私を見て。

 

『まさかねぇ、こんな事になるなんて・・・』

お願い、私の存在を消さないで。

『ご両親も大変でしょうねぇ・・・』

私だって頑張ってるの。

ちゃんと良い子にしてるから。

だから・・・。

『まったく!恥さらしもいいとこだ!!』

『本当に。こんな事が知れたら大変よ。期待はずれどころか、いい迷惑だわ』

どうしてそこまで言われなきゃならないの?

私、何もしてない。

悪い事なんか、1つもしてないのに・・・!!

 

バカみたい。

白く骨が浮かび上がるほど握り締めた拳が、行き場もなく小さく震えた。

 

存在証明

 

「・・・はぁ」

深いため息を吐き出して、は見慣れた旧校舎を見上げる。

晴れ渡った空はこれ以上ないほど爽やかな朝を演出しているが、どうやら彼女にはあまり効き目がなさそうだ。

「おーっす、。おはよーさん」

凝り固まって痛みすら感じる肩を回しながら1つ欠伸を漏らしたの背後から、少し眠そうではあるが明るい声が掛けられる。

見れば昨日と同様、おそらくはナルに呼び出されたのだろう滝川が呑気な足取りでこちらへと歩いてくるのが目に映った。

「なんだよ、お前。まだ若いってのに随分と年寄りくさい真似して・・・」

「・・・放っといて。ぼーさんは昨日さっさと帰って難を逃れたからそんな事言えるんだよ。あの後私たちがどんな目にあったか・・・」

それは逆恨みだと十分解っていながらも、は湧き出る悔しさを隠す事無く拳を握り締める。

あの後、機材を置くとサラリと言い出し相手の承諾を得るまでもなく手伝いに狩り出したナルの指示で、と麻衣とジョンは肉体労働を余儀なくされたのだ。

まずは何十キロもある機材を実験室に運び、そこに設置した後は大きなベニヤ板を何枚も渡され、それで教室を塞ぐように指示された。

普段はまったくやる事のない大工仕事に四苦八苦しながらも、これに一体何の意味があるのかと聞いてもナルからの色よい返事もなく。

そんな大変な仕事を3人にやらせるだけやらせておいて、終われば帰っていいの一言。

別に感謝しろとかありがたがれとか言うつもりはないが、せめてこれが何を意味するのかくらいは教えてくれても良いのではないかと強く思ったが、表情を動かす事無く機材と向かい合っていたナルににべもなく却下され。

結局はこき使われるだけこき使われて・・・そうして今日もまた朝早くから呼び出されれば、いかに温厚なといえど不満の1つを抱くのも当然の事だと主張しても文句を言われる筋合いはない。

まぁ、成り行きとはいえ巻き込まれてしまったジョンが一番の被害者なのだとは自覚しているが・・・―――しかも彼を巻き込んだ張本人であるのだから、あまり面と向かって文句は言えないもの事実であった。

しかしそれらの事情を、昨日はすぐに帰った滝川が知るはずもない。

いやに機嫌の悪いの後ろを旧校舎に向かい歩きながら、彼は訝しげに小さく首を傾げた。

 

 

「んで?今日は何を見せてくれるって?また恥かく前にやめといた方がいんじゃねぇか?」

続々と集まってきたメンバーが全員揃った頃、ニヤニヤと笑みを浮かべた滝川がそう話を切り出した。

そこには霊能者ではない黒田の姿まであり、まぁ昨日の校長室での出来事が気になるといえば気になるのも当然かと納得したは、漸く種明かしをする気になったナルへと視線を移す。

「実験の証人になって欲しいだけです」

からかうような滝川の言葉にも眉1つ動かさず、ナルはサラリとそう言って・・・そうして所在無げに立つの方へと向き直った。

「麻衣、、ジョン。昨日サインした紙が破れていないか確認してくれ」

「う、うん」

戸惑いながらも返事を返した麻衣は、言われるがまま貼り付けられたベニヤ板の方へと歩み寄る。―――それに合わせて麻衣と共に移動したとジョンは、昨日自分たちが打ちつけたベニヤ板へと視線を向けた。

怪我をしたという本来の助手も復帰したのか、3人の後方で無言でビデオを回しているのが気にならないというわけではないが、ここは逆らわない方が良いだろう。

「大丈夫だよ」

「ハイ」

「うん、変わりない」

「ドアのサインは?」

「昨日と同じ」

「ハイです」

「問題ないけど・・・これが何?」

3人の返事に満足したのか・・・珍しく口元に笑みを浮かべたナルに、は訝しげな面持ちで声を掛ける。

しかしそれにも答えず、どこから持ち出してきたのか・・・―――工具を手に打ち付けられたベニヤ板へと近づくと、訝しげに見守る人々の目の前でそれを勢い良く引っぺがした。

バキと大きな軋む音を立てて、汗と苦労の形が次々と討ち捨てられていく。

そうして漸く入り口付近のベニヤ板の撤去を終えたナルは、そのまま何も言わずに教室の中へと入っていった。

その不審すぎる行動に呆然としながらも、集まった面々は後を追って教室内へと入る。

「うわっ、なんじゃこりゃ!台風でも来るんかい!!」

滝川の呆れの声を聞きながら教室に入ったも、自分がやった事ではあるが改めて見た光景に苦笑を漏らす。

教室内は暗かった。

窓さえもベニヤ板で打ちつけられている為、まったく光が入ってこないのだ。

唯一光が入ってくるのは、先ほど排除した入り口部分からのみ。

それでも昨日の作業に参加した3人には、その異常さがすぐに目に付いた。

「・・・椅子は?」

教室の真ん中、円の形に白いテープでかたどられたその中には何もない。

慌てて視界を巡らせると、ベニヤ板で封鎖された窓のすぐ近くに転がっている。―――それを見たジョンが、驚愕に目を見開いた。

「・・・渋谷さん。椅子が動いてまっせです」

呆然としたジョンの言葉に、ナルは薄っすらと口元に笑みを乗せ、そうして何故か満足げに頷いた。

「そうだな」

その肯定に、訳も解らずは眉を寄せた。

誰も入った形跡の無い教室の中に置いてあった椅子が、ひとりでに転がっている。

それが意味するところが解らないわけではない。

「おい、ナルちゃん」

「ご協力ありがとうございました」

説明を求める滝川の声を遮るように、ナルは笑みを浮かべたままそう言い放つ。

そうして彼は、全員が思いもしない言葉を口走った。

「僕は本日中に撤退します」

「・・・は?」

あまりの変わり身の早さに、開いた口が塞がらないとはこの事だ。

どうやらナルは1人で納得しているらしいが、手伝わせるだけ手伝わせておいて何の説明も受けていないには何がなんだか解らない。

撤退するという事は、事件は解決したという事なのだろうか?―――がそう口を開こうとする前に、頭に血が上った綾子が声を荒げてナルに詰め寄った。

「まさか事件は解決したとか言うんじゃないでしょうねっ!」

「そのつもりですが」

激昂する綾子にも態度を変える事無くサラリとそう言い返すナルに、麻衣とは顔を見合わせて呆気に取られる。

事件は解決した、とナルは言った。

「ねぇ、。どう解決したの?」

「いやいや、私に聞かれても」

こそこそと言い合う2人など構う事無く、綾子はナルへ馬鹿にしたように視線を投げかけて。

「地盤沈下?」

「そう」

まさかそんな馬鹿な事言い出さないわよねと言外に含んだ問いは、しかし何の躊躇いも無くすぐさま肯定された。

それに対し、ますます訝しげに表情を歪める面々を前に、ナルは口元の笑みを消して口を開く。

「校長から依頼を受けた件については、地盤沈下ですべて説明できたと思っている」

「そりゃ・・・まぁ、確かにそうだけど」

ナルの静かな声に、は戸惑いながらも相槌を返す。

確かにそれは全てにおいて納得のいく説明だった。―――あの後、あんな騒ぎが起きなければ。

案の上そこに目を付けた滝川が、呆れたように笑みを零す。

「はっ!そんじゃ実験室やら一昨日の騒ぎはどう説明するよ」

「あれはポルターガイストだ」

「はぁ!?」

突かれれば最も痛い部分であるだろうと思われた問いは、しかしまたもやあっさりと肯定される。

「さっきは地盤沈下だって言ってたのに、ポルターガイストで肯定しちゃうわけ?それで一体どんな風に事件は解決したっての?」

「そんなの簡単だろ、。こいつは除霊できないんだよ。調査だけして帰るつもりだろ」

「除霊の必要はないと考えているんだが・・・」

ナルの言いたい事が理解できずにもやもやとしながらも口を開いたに、からかうように滝川がそう返す。

それに不愉快な表情を浮かべる事無く、ナルはゆっくりと設置されていた機材へと手を伸ばした。

「ご覧になりますか?」

まったく動揺した様子も無くそう言ったナルに、麻衣とは再び顔を見合わせる。

手伝いをした3人には、それが何か聞かなくとも解っていた。―――それは何が目的なのかはさておき、設置した椅子を撮影したものだろう。

滝川達にもそれが何か解ったに違いない。

誰もが口を開く事無く、引かれるように近づき画面を覗き込んだ。

「ねぇ、これがなんなの?」

静止画面のようにただ無機質な椅子を映し続ける画面に、黒田が焦れたように声を掛ける。

しかしナルは動かない。

それに苛立ちを感じ、黒田が更に口を開こうとしたその時。

ゴト・・・と低い音が機材から漏れた。

全員の目が画面に釘付けになる。

無機質なカメラは、その時の状況を違える事無くその目に映していた。

カタカタと小刻みな音を立てて、椅子が僅かに振動する。

まるで地震の映像を見ているような心境になったが、残念ながらそうではないことは一目瞭然だ。―――何故ならば、その周りにあるものは微動だにしていないのだから。

小刻みに振動する椅子は、やがて誰かに引きずられるように僅かに・・・けれどしっかりと移動を開始する。

その異様な光景に恐怖を感じた麻衣は、咄嗟に滝川の服を掴んだ。

ズッズッと椅子は移動を続ける。―――そうして何かに躓いたのか、バランスを崩しその場に倒れると、漸くその動きを止めた。

は咄嗟に顔を上げて実験室内の椅子へと視線を向ける。

そこには画面に映し出された通り、倒れたまま動かない椅子が静かにその存在を主張していた。

「今の・・・」

恐ろしいほど静まり返った室内に、誰かの強張った声が響く。

それに我に返った滝川が、先ほどまでのからかうような笑みを収め、真剣な眼差しでゆっくりと動き出したナルを見据えた。

「立派なポルターガイストじゃねぇか。除霊しないと・・・」

「その必要はありません」

責めるような滝川の声を遮って、ナルはキッパリとそう言い切る。

そうして倒れたまま放置されていた椅子を引き起こすと、その背もたれに手を置いてチラリと視線を寄越した。

「昨日全員に暗示を掛けた。夜、この椅子が動くと」

「・・・暗示?」

言われて瞬時に脳裏に浮かんだのは、何の説明も無く呼び出された校長室での出来事。

あの規則的に灯るライトと、染み込むようなナルの声に、少しづつ意識が朦朧としていった事を思い出す。―――あれは暗示だったのかと、あの不可解な出来事の真実を漸く察した。

「その上でここに椅子を置く。窓とドアには内側から鍵を掛けた。更に板を張って封をした。すると人は通れないし、無理に入れば絶対に解る」

「だよね。板が破れちゃうし、あたしととジョンが名前書いてるからとっかえらんないもん」

板張ったのはあんたじゃないよ・・・という言葉を飲み込んで、とジョンは麻衣の同意を求める声に素直に頷く。

「そうだ」

それに神妙な表情をしたナルがひとつ頷き、改めてその場にいる全員に視線を向ける。

「ポルターガイストの半分は、人間が犯人である場合だ」

「悪戯って事?」

訝しげに問い掛けた麻衣に小さくバカと言い捨てて、ムッと表情を顰めた麻衣に構う事無くナルは話を続ける。

「一種の超能力だ。本人も無意識のうちにやっている事が多い」

淡々とした口調で、ナルは説明を始めた。

例えば何かの原因でストレスの溜まった者が、『注目して欲しい』『構って欲しい』という無意識の欲求でやる。

そういう場合は暗示を掛けるとその通りの事が起こるのだそうだ。

「じゃあ椅子が動いたのは人間のせいだってのか?」

「おそらくは。少なくとも僕は、今までこの方法で失敗した事はない」

キッパリと言い切るナルに、全員が不安げな表情でお互いを見やる。

自己顕示欲の強い人。

それは今まで少なからず関わってきた者たちの中で、当てはまる人もいる。

霊能力者という人種は、計らずもそういう人が多いのをは知っている。

けれど。

全員の視線が、ある人物へと向けられる。

それは本来ならばこの場所にはいないはずの人物。

イレギュラーな存在。

この旧校舎に霊が居ると、誰よりも強く主張した・・・麻衣のクラスメイト。

「わ・・・たし?」

呆然と呟いた黒田のその声は、今まで聞いたどの声よりも弱々しいものだった。

しかしそれも一拍の後、噛み付くようにナルに向かい声を荒げる。

「そんな・・・私がやったって言うの!?」

「他の誰より、君がやったと考える方が自然なんだ」

黒田の剣幕にも引く事なく、ナルは黒田から視線を逸らしたまま・・・続けて、君には最初から引っ掛かりを覚えていたと言い放つ。

それに僅かに頬を高潮させ身体を強張らせた黒田を無言で見詰めながら、はじっとナルの言葉に耳を傾けた。

「例えば・・・君はここで戦争中の霊や看護婦の霊を見たと言った。だが戦争中、この辺りが空襲を受けた事や、学校が病院として使用されたという話・・・ここに病院が建っていたという事実も無かった」

「そんな事・・・!!」

「すると君の勘違い、もしくは・・・」

そこで言葉を切り、真っ直ぐ黒田と向かい合ったナルは、変わらない表情のまま淡々と言葉を続ける。

「故意の嘘という事になる」

「う、嘘じゃないわ!!」

冷たくそう言い放つナルに、黒田が搾り出すように叫んだ。

そうして両手で顔を覆い隠し、そのまま固まったように立ち尽くす黒田を、麻衣は戸惑ったように見詰めた。

ナルの言っている事は、おそらく本当なのだろう。―――そう思えてしまうのは、彼が優秀だから・・・という理由ではなく、今回の事件に率先して顔を出して来た黒田に対し、最初に麻衣が思った事と同じ意味を持っていたから。

確かに面白がって怪談話などする事もあるが、だからといってそれを本当に信じているかといえばそうだとは言えない。

ただ退屈な日常にほんの少しの刺激を求めて・・・―――きっと一緒に怪談話をする友達も同じに違いない。

自分たちにとっては身近で、けれど遠いもの。

それがどこの学校にもある怪談話に当たるのではないだろうか。

麻衣自身も、今回の事でもなければ幽霊の存在を本当に信じる事も無かっただろう。

見た事もないものを何の疑いも無く信じるほど、世間知らずではないつもりだ。―――もっともまだ今回の事件を通しても、麻衣は幽霊を見た事は無いけれど。

「最初はただの霊感ごっこだと思っていた」

機材の中からテープを取り出しながら、ナルは静かな声でそう告げる。

「だからポルターガイストとしか考えられない現象が起こった時、正直困ったんだ。機材の測定も、と原さんの判断でも霊はいない・・・という結果だったのに、だ」

視線を感じては顔を上げる。

するといつからこちらを見ていたのか、真剣な顔をした滝川と目が合った。

何を言うでもなく自分を見詰める滝川の眼差しに、どこか居心地の悪さを感じては瞳を伏せる。

その自分に向けられる眼差しに、は覚えがあった。―――それは常に自分に向けられている、彼女にとっては望ましいものとは言えない種類のもの。

という1人の人間を見るのではなく、家の月華に向けられる眼差し。

それを振り払うかのように小さく深呼吸をし、まるで何事も無かったかのように再びナルの声へと意識を戻した。

不可解なポルターガイスト現象。

それが霊のせいでないのなら、原因は人間だとナルは言った。

その対象となるのは、大抵はローティーンの子供・・・―――霊感の強い女性の場合もあるのだという。

極端にストレスの溜まった者が無意識にやる、その底流にあるのは・・・。

『おねがい、わたしをみて』

『こっちをふりむいて』

頭の中で響く声に、は眉を顰めてきゅっと口を結んだ。

「だから、犯人である人物がポルターガイストの標的になることが多い。怪我をすれば同情してもらえる、構ってもらえるという無意識の欲求のせいだ」

「・・・怪我?」

ポツリと呟いた声に、黒田を見ていたナルがちらりと視線を寄越す。

「普通の家なら住人の中に犯人がいる。しかし・・・ここには住人はいない」

ナルの言いたい事が何となく解ってきて、は更に眉間に皺を寄せた。

この中でポルターガイスト現象によって怪我を負った者は限られている。

「ではこの中でポルターガイストによって注目を浴びた者は?」

静かに問い掛けるナルの視線に、の頬が僅かに引き攣った。

そんななど気にする事無く、ナルは悠然と告げる。―――その、該当する人物の名を。

「該当するのは黒田さんと・・・麻衣とだけになる」

「あたしぃ!?」

「・・・やっぱり」

話の風向きからそうではないかと思ってはいたが、はっきりと口に出して言われると複雑なものがある。

そうしてがっくりと肩を落としたと、驚いた表情を浮かべる麻衣を見比べて、ナルは改めて黒田へと視線を移した。

「3人を比べてみれば、断然怪しいのは黒田さんだ」

「・・・おのれ、疑ってやがったのか」

密かに握り拳を作りながら悔しげに呟く麻衣の声を聞きながら、は乾いた笑みを浮かべる。―――さすがナルだと、いっそ感心してしまうのは何故なのだろうか。

「君は中学の頃から霊感が強いので有名で、それで周囲の注目を浴びる存在だった」

そんな黒田が、旧校舎に悪霊がいると言った。

しかしもし旧校舎には悪霊などいず、すべては地盤沈下のせいだったとみんなが知ってしまったら・・・?

「権威の失墜。・・・つまり信用をなくす、と」

ナルの説明に続いて、滝川が感情の篭らない声色でそう告げた。

「このままでは自分の立場がなくなる・・・―――黒田さんは猛烈な不安に襲われる。彼女の無意識に大きなプレッシャーがかかり・・・無意識は考える」

霊がいるはずだ。―――いなくてはならない。

ポルターガイストが起こるはずだ。―――起こらなくてはならない。

「そして・・・無意識はそれを行う、か。なるほど」

漸くすべての事柄に納得がいったと、滝川は小さく頷く。

そうしてナルは滝川に向けていた視線を黒田に戻し、先ほどとは違うほんの少しだけ穏やかな声で言った。

「黒田さんにとって、旧校舎の悪霊は必要な存在だったんだ。周囲の注目を集め続けるため・・・彼女のために」

その言葉に、黒田は泣き出しそうなのを堪えるように表情を歪めた。

握り締められた拳は、小さく震えている。―――それが彼女の罪悪感の証のように思えて、はやんわりと表情を緩めた。

「・・・なんか、そういう心理ってわかっちゃうな」

シンと静まり返った教室内に、麻衣の小さな声が響く。

それにハッとして振り返った黒田に、麻衣は小さく微笑みかけた。

「ほんとは・・・誰だって『特別』になりたいって思ってる・・・と思うんだ」

麻衣の穏やかな声。

それに憤りを失った面々が表情を緩めるのとは反対に、1人表情を強張らせる者がいた。

みんなが認めてくれるような、特別な存在。

必要だと言って欲しい。

自分を見て欲しい。

『お願い、私の存在を消さないで』

『良い子にしてるから・・・だから』

脳裏に響く、思い出したくも無い過去。

床を見詰め、ぎゅっと眉間に皺を寄せて、強く拳を握り締めた。

バカみたい。

声にならない言葉を吐き捨てるように呟いて、は笑う。

白く骨が浮かび上がるほど握り締めた拳が、行き場もなく小さく震えた。

「そしたら、彼女のストレスが高まったのは、地盤沈下説が出てからって事よね。じゃああたしが閉じ込められたり、彼女が襲われたり、あとビデオが消えてたりしたのは?」

綾子の高い声に我に返ったは、ハッと顔を上げた。

痕がつくほど握り締めていた拳を解き、自身を落ち着かせるように小さく深呼吸する。

「・・・説明しようか?」

ナルの促しに黒田がコクリと頷くのを見て、そういえばまだすべてが解決したわけではなかったのだという事をは思い出した。

綾子が教室内に閉じ込められたという、あの出来事。

あれは教室のドアに釘が挟まっていたのが原因だったのだという。―――ナルはすぐにそれに気付いたらしいが、言う必要もないと判断して説明しなかったらしい。

ビデオの件も故障などではなく、おそらくはその当日に麻衣よりも早く教室に来ていた黒田に故意に消されたものなのだろう。

すべては、この旧校舎に霊がいるのだと印象付ける為に黒田が行った事だった。

それに綾子が怒りを募らせるも、後悔に身を震わせながら小さな声で謝罪する黒田を怒鳴りつけるほど、彼女も子供ではない。

さり気なく慰める麻衣によって何とか泣き出すのを堪えた黒田を横目に、綾子は諦めたようにため息を吐き出した。

「―――以上で納得出来ましたか?」

「・・・一応ね。―――でもどうするの?校長の依頼は『工事をできるようにしてくれ』よ?」

なんとか怒りを押さえ込んだ綾子に涼しい顔で話を締めくくったナルは、しかし続いた綾子の問いに視線を旧校舎内へと巡らせた。

「校長にはこう説明するつもりだ。―――旧校舎には戦争中に死んだ人々の霊が憑いていた。除霊をしたので工事しても構わない。・・・それでいいかな、黒田さん?」

ナルの同意に、戸惑いながらも黒田は小さく頷いた。

「それで大丈夫だと思うか?」

「多分」

滝川の問いにもサラリと答え、ナルは頷く。

しかしこれまで静かに場を見守ってきた真砂子が、言葉を交わす2人を見て口を開いた。

「それでも不安が残りますわ。校長先生に本当の事をお話してはどうですの?」

真砂子のその言葉に、黒田は弾かれたように顔を上げる。

確かに旧校舎は地盤沈下の煽りを受けて、少しづつ崩壊の道を辿っている。

何も知らずに工事に入り、もしも再び工事に携わった人が怪我をしても困るだろう。

しかし霊能者としての仕事を中心に、単位を取る為だけに学校に通っている真砂子は知らない。

噂というのはどこからでも漏れるものなのだ。―――そうして広まっていくのはあっという間だろう。

この年頃の子供たちは噂話に敏感で、そうしてまだ心が未成熟なものも多い為、時に人の心の痛みに鈍感になり残酷になる。

万が一その噂が広まってしまったら・・・黒田の立場は逆転してしまうに違いない。

同じ高校生として普段から学校に通っているは、その辺りの事情というのも解っているため、真実を隠す事に対する不安な気持ちはあってもすぐに同意は出来なかった。

「彼女は十分抑圧されている。これ以上追い詰める必要はないと思うが・・・?」

だからこそ、はナルのその言葉に救われた気がした。

酷い目に合うかもしれないと解っている人物を・・・そうして十分に自分の行いを反省している者をこれ以上叩き落したくはない。

しかしそれと同時に、ナルの言葉に驚いてもいた。

ナルが血も涙も無い冷たい人間とまでは思ってはいなかったが、しかし真実を隠蔽してまで黒田を庇ってくれるとも思っていなかったのだ。

まぁ、ここで追い詰めて更に無意識に暴走されても困るという事もあるのだろうが、彼の言葉には確かに黒田を思いやる響きがあったのも確かだ。

「・・・で、誰が除霊した事にすんの?」

そうして話が一段楽した直後、改めて浮上した問題に全員が顔を見合わせる。

真実を隠したまま、それでも自分が除霊したと主張できるほど恥知らずではない。

しかし霊能者として仕事でここに来ているのだから、蔑ろにされるのも避けたい。

としては真実がわかった時点でどうでもいい事だった。―――家の面子など、が考えるところではないからだ。

「全員が協力してやった。―――それで構わないでしょう。麻衣、この事は他言無用だぞ」

「解ってるって!」

またもやナルの提案に、全員が納得したように頷いた。

麻衣が誰かに話してしまう心配も無い。―――彼女はちゃんと人の心を察し、気遣ってあげられる子だと、この短い時間の中でも十分に解っていたからだ。

そうしては、最初こそ反発されてはいたものの、今ではすっかり場を纏めてしまっているナルを感心したように見詰めた。

この色んな意味で個性の強い面々を、口だけで操作してしまえるのだから・・・―――まぁ綾子はともかく、滝川もジョンも大人として譲っている部分もあるのだろうが。

「・・・ふぅん。ナルって結構フェミニストなのね。彼女はいるの?」

「質問の趣旨をはかりかねますが」

「あたし我慢してあげてもいいわよ、年下でも」

そんな事を考えていたは、唐突にナルへと擦り寄った綾子を見てギョッと目を丸くした。

確かにナルは顔は良い、それは認めよう。

しかし少なからず接してきて、ナルが恋人として望ましいかどうかは別問題だ。

勿論それぞれのタイプの問題でもあるのだろうが・・・―――チラリと見せた優しさが、どうやら綾子のツボを刺激したらしい。

先ほど見せた優しさで、の中のナルの株も急上昇したのも確かだが・・・。

それでもあまりの変わり身の早さに呆気に取られている面々の前で、悠然と微笑む綾子に向かい、ナルもまた薄っすらと口元に笑みを浮かべて。

お言葉はありがたいのですが・・・と前置きをしてから、衝撃の台詞を吐いた。

「残念です。僕は鏡を見慣れているので」

その瞬間、滝川と麻衣とは同時に思いっきり噴出した。

「ぎゃはははは!サイコー!!」

「い、言うにことかいて、か、鏡見慣れてるって!!」

「な、何笑ってんのよっ!!」

息も絶え絶えになりながらも笑い続ける。

そうだと納得出来る辺りがすごい。―――確かに毎日鏡を見て恐ろしいほど整った顔がそこにあるのならば、メンクイになっても可笑しくは無いが。

顔を赤らめて怒鳴る綾子にも負けず、滝川とと麻衣は3人で腹を抱えて気の済むまで笑った。

そんな4人を気に止める事無く、ナルは何事も無かったかのように踵を返して。

「リン、撤収を始める」

耳に届いたナルの平静な声に、笑っていた3人はふと笑うのをやめてナルを見返した。

その視線に気付いたナルが、意外そうに軽く眉を上げる。

「引き上げないんですか?」

当然の事のように言われた言葉に、は笑いすぎて目元に浮かんだ涙を拭う事も無くキョトンと目を丸くした。

当然といえば当然だ。―――何せ仕事は終わったのだから。

「あ、そっか。なーんか大した事件じゃなかったわねぇ」

「・・・のワリにはビビってなかったか?」

「冗談!やめてよね!!」

気を取り直してそれぞれ軽口を叩きながら歩く滝川と綾子の後に続くように、もまたなんともいえないすっきりしない気持ちのまま旧校舎を後にする。

外に出たは、降り注ぐ白い日差しに薄く目を細めた。

今はまだ授業中なのか、辺りに生徒の人影はない。―――学校特有の静けさは、いつも思うが誰もいないのではないかと思えるほど日常とは掛け離れている。

「あー、終わったなぁ」

声に引かれるように視線を向ければ、そこには大きく伸びをする滝川の姿が。

「お前ももう帰るのか?」

「・・・そりゃ帰るよ。仕事は終わったんだもん」

とりあえず家に戻り、今回の事件の報告書を作成しなくてはならない。

ほとんど何もしていない気がしなくもないが。

当たり前のようにそう返しながらも、はまたもや感じる不可解な感情に眉を寄せる。

この感情をは知っている。―――この感情は・・・『寂しい』?

「いやいや、そんなバカな」

「・・・なにが?」

1人で勝手に考え勝手に否定して、はバカらしいとばかりに笑う。

今までそれなりに霊能者を相手にしてきたが、今までそんな事は思った事がない。―――にとっては、霊能者は望ましい存在ではないのだ。

この気持ちも、先ほどの話の余韻に違いないとそう言い聞かせる。

例え今回関わった人たちが、今までにないほど親しみやすかったとしても。

これ以上学校を休めば、流石のも授業の遅れが厳しくなる。―――今の自分に必要な事がなんなのか、彼女は良く理解していた。

「それじゃね。また縁があったら、その時はよろしく」

できるだけいつも通りを心掛けながら、は軽い調子で滝川たちに手を振った。

縁などそうないだろう事は、が一番良く解っている。―――もともと頻繁に仕事をしているわけではないのだ。

きっともう会う事もないだろう。

そうは思いながらも口にすることはせず、は笑顔を浮かべて滝川達に背を向ける。

「あ、おい!・・・!!」

背後で滝川の自分を呼ぶ声が聞こえたけれど、は振り返らなかった。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

これで一応事件は終了しました。

そしてこの後のエピローグのような話で、この『月の華』編は終了です。

予定していたよりも一話短く(珍しい!)出来たので良かったと思いつつ、一話一話が長ぇよ!と思わず突っ込んでみたり。

作成日 2006.10.27

更新日 2007.10.3

 

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