それは予定外の出来事であり、また予測範囲内の出来事でもある。

「一清さま、お電話が入っております」

その言葉と共に藤野から手渡された電話を耳元へと運ぶと、そこから聞こえて来たのは聞き覚えのない人物の声だった。

『初めまして』

温度を感じさせない声で告げられた挨拶の言葉に、一清は訝しげに眉を寄せる。

「まさかそちらからお電話があるとは思いもしませんでしたよ。―――それで?私に何か御用でも?」

『ええ。折り入ってお願いしたい事がありまして』

感情を読ませない声だった。

お願いと口にしているにしては、下手に出るような態度でもない。

しかしそれこそが、一清に好意を抱かせた。

淡々とした口調で用件を述べるその声の主に、一言も口を挟まず黙して話を聞いていた一清は、その人物が話し終えるのを待って。

当然のように訪れた沈黙を楽しむように目を細めた彼は、微かなため息混じりに呟いた。

「構いませんよ」

たった一言、言葉少ないその言葉に、ほんの僅かに口角を上げて。

 

の始まり

 

「あ〜、暑い〜」

じりじりと照りつける攻撃的な太陽の光。

文明の利器から放出される熱気とアスファルト、そして車の排気ガスのせいで更に不快指数を上昇させる熱い空気。

BGMには、短い生をこれでもかというほど懸命に生きる蝉たちの声。

まるで絵に描いたような夏の風景である。

こんな夏の日には海へ山へと出かけ、ここぞとばかりに日頃溜まったストレスを発散させるべく遊ぶのが一番だというのに・・・。

ちなみには海にも山にも興味はない。―――彼女の立場上、嫌な記憶しかないからだ。

「あ〜、たまらなく暑い〜」

「ほんと。ちゃんと日焼け止め効いてると良いけど・・・」

「アイス食べたい〜」

「だから嫌なのよ、こんな真昼間に出歩くの」

「お前ら、さっきから煩いぞ〜・・・」

一歩歩くたびに2人の口から零れる文句に、滝川は呆れたようにため息を吐く。

しかしそんなぼやきが通じるほど、夏の炎天下は生易しいものではない。―――少なくともこの女性2人にとっては。

では何故この3人が、夏の一番クソ暑い時間に外にいるのかというと・・・。

数ヶ月前、と滝川と綾子は忘れられない出会いを果たした。

それはこの3人に限った事ではなく、今ここにはいない残りの5人も同様だったけれど。

その縁があってか、滝川と綾子はそちら方面の仕事の助っ人を頼まれる事がある。

たとえその相手が『頼んでいる』とは到底思えない言動をしていても、少なくとも現状はそうであるはずだ。―――ただ単に労働者の必要性を感じて、おそらくは足手まといにならないだろう者に声をかけているのではないかと、彼ら本人が感じていたとしても。

最初、その話を滝川から聞いたは笑った。

大変そうだ、頑張れと、完全に他人事の誠意のない応援を送った。

勿論その時のは、そのとばっちりが自分に向かうなど想像もしていなかったのだ。

ただ少し退屈で、けれど楽しい夏休みを過ごせると信じていた。

夏休みに入って数日後の朝食の席で、夏バテとは無縁のが朝から元気に食事をとっていたその時、彼女の上司である一清から命令が下るまでは。

家の当主である一清は、普段からのんびりしてそうに見えるが、こう見えてそれなりに忙しい。

が目にするのはのんびりと茶を啜っている姿が多いが、きっと忙しい筈だ。

勿論連絡を取りたいからといって、そう簡単に取り次いでもらえるわけもない。

それだというのに、ナルがどうやって一清への電話を藤野に取り次いでもらったのかはには解らない。

想像できないわけではないが、おそらくは想像とは違う方法だったのだろうとも思う。

そして意外にも・・・これは本当に意外だけれど、を世間の目から隠すべく気を回してくれている一清を、どうやって納得させたのかも解らない。

それでも判明している事は2つ。

ナルがを助っ人として要請した事と、一清がそれを承諾したという事である。

ちなみに、何故ナルがわざわざ難関であるを助っ人要請したのかも解らない。

解らない事だらけのが理解したのは、それを退けられないという事だけだ。

そしてこの時、現実とは常に無情なものであると、は思い知らされたのである。

どうして学生の自分が仕事をしなければならないのだ。

学生の本分は勉学のはず。

何が楽しくて、夏休みにもなって定番の霊体験を自ら進んで体験しに行かなくてはならないのだ。

そう密かに思っていたとしても、寧ろ声を大に叫んだとしても、結果が変わる事はないと不本意ながら知っているは、つい先日他人事とばかりに笑った彼女が同じ道を辿る事を知った滝川の待ち合わせを告げる連絡に、大人しく口を噤んでいた。

人間、諦めが肝心だ。

せめて夏休み中でよかったではないか。

学校を休んで授業の遅れを気にする必要はないのだと、無慈悲な現実を前には自分を慰めた。

もちろん、それが功を奏したかどうかは定かではないが・・・。

「それで?今回は一体どんな事件なの?」

じりじりと照りつける太陽の下、木陰を選びながら目的の場所へと向かっていた綾子は、不意に滝川へとそう問い掛けた。―――どうやら何かを話して気を紛らわせたいらしい。

「・・・ナルから聞いてないのか?」

「どうせ行けば解る事でしょ?聞くだけ時間の無駄よ」

「・・・ふ〜ん」

「なるほど。そうやってナルにやり込められたんだ、綾子」

「・・・煩いわね」

どうやら図星だったらしい。

見るからに機嫌を損ねたらしい綾子に視線を向けた滝川とは、お互い顔を見合わせて小さく笑った。

「あ〜・・・俺もさわりくらいしか聞いてないんだが・・・。新しく買った家に越してきてからというもの、変な現象に悩まされてるらしい」

「ま、定番と言えば定番だね」

滝川のあやふやな説明に肩を竦めたは、無言で促され言葉を次ぐように口を開く。

「えぇっと、なんでも閉めたはずのドアが勝手に開いてたり、壁を叩く音が聞こえたり、急に家具がガタガタ揺れたりするらしいよ」

「ま、定番と言えば定番だな」

「だね。定番だね」

の説明に肩を竦めて相槌を打つ滝川に対し、もまた同じように肩を竦める。

話の内容とは反対に、この2人の間には緊張感というモノが欠如していた。―――勿論それを暑さにバテ気味の綾子が咎める事はなかったが。

「・・・で、あいつらは?」

「ああ、もう向こうに着いてるんじゃない?先に行ってベースの設置してるって麻衣が言ってたし・・・」

「ふん。どうせ地霊かなんかでしょ。このあたしがさっさと祓ってやるわよ」

「ホントに大丈夫なの〜?な〜んか心配だなぁ・・・」

「失礼な子ね、あんた」

澄み切った空を見上げてため息混じりに呟いたを半目で睨みつけ、綾子はすぐ傍にあるの頭を軽く小突く。

それにわざとらしく痛そうに顔を顰めたは、暑さでダルイ身体を何とか動かし、ゆらゆらと揺れる空気の向こうに立つ大きな一軒家を見詰めた。

「あそこが今回の仕事場?」

「ああ、そうそう。ここが今回の仕事場」

「へぇ〜、幽霊屋敷にしちゃ立派なもんじゃない」

門の前に立ち、小綺麗な洋風の屋敷を見上げて、3人はそれぞれ呑気な感想を述べる。

この屋敷で悲しく恐ろしい出来事が待っているなど、知る由もなく。

 

 

「はい、どちらさまですか?」

「どうも、初めまして。SPR関係者ですが・・・」

チャイムを押して出て来たのは、まだ若い女性だった。

美人で優しそうなその女性は柔らかく微笑み、お話は伺っていますと友好的な態度で3人を家の中へと通す。

霊能者という胡散臭い職業についている故に、滅多に向けられないその柔らかな態度を前に少しこそばゆく思いながらも、3人は案内されるままに屋敷へと足を踏み入れた。

女性の名前は森下典子。

彼女が今回の事件の依頼人であり、この家には現在兄の嫁である義姉の香奈と姪の礼美の3人で暮らしているのだという。

「皆さんはあちらの部屋を使っておられます。なんだかすごい機材を運び込まれていて」

「ああ、そうなんですよ。びっくりしたでしょう?」

「ええ、まぁ。なんだか想像していたのと違って」

クスクスと笑みを零しながらそう話す典子に向かい、滝川もいつもよりも数倍にこやかに明るい声で受け答えする。―――やはり美人が相手だとテンションも上がるらしい。

それを見ていた綾子が、面白くなさそうに僅かに表情を歪めた。

別に滝川に対してどうこうなどという感情を抱いているわけではないが、あまりにも自分に対する態度と違いすぎる為、高いプライドを持つ彼女としては面白くない。

それに前回の事件の後、あれほどの事を気にしていたというのに、そのの前でこうもデレデレするとは・・・。

「これだから男って・・・!!、あんたも男は慎重に選びなさいよ。変な男に引っかかって泣くのは・・・?」

一応、前を歩く典子には聞こえないよう声を抑えて。

しかし滝川には確実に聞こえるようにそう声をかけるが、その相手からはなんの反応も返って来ない。

もしかして滝川のこの姿を見てショックでも受けてるのだろうかと振り返れば、当のはぼんやりと宙を見詰めたまま自分の後ろを付いて来ている。

そういえば先ほどまでは煩いくらい喋っていたというのに、屋敷に入ってからは嘘のように大人しくなっている事に気付いて、綾子は訝しげに眉を寄せた。

「ちょっと、?聞いてんの・・・!?」

「・・・え、どうしたの?」

思わず手を伸ばして肩を揺さぶれば、漸く綾子の呼びかけに気付いたのか、は焦点を綾子に合わせて不思議そうに首を傾げる。

「あんたねぇ・・・。どうしたのはこっちの台詞よ。何よ、急に大人しくなっちゃって」

「そういう綾子は元気だよねぇ・・・。私はダメだ。炎天下を歩いて来ただけでもう身体がダルくって・・・」

目を細めて天井を仰ぐのその言葉に、綾子は呆れた視線を惜しみなく注いだ。

「あんたまだ学生でしょうが。そんなに体力なくてどうすんのよ」

「ん〜・・・いつもはそんな事ないんだけど・・・。昨日遅くまで起きてたのが原因かな」

「遅くまで起きて何してたのよ?」

「夏休みの課題。どうせしばらくは手つけられそうにないし」

綾子の素朴な疑問に、恨めしげに天井を睨み上げたはボソリと呟く。

の通う学校は進学校であるが故に、夏休みの課題の量も尋常ではないのだ。

それに加えて夏休み明けには実力テストが待っている。―――いくら休みが続くとはいえ、成績を落とすわけにはいかないは勉学を怠るわけにはいかないのだ。

勿論夏休みを勉強漬けで終わらせるつもりは毛頭ないが、だからといって霊能者として仕事をしたいわけでもない。

この仕事さえなければ、友達と夏休みを満喫していたかもしれないというのにと思うと、月華という立場にいる自分を恨めしく思わずにはいられない。―――たとえ家ナンバー2の地位にいるといっても、それは結局一清の決定には逆らえないという事なのだから。

「あー・・・すいませんねぇ。こいつら、こんなんで」

「いいえ。皆さんに居ていただいて、なんだか家の中が明るくなったような気がします」

後ろでごちゃごちゃと言い合う綾子との会話を聞きながら頬を引き攣らせて愛想笑いをした滝川に、典子は気にする必要はないと言って楽しそうに笑った。

いくら気を張っていたとはいえ、自分の家で不可解な恐ろしい出来事が立て続けに起こっているのだ。―――弱音を吐かなくとも、辛くなかったはずはない。

不謹慎でもこんな会話がこの家の住人の気持ちを軽くしているのなら、それはまったくの無駄ではないのかもしれないと滝川は思った。

「皆さんはこちらの部屋で調査なさっています。それでは私はここで・・・」

「ああ、どうもありがとうございました」

軽く会釈をして笑顔で去って行く典子を見送り、滝川は今もまだ『寝不足は美容の大敵なんだから』とか『勉強が出来なくたって死にはしないわよ』などと言っている綾子と、そんな綾子の言葉の半分も聞いていないようなを振り返って小さくため息を吐く。

「おら、ここだってよ」

そう言ってノックもなしに扉を開けると、そこには旧校舎で見た数々の機材やモニターが設置された棚と、その前で状況をチェックするナルと前回は怪我の為にほとんど顔を合わせなかった助手のリン、そしてバイトとして正式に雇われた麻衣の姿があった。

「モニターの接続に異常はありません」

機材を調整しているリンが背後に立つナルへとそう報告する。―――どうやら彼らは滝川達の到着に気付いていないらしい。

「・・・ポルターガイストじゃないのかなぁ・・・典子さんの話だと」

そんな2人から少し離れた所で同じくモニターを見ていた麻衣が、口元に手を当て考えるポーズをしながらそう独りごちる。

それを認めて、滝川はニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「おっ!いっちょ前の口聞くようになったなぁ、バイトちゃん」

「ぼーさんっ!!」

突然割って入ってきた声に驚いて振り返った麻衣は、部屋の入り口に立つ3人の姿を認めてムッとしたように声を上げた。

「ゴーストハントだっけ?相変わらず大袈裟ねぇ、この機材の山」

その後ろからとうとうへの説教を諦めた綾子が、気を取り直した様子で声を掛ける。

そうしてずかずかと遠慮もなく部屋に足を踏み入れた綾子は、椅子に腰を下ろして悠然と笑った。

「どうせ地霊かなにかの仕業よ」

どんな根拠があるのかはさておき、キッパリとそう言いきった綾子に対して、麻衣はチチチと指を振って。

「あたしは人間の仕業だと思うなぁ」

「あ〜ら、言うじゃない」

心持ち僅かに頬を引き攣らせた綾子に「まぁ、聞いてよ」と口角を上げた麻衣は、人差し指をビシッと立てて目を輝かせながら話し出した。

「ポルターガイストって半分は人間が犯人である場合でしょ?それもストレスの溜まった女性である事が多い。この家でその可能性のある女性・・・それは義理の姉と折り合いの悪い妹・・・つまり」

「典子さんかぁ!?」

「な〜るほど。香奈さんって結構きつそうだもんねぇ」

麻衣の推理に滝川が驚きの声を上げ、綾子が納得したように手を打つ。

そんな2人を見て得意げににっこりと笑った麻衣は、しかしそれをぶち壊すように入った冷たい物言いに思わず頬を引き攣らせた。

「素人の浅知恵だな」

「な、なにおぅ!?」

勢い良く振り返れば、そこにはこちらに視線を向けることもなくモニターを見つめたままのナルの姿。

「ポルターガイストの犯人である事が多いのは、ローティーン・・・つまり思春期の子供だ。典子さんは20歳。思春期というには成長しすぎている感じだな」

「うっ!」

「確かに霊感の強い女性の場合もあるが・・・それについては今夜にでも実験してみる」

そうして最後まで視線を向ける事無く話を終えたナルをこれ以上ないほど睨みつけた麻衣は、浅知恵で悪かったな!と心の中だけで悪態をつき、そうしてどうしてこんなにも冷たい奴を好きになんて・・・と浮かんだ考えに顔を赤くしたり引き攣らせたりしながら、最後には疲れたようにがっくりと肩を落とす。

「あたし、ちょっと典子さんたちの様子見てくる」

ごちゃごちゃになった頭を冷やす為にと、麻衣はそう言ってベースを出て行った。

「あ〜らら。ちょっと言い方きつかったんじゃないの、ナルちゃん」

「・・・・・・」

肩を落としたまま出て行った麻衣を見ていた滝川が、からかうようにナルへと声を掛ける。

しかしナルはそれに答える事もなく、モニターに視線を注いでいた。

そんなナルに対してそれ以上何かを言う事もせずにため息混じりに肩を竦めて、滝川もまたその辺にあった椅子に腰を下ろして小さく欠伸をかみ殺す。―――そうして今になって初めて、屋敷に入ってからほとんどの声を聞いていない事に気付いて、滝川は訝しげに視線を向けた。

いつもならば麻衣と綾子の言い合いに他愛無い茶々を入れてくるだろうにと思いながらを見ると、当の本人は床に直接腰を下ろしたままぼんやりと天井を見詰めている。

「どうした、?お前・・・なんか顔色悪くないか?」

その様子のおかしさに思わず席を立っての傍らにしゃがみこむと、その顔色の悪さははっきりと見て取れた。

「あー・・・なんかこの部屋空気悪くない?ちょっと・・・窓開けて」

それでも大丈夫だと示すようにヒラヒラと手を振って微かに笑顔すら見せるに、滝川はその要望に応じるように部屋の窓を開けた。

外からは太陽の熱を含んだ風が微かに舞い込んでくる。―――その暑さに僅かに顔を顰めるも視線を改めてへと戻せば、その顔色は先ほどよりも少しましになっているように見えた。

「暑気当たりか・・・?」

「う・・・ん」

「なんだよ、その曖昧な返事は・・・」

床に座り込んだままのは、多少顔色が良くなったとはいえ未だ何か様子が可笑しい。

訝しげに更に眉を寄せる滝川の視線から逃れるように視界を巡らせれば、モニターを見ていたはずのナルとバッチリと目が合ってしまい、は困ったように顔を俯けた。

「・・・どうした、

言葉少なに呼びかけられて、は渋々顔を上げた。―――ナルの声にはどこか抗いがたい響きがあるような気がしてならない。

それは彼女の上司ととてもよく似ていたけれど、たとえ何度それを体験し慣れたとしても無視する事は出来ないだろうとは思う。

世の中には、声だけで人を操れる人間もいるのだ。

問い掛けるような・・・促すようなその眼差しを見返して、は短く息を吐き出して気持ちを落ち着けてから、躊躇いがちに口を開いた。

「えっと・・・気のせいかもしれないんだけど」

「ああ」

「なんだかちょっと・・・息苦しい気がして」

話しつつ、は空気を取り込もうとするように大きく息を吸い込む。

しかしなんだか気道が狭まってしまったように、空気が取り込みづらい。

「・・・いつから?」

静かな声で問い掛けられ、はウロウロと宙を彷徨わせながら、自分に集まっている視線を感じて居心地の悪さに体勢を整えた。

「・・・この家に来て・・・から」

「・・・他には?」

「え〜・・・他、には・・・」

なんだか纏まらない思考をフル回転させながら、は思いつく限りの事を話した。

たとえば、暑いのに悪寒が走ったりだとか。

たとえば、時々家のあちこちが歪んで見えたりだとか。

風邪でもひいたのかもしれないし、ただの目の錯覚なのかもしれない。

今のは霊の姿が見えないようにしっかりと防御している状態なので、はっきりとした事は言えない。

けれどそれらすべてが、単なる気のせいではないのかもしれないという可能性を持っている事を、本人の意思とは関係なく霊能者として仕事を重ねているは知っている。

ならばさっさとピアスなりブレスレットなりを取って見てみれば早い話なのだが、今の状態でそれをする気力はにはなかった。

この間の旧校舎の時とは違うのだ。

あの時のように、まったく霊の存在を示す何かがないわけではない。

今のが感じている全てがこの家にいる霊の影響なのだとすれば、それは完全防御しているにすら感じられるほど強いという事だ。

言葉を変えれば、完全防御状態の今でさえこれほど体調に異常をきたしているのに、もしもそれを解放すればどうなるか・・・。

ゴクリと喉を鳴らして、はナルたちに見えないようにこっそり拳を握り締めた。

怖い、と思う。

そう思う事は恥ずかしい事ではないと思っている。―――・・・思うだけならば。

グッと唇を噛み締めて、は凛と顔を上げて真っ直ぐナルを見返した。

怖いと思う事は恥ずかしい事ではないけれど、だからといってそこから逃げ出すのは恥ずかしい事だとは思う。

だからそれだけは絶対にしたくはなかった。―――それはのプライドが許さない。

状況がはっきりしない場所で不用意に防御を解いてはいけないと、一清と藤野には耳にタコが出来るほど言い聞かされていたけれど、ナルからそれを申し出られれば今のに断る事は出来ない。

はこの家の住人に雇われたのではなく、ナルの依頼によってこの場にいるのだから。

「この家に、霊がいる可能性は高いと思う。―――見てみる?」

挑むような眼差しではナルを見据える。

その視線を受けたナルは真っ直ぐにを見返して・・・しばらく考え込んだ末、ナルは小さなため息と共にモニターへと視線を戻した。

「とりあえず今はいい。今夜の実験の結果次第だ」

しかしナルから返って来たのは、この場にいたリン以外を驚かせるに十分すぎる言葉だった。

無駄を嫌っているだろうナルの発言とは思えない。―――ここでに霊視させれば、もしかすると今夜の実験すら必要ないかもしれないというのに。

「・・・わかった」

それでもナルがそう結論を出したのなら、それに異論はない。

いずれ自分の仕事をしなければならない時が必ず来るのだろうが、それでもそれまでの僅かな猶予が出来たことは正直ありがたかった。

なんとかそれまでに気持ちを整えておかなければと、は大きく息を吸い込む。

心配そうに様子を窺う滝川と綾子に大丈夫だと微笑み返して、は改めて腰を落ち着けると壁に凭れかかった。―――まだ身体は少しだけ重いけれど、この家に来た当初よりは体調も良くなったような気がする。

窓から入ってくる外にいた時は不快感を感じていた筈の熱気が、今はとても心地良く感じられた。

 

 

カチカチと時計の音が部屋の中に木霊する。

正常に動き続ける機材の音を耳にしながら、欠伸をした滝川につられるようにもまた込み上げる欠伸をかみ殺した。

「・・・動きは?」

「ありません」

時々交わされるナルとリンの確認の声。

既にこの家の空気に慣れたのか、あれほど青い顔をしていたの体調もすっかり回復したのか、緊張感のない表情でぼんやりと滝川を見上げる。

「あ〜・・・あれだよね、暇」

「ああ。暇だな〜。テレビでも見れればいいんだけど」

「ぼーさんたち、何しに来てんの?」

不謹慎ながらもダレる滝川とに呆れた眼差しを向けて、麻衣は冷たくそう言い放つ。

確かに今の彼らの態度は褒められたものではないが、こういった事は相手の出方次第なところが大きいのだ。―――手当たり次第除霊して、この家に住んでいるかもしれない霊を活発化させる危険性を犯す事を、あのナルが許す筈がない。

ともかく今夜は、ナルが行った実験がどう動くか確認するのが最優先だ。

それが外れて、初めて霊がいるものとして動き始める。―――おそらくはナルの中では既にその段取りが立てられているのだろう。

超絶自信家であるナルの意外と慎重なその行動は、多少もどかしい気もするが自身をも守る為には不可欠だと言える。

事態がどう動くかは定かでないが、今日はゆっくりとできるかもしれない・・・―――そう考えてがもう一度欠伸を漏らしたその時、事態は急変する。

突如バタバタと廊下を駆ける足音が響き、一体何事かと全員が顔を上げたその直後、ノックもなく部屋のドアが開け放たれた。

そこには恐怖に顔を引き攣らせた香奈の姿。

「ちょっと来て!!」

「どうしました?」

「いいから、早くっ!!」

要領を得ない会話ではあったものの、パニックに陥っている香奈に追い立てられるようにして、面々は首を傾げながらも先導されるままに部屋を出る。

そうして一同は、何故彼女がこれほど気を動転させているのかをすぐさま理解した。

「・・・うわっ」

連れてこられた礼美の部屋を覗き込んだは、思わず声を漏らす。

「礼美ちゃんを寝かしつけようと思って部屋に来てみたらこうよ!」

脳天に突き刺さるような高い声でそう叫んだ香奈に構わず、は呆然と部屋の中の光景を見詰めた。

「どうなってるの!?こういう事が収まるように来てくれたんでしょ!?」

「・・・すご、全部ナナメになってる」

言葉通り、室内はとんでもない事になっていた。

ベットも、タンスも、カーペットでさえも、礼美の部屋にあるもの全てがナナメをむいて設置されていた。

はこの家に来てこの子供部屋に来た事がないので解らないが、おそらく普段からこんな奇抜な家具の設置などされている訳ではないのだろう。―――そうでなければ、香奈がベースに駆け込んでくるはずがない。

「その子がやったんじゃないでしょうね」

「できるわけないでしょ!?」

同じく室内を見回していた綾子が小さく漏らした言葉に、即座に麻衣が反応する。

噛み付くような麻衣の様子にほんの少し怯んだ綾子に追い討ちをかけるように、滝川がしゃがみこんで床に敷かれているカーペットをペラリと捲った。

「だな。上に家具が乗ったままだし、俺でも無理だ。それともお前出来んのか?」

「うっ・・・!!」

平然とした滝川の言葉に言葉を詰まらせた綾子は、羞恥に顔を赤らめながらプイとそっぽを向く。―――ちょっと言ってみただけだというのに、ここまで整然と告げられては反論のしようもない。

「とりあえず部屋を調べてみたいのですが・・・」

「どうぞ!私たちは下にいますから!さ、礼美ちゃん」

どうやら香奈は怒りの矛先を、姿の見えない霊ではなくナルたちへと向けたらしい。

憤然とした様子で部屋を出て行こうとする香奈に手を引っ張られた礼美は、きょとんとした顔を不安げなそれへと変えて、目を潤ませながら小さく言った。

「・・・礼美じゃないよ」

「うん、違うもんね」

縋るように言い募る礼美ににっこりと笑いかけて、麻衣は安心させるように同じ言葉を繰り返した。―――そうして不用意な発言をした綾子をチラリと睨みつけて、改めて室内に視線を向ける。

「・・・これってやっぱり霊の仕業・・・なんだよね」

「あたしに聞かないでよ」

憮然とした様子の綾子へ声をかけたは、素っ気無く返された言葉に小さくため息を吐いた。

この事態が人間技ではない事は解る。

この間のように地盤沈下などという事もありえない。―――自然現象で、こうもすべてのものが見事にナナメを向いて設置されるわけなどないのだから。

はっきりとした意思を持って動かされたこの家具からは、ただの悪戯以上の何かをに感じさせた。

「どう思う、ナルちゃん」

「こんな事が出来る人間がいたらお目にかかりたいな。―――なんの痕跡もない。人間には無理だな」

滝川の問い掛けに、ナルもまたナナメに動かされたカーペットを捲りながらそう結論を出す。

それに更に綾子が気まずげに表情を引き攣らせ、そうして視線を彷徨わせたその時、空気を裂くような悲鳴が家の中に響き渡った。

ナルと滝川が顔を見合わせて部屋を飛び出す。―――それに続くようにして階段を駆け下りたは、飛び込んだ居間の状態に目を見開いた。

「なに、これ」

あまりの惨状に呆然と立ち尽くしたまま、無意識に呟きが漏れる。

居間にあるすべてのものが逆さまになっていた。

テーブルも、ソファーも、サイドボードも、その上に乗っているテレビでさえも。

「・・・ナル、カーペット・・・・・・」

驚きにか、それとも恐怖にか・・・―――麻衣の微かに震える声が静けさを破った。

「家具が乗ったまま、裏返しになってる」

麻衣の言葉に思わず息を飲み込んで・・・そうして緊張を解すようにゆっくりと息を吐き出しながら、はしゃがみこんでカーペットを捲る。

改めて確かめてみるまでもなく、カーペットもまたなんの痕跡もなく裏返されていた。

「ヤレヤレ、ポルターガイスト決定だな」

「そんなの解りきってるわよ。問題は犯人でしょ?絶対、地霊よ!」

困ったように首の後ろを掻きつつぼやいた滝川に向かい、先ほどの失言を忘れたかのように綾子は胸を張ってそう断言する。

そうして、明日にでも祓ってやると言い放ち、おまけに高笑いをも残して、綾子は明日の為にと身体を休めるために早々に居間を出て行った。

あの自信は一体どこから来るのだろうかと呆れた眼差しで見送って、は改めてボスの意見を仰ぐ為に視線を移す。

同じくナルに視線を戻した滝川は、珍しく考え込んでいる様子のナルを見て訝しげに首を傾げた。

「どした、えらく考え込んで。・・・なんか気になる事でも?」

「・・・反応が早いと思わないか?」

「はー?」

ポツリと漏れたナルの言葉に、滝川と麻衣とは揃って首を傾ける。

そのあまりにも揃った仕草に何かを言うでもなく、ナルは淡々と言葉を続けた。

「心霊現象というのは部外者を嫌う。無関係な人間が入ってくると、一時的にナリをひそめる筈だ」

「・・・そうなの?」

ナルから滝川に視線を移して、麻衣は不思議そうに問い掛ける。

それに頷き返して、滝川は心霊現象に詳しくない麻衣の為に、なるべくわかりやすいようにと説明をしてくれた。

「テレビの心霊特番でもよくあるだろ?有名なオバケ屋敷に取材に行っても、大概は何も起こらないっての」

過去に見た心霊特番の内容を思い出し、コクリと頷く。

普通は反応が弱くなるものなのだ。

すごいラップ音がすると聞いて行ってみても、軋み程度だったりする。

しかしそれが反対に強くなるという事は・・・。

「・・・反発」

ポツリと漏れた低い声に、は困ったように滝川を見上げた。

「ぼーさんもそう思うか?」

「ああ。この家、俺たちが来たのに感づいて腹立ててるな。しかもいきなりあんな大技見せてくれるってこたぁ、ハンパなポルターガイストじゃねぇ」

ゆっくりと家の中を見回しながらそういう滝川の言葉に、ゾクリと背筋に悪寒が走る。

室内の物すべてを逆さまにしてしまえるほどの強い力を持つ霊がこの家にいる。

その事実に、は無意識に左手のブレスレットに手を当てた。

今この場所には一清も藤野もいない。―――自分の身を守れるのは、自分自身とこのブレスレットだけ。

「・・・てこずるかもしれないな」

ナルの淡々とした静かな声が、己の中に沸き上がった恐怖を強めたような気がした。

 

 

そして、翌日。

応接間の実験に使われた花瓶は、ピクリとも動いていなかった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

しょっぱなからえらい長さになりました。(笑)

今回は前の連載の最初に予告(?)した通り、前回出番のなかった彼を中心に絡ませてみたいと思っています。(ぼーさんはどうした)

とりあえず前回ほどは長くならないように簡潔に纏めるのを目標に!

作成日 2006.11.9

更新日 2007.10.16

 

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