「天にまします、我らの父よ」

棚の上に寝かされたミニーの傍らで、神父服を纏ったジョンが涼やかな声で祈りを捧げる。

それはとても神聖な儀式のようにには思えた。―――現にジョンが祈りを捧げ始めた途端、少しだけ身体が軽くなったような気がする。

「願わくは、神。我らを哀れみ我らをさきわいて、その御顔を我らの上に照らし給わん事を・・・」

聖書を胸に抱き言葉を連ねていたジョンが、手にしていた小さな十字架をミニーの小さな額に乗せた。

その瞬間、閉じていたはずのミニーの目が大きく見開かれ、その様子を見ていた滝川・麻衣・は小さく悲鳴を上げながら一歩後ずさる。

ホラー映画など目ではないほどのリアル体験に、いっそ泣いてしまいたい。

「始めに、言があった。言は神であった」

聖水が振り掛けられると、ミニーの身体は何かに抗うようにカタカタと小さく震え始める。

その震えはジョンが言葉を続けるにつれ大きくなっていき、一体どうなるのかとは固唾を呑んで様子を見守る。―――その際に、しっかりと滝川の身体を盾にしていたが。

「その言は、始めに神と共にあった。光は闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」

不意にジョンが言葉を切った。

それと同時にミニーの身体は1つ震え、そうして人形の上に乗せられていた十字架がその振動で小さく音を立てて棚の上に落ちると、そこには焼けたような十字の印が残っていた。

終わったのだろうか・・・と恐る恐る顔を見合わせた麻衣とは、答えを求めるようにジョンへと視線を送る。―――するとジョンはいつものにこやかな顔とは違う真剣な面持ちで、静かにミニーへと視線を落とした。

「・・・霊は落ちたと思います。けど滅ぼしたわけと違います。二度と悪用されへんように、焼いてしまうのがええと思います」

ジョンの言葉に麻衣とは同時に滝川へと視線を向けた。

「ほら、出番だよ」

「がんばれ、ぼーさん」

「・・・お前ら、厄介事ばっかり人に押し付けやがって・・・」

苦い表情でそういう滝川だが、怖いものは怖いのだ。―――そういう意味では、2人の意見はばっちりと一致している。

「はー・・・解ったよ、ったく」

それでも文句を言いながらも行動に移してくれる滝川に心の中で深く感謝しながら、は改めてミニーを見つめる。

そうして滝川の1度目のチャレンジで傷1つ負わなかったミニーは、しかし今度は当たり前のように簡単に燃えてしまった。

 

囚われし

 

さて、礼美ちゃんの身はジョンのお祈りによって清められた。

今回の騒動の功労者でもあるミニーも、ジョンのお祈りによって祓われ、いとも簡単に燃えカスになった。

そこまではいい。―――そこまでは順調だと言っても構わない。

ただし、大きな問題が1つ。

ミニーに憑いていた霊の正体と、その目的について・・・だ。―――その根本を解決しない事には、がどれほど愚痴ろうと事件は終わらない。

「ミニーの正体は、この家に憑いてる地縛霊やと思います。地縛霊になるほど強い因縁もってる霊いうたら、この家で死んだ子供と違いますか?」

ジョンの推測に、一仕事終えた滝川が深く頷く。

「だろうな。1人が寂しくて、この家に来た子供を友達として連れて行こうとしてるってわけだ。―――そしてその子たちも地縛霊になって・・・」

ジョンと滝川の会話を聞きながら、は眉間に微かに皴を寄せながらう〜んと小さく唸りつつ天井を見上げる。

確かに納得できる話だけれど、どうも腑に落ちない。

そもそも、そのミニーの正体が解らないのだ。―――2人の推測でいけば、それはナルが調べた結果、一番最初に命を落としたという立花家の女の子なのだろうか。

ならば何故、その子は命を落としたのだろう。

その原因はさておき、更にいうなら何故その女の子はそれほど強い想いを抱いたのだろう?

やはり死にたくないという強い思いからだろうか?―――それにしたって、これほどまでに大勢の子供を呪い殺すなど、普通ではない。

もっと何か、別の理由があるのではないだろうかとは思う。

勿論、その他の理由など思いつきもしないのだけれど。

「何故子供だけなんだ?」

不意に響いた静かな声に、全員が視線をそちらへと向ける。

そしてそこにはいつから話を聞いていたのか、涼しい顔をしたナルがいつもの無表情でこちらを見つめていた。

「・・・ああ?」

「寂しいのなら、連れて行く相手は子供でなくても良い筈だ。母親代わりになってくれそうな・・・典子さんや麻衣でも良い筈だろう?―――しかし、寧ろミニーは彼女らを排除しようとしていた」

「あ、そっか」

ナルの的確な突っ込みに、滝川は納得したように頷く。

その母親代わりになってくれそうな人物の中に、自分や綾子の名前はないのか・・・という突っ込みは控えておいた。―――流石にそんな事を口にしようものなら、ナルの冷たい視線は避けられそうにない。

出来ればあの冷たい眼差しに晒されるのは、そういった類のものに慣れているでも回避したかった。

「・・・麻衣、原さんの様子は?」

「まだ気分悪いみたい。部屋で横になってるよ」

「そうか・・・」

ナルの問い掛けに、麻衣もも別室で休んでいる真砂子を思い出した。―――この家に来てすぐに体調を崩した真砂子は、今もまだ顔色を悪くしたまま。

大丈夫なのだろうかと他人事のように思いつつ、は自分の腕のブレスレットに視線を落とした。

果たしてこれがいつまで効力を発揮してくれるか。

昨夜のミニー騒動を思うとあまり期待できそうにもないが・・・―――今は己の上司の言葉を信じるより他にない。

なんなら報告ついでにそこの辺りを問い詰めてみようかと考えを巡らせたその時、難しい表情で手元のファイルを見つめていたナルがふと滝川へと視線を移した。

「浄霊をやってみよう。―――・・・ぼーさん」

「おれ?」

思わぬ指名を受けた滝川が目を丸くするのもなんのその、相変わらずの態度でナルは何かを記したメモを滝川へ差し出す。

それを滝川の後ろから覗き込んだは、そこに書かれた内容に先ほどの滝川と同じく目を丸くした。

一番最初にこの家でなくなった立花家の女の子、ゆきという名のその子の生没年と戒名、その上宗派までもが走り書きされてある。

よくもまぁ、70年近く前の事を調べ上げたものだという滝川たちの賞賛の声にも、ナルは表情1つ動かさず「簡単な事だ」と言い切った。

相変わらずの自信家だが、実力が伴っているところが妙に腹が立つ。―――ただのやっかみ以外にないのだが。

そうと決まれば早速とばかりに、身を清めた礼美と典子を危険から遠ざけるべく、近くにホテルを取ってそこへ一時避難させる事に決まり、護符と共に綾子・ジョン・そして真砂子が念の為に同行する事になった。

綾子とジョンはさておき、真砂子を同行者につけたのは彼女の体調を思っての事なのだろう。―――冷たいように見せながらも気付かれないように相手を気遣うナルをみて、は眉間に皴を寄せた。

知れば知るほど、ナルという人物が解らない。

確かに興味深い人物である事に間違いはないが、深く踏み込むと色々と厄介そうだ。

は名残惜しそうにこちらを振り返る真砂子とやきもきしながらそれを見守る麻衣へと視線を向けた。―――あちらこちらで、様々なドラマが進行中らしい。

「いいなぁ、なんか女の子!って感じで・・・」

「はぁ?何がだよ」

「べっつに〜」

小さく呟いた独り事に律儀に反応してくれる滝川をスルーして、は気のない様子で返事を返す。

別に恋をしたいとか、そういうわけでもないのだが・・・。―――もちろん、今の自分にそんな余裕があるとも思えなかったし。

それでもちょっとうらやましく思ってしまうのも、確かで。

「あーもう、ぼーさんの馬鹿」

「なんなんだよ、お前。人に八つ当たるのやめてもらえます?」

呆れた表情を浮かべる滝川を横目に、は切なげなため息を漏らす。

今のところ彼女を最大限に苦しめる悩みは、霊能者として勝手に振り分けられる仕事と学校の課題しかない事に、自分の事とはいえがっくりと肩を落として脱力した。

 

 

「ぼーさん、準備は?」

『いつでもオッケー』

モニターから返って来た軽快な返事に、ナルは小さく頷き返す。

ナル、リン、麻衣、滝川、そしてだけが残ったこの家で、今まさに滝川による浄霊が始まろうとしていた。

何で自分はここに残っているんだろうと頭の隅で考えながら、は遠い目をしながらモニターを見つめる。

確かに真砂子ほどではないにしろ、とて体調が良好というわけではない。

何故に真砂子に向けたあの気遣いが、自分には向けられないのだろうか?―――ついこの間バイトになったばかりの麻衣が残っている手前、勿論口には出さないけれど。

どうもナルはの事を雑用係としてみている節があるような気がすると、事ある事に押し付けられる雑用の数々を思い出してげんなりとした表情を浮かべる。

ちょうどその時、なんとも良いタイミングでの携帯が軽快な音を立てた。

ヤバイ、マナーにしとくの忘れてた!と慌ててポケットから携帯を取り出すと、ナルの冷たい視線が突き刺さっている事に気付いて乾いた笑みを浮かべる。

「機材に余計な干渉を与えるな。電話なら部屋の外でしろ」

にべもなく言い放たれた一言に、は怒りを堪えてぐっと拳を握り締める。

確かに自分が悪かった。―――けれどもう少し言い様があるのではないだろうか?

そんな事を口にすれば口にしたで更に厳しい言葉が返ってくる事は解っていたので、ここは自分が大人になるんだと自分自身に言い聞かせながら、物音を立てないように部屋を出る。

それを同じく息を呑んで見送った麻衣は、モニターから聞こえてくる滝川の真言を聞き流しつつ、ナルから言われた通りに変化はないかとモニターへ視線を戻した。

「温度が下がってきました。特にベットのまわり・・・もう2度は下がりました」

「マイクは?」

「今のところ異常はありません。・・・いえ、妙にノイズが少ないですね」

交わされるナルとリンの会話を聞き流しながらも、麻衣はじっとモニターを見つめる。

専門的な事は解らないのだ。―――今の状況では聞いても答えてくれそうにない。

ならば自分に出来る事をしようと数あるモニターを見ていた麻衣は、携帯を耳に当てながら居間に入るの姿を確認した。

どうやら出来る限り機材に影響を与えないようにと、居間にまで避難したらしい。

何かを難しい面持ちで話すをぼんやりと見ていた麻衣は、しかし直後その異変に気付く。

「ナル、居間!!」

居間の様子が映されたモニターを指差し、勢い良くそう叫ぶ。

居間の中心に、何かもやのようなものがある。―――冷気のようなそれは、渦巻くように室内を漂っていた。

「リン、居間の温度は・・・?」

「現在マイナス2度です」

「マイナス・・・!!」

明らかに異常とも言えるその数値に、ナルも麻衣も驚愕に目を見開いた。

事のすべての原因は、礼美の部屋にあるのだと思っていた。―――被害が一番大きかったのも、ミニーがいつもいたのもその部屋だからだ。

「ぼーさん、その部屋じゃない!どうやら事の中心は居間だ!」

『居間ぁ!?』

礼美の部屋で浄霊をしていた滝川が、モニターの向こうから間の抜けた声を上げる。

その間にも居間の室内には白い空気のようなものが漂っている。―――その中に昨夜見たばかりの子供の霊の姿が映り、麻衣は恐怖に身体を強張らせて・・・。

そうして麻衣は漸くこの時思い出した。

「ナル!居間に・・・居間にが!!」

「・・・なんだと?」

麻衣の言葉に慌ててモニターを見やれば、カメラの端に蹲るように座り込むの姿が映し出されている。

それを確認したナルは小さく舌打ちを漏らし、改めてマイクへ向かい声を荒げた。

「ぼーさん!居間にがいる。早く向かってくれ!!」

「はぁ!??なんでだよ!」

「いいから、早く!」

ナルと滝川の怒号を聞きながら、麻衣は蹲るの姿をモニター越しに見つめながら身体を強張らせていた。

 

 

「だ〜から、ほんとに大丈夫なの?このブレスレット!」

携帯電話に向かいそう怒鳴りながら、は自分を落ち着けようと小さく深呼吸をする。

当主からは『絶対に安全な代物だ』と太鼓判をもらってつけていたというのに、今回の事件ではその言葉を裏切るような結果しか出てこない。

確かに一清と共に仕事に出た時はこんな事はなかったのだけれど・・・。

『ああ、大丈夫なはずだ』

「なに、その微妙な言い回し」

『まぁ、俺が側にいない分効果は落ちるかもしれないが、最低限の働きはしてくれるはずだ。心配するな』

「だからなに、その微妙な言い回し!一清がいれば効果あるんなら、ちょっとここまで出向いてきてよ」

『断る。俺はこれからドラマの再放送を見る予定だ』

いっそ清々しいほど非情な一清の発言に、は携帯を持つ手に力を込めた。―――華奢な機械がミシリと音を立てたのは気のせいだと思いたい。

なんて上司だ!と声を荒げたいところだが、あまりにも彼らしくて納得してしまえる部分があるから嫌になる。

しかもこれほどあっさりと言われれば、怒る気力も失せるというものだ。

「・・・あ、そう。今日は何のドラマ?」

『随分昔のラブストーリーのようだ。東京なんとか・・・という』

「ああ、そう」

顔と態度に似合わず、意外とロマンティストなのだ。―――この一清という男は。

も何度か付き合わされて、再放送のドラマを見た記憶がある。

としてはラブストーリーよりもコメディやミステリーの方が好きなので、チャンネル争いになる事もしばしばだったが。

それはともかく、はもう一度深呼吸をして自分自身を宥めると、電話の向こうで新聞を広げているらしい一清に向かい口を開いた。

「・・・で、何の用なの?わざわざ連絡してくるなんて珍しい」

『お前が定期連絡を欠かすからだろう。藤野が心配していたぞ』

「それどころじゃなかったのよ!もー、いろいろあったんだから!こっちはこっちで大変・・・」

今度こそ溜まりに溜まった愚痴をぶつけてやろうと思い切り息を吸い込んだその時、何か妙な声が聞こえた気がしてはそのままの体勢で固まった。

確か、今は滝川が浄霊を行っていたはずだ。

その事実を思い出し、は視線だけで部屋の中を見回しながら「まさかね・・・」と小さく呟く。―――ここは礼美の部屋から随分と離れているのだ、まさかなど起きるはずもないとそう言い聞かせながら。

『・・・どうした?』

電話の向こうから、一清の訝しげな声が聞こえる。

途中で言葉を切られたのだから当然といえば当然だろう。―――しかしそれに答えようと改めて口を開いたは、自分の腕を撫でる冷たい空気に気付きブルリと身体を震わせた。

「ちょ・・・まさかね。いや、でも・・・」

『なんだ。何かあるならはっきり言え』

多少イラついた一清の言葉を聞き流しながら、冷や汗が伝ってくるのに気付いて手の甲で軽く拭う。―――そうは考えたくはないが、しかし。

『アーアーンァアーアーン』

「うわっ!!」

唐突に携帯から聞こえてきた不気味な声に、携帯を取り落とす。

それはフローリングの床を面白いほど滑っていき、すぐにその姿は見えなくなった。―――・・・見えなくなった?

自分自身の考えに、ハッと我に返る。

どうして今まで気付かなかったのだろうか?

室内に立ち込める白い霧のような空気と、うっすらと目に映る子供の泣き叫ぶ姿に、は短く息を呑んで一歩後ずさった。

背中が壁に当たり、それ以上下がれない事に気付き、成す術もなくその場に座り込む。

「ちょ・・・ほんとに、勘弁してよ」

呆然としながら呟いて、異常なほどの寒さに身を縮こませる。

この部屋から逃げ出すという選択肢は、今のにはなかった。

目の前の景色すら満足に見えないこの状況で、その中に突っ込んでいく気力など起きよう筈もない。

それ以上に、あまりの寒さと子供たちの霊の恐怖と悲しみ・苦しみに、足が竦んで動けなかった。―――まるで金縛りにでもあってしまったように、ただそこに座り込む以外に取れる方法などない。

思わずぎゅっと自分自身の身体を抱きしめながら、きっとナルたちがこの状況に気付いて助けに来てくれるはずだと自分に言い聞かせる。

早く、早く、と心の中でただそれだけを祈っていたその時。

『・・・こ』

「・・・え?」

何か声が聞こえた気がした。

子供たちの助けを求める声、嘆く声、その合間に・・・。

とても暗く、まるで地の底から響くような・・・そんな恐ろしい声が。

『・・こ・・・・・・のこ』

「ちょっと、やめてよほんとに」

何処から聞こえてくるのかも解らない。

室内を反響するようなその声から逃れようと、両手を耳に押し当てて強く目を閉じる。

これ以上は本当に無理だとそう思った。

流れ込んでくるたくさんの負の感情。

助けてと手を伸ばされても、今のに取る術はない。

そうして一際暗いその声は、何処かで聞き覚えがあるような気がして・・・。

「うわっ!なんだこりゃぁ!?」

淀んだ空気の中、それらを裂くように飛び込んでくる聞き慣れた声。

「おい、!大丈夫か、!!」

自分を呼ぶその声にホッと安堵の息を吐きながら、はすこしづつ意識が遠のいていくのを自覚する。

まったく本当に、自分自身さえ面倒が見られないなんて・・・情けないにも程がある。

「ナウマリ サバ タタキヤテイ ビヤリ サラバモッケイ ピヤリ・・―――」

滝川の真言をうっすらとした意識の内で聞きながら、は最後の力を振り絞って閉じていた瞳を開く。

滝川の援護があるのならば、せめて避難くらいは自分でしたい。

そこまで迷惑を掛けたくはなかった。―――それなのに・・・。

瞳に映った滝川の姿のその向こう。

ユラリと揺れる黒い影のようなものと目が合った気がして、は思わず息を呑む。

「・・・ぼーさん、うしろ」

何とか声を出すものの、それは普段の彼女からは考えられないほど弱々しいものだった。

しかしその声が届いたのか、はたまたマイクからのナルの声が届いたのか、滝川が背後を振り返る。

しかし滝川にはその黒い影は見えないらしい。―――焦った様子でへと視線を向けて、そうしてあまりのの顔色の悪さに目を見開いた。

『とみ・・・こ・・・・とみこ・・・』

その合間にも、黒い影は暗い声で何かを呟き続ける。

それが何を意味するのかを推測する余裕もなく、それでも何とか立ち上がろうとが足に力を入れたその時。

『・・・かえして』

とても聞き覚えのある声と共に呟かれた、とても聞き覚えのある言葉。

ああ、そうだったんだ・・・―――と妙に納得しながら、は最後の最後で保っていた意識を手放した。

 

 

ふと瞳を開くと、そこは真白に塗りつぶされていた。

寝転がったままぐるりと視界を巡らせると、自分の頭の方に誰かの足が見える。―――それが誰なのかを察して、は不思議と軽い身体を起こして顔をそちらへ向けた。

「こんにちは」

やんわりと笑顔を浮かべてそういえば、相手も同じく柔らかく微笑み返す。

ナルと同じ顔をして、けれどナルは絶対に浮かべないだろう微笑を浮かべる人。

実際のところ、にはこれがナルなのかそうでないのかは解らない。―――これがただの夢なのか、そうではないのかさえ。

ただ少なくとも1つだけ解っている事はある。

それは、このナルがの幻想によって生まれたものではないのだという事。

はナルに幻想を抱いてはいない。―――確かに付き合いづらい人物ではあるが、あれはあれで十分個性の範囲内だし、ナルはあれで良いと思っている。

ナルにこんな風に優しくあってほしいと思った事は、冗談で口にする事はあっても考えた事は一度もない。

もう既に己の上司で慣れきっているという事もあるのだろうが・・・。

では目の前のこの人物は一体何なのか?

気にならないわけではなかったけれど、問い詰めても無駄だと思った。―――何を問い掛けても、彼はきっと答えてはくれないだろう。

「随分無茶をしたね。気をつけて、と言っただろう?」

「いや、確かにそれはそうなんだけど・・・―――っていうか、別にワザとあんな事になったわけじゃないし・・・」

そもそもの原因は、一清が仕事中に電話を掛けてきたからだ。

定期連絡を欠かしたという自らの落ち度を棚に上げて、は強くそう言い聞かせる。―――相手が一清ならば、多少の棚上げくらいは可愛いものだ。

「それよりもさ、ほんとに大丈夫なのかな?なんかかなりヤバそうなんだけど」

居間での出来事を思い出し、は小さく身震いする。

細かいことまでは解らないけれど、あそこにいた霊が途轍もない憎しみを抱いていたのは解る。―――それを直接感じたが、きっと誰よりも。

正直なところ、にはあれほどの憎しみを消し去る方法など知らない。

説得に耳を貸すようなレベルではない。―――加えて、あれだけの憎しみと力を持つ霊を強制的に除霊できるとも思えなかった。

だとすれば、一体どうすれば良いのだろう。

このままではいずれ近いうちに礼美は彼女に連れて行かれる。―――ずっと逃げ続けられるわけもないのだ。

しかしのそんな思いを読み取ったのか、ナルは心配は要らないとばかりににっこりと微笑んで。

「大丈夫だよ」

「・・・なにその曖昧な言葉。ちっとも安心できないんだけど」

悪態をつきつつも、それでもは小さく微笑み息をつく。

この夢の中のナルには、何か不思議な力があるようだ。―――彼が言うと本当にそんな気がしてくるのだから不思議だと思う。

そうしては不意にある事を思い出し、躊躇いがちに顔を上げた。

「・・・ねぇ。あの・・・リンさんの事なんだけど」

あの言い合いからギクシャクしてしまったリンとの関係を思い出し、は少しだけ沈んだ声で口を開く。

彼と自分との間にある溝は、きっととてつもなく深くて広い。

知り合ってまだ間もない自分に、その溝を狭められるとも思えないけれど。

彼の言葉に何か不思議な力があるのなら、どうか・・・。

「リンさん、日本人が嫌いだって言ってたんだけど・・・」

「・・・うん」

「私ね、そういうの・・・結構慣れてる方なんだけど、やっぱりキツいんだよね。出来れば・・・それなりに仲良くしたいなと思うの。―――ほら、一緒に仕事するのに気まずいのも嫌だし」

どうしてだろうか。

普段は絶対に口に出せないような弱音まで、夢の中のナルの前では話せてしまう。

否、夢の中だからなのかもしれない。―――これが本物のナルではないと、そうおもっているからなのかも。

「・・・大丈夫だよ、

不意に柔らかい声が降りかかり、はゆっくりと顔を上げた。

柔らかく微笑むナル。―――何故だか泣きたくなるのはどうしてなのだろう?

どうしてこんなにも悲しいと思うのだろう。

「・・・ありがと」

けれどそのすべてを自分の中に押し込めて、は微笑み返しながら礼を言う。

目の前で微笑んでいるナルの顔が、何故だか悲しみに彩られているような気がした。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

一応、今回の目的はリンと仲良くなる事なのですが・・・。(アレ?)

不思議とリンが出てきません。彼はいつもベースにいてほとんど動きがないので、絡ませるのに一苦労です。

とりあえず終わりが見えてきました。

後はお約束的な展開になりそうですが。(笑)

作成日 2007.9.28

更新日 2007.11.12

 

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