ソファーで眠り続ける麻衣をすぐ傍の床に座り込んで見つめながら、はやんわりと微笑んだ。

「可愛いなぁ、麻衣は」

気持ち良さそうに眠る麻衣を見ていると、散々睡眠をとったはずの自分さえ眠くなってきてしまうのだから不思議だ。―――勿論、これ以上惰眠を貪るつもりはないけれど。

「ちょっと、。アンタ変人みたいだからやめなさいよ」

そんなを横目に、爪の手入れをしていた綾子は冷ややかな声色でそう告げる。

「何言ってんの。可愛い女の子の寝顔を見ると癒されるのは、なにもオッサンだけじゃないのよ?―――非情な上司に日々こき使われて日常生活に潤いがない女子高生にだって、そういう癒しが必要な時だってあるの!」

「だったら、せめて美少年の寝顔見て癒されなさいよ!女の子の寝顔見て癒されるなんて悪趣味もいいところだわ!」

一体それのどこが違うのか。・・・などという突っ込みは、生憎とリンしかいないこの場では入る事はなかった。

しかしも負けてはいない。

冷たい眼差しを向ける綾子を睨みつけながら、勢い良く反論する。

「だったらジョンでも連れてきてよ!もしくはナル。―――でもナルの場合はちゃ〜んと寝かしつけてからにしてよね」

流石のも、起きている時のナルを癒しの対象には出来そうもない。

寧ろ更に精神的に追い詰められそうな気がして、ブルリとわざとらしく身を震わせる。

「・・・ナルを寝かしつけるって、あんた」

そんなの出来るわけないでしょうと言いたげな綾子を見返して、は勝ち誇ったように微笑んだ。

「ほらほら、子守唄でも絵本読んで聞かせるでも方法はいくらでもあるでしょうが」

ナルに子守唄?ベットの傍らで、絵本を読んで聞かせるって?

それを想像した綾子とは、ほぼ同時に思いっきり噴出した。

「あはははは!あんた、それって・・・!!」

「だめ!想像したら笑いが・・・!!」

勝手に想像して勝手に笑い出した綾子との気配を背中で感じつつ、リンは小さくため息を吐き出した。

 

悪夢からの開放

 

「ほんっとに大丈夫なのかよ、ナルちゃん!!」

突然響いた滝川の怒鳴り声に、麻衣は眠っていたとは思えないほど勢い良く飛び起きる。

それと同時にガツンという音と額に受けた衝撃に、そのままソファーに逆戻りした。―――ガンガンと痛む額に何事かと視界を巡らせれば、ソファーの傍で同じく額を押さえながら悶絶しているがいる。

「・・・。ど、どうしたの?」

「どうもこうも・・・っていうか、いや大丈夫。なんでも・・・なんでもないよ」

どうやらこの痛みはと衝突した際のものらしい。

麻衣よりも痛みが酷いらしいを心配しつつも、どうしてこうなったのかという疑問を抱きながら綾子へと視線を向けると、当の綾子は呆れた面持ちでを見下ろしていた。

「ほらね。馬鹿な事してるからそういう目に合うのよ」

「馬鹿って・・・!いや、別にもういいよ」

何故か勝ち誇ったようにそう言い放つ綾子に反論しようと顔を上げたは、不思議そうにこちらを見る麻衣の視線を感じて、慌てて笑顔を浮かべて誤魔化す。

流石に本人を前にして、寝顔を見て癒されてました・・・などと言えない。

それよりも・・・と、今もまだ痛む額を押さえながら、先ほどの滝川の怒声はなんだったのかと視界を巡らせると、早足でナルがベースに戻ってきた。

その後を追うように次々にベースに姿を見せる滝川たちを見て、本当に何事なのかと麻衣と顔を見合わせて小さく首を傾げる。―――いや、それよりもなによりも。

「ちょ!みんなまで戻ってきちゃって!礼美ちゃんと典子さんは!?」

そう、滝川とジョンと真砂子は、礼美たちが避難したホテルに詰めていたはずなのだ。―――そんな彼らが何故ここにいるのか。

しかし滝川は、掴みかかる勢いの麻衣を横目に困ったように頭を掻いた。

「ホテルに残してきた。ナルがそうしろってよ」

「大丈夫なの!?」

「大丈夫だろう、今夜中に決着をつける」

麻衣の疑問に答えたのは、滝川ではなくナルだった。

ナルは平然とそう言い切り、自分がいなかった間の映像をチェックしている。

今までの苦労は一体なんだったんだと言いたいほどの落ち着き払った様子に、は呆れとも感心ともつかない表情を浮かべる。

「出来るの!?」

「何の為に人がかけずり回ったと思っているんだ?まったく、これだけの人間がいてこのザマとはね」

ナルがかけずり回っている姿など想像がつかないなと見当違いな事を考えていたは、付け加えられた一言に頬を引き攣らせる。

どうしてこの男は一言も二言も多いのだろうか。

案の定カチンと来たらしい綾子が、怒りを露わにナルに詰め寄った。

「なによ!見てもいないくせに!あいつハンパじゃないわよ!!」

「そんな事、ポルターガイストの様子を見れば一目瞭然だ」

しかしナルはそんな綾子の剣幕にも動じる事無く、にべもなくそう言い放つ。

寧ろ綾子はナルに見られていなくて良かったのかもしれない。―――内容はともかく、『怖いから一緒にいて』などと言って麻衣を巻き込んだ時点で、ナルの冷たい視線と遠慮のない皮肉は免れないだろう。

かくいうも、注意されていたというのに首を突っ込みぶっ倒れたなど、ナルに知られればタダではすまないのだから、やはりあの場に彼がいなくてよかったと心からそう思う。

もっとも、後でビデオを確認されればバレてしまう事なのだが・・・。

「原因ははっきりしている。―――あの女は子供を捜しているんだ。取り戻したいと思っている」

「そんな事は解ってるわよ!!」

「ならば子供を連れてくればいい」

噛み付くと数倍になって返ってくると、綾子はいつ学習するのだろうか。

そんな事をぼんやりと考えていたは、さらりと告げられたナルの言葉に目を丸くした。

それを察してか、ナルは更に言葉を続ける。

「もちろん、富子自身を連れてくるのは不可能だし、無意味だ。歳を取った富子を見ても、あの女は納得しないだろう」

それ以前に、富子はもうこの世にはいないはずだ。―――あの夢で見た光景が真実ならば。

そしてにはそれに自信もある。

「だったら・・・!!」

「原さん、奴らの様子は?」

更に食いつく綾子をさらりと無視して、ナルは真砂子へと問いを投げ掛けた。

「まだ居間にいますわ。ホテルの方には行っていない・・・」

どうやら滝川の護符が効力を発揮しているらしい。

とは言ってもそうそう長く騙せるわけもないので、決着は早めにつけなければならないだろう。

そんな事態ではあるが、それぞれ思うところはあるらしい。―――少し気まずそうな表情を浮かべながら、綾子が躊躇いがちに口を開いた。

「ねぇ・・・私たち、身の安全を考えるべきじゃない?」

「礼美ちゃんを見捨てるの!?」

「下手したら、こっちまで地縛霊にされちまいそうだしなぁ」

「なっ!!」

綾子の撤退を匂わせる発言に、信じられないとばかりに麻衣が食って掛かる。―――しかしそれは、滝川の同意するような発言に封じられた。

確かに2人の気持ちも解らなくはない。

他のメンバーと比べて、女の霊の本当の怖さを痛感しているのは、除霊に挑んだこの2人だろう。

ついでに言えば除霊に挑みこそはしていないものの、力に当てられたもその内の1人ではあるが、残念ながら家という看板を背負っているにその選択肢は存在しない。

本人にとってはとてつもなく不本意ではあるが、たとえ意に染まない仕事だとしても途中で放り出すわけにはいかないのだ。

家の月華という名には、それだけの重みがある。

普段から非情な言動が目立つ一清だが、が本当に恐怖を感じて逃げ帰ったとしても、きっと彼は何も言わないだろう。―――だからこそ、余計に。

「そんな・・・」

すっかり撤退ムードが漂い始めた中、麻衣はどうしようもない焦燥に駆られて口を開く。―――それでも上手く彼らを説得できるような言葉は出てきはしなかったけれど。

助けを求めるように視線を向けられて、は戸惑ったように眉を寄せる。

助けてやりたいのは山々だが、これはが口を挟める問題ではない。

命の危険がある以上、安易に止めるわけにはいかないのだ。―――には、彼らの命の保障などしてやれはしないのだから。

それでも麻衣の縋るような眼差しにどうしようかと悩んでいると、先ほどからずっと沈黙を守っていたナルが唐突に口を開いた。

「帰りたいならご自由に。その程度の霊能者なら必要ない」

さらりと切り捨てるような言葉。

冷たい声色と態度。―――こちらを見ようともしない彼の背中は、突き放されたようで胸が痛い。

きっとナルは滝川たちが本当に帰ったとしても、何も言いはしないだろう。

それは彼らに対する気遣いとも取れるし、また彼らなど眼中にはないとも取れる。―――残酷なようでいてそうではないような・・・やはり解らない男だとは思う。

「・・・本当に勝算はあるのか?」

「信じる信じないはご勝手に」

念を押すように問い掛ける滝川に、しかしナルはにべもなくそう言い放つ。

そんなナルの返答に、滝川と綾子は戸惑ったようにお互い顔を見合わせて・・・―――それを見守る麻衣もまた、固唾を呑んで2人の返答を待った。

そうしてしばしの沈黙の後、2人は諦めたようにため息を吐き出して。

「ナルちゃんを信じて、もすこしオノレを酷使してみるか。なんかあってぶっ倒れたらそこまでだ」

「骨くらいは拾ってやるわよ」

「・・・神道で葬式出されちゃ死ぬに死ねねーよ」

2人だとて、助けられるものならば礼美を助けてやりたいのだ。

きっと何とかなるだろうと自分自身を無理やり納得させて、滝川と綾子は遠まわしな言い方で撤退宣言を撤回する。―――これだけ自信があるのだ、きっと大丈夫だろうとそう己に言い聞かせながら。

「・・・良かった」

漸く和らいだ空気に、麻衣もまたホッと息を吐く。

それを横目に眺めながら、不意に交じり合った視線にやんわりと微笑んで。

「良かったね、ほんとに」

「うん」

お互い顔を見合わせながら、麻衣とは自然と込み上げる笑みを表情に乗せた。

 

 

漸く話は纏まったという事で、改めてナルを中心として作戦会議が開かれた。

「とにかく、手下の数が多すぎる。問題はあの女だ。女を引きずり出さなければ意味がない」

ナルの言葉に、全員が無言で頷く。

この家の怪現象の原因のすべては、あの女の霊にあるのだ。―――あの女が子供を集め、そして抱いている限り、子供の霊は浄化されない。

しかし女の霊は子供たちの霊に守られ、今もまだあの深い井戸の中。

このままでは女の霊を祓う事など出来ないのだ。

「・・・で、どうすりゃいい?」

「子供たちを散らす。―――松崎さん」

滝川の問い掛けに簡単に答えたナルは、唐突に話を綾子へと振った。

「霊を通さない護符を作って、家中に張ってください」

「ホテルに張ったアレ?すぐ突破されちゃうわよ」

「いいんだ。内側に向けて張る」

内側に?―――麻衣とが揃って首を傾げたのを見て、ナルは更に続ける。

「霊が礼美ちゃんの傍に近寄れないようにするのではなく、この家から出られないようにして・・・―――鬼門だけを開放する」

鬼門。

北東の方角。―――悪霊の通りやすいとされる方向。

「鬼門以外が通りにくいとなれば、連中は必ずそこを使うだろう。そこでぼーさんと松崎さんが鬼門の外で構える」

「出てきた霊を散らすわけか」

「そう、散らすだけでいい」

あっさりとそう言い切るナルに、綾子が意外そうに目を丸くした。

「それじゃ、またすぐに戻ってきちゃうわよ」

「女の回りの霊を一時的にでも減らせればいい。―――ジョンは居間に来て霊を散らしてみてくれ」

「はいです」

どんどんと進んでいく話に、事実上置いてけぼりを食らっている麻衣とは困ったように顔を見合わせる。

ナルはもう既にすべての計画を決めているようだ。―――口を挟む事無くどんどんと形になっていく計画を前に、は複雑な面持ちで視線を泳がせる。

「あの〜・・・私はどうすれば?」

まるで授業中のように片手を上げて問い掛けると、漸くこちらへと振り返ったナルは、しかし眉1つ動かす事無く言い放った。―――見ているだけでいい、と。

それってつまり邪魔するなって事かよ。とは頬を引き攣らせながらも心の中で突っ込む。

確かに今回自分がした事といえば、情報収集になったかも怪しい霊視一件のみで、後はタイミング良く騒動に出くわしぶっ倒れていただけなのだが・・・。

「よし、それじゃ・・・」

そんな微妙な心境を持て余しながら遠い目をするを他所に、ナルは何事もなかったかのように一声で会議を打ち切る。

しかしそれに異議の声を上げるものが1名。

「おいおい、肝心の女の除霊は誰がやるんだ?」

言われてみれば・・・と、お互いがお互いの顔を見合わせる。

滝川と綾子は家の外で子供の霊を散らし、ジョンは居間で同様の事を・・・―――説得に耳を貸す可能性の低い相手であるから、霊媒である真砂子も除外。

はついさっき、黙ってみていろといわれたばかりだったし、麻衣に至っては除霊などした事もなければやり方も解らない半人前調査員。

残るは、これまでずっと機材のチェックをしていただけでどういう能力があるのか解らないリンと、そして・・・。

「まさか・・・」

一体誰が呟いた言葉だったのか。

けれど思うところは全員一致しているのか、視線がナルへと向けられる。

その窺うような視線を受けて、ナルは不敵にニヤリと笑んだ。

「・・・はじめよう」

答えは何一つ提示される事もないまま、舞台は決戦の地へ。

 

 

部屋の壁に幾枚も貼られた護符。

滝川と綾子が定位置についたという連絡を受け、ジョンのお祈りが始まった。

「天にまします 我らが父よ」

祈りの声と共に、聖水が静かに宙を舞う。

「願わくは 御名をあがめさせ給え」

ジョンの声に合わせるように、部屋の何処かがギシリと音を立てた。

そんな中、顔色を悪くしながらもこの場に留まる事を望んだ真砂子が、隣に座り込む麻衣の腕をぎゅっと握り締める。

「大丈夫?ベースに戻ろうか?」

「いいえ・・・ここにいますわ」

気丈にもそう言い、ぎゅっと唇を噛み締める真砂子を見て、麻衣は思わず頬を引き攣らせた。―――そんなにもナルの傍にいたいのか・・・などと考えているのだろうと、2人の様子を眺めながらは思う。

真砂子がそれだけの理由でこの場に留まっているのではないだろうという事はには解るが、それでもあまりの顔色の悪さにやはりベースに戻った方が良いのではないかとそう思う。―――もちろん、同じく顔色を悪くしているが言えた義理ではないが。

がこの場に留まる事に、滝川を初め綾子も・・・そしてリンも反対した。

彼女がこの家に来てから倒れた数を考えれば、当然の事だろう。

それでもがこの場にいられるのは、ナルが何も言わなかったからだ。

チラリと隣に立つナルを見て、は訝しげに眉を寄せる。

邪魔をするなと遠回しに言っていた割には物分りが良い。―――見ている分には支障はないという事なのだろうか?

「除霊には二つありますの。浄霊と除霊」

ジョンの祈りの言葉に混じって聞こえてきた真砂子の声に、は何気なく視線を向けた。

浄霊と除霊。

浄霊は霊に語りかけてこの世へのこだわりを解いてやり、成仏させてやる方法を言う。

「でもこれは霊媒にしか出来ない。・・・ナルは霊媒じゃないのですもの。除霊をするつもりなのですわ」

普段のがするのも、浄霊の方だ。―――立派な・・・とはいえないが、も一応霊媒に属する。

「悪い人間が・・・いたとしますでしょう。説得して改心させるのが浄霊。有無を言わさず殺してしまうのが除霊ですの。―――除霊はして欲しくありませんわ、・・・少なくともわたくしの目の前では・・・」

真砂子には、霊も人間も同じように見えるのだという。

はブレスレットやピアスを使って防御しているからそうでもないが、真砂子にとっては目の前で人が殺されるくらいの衝撃が伴うのだろう。

しかし同じ霊媒でも、にはその感情が理解できなかった。

は霊媒だが、除霊もする。

すべての霊が自分の言葉に耳を傾けてくれるわけではないのだ。―――今回の女の霊のように。

そういう意味では、真砂子のように純粋な霊媒ではないのかもしれない。

苦しんでいる霊を見れば助けてやりたいと思う気持ちは、きっと同じだとは思うけれど。

「きゃっ・・・!!」

「麻衣!!」

不意に麻衣の悲鳴が響き、慌ててそちらへと視線を向けると、以前のように見えない何かに引き倒されたようだ。

腕を押さえて青い顔をする麻衣を見て、背筋に悪寒が走った気がしてはブルリと身を震わせる。

あの井戸の中に引きずり込まれる瞬間。―――あんなもの、もう二度と体験したくもない。

「初めに言があった」

静かなジョンの声が響く。

「この言は初めに神と共にあった」

居間に開いた穴から、白い冷気のようなものが溢れてくる。

すぐにそれが子供たちの霊だと気付き、は僅かに身を正した。

「原さん、どうです?」

「逃げ惑っていますわ。随分数が減りました。居間の外へ出て行きます。―――泣きながら」

脳裏に初めてこの家で霊視した時の、子供たちの苦しみの声を思い出す。

悲しい、苦しい、助けてと・・・今も子供たちは泣き叫んでいる。

「ねぇ、子供たちを浄霊出来ないの?」

「無理ですわ。あの女がいる限り・・・!!」

言葉の途中で、真砂子が口元に手をやった。

それが何を意味するのかを察し、もまた井戸を凝視する。―――じわりじわりと這い寄るような、この気配は・・・。

「・・・出てくる」

その呟きは真砂子のものだったのか、それとものものだったのか。

―――微かな、水の音が聞こえた。

室内に冷気が漂い始める。

それを合図に、ゆっくりと・・・ゆっくりと穴の中から女の頭が見えた。

それは徐々に上昇し、俯いたままたちの前に姿を現す。

「富子さんはいません!!」

弾かれたように、真砂子が声を張り上げた。

「地上を探してもどこにもいませんのよ!その子達は富子さんではありません!どうぞ、もう自由にしてあげて!!みんなお母さんの元に帰りたいのですわ!おねが・・・!!」

言い募るような真砂子の声が不意に途切れる。

その理由は、女が立つ穴の場所。―――その穴の中から、幾つもの子供の手が這い出してくる。

なんて恐ろしく・・・なんて悲しい光景なのだろう。

これだけの子供が犠牲になり、そして今もまだ苦しんでいるのだ。―――その光景に耐え切れず、ずっと口を噤んでいたはダンと足を踏み鳴らして一歩踏み出した。

「いい加減にしなさいよ!そんな事して富子ちゃんが帰ってくるわけないでしょ!?貴女が自分の子供を愛おしく思うように、その子たちの母親だって自分の子を愛おしく思うの!これ以上母親から子供を奪わないでよ!!」

這い寄るような恐怖と、身を凍らせるような冷気。

尋常ではないこの空気の中、はあらん限りの声で叫ぶ。

腹立たしかった。―――子供たちをこんなにも苦しめる女も、そして女をこんな風にしてしまった人攫いも。

「いやー!!」

麻衣の悲鳴と共に、女がゆっくりと顔を上げる。

「・・・っ!!」

「・・・うわっ!!」

それと同時に襲った衝撃が、ジョンをいとも簡単に吹き飛ばした。―――そして、女へと挑むように足を踏み出していたも。

「ジョン!!!」

背中から思いっきり壁に叩きつけられ、一瞬息が止まった後激しく咳き込む。

真砂子に助け起こされうっすらと瞳に浮かぶ涙を拭いながら、はこの直情気味の性格はぜひ直さなければならないだろうと他人事のように思った。

「ナル!やめてください!少し待って!!」

耳元で叫ぶ真砂子の声に何とか顔を上げると、そこにはまるで他人事のように状況を静観していたナルが、女に向かい足を踏み出していた。

真砂子の制止の声にも耳を貸さず、女へと歩み寄る。

一体何をするつもりなのかと呆然とナルを見つめていると、彼は静かに手を上げて。

「お前の子供はここにいる」

そう言って女に向かい翳すように上げた手には、一枚の・・・小さな板。

いびつながらも人型に切り取られたそれに、は見覚えがあった。

「・・・あれは」

「集めた子供ともども・・・―――連れて行くがいい」

静かに投げ掛けられた言葉と共に宙に放り出されたそれに、女の視線が移る。

それは淡い光に包まれて、徐々に人型へと変化していく。

そうしてそこに現れたのは、夢に見た幼い子供の姿。

「富子ちゃん・・・?」

の小さな呟きと共に、女が子供に手を伸ばす。―――母親に気付いて、富子もまた女へと手を伸ばした。

そうして長き時を経て、母と子の手が再び結ばれた時、辺りは眩いほどの光に包まれた。

温かい、優しい光。

恨みに染まっていた女の眼差しが、優しい母親のそれへと変わっていく。

「・・・麻衣、さん。見て」

部屋の中を泣き叫びながら漂っていた子供たちが、女と富子を包むように渦巻いていた。

どの子供の顔にも笑顔が浮かんでいる。―――漸く長い苦しみから解放されたのだと知り、は泣き出しそうな笑みを口元に浮かべた。

これで、女も子供も救われた。

「・・・消えましたわ。浄化した」

宙を見上げて優しい笑みを浮かべ呟く真砂子を見つめて、もまたやんわりと微笑んだ。

 

 

「もう誰もいませんわ」

「うん、もうこの家に霊はいない」

真砂子と、2人は家の中を見回してすっきりとした面持ちでそう呟く。

あれほど重かった身体が嘘のように軽い。―――息苦しさも何もかもが綺麗さっぱり消え、久しぶりに爽快な気分だ。

「・・・なんで浄化したの?」

もう誰もいない井戸の中を覗き込みながら綾子が問う。

それを遠くから見やり、ナルは事も無げに言い放った。

「望みが叶ったからだ。・・・子供を手に入れた」

「子供って・・・さっきの板?あれなんだったの?」

「見たとおりだ、人形」

「なるほど、ヒトガタねぇ・・・」

ナルの短い説明に、滝川は感心したように声を上げる。―――しかしそれがなんなのかがいまいち理解できない麻衣は、訝しげに眉を寄せた。

「人の形に切った桐の板を、呪う相手に見立てるんでしょ?でもあれ、人を呪う方法じゃないの?呪いのわら人形の原型だもん」

「呪術には必ず白と黒がある。白は人を助け、黒は人を害する。同じ呪法が白と黒を兼ねる事は多い」

「だな。密教の怨敵退散の法も、両方の意味に使うもんな」

綾子の反論に、ナルはため息を吐きつつ説明する。―――その仕草が面倒臭いと雄弁に語っているようで、綾子は思わず頬を引き攣らせた。

一方麻衣は専門的な事ばかりでやはりよく理解できないらしく、小さく首を傾げている。

「ほら、私たちが飲んでる薬とかさ。作り方によって病気を治す薬になるけど、人の身体を蝕んじゃう毒にもなるって事あるでしょ?多分、なんかそんな感じだよ。リバーシブルみたいな」

「いや、それちょっと違うだろ」

そんな麻衣を見かねては小声で解りやすく説明してやるが、小耳を立てていたらしい滝川にあっさり反論させる。

ほんとにコイツ霊能者かよと疑わしげな視線を受けつつ、はさらりとそれを受け流しあさっての方向を向く。

初心者に噛み砕いて説明するには、多少意味合いが違っても解りやすければ良いのだ。

どうせ呪術なんて事に関わる事など、普通の生活を送っていれば滅多に在りはしないのだから。

そんなからの説明を素直に聞いていた麻衣は、小さく相槌を打った後、それでも疑問が残るのか改めてナルへと視線を向けた。

「でも、どうして人形が浄霊の役に立つの?」

麻衣の疑問はまさにそこだった。

真砂子との説得に耳を貸さず、あれだけ恨みを募らせていた女の霊を、いともあっさりと浄化させたのだ。―――しかもあの瞬間見えた富子の幻、あれはどういう事なのだろう?

「ヒトガタというのは、魂の依代なんだ」

「よりしろ、って?」

「魂が入る器。あの人形を麻衣に見立てれば麻衣の代わりになる。それを傷つければ麻衣自身にも傷がつく。―――それくらい本物に近くなるものなんだ」

珍しいナルの丁寧な質問に、しかし麻衣はざっと顔を青ざめた。

あんな板切れ一枚で、自分の命がどうにかなってしまうなど・・・考えただけで恐ろしい。

しかもナルはそれを使う事が出来るのだ。―――そんな事はしないと解っていても、良い気分はしない。

「あの人形は富子に見立てた。女はあれを自分の子供だと思ったんだ。子供を手に入れたと。―――だから浄化した」

浄化する寸前の女の霊を思い出し、その漸く満たされた表情には心から安堵した。

だが言葉を変えれば、女は騙されたとも言える。―――まぁ、終わりよければすべて良しとしておいた方が、女にとっても自分たちにとっても良い事には違いないが。

「よく人形が作れたな。その為に出て行ったのか?」

「そう。女の素性を調べに」

「・・・ふん。―――で?」

事も無げに言い切るナルを面白くなさそうに横目で眺めながら、滝川は短い言葉で先を促す。

女の名前は、大島ひろ。

女の家が取り壊されて、その後建てられたのがこの家なのだという。

大島ひろには富子という娘がいたが、ある日突然姿を消し、その半年後・・・池に死体が浮かんだのだという。

「・・・さらわれたのでしょうか?」

滅多に口を挟むことのないリンが、不意にナルにそう問い掛ける。

おそらくは麻衣とが見たという夢の内容に、引っかかる部分があったのだろう。―――確かに筋は通っている。

「・・・かもな。女は」

「井戸に身を投げて自殺した」

納得したように頷く綾子に言葉を切られ、ナルは珍しく驚いたように軽く目を見開く。

「・・・それはどうだか知らないが、要は富子の生没年が解ればよかったんだ。人形を作るのに必要だったから」

さらりとそう言い残し、ナルはリンを連れて部屋を出ていく。―――おそらくは撤退作業を始めるのだろう。

ナルは最初から浄霊をするつもりだったのだ。

確かにあれだけ強い怨念を持つ霊を除霊するのは簡単ではないが、それでもナルが浄霊という方法を取ろうと動いていたという事実をは意外に思う。

ナルならば、問答無用で排除しかねないと思えたから尚更。

「はー、ナルが陰陽師だとはねぇ」

やっぱりよく解らない男だと去っていくナルの背中を見送りながらぼんやりとそう思っていたは、感心したような滝川の声に視線をそちらへと戻した。

「・・・はへ?」

「陰陽師。陰陽道の使い手。・・・つっても解んねーわな」

きょとんとする麻衣を見て、滝川は小さく苦笑する。

「なんとゆーか・・・まぁ、中国から来た呪術で日本じゃ古くからあるワケ。人形を使う呪術の本家は陰陽道。神道でも使うけどな」

「へ〜・・・」

「人形を富子に見立てて浄霊するなんて高度な技は、陰陽師にしか出来んだろ」

説明を聞いてもはっきり理解は出来なかったが、どうやらすごいらしいという事だけは麻衣もしっかりと理解した。

確かにあれだけ自信に満ち溢れているのだから、それなりの下地はあるのかもしれない。―――そうでなければ、ただ腹立たしいだけだ。

「すごいじゃない、陰陽師なんて」

「すごいの?」

「まーね。ちょっとかっこいいわよ」

少しだけ悔しそうに・・・けれどまんざらでもなさそうに呟く綾子に、麻衣はう〜んと小さく唸る。

これはもしかすると、意外なライバル誕生かもしれない。

そうしてふと窺うようにへと視線を向ければ、当の本人は気のない様子で欠伸を1つ。

どうやら陰陽師という響きは、にとってはそれほど重要ではないらしい。―――そういえば少し前、霊能者は嫌いだと言っていたのを思い出し、寧ろにとっては減点対象なのかもしれないと麻衣はホッと息を吐く。

ナル争奪戦の最大のライバルは、真砂子ではなくなのかもしれないと麻衣は思う。

なんだかんだ言ってナルはの事を気遣っているように見えるし、言い合いをしている2人はお互い遠慮などないようで自然に見える。

願わくば、の心がナルへと向かいませんように。―――相変わらず眠そうに眉を顰めているを眺めて、麻衣は心の隅でひっそりとそう祈った。

 

 

「そうか、調査は終わったか」

電話の向こうで安心したように報告をするの声に、しかし一清は眉1つ動かさずにそう言葉を締めくくる。

「戻ってき次第報告をしてくれ。―――お前が今回どんな活躍をしたのか、報告を聞くのが楽しみだ」

ニヤリと口角を上げてからかうようにそう言うと、ブツリと回線が切られる。

どうやら彼女の気に障ったらしい。―――まぁ、この様子からすれば報告を聞かずとも結果は大体想像はつくが。

「それにしても今回は大変だったみたいですね、さん。私の調べからすると、かなり力の強い霊だったようですから」

藤野がお茶を差し出しながらそう告げる。

穏やかな笑みには、しかし僅かに心配の色が見て取れた。

月華となるほど感知能力の高いには、大分きつかったかもしれない。

もともとには霊の干渉を撥ね退ける力がほとんどないのだ。

言い換えれば、裸で南極に立つようなもの。―――それは想像を絶するほどの負担に違いない。

それでも彼女の立場上、屋敷の中で安全に守られるだけでは駄目なのだ。

彼女がこれからその能力と共存していくには、慣れるより他にない。

「・・・まぁ、愚痴くらいは聞いてやるさ」

藤野の視線をさらりと受け流し、湯気の立つ湯飲みを手に取った一清は、帰ってきた時のの反応を想像し小さく笑みを浮かべた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

そんな感じで、人形の家編終了〜!

内容を考えればどうだよって気もしますが、とりあえず無理やりにしろなんにしろ、リンとの足がかりが出来たのでこれで良しとします。(書き直す気力はありません)

次は・・・あれですか、放課後の呪者。

安原さんまではまだまだ遠いですね。

作成日 2007.10.2

更新日 2007.11.26

 

戻る