彰文の案内で菩提寺に調査に向かった滝川とが、特別な収穫も得られぬまま吉見家に戻ると、そこでは新たな事件が起こっていた。

「あれほど、人に向けるなと言っておいたろうが!!」

ベースに、滝川の怒声が響き渡る。

彼がこれほど怒るのも珍しいものだ。―――少なくとも、はこんな風に滝川が声を荒げたところなど今まで一度も見た事はない。

まぁ、その理由も仕方がないといえば仕方がないのかもしれないが。

「だって・・・!!」

「だってじゃない!!」

仁王立ちで立つ滝川の前で正座をさせられ怒鳴られていた麻衣は反論を試みるが、それは滝川の強い一言に掻き消される。

それに思わず頬を膨らませた麻衣を認めて、は困ったように乾いた笑みを浮かべた。

 

暗躍する

 

問題は、滝川とが出かけた直後に起こった。

菩提寺に調べ物に行く2人を除く他のメンバーは、綾子が作成した護符を吉見家の人たちに配るという仕事を任せられていた。

綾子から護符を受け取った麻衣は、その足でまず長男・和泰の妻である陽子の元へと向かったのだけれど。

「けっこうです、いりません」

持っていてくださいといって差し出した護符を、けれど陽子は受け取ることもなくキッパリとそう告げた。

それに戸惑いを隠せない麻衣が言葉を紡ごうとするも、それを遮るように陽子はうっすらとした笑みを浮かべたまま問いを投げ掛ける。―――これをつけておくと何か効果があるんですか、と。

「ええ、あの・・・悪い霊を寄せ付けない護符なんです。身体から離したら効果がないので・・・」

「でもお風呂に入る時はどうしますの?持って入れませんよね、紙ですもの」

それはそうなのだけれど、そんな事を言っていてはきりがない。

確かにこれは悪い霊を寄せ付けない為のものだけれど、それが絶対ではない事も事実なのだ。―――気休めといってしまえばそれまでだけれど、ないよりは全然マシだろう。

しかし陽子を前に立場上そう言ってしまうわけにもいかず、麻衣はなんとか彼女を説き伏せようと説得を試みたのだけれど。

それでも陽子はわかりましたと頷いたにも関わらず、護符をその場において立ち去った。

慌てて追いかけようとするけれど、目の前でピシャリと襖を閉められてしまい、麻衣は立ち上がりかけた体勢のまま困惑したように視線を泳がせる。

これ以上説得を試みても、彼女が素直に応じてくれるとは思えない。

それこそが何かの異変を告げている気もするが、今の麻衣にこれ以上出来ることはないに等しかった。

この事は後で滝川に報告しておかなければならないだろうと気を取り直して、麻衣は護符を配る仕事を続けるべく立ち上がる。

そして次に向かったのは、この家の子供たちだ。

葉月は既にジョンがお祓いを済ませ清めているから、残るは和泰の子で葉月の兄である克己と、光可の娘の和歌子の2人。

しかし麻衣が2人を見つけ護符を手渡そうと近づくや否や、子供たちはいらない!と声を上げて逃げ出した。

それに面を食らいながらも追いかけつつ、麻衣は2人の子供の異変について改めて思考を巡らせた。

初めて異変を感じ取ったのは、調査の合間に出会った時だった。

その時はSPRの人間が何人なのかと問われただけなのだけれど、感じた不信感は今もしっかりと覚えている。

そして記憶に新しいのは、靖高の自殺未遂騒動の時だ。

まるで好奇心を隠す事無く、期待に目を輝かせて、靖高は死んだのかと問いかけてきた2人は否定した麻衣に向かい残念そうに表情を曇らせた。

まさか、と不安が胸の中を支配する。

まさか、そんな・・・といくら否定してみたところで、1度沸きあがった疑問と不安はそう簡単に消えてはくれなかった。

だから麻衣は、賭けに出たのだ。―――2人の子供が、どんな反応をするのかを見てみるために。

「・・・和歌子ちゃん!おじさんが死んだの、知ってる!?」

子供たちを追って家の外に飛び出した麻衣は、今もまだ逃げ続ける子供たちに向かいそう声を張り上げた。

不謹慎なと思わなくもないが、2人の反応を見る為にはこれしか方法はない。―――2人が一番気になっているのは、おそらくこの事だろうと思うからだ。

案の定、子供たちは麻衣のその言葉に食いついた。

走っていた足を止め、麻衣の方へと振り返り、表情を強張らせる彼女を見つめて子供らしい笑顔さえ浮かべて。

「ほんと?」

「やった!」

次の瞬間、子供たちの口から飛び出た言葉に麻衣は大きく目を見開いた。

先ほどの麻衣の言葉に返ってくるような返答ではない。

けれど更に大きくなる不安と疑問を押し隠して、麻衣は自らを奮い立たせて自身も楽しげな笑みを浮かべると、引き攣りそうになる口元を強引に動かしつつ口を開いた。

「えっと、それから彰文さんもね・・・」

「彰にいさんも?どうかしたの?」

意味ありげな麻衣の言葉に、案の定和歌子が食いついた。

それに焦らすように・・・―――そして油断させるように両手を後ろで組み、小さく首を傾げながら、麻衣は更に言葉を続けた。

「どうしよう、教えようかな?」

「おしえて、おしえて!」

迷う素振りを見せる麻衣に焦れて、離れたところで立っていた子供たちが少しづつ麻衣に近づく。

「ん〜、でもやっぱ内緒にしておこうかな」

「えー!」

「ねぇ、おしえてよ!!」

なおも焦らす麻衣に、とうとう子供たちは麻衣のすぐ傍に寄ってきた。―――彼女の服をつかんで、強請るように引っ張る。

それに自分の作戦が上手くいったと確信した麻衣が、2人の子供を捕まえようと動こうとしたその時だった。

「彰にいさんもしんだの?くるまにのった?」

思いもしなかった克己の言葉に、麻衣は大きく目を見開く。

けれど彼女の行動は早かった。―――子供たちがそれに気付く前に2人の腕を掴み拘束する。

それにあっと声を上げる和歌子を無視して、麻衣は焦ったように声を上げた。

「車?車ってどういう事!?」

「はなして!!」

麻衣の剣幕に自分たちが騙された事を知ったのか、それともただ単に麻衣から逃れたかっただけなのか、克己が放せと声を上げる。

そんな騒ぎに気付いた綾子と光可が何事かと顔を見せたその時、麻衣によって腕を捕まれていた克己が彼女の手を振り払って駆け出した。

流石に暴れる子供を麻衣1人で捕まえておく事は難しかったのだろう。―――せめて和歌子だけでもともう片方の手で和歌子の身体を拘束するその目の前で、克己は一定の距離をとって立ち止まると鋭い目つきで麻衣を睨みつけた。

「和歌ちゃんをはなせよ!!」

「嫌。車って何の事だか教えて」

「はなせってば!!」

麻衣の言葉に耳を傾ける事無く、克己はなおもそう叫ぶ。

それに焦れた麻衣は傍に来た綾子に和歌子を任せ、護符を持たせるようにと指示を出す。

「そんなことするなっ!!」

その行動になおも克己が声を荒げるのを横目に、麻衣は改めて克己と向き直ると、言い聞かせるような声色で口を開いた。

「だったら車のこと教えて。でなきゃ、和歌子ちゃんに護符を貼り付けて取れないようにしちゃうから」

「そんなことしたら、ぼくうみにとびこむからな!!」

麻衣の脅しめいた言葉に、けれど克己はそれ以上の言葉を放った。

その鬼気迫る様子に、麻衣の背中がヒヤリとする。

「・・・克己くん、なに言ってるか解ってるの?」

「わかってるよ。ぼくがしんだらみ〜んなこまるんだから」

どこか心得たようにそう告げる克己に、麻衣は宥めるように声をかける。

「死ぬの、苦しいと思うよ」

「しってるよ。くるしかったらざまあみろだもん」

そんな麻衣の言葉の、けれど予想しない返答に、身体が緊張で強張るのを感じつつ麻衣は更に問いを投げ掛けた。

「・・・誰にざまあみろなの?」

不安と疑問はこれ以上ないほど膨れ上がっている。

今の克己はどう考えても普通ではない。

緊張する目の前の大人たちを見やって、克己は静かな声でキッパリと言い放った。

「みんな」

その瞬間、麻衣は確信する。

自分の疑問と不安が、現実のものなのだと。

「・・・克己くん、君、本当は誰なの?克己くんじゃないんでしょ?本当の克己くんは護符を怖がったりしないもんね」

「こわくないよ!」

「嘘よ、怖いんでしょ?だから護符を持つの嫌なんだよね?」

即座に返ってきた克己の言葉をキッパリと否定して、麻衣は挑むような嘲るような眼差しで克己を見やる。

そうして挑戦的にそう告げてやれば、一拍の後、克己の様子は一変した。

「ころしてやる」

ニヤリと口角を上げて、目を弓なりに細めて。

子供には到底浮かべられないであろう凶悪な笑みをその顔に貼り付けて、克己はまるで呪いの言葉のように淡々と言葉を続けた。

「お前も、この家の連中も、この子供も・・・」

あまりの変貌に、麻衣の手が無意識に動く。

『法力ってのは直接人に向けちゃいけないんだ。危険だからな』

けれどふいに脳裏に甦った滝川の言葉に、動きかけた手が止まった。

『でもあたし、友達に向けてやった事あるよ』

そんな麻衣の言葉に、滝川はなんと答えただろうか?

「海に飛び込むくらいは慈悲の内だよ、楽なもんだ。―――首を切られるのに比べたら」

不意に克己がそう言い放ち、麻衣は咄嗟に首元に手を当てた。

首を切られる。

当然だが、麻衣にそんな経験はない。

けれどそれに似た経験はした事がある。―――浦戸の調査の時に、1度だけ。

あの時の事は、今でも忘れられない。

のどに食い込む刃物の感触。

のどを伝って流れていく、生温かい液体。

そして今まで感じた事がないほどの、強烈な恐怖。

あんな思いは、もう2度と経験したくはない。

「首を・・・切られた?」

呼吸が詰まる。

掠れる声で呟いた麻衣の脳裏に、再び滝川の忠告が響いた。

『2度とすんなよ。麻衣程度だから何も起こらずに済んだんだぞ』

そうだ。―――滝川の忠告を思い出し、麻衣は自身を納得させるように言い聞かせる。

自分程度ならそんなに危険な筈はない、と。

それがただの言い訳とも、そんな保障などどこにもないとも解っていたけれど。

未だに迷い動く事も出来ずにいる麻衣を嘲笑うかのように、克己はニヤリと笑んだ。

「そして、同胞の裏切りに比べれば」

同胞の、裏切り?

不可解な発言に、麻衣は僅かに眉を寄せた。

「・・・ここの家の人たちが、あなたに何をしたの?」

「さてな」

克己にそれ以上答えるつもりはないらしい。

あっさりと肩を竦めてそう言った少年を前に、麻衣は自身の右手を握り締めながら苦しげに表情を歪めた。

自分程度ならそんなに危険な筈はない。

現に、以前友人に向かってやった時はなんともなかったじゃないか。

必死にそう言い聞かせるけれど、頭の片隅で声がする。―――今度も大丈夫だという保障は?

「その子から離れなさい!」

それに怯え、一歩を踏み出す事が出来ない麻衣を尻目に、克己は更に楽しげに笑みを浮かべるとサッと踵を返して。

「子供が死ねば用はない。そうなったら離れてやる」

「まっ・・・!!」

待ってと言葉を発する前に、克己は走り出していた。

わき目も振らずに、庭の向こうに広がる崖の方へと。

その光景に、麻衣は咄嗟に手を振り上げた。

どうしよう、とその時ですら葛藤しながら、それでも手は無意識に動き出す。

止めなければならない。

崖の向こうへと身を躍らせれば、きっと克己は助からない。

けれど、もし何かあったら?

『1度、壺に憑いた霊を落とした事はあるが、壺も粉々に・・・』

確かに滝川はそう言っていたけれど、それは滝川が霊能者だからそうなったのだ。

自分は調査員ではあるけれど、霊能者とはっきり呼べるものではない。

あたし程度なら・・・と何度もそう思うけれど、それでも何も起こらないという保証がどこにもない事も事実で。

堂々巡りな思考は、既にどうしようという言葉に埋め尽くされていく。

そんな事を考えている時間など、ないというのに。

克己の伸ばされた手が、崖へと続く背の低い敷居に届く。

それを目の当たりにした瞬間、麻衣の頭からは全ての思考は吹き飛んでいた。

「臨兵闘者皆陣列在前!!」

身体が無意識に九字を切る。―――けれどもう、麻衣の決意は固まっていた。

声と共に九字を切った手を克己へと振り下ろす。

それは見えない力となって克己の背中へと直撃し、直後克己は耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げた。

その背後で和歌子もまた同じような悲鳴を上げる。

暴れる和歌子を必死に取り押さえる綾子を他所に、麻衣は荒く呼吸を繰り返しながら呆然と克己を見つめていた。―――正しくは、彼の身体から出た何かを。

それを認識すると同時に、その影のようなものは信じられないスピードで麻衣の横を通り抜けていく。

ゴウという轟音を耳に勢いよく振り返るも、通り過ぎていった影は既にそこにはない。

「・・・消えた?」

今のは一体なんだったのか。

それを疑問に思う間もなく、麻衣は突然火がついたように泣き出した克己に気付き、慌てて彼へと駆け寄った。

気付けば和歌子も同じように泣き喚いている。―――突然の豹変に綾子がおろおろとするのを同じような心持ちで見つめながら、麻衣は倒れたまま泣き続ける克己の身体を引き起こす。

そのあと調べてみた結果、克己と和歌子の背中には麻衣がきった九字の形の火ぶくれが出来ていた。

『彰にいさんもしんだの?くるまにのった?』

その上、和歌子の先ほどの言葉が気になり調べたところ、車のブレーキオイルが漏れていた事が解った。

もし気付かずに家族の誰かが車に乗っていたら・・・―――それを考えると、背筋がぞっとするけれど。

「あれほど、人に向けるなと言っておいたろうが!!」

そして菩提寺から戻ってきた滝川とに事の次第を説明した麻衣は、滝川からそう叱責を受ける事になったのだ。

 

 

「だって・・・!!」

「だってじゃない!!」

あの場合は他に選択肢がなかったのだと言いたい麻衣の言葉を遮って、滝川の怒声が響き渡る。

それに対して不満げに頬を膨らませる麻衣を見つめて、は困ったように苦笑した。

確かに話を聞く限りでは、その方法以外取れる手段はなかったのだろう。

麻衣だとて、軽い気持ちでやったわけではないのは解っている。

しかしそれがどれほどの危険を孕んでいたのかも解っているとしては、全面的に麻衣を庇ってやれないのも確かで。

麻衣に九字を教えたのは滝川だ。

だからこそ、彼にはこの状況は見過ごせないのだろう。

それでもこのままにしておくのもどうかと思い、が仕方がないとばかりに口を開こうとしたその時だった。

はーと深くため息を吐いた滝川が、表情を怒りから困ったような呆れたようなものへと変えて、言い聞かせるように口を開いた。

「・・・退魔法というのは誰がやっても効果があるってもんじゃない。お前は才能があるよ、拝み屋のな。―――だから2度とするな」

確かに滝川の言う通りだ。

誰もが九字をきって相手に怪我を負わせられるわけではない。

特別修行したわけでもない麻衣が、軽いやけどとはいえ相手に影響を与えられるという事は、彼女にはその才能があったのだろう。

それが彼女にとっていい事なのか悪いことなのかはには解らないけれど、この仕事をする上ではあるに越した事はないに違いない。―――己の身を守るためにも。

滝川の言葉にポケッと口を開けて顔を上げる麻衣に、滝川は言い聞かせるように告げる。

「2度と人に向かって九字を切るような状況を作るんじゃない」

つまりは、そういう事なのだ。―――滝川が本当に言いたかった事は。

「・・・うん、ごめん」

滝川の言葉に素直に謝る麻衣を認めて、場を静観していたは満足げににっこりと笑った。

素直なところは、麻衣の美点だ。

心から反省してうなだれる麻衣から滝川へと視線を移して、ばっちり合った視線にお互い微笑みあう。

ぼーさんも、なかなかいいお兄さんが板についてきたよね。なんて、流石にこの状況で口にするつもりはないけれど。

そしてこの面倒見のよさが、あの一清に少しでもあったならと願わずにはいられない。―――実際にそうなったらそうなったで、気味悪がるのはなのだろうが。

「で?とりあえずチビさんたちに護符は持たせたんだな?他に受け取りを拒否した人は?」

ともかくも麻衣に釘を刺し終えた滝川は、気を取り直したように現状の確認に入る。

子供たちの例からも、霊が憑いている人間が護符の受け取りを拒否する可能性は高い。

それによって誰が霊に憑かれているのか、粗方予想を付けておきたいところだ。

だんだんと霊の動きが活発になってきている今、時間の猶予はあまりない。

そんな滝川の問い掛けに、黙って話を聞いていた綾子と真砂子が揃って顔を上げた。

「そうねぇ、若ダンナにはさっき渡したし・・・後は奈央さんね。って言ってもいなかったからだけど」

「どこに行ったか聞いたか?」

「それが、どなたも行き先を聞いてないらしくて・・・」

「・・・そうか」

綾子と真砂子の報告に、滝川は難しい面持ちで考え込む。

「・・・奈央さんが、いない」

その隣で小さくポツリと呟いたは、同じく考え込むように視線を落とす。

ただどこかへ買い物に出かけているだけならいい。

確かにどこかへ出かける時は一言くださいと釘を刺していたわけではないのだし、近くに買い物に行くくらいは普通の事だ。

なのに、どうしてだろう。―――嫌な予感が、拭い去れないのは。

それはもしかすると、先ほど麻衣から聞いた話が尾を引いているのかもしれない。

「あ、そういえば陽子さんが・・・」

つらつらとそんな事を考えていたの耳に、麻衣の思い出したと言わんばかりの声が届く。

それにどうしたのかとが視線を上げたのとほぼ同時に、何の前触れもなくベースの襖が開けられた。

「子供たちに怪我をさせたのは誰!!」

それと同時に室内に響く怒声。

呆気に取られてその人物を見やれば、いつもの穏やかな様子とは一変した陽子が表情を怒りに歪ませながら更に怒鳴り声を上げた。

「克己にあんな事をしたのは誰なの!?おまけに変なものを持たせて・・・!!」

突然の陽子の乱入に、全員が思わず腰を上げた。

確かに子供に怪我を負わせられれば、親として怒るのは当然の事だ。

最悪の場合は怪我だけではすまなかったのだとしても、そんな事を陽子が知るはずもない。

だから彼女のこの怒りは、ある意味仕方のない事なのかもしれなかった。―――そう、普段ならば考えるのだけれど。

「・・・変なもの?」

あまりの陽子の豹変振りに、嫌な予感が拭い去れない。

人が突然に態度を豹変させる。―――その例を、この家に来てから何度も見てきた。

その全ての原因は、その人間に霊が憑いていたからだ。

そんな面々の疑いと不安を他所に、陽子は鬼のような形相で叫び声を上げ続ける。

「あの益体もない護符の事よ!さっさと外してちょうだい!!」

「・・・陽子さん」

「あの子は外せといっても外さないのよ!それに葉月にも何かしたでしょう!和歌子にも、靖高にも、栄次郎にも!!―――何から何まで余計な事を!!」

声の限りそう叫び、陽子は荒い息を繰り返しながらSPRの面々を睨みつける。

様子が可笑しい。―――それは火を見るより明らかだった。

そんな状況の中、滝川が綾子の書いた護符を手に陽子へと歩み寄る。

「・・・これは身を守る為に必要なものなんです。陽子さん、持っていますか?」

そう言ってひらりと翳された護符を見やり、陽子はニヤリと口角を上げる。

「そんなもの、役になんか立たないわ」

「そんな事はないですよ。―――どうぞ」

拒否の態度を見せる陽子に、しかし滝川は怯む様子なく近づき護符を差し出した。

その促しに、無表情に戻った陽子が滝川の差し出した護符に手を伸ばす。

そうして彼女がその護符を受け取り、漸く受け取ってくれたとホッとしたその時だった。

彼女の手に渡った護符が、何の前触れもなく炎に包まれる。

炎はあっという間に護符を焼き尽くし、そうして灰になったそれをさらりと払って、陽子はニヤリと笑んだ。

「・・・ほら、こんなもの全然なんでもないじゃないの」

ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。

あまりの出来事に思わず目を見開いたは、けれどすぐさま滝川が動いた事に気付いて視線をそちらへと向けた。

「綾子、七縛」

「OK」

言うや否や、綾子の声を合図に陽子の動きがピタリと止まる。

それに戸惑いの表情を浮かべる陽子を前に、滝川がスッと前に進み出た。

「・・・な、なに?」

「何でもありませんよ。俺たちはちょいと陽子さんに用があるだけでして。―――ジョン」

声をかけられたジョンは、無言のまま聖水のビンの蓋を抜く。

そうして無言のままそれをふわりと辺りに振りまいたジョンは、静かな声で口を開いた。

「我はキリストの御名において汝に厳命いたす。身体のいかなる箇所に身を潜めていようとその姿を現し、汝が占有する身体より逃げ去るべし。離れるべし」

ジョンのお祈りの声はどうしてこんなにも心が落ち着くのだろうと、こんな状況にもかかわらずはぼんやりとそう思う。

「いずこに潜みおろうとも離れ、神に捧げられたる身体を最早求めるなかれ。父と子と精霊の御名により聖なる身体は汝に永遠に禁じられたものとすべし」

あれほど抵抗していた陽子は、いつの間にか大人しくジョンの言葉を聞いていた。

そうしてつらつらと言葉を並べていたジョンは、ふと言葉を切って。

節目がちな眼差しをまっすぐに陽子へと向けると、最後の一言を放った。

「イン・プリンシピオ」

それが合図だったのか、陽子は最後に目を見開き苦しそうな表情を浮かべると、しかし次の瞬間力尽きたようにその場に崩れ落ちた。

慌てて駆け寄ろうとするが、それを滝川に阻まれ、は固唾を呑んで陽子の様子を見守る。

「・・・よ、陽子さん?」

麻衣が、躊躇いがちに陽子の名を呼んだ。

それに導かれるようにゆっくりと顔を上げた陽子は、虚ろな眼差しで自分を取り囲む面々を見やって。

「・・・なに?一体、何が・・・?」

明らかに普通の様子に戻ったらしい陽子を認めて、全員がホッと息を吐く。

どうやら彼女に憑いていた霊はしっかりと祓われたらしい。―――まぁ、ジョンが失敗するとは思っていなかったが。

「もう、大丈夫です。これを身につけて離さんといてください」

今もまだ現状を理解できていないらしい陽子に、ジョンが十字架のネックレスを差し出す。

折角祓ったのに、また憑かれては意味がない。

これで絶対に大丈夫だという確証はないが、予防にはなるだろう。

そんな意味を込めて差し出されたそれを今度こそ受け取った陽子に、ホッと安堵して。

「・・・あの、あなた方は?」

けれど次の瞬間彼女の口から投げ掛けられた問い掛けに、全員が驚きに目を見開いた。

「・・・陽子さん?」

誰かの口から戸惑いの声が漏れるけれど、この場で誰よりも戸惑っているのは陽子本人だろう。

慌てて陽子へと駆け寄る彰文の背中を見つめながら、現状が本当に油断ならないものなのだと、その場にいた全員が思い知る。

この家には、一体どんな霊がいるのだろうか。

答えも出ないまま、全員が戸惑いの表情を浮かべる陽子を見つめてひっそりと息を吐いた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

子供たちと麻衣の活躍の下りはもう少し簡潔に纏めるつもりだったのですが、思ったよりも長くなってしまいました。

主人公の出番がないところなのに・・・。

でもやっぱりここをすっ飛ばすと話の内容が解らなくなっちゃうかなと思った結果なのですが、それならわざわざ主人公を外に引っ張り出した必要がなくなっちゃった気が。

うん、たまにはぼーさんとふたりっきりの時間を過ごしたって事で。(笑)

というか、気がつけば主人公ほとんど喋ってないよ。(あいたた)

作成日 2010.2.7

更新日 2010.9.19

 

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