とか。

家のお家騒動もそれなりに決着をつけなくては・・・と思ったのですが、なんとなく中途半端に終わってしまいました。

最初の方でお約束した、主人公の謎を明かそう!という部分は、次回に続くという事で。(おい)

いえ、流石にこれ以上は長引かせられませんから。(笑)

作成日 2008.1.22

更新日 2008.12.1

 

戻る