陽もすっかり暮れた頃、夕食にと呼ばれたSPRの面々は、珍しく全員集まった吉見家の人たちとの席についていた。

あまり全員揃って食事をした事がないと彰文は言っていたけれど、今に限っては他に客もいない為、こういう席を設ける事が出来たのかもしれない。

「この度はお呼びたてして申し訳ありません。どうかよろしくお願いいたします」

そうして吉見家の人々に深々と頭を下げられ、は居心地悪そうに身じろぎした。

彼らにしてみれば、藁にも縋りたい気持ちなのだろう。

勿論言い伝えを信じるならば、それは当然の事だろうが。

そんな事を他人事のように思いながら、はその場にいる吉見家の人たちをゆっくりと順番に眺めていく。

ここに来て最初に顔を合わせた祖母のやえと、彰文の両親である泰造と裕恵。

背広を着た少し神経質そうな人が、長男の和泰。

そしておっとりとした優しそうな女性が、和泰の妻の陽子。

何故か怖い顔をしているのが、次男の靖高。

そしてきっちりと和服を着こなした美人が長女の光可で、どことなく機嫌が悪そうにそっぽを向いているのが光可の夫で婿の栄次郎。

そしてこちらも美人の女性が、彰文のすぐ上の姉で次女の奈央。

それに加えて長男の和泰の子供・克己と葉月と、陽子の子供の和歌子がいる。

SPRのメンバーを除いて、総勢13名が揃っている様は圧巻だ。

それでも何とかすべての人と名前を頭の中に叩き込みながら、はひっそりとため息を吐き出した。

言い伝えどおりなら、少なくともこの半数は命を落とすかもしれないのだと思うと、思わず背筋がぞっとする。

もっとも、そうならないように自分たちがここへ来たのだけれど。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

運ばれてくる料理を受け取りながら、は己の心中を悟られないようにと笑顔を浮かべてお礼を言った。

 

悪夢の始まり

 

そうして総勢19名の食事会は始まった。

こんな時でも、人数が集まればそれなりに賑やかにはなるものだ。―――漂う明るい雰囲気に、吉見家の人たちも久しぶりの笑顔を浮かべていた。

「渋谷さん、お酒は?」

「いえ、僕もリンも飲みませんので」

次男の靖高に勧められたナルは、しかしにこりとも笑みを浮かべる事もないまま素っ気無い態度でそれを断った。

「・・・っていうか、リンさんはともかくナルは未成年だし」

『飲みません』ではなく『飲めません』の間違いだろうに・・・と独りごちつつ、は次々と運ばれてくる料理に箸を伸ばした。

「・・・うん、美味しい!」

「ありがとうございます。さんはお酒は?」

「いえいえ、未成年ですから」

笑顔の靖高に勧められ、は笑顔でお断りを告げた。―――ここで『飲めません』と言わない辺り、彼女もナルの事をとやかくは言えないとは思うが、生憎とそれを突っ込む者はいなかった。

「滝川さんと松崎さんは大丈夫ですか?」

「ありがたく」

こちらの2人は靖高の勧めに、にっこり笑顔で応じた。

おいおい、一応仕事中でしょうが・・・―――と呆れた視線を向けるが、生憎と2人に気付く様子はない。

「・・・ぼーさんってお酒飲む人なんだ」

そうして、ぐいっと酒を煽る滝川を横目に料理をつついていたは、意外とでも言うようにそう呟いた。

言っておくが、滝川が酒を飲む事が意外だと思ったわけでは決してない。―――単にの周りに酒を飲む人があまりいないため、なんとなく出た言葉なのだ。

意外な事に、一清も藤野も高遠も酒を飲まない。

まぁ、のいないところで飲んでいる可能性は否定できないが。

そんなの言葉に、お猪口をテーブルに置いた滝川がどこか気まずそうに視線を泳がせる。

「そりゃまぁ、人並みには。お前は・・・って、まだ未成年だったな」

「そうそう、まだ未成年だからね」

それでも飲んだ事がないと言わない辺り怪しいが、あえてそこを突っ込むほど滝川は野暮ではない。―――若い時は若い時なりに色々あるのだ。

そうして次々と運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら、ふと隣に座るリンを見た麻衣が不思議そうに首を傾げた。

「あれ?どしてリンさんはお料理が違うの?」

麻衣の言葉に視線を向ければ、確かにリンとナルの料理だけ自分たちとは違う。

なんというか・・・どことなく質素だ。

そんな麻衣の疑問に、料理を運んできていた裕恵が戸惑ったように首を傾げる。

「渋谷さんと林さんは肉類を召し上がらないとお聞きしたので、献立を変えさせていただいたのですけれど・・・違いましたか?」

「えー、リンさんお肉は食べないの?全然?菜食主義ってやつ?」

「ええ」

少し不安げに問い掛けた裕恵は、リンの返答にホッと安堵の息をつく。―――それとは反対に、焼き魚を口の中に放り込んだはなるほどと納得したように頷いた。

肉類を食べないから、リンもナルもどことなく細く見えるのだとどうでもいい感想を抱く。

「何か少しお持ちしましょうか?折角、海の傍にいらしたんですから」

そんな2人の会話に気を利かせた裕恵がそう問い掛けると、しかしリンは静かに首を横に振って。

「調査の時には精進潔斎しておく事にしていますので」

キッパリと告げられた言葉に、裕恵は「まぁ・・・!」と声を上げた後やんわり微笑む。

「霊能者の方も大変ですねぇ・・・」

そうして感心したように漏れた裕恵の言葉に、ガッツリ酒を飲んでいた滝川と綾子が気まずそうに視線を泳がせた。

「・・・ほんと、大変だよねぇ。霊能者も」

「お前が言うなよ、お前が。同罪だろ?」

「あら、嫌だ。滝川さんってば。私は一介の大学生ですから」

おほほ・・・とわざとらしく笑みを零して、はテーブルに置いてあるお酒へと手を伸ばした。

「お1ついかがですか?滝川さん、松崎さん」

そうして確信犯の笑みを浮かべて更に酒を勧めるを睨み返して、綾子は唸るように呟く。

「・・・あんたって、ほんといい性格してるわよね」

「お褒めいただき光栄です」

「やめてよ、それ。なんか真砂子を相手にしてるみたいだから」

うんざりした様子で呟く綾子に、は堪えきれずに思いっきり噴出した。

それを見ていた麻衣や吉見家の人々も、くすくすと笑みを零し始める。

「ま、いいじゃない。ご飯は楽しく食べるのが一番だよ。―――そうですよね?」

「ええ、もちろん」

新しく料理を配る裕恵にそう問い掛けると、彼女はにっこりと優しい笑みを浮かべて同意してくれる。

そうして諦めたように苦笑を漏らした滝川を横目に見つめながら、麻衣と顔を見合わせたはもう一度楽しそうに笑みを零した。

 

 

豪勢な食事を終えてベースに戻ってきた面々は、テーブルの上に並べられたモニターをぼんやりと眺めながら静かな時間を過ごしていた。

幸か不幸か、モニターに映る家の様子に可笑しな点はない。―――いや、それこそ幸運だとは思うのだけれど・・・。

「ねえ、今夜から動きがあると思う?」

「どうかな。一体何が起こるのか、手がかりがなさすぎる」

時間を持て余したのか、モニターを見ていた麻衣がナルにそう問い掛けるのを耳にしながら、は隠す事無く込み上げてくるあくびをひとつ。

大抵の霊は部外者が侵入すると一時的にその身を潜める、というのが通常だ。

だから今夜から何かが起きる確立は、それほど高くはないだろう。

それに加えて、ナルの言う通り、この家にいるだろう霊が何を目的としているのかが解らない以上、後手に回ってしまうのは仕方がない事なのかもしれない。

いや、何を目的としているかは解っている。―――おそらくは、この家の人たちをどうにかしたいと思っているのだろう。

それが何代にも渡って・・・しかも代替わりの時だけというのが引っかかるが・・・―――そしてこの家の人間の命をすべて奪うわけではないというところも。

そんなの考えを遮るように、この辺りの地図を見ていたナルが視線を上げる事無く素っ気無く言い放った。

「明日にでも地元の図書館に行ってみるんだな。―――ぼーさん、葉月ちゃんに護符は?」

「ばっちし。部屋に結界も張ってあります、ボス」

相変わらずの言い様に、流石に慣れてしまった面々は、呆れながらもそれをさらりと流す。

ナルに限っては、反論するだけ無駄なのだ。―――むしろ何倍にも膨らんで返ってくるのは目に見えている。

「あー、でも。図書館はいいかも」

湧き上がる思いをすべて飲み込んで、しかしは誰に言うでもなくそう呟いた。

調べ物は嫌いではない。

むしろここで霊と格闘するよりは、図書館で静かに調べ物をしていた方がずっとマシだ。―――もっとも、それこそ口にするつもりはなかったけれど。

そんなの呟きと同時に、トントンと襖が軽くノックされた。

どうしたのかと視界を巡らせれば、やんわりと穏やかに微笑んだ彰文が戸口に立っている。

その手には旅館で見るような丸い木で出来た器と・・・そしてポットがひとつ。

「おつかれさまです。お邪魔してもいいですか?―――お茶をお持ちしました」

「彰文さん!わー、ありがとうございます。ポット持ちます!」

すぐさま麻衣が立ち上がり、満面の笑顔を浮かべながら彰文を出迎えた。

流石に高級料亭。―――万全のもてなしである。

今までこんなに厚遇された事なんてなかったなぁ・・・と思考の端で思い、それだけ追い詰められているのだろうと依頼主であるおばあさんを思い出して僅かに表情を曇らせた。

出来る限り早く、何とかしてあげなくてはならない。―――かつてのように、犠牲者が出る前に。

「どうぞ」

「ありがとうございます!たまにはお茶を淹れてもらう立場になるのもいいなぁ」

隙のない物腰でお茶を出された麻衣は、ニコニコと笑顔を浮かべたまま湯飲みを受け取り嬉しそうに声を上げる。

普段バイトとしてお茶を淹れている麻衣としては、やはり嬉しいらしい。―――もっとも、彼女が飲み物を淹れているのはバイト先の上司だけではないけれど。

そんな麻衣を見返して、彰文は穏やかに微笑みながら口を開いた。

「料理はお口に合いましたか?」

「そりゃー、もう!―――っていうか、ああいうお食事初めてだったんで、キンチョーの方が勝っちゃってた?」

あはは、と誤魔化すように笑って、麻衣は照れたように頭を掻く。

そうしてふと先ほどの食事風景を思い出し、改めて疑問に思った事を口にした。

「それにしても、こういうお家の人はご飯食べる時も静かですよねぇ。お兄さんたち、ほとんど話しなかったし・・・」

言われてみれば・・・と、もまた先ほどの食事風景を思い出し小さく頷いた。

給仕をしてくれていた彰文の両親は明るい笑顔を浮かべていたけれど、彰文の兄弟たちやその旦那は始終無言を貫いていた。―――どこか不機嫌そうにも見えた気がしたけれど、霊能者という立場でそういう態度は珍しくもない為、あまり気にしなかったが・・・。

そんな麻衣の問い掛けに、彰文は申し訳なさそうな表情を浮かべて。

「すみません。いつも兄たちだけでも、もっと賑やかなんですけど・・・。どうも最近は暗くて」

「仕方ないですよ。心配事があるんですもん。栄次郎さん・・・かな。機嫌悪そうでしたもんね」

「確かにそうだよね。こんな状況で明るく振舞えなんて酷な話だもんね」

麻衣の言葉に同意を返して、はふいと窓の外へと視線を投げる。

いつ災厄が自分の身に降りかかるか解らないのだ。

それはどれほど不安な事なのだろうか。

生憎とはその立場に立っていないため理解できるとは言えないが、彼らが気を張ってぴりぴりしてしまうのも頷けた。

「そうですね。どうしたんでしょうか、急に・・・」

「急に・・・なんですか?」

「和兄さんも栄次郎義兄さんも店を手伝っているので、元々人当たりはいいんです。客商売は人当たりが肝心ですから。―――栄次郎義兄さんのあんな不機嫌な顔、初めて見ました」

寂しそうに微笑みながらそう答える彰文に、今までじっと地図を見ていたナルが不意に顔を上げた。

「・・・つまり、栄次郎さんはもともと人前で不機嫌そうな顔をするような人ではないわけですね?和泰さんはどうです?」

「和兄さんもこの2.3日ピリピリしていて・・・靖兄さんもそうです。靖兄さんも元々すごく明るい人間なんです。明るすぎて父母から窘められるくらいで・・・」

彰文の話に、と滝川と綾子は揃って顔を見合わせる。

彼がウソを言っているとは思わないが、想像がつかないというのが本音だ。―――少なくとも自分たちが見た彼ら3人は、彰文が言うような明るい人とは思えなかった。

「靖高さんの様子が変わったのはいつからですか?」

「・・・祖父の葬儀の日からだと思います。理由を聞いても言わないし・・・」

「他に様子の変わった人はいますか?」

「そうですね。・・・陽子義姉さんかな。―――・・・いえ」

次々と掛けられるナルの問いに答えていた彰文は、そこで言葉を切って考え込むように眉を寄せる。

「うちで一番様子が変わったといったら、子供たちです」

「・・・子供?」

「・・・葉月ちゃんが、ですか?」

「いえ、葉月の他にあと2人いるんですが・・・」

そういえば食事の席にも、葉月以外に2人の子供がいた事を思い出す。

もっとも、自分たちからは離れた席に座っていたので、一度も話す機会はなかったけれど。

「和兄さんの子が克己と葉月。光可姉さんの子が和歌子。―――この克己と和歌子が妙なんです」

「妙・・・って」

「なんと言ったらいいのか・・・以前はそうでもなかったのに、最近べったりくっついて離れないんです。おまけに2人で始終コソコソ内緒話をして。何を話しているのか聞くと、2人で目配せして逃げていくし・・・」

確かに、それは妙といえば妙だ。

しかし相手は子供であり、子供は時にこちらが想像もしないような事をやるものである。

気にならないといえばウソになるが、だからといって殊更可笑しいと断言できるようなものでもない気がする。―――だからこそ、彰文たちも手が出せないのだろうが。

「それはいつからですか?」

「やはり祖父の葬儀の前後からです」

キッパリと言い切る彰文に、ただ静かに話を聞いていたたちはもう一度顔を見合わせて。

やはり事の始まりは、彰文たちの祖父が亡くなった頃からなのだ。

過去の出来事がある以上、ただの偶然では済ませられない。―――既にそこから、何かが始まってしまったのだろう。

「それで陽子義姉さんがこの間まですごく心配してたんですけど・・・―――ここ2.3日、急に気にしてる様子がなくなって・・・」

「・・・なるほど」

彰文の説明に、漸く納得したのかナルが静かに頷く。

彼の説明を聞いていると、やはりこの家のほとんどの人間が何らかの形で変化している。

変わっていないのは、彰文と彼の両親。―――そして祖母のやえくらいだろうか。

「・・・もしかして、全員が何かに取り憑かれてる・・・なんて事ないよねぇ?」

「お前な。縁起でもない事言うなよ・・・」

の呟きにげっそりとした表情を浮かべて、滝川は重いため息を吐き出した。

 

 

彰文がベースを去ってからも、特にこれといった変化はなかった。

モニターを確認していたナルの指示でカメラの角度を変えに行く麻衣の背中を見送って、は既に冷めてしまったお茶を口元へ運びながら小さくため息を吐く。―――付いて行こうかという申し出は、麻衣の気遣いによって却下されていた。

「・・・な〜んかさぁ」

ズズズとお茶をすすりながら、は所在無さげにうろうろと視線を部屋の中へと飛ばして。

そうして改めて何の変化もないモニターに視線を移すと、重いため息を吐き出した。

「このまま何にも起きなかったら、普通の旅行みたいだよね。しかも場所は高級料亭なわけだし・・・」

思った以上にいい夏休みかもしれない。―――このまま何も起きなければ、の話だけれど。

「まぁな。でも・・・」

途中で途切れた滝川の言葉の先を読み取り、は僅かに表情を曇らせながら再び湯飲みを口元へ運んだ。

何も起きないはずがないのだと、誰も言わないが心のどこかで解っている。

百歩譲って吉見家の人間の様子の変化に説明はついても、葉月の首の痣と背中に刻まれた戒名だけは説明がつかない。

あんなにも悪意に満ちた行いをする霊が、ただの悪戯でやったとは思えなかった。

だとすれば、何かが起こるのは必至だろう。―――とはいえ、現状としてはそれを待っている身としては、少々複雑な心境ではあるけれど。

「でもさぁ。今更だけど、やっぱり霊の仕業なのかな?」

「そうなんじゃねーの?いくらなんでも、全員が『偶然に』命を落とす・・・なんてありえないだろ」

「そーよねぇ・・・」

いつの間にか会話に加わった綾子の同意に、全員が難しい顔で唸り声を上げる。

ともかく、この状況はいけない。―――暇すぎて、余計な事にばかり考えが向かいそうだ。

「あ、そういえば・・・」

とりあえず、被害が出る前に何とかしなくてはならない事に違いはない。

ナルの言う通り、明日は地元の図書館にでも調べに行くか・・・とが結論を出したその時、思い出したように綾子がへと視線を向けた。

「聞いてなかったけど、今回はどうなのよ。霊の姿とか見えないの?」

「・・・えーと」

唐突に向けられた質問に、は困ったように視線を泳がせる。

これまでとは違い、見た目にも体調の変化はなさそうだ。―――顔色も悪くないし、食欲だってある。

という事は、今回はそれほど強力な霊はいないという事なのか。

それともにも感じ取れないくらい、上手く存在を隠しているのか・・・。

「あー・・・えっと・・・」

しかし問い掛けられた当人であるは、困ったように視線を泳がせたまま言葉を濁している。

だとて、どう説明していいのか解らないのだ。―――今自分が感じる、この妙な違和感を。

「ん〜、どうしたんだよ。なんか様子が変・・・」

難しい顔をしながら唸り声を上げるを認めて、滝川は訝しげに眉を寄せながら口を開く。―――ちょうど、その時だった。

「きゃあああぁぁあぁぁぁ!!」

静かに穏やかに漂っていた空気を切り裂くような、鋭い悲鳴が家中に響き渡る。

それにハッと顔を上げた滝川とは、困惑する綾子の声を背中に弾かれたようにベースを飛び出した。

「麻衣!!」

「ぼーさん、!今、悲鳴が・・・」

「聞こえた!母屋だ!!」

カメラの向きを変えに行っていた麻衣と廊下で合流し、3人は照明が落とされた廊下を一目散に駆けた。―――聞こえてきた悲鳴は、ただ事ではない。

「どうし・・・!!」

そうして勢いのままに声を上げ部屋の中に駆け込んだ滝川は、しかし目の前に広がる光景に思わず言葉を飲み込んだ。

部屋の隅に蹲る裕恵と光可。―――その前に呆然と座り込む彰文。

「・・・これ、何事?」

滝川の脇から室内を覗き込んだは、あまりにも壮絶な様子に思わず声を漏らした。

「ガアァァァ!!」

包丁を振りかざしながら正気とは思えない雄叫びを上げる栄次郎を、泰造と和泰が身体を張って止めている。

しかし今にも振り切られそうな様子を見ると、その力も尋常ではないのだろう。―――それだけの力が、一体どこから出ているのか。

見ればテーブルには無数の傷があった。

おそらくは栄次郎の持つ包丁で傷つけられたのだろう。―――テーブルに欠けた包丁の刃が刺さったままになっていた。

「な・・・なに?なにが・・・」

「え、栄次郎さん・・・?」

追いついてきた綾子もまた室内の惨状に呆然と立ち尽くす。

そんな綾子の声にハッと我に返ったは、このまま放っては置けないとばかりに一歩足を踏み出した。

「・・・って、待て!お前何する気だよ!!」

「何って、栄次郎さんを止めるんだって。このままじゃ、ほんとヤバそうだから」

「止めるって・・・!お前、どうやって止めるつもりだよ!!」

慌てての肩を掴む滝川を振り返り、はニヤリと口角を上げるとグッと拳を握り締めて。

「もちろん、実力行使で」

「アホか!」

「だいじょーぶだって。私こう見えても格闘技の段持ちだから。―――って言ってなかったっけ?」

なんでもない事のように笑うを見下ろしながら、滝川は深くため息を吐き出す。

そういえば出逢ってすぐにそんな会話を交わしたような気もするが、だからといって「はい、そうですか」と送り出すわけにはいかない。

流石にそんな事をさせられるわけがなかった。

しかし滝川のそんな思いとは裏腹に、はやる気十分とばかりに肩を回している。―――なんなら本業よりもやる気に満ちていそうだ。

さて、こんな状態のをどうやって止め、なおかつ尋常ではない様子の栄次郎を止めるか・・・―――それに頭を働かせ始めた滝川の耳に、こんな状況でも一切動じた様子のないナルの声が聞こえ思わず振り返った。

「リン」

ナルはピクリとも動かない表情のまま、助手の名を呼ぶ。

見ればいつもはベースから滅多に出ないリンが、ナルの後ろに立っていた。―――そうしてナルの声に従い、長身を折り曲げながら室内に足を踏み入れる。

「え、リンさん?」

「貴女は下がっていてください」

「いや、でも。リンさんだって危ないんじゃ・・・」

「下がっていてください」

有無を言わさぬ声色で告げられ、流石のも表情を引き攣らせながらコクコクと素直に頷いた。

普段から愛想がなく口数が多いとはとても言えないリンだが、実際はとても優しい事をは知っている。―――綾子に言わせれば、それはアンタだけでしょと言葉が返ってくるだろうが。

それはともかく、普段はなんだかんだ言っても折れてくれるリンのそんな態度は、を押しとどめるのには有効だったらしい。

「・・・アンタもたまにはあれくらい強気に出てみたら?」

「うるさいよ」

コソコソと会話を交わす綾子と滝川には目もくれず、リンは淀みない足取りで部屋の中央へと進み出る。―――そうして今もまだ2人に止められている栄次郎を見返し小さく息を吐き出した。

それに触発されてか、栄次郎が2人の拘束を振り払い、自分の前に立つリンへと襲い掛かる。

「リンさん!!」

麻衣の悲鳴が室内に響き渡った。

振りかざした包丁が、リンへと向かい振り下ろされる。―――その前に流れるような仕草でそれを交わしたリンは、そのまま栄次郎の首へ腕を回し軽く力を加えた。

それと同時に、リンに拘束された栄次郎は糸が切れたようにズルリとその場に崩れ落ちる。

「うわー、お見事」

状況を無視して小さくパチパチと手を叩くの隣で、麻衣が呆気に取られたように目を丸くする。

見た目から弱そうな雰囲気は感じられないが、まさかここまで手際が鮮やかだとは・・・―――リンへの謎は、ますます深まるばかりである。

「さて、と・・・」

しかしいつまでも茶化しているわけにはいかなかった。

とうとう事件は起こってしまったのだ。―――しかももっとも最悪な形で。

「・・・な〜んか、今回も大変そうだよね」

「・・・ほんと」

張り詰めた空気が漂う室内で。

微妙な面持ちでから同意を求められた綾子が、同じく微妙そうな表情を浮かべてそう答えた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

お酒は二十歳になってからお願いします。(笑)

こういうほのぼのとした雰囲気って、書いててすごく楽しいです。

そしてまたまた変なところできってみたり。

むしろ終わり方そのものが微妙な気もしますが。

作成日 2008.3.1

作成日 2009.4.15

 

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