「ぼーさん!ジョン!!」

様子を見るべくベースを飛び出した2人は、急いでいるにも関わらず、背後から掛かった声に思わず足を止めた。

それはこの場面で絶対に聞こえない・・・―――聞こえてはいけないはずの声だったからだ。

弾かれたように振り返れば、そこには息を切らしたの姿がある。

そんな彼女を目に映した瞬間、滝川は怒鳴り声を上げていた。

「お前、何やってんだ!残ってろって言っただろ!!」

珍しい滝川の怒声に、は一瞬怯む・・・―――が、しかしすぐさま表情を引き締め、まっすぐに滝川を見返した。

「ぼーさんの言いたい事は解ってる。けど・・・!」

「解ってんなら、なんで付いてくるんだよ!」

「滝川さん、落ち着いてください!」

こんな状況にも関わらず、喧嘩を始めた2人の間でおろおろしながらジョンが口を挟む。

しかし滝川もも、その声に耳を傾ける余裕などなかった。―――ジョンの身体の向こうに見えるに向かい、強い口調で言い放つ。

「今はお前を守ってやれる余裕なんて・・・」

「守ってなんて貰わなくていい!私は・・・」

滝川の言葉を遮って、が声を上げる。

しかし全ての想いを口にするその前に、その場に鋭い悲鳴が響き渡った。

 

真夜中の襲撃者

 

目の前の光景に、彰文は自分にしがみついてくる葉月の身体を強く抱き返しながら、信じられない思いで目を見開いていた。

たとえばこういう光景を、映画の中でならば見た事がある。

しかしそれを現実で見た事は当然ながら1度もなかったし、また自分の一生にそんな出来事が起こるなど想像したこともなかった。

それでも目の前の光景が夢でも幻でもない事は、ここ数日の体験で嫌というほど理解できた。―――理解したいとは思わなかったが。

最初に異変を感じたのは、妙な唸り声のようなものが聞こえたからだ。

それがなんなのかは解らなかったが、やはりここ数日の出来事で空耳などではないとすぐに判断した彰文は、すぐさま家族の下へと走った。

幸いな事に家族には何の変化もなく、とりあえず何かある前にと全員でSPRの面々が集まるベースへ避難しようと思った矢先、コンコンと微かにガラスを鳴らしたような音が聞こえ、振り返った彰文は身体を強張らせ動けなくなった。

窓には、たくさんの人がいた。

それを人と呼んでいいのか、彰文には解らない。

人のようであり、しかしそれが決して生きている人間ではない事が一目で解ったからだ。

彰文のその視線に気付いた他の家族もまた、その光景を目の当たりにして恐怖に身体を強張らせ悲鳴を上げる。

窓を叩くその力は少しづつ強くなり、それはすぐに激しいものとなって。

子供たちの泣き声を聞きながら、そこから目を逸らすことも出来ず、とうとうその窓ガラスが死霊たちによって破られたのを彰文は見た。

「―――オン キリキリバザラバジリホラマンダマンダウンハッタ!」

一斉に襲い掛かってくる死霊たちに思わず目を瞑った彰文の耳に、ここ最近では聞き慣れた声が届いた。

しかしそれは彰文の知る彼からは考えられないほど強い声で。

咄嗟に目を開けた彰文の視界に映ったのは、何かに弾き飛ばされたように転がる死霊たちと、自分たちを庇うように立った滝川とジョンの姿だった。

「彰文さん!!」

それと同時に名前を呼ばれ、強い力で肩を引かれる。

ハッと顔を上げると、そこには普段はのほほんとした笑みを浮かべているが強張った表情で自分を見下ろしていた。

「さ、早く立って!みんなも!!」

抗う事を許さないような強い声色で告げられ、彰文や他の家族も反射的に立ち上がる。

そうして促されるように廊下へと押し出されるが、しかしそこにも死霊の姿を見つけ、陽子が悲鳴を上げた。

「・・・クソ!」

陽子の悲鳴に何があったのかを察するも、割った窓から侵入しようとしている死霊たちを食い止めるのに手一杯な滝川に、駆けつける余裕はない。

ジョンにそれを促すも、彼もまた迫る死霊たちを相手になかなか駆けつける事が出来ずにいる。

!!」

そんな状況の中で、この場でまだそれが出来る可能性があるだろうへと滝川が声を上げた。

たとえ相手を退ける事が出来なくとも、少しの間足止めする事くらいは出来るだろう。

は霊媒だが、真砂子と違って除霊もする。―――退魔法も使えるのだし、何の修行もしていない麻衣に比べればまだ効果はあるだろうと。

その言葉のない促しを汲み取って、は廊下へと飛び出すと彰文たちの前へ立ちはだかった。

目の前には身の毛もよだつような光景が広がっている。

普段のならば恐怖で動けなくなるかもしれないところだが、ここまで凄惨だと却って現実味が失せるのかもしれない。―――もしかすると、感情が高ぶっているからなのかも。

そんなどうでもいい事を考えながら、は印を結ぶ。

この場に同行した以上、自分に出来る事をするつもりだった。

「臨兵闘者皆陣列在前!」

九字を切って、力いっぱい刀印を振り下ろす。

その瞬間、今まさに自分たちに襲いかからんとしていた死霊たちは、まるであっけなく見えない何かに吹き飛ばされるようにその場に転がった。

「・・・・・・え?」

緊迫した空気の中、目の前の光景を呆然と見つめながらが小さく声を漏らした。

倒れ、苦しそうな唸り声を上げながらもがく死霊たち。

背後から聞こえる子供たちの泣き声をぼんやりと聞きながら、は震える自分の手を呆然と見下ろす。

「なんで・・・」

今更になって恐怖が襲ってきたのか、の身体は微かに震えていた。

その恐怖は、果たして死霊たちに向けられたものなのか。―――それとも・・・。

「おい、!」

立ち尽くすに気付いて、とりあえず窓から侵入しようとする死霊たちを撃退した滝川が、慌てた様子で廊下に飛び出してくる。

けれどそこに広がる光景に、彼もまた驚きに目を見開いた。

「・・・これ、お前がやったのか?」

滝川の呟きとも取れる問い掛けに、はビクリと肩を揺らす。

そんな事はの方こそ教えて欲しかった。―――否、まさに自分がやった事に間違いはないのだけれど。

かつて車内で霊に襲われた時、彼女が切った九字はそれほどの効果はなかった。

霊を追い払う事も出来ない。―――ほんの少し、怯ませる事が出来ただけだ。

だというのに、どうして・・・?

そんな疑問を抱いたの脳裏に、つい最近聞いた言葉が甦る。

『貴女の能力は、以前にも増して強くなってきています。―――いえ、本来の力が戻ってきていると言った方が正しいかもしれません。貴女の力を押さえ込んでいた何かが、少しづつ失われているような気もします』

以前よりも強くなっている力。

押さえ込んでいた何かが、少しづつ失われているような・・・?

は小さく身体を震わせて、思わず手首で揺れるブレスレットを握り締めた。

この状況で、自分のこの力はラッキーなはずだ。

大した力もなかった自分が、この絶体絶命のピンチを乗り切る手助けが出来る。

なのに、どうしてなのだろう。

怖いと、そう思ってしまうのは。

「―――オン キリキリバザラバジリホラマンダマンダウンハッタ!」

彰文たちが感じているだろう恐怖とは違うそれをなんとか耐えながら立ち尽くしていたは、不意に響いた力強い声にハッと我に返った。

それと同時に、赤い光が視界を染める。

それは見慣れた滝川の色だ。―――温かくて力強い、いつも自分を守ってくれた・・・。

さん、こっちです!!」

響いた声に視界を巡らせれば、死霊たちがいる方とは違う方向を指しながら声を上げるジョンの姿。

そこで漸く現状を思い出したは、こんなところでぼやぼやとしている場合ではないと思考を切り替え、戸惑ったように立ち尽くす彰文を促しつつ駆け出した。

その後を、死霊を退けた滝川も続く。

どうやら死霊たちは追ってくる気はないらしい。―――それに安堵しながらも、たちは彰文を守るように廊下を駆ける。

そうしてもうすぐベースだとホッと息をついたのも束の間、滝川は前を走っていたが立ち止まった事に気付き、訝しげに眉を寄せた。

「おい、どうし・・・」

「ぼーさん、ベース」

「・・・は?」

どこかぼんやりとした声色で告げられた言葉に、滝川は間の抜けた声を上げる。

しかしはそれに構わず、勢いよく振り返ると今度は焦ったような声で口を開いた。

「ベース!早くベースに戻って!」

何がなんだか解らないが、感知能力が桁違いに優れているのことだ。―――もしかすると何か感じ取ったのかもしれない。

「こっちは大丈夫だから、先にベースに戻って!」

の言葉に一瞬戸惑いを見せるものの、死霊が追ってくる様子もない為、滝川はジョンへと視線を送ってひとつ頷くと、全員を追い抜いてベースに向かい駆け出した。

「・・・ジョン」

「ベースは滝川さんに任せましょう」

滝川をベースへと促したのは自分であるというのに、それでも不安げな視線を送るへ、ジョンはこんな状況にもかかわらずやんわりと微笑んでみせる。

それに肩の力が抜けたのかホッと息を吐いたを認めて、ジョンは再び彰文たちを先導しつつ歩き始めた。

滝川とは違い、大勢を先導しているジョンたちの歩みはそれほど速くはない。

それでも先ほどとは違い、死霊が襲ってこないだけマシだった。

後はこのままベースに辿り着けば安心できる。―――心の隅で思っていたその考えは、もしかすると甘かったのかもしれない。

それを自覚したのは、ベースも目前となった廊下で白い光に気付いた時だった。

「何、これ・・・?」

まるで宙を泳ぐように飛ぶそれは、一般的に言う人魂のようであった。

けれどこちらに何かを仕掛けてくるわけではない。

一体これはなんなのだと眉を寄せつつも警戒は怠らず、廊下の端に彰文たちを避難させたその時、白い光がひとつ纏わりつくように寄ってくるのに気付いて、はそれを振り払うように手を上げた。

「もう、なんなのよこれ!」

苛立ち紛れに呟くと同時に、白い光がの掌を通り抜けていく。

実体のないそれを振り払うなど無理だと解っていたけれど・・・―――しかし次の瞬間、掌に走った痛みには思わず短く悲鳴を上げた。

さん!?」

白い光がすり抜けた右の掌を押さえるようにその場にしゃがみこんだの顔は、苦痛に歪んでいる。―――見れば額に玉のような汗も浮かんでいた。

さん、どうし・・・!」

「ジョン、駄目!その白いやつに触っちゃ・・・!」

突然のの様子に身を翻したジョンの右腕を、彼女の忠告も間に合わず白い光がすり抜けていく。

それと同時に走った鋭い痛みに、ジョンもまた驚きその場に跪く。

咄嗟に刺されたのだと認識するも、痛みを感じた場所に傷はない。

痛みもそれほど長く続くわけでもなく、漸く痛みの衝動から立ち直ったがジョンを庇うように立ちはだかった。

「ジョン、大丈夫!?」

「は、はい。でもこれは・・・」

「解んないけど、この白いのヤバイよ」

「はい。触らん方がええと思います」

ジョンもまた痛みから立ち直り、彰文たちを庇うようにの隣に立った。

しかし相手は実体もない白い光だ。

なんとか追い払おうとするも、それらはひらひらと宙を舞いながらジョンたちの行く手を阻む。

その時、背後で克己が泣き声を上げた。―――もしかすると白い光が触れたのかもしれない。

それに眉を寄せつつ唇を噛み締めながら、が九字を切ったその時だった。

「ジョン!!!」

待ちわびたその声に、2人はハッと顔を上げる。

視線の先には先にベースに戻った筈の滝川と、待機していた麻衣と綾子の姿があった。

「こっちへ走れ!ベースまで行けば安全だから!!」

「大丈夫!?」

声を上げて先導する滝川に続き、心配そうに顔を歪めた麻衣がこちらに向かい駆けてくる。

それを目に映したジョンは、咄嗟に叫び声を上げていた。

「この白いのに触らんといてください!エライ目にあいます!!」

「・・・え?」

しかしジョンの忠告も一歩遅かった。―――戸惑いの声を上げる麻衣の腹部を貫くように、白い光が通り抜けていく。

その直後、腹部を押さえて呆然とした様子で麻衣がその場に座り込むのが見えた。

「麻衣!!」

「どうした!?」

すぐさま綾子が駆けつける。―――その麻衣の異変に気付いた滝川もまた、ジョンたちの方へと駆け出していた足を止めて振り返る。

しかし呆然とその場に座り込んでいた麻衣は、滝川の周辺を舞う白い光に気付き咄嗟に声を上げた。

「ぼーさん、避けて!!」

「なに?」

麻衣の言葉に、しかし意味が解らず滝川は完全にその動きを止める。―――その隙に白い光は滝川の足をすり抜け、その直後ガクリとその場に膝をついた。

「・・・ってぇ!なんだ、こりゃ。傷はないのに痛さだけしっかりありやがる」

自身を襲った突然の痛みに眉を顰めつつ、滝川は自分の足を確認した。―――あれだけの痛みを感じたというのに、そこには傷ひとつない。

「ぼーさん!!」

しかしそれがなんなのかを考えている余裕はなかった。―――白い光は、なおも自分たちの周りを飛び回っている。

そうしてそれが再び滝川や麻衣、そして綾子の身体に触れそうになったその時、突如その場に鋭く高い音が響いた。

それが何かを確認する前に、ゆらゆらと浮遊するそれとは違う白い鋭い光が駆け抜けていく。―――それらは浮遊する光を切り裂き、そしてすぐさまその姿を消した。

一体何ごとかと顔を上げると、強張った表情を浮かべるの顔が目に映る。

彼女の口元には手が添えられていた。―――どうやら先ほど聞こえた鋭い高い音は、彼女の指笛の音らしい。

ならば、あの白い光を切り裂いたものは・・・?

それを思案している暇はなかった。

「大丈夫!?」

「全然大丈夫じゃねぇ!―――キャタハンジャサハダカ ソワカ!」

駆け寄る麻衣にヤケクソ気味にそう返して、滝川は苛立ち全てを込めて声を上げた。

それと同時に赤い光が白い光を一斉に掻き消す。

それを確認した滝川は、麻衣と綾子へと向かい、今もまだ立ち往生している彰文たちを視線で指しながら声を上げた。

「今のうちだ、行け!!」

「う、うん!」

滝川の促しに、麻衣や綾子・・・―――そして彰文たちの傍にいたジョンともまた吉見家の人たちを先導するように走り出す。

そうして転がるようにベースに駆け込み、勢いよく襖を閉めると、全員が荒い息のままその場に座り込んだ。

「谷山さん!よかった、みんな無事ですね」

滝川たちの帰りを待っていただろう安原が安心したようにそう言うが、生憎とそれに返事を返せるだけの余裕のある者はいなかった。

全員が全員荒い呼吸を整え、身体を支配するような恐怖を押し殺すことで精一杯だった。―――勿論、それは安原も同じなのだけれど。

「だい・・・じょうぶ・・・?」

「・・・ここで眠らせてもらえたら1億円払ってもいい」

同じように荒い息の中、畳の上に座り込んだ麻衣が寝転がる滝川に向けて心配そうに問いかけると、滝川はもう動きたくないとばかりに唸り声を上げる。

それに気遣わしそうな表情を浮かべた真砂子が、労わるように滝川の顔を覗き込んだ。

「少しお休みになったら・・・。もう大丈夫のようですわよ?」

「俺がお休みになったらここの結界も解けるでしょーが」

ひらひらと手を振り大丈夫だと控えめにそう告げる滝川を、同じように座り込みながら見つめていたは、荒い息のまま億劫そうに腰を上げ、そうして自分の荷物の方へと這うように移動すると、ごそごそと鞄を漁りそこから布にくるまれた何かを取り出した。

「・・・それ、なに?」

そんなの様子を不思議そうに見つめていた麻衣が、小さく首を傾げつつ問いかける。

それに視線を向ける事で返したは、丁寧に布を解いていき、そこから1枚の紙を取り出した。

「・・・お札」

簡単に答えて、立ち上がったは今もまだカリカリと音がする窓辺へと向かう。

障子を閉めているため姿は見えないが、まだそこに死霊はいるのだろう。―――とても障子を開けてみる気にはなれない。

その障子に持っていたお札を貼り付けたは、小さく息を吐いてゆっくりと滝川へと振り返った。

「ぼーさん、多分もう寝ても大丈夫だと思うよ」

「・・・ああ?」

「お札、貼ったから。多分結界解いても、死霊は入って来れないと思う」

まぁ、断言できないところが不安ではあるが、おそらくは大丈夫だろう。

そんな思いを込めて告げれば、滝川は寝転がったまま不思議そうな眼差しを向けた。

「それって・・・?」

「ここに来る前、一清に・・・―――当主に書いてもらったの。時間がなかったから1枚だけなんだけど」

それをお願いした時の一清は、それはもう面倒臭そうな顔をしたものだ。

それでも文句を言いながらも用意してくれたのだから、感謝するべきなんだろう。―――多少複雑なところもあるが。

一清が書いたものだから、効果は間違いないと思う。

そう付け加えると、滝川はそうかとひとつ頷いて、少しだけ上げていた首を畳の上に落とした。

それでも眠ってしまう気はないらしい。―――まぁ、この状況を考えれば仕方がないのかもしれないけれど。

「そういえば、さ。、聞いてもいい?」

「・・・なに?」

お札を貼った後、窓の傍から離れて先ほどまで座っていた場所まで戻ったは、麻衣が不思議そうな面持ちでこちらを見ているのに気付き同じように首を傾げる。

「さっきさ、あたしたちがあの白い光に囲まれてた時、何かしたよね?あれって前にリンさんがやってたのと同じように見えたんだけど・・・」

麻衣の問い掛けに、全員の視線がへと向いた。

それに居心地悪そうに身じろぎしつつ、はコクリとひとつ頷く。

「・・・あれは、私の式なの」

「式!?も式、持ってるの?」

「・・・まぁ、一応は」

こう見えても、も陰陽師の端くれだ。

嫌々ながらも修行はちゃんと積んでいたし、高等技など使えないがそれなりの事が出来るだけの知識も、そして力も持っている。

「でも、今まで一回も使った事なかったよね。なんで?」

あんなにも簡単に霊を追い払えるだけの力があるのなら、もっと活用すればいいのに・・・と麻衣は思うのだけれど。

そういえばリンもほとんどそういった力は使わない。

何か理由があるのだろうか?―――そんな思いを込めて視線を向けると、は戸惑ったように視線を泳がせた。

「私の式は、主と同じでリンさんほどの力はないし・・・」

「あんなに簡単に霊を追い払ったのに?」

そう言われてしまえば、にはどう答えていいのか解らない。

確かに以前まではそれほど力はなかった。

が霊を追い払えなかったのと同じように、彼女の式にもそれほど力はなかったのだ。

けれど・・・―――先ほど九字で死霊を蹴散らしたのと同じように、式もまたあっさりと霊を掻き消す事が出来た。

それは、彼女の力が戻ってきたから?

その判断を下す事は、には出来ない。―――したくない、と言った方が正しいかもしれない。

「・・・そうだね。おかしいよね」

ジッとこちらを見つめる麻衣へと微笑みかけ、は言葉とは裏腹にまるで答えを知っているかのような口調で小さく頷く。

それ以上は聞いて欲しくないと、そう態度で示すを前に、麻衣はもうそれ以上言葉を発する事が出来なかった。

 

 

「・・・ねぇ、これからどうなるの?」

ともかくもなんとか一心地つき、落ち着かないまでも恐怖から開放された面々は、それぞれ身を寄せ合うようにして身体を休めていた。

そんな中で、不安そうな眼差しを窓辺に向けつつ口を開いた麻衣に向かい、滝川はため息混じりに口を開く。

「とりあえず、朝まで待とう。夜明けになればなんとかなるだろ」

明るくなれば、死霊たちもひとまずは去るだろう。

それまでは身動きが取れないが、反撃のチャンスはある。

「そういえば、ナルは?大丈夫なの?」

「大丈夫です。起こされずにすみました」

麻衣の問い掛けに、様子を見ていたリンが言葉少なくそう答えた。

どうやらベースを襲った死霊たちの目的は、ナルだったらしい。

それはナルがどういう人間なのかを知っているからなのか、それともナルに憑いた霊を開放しようとしているのか。

ここまでして開放を求めるのだとすれば、ナルに憑いている霊は一体どんなものなのだろう。―――気にはなるが、今もまだよく視えない為、はっきりとした答えは出ないけれど。

それでもどこかで感じたことのある気配なのだ。

ぼんやりとナルの眠る部屋の、今もまだ閉じられた襖を見つめながらは思う。

一体何の気配だったろうか?―――もうそこまで出かけている答えを引っ張り出そうとが眉間に皺を寄せたその時、コツンと軽く頭を叩かれ思わず顔を上げた。

「・・・綾子」

「ほら、傷口見せなさい」

どうやら先ほどの頭を叩いたのは、綾子の持っていた救急箱らしい。

すぐ傍に座り救急箱を開けながらそう告げる綾子に、はひらひらと手を振ってみせる。

「大丈夫だよ。そんなに酷い怪我はないし、わざわざ手当てする必要も・・・」

「馬鹿言ってんじゃないわよ。傷でも残ったらどうするの。ほら、手出して」

強い口調で促され、綾子の怒ったような顔を見たは、躊躇いつつも腕を差し出す。

その手を取って傷口を覗き込んだ綾子は、盛大に眉を顰めた。

どこが酷い怪我じゃない、よ。―――心の中で苦々しく思いながら、綾子は消毒液を手に取る。

明かりの灯っていない暗い部屋の中ではよく解らなかったけれど、の怪我はそれほど浅いものではなかった。

縫わなければならないほどでもないが、放置していていいものでもない。

まったく、無茶ばっかりするんだから・・・!

口にすれば何かと反論が返ってくるだろうし、それを聞きつけた滝川やリンが煩いだろう事は簡単に想像できたので、あえて口には出さなかった。

それでも落ち着いたら説教くらいはしてやると心に決めつつ、多少乱暴に消毒液をかけてやれば、はグッと唇を噛み締めて痛みに耐えていた。

彼女もまた、痛いと声を上げて滝川やリンに知られるのは避けたいらしい。

まぁ、2人の制止を振り払って飛び出していったのだから、これ以上余計な心配はかけたくないのだろうが。

の元へ綾子が治療に向かったと同時に、安原もまた滝川の治療へと向かった。

ざっと見る限り、滝川の傷が一番酷い。

それにジョンもかなりの怪我をしているようだ。―――朝まで動けない以上、出来る限りの応急処置はしておかなくてはならない。

「滝川さんも、怪我は?」

「いっぱい。男に見てもらうとありがたさも半減だなぁ」

救急箱を持った安原が傍に来たのを見て、滝川が億劫そうに起き上がった。

「そんな口が叩けりゃ大した事ないですね。はい、見せて」

なんだかんだ言いつつ積極的に治療に応じない滝川に業を煮やした安原が、滝川のTシャツを脱がしにかかる。

「きゃー、えっち!」

「頭から消毒液かけてあげましょうか?」

それにも微妙に抵抗する滝川に焦れて安原が半ば強引にTシャツを巡り上げたその時、露わになった滝川の背中の傷を見た安原は気付かれない程度に眉を寄せた。

予想していた以上に、彼の背中の傷は酷いものだった。

同じようにそれを見た麻衣や真砂子、そしてや綾子もまた驚きに目を見張る。

しかしその傷口を見た安原は何事もなかったかのような仕草で救急箱から消毒液を取り出すと、それを染み込ませたガーゼを傷口へと押し当てた。

「はい、沁みますよ」

「あだだだだだだだだだっ!!」

どうやら相当沁みるらしい。

まぁ、これだけ酷い怪我なら当然だ。

しかしそこにはあえて触れず、安原は問答無用でガーゼを押し当て続ける。―――滝川も、おそらくは気遣われたくはないだろうと思ったからだ。

「男の子でしょ、我慢する!」

「俺、今日から女の子になる!」

「気持ち悪いからやめときなさい」

2人のやり取りに、彼の傷の具合を知らない彰文たちが小さく笑みを零す。

こんな状況にも関わらず、それでも少しは笑えるくらい落ち着いたらしい。―――それはこの張り詰めた状況では救いでもある。

そんなやり取りを僅かに頬を緩めながら見ていたは、しかしふと感じた気配に気付きパッと顔を上げた。

慣れ親しんだ気配。

そして、覚えのある気配。

どうして今まで気付けなかったのだろう。―――自分はこの気配を知っていたのに。

愕然とした思いでが宙を眺めている中、同じようにそれを感じ取ったリンが滝川へと視線を向ける。

「式が戻ってきました。これで5つ揃った。―――滝川さん、眠っても大丈夫ですよ」

リンの言葉に、手荒い治療を受けていた滝川が息も絶え絶えに手を上げる。

そうは言っても、きっと滝川は眠ったりはしないのだろう。

「何も見えなかったけど・・・」

同じようにリンの言葉を聞いた麻衣は、驚いたような面持ちできょろきょろと辺りを見回して。

しかし麻衣とは対照的に、と同じようにその気配を感じ取ったらしい真砂子が腑に落ちたとばかりに僅かに目を伏せた。

「・・・それが、式ですの?」

「気配をご覧になれますか?」

「ええ。・・・わかりましたわ、この家にいた霊がとても空虚だったわけが」

リンの問いに頷いて、真砂子は何もない宙へと視線を投げる。

「子供たちやナルに憑いていたものも、家を彷徨っていたものも、どの霊もあんなに空虚な感じがしたのは・・・―――あれが何者かの使役霊だからですわ」

そう、だからそこにいる霊がなんなのかがよく解らなかった。

そしてがどこかで覚えがあると思ったのも、当然の事だったのだ。―――何せ彼女の傍には、その式がいるのだから。

それを今の今まで気付けなかった事が、今回一番の失態だったのかもしれない。―――今更言ってももう遅いが。

「あの霊は自分の意思で動いていません。誰かが彼らの恨みを・・・成仏できないほど深い苦しみを利用して彼らを式として使役しているのですわ」

誰かが使役している。

では、一体誰が・・・?

それを確かめる術は、今はない。

そしてそれが解ったとしても、今の彼らに取れる手段はないのだ。

全ては夜が明けてから。

 

 

結局のところその結論に達した面々は、少しでも身体を休めようとそれぞれ口を噤んだ。

この騒動で心身ともに疲れ果てたのか、彰文たちは身を寄せ合うようにして眠っている。

しかしSPRの面々はどうしても眠りにつく事が出来ずにいた。

今夜はもう大丈夫だと言われても、心から安心する事が出来ない。

滝川に至っては、結界を張っているのだ。

いくらリンの式が揃い、が当主の作った札を貼って安全だと言われても、結界を解く気にはなれなかった。

それでも疲れはピークに達しており、疲れた身体は猛烈な勢いで休息を求めている。

何度も意識を持っていかれそうになりながらもそれを耐えていた滝川は、それでも助けを求めるように黙りこくっているへと視線を向けた。

「おーい、。なんか面白い話とかないか?」

「なによ、いきなり」

「もう俺、今にも寝ちゃいそう」

「そんなに辛いなら寝ればいいのに・・・」

呆れた視線を投げ掛けながら、が苦笑交じりに呟く。

それでも彼が起きているのは、自分たちを思っての事なのだ。―――申し訳ないとは思うけれど、ありがたいと思うのも確かで。

だからこそは考えた。

滝川の望むような面白い話はなかったか、と。

そうしてふとある事に思い至り、は考え込むように僅かに眉を寄せた。

「面白い話ではないけど・・・」

「ああ?」

小さな声での呟きは、滝川にははっきりと聞こえなかったらしい。

訝しげに視線を寄越した滝川を見返して、はやんわりと微笑んだ。

それはいつか見た事のある表情。

その表情に何かを察した滝川が表情を真剣なそれへと変えたのを認めて、はもう1度笑った。

「じゃあ、昔話をしようか」

「昔話?」

を取り巻く空気が色を変えた気がした。

ざわざわと胸の中がざわつく。

それは不安なのか、それとも期待なのか。

自分でもよく解らないそれを持て余しながら問い掛けた滝川に、は僅かに目を伏せて。

「そ。落ちこぼれの女の子の、望まないシンデレラストーリーをさ」

 

の『昔話』の、はじまりはじまり。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

漸くここまで来ました。

今回は原作には書かれていない部分へ、主人公を投入。

原作にないだけ自由に書けるとはいえ、原作にないだけ難しかったです。(笑)

何気に主人公の能力が格段にアップしていますが。(これまでとは比べ物にならない感じ)

そしてたまにはジョンと絡ませたいと思ったのですが、見事玉砕です。

次回はとうとう主人公の過去をメインに。

ここまで本当に長かったなぁ。(もう終わったみたいに)

作成日 2010.3.7

更新日 2011.10.9

 

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