闇夜に、罪人を追い立てる笛の音が鳴る。

けたたましい叫び声、響く足音。

そして置き去りになった籠の中で座り込み、目の前の男を見つめる女と、その女性を見つめる男。

それはとても、静かで綺麗な光景だった。

女性ならば一度は憧れるかもしれない。―――噂好きのおばさんにならば、絶好の餌だったに違いない。

憎むべき相手と、憎まれて当然だと思う相手と。

けれどそこには違う感情もある筈だ。―――何よりも、2人の瞳がそう語っている。

『ありがとう』と、2人の口が同時に紡いだ。

それが何を意味するのか、それは解らない。

ただそれだけを言い残し、男は追ってくる男たちから逃れるように闇夜へと消えていく。

女はただ、その後姿を見送るだけ。

「・・・まいったなぁ」

そんなロマンティックな光景が一望できる屋根の上に立ち、そうして一部始終を見つめていたは、額に手を当て苦笑気味にそう呟く。

少しづつ遠くなっていく真撰組の怒号を聞きながら、無言で闇色の空を仰いだ。

今まで目の前に提示される事もなく、そしてあえて目を逸らしてきた問題が今、目の前に突きつけられている。

それを自覚し、は屋根の上に座り込むと自嘲の笑みを零した。

「・・・ほんと、まいったなぁ」

再び呟かれた言葉は、真撰組の怒号によって掻き消された。

 

別れはいつも突然だ

 

の生活圏内は、ほぼ江戸にあると言っていい。

彼女の数少ない知り合いのほとんどが江戸にいたし、わざわざそこから離れる理由もないからだ。

しかし今から数週間前、ちょっとした・・・けれど少々厄介な野暮用を抱えてしまったは、少しの間だけ江戸を離れる事になった。

過保護である桂の説得は大変な労力を必要とする事だったけれど、こればかりは仕方がない。―――たとえその野暮用にほんの少しの陰謀を感じ取ったとしても、にはそれを拒否する事は出来なかった。

それがどんな野暮用なのかはともかく、長旅と野暮用による肉体的・精神的疲労のダブルパンチで疲弊しきったは、得意の毒舌をかます気力もないまま現在のアジトへと帰還したのだ。

まさかそこで、新たな問題が待っているとも知らずに・・・。

さーんっ!!」

ただいま〜と気の抜けた声で玄関をくぐったを待っていたのは、情けない事この上ない仲間たちの声だった。

一体何事かと目を丸くするを他所に、大きな身体をした男たちが一斉にを取り囲み、まるで縋るようにの着物の裾を握り締め声を潤ませる。

普段なら問答無用でぶっ飛ばすところだが、いくらなんでも様子が可笑しすぎる彼らの行動に、は行動に移す事無く眉を顰めるにとどめた。―――それをするのも面倒だと思うほど疲れていたというのも理由のひとつだけれど。

「もう、どうしたの?私疲れてるから、今は構ってあげられる余裕なんてないんだけど」

「違うんです、さん!実は・・・実はっ!!」

色々と問題があるのセリフもそのままに、仲間の一人が涙ながらに声を上げる。

これは本格的にただ事ではないようだと疲れで鈍った頭で考えたその時、その男は雄たけびでも上げるかのような大声で叫んだ。

「桂さんが・・・桂さんが行方不明なんです!!」

「・・・は?」

「真撰組が桂さんを探してて・・・!街には包囲網が敷かれています!漏れ聞いた話によると、桂さんは足を怪我してるとか・・・」

小太郎ちゃんが行方不明なんてそんなにも珍しい事じゃないじゃない・・・と、ふらふらと出歩いてたまに2・3日戻ってこない時がある桂を思い出しそう口を開きかけるが、続いた男の言葉に思わず口を閉ざす。

真撰組に追われた末の行方不明。

なるほど、彼らがここまで取り乱すのも頷けると1人納得したは、今もまだ背負っていた荷物を玄関に下ろして大きく息を吐いた。

あの桂がそう簡単に真撰組に捕まるとは思えないが、怪我をしているのならやはり簡単に逃げ切る事も難しいだろう。

今もまだ真撰組が桂を探しているという事は、彼はまだ捕まってはいないという事だ。

どこかで騒ぎが収まるのを待っているのなら、早々に見つけ出して保護しなければならないだろう。

帰ってきてすぐこれなんだから・・・と心の中で愚痴を零して、は改めて意気消沈する仲間たちを見渡した。

「解った。私が責任を持って小太郎ちゃんを見つけて来るから。だからみんなはおとなしく・・・ここ重要だからね。おとなしく待ってて。―――万が一言いつけを破ったりしたら、その時は・・・」

あいまいに言葉を切ってやんわりと微笑めば、男たちは一斉に顔を青ざめさせてコクコクと何度も何度も頷く。

彼らはのお仕置きの恐ろしさを身を以って知っているのだ。

桂を探しに行きたいのは山々だが、ここはの言葉に従うしかない。―――何より今自分たちが縋っているように、に任せておけば大丈夫だという確信もある。

さん、どうか気をつけて」

「はいはい、解ってるってば」

真剣な眼差しで自分を見つめる男たちにヒラリと手を振って、はついさっきくぐったばかりの玄関をもう一度くぐり外へ出る。

晴れ渡った空と乾いた風。―――今日は気持ちの良い休日になると思っていたというのに。

この代償はきっちり払ってもらおうと決意を固めて、は早速情報を集めるべく歌舞伎町へと足を向けた。

 

 

には彼女独自の情報網というものがある。

戦いは情報戦だ。―――もともとの素質もあるのだろうが、今や攘夷党の参謀を務めているにはどんな情報も欠かせない。

それは裏社会の事からちょっとした街の事件まで、の元に舞い込んでくる情報に制限はない。

だからには、真撰組ですら突き止められない桂の居場所を突き止める事は、そう難しくはなかった。

後は彼を迎えに行き、真撰組に見つからないように連れて帰る。―――たったそれだけのはずだったというのに。

けれど事件は起きる。

桂が世話になっているラーメン屋の騒動に巻き込まれ、桂は否応なく表へと引っ張りだされたのだ。

そうしては目撃する。

桂と、彼をかくまっていた女性が対峙する光景を。

そこにどんな感情があるのかはには解らない。

ただひとつ言える事は、そこに憎しみの感情はないという事だけだ。

そしてその光景は、自身がずっと目を逸らし続けてきた問題を確立させるに十分過ぎるものだった。

「・・・ほんと、まいったなぁ」

ポツリと小さく呟いて、は両手で顔を覆ったままその場に蹲る。

それはきっと、無意識にもがずっと恐れていた事だった。

それを、あの幾松という女性と桂を見て改めて実感させられる。

にとって、桂の意識が自分から離れていくかもしれない事が・・・―――自分を見てくれなくなるかもしれない事が怖かった。

なぜならには、自分が桂に安らぎを与えてやれないだろう事を理解していたからだ。

が桂にしてあげられる事は、戦う為の手段を用意し、それを実行する為の策を立て、行動を妨げられないように情報を集め、そして傷を負った彼らの治療をする。

それは戦場ではこの上なく重要な事でも、日常においては何の意味もない。―――むしろ日常生活においては無駄なものばかりだ。

誰が何と言おうと、どんな賞賛の言葉を向けられようと、は自分に価値がない事を理解している。―――それはおそらく、誰よりも。

たとえ桂が何と言おうとそれは変わらない。

だからはいつも心のどこかで思っていたのだ。

桂もまたいつか、自分の元を去って行くのだろうと。

それがあの幾松という女性のところへなのか、それとも違う者の元へなのかは解らない。

けれど攘夷戦争の後、銀時が、高杉が、坂本がそれぞれ別の道を選び別れたように、と桂の道もいつか別たれるのかもしれない。

そうなれば、自分はどこへ向かうのだろうとはぼんやりと考える。

戦う術しか知らない自分が存在できる場所など、一体どこにあるというのか。

『テメェは俺の傍が一番似合ってるんだよ。所詮、俺たち死神が日の当たる世界で生きる事なんて出来やしねーんだから』

いつだったか、高杉が言った言葉を思い出す。

「あの時は・・・なんて答えたんだっけ?」

それほど昔の事ではないのに、今ではもう思い出す事が出来ない。

胸の奥で・・・封印したはずの想いが疼きだす。

結局、すべてを消し去る事など出来ないのかもしれない。―――高杉の言う通り、今でもまだ心の奥で出番を待っている、暗く重い感情を飼っているはそう思う。

それすら、ただの言い訳でしかないと解っているけれど。

「たすけて・・・。たすけて、小太郎ちゃん」

固く蓋をした想いが甦りそうな気がして、はうわ言のように彼の名を呼ぶ。

決して助けを求めるべきではない人の名を呼びながら、は懇願するように握り締めた両手を顔へと押し付けた。

それは何かに耐えるように・・・―――なにかを、祈るように。

いつの間にか真撰組の怒号も聞こえなくなり、薄暗闇の世界は白い世界へと塗り替えられ、そうして絶望の夜は希望に満ちた朝へと姿を変えていく。

それにのろのろと顔を上げたは、目に痛いほどの朝日に瞳を伏せ、そうして自嘲気味に笑んだ。

この期に及んで、今もまだ彼に助けてもらいたいと思っている自分の弱さが嫌になる。

彼の負担になりたくないと願いながら、自分から手を伸ばしている。

その手が振り払われる事などないと理解しながら・・・―――彼にそんな事が出来ないという事を解っていながら、救いの手が伸ばされる事を待っている。

とんだ疫病神だ。

桂の為になどと口にはしていても、結局はすべて自分の為なのだ。

いつの間にか少しづつ賑わいだした通りを屋根の上から見下ろしながら、はふらりと立ち上がり髪留めをとって長い長い髪の毛を風に遊ばせる。

あの様子だと、桂ももう仲間のところへ戻った事だろう。

見た感じでは足の怪我も大分癒えているようだったし、真撰組に捕まるヘマをしでかす事もない筈だ。

「私も早く帰らないと・・・きっと心配するだろうな、小太郎ちゃんの事だから」

クスリと小さく笑みを零して、クルリと踵を返す。

それが決して嫌な事ではないと、は知っている。

桂のする心配は、いつだってに温かい気持ちを与えてくれた。

だからこそこれ以上心配させるわけにはいかない。

今のに出来る事は、それくらいしかなかった。

 

 

ヒラリと揺れる暖簾が目の端に映り、は踏み出しかけた足を止めた。

どこにでもある暖簾。

どこにでもある、ちょっと廃れかけたラーメン屋。

そこがしばらくの桂の避難先であり、もっとも彼と遠い場所にいるだろう幾松という女性が営む店だと思い至ったは、しばらく立ちすくんだ後ゆっくりと足をそちらへと向けた。

「いらっしゃい!なんにする?」

店の戸をくぐった直後に掛けられた威勢の良い声に目を丸くしつつ、は促されるままにがらがらのカウンターの真ん中に腰を下ろし、この店の女主人を見詰めた。

昨晩誘拐されかけた割には意外に元気そうだ。

勿論彼女に怪我がなかった事は知っているが、ああいう体験をすればしばらくは恐怖で閉じ篭もっていても可笑しくはないと思うのだけれど・・・―――思った以上に気丈な女性であるのだと改めて認識し、は注文を待つ幾松の視線を一身に浴びながら、店内の壁に貼り付けられてあるメニューを見やり口を開いた。

「じゃあ・・・ソバをひとつ」

あんたもかいっ!なんだってんだよ、どいつもこいつも」

即座に返ってきた突っ込みに、は知らず知らずの内に口角を上げる。

こういうテンポは悪くないと、少しづつ調子を取り戻してきたは、カウンターに両手の肘をついて顎を乗せると、にっこりと可愛らしく微笑んだ。

「だって、今は脂っこいもの食べる気分じゃないんだもん」

「ならわざわざラーメン屋をチョイスするんじゃないよ」

「でもメニューにあるじゃない、おソバ。大体なんでラーメン屋のメニューにソバなんてあるんだよ的な突っ込みはやめてあげるから、とりあえずさっさとソバ出せや

不満げな表情を浮かべる幾松へと微笑みかけながら問答無用でそう言い放てば、幾松は渋々と言わんばかりの様子で調理場へと向き直った。

幾松の言い分も至極もっともだけれど、この場は彼女には分が悪い。―――何故ならば、店内に張ってあるメニューにはしっかりと『ソバ』の文字があったのだから。

しばらくして静かに差し出されたソバに、は無言で割り箸を運んだ。

「どうだい?」

「うん。・・・・・・おいしいよ、このソバ」

つるつるとソバを吸いながら、はやんわりと微笑んでそう答える。

このソバからは、温かい桂の気配がした。

テーブル席に、厨房に・・・店内のそこここに、とても温かい気配を感じる。

それはきっと桂だけのものではない。―――目の前の少しぶっきらぼうだけれどお人よしなこの女性の温かさ故なのだろう。

「いっその事、ラーメン屋やめてソバ屋にしたら?」

「余計なお世話だ」

この店のラーメンを食べた事はないけれど、漂ってくる匂いから決して美味しいとは言えなさそうな気配を感じ取ったがそう提案するけれど、それは幾松の不貞腐れた顔と共に投げられた一言によって切り捨てられる。

名案だと思ったのにな・・・と尚も呟きつつ箸を進めつつ、はもう一度感想を述べた。

「・・・ほんと、おいしい」

「ありがとよ」

今度こそ返ってきた素直な返答に、穏やかな笑みを浮かべて。

ささくれだった心が少しだけ癒されたような気がして、は困ったように・・・けれどホッとしたように小さく息を吐き出した。

 

 

ソバを食べ終わったは幾松とほんの少し談笑した後、お礼と御代を置いて店を出た。

真昼の街は大勢の人で賑わい、活気に満ち溢れている。

そんな中を急ぐでもなくゆっくりと歩きながら、は先ほど別れた幾松と・・・そうして長年の付き合いである桂の事を考えていた。

幾松という女性は、とても素敵な人だった。

質素な店で細々とラーメン屋を営んではいるものの、彼女は光に満ちた優しい人だ。

それは桂も同様だった。―――攘夷志士という指名手配犯ではあるものの、桂もまた闇とは程遠い人物であるとは思っている。

だというのに、自分はどうだろうか。

ピタリと歩みを止めて、自分の手を見詰めて目を細める。

この手はたくさんの人の命を奪ってきた。

それは自分だけではなく、桂も・・・そして銀時もまたそうだ。

けれど決定的に違うところがある。―――それは彼らが自分とは違い、自分自身の足で立ち、自分の中の闇に打ち勝つ事が出来る強さを持っているという事だ。

何かある度に自分の闇を突きつけられ、揺らぎ迷いドロドロと自己嫌悪に陥っている自分とは違う。

『話し合いはこれが最後だ。次からは実力行使で行くぜ』

ふと、つい最近聞いたばかりの言葉が鮮やかに脳裏に蘇る。

「・・・私は」

俯いたままポツリと呟いたその声が、所在なげに頼りなく響いて消えた。

自分は桂の傍にいるべきではないのかもしれない・・・と、今まで何度も何度も思い、そしてその度に掻き消してきた言葉が脳裏を過ぎる。

自分の存在は、彼にとっての足枷にしかならないのかもしれないと。

そこまで考えて、は小さく笑みを零した。―――そんな事は、最初から解っていた事だった。

攘夷戦争の後こそまだ何かの役には立てるだろうと思ってはいたが、彼が穏健派へと変わった時点で、それは決定付けられたようなものなのだ。

それでもが彼の傍にいたのは、彼の隣が心地良かったから。

桂はいつだって、笑顔での居場所を用意していてくれた。

きっと桂にとっては、なんでもない事だったのだろう。

それがどんなにの心を救っていたのか、きっと彼は知らないに違いない。

そして優しい彼は、きっとどんな事があってもを突き放したりはしない。

だからこそ、自分が決断しなくてはならないのではないかとそう思う。

彼の重荷にならぬよう、彼にとっての最善の方法を考えなければならないのだと。

それが今まで彼に救われ続けて来たが唯一出来る事だろうから。

それでも傍にいたいとそう思うのは、きっとただの我が侭でしかないのだ。

そう、我が侭なのだという事は解っている。

それがどれほど愚かな願い事なのかも、十分に理解している。

それでも・・・。

「それでも私は、小太郎ちゃんと一緒にいたかったの」

小さく小さく呟かれた言葉は、先を急ぐ通行人にすら聞き咎められる事もなく。

ただ静かに、空気に溶けて消えていく。

今までも、自分が桂の一番であると思っていたわけではない。

優しい桂には、たくさんの大切なものがある。―――それは自分も含めて、攘夷党の仲間たちや、銀時もまたそうだ。

けれど、それは良かったのだ。

ただ、ひとつ。

多くの大切なものに囲まれている彼に、たった1人の大切な人を作って欲しくないと願っていた。

それが桂の幸せを妨げる願いだと解っていても、いつも隣にいて欲しいと願っていた。

だから罰が当たったのだ。

こんな自分勝手な自分には、自業自得なのだ。

だからきっとこれは、仕方のない事なのだろう。

そう結論付けて、は止めていた足を再び動かした。―――自分が行くべき場所へ、ただその場所を目指して。

「ただ〜いま〜!」

ガラリと引き戸を開けて中へと声を掛ければ、奥からバタバタと慌しい音を響かせながら掛けてくる足音。

そうして顔を見せた仲間の表情は、桂を探しにここを出た時とはまったく違う笑顔で飾られていた。

さん!実はついさっき、桂さんが帰ってきたんですよ!怪我も大した事ないみたいで・・・」

「そう。それは良かったわね」

にっこりと微笑みながらそう答え、ブーツを脱いで玄関を上がると先を歩く仲間の後を追うように広間へと顔を出したは、目の前に広がる光景に思わず目を丸くした。

「これ、何の騒ぎなの?」

広間に並べられたたくさんの大きなテーブルには、その上には酒やら料理やらが所狭しと並べられている。

まるで今から宴会でも始めるかのような光景にが首を傾げると、その通りですよと男は満面の笑みを浮かべた。

「桂さんも無事に戻ってこられましたし、さんも帰ってこられたので、お祝いに宴会でもと思って全員で用意したんですよ。あ、桂さんの許可も頂いてますから大丈夫です」

久しぶりの宴会にテンションが上がっている男の早口の説明に、はふ〜んと曖昧に相槌を打つ。

あの質素を信条とする桂がよく許したものだと思うが、あまり娯楽に縁がない仲間たちの為にはちょうどいい息抜きだったのかもしれない。―――おそらくは桂もそれを思い、あっさりと許可を出したのだろう。

攘夷志士がこんなに暢気でいいのかと、某過激派攘夷志士とその仲間たちを思い出し乾いた笑みを浮かべるが、これはこれでいいのかもしれないとも思う。

あちらはあちら、こちらはこちら。

日々殺伐としていれば良いというものでもない。―――それにこっちの方が断然楽しそうだ。

「もうすぐ始めますから席についててください。今、桂さんを呼んできますから」

男に促されるように席に着き、広間に集まりだした仲間たちをぼんやりと眺めながら、は小さく笑みを零した。

今こうして穏やかに過ごす時間を得るまでには、長い長い時が必要だった。

攘夷戦争が終わった直後、まだまだ混乱の中にあった江戸において、既に罪人扱いである攘夷志士たちが生き残るのは容易ではない。

あれからどれほどの時間が過ぎたのか・・・―――改めて思い出す必要もないけれど、こんなにも仲間が増え、お互いがお互いを大切に想い、こうして温かな場所が生まれたのだ。

もっとも、攘夷を掲げる集団としてはどうかとも思うけれど。

「何を笑っているのだ、?」

不意に声を掛けられ顔を上げれば、そこには呼ばれてこの場に来たのだろう桂の不思議そうな顔があった。

何故だか随分と久しぶりに見るような錯覚を覚えながら、なんでもないと小さく首を振って答える。

そうこうしている内にいつの間にか宴会は始まり、そうなってしまえば主役であり宴会の口実である桂をそのままに、男たちは自分たちで勝手に盛り上がり騒ぎ始めた。

「楽しそうだね、みんな」

「ああ、そうだな。これほど楽しいのであれば、たまにはこういうのも良いかもしれん」

用意された料理をちょっとづつ口に運びながらそう答える桂を横目に、はそうだねと返事を返してやんわりと微笑んだ。

大切なものがある場所。

だからこそは、この光景を守りたいとそう思う。

「ああ、言い忘れてた。―――おかえり、小太郎ちゃん」

「ああ。お前の方こそおかえり、

桂とはお互い視線を交わして、そうしてやんわりと微笑んだ。

 

 

翌日、いつもどおりに起床した桂は昨晩宴会が開かれた広間を見て目を丸くした。

昨日は片付けられる事無く放置されていた部屋の中が、キレイさっぱり片付いていたからだ。

「あ、桂さん。おはようございます」

「ああ、喜助か。お前がここを片付けたのか?1人では大変だっただろう」

おそらくは本日の食事当番は彼なのだろう。―――エプロンを身につけた喜助に桂がそう労わりの声を掛けるが、しかし彼はゆるゆると首を横に振ってから小さく首を傾げた。

「いえ、実は俺が起きてきた時にはもう片付けられていて・・・。俺も今日は片づけからしなきゃと思ってうんざりしてたんですけど・・・一体誰が片付けてくれたんでしょうね?」

不思議そうに呟く喜助に、桂も訝しげに眉を寄せる。

昨夜の散らかりようは半端ではなかった。

そんな広間をいともあっさりと片付けてしまうなど、そう簡単な事ではない。

後で誰が片付けたのかを聞いて礼を言っておかなければな・・・と心の中で結論付け、桂は改めて広間を見渡す。

昨日はあれほど呑み騒いだというのに、ほとんどの者が寝過ごす事無く起きて来ている。

これこそ生真面目を絵に描いたような桂の教育の賜物なのかもしれないが、そこに当てはまらない人物がたった1人だけいた。

はまだ寝ているのか?まったくあいつは・・・」

の寝起きの悪さは仲間内では有名である。

大抵はちゃんと自分で朝起きては来るが、前日夜更かしをしたり爆弾や薬の作成に熱中していたりすると、気が付けば夕方まで寝ている時もあった。

「喜助。悪いがを起こして・・・」

「いやっ!あの・・・俺、今から朝食の用意をしないといけないんで・・・。桂さんが起こしてきてくださいよ。その方が絶対良いですから!」

隣に立つ喜助に頼もうとすれば、すべて言い切る前にキッパリとそう切り替えされた。

何度も言うが、の寝起きの悪さは仲間内では有名なのだ。

彼女の眠りを妨げたものに下される鉄槌の恐ろしさを、仲間内で知らないものはいない。

否、唯一それを知らないのは桂だけだ。

普段から桂に甘いだからか、桂が起こしに行った時だけは彼女の寝起きの悪さも半減する事もまた仲間内では有名だった。

「ふむ、ならば仕方ないな。俺が起こしてくるとしよう」

喜助の言葉を疑う事無く素直に頷いた桂は、仕方がないとばかりにクルリと踵を返す。

の部屋に向かう途中に出会う仲間たちと朝の挨拶を交わしながら、アジトである屋敷のほぼ端に位置するの部屋の前に到着した桂は、閉じられたままのふすまに向かい静かに声を掛けた。

、いつまで寝ているつもりだ。そろそろ起きろ」

しかし声を掛けても返事も何もない。

いつもならば眠そうな声で何らかの反応が返ってくるというのに・・・―――昨日はしゃぎすぎて、疲れてぐっすりと眠っているのかもしれない。

そういえばは長旅から返ってきた後、すぐに行方不明の桂を探すために出掛けたのだと喜助から聞いた事を思い出し、桂はふむと口の中で小さく呻いた。

心配を掛けて申し訳なかったとは思うが、あれはあれで桂としても不可抗力であったのだから仕方がない。

あの時が江戸にいれば何らかの連絡の取りようもあったのかもしれないが、残念ながら彼女は不在だったため、足の傷が癒えるまでは大人しく隠れている他なかった。

の帰還ももう少し遅い予定だったため、要らぬ心配を掛ける事もないだろうと思っていたのだけれど・・・。

未だに静まり返った部屋の中を窺って、桂はこのまま寝かせておいてやろうかとふと思ったが、しかし朝食の用意がされている以上、それを温かい内に食べるのは作ったものに対する礼儀だろうと思い直し、少し乱暴に襖をノックする。

、起きろ。朝食の時間だ。―――・・・いい加減にしろ、入るぞ」

しかし何度ノックをしても声を掛けても何の反応もない事に焦れ、桂はそう言い放つと何の躊躇いもなく閉じられていた襖を乱暴に開けた。

直後、何かが飛んでくると予想し身構えた桂だが、しかしやはり何の反応もない。

どうしたのかと不思議に思い顔を上げた桂は、そこに誰もいない事に気付いて目を丸くした。―――これでは何の反応もなかったはずだと思い、それでははどこへ行ったのだろうかと室内を見回す。

「・・・?」

押入れを開ければ、そこにはキレイに畳まれた布団。

が長旅に行く前に仕舞われたそれは、どうやら使われた形跡はない。

訝しげに改めて部屋の中に視線を這わせれば、そこはまるで人の生活の気配がしないほどきれいに整えられている事に気付く。

いつもはテーブルの上に広げられている調合機器も、爆弾作りに使うのだろう道具もすべてがキレイに片付けられている。

そうしていつもはそれらが占拠するテーブルには、真っ白な封筒が一枚。

桂小太郎様へ、と宛名が記されたそれは、間違いなくの文字である。

「俺に手紙・・・?一体何が・・・?」

訝しく思いながらもそれを手に取り、中身を取り出して視線を走らせていた桂の瞳が、徐々に見開かれていく。

「・・・なんだと?」

小さく呟いて手紙を握り締めたまま、桂は勢い良くの部屋から飛び出し、屋敷中を走り回った。

途中ですれ違う仲間たちが驚いたように声を掛けてきたけれど、桂はそれに返事を返す事もなく走り回り・・・―――そうして再び広間に戻ってきた桂は、そこにの姿がない事を認めて、漸くそれが現実なのだという事を思い知る。

「・・・どうしたんですか、桂さん。あの・・・さんは?」

食事の準備を整えていた喜助が、様子の可笑しい桂を窺うように声を掛ける。

しかし桂はそれに答える事もせず、強く拳を握り締めた。

ガサリと、手の内で音を立てた手紙に視線をやり、その瞳に暗い影を落として。

己のいた痕跡すべてを片付け。

こんな手紙ひとつを残して。

何一つ、語る事もないまま。

 

そうしては、桂の前から姿を消した。

 

 

◆どうでもいい戯言◆

ネガティブ主人公。

普段明るく振舞ってる半面、ちょっとしたきっかけで内面に引きずり込まれちゃったり。

銀時たちと古くからの付き合いである以上、主人公にも後ろ暗い・・・というか、そんな感じの想いがあっても仕方がない事なのかもしれないと。

桂と絡ませる以上、幾松の扱いは非常に微妙になってしまいます。

個人的には結構好きな人なんで、出来る限り粗末な扱いにはならないようにしたいなとは思っているのですが・・・。(希望)

っていうか、これって桂夢なのか?(聞くな)

作成日 2007.7.7

更新日 2008.4.18

 

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