「おー。どこ行ってたんだよ、お前」

麻衣に急かされてベースに戻る道すがら、背後から掛けられた声には思わず振り返る。

「ぼーさんこそ、こんなところで何してるわけ?」

「ジョンと真砂子が着いたからな。2人増えましたよ〜って彰文さんに報告だ」

なるほど、ともっともといえばもっともな滝川の言葉に、は素直に頷く。

依頼されてここへ来ているとはいえ、食事の世話からすべて吉見家にお世話になっているのだ。―――新たに2人増えれば、その報告は必要だろう。

それにしたって・・・と、は何食わぬ顔をしている滝川を見上げて小さくため息を吐く。

ナルが倒れた今、実質的にメンバーの指揮を取っているのは滝川だ。

だというのに、そんな雑用までやっているなんて・・・―――そうは思うが、麻衣が自分を呼びに来た以上、ベースにはリンと綾子しかいない。

機材に付きっ切りになっているリンはともかく、綾子がそんな雑用を引き受けてくれるわけもないだろう事を考えると、今の状況は妥当なところなのかもしれないが・・・。

「・・・ぼーさんって、意外に苦労人だよね」

「なに、いきなり。それって褒めてんの?」

「・・・・・・微妙なところかな?」

「微妙なのかよ」

面倒見がいいのは間違いないが、そのせいで損をするタイプなのかもしれない。

まぁ、にとってはそんな人間は嫌いではないけれど。

「まぁ、いいや。ともかくさっさと戻ろうぜ。ジョンと真砂子がお待ちかねだ」

「・・・ジョンと真砂子か」

2人が来てくれた事はかなり心強いが、これからの事を考えると気が重いのも否定できない。

さて、鬼が出るか蛇が出るか。

願わくば、事件が穏便に済んでくれるとありがたいのだけれど。

脳裏を過ぎった嫌な考えを振り払うように、はフルフルと首を横に振った。

 

指揮者の不在

 

「・・・まさか、渋谷さんがそんなエラいことになってはるとは・・・」

ベースに到着したジョンと真砂子を出迎えたのは、想像もしていなかった事態だった。

昨日吉見家に着いてからの様々な出来事のすべてを聞き終えたジョンが、驚いたような面持ちでそう漏らす。―――その隣に座っている真砂子は、表情を強張らせてじっと麻衣を見返していた。

「・・・ナルは今どうしてるんですの?」

「寝てるよ。リンさんが禁呪とかいうのをかけて、目が覚めないようにしてあるの」

おそらく真砂子が一番気になっているのは、ナルの事以外にはないだろう。

勿論たちとてナルの事を心配していないわけではないが、彼に想いを寄せる真砂子にとっては心臓が縮む思いのはずだ。―――それは真砂子だけではなく、麻衣もまた同じだろうが。

「・・・会えます?」

「顔を見るだけでしたら。けして部屋には入らないでください」

真砂子の控えめな願いを聞き入れ、機材の前に座っていたリンが静かに立ち上がり、閉ざされた襖へと手を掛けた。

そうしてゆっくりと開かれたその先には、敷かれた布団に静かに横たわるナルがいる。

札の刺さった枝が囲むように四方に立てられ、その中央に寝かされたナルの額にはよく解らない印のようなものが印されている。

そのこれまでにないナルの姿に思わず息を飲んだ真砂子は、両手を口に当てたままじっとナルを見つめた。

普段から笑顔を見せる事もなく、口を開けば出てくるのは毒の含まれた言葉ばかり。

腹の立つことも少なくはないが、それでも頼りになる存在だ。

こんな状態になるくらいなら、まだ文句を言われていた方がマシだ。―――真砂子と同じように眠るナルを見つめていたは、唇を噛み締めながらそんな事を思う。

そして、その原因の一端は自分にあるのだ。

あの瞬間、ナルが何をしようとしていたのかはも知っている。―――どうしてそれをリンが止めたのかも、想像でしかないが理由も解る。

止められたナルに霊に対する対抗手段がなかった事は、なにものせいではないが、が早々に避難できていればナルも霊に襲われる前に逃げられたかもしれない。

すべては結果論でしかないが、それでもは思うのだ。―――ナルがこんな状態になってしまったのは、自分のせいではないのかと。

「・・・ね。どういう霊が憑いてるのかわかる?」

不意に問い掛けられて、じっとナルを見つめていた真砂子は控えめにフルフルと首を横に振った。

それを黙ってみていた滝川が、思い出したようにへと視線を向ける。

「そういやぁ、まだお前にも聞いてなかったよな。何か見えるか?」

唐突に話を向けられ、は困ったように視線を泳がせる。

そういえば、この家に来てから何度か問い掛けられた事があった。

その度に何か騒動が起きて、結局一度も口にした事はなかったけれど・・・。

そんなに視線を送りつつ、最初に問い掛けられた真砂子が静かに口を開いた。

「・・・よく、見えません。霊が憑いているのは感じるのですけど、空虚な霊・・・と呼ぶべきですかしら」

「どういう事ですか?」

「無色透明で・・・何の感情も放射していないんですの。なのにとても存在感が強い・・・。ひょっとしたら霊の正体を掴めないように、何かが邪魔しているのかもしれませんわ」

真砂子の説明に、リンが考え込むように視線を落とす。

、お前は・・・っと。ブレスレットつけたまんまじゃ解んねーか」

そんなリンを横目に、滝川が改めてに視線を向けつつ口を開いた。―――しかし問い掛けた直後、それに思い至り困ったように髪の毛を掻く。

なんだかんだと忘れそうになるけれど、ブレスレットをしているは力を抑えている状態なのだ。

一般人と変わらないとまでは言わないが、詳細までは掴めないだろう。

そう思い至り結論を出した滝川は、しかし困ったように視線を泳がせるに気付いて僅かに首を傾げた。

「・・・?」

「ああ、うん・・・」

滝川の声に曖昧な返事を返しながら、は今も存在を主張するブレスレットを無意識に触りつつ思考を巡らせる。

この感覚を、どう伝えればいいのだろうか。

今までになかったその感覚は酷く曖昧で、言葉にすればするほど感じているものからは遠ざかってしまいそうな気がする。

「大体、真砂子の言った通りの感じなんだけど・・・」

「・・・うん?」

「なんだか、変な感じがする」

「変な感じ・・・?」

それってどんな?と無言で問い掛ける滝川を見返して、は困ったように眉を寄せた。

むしろそれは自分が聞きたい。

そこに確かに存在を感じるのに、何も見えない。

この家だってそうだ。―――霊がいるのは解るのに、どんな霊なのかが解らない。

こんな感覚は初めてだった。

いつも望む望まないに関わらず、霊の姿がはっきりと見る事が出来たのに、今ははっきりとしない。

それでもどこかで感じた事があるような、懐かしい気さえするというのに・・・。

もどかしい気持ちを抱きながら、は小さく息を吐いた。

「ごめん、もうちょっと待って。じっくり考えてみるから」

「・・・ああ」

いつもとは違う真剣な面持ちで考え込むを認めて、戸惑いながらも滝川はひとつ頷いた。

こんな思い詰めたを見たのは初めてだ。

いつもは怪奇現象をどこか他人事のように見ているが、今それらとしっかりと向き合おうとしている。

それがいい事なのかどうなのかは判断がつかなかったが、そんな彼女の様子が心配でもあった。

がナルの事で責任を感じているのは解っている。

だからこそ、変に無理をしなければいい・・・とそう心の底で祈りながら。

「・・・閉めていい?」

あまりにもハッキリしない事ばかりで全員が黙り込んでいたその時、麻衣が控えめに真砂子へとそう声を掛けた。

それに無言のままコクリと頷いた真砂子を確認し、麻衣もまた不安そうな表情のままチラリと眠ったままのナルを見やると、静かにそっと襖を閉めた。

恋のライバルとして時々腹の立つこともあるけれど、やはり恋のライバルとしてこういう時の相手の気持ちも痛いほど解ってしまうのだ。―――おそらくそれは、真砂子も同じだろう。

そんな微妙に重い空気を振り払うように、滝川は気を取り直した様子でモニターの前へと戻ったリンに声を掛けた。

「そういや、リンさんや。ゆうべ何か動きはあったのか?」

「母屋と入り江側の部屋に。―――ご覧になりますか?」

「なるともー!」

リンの冷静な声に、滝川の明るい声が返る。

それに思わずガクリと肩を落とした麻衣は、恨めしげに滝川を見やった。

「せめて、もーちょいナルっぽく返事してよ。力抜ける〜」

「あ、そお?」

別に滝川が悪いわけではないのだけれど、やはり雰囲気というものもある。

いつもならばナルの憎らしいほど冷静な声が聞こえてくる手前、この落差はあまりにも激しい気がしてならなかった。

しかしそんな麻衣の抗議に、は逆に嫌そうに眉を寄せて。

「えー、やめてよ。ぼーさんのナルの物まねなんて聞いたら笑っちゃって集中できないよ」

「・・・いや、別に物まねしろとまでは言ってないけどさ」

「ダメダメ。ぼーさんには必要以上にのほほんとしててもらわなきゃ」

「・・・お前の言葉が一番胸に突き刺さるんですけど」

ひらひらと手を振って麻衣へとそう諭すを見つめながら、滝川ががっくりと肩を落として小さくぼやく。

確かに自分とナルでは明らかにキャラが違う事はわかっているし、別にナルのようになりたいと思っているわけではなかったが、やはりどう聞いても褒め言葉には聞こえない以上素直に納得するのも難しかった。

しかしはそんな事を気にする素振りもなく、ぼやく滝川を放置したまま視線をリンへと向けた。

「さ、リンさん。ちゃっちゃと再生しようよ」

「・・・はい」

もうこうなれば誰がリーダーなのかわからない。

ともかくもあまり気にしない方が無難であると解釈したリンは、言われるがまま昨夜録画した映像を再生した。

小さく音を立てて、数台並んだモニターに映像が映し出される。

「ここは葉月ちゃんの部屋と・・・こっちは?」

「母屋の1階の廊下です」

「・・・やっぱり、葉月ちゃんが狙われてるのか」

この家で今一番被害を被っているのは、まだ幼い葉月だ。

首と背中に浮き出た、悪意に満ちた痣。

何かあるのならば、きっと彼女が一番だろうとは思っていたけれど。

「・・・あ」

そんな時、モニターを見ていた麻衣が小さく声を上げた。

それに視線をモニターに戻すと、映し出された葉月の部屋に白い火の玉のようなものがいくつも浮遊している。

それはしばらく眠っている葉月の周りを飛び回っていたかと思うと、ふっと音もなくその姿を消した。

「・・・消えた」

「廊下の方にも似たようなのが映ってるわね」

廊下の方のモニターを確認していた綾子が、僅かに表情を歪めつつ呟く。

それを認めたリンが、すぐに次の行動に入った。

「入り江側の部屋の映像を出します」

言葉と同時に、先ほどまで葉月の部屋が映っていたモニターに、今度は入り江側の部屋が映し出される。

今度は先ほどのように、部屋の中には異常は見られない。

しかし、問題は部屋の奥・・・―――窓の外にあった。

「・・・なんだ?光?」

ふわふわと窓の映るたくさんの光。

「下から昇ってきてるみたいですね」

「霊視なのか?」

それぞれ感想を漏らすジョンと滝川の声を聞きながら、は思わず目を瞠る。

この光景を、自分は知っている。

まるで雪か蛍のようなと思ったけれど、本当は違うのかもしれないとそう思った。

今見るこの光景は、まるで海の底から地上へ向かうたくさんの泡のようだ。

コポコポという音が、今にも聞こえてきそうな気がする。

そんなの思いを読んだわけでは決してないだろうが、映像を見ていた滝川が機材を操作するリンへと顔を向けた。

「音は?」

「無音です。振動もありません。他の計器類も正常値の範囲内。ただし気温が5度ほど下がっています」

気温が5度も下がっていたら、それはそれで異常だとも思うが・・・―――あえてそこには突っ込みをいれず、は深くため息を吐き出しながら天井を見上げた。

どうやらあの時見た光景は、夢でも幻でもなかったらしい。

それにしては時間的にズレがあるところが気になったが、少なくとも見た光景にそれほど違いはない。

もちろん、それが何を意味するのかまでは察する事は出来なかったが。

ともかくも、多少なりとも動きがあった事は確かなのだ。

その意味が解らなくとも、何もないよりは糸口が掴めるかもしれない。

そう思ったその時、不意に襖がノックされた音に気付き、麻衣は返事を返しつつ立ち上がった。

「彰文さん」

襖を開けると、そこには柔らかい笑顔を浮かべた彰文がお盆を持って立っている。

どうやら飲み物の差し入れに来てくれたらしい。

それに気付いたもまた、手伝うべく2人の傍へと歩み寄る。

そうして手渡されたお盆とポットをありがたく受け取って・・・―――ふと何事かを考え込んだ麻衣は、意を決したように彰文を見やった。

「あの・・・」

「はい?」

「下の洞窟なんですけど・・・ひょっとして脇の方に道があったりします?崖をえぐったみたいなの。でもって石段があって、お店の脇に上ってく感じで・・・」

嫌に具体的なその説明に、話を聞いていたは不思議そうに首を傾げる。

確か、麻衣はずっと自分と一緒に居たはずだ。―――席を外した事くらいはあるが、それほど長い時間いなかった事などなかったけれど。

のそんな疑問を読み取ったかのように、彰文もまた不思議そうな面持ちで口を開いた。

「・・・行ってご覧になったんですか?」

彰文の問い掛けに、麻衣は気まずそうに視線を泳がせる。

「そんで洞窟は『く』の字に曲がってて、奥に祠があったり・・・」

「まさか下へ降りたんですか?ダメですよ、あの石段は危ないんですから」

麻衣の話に、彰文が驚きに声を上げる。

それに麻衣が慌てて制止の声を上げる前に、彰文の声に気付いた滝川が訝しげに振り返って。

「どうした、嬢ちゃん」

「あたし・・・またやっちゃったみたい」

滝川の問い掛けに、麻衣は気まずそうに笑みを浮かべながらそう呟いた。

 

 

「・・・でね、洞窟に海から人魂が吹き寄せてくるの。魚とかそういうのの霊まで」

「魚の霊だぁ!?」

昨夜見たという夢の内容をポツリポツリと話し始めた麻衣に、滝川は思わず声を上げた。

海から人魂が吹き寄せてくるというのみ解らないが、魚の霊など聞いた事がない。

そんな思いのこもった滝川の声に、けれど麻衣は戸惑いながらも反論する。―――どういう事かは解らないまでも、見たものは見たのだ。

「変かもしれないけどさ!そうなんだもん!!―――魚だって生きてるんだし、ねぇ!!」

けれど自分の説明に説得力がないだろう事を感じ取った麻衣が、慌てて話を聞いていた彰文へと同意を求める。

優しい彰文なら、そういう事もあるかもしれないとフォローを入れてくれるかもしれない。

そんな思いを込めて彰文を見やれば、彼はその表情を堅く強張らせて。

普段の彰文とは違うその様子に、がどうしたのかと訝しげに眉を寄せれば、彰文は躊躇いがちに口を開いた。

「・・・あの洞窟はそうなんです」

何が『そう』なのか。

そんな疑問を口にする前に、彰文は衝撃的な言葉を口にした。

「潮の関係で、死体が流れてくるんです」

彰文の言葉に、全員が思わず口を噤む。

この近辺の海で死ぬと、潮の関係であの洞窟に流れ着くのだという。

特に、人などの大きいものは。

だから、わざわざ洞窟に祠があるのだそうだ。―――確かにそう説明されれば、すんなり納得できる。

「うちの犬が流れ着いたのも、あそこでした」

それはおそらく、この家の主人が亡くなった後に死んでしまったという犬の事だろう。

だとすれば、その犬は海で死んだのだろう。

どうしてそうなったのかは、勿論解らないが。

「・・・海から吹き寄せる人魂」

そんな彰文の説明を聞きながら、は窓の外を眺めつつポツリと呟く。

モニターに映っていた・・・―――そうして先ほど自身が見た光景。

もしかすると、あれは麻衣の言う通り海から吹き寄せる人魂だったのだろうか。

たくさんの光。

あれだけの命が失われたのだ。

それは自然の摂理の中では仕方のない事なのかもしれないけれど、それを目の前に突きつけられて平気な顔をしていられるほどは鈍感ではない。

それでも、あの光が綺麗だと思ったのも確かで。

「あんな綺麗な人魂見たの、生まれて初めて」

「なんか言ったか?」

「ううん、なんにも」

ポツリと呟いた言葉は、どうやら滝川の耳に届いたらしい。

それに軽く首を横に振って、は再び窓の外へと視線を向ける。

海から吹き寄せる人魂。

それもまた、今回の事件に関係があるのだろうか?

今は何もない窓の外を眺めつつ、はひっそりとため息を吐き出した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

今回はちょっと短めで。

毎度の事ながら、主人公の立ち位置に迷います。

なるべく主人公をないがしろにしないように(+キャラもないがしろにしないように)したいと思ってるんですが。

作成日 2009.1.3

更新日 2010.1.31

 

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