握り締めたモップを壁に立てかけ、ぐっと身体を反らして固まった腰を伸ばす。

「はー、これって結構重労働だわ」

半分ほど落書きの消えた壁を眺めて、は疲れの滲んだ声色で呟く。

一体何で書かれているのかは解らないが、壁の落書きはなかなか消えてくれない。

麻衣が礼美と遊んでいる間に消してしまわなければならないというのに、本当に彼女たちが戻ってくる前に終わるのだろうか。―――自分も礼美と遊ぶ方を選択すれば良かったと心の隅で思いつつ、はグルリと視界を巡らせた。

掃除をする前に、先にミニーを燃やしてくると言って庭に出て行った滝川は、残念ながらまだ戻ってこない。

あれから結構な時間が経ったような気がするのだけれど、まだ終わらないのだろうか?

もしかしてサボってるんじゃないだろうな・・・という疑念に襲われ、掃除にも飽きてきていたは、様子を見に行くだけだと誰にともなく言い訳をしつつ庭へと足を向けた。

玄関にあったサンダルを勝手に失敬して庭へと回ると、そこにはどうしてだか身動き1つせず立ち尽くしている滝川の姿がある。

一体どうしたのだろうかと足音を殺して忍び寄ると、小さな滝川の呟きが耳に届いた。

「おいおい、嘘だろ?なんでだよ、箱はきれいに燃えたってのに・・・」

その小さな呟きに、は訝しげに首を傾げる。―――もう燃やし終わったのなら、一体何を・・・?

「なんでお前さんは無事なんだ。―――・・・ミニー」

またもや聞こえた呟きを耳にしながらひょいと滝川の身体の横から覗き込めば、そこにはさっき見た時と違わないミニーと名づけられた人形が、地面に転がったままじっとこちらを見つめていた。

燃やした?燃やしたって何を?だってミニーは五体満足で目の前にいるっていうのに・・・。

「おわっ!お前、何で声掛けねーんだよ!!」

いつの間にか傍らにいたに漸く気付いた滝川が、飛び退る勢いで振り返る。

いつもならば真っ先にからかい倒しそうなは、しかしそれに反応を返す事もなく、盛大に表情を引き攣らせてわざとらしくブルリと身を震わせた。

「・・・怖っ!」

 

助けを求める

 

礼美たち森下家が引っ越してきたのは、今から10ヶ月前の事。

森下家が引っ越してくる前には渡辺という一家が3年間住んでいたが、手放したのは怪奇現象が原因ではなく仕事の都合で。

その前に住んでいたのは野木という家族。―――ここで9歳になる女の子が病死している。

その前は大沼家。

ここでは半年の間に3人の子供が亡くなった。

10歳と8歳と7歳。―――男の子が2人、女の子が1人。

病気や事故など様々だが、それが切欠で大沼家は家を手放したという。

その前には村上家。―――15歳の女の子がいたが、この子は無事。

更に前は谷口家。

この家の10代の子供は全員無事だったが、遊びに来ていた親戚の子供である10歳の男の子が死亡している。

その前の池田家は、別の家に引っ越してすぐに7歳の末っ子が死亡した。

その前がこの家を立てた立花家。―――そこの8歳の女の子が死亡。

「・・・以上だ」

静かに締めくくられたナルの声に、全員が息を呑んでお互いの様子を窺う。

「9歳、10歳、8歳、7歳。それに10歳と7歳と8歳。―――加えて、10代の子供は無事って事は・・・」

壁の落書き掃除で疲れきった身体を椅子に預けていたは、ゆっくりと身を起こした。

「それって・・・8歳前後の子供が危ないって事?」

綾子の言葉に視線を向ければ、ばっちりと合った目は動揺の色を濃くしていて。

「礼美ちゃんって確か・・・」

「8歳・・・だったわよね」

お互い顔を見合わせて、痛ましげに表情を歪める。―――ばっちりと範囲に入ってしまっているではないかと心の中で呟いて、2人は改めてナルへと視線を向けた。

「・・・で、どうすんの?ミニーの行動はどんどんエスカレートしてってるのに、私たちはどうにもこうにも対応出来てないし。―――このままだとマズイんじゃない?」

「このままにしておくつもりはない。ジョンを呼んだ。ひとまずはそれで何とかなるだろう」

頼もしいような頼りないようなナルの言葉に、それでもは納得したように頷く。―――どうせ今の自分は役立たずも同然なのだから、余計な口を挟むのもよろしくないだろう。

それにジョンがミニーについていた霊を落とせば、ナルの言うとおり、とりあえず礼美の身も綺麗になるのだ。

あれほど執念深い霊たちが諦めるとは思えないが、今のままの状態よりはずっといい。

「絶対人形になんかあるんだって!」

話を黙って聞いていた滝川が、力強くナルへと訴えかける。

「前にも経験あんだよ。人形を可愛がってた女の子の霊が、人形を操って家ん中歩き回ったってのが・・・!!」

「人形自体に問題はないだろう。この家の地縛霊がミニーに憑依しているだけだ」

しかしナルは動じた様子なく、冷静に滝川へそう返した。

確かに問題は人形なのではない。

以前滝川が言っていたように、人形は魂の入っていない器。―――何かあるのだとすれば、それはその器の中に宿った別の何かだという事。

ミニーの中に一体どんな霊が宿っているのかは定かではないが・・・。

ぐぐぐと音がしそうなほど睨み合う滝川とナルを傍目に、さてどうやってこの不穏な空気を払拭するかとが頭を悩ませていたその時、なんとも絶妙のタイミングで来訪者を告げるチャイムが鳴り響いた。

家の主たちの代わりに玄関へと出向いた麻衣は、そこに立つ2人の人物に向けてパッと明るい笑顔を浮かべる。

「ジョン!真砂子!!」

オーストラリア人のエクソシスト、ジョン・ブラウンと、霊媒師の原真砂子。

麻衣からの歓迎を受けたジョンは、「ごぶさたしてますー」と彼らしい人の良い笑顔を浮かべて挨拶をした。―――どうやら彼の間違った方言は、今も正された様子はない。

それとは反対に家の中に足を踏み入れた真砂子は着物の裾で口元を隠し、酷く表情を歪めて家の中を見回した。

「なんですの、これは・・・」

「・・・真砂子?」

真砂子の様子のおかしさに、麻衣は訝しげに首を傾げる。

しかしそんな麻衣の様子もそのままに、真砂子は更に表情を歪めて何かに耐えるように身体を強張らせた。

「酷い・・・。こんなに酷い幽霊屋敷を見たのは初めてですわ」

どうしてこんな場所にいて貴女たちは平気なんですの?と問われ、麻衣は笑顔を強張らせた。―――自分には見えないものが、真砂子には見えるのだろう。

そのまま歩くのもままならない真砂子の身体を支えながらベースへと促した麻衣は、だんだんと顔色が悪くなっていく彼女の姿にじわじわとした恐怖を抱いた。

「真砂子、大丈夫?ベースに着いたよ」

少しでも早く休ませてやろうと部屋の中に入ると、麻衣に抱えられるように姿を現した真砂子の姿を見た綾子とが、驚いたように振り返った。

「真砂子?やだ、どうしたのよ」

「顔色悪いよ。大丈夫?ほら、こっち来て座って・・・うわぉ!」

心配そうに問い掛ける綾子とに構わず、真砂子はふらふらとした足取りでベースに入ると、他には目もくれずに同じく振り返ったナルへと倒れこむように身を寄せた。―――あまりの大胆さに綾子は表情を引き攣らせ、は面白いものでも見たかのように控えめに歓声を上げる。

「・・・原さん?」

図らずも受け止める形となったナルは、しかし動揺した様子もなく表情を変えずに真砂子へ呼びかける。

その光景を眺めながらチラリと麻衣へと視線を向けたは、目を見開いて拳を握り締める麻衣を見て嬉しそうに頷いた。―――これが恋する女の子よね、と訳の解らない呟きを零しながら。

ちなみにその光景を見ていた綾子までもが恐ろしい表情を浮かべていた事にも、はちゃんと気付いていたが。

そんな外野はさておき、今もまだ顔色を悪くしたままナルへと縋りついた真砂子は、それでも霊媒師としての責務は忘れていないのか、苦しそうな声色でぽつぽつと話し始めた。

「なんですの、この家・・・。墓場より酷い・・・まるで霊の巣ですわ」

真砂子のそんな言葉に、怒りに燃えていた麻衣が目を丸くする。―――彼女の言葉は麻衣の怒りを消してしまえるほどの威力を持っていたらしい。

「子供の霊がいたるところにいますわ。みんなとても苦しんで・・・お母さんのところに帰りたいと言って泣いています。それに・・・この家、霊を集めていますわ。全部子供の霊です・・・」

静かに・・・おそらくは真実を告げる真砂子の言葉に、部屋の中がシンと静まり返る。

誰もが言葉を発する事を忘れたかのように・・・―――彼女の言葉が真実ならば、事態はとてつもなく危険な方向へと向かっているのだ。

「・・・さん、貴女は何も感じませんの?こんな・・・こんな場所で・・・」

「いや、何も感じないって訳じゃないけど・・・。まぁ、大分慣れた感が・・・」

実際のところ、とてこの場所で何も感じないわけではない。

最初この家に来たばかりの頃は、真砂子ほどではないにしろかなり体調を悪くしていたし、今だって口には出さないが身体が重く感じる。

それでも一度目の霊視を終えた直後ぐらいから、大分体調はマシになっていた。―――その理由までは解らないけれど、自身は自分の身体がここの空気に多少慣れてきたのだと思っている。

自分の順応能力の高さには、無駄に自信があるのだ。

「・・・そう」

「真砂子!!」

そこまで話し終えるとついに限界を向かえたのか、ナルに縋りつく事も出来ずに真砂子の身体がふらりと揺れる。

慌てて駆けつけた麻衣に支えられ、その顔色の悪さに休んだ方がいいと別室に移された。

バタバタと遠くなっていく麻衣と綾子と真砂子の足音を聞きながら、はどうしようかと宙へ視線を投げる。

自分も行った方が良いだろうか?―――しかし麻衣と綾子がついているのならば、自分までが行く必要もないだろう。

体調が悪い時に、あまりたくさんの人に騒がれたくはないはずだ。

そう結論を下して、はベースに入ってから一度も口を開いていないジョンへと視線を移す。

目が合うと、ジョンはにっこりと温かい笑顔を彼女に向けた。

「原さんは麻衣たちに任せよう。それよりも、ジョン。君にはお祓いを頼みたいのだが?」

「はいです。すぐに準備しますよって」

ナルの要請に嫌な顔一つせず、ジョンはすぐさまお祓いの準備に入る。

それをなんとはなしに眺めていると、ふと視線を感じてはゆっくりと顔を上げた。

「・・・どうしたの?」

ばっちりと視線の主・・・ナルと目が合い訝しげに首を傾げると、ナルは何かを考えるように口元へ手を当てじっとを見据える。

何か文句でもあるのだろうかと負けん気を発揮して睨み返すと、ナルは小さく息を吐いて静かに口を開いた。

「子供の霊・・・」

「・・・は?」

「『助けて』、『帰りたい』。子供の泣き声」

「え・・・え?」

「お前の霊視と似たところがあるな」

付け加えられた言葉に、は僅かに頬を引き攣らせる。

もしかして疑ってたんかい!―――仮にも自分から呼んでおいて、しかも霊視までさせておいてそれはないだろうとは心の中で反論したが、しかしナルはそういうつもりではなかったらしい。

またもや考える素振りを見せた後、まっすぐを見据えて呟いた。

「『かえして』というのは、やはり『帰して』という意味だったんだろうか?」

「いや、私に聞かれても・・・」

解っているのなら素直にちゃんと話している。―――別に隠す必要もないのだし。

「だけどナルちゃん。俺個人の感想を言わせてもらうと、そんな感じには見えなかったぜ?まぁ、俺はその言葉を直接聞いたわけでもねぇけど・・・」

滝川の意見に、彼とナルとの視線が自然とリンへと向く。

その視線に気付いたのか、振り返ったリンとばっちり目が合ってしまい、は思わず勢い良く視線を逸らした。

そんな事をすれば『気にしています』と暴露しているようなものだ。―――あの時言った『気にしていない』という発言を思い切り裏切った己の行動に、は自分自身を叱咤する。

「・・・リン」

「私も詳しい事は解りかねますが・・・」

「お前がどう思ったかを言えばいい」

いともあっさりそう切り返され、リンはしばらく考え込んだ末にチラリとを横目に窺いながらゆっくりと口を開いた。

「私は・・・私も、滝川さんの意見と同じです。あの時の彼女の眼差しは、とても助けを求めている者には見えませんでした」

よっぽど鋭く睨み付けたらしい。

にとっては意識外の事なのでどうしようもないが、思わず謝罪を口にしそうになりはすんでのところでその言葉を飲み込んだ。―――リンとて、謝罪されても困るだけだろう。

「そういえばお前、なんかすごく憎かったとか言ってたよな」

「ああ、そうそう。憎かった憎かった」

「お前、面倒臭そうにあしらうんじゃねーよ」

滝川の恨めしそうな眼差しを受けて、は疲れ果てたように手をひらひらと振る。

だって・・・と小さく反論して、大きくため息を吐いた。

いくら聞かれても覚えていないものは覚えていないのだ。―――確かに開き直るのはどうなのかと自分でも思うけれど。

それにしても流石は真砂子だ、とは今は別室で休んでいる真砂子の様子を思い浮かべる。

この家に入ってすぐにこの状態の異常さに気付き、が危うく霊に身体を乗っ取られそうになりながらも何とか達成した霊視と同じほどの情報を、パッと見ただけで的確に指摘できる。

やっぱり求められるのはこういう力なのだと、今は霊視をナルによって禁止されているは他人事のようにそう思う。―――まさに家の月華としては褒められた感想ではないが。

「お待たせしました。準備、できましたです」

ナルたちが好き勝手に推測を交わしていた間に、ジョンはすっかり準備を整えたらしい。

いつか見た神父の装いでにこやかに立つジョンを見て、ナルは座っていた椅子から立ち上がった。

「では、お願いします」

そう言ってジョンを促してベースを出て行くナルを見送って、またもや静まり返った室内に取り残された滝川とは揃って居心地悪げにお互いを見やる。―――リンに至っては、何事もなかったかのように作業を続けていた。

「あー・・・でも、あれだよね」

「・・・あぁ?」

手持ち無沙汰に誰かが置いたままになっていたお菓子へと手伸ばしながら、は何とか場を持たせようと口を開く。

そういえばこのお菓子についても、ここに当然のごとくあるのに気付いたナルの冷たい視線と容赦ない嫌味の言葉を受けたっけ・・・とどうでもいい事を考えながら。

「やっぱ、あれかな?ここにいるのって、地縛霊とかなんとかなのかな?」

「お前・・・間を持たせるにしては重い話題を振ってくるな」

「うるさーい。ぼーさんはさっきから文句ばっか。文句あるなら話題の1つでも提供してよ」

それでなくとも、リンとは今もまだ気まずいのだ。―――できれば他の第三者がいる時くらいは、明るい雰囲気の中に身を置きたい。

のそんな心境に気付いたわけではないだろうが、滝川は困ったように頭を掻いてから躊躇いがちに口を開く。

「ああ・・・やっぱりそうじゃねーの?やっぱミニーが怪しいって。絶対ミニーになんか厄介な霊が憑いてんだよ」

「厄介な霊って、たとえば?真砂子の霊視の通りなら、子供の霊なんでしょ?ほら、あの落書きも子供の字っぽかったし」

「ああ、確かに。つーかあれはほんとに重労働だったよな。指示するだけしといて、そのくせナルちゃんは手伝おうとしないし」

「ナルって見るからに頭脳派っぽいもんね。それを言うならぼーさんって肉体労働派っぽいから、そういう役回りになってくるんじゃないの?―――っていうか、私だって立派な頭脳派だと思うんだけど!」

自分から手伝いに行っておいて文句を言う筋合いもないのだけれど。―――それに、あの時はあの時で確かに助かったのだが・・・。

「あー、でもなんかすっきりしないよね。私こういうの嫌。学校の勉強みたいに、全部がはっきりすればいいのに・・・」

「世の中ってのはそういうもんですよ、ちゃん。ま、まだ女子高生のには解らないだろうけど」

滝川のからかうような声色に、はムッと不機嫌そうな表情を浮かべる。

「私だって、それなりに世の中を知ってるつもりだけど・・・?」

「何言ってんだよ。長者番付に載るくらい収入がある家のお嬢様が」

「・・・私はっ!」

冗談を流すように笑う滝川に、は座っていた椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり声を上げる。―――しかしきょとんとした滝川の顔を見て一瞬で冷静さを取り戻したのか、ハッと我に返ったは気まずそうに視線を逸らしながら再び椅子に座りなおした。

「おい、・・・?」

「あはは、なーんでもない。ごめんごめん、なんか急に叫びたくなっちゃって」

「いや、その言い訳かなり苦しいから」

乾いた笑いを放しながら視線を泳がせるに控えめに突っ込みを入れるも、なんだか踏み込めない溝のようなものを感じて滝川は口を噤んだ。

いつもそうだ。―――はいつも、ここというところで線を引く。

それはさりげなく、けれどしっかりと。

それ以上踏み込めない。―――何よりも自身がそれをさせない。

またもや気まずい空気が漂い始めたベースで、2人は視線を合わさず沈黙を守る。

そうしてどれほどの時間が経ったのか。―――先にその沈黙に耐え切れなくなったのは、の方だった。

「あー・・・やっぱ、あれだね」

「・・・ん?」

「真砂子もかなり気分悪そうだし、ここはもう一回霊視でもしてみるか・・・なんて」

「何言ってんだ。お前、ナルに禁止食らってただろ?」

「言わなきゃ解んないって。今ならナルもいないし・・・」

小さく笑って、はひらひらと手を振る。

本気で言ったわけではない。―――この重い空気を払拭しようと口にした、冗談のつもりだった。

しかしそれが冗談になるかは、受け取る側がどう思うかが最重要ポイントである事をはうっかり忘れていた。―――やはり彼女も、この空気の中での生活に多少の無理がたたったのかもしれない。

さん・・・」

ギッと椅子の鳴る音と共に向けられた鋭い視線。

咎める色を多分に含んだリンの視線に、は怯んだように表情を強張らせる。

うかつだった、とは瞬時に後悔した。

あまりにも会話に入ってこないのですっかり忘れかけていたが、この場にいたのは自分と滝川だけではなかったのだ。

「・・・ごめん、冗談だから。ほんと・・・性質の悪い冗談でごめん。これから気をつける」

いっその事怒鳴ってくれればどれほど気が楽だったか・・・。

ただじっと睨みつけられ、その眼差しに耐え切れなくなり、はリンに対して平謝りする。―――それを聞き入れたのか、リンは小さく息を吐いて再びモニターへと身体を向けた。

思わず滝川まで身体を強張らせていたらしい。―――彼が安堵の息を吐いたのが聞こえて、申し訳なさには自分の迂闊さを呪いたくなった。

しかしそんな事をしても時間が戻るわけではない。

更に重くなった室内の空気に居心地悪そうに身じろぎしながら、新たなる会話の突破口を探して室内へぐるりと視線を巡らせる。

そうしてそこにあるはずのものが欠けている事に気付き、はまたもや椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。

「こ、今度はなんだよっ!!」

同じく身体を反らせながら立ち上がった滝川へ視線を向けて、ある場所を指差す。―――ポツリと空いた、その空間を。

「ミ、ミニーがいない!さっきまでここにいたのに!!」

「はぁ!?」

流石のの言葉にリンも弾かれたように振り返る。―――そこに確かにあったはずのミニーの姿がない事に、全員が表情を固くした。

「ナルに知らせてくる!!」

「ぼーさん!!」

一目散に部屋を飛び出していった滝川の背中へと声を掛けて、もまた後を追うようにベースを飛び出す。

ああ、もう!次から次へと・・・!!

全力疾走で廊下を爆走しながら、は収まる事のない怪現象に向かい心の中でそう叫び声を上げた。

 

 

カチカチカチと、静かな部屋の中に時計の針の音が響く。

普段は何気なく聞き逃している音も、こうして夜も更け雑音がなくなってしまえば大きく聞こえるものだなぁと、は礼美の穏やかな寝息を耳にしながらぼんやりとそう思う。

時刻は深夜の2時前。

ミニーが姿を消したあの後、軽く捜索をしたものの人形の姿はどこにもなく、ナルの「じきに現れる」という言葉に従い、それぞれが僅かな緊張の中に身を置いていた。

ナルたちはベースで機材のチェック。―――他の者たちもベースに待機しているが、礼美を1人にしておくわけにはいかないと、綾子が彼女の警護を任せられている。

そして何故かそれに付き合わされている少女が1人。

「あー、だめ。もうだめ。眠い・・・。ちょっと仮眠とっていい、綾子?」

「何言ってんのよ。寝たら警護にならないでしょうが」

ぐったりとベットに背中を預けて天井を仰ぎ見たは、返ってきた綾子の言葉に不貞腐れたように頬を膨らませる。

「大体、礼美ちゃんの警護任されたのは綾子でしょ?なーんで私まで引っ張り込むかなぁ」

「だって、怖いじゃない!」

「私だって怖いよ!―――っていうか、綾子声大きい。礼美ちゃん起きちゃうじゃない」

「アンタだって声大きいわよ。礼美ちゃんが起きちゃうでしょ」

お互いジロリと睨み合って・・・―――それが無駄な事だとお互い感じ取ったのか、顔を見合わせて大きくため息を吐く。

「大体、どうして私なの。私、今はナルに霊視禁止されてるし、除霊だってそんなに期待できるほど得意でもないし、頼りになるとはとても思えないんだけど」

自分で言うのやめなさいよという綾子の突っ込みをスルーして、は眠気を振り切るために大きく身体を伸ばした。

「怖くて付き合ってもらうなら、ぼーさんとかジョンの方が良かったんじゃないの?いや、これは別に自分が逃れたくて言ってるわけじゃなくて」

「何言ってんのよ。ジョンはともかく、アイツにそんな事お願い出来るわけないでしょ?鼻で笑われた挙句、後々までからかわれる羽目になるだけよ」

綾子の抗議の声に、はなるほどと納得する。

その光景が目に浮かぶほどリアルに想像できるから逆に嫌だ。―――綾子の人選が正しいのかもしれないと思えるから、なおさら。

「んじゃ、なんでジョンにお願いしなかったの?ジョンならからかったり笑ったりしないで付き合ってくれそうだけど」

ほんの小さな疑問を乗せて、はベット越しに綾子へと視線を向けた。

それは本当に些細な疑問。―――けれど大きな謎でもある。

どう考えても、を助っ人に選ぶよりはジョンを助っ人に選ぶ方が心強いに違いない。

「ジョンはほら、あれよ」

「あれ?」

「こんなところに2人でいたら、襲っちゃうかもしれないから」

綾子の珍しい冗談に、は隣で礼美が眠っているのも忘れて盛大に噴出した。―――それでも何とか声を押し殺しながら一通り笑ったは、今もまだ礼美がすやすやと寝息を立てているのを確認してホッと息をつく。

「ああ、なるほど。それは解る。うん、ものすごく。ジョンってお姉さまに可愛がられそうなタイプだし」

「まぁ、私のタイプではないけどね」

悠然と微笑みながらそう言い放った綾子を見返して、は声を殺しながら笑う。

カチリと、時計の針が動いた。

「・・・・・・え?」

ふと何か聞こえた気がして顔を上げる。―――今、確かに何か聞こえたような・・・?

「どうしたのよ、

「いや、なんかちょっと・・・変な、声が・・・」

だんだんと尻すぼみになっていく声。

少しづつの表情が強張っていくのに気付いて、綾子も思わず身体を強張らせた。

「・・・なによ」

「子供の声。・・・たくさん聞こえる。・・・なに?一体何人・・・」

?」

頭を抱えるように耳を塞ぎながら、は辛そうに顔を歪める。―――まるで綾子には聞こえない何かを遮るように。

一体どうしたのかと腰を浮かしかけたその時、視界の端で何かが動いた気がして、綾子は素早くそちらへと視線を移す。

ゴソリとベットの端が動く。

我に返ってベットの裾を捲ってみた綾子は、ヒッと息を飲み込んだ。

「・・・ミニー!」

やっぱりこっちへ来たのかと、恐怖を抱きながらも捲ったシーツでミニーを包み込んだ綾子は、それを抱えてドアへと走る。

しかし今もまだがベットの脇で蹲っている事に気付いて、慌てて声を掛けた。

「私はこの子をナルのところに持ってくわ!礼美ちゃんをお願い!!」

綾子の声に、はひらひらと手を振って答える。

その様子は覇気のないものではあったけれど、一刻の猶予もならないと綾子は一目散にベースに向かい駆け出した。

少しづつ遠くなっていく綾子の足音を聞きながら、がゆっくりと身を起こして礼美の様子を窺う。―――どうやらあの騒ぎでも起きないほど、ぐっすりと眠っているらしい。

その方がよかった。

まだ幼い礼美に、こんな恐怖を味わわせたくはない。

思わずホッと息をついて、床に座り込んだは肺の中の空気をすべて吐き出すかのように大きく息を吐いて。

そうして視線を腕にぶら下がっているブレスレットに向けて、それを指でなぞる。

ブレスレットをしていても感じられるほど強い力。

あの、悲しみと苦しみに満ちた子供たちの声が耳から離れない。

「・・・勘弁してよ、もう」

疲れ果てた身体に、あの衝撃はキツイ。

もう今は何もかも忘れて眠ってしまいたかった。―――きっとそんなわけにはいかないだろうが。

「・・・一清め。帰ったら絶対なんか奢らせてやる」

時刻は真夜中過ぎ。

おそらくは自宅でぐっすりと眠っているだろう己の上司を思い、悔しさを吐き出すように呟いては拳を強く握り締めた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

一気に書き上げました。

なんだやれば出来るじゃんと思いつつ、内容の方はさておき。

この辺はさくさく終わらせたいのですが、あんまり内容飛ばしすぎても訳解らなくなっちゃうので駆け足で。

作成日 2007.9.26

更新日 2007.11.5

 

 

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