自分たちが相手にするのは、どうやら神様らしい。

綾子の浄霊によってそんな真実に至った面々は、しかしすぐさまその手立てを思いつくはずもなく、とりあえずは落ち着いた環境で話し合おうと吉見家に戻った。

「うーっす、ただい・・・まっと」

とりあえず先に着替えてから・・・と会話をしながらベースへと踏み入った滝川は、疲れを滲ませた声で挨拶をして・・・―――しかし目の前の光景に思わずその動きを止める。

「・・・よお、久しぶりだな」

少し間の抜けた声に麻衣とが滝川の背中からベースの中を見やると、そこには本当に久しぶりの光景が広がっていた。

ここへ来てからほとんどの間、眠っていたはずのナル。

その彼が今目の前で資料に目を通している。

「ナル!」

いつもと同じように表情一つ動かさないナルに向かい、目を輝かせながら麻衣が声を上げた。

 

指揮者の目覚め

 

綾子の浄霊の力は思っていたよりも強力だったらしい、とは目を覚ましたナルを見つめながら心の中で独りごちる。

確かに彼女の浄霊によって、この辺り一帯にいただろう霊は全て浄化された。

だからナルがこうして目を覚ましているのは当然なのだろうが、何故か考えがそこまで至らなかった事には自分の考えを意外に思う。

「ああ、渋谷さん。無事でよろしおました」

思わず呆然とナルを見つめる面々を他所に、いつも通り朗らかな笑顔を浮かべたジョンが心から安心したようにそう声をかける。

しかしナルはそれに返事を返すこともなく・・・―――それどころか会釈ひとつもないまま、まるで何事もなかったかのようにこちらに向けていた視線を資料へと戻した。

それに当然いい気分を抱くわけもなく、心から心配していた麻衣は盛大に頬を引き攣らせる。

しかしそんなナルを前にしても、綾子は怯まなかった。

いつもは馬鹿にされているが、今回ナルが助かったのは綾子のおかげなのだ。―――そんな思いがあるからか、普段よりも胸を張った彼女が笑みを浮かべて口を開く。

「感謝してほしいわねぇ。アタシが過去の恨みも忘れて助けてあげたんですからね」

「それはどうも」

むしろ過去の恨みの原因は全て自分で作っているという事に、綾子本人は気付いているのだろうか。

彼女が不用意にナルに喧嘩を売らなければ、何倍にもなって辛辣な言葉を返される事もないというのに。

しかしナルは資料に目を向けたまま、振り返る事もせずあっさりと返事を返す。

それが気に入らなかったのだろう。―――麻衣と同じように頬を引きつらせつつ怒りに堪える綾子を横目に、相変わらずだと小さくため息を吐く。

そんな面々に、同じく資料に目を通していた安原が気付かれないようちょいちょいと手招きをした。

一体なんなのかと訝しげに近づくと、安原は呆れたような面持ちでこそっと一言。

「機嫌が最低」

その言葉に釣られてナルを見やれば、心なしか彼の周りに不機嫌オーラが漂っているようにも見える。

なんて勝手な・・・!と思わなくはないが、今の彼にちょっかいを出すのは命取りだろう。

そう判断して思わず口を噤んだ滝川を尻目に、こちらに背を向けたまま一言も発しないナルを見つめては盛大にため息を吐き出した。

「っていうか、いい歳してなに子供みたいな真似してんだか」

ーっ!!」

少しも声を潜めずあっさりと言ってのけたに、隣に立っていた滝川が慌てて彼女の口を塞ぐ。

咄嗟にナルの方を見るも、彼はピクリと肩を揺らしただけで振り返ろうとはしない。

聞こえていないはずはないだろうが・・・―――どうやら聞かなかった事にしたらしい。

それにホッと安堵の息を吐いた滝川へと視線を向けて、は眉を潜めつつ首を傾げて。

「だって、ぼーさんだってそう思わない?」

「いいからもうお前は黙ってろ!頼むから黙っててください!!」

更に追い討ちをかけるようなの発言に泣きそうになりながら声を上げる滝川を前に、はぼーさんがそこまで言うんなら・・・と納得したように口を噤む。

実際そう思っていても、口には出さないのが優しさというものだろう。―――まぁ、助けてもらっておいて機嫌を損ねるナルもナルだが。

確かににも、ナルが機嫌を損ねる理由も解るのだ。

彼はすこぶるプライドが高い。

そんな彼が失態を犯したのだ。―――これくらいで済んでいる方が奇跡と言ってもいいだろう。

それは彼が失態を犯す原因となったと自覚しているにとっても、ありがたい事だったのかもしれない。

それでも自分はさておき、他のメンバーは皆傷だらけになりながら頑張っていたのだ。―――お礼の一言くらいあってもいいのではないかとも思う。

まぁそれをナルに望むのがどれほど無謀な事なのかは、流石のでも理解していたけれど。

それでもいつまでもナルの横暴が許されるわけではない。

今はみんな許していても、これから何度も積み重なればいつしか爆発してしまうかもしれない。

だからこそあえてが口にするのだ。

そうすれば少しはみんなの気分もマシになるかもしれないと思うのだ。―――まぁ、自身の意見である事も否定はしないけれど。

そんな事をぼんやりと考えながら、更に機嫌を損ねたであろうナルのおかげで重くなった空気を感じながら苦笑する。

まったく仕方がないなと、そう思ってしまうのはもう既に彼のそんな部分も受け入れているからなのだろう。

しかしこのままでは居心地が悪い事この上ない。

なんとか誤魔化そうと思案しながら、滝川は咳払いをひとつ落として口を開いた。

「・・・えーと、なんだ。どうも祟りの元凶は六部の霊じゃないみたいなんだな」

「『おこぶさま』だろう?」

これから自分たちが相手にしなくてはならないかもしれない相手を思うと、多少気分も滅入ってくる。

そんな思いを込めて口を開いた滝川に、しかしあっさりと返事が返ってくる。

それに驚いたのは、滝川たちの方だった。

「どっ、どーしてわかるの!?」

「お前たちとは頭のデキが違う」

視線を向ける事もなくさらりと告げられ、とうとう麻衣の怒りが頂点に達する。

「・・・あのねぇ!!」

「ありました!!」

しかしそれに反論の言葉を投げつける前に、先ほどから資料を漁っていた安原が勢いよく声を上げた。

それに何事かと問いかける前に、ずっと手元の資料を見ていたナルは漸くこちらへと視線を向ける。

「内容は?」

簡潔に問われた安原は、漸く探し当てたらしい資料へと視線を落としながら、いつもとは違う真剣みの帯びた声色で口を開いた。

「えーと、『氏神 祟りを なすこと』とあって・・・―――とある神社のご神体である『御小法師さま』は『えびす』神だとあるから、『おこぶさま』の事でしょうね」

パラパラと資料を捲りながら、安原は納得したようにそう告げて。

『御小法師さま』を祀って以来、暴風雨や高波が絶えたと書いてあるという。

それで大層崇拝されたが、村人やイワイが祀る事を怠るとたちまち災いをなす。

とくにイワイ一家は祟りによって多くの死人を出したという事らしい。

その説明を無言で聞いていたナルは、少しだけ眉を寄せつつ綾子へと視線を向けた。

「松崎さん。イワイというのはなんですか?」

「いわい・・・?ああ、祝(ハフリ)の事ね。神主みたいなものだけど・・・」

「あのー、どういう・・・?」

綾子の説明に頷くナルを見つめながら、話の内容がさっぱり理解できない麻衣は戸惑ったように口を挟む。

御小法師さまやイワイやハフリなど、まったくもって意味が解らない。

そんな麻衣を認めて、ナルは小さくため息を吐き出しながら説明を始めた。

「神社があって、その裏手に洞窟がある。ここは死体の流れ着く場所だ。小さな祠があって、そこには『おこぶさま』という『えびす』が祀られている。洞窟から神社の方角へは岸壁を削った道があり、古い石段がある」

淡々とした説明に、麻衣は首を傾げつつもコクコクと頷く。

確かにナルの言った通り。

彰文に案内してもらった時に・・・―――そして自らが洞窟へ足を運んだ際に、彼女たちはそれを目にしている。

「では、何の為にそんな大変な工事を?無論、意味があるに決まってる。―――あの神社のご神体があるからだ」

言われて洞窟の奥にあった祠を思い出す。

その中には『おこぶさま』と呼ばれる木片が収められていた。

ジッと話を聞いていたは、その祠を見た際に感じた違和感を漸く思い出した。

どこか歪んで見えたそれ。

最初は目の錯覚かと思ったけれど、もしそうではなかったのだとしたら?

神様なんて信じてはいなかったけれど、今ならば少しは理解できる。

綾子の浄霊にも寄ってこなかった強い力。

それが神様かどうかはともかくとして、それに相応しいだけの力を持っているのだろう。

「その為にやむを得ずやった。しかもチャチな神ならそこまではしない。あの祠に祀られているものは、それをさせるほど大きな力を持った神だったんだ」

背筋にゾクリと悪寒が走る。

暴風雨や高波さえも鎮め、呪いによって一家を全滅寸前にまで追い込める存在。

自分たちは今まで、そんな存在を相手にしていたのかと。

「・・・なるほど。それで今の伝説か」

同じくナルの説明を聞いていた滝川が納得したように頷く。

ナルもそれに頷き返して。

「そう、この辺りには大きな力を持った神がいたという伝承があるはずだと思ったんだ。それで安原さんに資料を見直してもらった」

ナルの言葉に、資料を手にした安原が安堵の息を吐く。

どうやら彼はナルの期待に応えられたようだ。―――そうでなければ自分が来た意味がないと、安原は心の中で独りごちる。

「『おこぶさま』は『えびす』神。しかも海の災害をよく鎮めた。しかし祀りを怠ると祟る凶悪な神でもあったわけだ。その『おこぶさま』を祀っていると思われる神社は、今では祠と切り離されている。―――この家がそうしてしまっているんだ」

「・・・・・・」

「おそらくここは元々神社の一部だった。境内が切り売りされてしまったと考えるのが筋だ。ハフリがいたのなら、きっと神社のそばに住んでいただろう。―――ひょっとしたら、ここじゃないのか?」

ナルの言葉にふと顔を上げ、何気なく部屋中を見回す。

ここが、元は神社の境内だったと?

「ハフリの住んでいた場所が一揆の首謀者の墓を建てる際に分割された。それが妥当な線だろう。更にそこが民家として転売されてしまったんだ」

そんな傍迷惑な、と心の中で独りごちながらはひっそりとため息を吐く。

転売するならするで、もう少し調べてからにしてもらいたい。―――まぁ、今のご時勢に神様の存在を信じるものがどれほどいるかは疑問が残るが。

「『おこぶさま』はここに住む者を自分を祀るべき祭司だと信じている。祀るべき者が祀らないから祟る。今の伝承はその証拠だ。だから祟りの猛威を振るっていながら一家は皆殺しになっていない。自分を祀らせる為に祭司が必要だからあえて残したんだ」

確かに神社の位置と洞窟の位置とを考えれば、その推測は間違っていないように思えた。

というか、間違っていないのだろう。―――だからこそ、この吉見家の人たちに祟りが及んだ。

そう素直に納得できるほど、ナルの説明は整然としていて無駄がなかった。

それをみんなが実感しているのだろう。―――呆気に取られたようなぽかんとした面持ちで、口を挟む事もなくジッとナルを見つめていた。

そんな他のメンバーと同じように呆気に取られながらナルを見つめていたは、素直に心からナルを凄いと思った。

つい先ほどまで眠っていた人間だとは思えない。

これほどまでにあっさりと事件の真相を解いてしまうなんて・・・―――ある意味可愛げがないとは思うけれど。

それにしたって、今まで自分たちが右往左往していたというのにこの差はなんなんだとやりきれない気持ちでが眉を顰めたその時、今もまだ資料に視線を落としていたナルがその姿勢のまま静かな声で・・・―――けれどキッパリと言い放った。

「『おこぶさま』の除霊を行う」

「・・・は?」

そのあまりにも意外な言葉に、は思わず間の抜けた声を漏らした。

おこぶさまの除霊を行う?

そんなの疑問を読み取ったのか、少し苦い顔をした滝川が口を挟む。

「必要あるのか?祀ってやればいいわけだろ?」

「祀りを怠れば、また同じ事を繰り返す」

すぐさま返ってきた言葉に、滝川とはチラリと視線を交わした。

確かにそうだ。

祀りを怠れば、再び今回のような災難に見舞われるだろう。―――しかし・・・。

「それでも当面は大丈夫なんじゃねぇか?相手は『えびす』とはいえ神の1種だぞ?化け物よりも性質が悪い。化け物を狩る方法はないと言ったのはお前だろうが」

滝川の言う通り、確かにナルは以前そう言っていた。

まだ記憶に新しい諏訪での調査。

悪霊という枠を超えた力と執念を持つ浦戸を前にして、確かにナルは言ったのだ。―――自分は化け物を狩る方法は知らないと。

そしてそんな浦戸をなんとかする方法は2つ。

屋敷と共に朽ちるに任せるか、それとも炎による浄化か。

相手が同じくらい厄介な力を持つ以上、今回もその手を使うのだろうか。

朽ちるに任せる事など出来ないとすれば、後は炎による浄化。

しかしあんな狭い洞窟で火なんて放てば、すぐに煙に巻かれてしまうのは火を見るより明らかだ。

それに相手は化け物ではなく神様。―――果たして炎による浄化などという手が有効なのかさえも解らない。

ならばこのまま放置しておく方が無難なのではないかとも思うのだ。

確かに祀りを怠れば祟るが、逆に言えばちゃんと祀ってやれば問題はないのだから。

しかし滝川の説得に耳を貸すつもりは毛頭ないらしいナルは、口元を笑みの形に歪めて。

「あいつを見過ごせって?冗談じゃない。これだけ愉快な経験をさせてもらったんだ、きちんと返礼をするのが礼儀というものだろう」

口元は笑っているが、明らかに目元が笑っていない。

っていうか何その超個人的な理由!と思わず言葉が口をついて出そうになったが、咄嗟にそれをノドの奥へと押し込める。―――流石のもここで茶化すほど愚かではない。

ナルは相当怒っている。

それを今まさに理解した。

だからプライドの高いヤツはやっかいなのよ、とも勿論口には出さないが。

「それとも、リタイアしたいか?」

唐突に声をかけられ、ナルがメンバーを見る。

その視線を受けた滝川たちは、まるでメデューサに睨まれたかのようにビクリと身体を強張らせる。

それはある意味、拒否を赦さない問い掛けだった。

思わず首を縦に振りそうになるのを何とか堪えて・・・―――そして意を決して、綾子がパタパタと手を横に振った。

「ア、アタシは駄目だからね!あそこにはおすがりできる樹がないんだから!」

「ボクも・・・憑依霊やったらともかく、『えびす』なんて何がなにやら」

綾子に続いて、ジョンもまた困惑したようにそう告げた。

確かに憑依霊を落とす事とは訳が違う。

それに綾子にしても、先ほど浄霊をした際にそれが『えびす』に効果がないのは実証済みである。―――彼女にはどうしようもない。

「リン?」

「私には太刀打ち出来るとは思えません。ナル、やめた方がいい。あれは我々の手には負えません」

ナルはすぐさまリンへと照準を移すが、彼の口から出た答えもまたナルの望むものではなかった。

それはそうだろう、相手は神様なのだから。

まるで他人事のように、がそう思った時だった。

?」

不意に視線を向けられ、そうして名前を呼ばれて、はきょとんと目を丸くする。

しかし彼の眼差しが訴えるその意味を察したは、盛大に頬を引き攣らせた。

「ちょっと待ってよ、ナル。私に何をしろって言うの。ムチャぶりしないでよ」

「君は仮にも家の月華だろう?」

「仮にも、は余計だし。だからムチャぶりしないでって」

まさか自分にまで声をかけられるとは思っていなかったは、焦ったように乾いた笑みを浮かべながらそう告げる。

確かに今回は自分で思っていた以上の力が発揮されたけれど、だからといって神様を相手にするだけの力があるわけではない。

あるいは、一清なら・・・とも思うが、残念な事にこの場に彼はいなかった。

そして彼がこの場にいなくて良かったと心から思う。―――きっと一清はこんなナルを前にすれば面白がって悪乗りするに違いないのだから。

「ぼーさん?」

「・・・やるだけはやってみるが。ナルちゃんよぉ、ここはリンの言う通りに・・・」

最後に声をかけられ、人の良い滝川ははっきり答える事も出来ずに言葉を濁す。

けれど根本の考えはみんなと変わらないらしい。―――控えめにも、やめておいた方がいいと言いかけたその時だった。

「力量のないものは必要ない」

キッパリと冷たい声色で言い放たれ、カチンと来たらしい滝川と綾子が揃って顔を歪ませる。

きっちりと挑発に乗ったらしい。

そしてまんまと挑発された彼らが取れる道は、ひとつしかなかった。

「・・・みんな、もうちょっと大人になろうよ」

がっくりと肩を落としながら呟いたの声が、彼らに届いていたかどうかは定かではないが。

 

 

「・・・で、結局はこうなるわけだ」

すっかりぼーさんスタイルになった滝川が、不覚といわんばかりの面持ちで呟くのを横目に、真夏にその格好は暑そうだとどうでもいい事を考えながらは呆れ混じりにため息を吐き出した。

しっかりとナルの挑発に乗ってしまった滝川は、ジョンをも巻き込んで、これから『おこぶさま』の除霊に挑む。

いや、もしかすると解っていて挑発に乗ってやったのかもしれない。―――放っておいたら、きっとナルは1人で『おこぶさま』のところへ乗り込んだのだろうから。

そのどうしようもないほどお人好しで、どうしようもないほど面倒見の良い滝川へもう1度チラリと視線を送って、仕方がないなとは苦笑する。

自分もそんな滝川に救われた内の1人なのだから、ナルの事をどうこう言えない。

確かに自分が少しだけ変われた気がするのは、ここにいるみんなのおかげだと思う。

けれどそれを言葉に出来たのは、きっと滝川のおかげなのだろう。

どれほど拒絶しても、彼はまっすぐにと向き合った。

その誠実な態度に応えなくてはならないと思ったのだ。―――自分も誠実である為には。

だからこの成り行きも、ある意味仕方のない事なのかもしれないとは思う。

しかし全ての準備を終えた滝川は、まっすぐにらへと視線を向けて。

「さてと、、少年、真砂子、綾子、麻衣は残れ。何が起こるか解らんからな」

ナルとリン、そしてジョン以外の者たちへとあっさりとそう言い放ち、滝川はスッと視線を放す。

それに当然の事ながら抗議の声を上げたのは麻衣だった。

「あたしも行く!!」

「邪魔だ。守ってやれるとは思えねぇ」

「だけど!!」

しかしその抗議の声もあっさりと却下される。

守ってやれるとは思えない。

これまでそれなりに危険な事に直面してきたが、滝川の口からこんなセリフを聞いた事などない。―――それほどまでに、今回の相手は危険だという事なのだろう。

しかし咄嗟に抗議の声を上げかけた麻衣を遮ったのは、この緊迫感に満ちた空気からは程遠い暢気な声だった。

「自分の身くらい自分で守りますよね、谷山さん」

「へ?」

さらりと告げられた言葉に虚を突かれて振り返ると、そこにはニコニコと邪気のない笑顔を浮かべた安原がいた。

「ちなみに僕も行きます。―――も行きますよね?」

唐突に話を振られて・・・―――しかし黙って事の成り行きを見守っていたはそんな素振りも見せず、当然とばかりに頷いた。

「もちろん」

「ちょ!お前・・・!!」

「ご心配なく、ヤバイと思ったら滝川さんより先に逃げて見せますから」

「そうそう、逃げ足にはちょっと自信あるのよ、私たち」

滝川の抗議の声を強引にねじり潰して、安原とは顔を見合わせるとにっこりと微笑みあう。

しかし滝川がそれを見過ごせるわけがなかった。―――何度だっていうが、今回の相手はそんな生易しいものではないのだ。

「あのなぁ!今回ばっかりは冗談じゃすまねぇんだぞ!!」

「えー、誰も冗談なんて言ってませんよ」

「俺たちだってどうなるか解らねぇんだからな!!」

「僕の運の強さは緑稜の事件で実証済みじゃないですか」

「くっ!・・・ああ言えばこう言う」

「えへ」

怒りを露わに怒鳴り声を上げる滝川とは対照的に、安原はまるで相手の言い分こそが可笑しいのだと言わんばかりの面持ちでさらりとそう答える。

だから安原は敵に回すと厄介なのだ、とそのやり取りを眺めながらは独りごちた。

当然の事ながら彼との言い合いに滝川が勝てるはずもなく、とうとう諦めたらしい滝川は切り捨てるように踵を返して。

「俺は本当に知らんからな!!」

「た、滝川さん」

ドスドスと足音も荒く去っていく滝川に戸惑いの視線を投げ掛けながら、ジョンが困ったように慌てて彼の後を追う。

その後姿を手を振って見送った安原は、しかし先ほどまで浮かべていた笑顔を真剣なものへと変えて呆然とする麻衣らを振り返った。

「という事で、みなさんも出来るだけ来てください」

先ほどとは違う、真剣な声色。

それに一瞬呆気に取られる麻衣を他所に、綾子が呆れた面持ちで口を開く。

「あのねぇ、ボウヤ。これは遊びじゃ・・・」

「遊びじゃないのは解ってます。救助要員が必要なんです。昨夜、あの傷を見たでしょう?」

言われて脳裏に甦るのは、滝川の背中の傷。

思わず目を背けてしまうほど深い傷と、出血。

「あれ、まだ出血してると思いますよ、相当深かったから。ブラウンさんもね、腕に深い傷があります。あれも縫わなきゃダメだと思うな」

彼らの手当てをした安原の言葉だからこそ、それは真実なのだろう。

ジョンの傷の具合は直接知らないが、滝川の傷の深さはこの目で確認済みである。

そこまで考えた綾子は、チラリと横目でを見やる。

真剣な面持ちで安原の話を聞いているは、普段のおちゃらけた様子はないものの、おおむねいつも通りである。

それに小さくため息を吐き出して、綾子は再び安原へと視線を戻した。

「救急車が横付けできる神社ならともかく、あんな洞窟で倒れられたら、渋谷さんとリンさんだけじゃ連れ戻せませんよ。僕たちが行かないならあの2人にも行かせない、そういう事にしませんか?」

部屋の隅で除霊の段取りを決めている滝川とジョンを見やり、麻衣もまた真剣な面持ちでコクリと頷く。

「・・・まったく、男どもと来たら」

綾子が、呆れたように呟いた。

そんな中、同じく真剣な面持ちで真砂子が麻衣へと向き直る。

「こうなったら仕方ありませんわね。―――麻衣」

「はい!?」

「服を貸して頂けます?こんな格好じゃ、いざという時話になりませんわ」

どうやら真砂子にも異議はないらしい。

それを察し、安原とは顔を見合わせてにやりと口角を上げた。

たとえ滝川がなんと言おうと、ここだけは譲れない。

これ以上の犠牲者を出さない為にも。

全員で、無事に戻る為にも。

「さ、それじゃ準備始めましょうか」

パンと小さく手を叩くと、全員が準備を整えるべくそれぞれ動き出した。

 

 

、腕出しなさい」

今自分が持っている服の中で一番動きやすいものへと着替えるべく荷物に手を伸ばしたは、唐突に掛けられた声に目を丸くして振り返った。

目の前には、厳しい面持ちで仁王立ちをする綾子がいる。

そのあまりの迫力に思わずヘラリと笑顔を浮かべたは視線を綾子から荷物へと戻し、あっけらかんとした口調で言葉を返した。

「何言ってんの、綾子。それより綾子も早く準備しなよ。ぼーさんは勝手にしろって言ってたけど、多分こっちの準備が終わるまで待ってくれないよ」

最初からこちらが付いていく事に反対しているのだから、彼らは自分たちの準備が済み次第さっさと出発してしまうだろう。

行く場所は解っているのだから、そうなれば追いかければいいだけの話だが、除霊中は何が起こるか解らない。―――同席するのであれば、最初からいるに越した事はないだろう。

そんな意味を込めて言葉を投げ掛けるが、しかし今回の綾子に引く気はないらしい。

明らかに話を摩り替えようとしているに構わず彼女の傍へとしゃがみこむと、乱暴な仕草での左腕を掴み上げた。

「・・・っ!」

それと同時に歪む表情。

しまったと我に返った時には遅かった。―――素早い手つきでの服の袖を捲り上げた綾子は、想像したとおりの光景に重いため息をひとつ吐き出して。

「・・・やっぱり、まだ血が止まってないじゃない」

ぐるぐるに巻かれた包帯には、赤い血が滲んでいる。

夏だというのに長袖を着ていた時点で可笑しいとは思っていたのだ。―――ちゃっかりと長袖のシャツを用意していたの周到さには感心を通り越していっそ呆れるが。

刺すような綾子の視線と間接的な嫌味に、は気まずげに視線を逸らして。

「綾子ってば、目ざとい」

「何言ってんのよ。あんたの傷の手当したの、アタシなんだから。傷の状態なんて聞かなくたって解るわよ」

そう告げて、拗ねたように視線をあさっての方向へと向けるへともう1度ため息を吐き出すと、綾子は救急箱を手繰り寄せた。

そうして血の滲んでいる包帯を外しにかかりながら、綾子は小さく笑みを零す。

いつもは憎たらしいほど飄々としているというのに、今はまるで幼い子供のようだ。―――こうして拗ねてそっぽを向いているところなんて、特に。

「あんたさぁ、もうちょっと自分の身体大切にしなさいよ。傷でも残ったらどうすんの?」

「いや、でもまぁ、顔じゃないし」

「顔じゃないからいいって問題じゃないでしょ。仮にも女の子なんだから」

「だから、仮にもは余計だって。正真正銘、女の子ですから」

そう言って胸を張るへ呆れた視線を投げ掛けて、綾子はもう1度ため息を吐き出す。

確かにの傷は滝川のものと比べると随分軽いだろう。

ジョンの傷は見ていないけれど、きっとそれよりも軽いはずだ。

しかしこれだけの出血がある以上、傷を縫わなければならない事は明白で。

「女の子は、傷跡が残っても顔じゃなければいいなんて言わないんじゃないの?」

「それは女の子にもよると思うけど」

ああ言えばこう言うとは、まさにこの事だろう。

既に開き直っているには、何を言っても無駄なのかもしれない。

そう綾子が諦めかけたその時、黙って治療を受けていたはフムと小さく頷いて。

「でも確かにそうかもしれない。私は自分が女の子だって解ってるし、今までだってちゃんと女の子だって思ってたけど、綾子の言う『女の子』とは意識が違ってたのかも」

「何よ、突然」

「ううん、なんとなくそう思っただけ」

フルフルと小さく首を振って、は1人納得したように頷く。

自分は生まれた時から女の子で、今までだって自分が女の子だと理解していた。

けれど同年代の女の子たちの中にいて、どこか違和感のようなものを感じる時もあったのだ。―――自分がどこか浮いているような気がする、と思う事が。

それはきっと、おしゃれを楽しんだり、誰かに恋をしたり、そういった部分なのだろう。

楽しく恋バナをしている友人の中で一緒に笑ってはいたけれど、にはいまいち彼女らの心情が理解できなかった。

きっとそれだけの心の余裕がなかったのだろうが・・・―――綾子の言う『女の子』は、そういう部分なのだろう。

では、今の自分は?

そう考えて、不意に脳裏に甦ったのは先日見た夢の内容。

この地に纏わる話なのだから、その夢を見る事自体は可笑しくはない。

けれど今までそこに自分の知る者たちが姿を現したことなどあっただろうか?

「はい、終わったわよ」

不意に声を掛けられ、物思いに沈んでいたはハッと我に返った。

パッと顔を上げると、訝しげにこちらを見やる綾子の顔。

その視線にカッと頭に血が上ったは、視線を振り切るように勢いよく立ち上がって。

「私、麻衣たちの様子見てくる!」

「は?何よ、突然・・・」

「綾子もちゃんと準備終わらせといてよね!」

怒鳴るように言い捨てて・・・―――けれど部屋を飛び出すその前に「手当て、ありがと!」とこれまた怒鳴るように言い捨てて、は勢いよく部屋を飛び出した。

それを見送った綾子は、呆気に取られた面持ちでポツリと一言。

「・・・どうしたの、あの子?」

その疑問に答えてくれる少女は、もうここにはいなかったけれど。

 

 

「こんなんでいい?」

「ええ、ありがとう」

麻衣から差し出された洋服を受け取って、真砂子は控えめに礼を言う。

普段から洋服を着る習慣のない自分にとっては慣れないもの。

それを前にふと顔を上げた真砂子は、ニヤニヤと笑みを浮かべてこちらを見やる麻衣に気付き、僅かに眉間に皺を寄せた。

「・・・あたくしが洋服を着るのがそんなに変ですかしら?」

確かに見慣れない姿ではあるかもしれないけれど、可笑しな事ではないはずだ。

そう言えば麻衣は自分が制服を来て学校に行っていると言った時も、ものすごく驚いていた。

そんなにも自分が洋服を着るのは可笑しいだろうかと再び疑問を抱いた真砂子を他所に、麻衣は相変わらずニヤニヤと笑みを浮かべて。

「いや、それもあるけど・・・」

「あるけど、なんですの?」

問い返しても、麻衣は返事ともいえないような呟きを漏らすだけで、笑みを引っ込めようとしない。

それに焦れた真砂子は、思わず身を乗り出して声を上げた。

「麻衣!」

「あ、ほらー。呼び捨てにした!」

そんな真砂子を待っていたとばかりに、麻衣は楽しそうに声を上げて笑う。

その意味するところを察した真砂子が、気恥ずかしげにそっぽを向いた。

「・・・ご不満?あなただってしてますでしょ?」

「うん、だからもっと呼んで。あたし、呼び捨てにされるの好きなの。それだけ親しい気がするでしょ?」

「・・・そうですかしら?」

確かにそうかもしれない、とも思う。

だからもまた名前で呼ばれる事を好むのだろうか?―――否、彼女の場合はという苗字に付属するものを避けているようにも思えるけれど。

「真砂子はずーっとあたしのこと苗字で呼んでたでしょ?それを最近時々呼び捨てにするようになったじゃない?その気持ちの変化が嬉しい」

本当に心から嬉しいと言わんばかりの表情でまっすぐに向けられる言葉に、真砂子はどう反応していいのか解らずまっすぐに麻衣を見返す。

確かに、最初に比べると自分たちの距離は格段に近くなったのかもしれない。

そんな自覚はなかったけれど、彼女の言い分を聞いているとそうなのかもしれないと思う。

真砂子は、本当の意味で麻衣を嫌いではない。

しかし、心から好きだと言えない理由もある。―――それは恋する乙女の複雑な感情、とでも言えばいいのだろうか。

けれど少しづつ近づいてきた距離に、正確な名前をつけるとすれば、それは一体なんなのだろう。

「同病相憐れむ、というやつですわ」

言ってから、なるほどと納得した。―――その言葉が1番しっくり来る、とも。

しかしその意味が解らないらしい麻衣は、不思議そうに首を傾げて。

「同病?」

「お互い、大変な人を選びましたわね」

ため息混じりに言ってやれば、麻衣はパッと顔を赤らめる。

「あたくし、起きてきたナルを見て『どうしてこの人なんだろう?』って自分が可哀想になりましたの。中身から言えば滝川さんたちの方が上ですわよ」

それほどまでに、起きてきた時のナルの様子は凄まじかった。

なまじ麻衣などはその姿を見る事がなかったのだから幸せなのかもしれない。

まるで地獄からの使者を迎えたような気分だった。

「・・・言えてる」

当然ながらその姿を見ていない麻衣も、戻ってきた時の不機嫌さからそれを察したのだろう。―――げんなりとした面持ちで呟き、ため息を吐き出す。

「その方がずっと話も簡単ですのに・・・―――仕方ないというべきかしら?」

「あー、ナントカは異なものって言うし・・・」

2人揃ってもう1度ため息を吐き出して・・・―――そうして顔を見合わせて笑みを零す。

同病相憐れむ。

確かに間違ってはいないかもしれない。

だってこんなにも、お互いの気持ちが理解できるのだから。

「でも結局のところ、ジョンや安原さんはともかく、ぼーさん選んでもリンさん選んでも道のりが大変なのは変わらないと思うけどね」

「そうですわね。お二方はさんしか見てませんもの」

現在進行形で滝川を想っている湯浅高校の事件で知り合ったタカなどは、その事について会う度に嘆いている。

なまじが嫌な相手ではないから、余計に嘆くしかないのだろう。―――意外な事かもしれないが、タカはとも仲がいいのだ。

「ぼーさんは上手く隠してるつもりらしいけど、傍から見てるとバレバレだもんね」

「そうですわね。さんを見る目、とても優しいですもの」

「リンさんだって我関せずって態度してるけど、逆効果だよね。だってリンさん、に対してだけは目に見えて優しいっていうか、どんな些細な事でも律儀に対応してるっていうか」

「そうですわね。あのリンさんと一緒にお茶しに行ったとさんから聞いた時は、槍でも降るのかと思いましたもの」

お互いが思うところを吐き出して、そうして苦笑を漏らす。

「あんなにも解りやすいのにね」

「なのに気付かないさんって、相当鈍いですわよね」

滝川とリンの苦労を思い、ため息を吐き出す。

自分たちもそうだが、彼らの恋路もまた前途多難なようだ。

そんな男に恋をすれば、今と同じくらい大変なのかもしれない。

いや、思う相手がいない分、もしかすると今の方が望みがあるのかも・・・―――そこまで考えた時だった。

「麻衣、真砂子。準備終わった?」

唐突に姿を現したの声に、2人は揃って弾かれたように部屋の入り口へと視線を向ける。

そのあまりの反応に、は驚いたように目を丸くして。

「・・・え、なに?私、今来ちゃマズかった?」

話題の中心だった人物の突然の登場に、麻衣と真砂子は思わず笑みを零す。

こんなにも思われているが羨ましく思う事はある。

自分もあんな風に思われたら、と何度思った事だろう。

けれど自分たちが欲しいと思うのは、彼らの思いではないのだ。

それをナルに求めるのは無謀な事なのかもしれないけれど。

「ちょっと、何よ。なんで笑ってるわけ?」

訳が解らず戸惑ったように視線を泳がせながら声を上げるを認めて、麻衣と真砂子はもう1度顔を見合わせて笑い声を上げた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

もうそろそろ、主人公にも恋愛モードに突入して欲しいなと。(むしろ遅いくらいですが)

前回に引き続き、今回もかなり長くなってます。

まぁ、ほとんどが原作のコピーみたいな感じですけど。(笑)

作成日 2010.3.28

更新日 2012.5.6

 

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