到着した警官によって、検死の為に奈央は連れられていった。

それを見送り、呆然とした彰文を部屋へ送り届け、そうして滝川・リン・ジョン・の4人は無言のままベースへ戻るべく静かな廊下を歩く。

誰も何も話さない。―――否、なんと言っていいのか解らないのだけれど。

「・・・なぁ、リン」

不意に滝川が口を開いた。

それに声を出さずにリンが視線だけで返事を返す。―――同じように、ジョンももどうしたのかと滝川へ視線を向けて。

しかし滝川はそれらに反応する事もなく、まっすぐに前を見据えたまま躊躇いがちに口を開いた。

「リン、奈央さんを降ろせるか?」

滝川から発せられた言葉に、ジョンとは軽く目を瞠る。

しかしリンはいつもと同じように表情を変える事もなく、暫く考えた末に僅かに首を横に振りつつ呟いた。

「・・・申し訳ありませんが、日が悪い。難しいでしょう」

キッパリと返ってきた言葉に、は僅かに目を細めた。

リンは霊媒ではないけれど、や真砂子と同じように霊の声を聞く事が出来る。―――それも、何の危険もなく。

しかしそれには色々と制限があるのだ、今回のように。

リンの答えに「そうか・・・」とだけ呟きため息を吐いた滝川を見つめて、は意を決するとおもむろに口を開いた。

「・・・私、やるよ」

その場にポツリと落ちた声に、今度こそ滝川は立ち止まると勢いよく振り返った。

滝川に続いて歩いていたリンも、隣を歩いていたジョンも大きく目を見開いてを見つめている。

それらを全て受け止めて、はもう1度はっきりと言い放った。

「私が、やる」

 

届かない

 

ベースには、重苦しい空気に満ちていた。

洞窟に流れ着いていたのが奈央であった事。

それはこれ以上ないほどに、SPRのメンバーにショックを与えていた。

何よりもこの家の人たちを守る為にここにいるというのに、とうとう最悪の展開を迎えてしまった。

結局自分たちは、ここに来て何も出来ていない事を思い知る。

もしも、ナルがいれば・・・。

ふと何度目かになる思いに、はギュッと目を閉じてそれを振り払う。

いくら考えても、ナルはいないのだ。

もしもなんて考えていたってどうしようもない。―――今は、彼を助ける為にも自分たちがなんとかしなければいけないのだ。

苦し紛れにもが自分にそう言い聞かせていたその時、張り詰めたような空気を断ち切るように滝川が口を開いた。

「・・・真砂子ちゃんや」

突然名前を呼ばれた真砂子はふと顔を上げ、どうしたのかと滝川に視線を向ける。

それを受けて、滝川はしばし迷った末に重い口を開いた。

「奈央さんを降ろせるかい?」

「・・・・・・」

「リンは日が悪いって言うんでな。―――悪いがやってくれるか?」

滝川の要請に、真砂子は真剣な面持ちで彼を見やる。

そんな2人の無言のやり取りを見つめて、は辛そうに眉を寄せるとグッと唇を噛み締めた。

 

 

「私が、やる」

ベースに戻る途中、日が悪いというリンに変わって自分がやると名乗り出たへ返ってきた言葉は、彼女にとっては予測の範囲内であり、また素直に納得できないものでもあった。

「・・・駄目です」

当然の事のような否定の言葉は、滝川ではなくリンから返ってきた。

それにどうしてだと睨みつけてみても、リンは涼しい表情を崩さなかった。―――否、その表情はいつもよりも少し厳しいものだったのかもしれない。

「なんでよ。私なら奈央さんを降ろせる」

「・・・そうでしょうか?」

「なに、それ。私だってこう見えても一応霊媒なんだけど」

一応という言葉を間に挟む辺り、少し説得力に欠けたかもしれないが。

しかしそんな突っ込みはこの緊張感に満ちた会話に当然入ることはなく、リンはチラリと滝川へ視線を向けた後、まっすぐにを見つめ返した。

「貴女がその身体に降ろすのが奈央さんだと、どうして言えますか?」

「・・・・・・っ」

「この家にはどんな霊がいるのかも解らない。貴女は非常に霊を降ろしやすいのでしょう?ならば今回降霊を行い、他の霊ではなく奈央さんを必ず降ろせるという保証はありますか?」

理路整然と問われ、はグッと言葉に詰まり口を噤む。

リンの言う事も最もだった。―――これまでの事を考えると、必ず奈央を降ろせる確立は五分五分だ。

「でも、たとえばそれが奈央さんじゃなくて他の霊だったとしても、情報収集にはなるじゃない。ここにいる霊がどんな霊なのか、それで少しは解るかも・・・」

「・・・

なんとか許可を得ようと言葉を紡いだは、けれど静かな声で名を呼ばれて咄嗟に口を噤んだ。―――大きな声で怒鳴られるよりも、こんな風に静かな声の方が抑止力が強い場合もある。

リンの場合は、それがより顕著なのかもしれない。

今の彼の声には、どこか抗いがたい雰囲気があった。

「この家の霊がどんなものなのか、貴女にも解っているはずです。たった1度の降霊に、命をかけるつもりですか?」

はっきりと告げられ、流石に返す言葉が見つからないのかは悔しそうに俯いた。

霊に憑かれた克己や和歌子、そして陽子がどういう行動に出たのか。

もしもがその身に宿したのが奈央ではなく陽子たちに憑いた霊なのだとしたら、も同じ行動を取るに違いない。

いくら滝川たちが警戒していたとしても、そんなを必ず止められるという保証はどこにもないのだ。

リンの言う通りだった。

今のが降霊をするのは、まさに命をかける覚悟が必要なのかもしれない。

「・・・でも、私は!」

それでも素直に納得できるはずもなく、は振り絞るように声を上げる。

しかしそれを遮ったのは、これまでずっと黙って話を聞いていた滝川だった。

、もう諦めろ。リンの勝ちだ」

「勝ちって・・・!」

「いくらお前がやる気出しても、俺だって許可は出せない」

またまたキッパリと言い切られ、は眉間に皺を寄せつつ滝川を見返した。

そんなを宥めるように軽く背中を叩きながら、ジョンもまた困ったように微笑む。

「ボクも同じです。危険や解ってるのに、そんな事させられません」

ジョンにまでそう言われ、はクシャリと顔を歪めながら再び俯いた。

自分のつま先を睨みつけるように顔を伏せるを認めて、3人はそれぞれ顔を見合わせて眉を寄せる。

普段滅多にやる気を見せないがこうも積極的に名乗り出たその理由を、3人は察していた。

間違いなく、ナルの事に責任を感じているのだろう。

ナルが健在ならば、もしかすると今回の奈央の事件は防げたかもしれない。

そう思うと滝川たちにとっても色々複雑な感情もあるが、可能性は否定できない。―――ナルが健在でもこの事件を防げたかは解らないが。

しかし今ナルがいない現状において、がそう思い責任を感じる気持ちも解らなくはない。

けれど3人は思うのだ。

ナルがこうして戦力から外れてしまった原因が、必ずしもにあるとは限らないと。

リンに至っては、駄目だと言われていた事を実行しようとしたナルにも問題があると。

けれどそれを告げても、は納得しないだろう。

だからといって、危険を承知でに無理をさせるわけにはいかなかった。

自分たちには、まだ真砂子がいる。

真砂子はほど危険な立場ではない。

を差し置いて彼女にそれを頼むのは真砂子に対しても申し訳ないと思う気持ちもあるけれど、2人を比べた末の危険度でいえば真砂子の方が安定している事は確かだった。

「もっと冷静になれ、。いつものお前らしくないぞ」

含めるようにそう言われ、返す言葉が見つからず、は駄々を捏ねているのは自分だと理解し、諦めたように小さく頷いた。

 

 

「・・・やってみてもよろしゅうございますわ」

真砂子の静かな声に、思考に沈んでいたはハッと我に返った。

そのまま真砂子へと視線を向ければ、同じように彼女を見た麻衣が戸惑ったような表情を浮かべつつ滝川へと視線を移す。

「・・・ね、ねぇ。それなら家族の誰かに知らせた方がよくない?」

「ダメだ」

せめてと縋るような面持ちでそう問う麻衣を見返して、滝川はキッパリとした口調で言い放った。

それにどうしてと声を上げる麻衣を他所に、滝川は真砂子に向かいすぐにでも降霊の準備をと話を進める。

しかしそんな事で黙っていられるわけもない麻衣は、食い入るように滝川を見上げて声を上げた。

「ねぇ、なんでよ?だって奈央さん急にこんな事になっちゃって、もしかしたら家族に言いたい事があるかもしれないじゃない!!」

麻衣の言葉に、滝川が漸く彼女へと視線を向けた。

それを真っ向から見返して、麻衣もまた滝川を強く睨み上げる。

そんな緊迫感に満ちたやり取りを無言で見守っていたは、ひっそりとため息を吐き出した。

麻衣の言う事も、解らなくはない。

ただ奈央を降霊するだけならば、家族を呼んで最後の言葉を交わす事も可能だろう。―――実際にそういう例もある事だし。

けれど今がどういう状況か、突然の出来事と感情に支配されている麻衣には十分に理解できていないようだった。

最も、それが当然の事ではあるのだけれど。

そんな麻衣を見下ろして、滝川は普段の彼からは考えれないほど静かな声で口を開いた。

「奈央さんが事故で死んだとは限らない」

言葉短く告げられたそれに、麻衣は言葉もなく大きく目を見開く。

しかしそんな麻衣に追い討ちをかけるように、滝川は更に言葉を続けた。

「平たく言ってやろう。この家の誰かに殺された可能性がある」

「ぼーさんっ!!」

あまりの言葉に抗議の声を上げる麻衣だが、その場にいた他の全員が同じ意見だった。―――それは、非常に悲しい事だけれど。

「護符を配った時、すでに奈央さんはいなかった。あの時点で憑依されていたと思われる人間が3人はいる。事故や自殺とは限らない」

あの時点で憑依されていたと思われる人間は、陽子と克己と和歌子の3人。

その中で、誰かが奈央に接触していたといたとしても不思議ではない。

「もしも陽子さんが殺したんだとして・・・―――家族がそれを聞きたいと思うか?」

滝川の言葉に、反論できる余地はなかった。

たとえばそれが自分だったとしたら・・・?

自分ではなくても、誰か家族の中の1人だったとしたら?

奈央が亡くなっただけでもショックだというのに、そんな事実まで受け止めきれるだろうか?

「・・・そんな」

漸く麻衣にもそれが理解できて、けれど心の全てで納得できたわけでもなく、だからといってそれ以上言葉を連ねることも出来ずに、麻衣は絶望したように俯いた。

そんな麻衣を見下ろして、滝川は小さく息を吐く。

「そうでなきゃいいと俺だって思うさ。だからそれを確かめる為に真砂子に彼女を呼んでもらうんだ。―――家族は参加させない。了解?」

「・・・了解」

滝川の説得に漸く納得した麻衣は、それでも暗い表情のまま小さく頷く。

それを無言のまま見守っていたは、麻衣が去った後ぼんやりと滝川を見上げつつポツリと呟いた。

「・・・ぼーさんも、損な役割引き受けちゃったよね」

「・・・なぁに言ってんのよ」

の言葉に気付いた滝川が苦笑混じりに呟くのを見つめつつ、もまた困ったように笑う。

「こういうとこ見ると、やっぱりぼーさんって大人だったんだなぁって思うよ」

「・・・お前の俺に対するイメージってどんなのか、一回じっくり腹割って聞いてみたいんだけど」

「聞かない方がいいんじゃないかな、きっと」

「・・・おい」

チロリと視線を外して小さく呟くに、滝川は思わず恨めしげな声で突っ込む。

そうしてお互い顔を見合わせて、仕方がないとばかりに笑って見せた。

これももしかすると、なりに滝川の緊張を緩めようとしているのかもしれない。

それが真実かどうかは解らないが、しかしそれによって滝川の緊張が少しだけ緩んだのも確かで。

「・・・馬鹿な事言ってないで、真砂子の準備手伝って来いよ」

「は〜い」

ぐしゃぐしゃと乱暴に撫でられ、は乱れた髪を手櫛で直しながら苦笑を浮かべて立ち上がる。

降霊の結果がどうなるのかなんて、それこそやってみなければ解らないけれど。

それでもせめて本当の意味で最悪な結果だけは免れますようにと心の底から祈りながら、は準備を進める真砂子の下へと足を向けた。

 

 

光源を落とし、真っ暗になった部屋の中で、全員が息を殺すように真砂子を見つめた。

テーブルの上には蝋燭と線香が1本づつ。

暗闇の中でユラリと揺れる蝋燭の火と、微かに香る線香の香りはどこか気分を落ち着けてくれるような気がした。

「・・・奈央さん、そこにいますか」

どれくらいの時間が経っただろうか。

手を合わせてジッと目を閉じていた真砂子が、滝川の問い掛けにピクリと反応を示す。

そうしてゆっくりと開いた口から、躊躇いがちに言葉が零れ落ちた。

「・・・はい」

消え入りそうな声で返事を返した真砂子を見つめて、滝川は再び問いを投げ掛ける。

「吉見奈央さんですね?」

「・・・はい。これは・・・なんですか?」

どうやら降霊には成功したらしい。

それにホッと安堵を息を吐くのも束の間、滝川は更に言葉を続けた。

「あなたは亡くなりました。・・・解りますか?」

その問い掛けに、すぐに返事は返ってこなかった。

短い沈黙。

けれどその後、ため息混じりに彼女が小さく「・・・はい」と答えた。

「何故亡くなったのか、解りますか?」

霊となって、こうして自分が亡くなった経緯を聞かれるというのは、一体どんな気持ちなのだろう。

幸いな事に今もまだ生きているには想像がつかない。

けれどそれはきっと、とても苦しいに違いなかった。―――忘れる事の出来ない過去を自分から言葉にするのは、きっと他人が考えるよりもずっと。

「・・・海に、落ちました」

滝川の問い掛けに答えた、真砂子の瞳からポロリと涙が零れる。

「茶室の・・・庭にいて、海を見ていて・・・―――突き落とされました」

やっぱり・・・という思いが全員の脳裏に過ぎった。

やはり、奈央は事故で命を落としたのではない。

誰か・・・おそらくは家族の誰かに、殺されたのだと。

「あなたを突き落としたのは誰です?」

「解りません。とても・・・怖かった」

「どんな事でもいい。突き落とした人の事を思い出せませんか?」

尚も問いを続ける滝川に、奈央を宿した真砂子は小さく首を横に振った。

「いいえ。でも知らないで済んでよかった」

「何故です?」

本当に心からそう思っているのだろう奈央の安堵すら感じさせる声色に、滝川が訝しげに眉を寄せる。

自分がどうして、誰に殺されたのか。

その理由をそこまで拒む訳はなんなのか。

そんな意味を込めた滝川の問いに、奈央は僅かに表情を歪めた。

「あそこへは家族しか行きません。私を突き落としたのが家族なら・・・知りたくありません」

絶望したような、けれどしっかりとした意思の感じられる声に、これ以上聞いても無駄だというのは一目瞭然だった。

思わず滝川を見たは、同じように自分へ向けられた滝川の視線に気付き眉を寄せる。

これ以上は、奈央を苦しめるだけだ。

何より、彼女は自分を突き落とした相手を見ていない。

万が一見ていたとしても、話してくれるとも思えない。

ここらが潮時だと・・・―――そう視線で促したその時だった。

「・・・ああっ!!」

当然真砂子が声を上げた。

それに一瞬だけ緩んでいた空気が、再び緊張感に満ちたものへと変わる。

「どうしました!?」

「誰かが・・・ひっぱるんです!」

ひっぱる?

一体どうしたのかと問いかける前に、奈央は恐怖に満ちた声を放つ。

「これは・・・何?―――怖い!」

「奈央さん?」

「お願いだからひっぱらないで!怖い!そっちには行きたくない・・・やめて!化け物!!―――助けて!!」

最後に一際大きく悲鳴を上げて、真砂子はガクリとその場に崩れ落ちた。

それと同時に蝋燭に灯っていた明かりが掻き消える。

そのあまりにも突然の出来事に全員が呆然とする中で、奈央をその身に降ろしていた真砂子がふと閉じていた瞳を開いて呆然としたように小さく呟いた。

「・・・あたくし、呼べたようですわね」

「真砂子・・・」

身を起こすのもつらそうな真砂子へ慌てて駆け寄った麻衣が、そっと彼女の身体を支える。

それを見つめつつ、綾子が口元に手をやり僅かに恐怖の滲んだ面持ちで口を開いた。

「やっぱり奈央さん、殺されたんだ。・・・問題は誰が犯人かって事よね」

「・・・少なくとも靖高さんは違いますです。病院に運ばれた時、奈央さんもいてましたから。―――おばあさんも歩いたり出来へんようですし・・・」

綾子の呟きに、ジョンがキッパリとした口調でそう告げた。

確かに靖高が病院に運ばれた時に奈央がいたのなら、彼が犯人ではないだろう。

その時既に、靖高に憑いていた霊はジョンによって落とされていたのだから。

それ以前に、あれだけの怪我を負った靖高が奈央を突き落とせるとも思えなかったが。

「子供じゃ無理だしね」

「弾みをつければ出来なくもない」

「そうかもしれないけど・・・」

滝川の推測に気圧される形で綾子が口を噤んだ。

確かに出来なくもないかもしれないが、考えたくない事ではあった。

家族の誰が犯人でも辛いが、それが子供たちだなんて・・・。

「でも、怪しい人は他にもいるんじゃないの?まだ憑依されてる人がいるとか・・・」

どれが答えであっても辛い事だけれど、それでもがそう言い募るも、滝川は無常にも首を横に振った。

「そうとは限らねぇな。既に除霊は済んでいて、自分のやった事を忘れている可能性もある。もしやったのが陽子さんだったとしたら・・・?」

「・・・本人も知らない間に、大変な事をしちゃった可能性があるって事だよね」

麻衣の小さな呟きに、は思わず背筋に悪寒が走るのを感じた。

もしその推測が当たっていたとして。

そしてもしそれを陽子が知ってしまったとしたら・・・?―――そうなれば、陽子はどうなるのだろう。

『知りたくない』と言った奈央の気持ちが、今痛いほど解った。

憑依されていたとはいえ、家族の誰かが自分を殺したかもしれないなんて、だって知りたいとは思わない。

もし犯人が解ったとしても、除霊して正気に戻った相手に何をどう伝えればいいのか。

そして・・・。

『やめて!化け物!!』

あの時、奈央の身に一体何が起こったのか。

解らない事やどうしていいのか解らない事ばかりで、はぐるぐると渦巻く思考を放棄するように天井を見上げて目を閉じる。

降霊をしても、結局は解らない事ばかりが増えた気がする。

それでもひとつ確かな事は、現状が思っていたよりもずっと危険だという事くらいか。

「・・・どうしたらいいんだろ」

ポツリと呟いて、目を開けたは木目の天井をジッと見つめながら重いため息を吐き出した。

 

 

ふと目を開けると、は見知らぬ洞窟の中にいた。

「・・・なに、ここ?」

自分は確かベースにいた筈なのだけれど・・・―――そんな思いを抱きながらも、それほど不安を感じることもなく、は暢気にもグルリとその洞窟を見回した。

なんてことのない、普通の洞窟だ。

まぁ、だからと言ってのこれまでの人生でそれほど洞窟に関わりがあった事はないのだけれど。

見知らぬ場所であるにも関わらず、けれどそれほど危機感を感じる事もなくがぼんやりと立ち尽くしていると、不意に視界の端に光るものが映って思わず視線をそちらへと向けた。

「・・・うわ」

目の前にちらちらと浮遊するのは、いつか見た蛍にも似た白い光。

もしかするとこれは麻衣の言っていた魚の霊だろうか?

そう思い、好奇心にが手を伸ばしたその時だった。

ユラリと、洞窟の入り口に黒い影が見える。

なんだろう?とそれに目を凝らしたは、そこに立つ人物の姿に思わず目を見開いた。

「・・・な、奈央さん?」

それは死んだ筈の奈央だった。

俯いて、の声など聞こえていない様子で、洞窟の奥へと歩いていく。

よく見ればその身体は透明で、向こうの景色が透けて見えた。

「・・・どういう」

一体何がなんなのか解らず呆然と立ち尽くしていると、洞窟の奥まで歩いていった奈央は祠の前でまるで風に押し上げられるように天に昇っていく。

「これって・・・」

もしかすると、モニターに録画されていた光景そのものなのだろうか。

海から上る淡い光。

そのひとつが、今の奈央のように命を落とした者なのだとしたら?

天に昇っていく奈央を見送ったは、その視線を洞窟の奥にある祠へと向ける。

最初は見知らぬ洞窟だと思ったけれど、ここをは知っている。―――吉見家の下にある洞窟だ。

そうして改めて祠を目に映したは、それが歪んで見える事に気付き眉を寄せる。

あの時は疲れ目のせいかと思ったが、どうやら祠が歪んで見えるのは気のせいではないらしい。

一体どういう事なのだろうか?―――そうが考えを巡らせたその時、再び洞窟の入り口に奈央の姿が現れた。

「奈央さん。また・・・?」

今度もの問いに答える事無く、奈央は洞窟の奥へと歩いていき、そうして再び天に昇っていく。

それを何度繰り返しただろうか。

何度も何度も繰り返されるそれを呆然と見つめていたは、ふとある事に思い至った。

「・・・胎内めぐり」

昔学校の課外授業で行ったお寺に、確かそう呼ばれる場所があった。

暗いトンネルを母親のお腹の中に見立て、そのトンネルを抜けて外に出ると生まれ変わった事になると。

まさか本当にそんな事があるのだろうか?

信仰心の薄いは、あまり真剣に聞いていた話ではないのだけれど。

「そうだよ、これは再生の儀式だ」

ぼんやりと考え込んでいたは、不意に掛けられた声に弾かれたように振り返った。

そこには、柔らかい笑顔を浮かべるナルによく似た少年が立っている。

「・・・再生の儀式?」

「彼女は何度もああしてこの洞窟を通り抜けながら、別の何かに生まれ変わろうとしてるんだと思う」

「別の、何か・・・」

だから奈央の霊はこうして繰り返し洞窟を巡っているというのか。

「この洞窟は魂を呼び寄せる。呼び寄せられた魂は、ああして儀式を繰り返す。そこまでは解るんだけど・・・」

真砂子はここが霊場と似た空気があると言っていた事を思い出す。―――もしかすると、それも何か関係しているのかもしれない。

そこまで考えて、はふとした疑問を抱き眉を寄せた。

否、その疑問はもうずっと前からあったのだ。―――ただ、あえてそれに触れなかっただけで。

「・・・ねぇ」

何かを探るようにジッと洞窟の奥を見つめている少年に向かい声をかけると、柔らかい笑みが返ってくる。

それはとても綺麗だというのに、けれど時折泣き出したくなるほど切ないのはどうしてなのだろう。

「もしかして、私をここに連れてきたのはあなただったりするの?」

「・・・・・・」

「今まであなたが私の夢に現れたの、全部そう?それとも、あなたがいなかったものも?」

の問い掛けに、少年はゆるりと首を横に振った。

「僕が君の前に現れたのは、そう。でもそれ以外は知らない。君は僕が導かなくても、それに辿り着く方法を知ってるから」

ナルと同じ顔をしているというのに、柔らかい話し方は彼とはかけ離れている。

けれど言い回しは似ているかもしれないとそんな事を思う。―――妙に回りくどいところが。

「麻衣も同じように・・・?」

少しだけ距離を縮め、顔を覗き込むようにそう問いかければ、ナルに似た少年は困ったように微笑む。

それが答えのような気がして、は納得したとばかりに頷いた。

具体的に、麻衣からナルの夢を見たという話を聞いた事はない。

けれど麻衣が妙に力を発揮し始めたのは、考えてみればSPRと関わるようになってからだ。

それはそういった怪奇現象に関わる事によって潜在能力が刺激されて顕著に現れたのだろうと思っていたし、またその考えは間違ってはいないだろう。

それでも麻衣がその能力を発揮するのが主に夢の中であるという事と、そしてがSPRに関わりを持つようになってから彼が夢に現れるようになった事を踏まえると、夢を通じて麻衣に情報を伝えているのは彼なのではないかと思ったのだ。―――今の自分のように。

「・・・どうして?」

まっすぐに少年を見上げて問いかけると、彼は不思議そうに首を傾げる。

きっとこの疑問を口にすれば、彼はもう自分の前には姿を現さないだろう。

それでもは黙っている事が出来なかった。―――それが性分と言ってしまえばそれまでだけれど。

「どうして麻衣だけじゃなく、私の前に姿を見せようと思ったの?」

その言葉に僅かに目を瞠った少年を前に、は更に言葉を続けた。

「さっきあなたが言ったように、私が夢で見たもの全てがあなたの見せたものでないなら・・・―――私自身にそれを視る力があるっていうなら、わざわざあなたが私の前に姿を現す必要はないでしょ?」

「それは・・・」

「ナルの姿をしてるあなたを、麻衣は本当にナルだって信じてるんだろうけど・・・。それでも私にはやっぱり今でもそう思えない。今だから確信を持って言える、とも言えるけど」

最初はどうしてナルの夢を見たのだろうかと不思議に思っていた。

しかも夢で見るナルは、普段の彼とは掛け離れているのだ。―――現実では絶対に見ることの出来ないナルを前に、自分は一体何を望んでいるのかと不思議に思った事もある。

彼がナルではないと思った事も何度もあるが、それだって所詮はの直感に過ぎない。

けれど少ないながらもこうして顔を合わせる度に、違和感は確信へと変わっていった。

「あなたは、ナルじゃないでしょう?」

改めて問いかけると、少年は僅かに眉を寄せて困ったように笑う。

それはどこか泣き出しそうな、子供のような顔にも見えた。

「あなたがどうしてナルの姿をしてるのか・・・―――そしてどうして夢に現れて事件の情報を伝えようとしているのか、それは私には解らないけど」

そこまで告げて、は気付いた。

目の前のナルに似た少年が、少しだけ身を引いたことに。

「待って・・・!」

思わず引きとめようと彼の腕に手を伸ばす。

いつもならば掴む前に消えてしまう彼。―――けれども今日は消える事はなく、の手はしっかりと彼の腕を掴んでいた。

少しひんやりとする腕を放さないとばかりにがっちり掴んで、はグッと眉根を寄せながらまっすぐに少年を見上げた。

「そうやって、私があなたの正体を探ろうとすると消えちゃおうとするけど!だったらなんで私の前に姿を見せるの!そんなの今更じゃない!解りきってる事でしょ!?」

「・・・

「自分から寄って来ておいて、都合が悪くなったら逃げるなんて許さないんだから!」

声の限り叫んで、は何故か滲む目元を乱暴に拭う。

どうしてこんなにも感情が高ぶるのか。

何故彼を前にすると温かい気持ちを感じるのと同時に、悲しい気持ちになるのか。

もしかするとそれは心のどこかでは解っているのかもしれない。―――けれど今はまだ、それを受け入れたくはないとの心が悲鳴を上げているのだ。

「・・・最初は」

絶対に逸らさないとばかりに自分を見つめるを見下ろして、少年は困ったように微笑みながらポツリと呟いた。

「最初は、安心させてあげようと思っただけなんだ。君は麻衣をとても心配していたから」

その言葉に、は初めて夢の中で目の前の少年に会った時を思い出す。

たしかあれはSPRと出会った最初の事件で、麻衣と共に倒れてきた靴箱の下敷きになった時だった。

「次は、君が自分のとても危険な状態に気付いていなかったから。気付かないふりをしていたから、かな」

は自分の霊視能力を軽く見ているところがあった。

霊に憑依されやすい自身を自覚していながらも、それが殊更大きな問題とは思っていない節があった。―――憑依されても、すぐに落としてもらえばいいのだと。

そんな彼女は、他人からは酷く不安定な状態に見えた。

もっとそれを自覚するべきだと・・・―――そうしなければ、事態は何も解決されないという事を知ってほしかった。

「それから・・・」

ジッと黙って少年の言葉を聞いていたは、不意に途切れた言葉に不思議そうに首を傾げた。

「それから・・・なに?」

どこか遠くを見るように視線を飛ばす少年に促すように声をかけると、彼は再び困ったように微笑んで。

「・・・僕がナルじゃないって、君が言うから」

ポツリと落ちた言葉に、は大きく目を見開いた。

それを見なかった事にして、彼は躊躇いがちに口を開く。

「君が、そう言うから・・・」

自分の正体がなんであるか、それを知ってほしいと思った事はない。

自分はただこうして、夢の方向を示すだけだ。

けれど他の誰でもなく、自分だけをまっすぐに見つめてくれる存在が嬉しかったのも事実。

誰かの代わりではなく。

自分という存在を、認識してくれる誰かの存在が泣きたくなるほど嬉しかった。

それはもう、自分には持ち得ないものだと解っていたから。

「・・・あなたは、誰?」

悲しく微笑む少年に向かい、は初めて会った時と同じ質問を投げ掛ける。

それに答えが返ってくるとは思っていなかった。―――それでも、問いかけずにはいられなかったのだ。

案の定、少年はそれに答えることはなく、やんわりと・・・―――けれどしっかりと自分の腕を掴むの手を剥がして。

「ここにあまり長くいない方がいい。もう、行って」

「ちょっと待ってよ・・・」

突き放すような言い方に、は思わず声を上げる。

しかし1度離された手が再び彼の手を掴む事はなかった。

いつの間にか空気に溶けるように消えてしまった少年の残骸をかき集めるように、何もない空を力いっぱい握り締めて。

「この期に及んで逃げないでよ!!」

の悲痛な声が、洞窟の中に響き渡る。

 

力いっぱい叫んだ言葉は、きっともう彼には届かない。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

あれ、こんな終わり方でいいの?(自分で言ってみた)

とんでもなく原作を無視した捏造が入ってますが、まぁドリームですしいい感じに消化して頂けたらと。

むしろ本家のナルより、こっちの彼との方がいい感じっぽいですよね。(笑)

このシリーズも佳境に入ってきたので、そろそろ纏めに入ろうかと。

作成日 2010.2.14

更新日 2011.2.20

 

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