うっすらと部屋の中に差し込む太陽の光に、はうっすらと目を開けた。

眠ってしまう気はまったくなかったが、いつの間にかうつらうつらしていたらしい。

自分の神経の図太さに半ばがっくりしつつも身を起こしたは、ぼさぼさになってしまった髪の毛を手櫛で整えつつ立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。

障子で仕切られたそこから、今は景色など見えない。

昨日の事を思うと開けるのに幾分躊躇いが生じたが、清浄な朝の光に引かれるようにゆっくりと手を伸ばす。

そうして開いた障子の向こうには、思わず言葉を失ってしまいそうなほど綺麗な朝日に照らされた景色が広がっていた。

 

巫女として

 

「・・・さぁて、ちょっくらもう一働きするか」

ぼんやりと窓からの景色を見ていたが不意に響いた声にゆっくりと振り返ると、疲れた顔をした滝川が伸びをしながら身を起こしたところだった。

それに同じように目を覚ましていた麻衣が、滝川の発言に目を大きく見開き声を上げる。

「え、もう?結局結界張りっぱなしで少ししか寝てないんでしょ?まだ寝てたら?」

昨日から、滝川の負担は想像以上に大きい。

いくらもう大丈夫だからといっても、結局結界を張りっぱなしだった滝川は明け方近くになるまで眠らなかったのだ。

結界を張る事が出来ない麻衣にそれがどれほどの負担なのかは解らないが、それを差し引いても過酷な労働の上にほとんど眠っていない滝川の身体的・精神的負担は簡単に想像が出来る。

だからこそ咄嗟にかけた言葉なのだけれど、それは滝川当人によってあっさりと却下された。

「そうも言ってられんだろ。早く片を付けちまわないと何が起こるか解らん。今夜また昨夜みたいな襲撃を受けたら持ちそうにないしな」

麻衣の気遣いはありがたかったけれど、事態はそうのんびりとしていられるほど優しいものではないのだ。

昨夜はなんとか乗り切れたが、今夜も無事に済むとは限らない。

日が経つにつれて、相手も手段を選ばなくなってきている。

出来る限り早く片付ける必要があった。―――まぁ、こんなにも事態が悪化した今となっては早期解決と言えない事は解っていたけれど。

滝川の言葉に昨夜の出来事を思い出したのか、麻衣がビクリと肩を震わせる。

それを今もまだ窓辺に立ったまま見ていたは、小さく息を吐いた。

あんな出来事、もう2度と体験したいとは思わない。

昨夜は気が高ぶっていたからか恐怖で動けなくなるという事はなかったけれど、1度それを体験している身としては、次も果敢に立ち向かえると言い切れない。

恐怖で足が竦んでしまったら?

その可能性は十分にある。

そして今の時点において、メンバーの体力も限界に近かった。

これ以上対応が遅れれば、吉見家の人たちも、自分たちも・・・―――そしてナルもまた、命の保証などないだろう。

「ってなわけで。リン、お前さんは残ってくれ。気力を削ぐんで結界を解いていく。―――行くぞ、ジョン」

色々と納得できない事はあるものの反論する様子はないらしい麻衣を認めて、滝川は億劫そうに立ち上がると同じように行動に移したジョンへと声をかけた。

その妙に確信的な言葉に、表情を強張らせていた麻衣が不思議そうに首を傾げる。

「行くって、どこに?」

「『三六塚』に決まってるだろーが。読経の声が聞こえたろ?犯人は三人の六部だろう」

滝川の言葉に、昨夜の襲撃前に起きた出来事を思い出した麻衣は納得したように頷く。

確かに聞こえた。―――恐竜の寝息だと思っていたそれは、確かに読経だった。

「そして三人がこの辺りに吹き寄せられた霊を使役霊として使こうていたわけですね」

「おそらく一揆で首を切られた五人も、伝説の姫と恋人とやらもな。この辺りで死んだものの霊は、全部が式として使役されてると考えていい」

立てた予想は粗方間違ってはいないだろう。

しかしそうなると、問題がひとつ。

「・・・えらい数です」

「なー・・・」

滝川とジョンは顔を見合わせてうんざりとした表情を浮かべる。

首謀者の六部に、一揆の五人に伝説の姫と恋人。

それに加えて、この辺りで死んだものたちの霊。―――どれほどの数がいるのか、簡単に想像も出来ない。

想像も出来ないが、しかしそれが半端な数ではない事は解っていた。

それは昨日襲ってきた死霊たちの数から見れば、考える必要もないように思える。

それを滝川とジョンの2人で除霊する。

果たしてできるのだろうかとも思うが、出来なければ自分たちの命が危ういのだ。―――なんとしてもやるしかない。

そんな2人を見ていたは、チラリと自分の腕にぶら下がっているブレスレットに視線を落とし、暫く考え込んだ末に意を決したように顔を上げた。

自分がどれほど役に立つかは自信がないが、昨日思わぬ力を発した事から考えるとまったくの足手まといになるという事もないだろう。

2人よりも、3人の方が負担は軽くなる。

それがどれほど微々たるものであったとしても、ないよりはマシだろう。

は決めたのだ。―――自分に出来る事を、全力でやると。

そう決意を固めたが口を開きかけたその時だった。

「あんたは寝てれば?」

部屋の中に、凛とした声が響いた。

それに思わず視線を移した面々は、腕を組んで堂々と立つ綾子の姿を認めて呆気に取られる。

それに不機嫌そうに表情を顰めた綾子を見やって、漸く我に返った滝川は呆れたような面持ちで口を開いた。

「そんでジョン1人に任せろって?馬鹿いうな」

「アタシがやる」

「ああ?」

キッパリと告げられた言葉に、滝川はその表情に呆れを存分に浮かべて声を上げた。

「・・・言いたかねぇけど、お前じゃ無理だ。そういう事はもっと役に立ってから言え」

綾子の実力は、お世辞にも高いとは言えない事をこの場にいる面々は知っていた。

除霊をすれば失敗し、霊を落とせば失敗する。

これまで綾子がその実力を発揮した事といえば、札つくりくらいだ。

それが解っているからこそ、綾子のいつもの根拠のない自信に付き合っている暇はないと滝川はあっさりと一蹴する。―――そんなにのんびりと構えていられるような状況ではないのだと。

しかし滝川のそんな態度にも怯む事無く、綾子は食いつくように身を乗り出した。

「今までは事情があったの!今度は出来る。アタシに任せてあんたもジョンも寝てなさい。ふらふらしてんだから!」

「おまえなぁ・・・」

だからその自信は一体どこから来るのか。

そんな意味を込めて、滝川がため息混じりに口を開きかけたその時だった。

「いいじゃない、綾子に任せれば」

これまた何でもない事のようにあっさりと投げられた言葉に、滝川はその問題発言をした人物へと視線を向けた。

そこには窓辺に立ったまま、シレッとした顔でこちらを見ているの姿がある。

「あのなぁ、これは遊びじゃ・・・!」

「お言葉に甘えて松崎さんに任せたらどうですやろ?」

声を荒げかけた滝川は、ジョンまでもそう言い出した事に思わず絶句する。

お前らはこの状況が解ってんのか?と声を荒げたい気持ちでジョンを見やると、彼はいつもと同じようににっこりと優しげに微笑んでいた。

「けど、何が起こるか解りませんし、用心の為について行ってもよろしいですやろか?しんどいんで見るだけにさせてもらいますけど」

これがジョンなりの譲歩らしい。

やんわりとした口調で伝えられた言葉に、綾子は不本意そうに眉を寄せて。

「信用できないってわけ?」

「信用する事と無責任に放り出す事は違うんやないかと思いますです」

「親切で言ってあげてるのに・・・」

「すんません」

困ったように眉を下げて笑うジョンをまっすぐに見つめて、綾子は軽く肩を竦めた。

これ以上の説得は無駄らしい。

本当に、親切で言ってあげてるのに・・・と心の中で独りごちながら、綾子は颯爽と踵を返した。

「謝ってもらうような事じゃないわよ。あー、バカバカし!」

最後にそう言葉を残して準備をする為にベースを出て行く綾子を、滝川と麻衣は呆れたような気圧されたような面持ちで見送る。

「・・・なんだ、あの自信」

「ねー。でも昨夜も言ってたよ。都合があるとか、なんとか・・・」

「都合?なんの?」

「さぁ・・・?」

顔を見合わせて、滝川と麻衣は揃って首を傾げる。

いつもの根拠のない自信だろうと思うのに、それとは違う雰囲気も感じ取る事が出来るが、それが何から来るものなのかが解らない。

本当に任せても大丈夫なのだろうかという思いで綾子を見送った滝川は、その視線を窓辺に立つへと向けて。

。ジョンはともかく、お前なんであんなにあっさり認めたんだよ。明らかにお前の発言でよりやる気になってんぞ」

恨めしそうな視線を向けられて、は困ったように眉を寄せる。

どうして、なんてにも解らない。

綾子のあの自信がどこから来るのかなんて、勿論知りようもないけれど。

それでも、ひとつだけ解っている事もある。

「綾子ってさ、確かに今まで目立った活躍してないけど。でも本当に実力がないのかなと思って。もしそうなら、あのナルが毎回助っ人要請なんてしないと思うのよ」

「そりゃ、確かにそうだけど・・・」

以前に同じような事を思った事がある。

けれどそれ以降も綾子の活躍は期待できなかった。―――今回もジョンが来る前に栄次郎に憑いていた霊を落としたが、それもまた失敗だったのだから。

そう考えれば本当に大丈夫なのかと不安になるが、しかしは大して危機感を感じていないようだった。

「綾子は自信家だけど、無意味なところで意地張ったりはしないんだよね。ちゃんと自分の実力がどれだけかって解ってるんだと思う」

彼女がこれまで根拠のない自信で挑んできたのは、どれも事件の内容がはっきりしない時。

そこにいる霊がどんなものなのか解らなかったり、それほど力の強い霊が相手ではない時だったり。

彼女は自分の手に負えない相手だと解っているものに、無謀に手を伸ばしたりはしない。

「だから、大丈夫なんじゃないかなって思って」

今回の相手がどれほどの力を持っているのか、それは昨夜だけで十分に理解できた。

それなのに綾子は自分がやると言ったのだ。―――だからには、本当に大丈夫なのではないかと思えた。

しかし滝川はそれで納得は出来ないらしい。

盛大に眉を寄せて、仏頂面のまま口を開く。

「そんな簡単に・・・」

「それにさ、綾子って大病院の1人娘なわけでしょ?しかもなんでもやってくれるお手伝いさんつきの」

突然振られた話題に、反論しかけた滝川はどうして今更とばかりに首を捻る。

それにやんわりと笑みを向けて。

「綾子はさ、プライド高いよね。だから綾子は自分の手が及ばないものには手を出さないタイプだと思うの。そんな綾子が巫女なんてやってるんだから、そこには何か理由があるんじゃないかな」

確かに綾子のプライドの高さは、なんだかんだといいつつ一緒にいた彼らには十分に解っている。

時には厄介すぎるそのプライドには、これまで苦労させられてきたのだが。

「他にもきっとたくさん選択肢はあったのに、それでも綾子は巫女を選んだ。私にはそれだけで十分信頼に値すると思うんだけど」

そう思わない?とばかりに微笑みかけられ、滝川はどう反論していいのか解らず更に眉間の皺を深くした。

確かにの言う事も解らなくはないが、しかしそれらは全て確信のない事であり、だからこそ素直に納得できるものではない。

今回が、綾子のいつもの根拠のない自信ではないという保証にはならないのだ。

それでもは何の疑念もなく笑う。

「あえて言うなら、私は綾子のプライドの高さを信頼したの」

そして、彼女の潔さに。

そう言われてしまえば、滝川もそれ以上反論は出来なかった。―――もちろん、他の面々も。

「駄目ならぼーさんたちが頑張ればいいじゃない。最初っからその予定だったんだし」

あっさりと言ってのけて、はあっけらかんと笑うと窓辺から離れた。

「私、ちょっと綾子の様子見てくる。ぼーさん、先に行っちゃ駄目だからね」

「おい・・・!」

尚も抗議の声を上げる滝川をさらりと無視して、はベースを出る。

その足で綾子が準備に使っているだろう部屋へと向かいながら、小さく笑みを零して。

綾子が何をどうするつもりなのかなんて、は知らない。

本当にこの場にいる霊をどうにかできるのかも、彼女の自信がはったりではないという保証もなかったけれど。

だけど不思議と不安はなかった。

それは挑むような綾子の強い眼差しのせいかもしれない。

あの強い光を宿す瞳に、嘘やごまかしの色は欠片もなかったから。

「お手並み拝見といきますか」

こんな状況なのにも関わらずどこかわくわくとした気持ちで、は綾子がいるだろう部屋の襖を開けた。

「綾子、準備出来た?」

「今やってるとこよ」

その言葉通り、巫女装束に着替えている綾子を認めて、は部屋の中に入るとそっと静かに襖を閉めた。

そうして普段の彼女からは考えられないほど静かに、淡々と準備を進める綾子を見つめながら、は小さく息をつく。

目ざとくそのため息を聞きつけた綾子は、不機嫌そうに眉を寄せて。

「なによ、あんたもアタシを疑ってるわけ?」

さっきはあっさりと認めたくせにと言わんばかりの声色に、は小さく笑って見せた。

「別に疑ってるわけじゃないけど・・・」

「けど、なによ?」

「一体何するつもりなのかな〜、とは思ってる」

何せ相手は相当手ごわいのだ。

それは力の大きさだけではない。―――何よりも厄介なのは、その数といっていいだろう。

普通に考えれば1人で片付けられるような問題ではなかった。

それでも彼女は言う。―――1人で十分だと。

その要因がなんであるのか、知りたかった。

除霊をするのに怖いから一緒にいてと言う霊能者らしくない綾子が、この状況でこれだけの自信を保っていられるのは何故なのか。

純粋に興味を惹かれた。

自分たちに見せた事がないだろう、彼女の姿を。

一体どんな姿が隠れているのだろう。

「ま、見てれば解るわよ。どうせ一緒に来るんでしょ?」

「それは勿論。こんな面白そうな事、逃す手はないもんね」

あっけらかんと笑って言えば、綾子は呆れたような顔を隠す事もないままため息を吐いて見せて。

それでも、昨夜の沈んだあんたよりもその方があんたらしいわと、綾子は綺麗に笑った。

 

 

朝の神社は、それだけで清浄な空気に満たされているような気がした。

誰もいないそこからは、時折鳥の可愛らしい鳴き声が聞こえてくるだけ。

けれど静寂に満ちたそこに立っても、重い雰囲気もなければ居心地の悪さも感じない。

特別信仰心があるわけでもないというのに、どうしてこうも神聖な気持ちになるのだろうか。―――考えてみれば、不思議なものだが。

そんな場所に、たちはいた。

巫女装束に身を包んだ綾子の左手には一升瓶。―――右手には鈴のついた榊が握られている。

歩くたびにチリチリと可愛らしい音を立てるそれが、どうしてか更にこの場を神聖なものへと塗り替えている気がした。

「綾子ぉ、ほんとに出来るの?」

なんだか口を挟むのさえも躊躇われるような空気の中で、しかし果敢にも麻衣が綾子に向けてそう声をかけた。

麻衣の不安な気持ちも解る。。

昨夜の光景を見れば、自分たちが立ち向かう相手が生易しい者ではない事くらい簡単に想像できる。

そしてこれまでの綾子の実績を思えば、彼女の不安も当然の事のように思えた。

しかし綾子はそんな麻衣の疑問にも悠然と笑って見せて。

「任せときなさい。こんな良い場所はないわよ。小さいけれどちゃんと信仰が残ってる。樹も生きてるし」

グルリと辺りを見回しながら、綾子は満足げに微笑む。

「樹?」

「そ」

更に訝しげな表情を浮かべる麻衣へと簡単な返事を返して、持っていた一升瓶の蓋を開けた。

それをこの辺りでも立派な木の根元へと惜しげもなく注ぎながら、静かな声で口を開く。

「アタシの実家の前に大きな楠があってね。注連縄が掛けてあるような立派なやつよ。それが小さい頃からいろんな事を教えてくれた」

病院に来る患者の死期まで教えてくれるから、子供の頃は親に言う度に叱られてたけどね。―――そう言って、綾子は小さく苦笑する。

「本当を言うと、アタシには大した力はないんだと思う。でもね・・・」

そこで言葉を切って、綾子は鈴のついた榊を木の根元へと突き刺した。―――それに合わせて、鈴がチリンと小さな音を立てる。

「アタシは巫女だから」

キッパリと言い切った綾子の表情に魅入られるように、はただぼんやりと彼女を見つめていた。

いつもの綾子からは考えられないほど優しい表情。

勿論普段の彼女が優しくないとは言わないけれど・・・―――それはまさしく、慈愛に満ちたような。

いつもならばなんだかんだと口を挟むだろうも、今回ばかりは何も言えずにただジッと綾子を見ていた。

彼女が一体何をしようとしているのか、純粋に興味を惹かれた。

思わずうんざりとしてしまうくらいたくさんの霊がいるここで、彼女は一体どんな手段を使って除霊をしようとしているのか。

今のには想像もつかない。―――本当にそんな事が出来るのかも。

「始めます」

綾子の凛とした声と共に、パンと手を打ち鳴らされた。

「つつしんでかんじょうたてまつる」

静かな声が、朗々とあたりに響き渡る。

「みやしろなき このところに こうりんちんざ したまいて しんぐのはらい かずかずかず たいらけく やすらけく きこしめして ねがうところを かんのうのうじゅ なさしめたまえ」

それはいつもと同じ祝詞。

いつもならば眠気すら感じるそれは、しかし今この瞬間まったく別のもののようにさえ聞こえる。

耳の中へと滑らかに入り、けれど流れ出る事無く心の中に沈んでいくような。

綾子の祝詞の声に引かれるように、その場の空気が段々と澄んでいく気さえする。―――それはきっと、気のせいではないのだろう。

「臨」

声に合わせて、鈴がチリンとひとつ鳴る。

「兵」

チリンと、もう1度。

「闘」

またもや鳴った鈴の音に呆気にとられたように辺りを見回したの視界に不思議な影が映ったのは、ちょうどその時だった。

「あ、あれ・・・」

ジョンも気付いたのだろう。―――ぽっかりと口を開けて呆然と近くの木を見ていた彼の前で、その白い影のようなものはゆらりと揺れながらその姿を変えて。

「なに・・・?」

「おい、こっちもだ」

麻衣と滝川の戸惑う声が聞こえる。

それは本当に不思議な光景だった。

周りの木々から、次々と白い影が姿を現す。

その白い影は、昔話に出てくるような老人へとその姿を変えて、静かに綾子へと歩み寄って。

そしてゆらりと音もなく地面に刺さった榊の枝へと吸い込まれるように消えるのだ。―――その度にチリンと鈴が鳴り、それは現れた白い影の分までずっと続いて。

どれくらいそれを続けていたのだろうか。

いつしか白い影の姿はなくなり、鈴の音も消える。

そうして静かに目を閉じた綾子が印を結んだその瞬間、麻衣の視界にまたもやゆらりと揺れる影が映り、慌てて綾子へと声をかけた。

「綾子、まだあそこに・・・」

「しっ!」

しかしそれは滝川によって制止される。

それにどうしてと困惑の色を浮かべて、麻衣は残された影へと視線を向けた。―――まだ残っているのに、と。

しかしそれが樹から現れた老人ではない事に、彼女はすぐに気付くことになる。

ピチャリ、と水音がした。

それは不恰好なほど拙い歩みで、水音をさせながらこちらへと向かっている。―――そしてその正体がなんなのかを察した麻衣は、大きく目を見開いた。

それは、和泰と奈央だった。

もう既に命を落としたはずの2人が、ゆっくりとこちらへと近づいてくる。

直後、それは彼らだけではない事に気付いた。―――気付けば自分たちを取り囲むように、たくさんの黒い影がこちらへと向かってくる。

その光景に昨夜の出来事を思い出した麻衣は、思わず身体を強張らせた。

こんな場所で囲まれてしまえば、逃げる事も出来ない。

けれど麻衣の不安を他所に、綾子はゆっくりとした仕草で地面に刺した榊の枝へと手を伸ばし、それを両手でしっかりと握り締めて。

「さぁ、あなたたちにも眠れる時が来ました」

凛とした声が響き渡る。

その声が合図だったかのように、黒い影が綾子に向かい駆け出した。

それに気付いた滝川が咄嗟に構える。―――けれど彼が行動に移すその前に、凛とした鈴の音が響き渡り、そして・・・。

「・・・!」

黒い影は、綾子の下に辿り着くその前に、ゆっくりと空気に溶けるように消えていった。

綾子が榊の枝を振る度に・・・―――そして鈴の音が響き渡るその度に、黒い影はその姿を消していく。

その不思議な光景を眺めながら、はぼんやりと思った。

きっと彼らは、綾子に助けて欲しくて寄ってくるのだろう。

消えていく彼らは、みんな生前の綺麗な姿に戻っている。―――はっきりと見えるわけではないが、表情もどこか穏やかなもののように見えた。

まるで別世界の出来事ような神聖に満ちたその光景を呆気に取られて見つめていた麻衣が、不意に目を見開いた。

「綾子、後ろ!!」

彼女が背にして立っている3つの塚。―――見ればそこから黒い影が姿を現す。

しかし綾子は特別慌てた様子もなく、サッと振り返ると力強く榊を振り下ろした。

リンという鈴の音と共に黒い影は消え、そして3つの塚が音を立てて砕け散る。

それに思わず目を見張る面々を前に、綾子は最初と同じように榊の枝を地面に突き刺すと、高い音を立てて手を打ち鳴らした。

それが合図だったかのように、榊の枝に結ばれていた鈴がするりと解け、微かな音を立てて地面を転がる。

「確かに・・・」

その流れるような仕草を呆然と見つめていた滝川が小さく呟いた。

「俺たちは必要ない・・・」

滝川の呟きが聞こえたのか、そうではないのか。

小さく息を吐いてこちらを振り返った綾子の表情は、自信と慈愛に満ちていた。

 

 

「ねぇ、あんなすごい力があるのにどうして隠してたの?」

全ての浄霊を終えて吉見家へと戻る道すがら、今もまだ先ほどの光景が信じられず呆然とする滝川とジョンをそのままに、麻衣は好奇心に満ちた眼差しを向けながらそう問いを投げ掛けた。

しかし問われた綾子当人は、心外だと言わんばかりに眉を上げて。

「別に隠してたわけじゃないわよ。今までは生きてる樹がなかったんだもん。いつも条件が悪いって言ってたでしょ?」

確かに綾子はいつもそう言っていた。

力を発揮できなかった時、条件が悪いと。

「だって、負け惜しみだと思うじゃない」

「事情を説明したって負け惜しみだと思うでしょ?」

「うっ。まぁ、そりゃ・・・」

思わなかったとはっきり言えないだけに、麻衣は言葉を詰まらせ気まずそうに視線を泳がせる。

確かにあの光景は、自分の目で見なければ到底信じられるものではないだろう。

それに加えて、綾子の場合は根拠のない自信も多いのだ。―――信じられなくとも仕方がないとも思えた。

「生きてる樹がある綺麗な場所じゃないとダメなのよ。最初におじいさんっぽい人たちが樹からでてきたでしょ?あれが樹の精霊っていうか、まぁそんな感じのもので、その力を借りるわけ。あれがいなくなった樹は死んでるみたいなもんなのよ」

淡々と説明されるそれに、麻衣は「へぇ・・・」と相槌を打つ。

パッと見ただけでは解らない。―――それが解るからこそ、綾子は巫女なのだろう。

そんな感想を抱いた麻衣に、別に神社でなくてもいいんだけどねと付け加えて。

「それでも都会の神社なんてカスみたいなもんだし、樹に至ってはどんな古い樹でもまるでミイラだしね。―――あれを見ると世も末だと思うわよ」

そう語る綾子の姿は、今までとは違いとても頼もしく見えた。

そして今までで1番、巫女らしいとも。

少なくとも、たちには神社の良し悪しなど解らない。

どちらかといえば、ここの神社よりも都会の神社の方がずっと立派に見えるというのに・・・―――きっと神社の良し悪しは、そういった部分で決まるのではないのだろう。

「・・・今回はたまたま塚が境内にあったからいいが、なかったらどーすんだ?」

今もまだ呆然とした様子を拭い去る事が出来ていない滝川が、それでも浮かんだ疑問を投げ掛けた。

いつもいつも生きている樹が傍にあるとは限らない。

しかしそんな滝川の問いにも、綾子はあっさりと答えて見せた。

「近所にあればそこまで呼べるの。さっきだって一揆の5人や伝説の姫なんかもいたでしょ?まぁ、後はそこまで連れて行くとかね」

確かに綾子に向かっていった黒い影の中に、それらしき人影があった事を思い出す。

なるほど、それほど強い力なのだろう。とはチラリと横目で綾子を見やりつつ納得する。

「だったら、栄次郎さんも除霊するとき神社まで連れて行けば良かったのに」

「あれは人間にやっても意味がないの。単なる霊だったら浄霊できない霊はないんだけどねぇ」

麻衣の問いに、綾子はしみじみとそう答えて。

「それに1度樹におすがりしたら半年は休ませてあげないと・・・。あの段階で助けてもらったら、いざという時に役に立たないじゃない。ジョンが来れば落とせるのは解ってたんだし」

「はー・・・」

そこまで考えていたのかと言わんばかりに感心する麻衣を横目に、綾子は悠然と笑ってみせる。

そうしてその視線を、麻衣のすぐ隣でこちらを見つめるへと向けて。

「どう?アタシの実力を目の当たりにした感想は」

自分に向けられる言葉と悪戯っぽい眼差しに、はにやりと口角を上げて笑った。

きっと除霊に向かう前に交わした言葉の返事のつもりなのだろう。

「うん、随分と楽しませてもらった」

「何よ、相変わらず生意気なんだから」

だからこそそう答えれば、綾子は呆れたように表情を変える。―――けれどそれは決して不快を表すものではなく、2人は顔を見合わせて小さく笑った。

「かっこよかったよ、綾子」

「当然よ」

控えめに・・・―――けれど心からの賛辞を送ったに、綾子は誇らしげに肯定する。

そんな2人のやり取りを微笑ましげに見つめていた麻衣は、しかし気を取り直したように口を開いた。

「えと、じゃあこれで片がついたんだよね」

「まだよ」

ホッと一安心とばかりの麻衣の呟きは、しかし綾子のよってあっさりと一蹴された。

それに思わず目を見張りながら疑惑の声を上げた滝川たちに向かい、綾子はこれまたあっさりと口を開く。

「『霊なら』って言ったでしょ?霊じゃないものがいるわよ、ここには」

「・・・なんだって?」

霊じゃないもの?

その意味深な言葉に、滝川は眉間に皺を寄せる。―――それに釣られるように、綾子もまた浮かべていた表情を真剣なものへと変えて。

「さっき、どうしても近づいてこない力があったのよ。霊なら浄化を求めてくる筈だから、あれは霊じゃない。なんだかは知らないけど、もっと大きな力だわね」

それが連中を式として使役してたんだと思うわよ、と言葉を付け加える。

「六部の霊じゃなく・・・か?」

「違うわね。六部の三人も単なる式だと思う。真砂子も霊場だって言ってたじゃない。霊がうようよ集まるなんて、そこに特別な力があるからでしょ?奈央さんの霊だって『化け物』って言ってたし」

言われて、真砂子が奈央を降霊した時の事を思い出す。

確かに奈央は『化け物』とそう叫んだのだ。―――酷く怯えた様子で。

おそらくはそれが霊を式として使役していたものの正体。

霊ではない、なにか。

「だとすると、その力ってぇのは1つしかない」

神妙な面持ちで呟く滝川に、ジョンもまたひとつ頷いて。

「・・・『おこぶさま』ですね」

「海から流れ着いた流木。形が仏像に似ているから祠を建ててこれを祀る。『えびす』だ。堂々たる『マレビト』だよ」

海から来るもの。

おこぶさまとマレビト。

あの伝承は、やはり作り話ではなかったのだ。

全員がお互いの顔を見合わせて表情を強張らせる。

「どうやら俺たちは神サンを相手にしなきゃならんらしいぜ」

静かに静かに呟かれたとんでもない現実に、全員言葉もなくその場に立ち尽くした。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

前回の主人公の生い立ち暴露編の名残がまったくない、第19話。

まるで何事もなかったかのようです。(自分で書いておいて)

とりあえずなんとかここまで来ました。

個人的に、綾子の活躍を上手く書いて上げられなかった事に悔いが残りますが。

作成日 2010.3.22

更新日 2012.3.11

 

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