「おい、!!」

突如意識の中に飛び込んできたとてつもない大きな声に、はパチリと目を開いた。

視界に驚いたようなホッとしたような、複雑な表情を浮かべた滝川達の顔が映る。

それをぼんやりと見上げながら、パチパチと何度か瞬きした後、は訝しげに眉を寄せた。

自分で言うのもなんだが、は寝起きが良いとは言えない。

こんな風にスイッチを入れたように目覚めるのは本当に珍しかった。―――いや、今はそれはどうでもいいのだが。

「・・・ったく、無茶ばっかしやがって。心配しただろーが」

脱力したように座り込む滝川を目で追いながら、その行動の意味さえ理解できずには更に眉を寄せる。―――もしかするとまだ意識は目覚めていなかったのかもしれない。

そうして少しづつ明瞭になっていく意識の中、自分の身に何があったのかを理解したは、勢い良く跳ね起きガシリと滝川の胸元を掴んだ。

「麻衣は!?」

「お前なぁ・・・。麻衣はまだ気を失ってる。怪我はないみたいだが・・・」

目覚めて最初の言葉がそれかと呆れ混じりにため息を吐きつつも、滝川自身も麻衣を心配する気持ちに違いはなく、瞬時に真面目な表情を浮かべて答える。

そんな滝川に釣られて視線を巡らせたは、未だ眠り続けるも目立った怪我がない麻衣を見てホッと安堵の息をついた。

 

 

 

実の行方

 

 

「とりあえずポルターガイストはあの後すぐに収まった。その後はまったく動きがない。もう夜も遅かったし、黒田さんは家に帰した。―――他に聞きたい事は?」

状況の説明を求めるに向かい、滝川は一息でそう話した。

いつも浮かべているにこやかな笑顔を消し真面目な面持ちでそれを聞いているは、つい先ほどまで気を失っていた人物と同じとは思えない。

滝川達がどれほど心配したかを解っているのかと問い詰めたい思いもあったけれど、言えば言ったで「解ってるってば。愛されてるね〜私って」などと茶化されるのが落ちだと簡単に想像できて口にするのは躊躇われた。―――本気で心配していた手前腹立たしい気もするけれど、がすると不思議と嫌な気がしないから本当に不思議だ。

「ナルは?」

不意に何事かを考え込んでいたが口を開いた。

「出てったまんま、まだ戻って来てない」

「・・・ふむ」

短く聞かれた問いに同じく言葉少なく返すと、は小さく呟いて再び何事かを思案し始める。

そうしておもむろに携帯電話を取り出したは、さすが女子高生だと賞賛を送りたくなるほど素早い手つきでメールを打ち出した。

その一連の動作を一体なんなんだと思いつつもそのまま無言で見下ろしていると、未だ気を失ったままワゴン車の荷台に横たわっている麻衣の様子を見ていた綾子が、表情を曇らせたまま顔を上げた。

「ねえ、この子全然目を覚まさないんだけど・・・。やっぱり救急車を呼んだ方がいいんじゃない?」

「ん〜・・・多分大丈夫だと思うけど」

不安げな綾子の言葉に、ふと顔を上げたがパチンと音を立てて携帯を閉じながら呑気な声色でそう返す。

「ちょっと、何の根拠があってそんな・・・」

「根拠って・・・」

少し棘のある綾子の声に、は困ったように眉を寄せた。

まさか夢の中でナルに『眠ってるだけだから大丈夫』的な事を言われたから・・・などと説明は出来ない。

としてもあの夢が何を意味するのかよく解らないのだ。―――ナルと夢の中でばったりなど、意外すぎてコメントのしようもない。

ただ、あれがただの夢だったとはどうしても思えなかった。

それこそ根拠も何もないけれど・・・ただの夢にしては、現実味がありすぎた印象があるのだ。

「せやけど、やっぱり心配でんがな。もし頭とか打ってたりしはったら・・・」

動揺のあまり感情の揺れが激しくなっている綾子と、そんな彼女とは対照的に落ち着きすぎていると思えるくらい落ち着いているを交互に見比べて、ジョンが控えめにそう進言する。

しかし当のは、やんわりと微笑んで軽く手を振った。

「それなら大丈夫。頭とか大事なところはしっかりガードしたからね」

ダテに何も考えずに突っ込んだわけではない。―――あの切羽詰った状況でも、押さえるところはしっかりと押さえている。

学校特有のしっかりとした造りの木で出来た靴箱の直撃は言葉に出来ないほど強烈だった為、庇った腕は多少痛むが打ち身くらいで済んでいる筈だ。

そう思って麻衣の頭を庇った左腕に手を添えると、その手を横から伸びて来た手に強く握られ、ピリッと走った痛みに僅かに表情を歪める。

顔を上げると、そこには真面目な表情の奥に微かな怒りを押し殺した滝川の鋭い瞳があった。

「お前も怪我してるんだろ?早めに診てもらった方がいいぞ」

「だーいじょうぶだって。軽い打ち身程度だから。帰ったら湿布でも張っとくよ」

真剣にそう忠告するも、は軽く笑って取り合おうとはしない。

それに少しだけムッとしつつも、これ以上言っても彼女の意思は曲げられないだろうと察し、諦め混じりにため息を吐いた。

「・・・ったく。人の事もいいが、ちょっとは自分の事も考えたらどうだ?あんなふうに飛び込んだりして、一歩間違えば大怪我してたかもしれないんだぞ?」

「そうよ!あんな無茶して・・・心臓が止まるかと思ったわよ!!」

それでもこれからはあんな行動に出ないようにとそう言葉を続ければ、微かに涙ぐんだ綾子が声を荒げる。

こう見えても結構面倒見が良いのだと、先ほどの事件で綾子の新たな一面が見えた気がした。

それに対し、流石に申し訳なさそうな表情を浮かべたは、しかし困ったように微笑んで未だ眠り続ける麻衣へと視線を移す。

「ごめんね。でもやっぱり危険な目に合いそうな乙女を、危機に立ち向かい救い出すのは王道の浪漫でしょ」

「・・・さんも十分オトメやと思いますけど」

「何言ってんの、ジョン。こう見えても私ってとんでもなく逞しいんだから」

控えめなジョンの突っ込みにも、は笑って取り合わない。

しかしそんな華奢な身体のどこが逞しいんだよと思わず横槍を入れそうになった滝川は、の「私格闘技の段持ちだから」という言葉に思わず頬を引き攣らせる。

そういう事が言いたいわけでも、そういう問題でもないのだけれど、飄々として掴み所のないを説き伏せるのは想像以上に骨が折れそうだと察して、腕の治療だけはしっかりしろよと釘を差し、とりあえずなんともなかったのだからいいかと自身を納得させる事にした。

これ以上不毛な言い合いを続けていても仕方がない。

極度の緊張状態に加えて睡眠不足のせいか、延々と同じ事を繰り返す気力などとうに尽きているのだ。

「ともかく、もうちょっと待って麻衣の目が覚めなかったら、その時は救急車を呼ぼう。寝不足だって言ってたし、ついでに寝てるだけかもしれないしね。目が覚めた後、あんまり大事になってても麻衣だって困っちゃうだろうし」

結局はそんなの提案に頷く形となって、繰り広げられていた言い合いはとりあえず幕を下ろす。

いつの間にかが主導権を握っている事など、混乱する今の彼らが気付く事はなかった。

 

 

「・・・ただいま〜」

聞くからに覇気のない声で帰宅を告げたは、そのまま力尽きたかのように玄関口に座り込んだ。

日本家屋特有の擦りガラスをはめ込んだ格子の玄関扉の向こうは、目に痛いほどの白い光に照らされている。

気を失った麻衣が目覚めたのは、が目を覚ましてから何時間も後の事。

とりあえず目立った外傷もなく、気分が優れないわけでもないという事もあり、救急車の呼び出しは見送られ、みんな疲れているだろう事から一時帰宅の運びとなった。

全員が疲れ果てた身体を引きずって始発電車に乗り込み、おそらくは日付が変わらない内に再び顔を合わせる事になるだろうが、それぞれがそれぞれの家へと帰って行く。

そうしてが漸く自宅に辿り着いたのは、滅法朝が早い本家の者たちが活動を始める頃だった。

はぁ〜と大きく息を吐き出して、ひんやりと冷たい廊下に転がり古い天井を見上げる。

まずご飯を食べて、それからお風呂に入って。

それをすべて終えたら、せめて昼頃までは眠りたい・・・―――ぼんやりとそう思考を巡らせていたは、廊下に静かに響く足音に視線を動かした。

「お帰りなさい、さん。随分とお疲れのようですね」

寝転がるのすぐ傍まで歩み寄り、労わるような優しい声を落とすその人物を見上げて、は苦笑いを浮かべたまま身を起こす。

「まぁ、いろいろあって・・・」

「いろいろ、ですか?それにしては報告が一度もなかったですが」

「・・・いちいち報告してる暇なんてなかったの。別にいいじゃない」

「ま、私は構いませんけどね。・・・ただご当主が随分とヤキモキされてましたから」

「藤野」

玄関先に座り込んで言葉を交わすと藤野の背後から、低く冷たい声が投げ掛けられた。

それに揃って振り返ると、そこには噂のご当主様の面白いくらい不機嫌な顔がある。

「あ、ただいま〜」

「・・・・・・」

「良かったですねぇ、一清さん。さんが無事に帰って来て」

「・・・・・・藤野、

からかうような2人の笑みにこれ以上ないほど眉間に皺を刻んだ一清が、無言のままくいと顎をしゃくる。

「来い。話を聞かせてもらおう」

言葉短く告げられたそれに、と藤野は顔を見合わせて笑った。

 

 

無駄に広い家本家には、必要最低限の人間しか住んでいない。

当主である一清と、そのパートナーである月華の

そして当主の補佐と2人の世話を一手に引き受ける藤野に加え、交通の便が悪いこの屋敷には欠かせない・・・―――霊能者として仕事をするには力が心もとない為に、運転手として働いている男が1人。

少し前までは同じく力が弱く世話係りとして働いていた女性がいたのだけれど、生憎と少しばかり事情があってその彼女も今はこの家にはいなかった。

も一通りの家事はできるが、勉学と仕事の両立は口で言うほど簡単ではない。―――なので家事のすべては藤野が行っていた。

それならば誰か人を雇えばよいとも思うが、気難しい一清は気の許せない相手を自分の領域に入れたくはないのだろう。

元々そういう類の事は嫌いではなかった割と何でもこなす藤野は、手間と時間ばかりが掛かる家事を嫌な顔をせずに引き受け、実にかいがいしく世話を焼いてくれる。

今朝も藤野お手製の和食主体の朝食を食べながら、は朝から機嫌が悪い一清の顔を盗み見ながら小さくため息を吐いた。

疲れて帰って来て、漸く一息つけたと思えばこれだ。

笑顔で出迎えてくれとは口が裂けても言うつもりはないが、もう少し同席する相手に対しての気遣いがないものか・・・―――まぁ、それも今に始まった事ではないけれど。

そうしては彼の不機嫌の理由に自分が関係している事も解っていたから、大人しく口を噤んで味噌汁を啜る。

そうして重い空気の中で朝食を終えた後、相変わらずにこにこと穏やかな笑顔を浮かべた藤野が用事を終えて部屋に戻って来たのと同時に、一清はすっかり片付けられたテーブルの上に無造作に紙束を放った。

「これが、人が眠っている時間に遠慮なく送りつけてきたメールにあった資料だ」

「や、やだな〜、送りつけるなんて。ちょっとお願いしただけじゃない」

「帰るまでに詳細な資料を集めておけと、仮にも上司である俺に一方的に連絡してきた者の言う言葉とは思えないな」

せめて場の空気の重さを払拭しようと明るい声でそう言ったの頬が、一清の言葉によって僅かに引き攣る。

人が一生懸命働いてる時に呑気に寝てた奴に言われたくないよと言い返したいところだが、言えば言ったで何倍にもなって文句が返って来るのだろう。―――としても早朝のメールに気が引ける部分がないわけでもない為、何とか文句を飲み込んでありがとうと礼を述べた。

どれほど文句を口にしつつも、ちゃんと要望通り資料を集めてくれた一清に対して素直に感謝する気持ちももちろんある。

例えその資料の大半を集めたのが、藤野であったとしても。

はもう一度礼を告げて、クリップで留められた紙束に手を伸ばした。

そうして真剣な眼差しでそれに目を通し、自分の記憶と照らし合わせて1つの結論を出すと、漸く合点が言ったとばかりに1つ頷く。

が月華の座について間もない頃、彼女は一清と共にあるビデオを見た。

それはおよそ信じがたい衝撃的な映像であったため、彼女の記憶に強く残っている。

とはいっても、普段何気なく思い出すような事柄ではない。―――寧ろそれに思い至っただけでも褒めて欲しいくらいだとは一人でそう思う。

「これは・・・面白い事になったのかな?それとも面倒な事になったのか・・・」

資料から顔を上げて困ったように眉を寄せるに、一清は何も言わずお茶を啜った。

簡単にとはいえ、メールで事情は説明されている。

信じがたい事ではあるが、がそんな嘘を付く理由はないし、また彼女の記憶力を疑うつもりもない。―――決して口には出さないが、一清はパートナーとして・・・そして1人の人間としてを認めている。

「・・・さぁな」

もとより返事を求めてはいなかったのか・・・一清の素っ気無い返答に文句を言うでもなく、もまた湯飲みへと手を伸ばす。

考えなければならない事も、やらなければならない事も、たくさんあるけれど。

「・・・とりあえず寝ようかな」

疲れた身体と押し寄せる眠気には、どうやら勝てそうにもない。

欠伸をかみ殺しながらお茶を一気に飲み干したが立ち上がりかけた、その時。

さん、渋谷さんという方からお電話があったのですが・・・」

「・・・は?」

立ち上がりかけたままの状態で固まったに、藤野は笑顔で言い放つ。

「8時ごろに学校へ来て欲しいそうです」

「・・・8時?」

無理矢理作った笑顔を返しながら時計に視線をやったは、現在の時間を確認して更に頬を引き攣らせる。

移動の時間を考えると、急いで風呂に入る時間があるかないかの微妙な頃合。―――どう考えても睡眠の時間は取れそうにない。

「まぁ、せいぜい頑張って来い」

まるっきり他人事の一清の台詞に、の中から先ほど抱いた感謝の気持ちが綺麗さっぱり消えた。

「・・・私に何か恨みでもあるのかってんだ、こんちくしょうめ」

「お前も一応、年頃の娘だ。言葉遣いには気をつけろ」

小さく独りごちたに、容赦ない一清の咎めの言葉が突き刺さる。

それをサラリと無視して、せめて風呂くらいは入ってやる!と、は勢い良く部屋を飛び出した。

 

 

移動の車の中で短すぎる仮眠を取ったは、学校に着いた早々校長室へと案内された。

内心の文句を顔に出す事無くその場に足を踏み入れると、そこには既に数時間前に別れたばかりの同業者たちの姿がある。

「おー、お前もか・・・」

校長室に入ってきたを認めて疲れた笑みを浮かべる滝川に同じような笑みを返すと、空いている椅子の1つに腰を下ろした。

「これってどーいう事?」

「さぁな。俺も問答無用で呼び出されただけだ」

隣に座る滝川へ説明を求めるも、その滝川自身も現状を理解できていないらしい。

ならばおそらく綾子もジョンも知らないのだろうと踏んで、は大人しく口を噤んだ。

この会話が聞こえている筈のナルが何も言わないところを見ると、今は説明をする気はないのだろう。―――無理矢理問い詰めるには相手が悪すぎる。

どうせその内説明してくれるだろうと高を括って、そうしては昨日はいなかった人物へとにっこりと笑顔を向けた。

「真砂子、もう身体はいいの?」

「心配ありませんわ。貴女こそ、昨日は大変だったと窺いましたけれど」

「ああ、私は平気よ。身体の丈夫さだけが取り柄だしね」

表情は変えないまでも返事を返してくれる真砂子へとさらに笑みを深めて、は軽く胸を逸らして自慢げに返す。

それを目に映して、真砂子もまたほんの少しだけ表情を緩めた。

「・・・失礼しま〜す」

2人がそんな遣り取りをしている内に、コンコンと控えめなノックの後に扉が開き、そこから戸惑いを隠せない麻衣が顔を覗かせた。

その後ろには黒田の姿もある。―――どういう事なのかと全員がナルに視線を向けたその時、ずっと校長と向かい合っていたナルがゆっくりと振り返った。

「今回の事件の関係者はこれだけですね?」

麻衣と黒田が席に着いたのを確認してから、漸くナルが口を開く。

それに校長が小さく頷いたのを見て、ナルは光が差し込む大きな窓のカーテンを引いた。

「では、少しお時間をいただきます」

途端に先ほどの明るさが嘘のように薄暗くなった部屋の中、誰の了承を得るでもなく校長の机の上に乗るライトへと手を伸ばしたナルは、カチカチと一定のリズムでスイッチを押し始めた。

「光に注目してください」

言われては点灯を繰り返すライトへと目を向ける。

「光に合わせて息をしてください。・・・ゆっくりと・・・肩の力を抜いて・・・」

ナルの静かな声が、身体の中に染みていくような気がした。

「自分の呼吸が聞こえますか?心の中で呼吸を数えてください」

言われるがままに、は無意識にそれを行う。

ほとんど眠っていなかったせいか、酷く眠かった。―――少しづつ重くなっていく瞼に逆らえず、はナルの声に導かれるようにゆっくりと目を閉じる。

「・・・今夜、何かが起こります」

今夜、何かが起こる。

ナルの声が頭の中で木霊する。

旧校舎の2階にあった椅子が動く。

椅子が・・・そう、椅子は旧校舎に実験室の中にある。

椅子が・・・。

まるで眠りの淵にいるようなぼんやりとした頭の中で響く声。

何かを言っている気がするけれど、何を言われているのかを頭は理解してはいなかった。

緩やかなまどろみの中、どんどんと思考が波に押し流されていく。

心地良さを感じるその波に身を任せながら、がその意識を手放しかけたその時。

「・・・結構です」

先ほどとは違うはっきりとした鋭い声と共に差し込んだ強烈な光に、はハッと目を開いた。

「ありがとうございました」

途端に明瞭になる意識の中、いつも通りの無表情のままのナルが素っ気無く告げる。

それはもう既に用は済んだという事なのだろう。―――何が目的だったのかも解らないまま、は暗闇に慣れた目に容赦なく刺す光に目を細めながら、何気なく視界を巡らせた。

そうして目に飛び込んで来た、学校では珍しくもない木で出来た椅子を見詰める。

その何の変哲もない椅子に何故か目が吸い寄せられるような不思議な感覚を抱きながらも、そこに対して興味を見出せるものがある筈もなく、は込み上げてきた欠伸を押し殺して固まった身体を伸ばした。

「さ〜てと、なんかよく解らんが・・・用が済んだんなら帰って一寝入りするか」

「そうね。寝不足は美容の天敵だもの」

それぞれ独りごちながらも校長室を出る滝川達について部屋を出たは、さてこれからどうするか・・・と思案する。

眠気は勿論失われてはいなかったが、先ほどの奇妙な出来事でそれは薄れている。

遅れてでも学校に行こうかとも思うが、何故かそんな気にもなれなかった。―――にしては珍しい事に。

それよりもまず気がかりの内の1つを片付けておくのも良いかもしれないと、帰るという滝川達と別れて目的の人物がいるだろう場所へと足を向けた。

気がかりは山ほどあるのだ。―――その内の1つくらい解決してくれないと精神的に悪い。

そうして向かった場所に、目的の人物はいた。

校舎裏に止められたワゴン車には、その本来の持ち主が1人で何かの作業をしている。

「・・・ナ〜ル」

殊更明るく声を掛ければ、多少鬱陶しそうな顔をしつつも律儀に振り返るナルを見て、はわざとらしくにっこりと微笑んだ。

「ちょっと話したい事があるんだけど」

控えめに・・・しかし否を言わさぬ物言いでそう申し出れば、彼はそれを予測していたのか、それともの目が声色とは違い笑っていない事に気付いたのか、珍しく切って捨てる事もなく諦めた様子で1つ頷いた。

 

 

ナルを追って旧校舎へとやってきた麻衣は、そこに佇むもう1つの人影を見て足を止めた。

「・・・?」

ワゴン車の荷台に積まれてある機材を弄っているナルの隣には、何をするでもなくぼんやりと空を見上げるの姿がある。

2人は言葉を交わすことも笑みを向け合う事もなかったが、並ぶ姿はとても自然に見えて麻衣の胸はチクリと痛んだ。―――つい先ほど気付いたばかりの恋かもしれない心が、並ぶだけで絵になる2人に小さな悲鳴を上げたのだ。

「あれ?麻衣〜!」

なんとも足を踏み入れ難い雰囲気に、進もうか戻ろうかと迷っていた麻衣は、ふと自分に気付いたの呼ぶ声に何とか笑顔を浮かべて足を踏み出した。

「な、何してんの?」

「ん〜、別に何も?ただ何やっていいか解んなくて手持ち無沙汰だからさ」

見ていた事に気付かれないようにと何とか取り繕いながら声を掛けた麻衣だったが、ごく自然に・・・ナルとの二人っきりの時間を邪魔された、などという雰囲気すらなくそう答えるに、麻衣は小さく首を傾げる。

さっきのは見間違いだったのだろうか?―――とても良い雰囲気に見えたのだけれど。

そんな事を考えていた麻衣は、不意に向けられたナルの視線に、つい数時間前に見た夢を思い出してバッと身体を硬直させた。

鏡を見なくても顔が赤くなっていくのが解る。

ナルの顔を見るだけで、夢でしかないナルの微笑みを思い出して・・・。

「昨夜、レコーダーをセットしておいてくれたの、麻衣か?」

「う、うん。ビ、ビデオの方が良かったんだけどわかんなくて」

「お前にしちゃ上出来だ。なかなか面白い音が入ってる」

唐突に話し掛けられてどぎまぎしながら返事を返した麻衣に、ナルは大して表情を変える事無く口を開く。

夢の中でのように微笑んだわけでもないのだが・・・―――しかしその整いすぎた貌に更に顔に熱が集まっていく。

「・・・なんだ?」

そんな麻衣の強い視線を感じたのか、ナルが訝しげに顔を上げた。

そうしてバッチリとあった視線に更に挙動不審になりながらも、麻衣は話を摩り替えようと懸命に頭を働かせる。

「えっ、あ、別に!!あ、そだ!ほらっ、あの靴箱!倒れたやつ!あったかかったよ、あれ。ポルターガイストが動かした物は温度が上がるって言ってたよね」

「よく覚えていたな」

あからさまに可笑しな様子の麻衣を問い詰める事無く、ナルはレコーダーに録音されていた音を聞く為に耳に当てていたヘッドフォンを取り外す。

何とか誤魔化せた!とナルの様子を見て一安心した麻衣。

しかしこの場にいるのはナルだけではなかった。―――ナルと麻衣の会話に入り損ねて1人蚊帳の外状態だったが、意地悪な笑みを浮かべて麻衣へと近づき、そうしてあたふたと落ち着きない麻衣の耳元へと口を寄せて。

「麻衣ちゃ〜ん。お顔真っ赤だよ〜」

「ひゃあ!!」

囁くような声に、緊張状態だった麻衣は弾かれたように声を上げる。

途端に更に顔を赤らめる麻衣を楽しげに見下ろして、そうかそうかとは勝手に納得したように頷いた。

「他と比べて反応が遅い気もするけど、やっぱあれかぁ。男は顔か・・・」

っ!?」

「そりゃそうだよね〜。悪いよりは良いに越した事はないもんね」

「ち、違うってばっ!!」

ニヤニヤと笑いながら言葉を続けるに、効果がないと解っていても麻衣は誤魔化そうと声を張り上げる。―――明らかにからかっているを睨みつけるも、当の本人にまったく堪えた様子はない。

「そ、それよりはどうなのよ!だって・・・っ!!」

何とか反撃しようとそう口を開いた麻衣は、ハッと我に返り口を噤んだ。

そんな事を言って、もし肯定されてしまったら・・・。

は綺麗だ。―――それに加えて、こうして無邪気に笑う様は可愛くもある。

年齢も同じくらいだし、共通の趣味・・・ではないが、仕事の上で協力もし合える。

先ほど並んでいる姿を見て似合っていると思ったばかりだというのに・・・。

つい先ほど自覚したばかりの淡い恋心を抱く胸が、また微かに痛んだ。

しかし麻衣の反撃を食らったは特に気にした様子もなく、チラリとナルに視線を向けてから複雑そうな表情を浮かべる。

「・・・?」

「私の上司ってさ、ちょっとナルに似てるんだよね」

顔じゃなくて、あの唯我独尊的なところとか。

声を潜めてそう呟くの趣旨が解らず、麻衣もまた訝しげに首を捻る。

それきり口を噤んでしまったに話の続きを促そうとしたその時、突如目の前に一纏めにされたコードが差し出された。

それを辿って顔を上げると、そこにはいつの間に活動していたのか・・・ナルがもう一束のコードを持って立っている。

「無駄話は後にしろ。―――機材を置く」

言われて問答無用で渡されたコードの束を手に、麻衣とは揃って顔を引き攣らせた。

「・・・な、なんで私まで」

「お暇そうでしたから」

控えめに抗議するにもサラリと言い捨て、ナルはさっさと旧校舎へと足を向ける。

その背中を見送っていたは、がっしりとコードの束を握り締め、引き攣った笑みを浮かべたまま麻衣へと視線を移した。

「私、絶対にああいうタイプとは付き合わない。ええ、もう、たとえどれだけ顔が良くても絶対に!これ以上あんなタイプ受け入れたら、その内胃に穴が開いちゃう」

ああいうタイプは遠目で見てるだけとか、軽く付き合う程度が一番良いのよ!とぶつぶつと呟くに、彼女も苦労してるんだなぁ〜と漠然と思った。

それでもきっと上手く付き合うのだろうの人の良さと、意外と丈夫な胃を思って、麻衣は小さく笑みを零す。

「んじゃ、は例えばどんな人が良いの?」

仕方がないとコードの束を抱えながらそう何気なく聞いた麻衣は、どこか遠いところを見詰めていたに気付いてまたもや首を傾げる。

どうしたの?と聞く前に、はにっこりと笑顔を浮かべて口を開いた。

「そうだね、例えば〜・・・」

「例えば?」

「例えばね〜・・・。ジョ〜ン!奇遇だね、どうしたの〜?」

一応様子を見ていたのか、旧校舎から出てきたジョンを見つけてそう声を掛けたは、にこやかな笑顔を浮かべてこちらへと歩いてくるジョンに手を振りながらもチラリと悪戯っぽく麻衣へと目配せをして。

「ジョンみたいに優しい人、かな」

に見つかってしまったのが、運の尽き。

厄介事に引っ張り込む気満々のの麗しい笑顔に、どうコメントしていいかと麻衣は密かに悩む。

そうして巻き添えを食ってしまうだろうジョンを見詰めて、心の中でご愁傷様と呟いた。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ごめんよ、ジョン。(こんなんばっか)

この際リンは仕方がないとしても、なかなか恋愛担当のぼーさんと絡ませられません。

それより寧ろ麻衣との友情を深めているような・・・。(逆ハー万歳)

作成日 2006.10.22

更新日 2007.9.25

 

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